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「王様の耳はロバの耳」(2021)
 
   
2021年1月25日
『雪』  東京に出ていた今季2度めの大雪情報は、また外れた。土曜日の夜中に目が覚めると外を見るが、降っているのは雨で、雪ではない。夜が明けてからも状況は変わらなかった。日曜日、雨はいつまでも降り続いた。密かに雪景色を楽しみにしていたのだが仕方ない。 月曜日の朝、すっかり晴れ上がった浅川土手を歩いていつものように富士山を見たら、山頂部分が真っ白になっている。久しぶりの姿に、冬の富士山はこれでなくっちゃと思った。今年の冬は低温続きの寒い毎日なのに、これまで富士山を見ると雪が斑でどうも美しくなかったが、今朝は雪に覆われていたというわけだ。(宮)
   
 
『楽しみに待つ』  久しぶりに楽しみにいつも読んでいる本の続き?というかシリーズが1月中旬に出るという情報を年末にみつけた。そして楽しみに待っていた。現在手に入れて、読み終わったところだ。何かを楽しみに待つというのはいいものだなあと思う。待つ時間というのはまどろっこしいこともあるだろう。今やスピードの時代で、今日注文したものが明日届く時代なのだ。だけど、入学式、運動会、遠足、修学旅行、クリスマス、お正月、そして誰かと会う約束、手紙、何かの発売日、コンサート、季節…様々な楽しみをみんなが何かを待っている時間が私は好きだ。私自身も待つ間のわくわくですでに満足してしまうことも。特に旅は、その傾向が強い。調べるところから始まる。行き帰りの列車、移動のための手段、行きたい場所、泊まる宿を調べ予約する。妄想と想像がどこまでもどこまでもすでに旅を始めている。自分の会社の本はどうだろう。楽しみに待たれるような本を出せるようになりたい。待ってましたと発売日ににこやかに買っていかれる本がいつか出せたらいいなと思う。(やぎ)
   

『2021年の始まり』  2019年末から2020年正月は子どものインフルエンザ+胃腸炎にて帰省できなかったのですが、2020年末から正月もこの状況下なので、帰省はせず、どこにも出かけず、家族でのんびり自宅で過ごすことにしました。
私の実家では毎年おせちをほぼ手作りしていて、2年続けておせちが食べられないのは寂しいので(去年は消化の良いものしか食べられなかった)、「よし!おせち料理を作ろう」と、数日前から計画をたててみました。気合充分だったのですが、気がつけば知り合いから昆布巻をもらったり、量が多いからと分けてもらったり、安くなってるからとちょこちょこ買っていたら、結局作らずじまいのおせち的なものが完成。私のやる気なんてそんなものです。引き出しに残る、やる気のかけらのひとつ、黒豆とかはそのうち煮ることにしよう。
さて私の正月の楽しみの一つ、元旦の実業団駅伝と1月の2日、3日の箱根駅伝があります。いつもなら、初詣に行こうとか、どっか出かけようとか、家族からの圧力があるのですが、今年は堂々とこたつに入ってテレビの前で観戦することができました。しかも、両駅伝とも私の応援しているチームが優勝!(わーい、わーい。)箱根駅伝に至っては、最終10区での胸が熱くなる勝負で涙、涙。充実した駅伝3日間でした。ちなみに1月も末ですが、まだ優勝の興奮は冷めておらず、いつでも駅伝について熱く語ることは可能です。来年が楽しみだー
(みなりん)
   
2021年1月15日
『今井先生』  1年前『関東大震災と中国人虐殺事件』を刊行したとき、著者の今井清一先生は献本につける挨拶状のことを相談するなど、まだお元気であった。2020年、年明けに初めてご自宅に伺ったときには、何度目かの刊行祝の祝杯を上げることを望まれて、私も何度目かの楽しいひと時を過ごさせていただいた。
 2019年の後半には、刊行を目指して最後の仕上げ作業を先生に繰り返しお願いした。いつも仕事をされている居間で打ち合わせをするのだが、伺ったときに、ベッドに横になっておられたことがある。訪問すると、起き出されて居間に移るのだが、ある日「今日はベッドでやりたい」と仰る。書きかけの原稿を仕上げるために問答を繰り返したが、作業が終わったとき、懸案が片付いて喜ばれた先生が、ベッドからしきりに腕を私に伸ばしてくる。結局握手をしてその場は終わったのだが、あとで、はたと気付いた。先生は拳を私に差し出していた。ぐータッチをしようとしていたのだ。疎い私はそれがわからなかった。原稿を完成させるための一齣だが、必死に協力してくださって、そのあげくの喜びの表現だった。先生、鈍感で申し訳ありませんでした。
(宮)
   
