アーカイブス
「王様の耳はロバの耳」(2021)
 
   
2021年3月1日  
『貸し切り』  コロナ感染で生活が一変したが、通勤で毎日乗っているバスも同様、変遷がある。昨春緊急事態宣言が出た直後、朝のバスは乗客がばったり減ったが、その後は少しずつもとに戻っているように感じる。他方、長期化しているコロナ対策で在宅勤務も増えているだろう。我々のような事務所でも在宅勤務が長期化しているし、当然通勤形態も変わっている。バスの乗客もそうした影響なのだろう、帰りのバスにはコロナ以前ほど人が乗っていない。以前なら終点まで乗って行く人がかならずいたものだが、最近しばしば自分ひとりが終点まで乗っていくことが増えた。大型バスの貸切状態である。。(宮)
   
2021年2月19日
『土光敏夫の母登美』  ラジオの「昭和人物伝」(保坂正康)で土光敏夫を取り上げていた。土光敏夫といえば臨調を思い出すが、母親の登美という人がユニークな人だったらしい。70歳になってから、女子教育の重要なことを主張して、太平洋戦争の真っ盛り昭和17年に女学校を設立したという。とにかく70歳の女性が学校設立に奔走したということに驚いた。
 宮野澄の『正しきものは強くあれ―人間土光敏夫とその母』を読むと日蓮宗の熱心な信者で、行動力のあるたくましい女性だったとわかる。土光敏夫は母親の意図を汲んで大企業経営者になってからも質素な生活をして、収入の大半を学校につぎ込んでいたらしい。登美や土光敏夫が関わっていた時代の学校教育の記録を読むと、ひとりひとりの個性を大切にする考えで貫かれていたことわかる。設立当時志願者が少なかったこともあるが、入学試験でふるいおとすのを嫌って志願者を全員入学させたそうだ。断片的に紹介されているエピソードを見ても教育にかける熱意がわかる。そしてそうしたことの出発点に登美の強い意志が働いていた。知られざる偉人がいた。
(宮)
   
 
『隠れたつもり?』  今朝会社行く途中の、知り合いがやっている小さな畑に猫がいた。黒っぽくて茶色の混じった土に近い色合いの猫。本当に畑の中で土のように一体となっている。が、しかしいないとは思わない。私がじっと猫をみると猫は警戒して肩を少しいからせながら地面にさらに近く縮こまった。目は警戒心に満ちている。警戒しながらもちょっと隠れたつもりでいるらしい。いやいや見えてますけどね。もしかして、目を閉じていたなら気づかなかったかもしれない。人も猫も動物、視線というものは敏感に気づいてしまうから仕方ない。とりあえずお互いがどうでるかをにらみ合う。にらむ必要はないのだが、向こうがにらむのでついつい影響される。体を緊張をみなぎらせている猫を横目にその場を通過した。会社の前まで来るとお隣の塀の日の当たる場所に、今度は緊張感のかけらもない三毛猫と目が合った。お前は逃げも隠れもしないのだね。猫もいろいろだ。(やぎ)
   
2021年2月12日
『宮沢縦一『傷魂』の復刊』  70年余忘れられていた本が、復刊されるということがあるのだ。今井清一著『濱口雄幸』は55年の間眠っていた原稿を本にしたが、『傷魂』は戦争直後の本の復刊だ。復刊に関わった黒沼さんも全く知らない人ではないし、宮沢さんも『昭和の作曲家たち―太平洋戦争と音楽』(秋山邦晴著、林淑姫編 2003年)を読んで親しみを覚えていた音楽評論家だから、つよく興味をかきたてられた。

 音楽評論家宮沢縦一が『傷魂』という従軍体験記を書いていたという新聞記事(東京新聞2020.10.8)。記事によると、『傷魂』は、ヴァイオリニストの黒沼ユリ子が、著者から贈られ読まずにいた本(1946年11月初版)を新聞の切抜きなどの間から見つけ一読内容に衝撃をうけて復刊を企図し、2020年8月冨山房インターナショナルから刊行された。
 著者の宮沢縦一は1944(昭和19)年、34歳のとき赤紙がきて召集され、短期間の訓練ののち輸送船に乗せられ、フィリピンのミンダナオ島に上陸した。
 米軍の圧倒的火力、攻撃力のもとで宮沢さんの部隊はろくに戦闘する間もなく敗残兵というほかない状況に陥った。銃を捨て、食べ物を求めてさまよい歩き、あげく宮沢さんは負傷して動けなくなってしまった。幾度も自決するべく手榴弾を手にするが最後の決断がなかなかできなかった。しかし動けなくて食べ物もないまま、「決死的努力」を揮って手榴弾をつかったが、その手榴弾は不発弾だった。動けなくなって十数日後、米軍兵に発見され捕虜になった。てっきり殺されるかと思っていたら、病院で手当された。
 輸送船内の想像を絶する悲惨な環境から、負傷して動けなくなるまでのいちいちの経験を宮沢さんは敗戦の翌年に記録し、出版した。

