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「王様の耳はロバの耳」(2015)
 
2015年12月25日
『年末のワーグナーとジョージ・セル』 年末恒例の音楽といえばベートーヴェンの《第9交響曲、ヘンデルの》《メサイア》があるが、NHKのラジオ放送ではワーグナーの《ニーベルングの指輪》がある。今年も番組表には長大な放送時間が記載されている。わたしはいま1枚のCDを愛聴している。ジョージ・セルの管弦楽版《ニーベルングの指輪》だ。たった1枚だから、ほんの一部をかするだけだが、それでもワーグナーの管弦楽の魅力をたっぷり味わうことが出来る。(宮)
2015年12月18日
『小林節』 パソコンで小林節の講演をいくつか見た。いや聴いた。小林さんは、安倍首相の、浅薄にして誤った歴史認識に盲目的にしたがうだけで、憲法を無視した(つまり非立憲的な)、論理的な反論・批判にはまったく耳をかさない姿勢に、今日の政治の危機(根本的問題)を見ている。安倍首相の政権運営は現代日本の危機だとの認識だ。そして立憲主義に基づくまともな政治に戻すためには、政権交代によるほかないと小林さんは確信している。安倍首相をまったく信頼していない。一国の首相を信頼できないとは大変なことだが、歴史を見ればよくあることであり、「問題を的確に掴めばこれを立て直す方法はある、自分はそのことをちゃんと理解しているし、政権交代を実現する具体的やり方まで教えます」と主張している。これだけの主張を、多くの有権者に説いて来年の参議院選挙で政権交代を実現することめざしている。講演では、実現するための具体的方法を丁寧に説明していた。いま日本全国をかけずり回っているのだそうだ。深刻な事態ではあるが、問題の性質は単純でわかりやすい。納得できる論理で安倍首相の発言を徹底的に批判している。と言っても子どもっぽい思考の結果として引き起こされた事態なので、小林さんの議論にも余裕があるのだが、現代の日本人にどれだけ理解されるかというと、首を傾げざるをえないところがある。戦後70年の時間は、日本人の意識をかなり変えてしまったとみえる。小林さんの主張に賛同するのは、60歳以上の世代と社会意識、政治意識に目覚めたシールズの若者たちであり、必ずしも多数派ではないのだ。単純でわかりやすい問題だから要約すれば上記になるが、小林さんの話は実は細部にこそ面白くて為になることがつまっている。それを聴けば納得する人が沢山出て来るにちがいないのだ。ひとつだけ例を挙げる。自衛隊が発足したとき、警察予備隊という名前だったことは、自衛隊の性格、憲法との関係を明白に示している。(だから、以前小林さんは憲法改正を主張していたのだろうと思う。)警察予備隊という名前にして、何とか憲法とのつじつまをあわせたのである。当時朝鮮戦争が勃発して米軍が出動し、日本が留守になってしまう穴を埋めるために、アメリカの強い要請によってつくられた。法的には、「交戦権」をもたない、警察を補強する存在でしかなかった。そこから今日まで、自衛隊は世界的に見ても強力な軍事力を保有するまでに成長したが、小林さんによれば、国際法的には軍隊ではないので、海外で戦争が出来る状態にはないのだそうである。それを安倍政権は、憲法を無視し国会をないがしろにして、強引きわまる手法で自衛隊を海外で戦闘が出来るようにしたので、小林さんは怒っているわけだ。(宮)
2015年12月11日
『太陽と青空と宝くじ』 7日(月)午前、雲ひとつないいい天気で、風も吹かない小春日和。首都大学の門を過ぎて駅に向かって歩いていくとき、太陽はちょうど前方の中天にかかっていて眩しい。それで思わず目を真上にそらしたら空は高く、眩しさに痛めつけられた目のせいなのか青空の青がいちだんと濃くみえる。いい気持ちで改札を通過した。午後、用事を済ませて有楽町駅を出たら、すごい人数の行列が幾重にも出来ていた。何事かと思いつつ行列の脇を歩いていたが、年末宝くじを買うためとわかった。宝くじを買う場所と順番にこだわっている人が沢山いるということだろう。今頃は日の沈むのが一番早い時期だそうで、午後3時にはすでに夕方の気配があるが、夕方の宝くじの大行列はいかにも年末の、午前中の青い空と対照的な風景であった。(宮)

