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「王様の耳はロバの耳」(2021)
 
   
2021年4月16日
『「赤穂浪士」と「たけくらべ」』  砂古口早苗さんの『ブギの女王・笠置シヅ子』が面白かったので、同じ砂古口早苗さんが佐々木孝丸を取り上げた『起て、飢えたる者よ〈インターナショナル〉を訳した怪優佐々木孝丸』(現代書館 2016)を図書館から借り出した。佐々木孝丸といえば日本映画全盛時代の脇役、それも悪役が多かったと思うが、よく見ていた馴染みの俳優だし、「インターナショナル」の歌詞の翻訳者だと知っていた。読みだしたら面白くて、ずんずんすすみ、同書後半の出演した映画をとりあげた部分に入った。ここもたいへん面白くかつ懐かしい映画が並んでいる。そこで、映画『たけくらべ』(樋口一葉原作、美空ひばり主演)について書いていて、『たけくらべ』の映画音楽がNHKの大河ドラマ「赤穂浪士」のテーマ音楽と同じだと気づいた砂古口さんは次のように書いていた。「内容が全然違うものなのに音楽が同じということが理解できない。使い回しをせざるを得ないような理由があったのだろうか。今となってはもうたしかめようがないかもしれないが……。」(同書198ページ)
 「赤穂浪士」といえば芥川也寸志の作曲で、独特のメロディーと使われている笞の音がとても印象的で、よく知られた音楽だ。あの曲が『たけくらべ』でも使われている?砂古口早苗の指摘を読むまで知らなかったので、早速インターネットで調べてみたところ、この問題を探求している研究者がいるのである。藤原征生さんという。インターネットで読ませてもらった藤原さんの論文によると「赤穂浪士」のあのテーマは映画『花のれん』でも使われていたそうだ。
 考えてみたら、作曲家が気に入ったテーマを何度も使うことはよくある。例えばベートーヴェンの第3交響曲の第4楽章のテーマの例を思い出す。だから決して特別なことではないのだろうが、実際にぶつかったときに驚く気持ちはよく分かる。
 現代音楽の作曲家が映画音楽を手掛けることはよくあることで、「3人の会」の黛敏郎、團伊玖磨のいずれも芥川同様に様々な映画音楽を手掛けていることが、藤原さんの論文でよくわかった。現代音楽の作曲家の映画との関わり、オリジナル作品との関係など面白い話題がまだ残されているようだ。
(宮)
   
2021年4月9日
『「漱石の夏やすみ」が出るまで』  4月5日、高島俊男さんが亡くなった。高島さんの本は『漱石の夏やすみ』1冊しか出してないが、いろいろな事があったので当時のことをまざまざと思い出す。
 漱石に関する本を出したいと考えていて、「木屑録」のことはずっと頭にあった。漱石の漢詩は吉川幸次郎が書いた『漱石詩注』(岩波新書、現在は岩波文庫)があり、広く読まれている。残る漢文の作品「木屑録」は全集の中で読み下しの形で読める様になっていたが、私の漢文読解力では作品を味わうところまでいかなくて、未消化のママ残っていた。吉川幸次郎すでに亡くなっていて、「木屑録」の料理法を見いだせないでいた。そこに岩波の『図書』(1996年3月号)に高島さんの「「木屑録」のこと」というエッセイが出た。これを読んだ以後、「木屑録」は高島さんでという判断を持ち続けていたが、社内の事情ですぐに動くことが出来なかった。
 動き始めたのは2年後の1998年の春だ。頭にある企画を高島さんに手紙で伝えた。すぐに手紙の返事が来て、大型連休中に京都で初めてお会いした。漱石について1冊書きたいと思っていたそうで、漢文紀行をテーマにした本の企画をすんなり受け入れてくださった。「木屑録」だけでは1冊にするのはヴォリュームが足りないのではという私の危惧に対して、翻訳文、解説、批評で構成すれば十分単行本の内容を構成できると執筆構想を語られた。
 まず「木屑録」の現代語訳が送られてきて、半年後にはほぼ全体の原稿が送られてきた。高島さんは、1冊の本を書き上げるのに通常は2、3年かかると言っておられたが、異例の速さで書き下ろし原稿が出来上がった。意欲的に仕事をしてくださったことが伝わってきた。
 その間もその後も、手紙と電話で様々なことを打ち合わせ、相談しながら作業をすすめたが、そこでトラブルが発生して、刊行中止の危機を数度にわたり迎えてしまった。トラブルのひとつは、電話だ。事務所の電話なので、かかってくれば保留して然るべき人に回す。そのとき音楽が流れる。高島さんはそれが嫌いだから「そうならないようにしろ」と言われた。そのことは社内でも周知していたが、頻繁にかかってくる電話ではないし、たまたま電話をとった人がうっかりというか反射的に保留にしてしまう。そして私が電話に出ると、「あれだけ電話の保留音楽を流すなと言っているのに、どうしてそれを実行できないのか!」と、指示を社員に周知徹底出来ない私を厳しく批判された。もうひとつ大きなトラブルは書名を巡っておきた。いろいろな書名を考えては高島さんに伝えて、議論を続けたが、高島さんはそれを出版社が書名を著者に押し付けて来ると感じて、「著者を無視する出版社から本を出したくない」と言われ、原稿は休眠状態になってしまった。
 数ヶ月後、私は高島さんに電話して、せっかく出来上がった原稿をどうしても本にしたいと希望を伝え、書名は高島さんにおまかせすると言った。この時、高島さんも書きあげた原稿を本にすることを、ようやく了解してくださった。2002年2月、高島さんが考えた『漱石の夏やすみ』という書名で、出版にこぎつけることが出来た。
(宮)
   