 
『キャベツだらけの年明け』  年が明けた。父が亡くなって初めて迎える正月だったので、年賀状もお飾りも、特別なことはしない正月を迎えた。いつも週に1度、食材を生協に頼むのだが、去年末はうっかり4週連続キャベツ一玉を注文し、3玉は消費できぬままにお正月を迎えてしまった。数年前までは毎年夫の実家に帰っていたが夫の両親も亡くなり、ここ2年ほどは、東京で過ごしている。数年前に父の調子が悪くなってからは千葉県の外房にある私の実家へ、お正月をさけ、姉兄と同じ日にならない日を選び、帰っていたが、今年はコロナの感染が広まっていることも考慮して自宅にじっとしていた。
 そこでまたキャベツの話に戻るが、今年は兄が年末に連絡してきて元旦の日に、引越した先の(1年半まえに引越した)今のおまえの家を見たいから出かけがてら30分くらい寄っていいかとのこと。少々兄が苦手なので断ろうかとも思ったが、たまにはいいかと思いなおし「お茶とお菓子を用意してまっています」と返事をした。そして元旦当日にやってきた兄の家族。兄は最近野菜作りに凝っていて色々育てているようだ。そしてもらったいくつかの手みやげの中になんと、またキャベツがあった…。まさかの…キャ、キャベツか?!と思ったが、いらないとも、沢山あるとも言えず、ただ「ありがとう、すごいね。きれいに売り物みたいに出来てるね」とほめて(お世辞ではなく本当にそのとおりだった)受け取った。年始から二人家族でキャベツ4玉。そんなわけで毎日キャベツを消費すべく熱心にキャベツを調理している。そのうちイモムシになってさなぎになるかもしれない…。それならいっそのこと今年は蝶のように飛び立てる日がくるかしらと今日もキャベツ料理を考えている。おかげで現在3玉目。あと少し。キャベツに息絶え絶えの年明けであった。(やぎ)
2021年1月8日
『政治的伝統』  トランプ大統領の演説に誘導されて大勢のトランプ支持者が連邦議事堂に侵入占拠するという事件は、興味深いいろいろな反応を生み出した。ペンス副大統領は、議会でトランプの指示、依頼に背いて、バイデンの当選を認める立場に立った。トランプ支持者の議会侵入の目標はペンスだったという報道もある。トランプの行動にこれ以上ついていけないと、ホワイトハウスのスタッフが何人も辞任する。閣僚からも辞任の動きが出た。過去の国防長官経験者10人がトランプ大統領非難の声明を出した。憲法の規定を適用してトランプ大統領罷免を主張する動きもある。これには副大統領と内閣の半数の賛成が必要らしいが、トランプ大統領の任期があと2週間もないこの時期にこういう行動が主張されているのは現状に対するよくよくの危機意識の反映だろう。議会内の動きにも、当初はトランプ指示の行動をとるとしてきた議員が、反トランプの立場に変わったという例が出てきた。議員、政府高官、閣僚経験者、行政官などの政治行動を決めているのは高邁な政治的理念だけではないだろうし、自身の利益を計算したものであるだろう。だが、報じられる言動をみると、アメリカ民主主義の精神に立ち返って、独立革命以来の現在の政治システムを守ろうという姿勢が出ていることは確かだ。そこには自分たちの生きる社会の根底を壊すべきではないという判断がある。建国の精神を尊重する意識、伝統に対する誇りがある。分断された社会に深く傷つき、悩んでいると言われる現代アメリカだが、建国の精神とそれに基づく行動がなくならないかぎり、アメリカはいずれ混乱から立ち直り、社会は再建されるだろうと思う。この点が日本の事情と決定的に違うところだ。日本で、与党政治家や官僚に、日本国憲法にもとで出発した、政党を担い手とする議会政治の存在意義をしっかり認識し、このシステムを守ろうという意識があるとは到底思えない。現在あるのは、政権与党であり続けることを最優先する党派的計算と行動だ。森友問題で自殺した赤木さん以外に、行動の責任を取って辞職した人は一人も出てこない。(宮)