 黒沼ユリ子は「人類が創り出した戦争と呼ばれる蛮行と、そのために不可欠な軍隊という上下関係の絶対服従社会の存在という愚かな歴史を、二度と繰り返さないために、本書が持つ否定不可能な説得力は計り知れません。……戦地から栄養失調で帰国早々の1946年に早くも「忘れないうちに」と、ペンを走らせた先生の勇気とエネルギー」と書いている。具体的な生々しい内容はあえて書かなかった。本に興味を感じたら、直接読んでほしいと思う。
(宮)
   
 
『著者紹介』  Twitterにて、朔北社のとある本の著者紹介が「クスッと笑える小ネタがいい感じ」とコメントをいただいたと聞き、実はとっても喜んでいる。情報によっては「しらんがなっ」とツッコミたくなるそうで、そんなふうに楽しんでもらえてほんとうに嬉しい。著者紹介までちゃんと読んでくださって、ありがとうございます!

 さて、著者紹介。ここにはちゃんとした著者の情報を載せなくては!と思っていたのですが、ある海外のユーモア絵本の原書の著者紹介が、絵本の最終ページに絵本の続きのような佇まいで絵とともに書かれており、訳してみると、絵本の世界そのまま引き継ぐ内容になっているではないか...。ここに普通の著者紹介を入れたら、現実に引き戻されて、せっかくの作品の世界感が壊れてしまいそう。私が訳した紹介文を見せつつ訳者に相談すると、教科書どおりの堅くて拙い訳を面白がっていただき、自分の紹介文もそれに合わせて作ってくれたのです。これが絵本の世界感にピッタリはまりました。
 その絵本は刊行当時も、著者紹介にまでこだわっていておもしろいという声をいただき、嬉しさのあまり、その後も作品によって、時々著者紹介に内容を反映した楽しい情報をいれています。
 大々的に言ってしまうとつまらないので、朔北社の絵本をあれこれ読んでいただいて、もし見つけたときには、ぜひ「しらんがなっ」と笑ってくださいませ!(みなりん)
   
2021年2月5日
『関東大震災と日野市』  刊行から2年たった今も今井清一著『関東大震災と中国人虐殺事件』は、ぽつぽつ注文があるので、関東大震災絡みのニュースや本のことには自然に注目することになる。そういう本の1冊、藤野裕子著『民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本近代』を読んでいたら「関東大震災時の朝鮮人虐殺」に1章が割かれていたが、その中に朝鮮人虐殺が起きなかった場所として、日野町、七生村が出てきた。日野町、七生村とは現在の日野市だから朔北社の事務所があるところで、七生中学校がすぐ近くだ。日野市が出てきたので、こんどは藤野さんの叙述の出所である松尾章一著『関東大震災と戒厳令』を図書館から借りてきた。すると「自警団と地域社会」という章に「虐殺が起きなかった地域―南多摩郡日野町・七生村」という節があった。当時、七生村にはは多摩川・浅川の砂利採取の朝鮮人労働者が共住していた。大地震発生後「朝鮮人暴動」の流言があり、この地域でも青年団、在郷軍人、消防夫等が凶器を持って警備にあたり、町民も竹槍等を携えて夜番をするという状況であったらしい。しかし、虐殺事件は起きなかったのである。松尾さんは「七生村のような江戸時代以来の比較的豊かな米作農村地帯では虐殺は起きなかったのではないか」と書いている。町役場の資料や町民・村民の書き残した記録を見ると流言に対する対応、興奮の度合いなどに微妙な違いがあるようだ。(宮)
   