 
『えっ?違うの?』  コカ・コーラ社が作っている「Coke On」というアプリをスマートフォンに入れた。随分前に夫が歩くだけでも、ポイントがたまってドリンク券がもらえたなどと言っていてすすめてくれていたのに、当時は興味も持てずに入れなかった。
 しかしにわかに運動不足が気になり、そういえば…と入れてみたらはまってしまった。このアプリは万歩計がついていて歩く目標を設定し(一日最低5000歩から設定でき、その場合一週間で合計35000歩を歩けば目標達成となる)、達成すると週に1回ポイントが付く。さらに自販機で飲み物を購入すると1ポイント、そして月曜日の午前中に購入すると2ポイントとなる。細かにいろんな条件があり面白い。ただコカ・コーラ社の飲み物で好きなものがあまりないのが難点なのだが…初めての月曜日の朝早速2倍ポイントの日ちょっと時間がギリギリだったので自転車で駅に向かう。確か郵便局のところにコカ・コーラの自販機があったはず…と思ってスマホをかざすが全然反応しない。2~3度と繰り返すが反応はゼロ。仕方なくその場を離れ、駅の自販機で購入して会社へ。「なんでだと思う?」と帰宅してから夫に言うと笑われた。それもそのはず、郵便局前の自販機は赤かったけれど、実はコカ・コーラ社の自販機ではなかったのである。郵便局カラーに赤く塗られた自販機を勝手にコカ・コーラの自販機と間違えたのである。たしかにそういわれて飲み物を確認したらいろんな会社の飲み物が混在している。はははは。思い込みとは恐ろしい…。そして恥ずかしい…これからは、よく見ようと心に誓った。(やぎ)
   
2021年4月2日
『通勤途上で出会う人びと』  毎日ほぼ同じ時間に出社するので、バスの乗客もその後浅川土手を歩いていくときも同じ人に出会う。そのなかには挨拶する人も何人かいる。そしてほとんど毎日会っていたのに、いつの間にか会わなくなってしまった人もでてきて、出会う人が入れ替わっていく。
 1~2年前の冬の寒い日に若い父親が子どもを抱きかかえて駅に向かて歩いていた。毎日その姿を見ていたが、先日同じ若い父親が、小さな女の子の手を引いて歩いていくのに出会った。抱きかかえていた頃から何年か経ったのだと時間の経過を思い知らされた。
 今日初めて出会ったのだが、やはり若い父親が女の子の手をしっかり掴んで保育園へ引っ張っていく(女の子の背中から落ちかかっているリュックに保育園の名札がついている)。踏切で電車が通過するのを待つ間、しきりに嫌がって泣いている。保育園に行くのを女の子は嫌がっているのだろう、踏切を渡りながら、いよいよ泣きじゃくって、引きずられていく。たまたま出会って、かわいそうだと思うが、見ているより何もできない。
(宮)
   
 
『まさかわたしも?!』  一昨日、夫が自動販売機でコーヒーを買おうとボタンを押したらなんと、「オロナミンC」が出てきたと嘆きのメールが届いた。わははと笑った。ところがである、その翌日、今度は、わたしが、紅茶のボタンを押したのに、「アクエリアスまもる乳酸菌ウォーター」が出てくるという事態に遭遇したのだった。トホホである。似た商品ならまだしもお互いにまったく違う代物が出てくるという悲劇。もちろん電話するのもめんどうなのでそのまま飲み干したけれど…。春になりみんなすこしぼーっとしてしまっているのか…。友人にこんなことあったとメールすると、「みんな疲れているんだねえ」と返信が来た。そうか疲れていたのか。ならしょうがない。
 自販機の商品の入れ間違いというのは意外とあるものだ。しかしこんな近しい人と2連続で当たるとは!これは当たりなのか、外れなのか?!と迷うところだ。いや間違いなくはずれなんだが…話題としては面白いので当たりとしてもいいのかもしれない。今までにも入れ違いにガクリということは10回以上は経験しているだろう。お金を入れたのに出てこないことも何度かあるし、お釣りが余分に出てきたことや(前の人の取り忘れ?)、一本おしたら7~8本出てきたこともあったから(もちろん手間賃として余分に一本もらったがあとのは返した)プラスマイナスはいかがなものか。実際その補充作業、私自身もしたことがある。夫の実家の米屋がもっている自販機の補充は一家の仕事の1つだった。店の隣の倉庫からそれぞれドリンク類を運んできてガコンガコンと入れていくのは案外楽しい。調子に乗っていれていると、誰かがうっかり箱に戻し間違えた飲み物を入れてしまうことも時々あった。その時はどうしたか?夫は間違えたとわかったら出るまでお金を入れて間違った飲み物が出るまでボタンを押し続け、出していたような気がするとのことだった。私も間違えたことはありそうだがどうしたかは正直覚えていない。すぐ隣が米屋なので問題があればお客が文句を言いに来れば、ごめんなさいと言って、正しい商品と変えてあげて一件落着チャンチャン…で済んでいたかもしれない。(やぎ)
   
