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フルトヴェングラー幻の東京公演
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横田庄一郎/著 |
四六判 上製 349頁 (本体2200円+税) ISBN4-931284-81-7 (2002.4) |
二人の日本人と収まったフルトヴェングラーの一枚の写真から、この蓋を開けてみたい、と私は思うようになった。そして、フルトヴェングラーの訪日公演計画の幻を追うことは、この二十世紀を代表する指揮者と日本を結びつける唯一の絆を、現実として確かめることにもなるのである(本文より)。
1939年夏、フルトヴェングラーとベルリン・フィルの訪日公演計画があった。当時の緊迫した国際情勢を背景に、わずかな手がかりから埋もれた事実が明らかにされていく。フルトヴェングラー、音楽ファン必読の書! |
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どこで読んだのか、もう記憶に定かではない。学生時代にのめり込んだころだった。フルトヴェングラー自身が語ったのか、フルトヴェングラーについて語られたものだったのか、思い出すことはできない。しかし、日本人として、そこだけは全面的に共感するわけにはいかない箇所があったことから、そうした感情が記憶の底に残滓となったにちがいない。
ベートーヴェンを楽聖と呼び、崇拝する気持ちはドイツ人だけではなく、日本人にも共通するものだろう。だから、ドイツ人のフルトヴェングラーがベートーヴェンを尊敬するあまり、その音楽を日本音楽といっしょにしてほしくないといった趣旨の記述に,私は引っかかったのである。
この問題の記述については、何人かの熱心なフルトヴェングラー・ファンに聞いてみても、そんな箇所は見たことがないといわれるのだが、ことフルトヴェングラー体験に関しては私も簡単には引き下がれない。
………………………………(「一、ある引っかかりから」より) |
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■本書目次
プロローグ
第一章 幻の日本公演計画
一、ある引っかかりから
二、東京で十七回の演奏会
三、当時唯一のドイツ語文献
第二章 スケジュールの空白
一、「運命」と「悲愴」の時代
二、ナチス・ドイツと軍国日本
三、『フィルハーモニー』の怪
四、浮かび上がる訪日の日程
五、一九三九年夏の三ヵ月
第三章 夢を運ぶツェッペリン
一、わずか四日の旅程
二、フルトヴェングラーの影
三、二度目のカラヤン来日
四、記念写真の「京極伯爵」
五、フルトヴェングラー会見記
六、貴志康一の橋わたし
七、無視された「訪日」報道
第四章 来朝は風聞に非ず
一、橋本国彦の現地報告
二、「その計畫を知りたい」
三、ベルリンと日本人たち
四、フルトヴェングラーだ!
五、「まだ見ぬ遠い尊敬すべき國」
六、意外な東京への憧れ
七、ナチス宣伝旅行の草案
第五章 ベルリン−東京
一、紀元は二千六百年
二、オリンピックのリレー
三、音楽的教養と合唱団の構想
四、日独音楽界の複雑な交流
五、夢のままの第九交響曲
六、訪日公演中止と奉祝楽曲
七、奉祝楽曲のコンサート
第六章 戦争、受難の日々
一、真珠湾前夜のレクイエム
二、ヒトラーによる特別扱い
三、非ナチ化裁判の無罪判決
四、「ここに留まれ」という声
五、どうすればよかったのだ
六、政治意識と芸術家気質
七、音楽の世界の政治家たち
第七章 その死、日本での復活
一、芸術家同士の確執
二、「楽譜に忠実」とは
三、自殺説をめぐって
四、日本人の感受性と観察
五、フルトヴェングラー展
エピローグ
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【横田庄一郎の本】
「草枕」変奏曲 夏目漱石とグレン・グールド
漱石とグールド 8人の「草枕」協奏曲(横田庄一郎/編)
キリシタンと西洋音楽
第九「初めて」物語
西郷隆盛惜別譜
富永仲基の「楽律考」
儒教と音楽について
おわらの恋風
大久保利通の肖像 その生と死をめぐって
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