 
『通勤リュックの重さ』  ずっと以前に通勤の荷物が重いことをこちらへも書いたが、その後もあまり荷物が減ることはなく毎日鉛のように重い荷物を運んでいる。ますます重りが増えたようにも思えるのだが、老化のせいだろうか?あらためて荷物の中身を見てみると、朝はお弁当、水筒、水、本が時により2-3冊、書類、折り畳み傘、財布、ティッシュ、通帳、モバイル充電器、筆箱、エコバック、手袋などが入っている。重い原因はおそらく食料と水分にあたるものと本に違いない。ある日食べ終わったお弁当箱を入れ、飲み終わった水筒やペットボトルの空き容器をいれ、帰ろうとしたが、まだリュックが重い。はてなぜだろうと思い、いったいどのくらいの重さがあるのか気になり、会社にある体重計で計ってみた。すると…その体重計が壊れていないとして、メモリは5㎏を指していた。ご飯を食べて飲み物も飲んだのにまだ5㎏もあるなんて!5㎏と言えばおよそ一か月で食べる我が家のお米の分量じゃないか!ということは…行きは6㎏近くあったかもしれない…重いわけだ。確かにいらないものもあるけれど、あると安心なものばかり。今後この重さを毎日運ぶのだろうか。以前はこんなんじゃなかったのに謎である。いつか心軽やかに身軽に生きられるようになりたいものだ。(やぎ)
   
 
『猫医者』  私が体調が悪くて横になっていると、うちの猫2匹は交互にやってきて、具合が悪い所を両手を使ってムニムニする。なぜわかるのだろう。お腹が痛いときには、お腹に乗ってムニムニ。背中が痛いときは、背中に乗ってムニムニ。頭が痛いときは、ムニムニてはなく、頭にきゅっと抱きついて、毛づくろいしている。ものすごく可愛くて嬉しいのだけど、お腹が痛いときの、お腹に乗って5キロ超えムニムニは、ちょっぴりキツイ。
元気がなくて布団にもぐって横になって眠っていたら、ずっと寄り添ってくれていたようで、乗っかっていた腕と足が痺れていたけれど、嬉しくて、ちょっと元気になる。
我が家のホームドクター、いつもありがとう。(みなりん)
   
2021年1月29日
『変貌していく景色』  高幡不動駅から事務所まで歩いて通勤しているが、わずかな期間のうちに結構景色が変わっていく。コロナのせいで緊急事態宣言がだされ、高幡不動駅近くの店をみると飲食店が閉店に追い込まれているのをみる。昨年春の時点で早々と閉店したところもあれば、第3波と言われた秋になって閉店した店もある。他方、いまも営業を続けている店では、客が想像した以上に沢山入っていて歓談している。外からも見える密接した状態は大丈夫なのかと心配になる。同じ通りで大がかりな改築中の飲食店がある。
 毎日歩いていて、これまでいったい何軒住宅の新築工事を見ただろうか。外から見たらまだ十分住めそうな建物を解体して、新しい住宅が建設されていく。新築された家よりは、解体された旧家のほうが良さそうに見えることが多いのだが…。
 この1年の中では、日野市のプールが営業していなかったのは、いささかさびしかった。夏の賑わいを遠くから感じつつ歩いていたのだが。
 今年は雪景色が見られるのか、ひそかに期待して歩いている今日このごろである。
(宮)
   
 
『考える日々』  長引くこのコロナ禍の生活は、将来、子どもたちにどのように影響するのだろうか。
ほんの少しずつ日常が戻りつつあったのに、今回の第3波からの緊急事態宣言で、また振り出しに戻ってしまった。
子どもの通う中学でも、みんなが我慢の日々を送っている。毎日マスクをして過ごし、給食は喋らず前を向いて黙々と食べる。多くの行事が中止になり、運動会は無観客だった。社会科見学もスキー合宿も中止。今回の緊急事態宣言下で部活動も中止になった。合唱コンクールや、延期になっていた修学旅行も中止になるかもしれない。
いろんな場面でそれぞれに活躍できる機会があったはずで、勉強だけじゃなく、音楽、部活、給食の時間、学校行事の準備でその手腕を発揮する子もいたはずだ。人と自分を比べて足りない自分に落ち込んでも、多種多様に活躍の場があるからがんばれる。今は、誰かに認めてもらえる、個々が輝ける機会が少なくなってしまっているのだ。
多感な時期を過ごす中学校生活のこれまでの1年間、そしてこの先もまだ続くであろうこの生活に、気持ちが壊れてしまわないだろうか。私自身、中学の時に経験し影響を受けたことが、今でも負の部分で重い荷物となり、払拭できずにいる。
毎日、一生懸命過ごしている子どもを見て、何をしたらいいのか、わからないことばかりで悩むけれど、子どもたちの未来が少しでも明るくあるように、悩みながらも寄り添えるようにしたいと日々考えている。(みなりん)
   