2021年3月26日
『篠田桃紅』  夜中に目が覚めてしまったので、ラジオのスイッチを入れたら老婦人の声が聴こえた。高齢を感じさせるが、しかしきっぱりした話し方なので誰だろうと思いつつ話にひきこまれていった。途中で篠田桃紅とわかって、これは何という幸運かと耳をそばだてた。今月1日に107歳で亡くなった篠田さんが100歳のときに放送したインタビューの再放送だった。
 篠田さんのことは、うえののれん会の雑誌『うえの』に連載されていた記事を読んで、柔らかい発想とすこしも歳を感じさせないすばらしい文章のファンになっていたのに、しばらく記事がないと思っていたら亡くなったと報道されてとても残念に思っていたのだ。
インタビューでは、両親のこと、女学校時代の話から、渡米してニューヨークで展覧会を開いたときのことなどを話していた。とにかく自由な生き方を貫いてきた人らしい。
 当時ニューヨークには約400軒のギャラリーがあり、その頂点に立つのは10件足らずのギャラリーで、どうせ展覧会をするならそこでと頑張ったそうだ。この話で面白かったのは、その10件足らずの一流ギャラリーのうちの6軒までが女性の経営者だったということを、篠田さんがニューヨークの自由の象徴みたいに語ったことだ。ニューヨークの自由な空気を満喫したことが伺われる。篠田さんの墨の作品を見てみたくなった。文章も読んでみたくなった。
(宮)
   
 
『だいじょうぶ?』  今朝遅れて会社に行く道でのこと。いつもと違う線路沿いの道を歩く。ふと見ると薄い水色のパジャマを着たおじさんがアパートの横に(たぶんそのアパートにお住まいなのだろう)椅子を出して日当たりのいいその場所でおいしそうにタバコを吸っていた。小さな小屋の前で。そこの管理しているかのように。だがそこに違和感を感じる。なぜなら小さな小屋というのが、ただ屋根のある小屋で、中には大きなプロパンガスのボンベ4本が鎮座していたのだった。ガスボンベに日当たりのいい場所ということも気になったがガスボンベの隣でゆったりあたりまえにタバコを吸うおじさん…だいじょうぶなのだろうか。ガスが漏れていなければ問題ないのかもしれない…が、もしもということがないわけではない。もしもそういう習慣があるのなら、家族や親せきや友だちなど近い関係の人ならば即座にやめるように言うだろう。気になりながらも会社につく。おじさんもそんなに長い間はタバコを吸うわけではないはずだ。今のところ爆発のニュースはない…。くれぐれも気を付けてと心の中で思った。(やぎ)
   
2021年3月19日
『消費税の税込み表示』  4月から、消費税の税込表示が義務化されると、テレビニュースが報じていた。ニュースでは、出版物のようにやっかいな問題に直面すると予想される商品もあるが、あらゆる商品はとうぜん表示画変更されることになるという感じが強く押し出されていて、政府の方針を肯定的に伝える報道の姿勢に戸惑った。
 出版物のばあい「本体価格+税」という従来からの表示が理にかなっている。消費税はすでに税率が2度変更されているが、この表示なら出版社も書店も問題なく対応できる。ロングセラーは何十年前から流通していても、たとえ税率が変わってもこの方式なら難なく対応できる。低価格の本でいちいち表示を変更するコストに中小出版社は耐えられない。「私は本体価格+税」という表示が合理だと考えている。これまで業界団体はこの合理的な方式を認めるように政府と交渉したが、認められないようだ。表示法を杓子定規に強制するべきではないし、そんなことに何のメリットもないと思う。税込価格を表示した紙を挟むなどという案も出ているらしいが……。
 朔北社はこの問題に関しては従来通りの表示を続けるつもりでいる。問題の今後の推移を見守っていきたい。
(宮)
2021年3月12日
『笠置シヅ子とブギウギ』  『ミスターオレンジ』にブギウギが出てくるが、すぐ頭に浮かんだのが笠置シヅ子だ。『東京ブギウギ』が最もよく知られているだろうが、『買い物かごブギ』や『ジャングルブギ』など笠置シヅ子の歌いっぷりには圧倒される。細川周平の『近代日本の音楽百年』の4巻目は笠置シヅ子に一節を割いていた。戦前の『ラッパと娘』などを丁寧に解説している。
 戦後まもなく、時の吉田首相から「曲学阿世の徒」と非難された南原繁(東大総長)が同郷の誼で笠置シヅ子後援会長をしていたと知って驚いた。ユーチューブでいろんな曲が聴けるが、上記の曲のほか、『ホームランブギ』聴きたくなる。単純だが爽やかななメロディだ。笠置シヅ子の曲のほとんどは服部良一が作った。二人の天才が素晴らしい世界を見せてくれたということだろう。
 笠置シヅ子は、早い時期にスパッと引退して、以後俳優をしていた。テレビで中年のおかみさん役を見たことがある。
(宮)
   
 
『人の庭は自分の庭』  住宅街を歩いていると人の家の庭が気になって仕方がない。庭はその家の人たちの好みがどの程度現れるだろうか。会社の近くはアパートもあるが一軒家も多く、庭仕事をする姿を見ることも多い。庭仕事をしているような人の庭はやはりそういう庭だ。愛情がかけられた庭。もちろんただ整えるためだけに手入れする人もいるだろう。時々好きだなと思う庭を見つける。同僚はきれいな整った庭が好きなようだが、私は結構、手入れが十分でないけれど植えられているものに関心がある。ごちゃごちゃして混とんとしているようだけれど庭木や草を見ると各季節に楽しめるそれぞれの草木が植わっていたりしてそういう庭を見ると嬉しくなる。四季折々に楽しめる庭、絵画に描かれるような木が植わっていたり、実がなる木が植わっていたり。庭は手がかかる。実家には庭があるが、私は大人になってから庭のある家に住んだことがない。家の中で育てる植物は軒並み枯らしてしまうし、何かを育てるということに向いていないのかもしれないが、実は庭のある家に憧れているのだった。今はまだない庭を思い巡らす時、人の庭をみて和む。借景ならぬ心の中の借庭を今日も楽しんでいる。(やぎ)
   
2021年3月5日
『風』  春めいてきた浅川土手を歩く。温かい風を感じると、小学校時代に担任の近藤先生が教えてくれた『風』という曲が頭に浮かんでくる。題名も単純なので覚えている。「だれが風を見たでしょう ……」という歌詞で、ウィキペディアで調べたら出てきた。クリスティナ=ロセッティ詩・西條八十訳詞・草川信作曲という曲で、冒頭の歌詞しか覚えていなかったが、歌詞はつぎのような詩で、そうだこの歌詞だったと改めて思い出した。近藤先生はこの曲を、教科書を離れて歌詞を教え、合唱させた。

  誰(だれ)が風を 見たでしょう
  僕(ぼく)もあなたも 見やしない
  けれど木(こ)の葉を 顫(ふる)わせて
  風は通りぬけてゆく

  誰が風を 見たでしょう
  あなたも僕も 見やしない
  けれど樹立(こだち)が 頭をさげて
  風は通りすぎてゆく

 温かさに誘われるともう一曲思い出す。題名はわからないがメロディと冒頭の歌詞だけが出てくる。単純に懐かしい。「桜の花の咲く頃はうららうららとみなうらら……」。また調べてみると野口雨情作詞・草川信作曲の『春のうた』という曲だった。


  桜の花の咲く頃は
  うらら うららと 日はうらら
  ガラスの窓さえ みなうらら
  学校の庭さえ みなうらら

  河原でひばりの鳴く頃は
  うらら うららと 日はうらら
  乳牛舎(ちちや)の牛さえ みなうらら
  鶏舎(とりや)の鶏(とり)さえ みなうらら

  畑に菜種の咲く頃は
  うらら うららと 日はうらら
  渚(なぎさ)の砂さえ みなうらら
  どなたの顔さえ みなうらら

2曲とも草川信の作曲で、音楽が好きな近藤先生は、どこからかこうした曲を見つけて子どもたちに歌わせたのだろう。教室での情景を今も鮮明に記憶している。
(宮)
   
 
『母との読書交流』  去年の何月からだろう、毎月一度は帰っていた実家に帰れなくなった。母の住む町の人は東京から人が来るのをちょっと嫌がっているらしい。母も人目を気にして来るなという。元気なようなのでまあいいかと訪問をやめた。しかし、今度はいつ会えるだろうか。
 結婚後自分の家族との交流は年に1-2回だったが、頻繁に会いに行っていた義父母が亡くなり、その後、父の様子がおかしくなってから実家に頻繁に帰るようになった。愛情が薄い個人主義の淡白な父と思っていたが、特に仕事を引退してからというもの、会いにゆくと本当にうれしそうだったから言えないだけで寂しがり屋だったのだろう。父の不調以降は母ともマメに連絡を取り合うようになった。その父も去年亡くなったが、現在一人暮らしとなった母への平日のみの毎日のモーニングメールは続いている。初めはたどたどしかった母の馴れないメールも随分上達して驚く。人はいくつになっても進歩するのだ。手で押して文字を探すのは億劫なようなので手書きでの入力を教えたら今はもっぱら手書きと、よく使う言葉(使っていると一文字入れただけで出てくる)を駆使して書いてくる。手書きがうまくいかないと時折不思議な文字で送られてくるのがまた楽しい。例えば「お日様」と書くところを「お曰樣」となっている…。変換間違いでは起こらないことが手書きだと起こる。母もいい加減なので似た字でもいいかと使っているに違いない。もう何ヶ月も前になってしまったが、ある日、実家を訪れたときにちょうど読み終わった2冊の本を置いてきた。するとなにやらものすごく楽しんでくれたみたいで私も嬉しくなった。そこで最近になって、時々おススメの本を貸し出すことを始めた。どうせ自分の少しの本棚からはみ出ていたので丁度よい。読んで面白かったものは感想が来たりする。まるで図書館員か書店員になった気分だ。家族で1冊の本を通して会話することは今まで皆無だったけどこんな年になってからそんなことができる関係になるとは。そんなこと誰が思っただろうか。私すら想像していなかった。まだまだしばらくは母との読書交流は続きそうだ。(やぎ)
   
2021年3月1日
『貸し切り』  コロナ感染で生活が一変したが、通勤で毎日乗っているバスも同様、変遷がある。昨春緊急事態宣言が出た直後、朝のバスは乗客がばったり減ったが、その後は少しずつもとに戻っているように感じる。他方、長期化しているコロナ対策で在宅勤務も増えているだろう。我々のような事務所でも在宅勤務が長期化しているし、当然通勤形態も変わっている。バスの乗客もそうした影響なのだろう、帰りのバスにはコロナ以前ほど人が乗っていない。以前なら終点まで乗って行く人がかならずいたものだが、最近しばしば自分ひとりが終点まで乗っていくことが増えた。大型バスの貸切状態である。(宮)
   