2021年1月25日
『雪』  東京に出ていた今季2度めの大雪情報は、また外れた。土曜日の夜中に目が覚めると外を見るが、降っているのは雨で、雪ではない。夜が明けてからも状況は変わらなかった。日曜日、雨はいつまでも降り続いた。密かに雪景色を楽しみにしていたのだが仕方ない。 月曜日の朝、すっかり晴れ上がった浅川土手を歩いていつものように富士山を見たら、山頂部分が真っ白になっている。久しぶりの姿に、冬の富士山はこれでなくっちゃと思った。今年の冬は低温続きの寒い毎日なのに、これまで富士山を見ると雪が斑でどうも美しくなかったが、今朝は雪に覆われていたというわけだ。(宮)
   
 
『楽しみに待つ』  久しぶりに楽しみにいつも読んでいる本の続き?というかシリーズが1月中旬に出るという情報を年末にみつけた。そして楽しみに待っていた。現在手に入れて、読み終わったところだ。何かを楽しみに待つというのはいいものだなあと思う。待つ時間というのはまどろっこしいこともあるだろう。今やスピードの時代で、今日注文したものが明日届く時代なのだ。だけど、入学式、運動会、遠足、修学旅行、クリスマス、お正月、そして誰かと会う約束、手紙、何かの発売日、コンサート、季節…様々な楽しみをみんなが何かを待っている時間が私は好きだ。私自身も待つ間のわくわくですでに満足してしまうことも。特に旅は、その傾向が強い。調べるところから始まる。行き帰りの列車、移動のための手段、行きたい場所、泊まる宿を調べ予約する。妄想と想像がどこまでもどこまでもすでに旅を始めている。自分の会社の本はどうだろう。楽しみに待たれるような本を出せるようになりたい。待ってましたと発売日ににこやかに買っていかれる本がいつか出せたらいいなと思う。(やぎ)
   

『2021年の始まり』  2019年末から2020年正月は子どものインフルエンザ+胃腸炎にて帰省できなかったのですが、2020年末から正月もこの状況下なので、帰省はせず、どこにも出かけず、家族でのんびり自宅で過ごすことにしました。
私の実家では毎年おせちをほぼ手作りしていて、2年続けておせちが食べられないのは寂しいので(去年は消化の良いものしか食べられなかった)、「よし!おせち料理を作ろう」と、数日前から計画をたててみました。気合充分だったのですが、気がつけば知り合いから昆布巻をもらったり、量が多いからと分けてもらったり、安くなってるからとちょこちょこ買っていたら、結局作らずじまいのおせち的なものが完成。私のやる気なんてそんなものです。引き出しに残る、やる気のかけらのひとつ、黒豆とかはそのうち煮ることにしよう。
さて私の正月の楽しみの一つ、元旦の実業団駅伝と1月の2日、3日の箱根駅伝があります。いつもなら、初詣に行こうとか、どっか出かけようとか、家族からの圧力があるのですが、今年は堂々とこたつに入ってテレビの前で観戦することができました。しかも、両駅伝とも私の応援しているチームが優勝!(わーい、わーい。)箱根駅伝に至っては、最終10区での胸が熱くなる勝負で涙、涙。充実した駅伝3日間でした。ちなみに1月も末ですが、まだ優勝の興奮は冷めておらず、いつでも駅伝について熱く語ることは可能です。来年が楽しみだー
(みなりん)
   
2021年1月15日
『今井先生』  1年前『関東大震災と中国人虐殺事件』を刊行したとき、著者の今井清一先生は献本につける挨拶状のことを相談するなど、まだお元気であった。2020年、年明けに初めてご自宅に伺ったときには、何度目かの刊行祝の祝杯を上げることを望まれて、私も何度目かの楽しいひと時を過ごさせていただいた。
 2019年の後半には、刊行を目指して最後の仕上げ作業を先生に繰り返しお願いした。いつも仕事をされている居間で打ち合わせをするのだが、伺ったときに、ベッドに横になっておられたことがある。訪問すると、起き出されて居間に移るのだが、ある日「今日はベッドでやりたい」と仰る。書きかけの原稿を仕上げるために問答を繰り返したが、作業が終わったとき、懸案が片付いて喜ばれた先生が、ベッドからしきりに腕を私に伸ばしてくる。結局握手をしてその場は終わったのだが、あとで、はたと気付いた。先生は拳を私に差し出していた。ぐータッチをしようとしていたのだ。疎い私はそれがわからなかった。原稿を完成させるための一齣だが、必死に協力してくださって、そのあげくの喜びの表現だった。先生、鈍感で申し訳ありませんでした。
(宮)
   