2021年2月19日
『土光敏夫の母登美』  ラジオの「昭和人物伝」(保坂正康)で土光敏夫を取り上げていた。土光敏夫といえば臨調を思い出すが、母親の登美という人がユニークな人だったらしい。70歳になってから、女子教育の重要なことを主張して、太平洋戦争の真っ盛り昭和17年に女学校を設立したという。とにかく70歳の女性が学校設立に奔走したということに驚いた。
 宮野澄の『正しきものは強くあれ―人間土光敏夫とその母』を読むと日蓮宗の熱心な信者で、行動力のあるたくましい女性だったとわかる。土光敏夫は母親の意図を汲んで大企業経営者になってからも質素な生活をして、収入の大半を学校につぎ込んでいたらしい。登美や土光敏夫が関わっていた時代の学校教育の記録を読むと、ひとりひとりの個性を大切にする考えで貫かれていたことわかる。設立当時志願者が少なかったこともあるが、入学試験でふるいおとすのを嫌って志願者を全員入学させたそうだ。断片的に紹介されているエピソードを見ても教育にかける熱意がわかる。そしてそうしたことの出発点に登美の強い意志が働いていた。知られざる偉人がいた。
(宮)
   
 
『隠れたつもり?』  今朝会社行く途中の、知り合いがやっている小さな畑に猫がいた。黒っぽくて茶色の混じった土に近い色合いの猫。本当に畑の中で土のように一体となっている。が、しかしいないとは思わない。私がじっと猫をみると猫は警戒して肩を少しいからせながら地面にさらに近く縮こまった。目は警戒心に満ちている。警戒しながらもちょっと隠れたつもりでいるらしい。いやいや見えてますけどね。もしかして、目を閉じていたなら気づかなかったかもしれない。人も猫も動物、視線というものは敏感に気づいてしまうから仕方ない。とりあえずお互いがどうでるかをにらみ合う。にらむ必要はないのだが、向こうがにらむのでついつい影響される。体を緊張をみなぎらせている猫を横目にその場を通過した。会社の前まで来るとお隣の塀の日の当たる場所に、今度は緊張感のかけらもない三毛猫と目が合った。お前は逃げも隠れもしないのだね。猫もいろいろだ。(やぎ)
   
2021年2月12日
『宮沢縦一『傷魂』の復刊』  70年余忘れられていた本が、復刊されるということがあるのだ。今井清一著『濱口雄幸』は55年の間眠っていた原稿を本にしたが、『傷魂』は戦争直後の本の復刊だ。復刊に関わった黒沼さんも全く知らない人ではないし、宮沢さんも『昭和の作曲家たち―太平洋戦争と音楽』(秋山邦晴著、林淑姫編 2003年)を読んで親しみを覚えていた音楽評論家だから、つよく興味をかきたてられた。

 音楽評論家宮沢縦一が『傷魂』という従軍体験記を書いていたという新聞記事(東京新聞2020.10.8)。記事によると、『傷魂』は、ヴァイオリニストの黒沼ユリ子が、著者から贈られ読まずにいた本(1946年11月初版)を新聞の切抜きなどの間から見つけ一読内容に衝撃をうけて復刊を企図し、2020年8月冨山房インターナショナルから刊行された。
 著者の宮沢縦一は1944(昭和19)年、34歳のとき赤紙がきて召集され、短期間の訓練ののち輸送船に乗せられ、フィリピンのミンダナオ島に上陸した。
 米軍の圧倒的火力、攻撃力のもとで宮沢さんの部隊はろくに戦闘する間もなく敗残兵というほかない状況に陥った。銃を捨て、食べ物を求めてさまよい歩き、あげく宮沢さんは負傷して動けなくなってしまった。幾度も自決するべく手榴弾を手にするが最後の決断がなかなかできなかった。しかし動けなくて食べ物もないまま、「決死的努力」を揮って手榴弾をつかったが、その手榴弾は不発弾だった。動けなくなって十数日後、米軍兵に発見され捕虜になった。てっきり殺されるかと思っていたら、病院で手当された。
 輸送船内の想像を絶する悲惨な環境から、負傷して動けなくなるまでのいちいちの経験を宮沢さんは敗戦の翌年に記録し、出版した。

 黒沼ユリ子は「人類が創り出した戦争と呼ばれる蛮行と、そのために不可欠な軍隊という上下関係の絶対服従社会の存在という愚かな歴史を、二度と繰り返さないために、本書が持つ否定不可能な説得力は計り知れません。……戦地から栄養失調で帰国早々の1946年に早くも「忘れないうちに」と、ペンを走らせた先生の勇気とエネルギー」と書いている。具体的な生々しい内容はあえて書かなかった。本に興味を感じたら、直接読んでほしいと思う。
(宮)
   
 
『著者紹介』  Twitterにて、朔北社のとある本の著者紹介が「クスッと笑える小ネタがいい感じ」とコメントをいただいたと聞き、実はとっても喜んでいる。情報によっては「しらんがなっ」とツッコミたくなるそうで、そんなふうに楽しんでもらえてほんとうに嬉しい。著者紹介までちゃんと読んでくださって、ありがとうございます!

 さて、著者紹介。ここにはちゃんとした著者の情報を載せなくては!と思っていたのですが、ある海外のユーモア絵本の原書の著者紹介が、絵本の最終ページに絵本の続きのような佇まいで絵とともに書かれており、訳してみると、絵本の世界そのまま引き継ぐ内容になっているではないか...。ここに普通の著者紹介を入れたら、現実に引き戻されて、せっかくの作品の世界感が壊れてしまいそう。私が訳した紹介文を見せつつ訳者に相談すると、教科書どおりの堅くて拙い訳を面白がっていただき、自分の紹介文もそれに合わせて作ってくれたのです。これが絵本の世界感にピッタリはまりました。
 その絵本は刊行当時も、著者紹介にまでこだわっていておもしろいという声をいただき、嬉しさのあまり、その後も作品によって、時々著者紹介に内容を反映した楽しい情報をいれています。
 大々的に言ってしまうとつまらないので、朔北社の絵本をあれこれ読んでいただいて、もし見つけたときには、ぜひ「しらんがなっ」と笑ってくださいませ!(みなりん)
   
2021年2月5日
『関東大震災と日野市』  刊行から2年たった今も今井清一著『関東大震災と中国人虐殺事件』は、ぽつぽつ注文があるので、関東大震災絡みのニュースや本のことには自然に注目することになる。そういう本の1冊、藤野裕子著『民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本近代』を読んでいたら「関東大震災時の朝鮮人虐殺」に1章が割かれていたが、その中に朝鮮人虐殺が起きなかった場所として、日野町、七生村が出てきた。日野町、七生村とは現在の日野市だから朔北社の事務所があるところで、七生中学校がすぐ近くだ。日野市が出てきたので、こんどは藤野さんの叙述の出所である松尾章一著『関東大震災と戒厳令』を図書館から借りてきた。すると「自警団と地域社会」という章に「虐殺が起きなかった地域―南多摩郡日野町・七生村」という節があった。当時、七生村にはは多摩川・浅川の砂利採取の朝鮮人労働者が共住していた。大地震発生後「朝鮮人暴動」の流言があり、この地域でも青年団、在郷軍人、消防夫等が凶器を持って警備にあたり、町民も竹槍等を携えて夜番をするという状況であったらしい。しかし、虐殺事件は起きなかったのである。松尾さんは「七生村のような江戸時代以来の比較的豊かな米作農村地帯では虐殺は起きなかったのではないか」と書いている。町役場の資料や町民・村民の書き残した記録を見ると流言に対する対応、興奮の度合いなどに微妙な違いがあるようだ。(宮)
   
 
『通勤リュックの重さ』  ずっと以前に通勤の荷物が重いことをこちらへも書いたが、その後もあまり荷物が減ることはなく毎日鉛のように重い荷物を運んでいる。ますます重りが増えたようにも思えるのだが、老化のせいだろうか?あらためて荷物の中身を見てみると、朝はお弁当、水筒、水、本が時により2-3冊、書類、折り畳み傘、財布、ティッシュ、通帳、モバイル充電器、筆箱、エコバック、手袋などが入っている。重い原因はおそらく食料と水分にあたるものと本に違いない。ある日食べ終わったお弁当箱を入れ、飲み終わった水筒やペットボトルの空き容器をいれ、帰ろうとしたが、まだリュックが重い。はてなぜだろうと思い、いったいどのくらいの重さがあるのか気になり、会社にある体重計で計ってみた。すると…その体重計が壊れていないとして、メモリは5㎏を指していた。ご飯を食べて飲み物も飲んだのにまだ5㎏もあるなんて!5㎏と言えばおよそ一か月で食べる我が家のお米の分量じゃないか!ということは…行きは6㎏近くあったかもしれない…重いわけだ。確かにいらないものもあるけれど、あると安心なものばかり。今後この重さを毎日運ぶのだろうか。以前はこんなんじゃなかったのに謎である。いつか心軽やかに身軽に生きられるようになりたいものだ。(やぎ)
   
 
『猫医者』  私が体調が悪くて横になっていると、うちの猫2匹は交互にやってきて、具合が悪い所を両手を使ってムニムニする。なぜわかるのだろう。お腹が痛いときには、お腹に乗ってムニムニ。背中が痛いときは、背中に乗ってムニムニ。頭が痛いときは、ムニムニてはなく、頭にきゅっと抱きついて、毛づくろいしている。ものすごく可愛くて嬉しいのだけど、お腹が痛いときの、お腹に乗って5キロ超えムニムニは、ちょっぴりキツイ。
元気がなくて布団にもぐって横になって眠っていたら、ずっと寄り添ってくれていたようで、乗っかっていた腕と足が痺れていたけれど、嬉しくて、ちょっと元気になる。
我が家のホームドクター、いつもありがとう。(みなりん)
   
2021年1月29日
『変貌していく景色』  高幡不動駅から事務所まで歩いて通勤しているが、わずかな期間のうちに結構景色が変わっていく。コロナのせいで緊急事態宣言がだされ、高幡不動駅近くの店をみると飲食店が閉店に追い込まれているのをみる。昨年春の時点で早々と閉店したところもあれば、第3波と言われた秋になって閉店した店もある。他方、いまも営業を続けている店では、客が想像した以上に沢山入っていて歓談している。外からも見える密接した状態は大丈夫なのかと心配になる。同じ通りで大がかりな改築中の飲食店がある。
 毎日歩いていて、これまでいったい何軒住宅の新築工事を見ただろうか。外から見たらまだ十分住めそうな建物を解体して、新しい住宅が建設されていく。新築された家よりは、解体された旧家のほうが良さそうに見えることが多いのだが…。
 この1年の中では、日野市のプールが営業していなかったのは、いささかさびしかった。夏の賑わいを遠くから感じつつ歩いていたのだが。
 今年は雪景色が見られるのか、ひそかに期待して歩いている今日このごろである。
(宮)
   