 
『キャベツだらけの年明け』  年が明けた。父が亡くなって初めて迎える正月だったので、年賀状もお飾りも、特別なことはしない正月を迎えた。いつも週に1度、食材を生協に頼むのだが、去年末はうっかり4週連続キャベツ一玉を注文し、3玉は消費できぬままにお正月を迎えてしまった。数年前までは毎年夫の実家に帰っていたが夫の両親も亡くなり、ここ2年ほどは、東京で過ごしている。数年前に父の調子が悪くなってからは千葉県の外房にある私の実家へ、お正月をさけ、姉兄と同じ日にならない日を選び、帰っていたが、今年はコロナの感染が広まっていることも考慮して自宅にじっとしていた。
 そこでまたキャベツの話に戻るが、今年は兄が年末に連絡してきて元旦の日に、引越した先の(1年半まえに引越した)今のおまえの家を見たいから出かけがてら30分くらい寄っていいかとのこと。少々兄が苦手なので断ろうかとも思ったが、たまにはいいかと思いなおし「お茶とお菓子を用意してまっています」と返事をした。そして元旦当日にやってきた兄の家族。兄は最近野菜作りに凝っていて色々育てているようだ。そしてもらったいくつかの手みやげの中になんと、またキャベツがあった…。まさかの…キャ、キャベツか?!と思ったが、いらないとも、沢山あるとも言えず、ただ「ありがとう、すごいね。きれいに売り物みたいに出来てるね」とほめて(お世辞ではなく本当にそのとおりだった)受け取った。年始から二人家族でキャベツ4玉。そんなわけで毎日キャベツを消費すべく熱心にキャベツを調理している。そのうちイモムシになってさなぎになるかもしれない…。それならいっそのこと今年は蝶のように飛び立てる日がくるかしらと今日もキャベツ料理を考えている。おかげで現在3玉目。あと少し。キャベツに息絶え絶えの年明けであった。(やぎ)
2021年1月8日
『政治的伝統』  トランプ大統領の演説に誘導されて大勢のトランプ支持者が連邦議事堂に侵入占拠するという事件は、興味深いいろいろな反応を生み出した。ペンス副大統領は、議会でトランプの指示、依頼に背いて、バイデンの当選を認める立場に立った。トランプ支持者の議会侵入の目標はペンスだったという報道もある。トランプの行動にこれ以上ついていけないと、ホワイトハウスのスタッフが何人も辞任する。閣僚からも辞任の動きが出た。過去の国防長官経験者10人がトランプ大統領非難の声明を出した。憲法の規定を適用してトランプ大統領罷免を主張する動きもある。これには副大統領と内閣の半数の賛成が必要らしいが、トランプ大統領の任期があと2週間もないこの時期にこういう行動が主張されているのは現状に対するよくよくの危機意識の反映だろう。議会内の動きにも、当初はトランプ指示の行動をとるとしてきた議員が、反トランプの立場に変わったという例が出てきた。議員、政府高官、閣僚経験者、行政官などの政治行動を決めているのは高邁な政治的理念だけではないだろうし、自身の利益を計算したものであるだろう。だが、報じられる言動をみると、アメリカ民主主義の精神に立ち返って、独立革命以来の現在の政治システムを守ろうという姿勢が出ていることは確かだ。そこには自分たちの生きる社会の根底を壊すべきではないという判断がある。建国の精神を尊重する意識、伝統に対する誇りがある。分断された社会に深く傷つき、悩んでいると言われる現代アメリカだが、建国の精神とそれに基づく行動がなくならないかぎり、アメリカはいずれ混乱から立ち直り、社会は再建されるだろうと思う。この点が日本の事情と決定的に違うところだ。日本で、与党政治家や官僚に、日本国憲法にもとで出発した、政党を担い手とする議会政治の存在意義をしっかり認識し、このシステムを守ろうという意識があるとは到底思えない。現在あるのは、政権与党であり続けることを最優先する党派的計算と行動だ。森友問題で自殺した赤木さん以外に、行動の責任を取って辞職した人は一人も出てこない。(宮)