 
『考える日々』  長引くこのコロナ禍の生活は、将来、子どもたちにどのように影響するのだろうか。
ほんの少しずつ日常が戻りつつあったのに、今回の第3波からの緊急事態宣言で、また振り出しに戻ってしまった。
子どもの通う中学でも、みんなが我慢の日々を送っている。毎日マスクをして過ごし、給食は喋らず前を向いて黙々と食べる。多くの行事が中止になり、運動会は無観客だった。社会科見学もスキー合宿も中止。今回の緊急事態宣言下で部活動も中止になった。合唱コンクールや、延期になっていた修学旅行も中止になるかもしれない。
いろんな場面でそれぞれに活躍できる機会があったはずで、勉強だけじゃなく、音楽、部活、給食の時間、学校行事の準備でその手腕を発揮する子もいたはずだ。人と自分を比べて足りない自分に落ち込んでも、多種多様に活躍の場があるからがんばれる。今は、誰かに認めてもらえる、個々が輝ける機会が少なくなってしまっているのだ。
多感な時期を過ごす中学校生活のこれまでの1年間、そしてこの先もまだ続くであろうこの生活に、気持ちが壊れてしまわないだろうか。私自身、中学の時に経験し影響を受けたことが、今でも負の部分で重い荷物となり、払拭できずにいる。
毎日、一生懸命過ごしている子どもを見て、何をしたらいいのか、わからないことばかりで悩むけれど、子どもたちの未来が少しでも明るくあるように、悩みながらも寄り添えるようにしたいと日々考えている。(みなりん)
   
2021年1月25日
『雪』  東京に出ていた今季2度めの大雪情報は、また外れた。土曜日の夜中に目が覚めると外を見るが、降っているのは雨で、雪ではない。夜が明けてからも状況は変わらなかった。日曜日、雨はいつまでも降り続いた。密かに雪景色を楽しみにしていたのだが仕方ない。 月曜日の朝、すっかり晴れ上がった浅川土手を歩いていつものように富士山を見たら、山頂部分が真っ白になっている。久しぶりの姿に、冬の富士山はこれでなくっちゃと思った。今年の冬は低温続きの寒い毎日なのに、これまで富士山を見ると雪が斑でどうも美しくなかったが、今朝は雪に覆われていたというわけだ。(宮)
   
 
『楽しみに待つ』  久しぶりに楽しみにいつも読んでいる本の続き?というかシリーズが1月中旬に出るという情報を年末にみつけた。そして楽しみに待っていた。現在手に入れて、読み終わったところだ。何かを楽しみに待つというのはいいものだなあと思う。待つ時間というのはまどろっこしいこともあるだろう。今やスピードの時代で、今日注文したものが明日届く時代なのだ。だけど、入学式、運動会、遠足、修学旅行、クリスマス、お正月、そして誰かと会う約束、手紙、何かの発売日、コンサート、季節…様々な楽しみをみんなが何かを待っている時間が私は好きだ。私自身も待つ間のわくわくですでに満足してしまうことも。特に旅は、その傾向が強い。調べるところから始まる。行き帰りの列車、移動のための手段、行きたい場所、泊まる宿を調べ予約する。妄想と想像がどこまでもどこまでもすでに旅を始めている。自分の会社の本はどうだろう。楽しみに待たれるような本を出せるようになりたい。待ってましたと発売日ににこやかに買っていかれる本がいつか出せたらいいなと思う。(やぎ)
   

『2021年の始まり』  2019年末から2020年正月は子どものインフルエンザ+胃腸炎にて帰省できなかったのですが、2020年末から正月もこの状況下なので、帰省はせず、どこにも出かけず、家族でのんびり自宅で過ごすことにしました。
私の実家では毎年おせちをほぼ手作りしていて、2年続けておせちが食べられないのは寂しいので(去年は消化の良いものしか食べられなかった)、「よし!おせち料理を作ろう」と、数日前から計画をたててみました。気合充分だったのですが、気がつけば知り合いから昆布巻をもらったり、量が多いからと分けてもらったり、安くなってるからとちょこちょこ買っていたら、結局作らずじまいのおせち的なものが完成。私のやる気なんてそんなものです。引き出しに残る、やる気のかけらのひとつ、黒豆とかはそのうち煮ることにしよう。
さて私の正月の楽しみの一つ、元旦の実業団駅伝と1月の2日、3日の箱根駅伝があります。いつもなら、初詣に行こうとか、どっか出かけようとか、家族からの圧力があるのですが、今年は堂々とこたつに入ってテレビの前で観戦することができました。しかも、両駅伝とも私の応援しているチームが優勝!(わーい、わーい。)箱根駅伝に至っては、最終10区での胸が熱くなる勝負で涙、涙。充実した駅伝3日間でした。ちなみに1月も末ですが、まだ優勝の興奮は冷めておらず、いつでも駅伝について熱く語ることは可能です。来年が楽しみだー
(みなりん)
   
2021年1月15日
『今井先生』  1年前『関東大震災と中国人虐殺事件』を刊行したとき、著者の今井清一先生は献本につける挨拶状のことを相談するなど、まだお元気であった。2020年、年明けに初めてご自宅に伺ったときには、何度目かの刊行祝の祝杯を上げることを望まれて、私も何度目かの楽しいひと時を過ごさせていただいた。
 2019年の後半には、刊行を目指して最後の仕上げ作業を先生に繰り返しお願いした。いつも仕事をされている居間で打ち合わせをするのだが、伺ったときに、ベッドに横になっておられたことがある。訪問すると、起き出されて居間に移るのだが、ある日「今日はベッドでやりたい」と仰る。書きかけの原稿を仕上げるために問答を繰り返したが、作業が終わったとき、懸案が片付いて喜ばれた先生が、ベッドからしきりに腕を私に伸ばしてくる。結局握手をしてその場は終わったのだが、あとで、はたと気付いた。先生は拳を私に差し出していた。ぐータッチをしようとしていたのだ。疎い私はそれがわからなかった。原稿を完成させるための一齣だが、必死に協力してくださって、そのあげくの喜びの表現だった。先生、鈍感で申し訳ありませんでした。
(宮)
   
 
『キャベツだらけの年明け』  年が明けた。父が亡くなって初めて迎える正月だったので、年賀状もお飾りも、特別なことはしない正月を迎えた。いつも週に1度、食材を生協に頼むのだが、去年末はうっかり4週連続キャベツ一玉を注文し、3玉は消費できぬままにお正月を迎えてしまった。数年前までは毎年夫の実家に帰っていたが夫の両親も亡くなり、ここ2年ほどは、東京で過ごしている。数年前に父の調子が悪くなってからは千葉県の外房にある私の実家へ、お正月をさけ、姉兄と同じ日にならない日を選び、帰っていたが、今年はコロナの感染が広まっていることも考慮して自宅にじっとしていた。
 そこでまたキャベツの話に戻るが、今年は兄が年末に連絡してきて元旦の日に、引越した先の(1年半まえに引越した)今のおまえの家を見たいから出かけがてら30分くらい寄っていいかとのこと。少々兄が苦手なので断ろうかとも思ったが、たまにはいいかと思いなおし「お茶とお菓子を用意してまっています」と返事をした。そして元旦当日にやってきた兄の家族。兄は最近野菜作りに凝っていて色々育てているようだ。そしてもらったいくつかの手みやげの中になんと、またキャベツがあった…。まさかの…キャ、キャベツか?!と思ったが、いらないとも、沢山あるとも言えず、ただ「ありがとう、すごいね。きれいに売り物みたいに出来てるね」とほめて(お世辞ではなく本当にそのとおりだった)受け取った。年始から二人家族でキャベツ4玉。そんなわけで毎日キャベツを消費すべく熱心にキャベツを調理している。そのうちイモムシになってさなぎになるかもしれない…。それならいっそのこと今年は蝶のように飛び立てる日がくるかしらと今日もキャベツ料理を考えている。おかげで現在3玉目。あと少し。キャベツに息絶え絶えの年明けであった。(やぎ)
2021年1月8日
『政治的伝統』  トランプ大統領の演説に誘導されて大勢のトランプ支持者が連邦議事堂に侵入占拠するという事件は、興味深いいろいろな反応を生み出した。ペンス副大統領は、議会でトランプの指示、依頼に背いて、バイデンの当選を認める立場に立った。トランプ支持者の議会侵入の目標はペンスだったという報道もある。トランプの行動にこれ以上ついていけないと、ホワイトハウスのスタッフが何人も辞任する。閣僚からも辞任の動きが出た。過去の国防長官経験者10人がトランプ大統領非難の声明を出した。憲法の規定を適用してトランプ大統領罷免を主張する動きもある。これには副大統領と内閣の半数の賛成が必要らしいが、トランプ大統領の任期があと2週間もないこの時期にこういう行動が主張されているのは現状に対するよくよくの危機意識の反映だろう。議会内の動きにも、当初はトランプ指示の行動をとるとしてきた議員が、反トランプの立場に変わったという例が出てきた。議員、政府高官、閣僚経験者、行政官などの政治行動を決めているのは高邁な政治的理念だけではないだろうし、自身の利益を計算したものであるだろう。だが、報じられる言動をみると、アメリカ民主主義の精神に立ち返って、独立革命以来の現在の政治システムを守ろうという姿勢が出ていることは確かだ。そこには自分たちの生きる社会の根底を壊すべきではないという判断がある。建国の精神を尊重する意識、伝統に対する誇りがある。分断された社会に深く傷つき、悩んでいると言われる現代アメリカだが、建国の精神とそれに基づく行動がなくならないかぎり、アメリカはいずれ混乱から立ち直り、社会は再建されるだろうと思う。この点が日本の事情と決定的に違うところだ。日本で、与党政治家や官僚に、日本国憲法にもとで出発した、政党を担い手とする議会政治の存在意義をしっかり認識し、このシステムを守ろうという意識があるとは到底思えない。現在あるのは、政権与党であり続けることを最優先する党派的計算と行動だ。森友問題で自殺した赤木さん以外に、行動の責任を取って辞職した人は一人も出てこない。(宮)