『男のひとって…』 地域猫のお話と時を同じくして、そのイベントの夜。版元の人たちや、書店の人たちとご飯を食べに行った。昼間は暖かかったものの、ご飯を食べて外に出るとさすがは11月も末、外は冷えていた。見ると薄着の人もチラホラ。寒くないのだろうかと心配になった。そして近くにいた薄着のNさんに「寒くないんですか」と聞くと笑顔で「いいえ、全然! ミートテック着てますから!」なんていうので思わず笑ってしまった。確かに少し人よりお肉がついているその人はその後も他の人にも「おい、寒くなのかよ」と聞かれ、またもや明るいよく通る声で「俺、ミートテック着てますから!」言ったから、そこにいた全員大爆笑になった。おまけにYシャツ一枚のその人はまわりの30代から50代の若者からおじさんたちにいたるいろんな人たちにバシバシ肩や背中や腕のあたりを肉付きを確認するように叩かれて、なんだがみんな嬉しそう。その人を中心にした仲間意識がその場所に満ち溢れていた。それを見てたら、なんだかその場にいた男の人たちがみんな学生?いや少年?に見えてまぶしくみえた。女の人にはあまりない少々手荒なスキンシップ…痛そうなのにとてもほほえましい光景で、みんながあんまりにも幸せそうに笑っているので、ずーっと見ていたいような気さえしてしまった。ふと冷静になったあと心の中で「男のひとって…」と思ってしまったのだけれど。(やぎ)
2015年12月4日
『浦島太郎』 しばらく下車する機会のなかった駅に久しぶりに行ったら、記憶にあるのと全く違う景色を眼前に見て呆然とすることがある。人も街も日々変化し続けている。つい先日新宿の小田急デパートの本屋に行くべくエレベーターで上がっていった。いま小田急の本屋は、三省堂ではない、丸善である。喫茶店の位置をはじめ、フロアのレイアウトがすっかり変わっていて別世界だ。しかも本屋は小さくなっていて、出版業の衰退を象徴するようだ。ひとり落ち着かない気持ちで、店内を形ばかりぐるりと回って早々に退散した。(宮)

『猫の耳』 先日出張で地方へ行った時に、イベント先に向かう電車で同じく、その場所に向かう知り合いにばったりあった。会社が引越した話や、そこは自然がいっぱいだという話をしたらふむふむと耳を傾けてくれた。そして会社の庭に猫が来る話などひとしきりし、夏のある日に母猫と父猫が子猫をたくさん連れてきた話、その後もいろんな猫がやってくる話、野良猫といえど、どんどん増える野良猫にどう対処したらよいのかということや、最近出した『動物のいのちを考える』(小社刊)にも身近にいる生き物たちとどう共存していったらよいのか考えさせられる話が載っていて、ただただ傍観できないと思っていることなどペラペラと話した。するとその人は猫の耳の話をしてくれた。「ちゃんと避妊手術をしてやった野良猫はまた野良に戻されるんだけど、その時に片耳に切れ目を入れるんだ」とのこと。そういうのを地域で見守る地域猫というらしい。全然知らなかった…。いかに今まで私自身が無関心だったかが分かる。東京に帰ったら見てみようと思った。そして同僚にも話をした。その時、庭を横切った猫がいて、立ち止まった時に猫の耳を確認すると(私は目が悪いのでなかなか気づけないのだが)同僚いわく、今のあの子は耳が切れてるヨとのこと。子猫を産んだのは他の子だから、その子やその子猫たちにそれらのことをしてあげる必要があったんだと思う。子どもが産まれた事実からまだ避妊手術をしていないのは明らかなのだから。すっかりすがたを見せなくなった子猫たちの安否を思うが、どこでどんなくらしをしているのだろうか。ちなみにそのイベント中に子どもたちに配られた妖怪ウォッチのシールがあったのだが、その話を教えてくれたHさんが、そのシールを持って私のところにやって来た。そのシールに描かれたジバニャンの耳が切れていたので、これが地域猫だよって教えに来てくれたのだ。「おおっ!」子どもに人気の妖怪ウォッチ。子ども向だけど、なんだか作者の動物に対する「愛」のようなものを感じてしまった私だった。そして親身に聞いてくれたHさんがとても良い人だなあと改めて思ったのだった。(やぎ)
2015年11月27日
『運転は女性』 通勤に浅川の土手を歩いていると、自動車がときどき通る。狭い道なので交差するときには、山側の自動車が車を山側にぎりぎりまで寄せて止まって、反対車線の自動車を通している。川側の自動車が車を寄せると転落する危険があるので、山側の自動車が率先して車を寄せるのだそうだ。これは見ていて気持ちいい遣り取りである。ところで、多くもない自動車の運転席を見るともなく見てみると、女性が多い。そう気が付いて注意してみると乗用車の三分の二までが女性の運転ではなかろうか。業務用の自動車までふくめても二分の一は女性が運転している。なぜ女性が多いか考えてみた。このあたりは住宅地なので、日中用事で自動車を使うのが女性ということあろうか。これは専業主婦が多いということを意味するので、妥当な判断ではないかもしれない。とにかく女性の運転が多いのは事実なのだ。(宮)
2015年11月20日
『白鷺』 朝浅川土手を会社に向かって歩いていたら、前方の水面と岸辺に鳥らしき白い姿を認めた。だが、よく見えないのだが少しも動きがない。これは鳥と思ったが間違いで、なにか工事用の資材が設置されているのかなどと思いつつさらに近づいたら、やはり鳥だ。白い羽と長い足をもち、じっと動かずに立っている。岸辺の鳥たちは草の葉に首をつっこんだまま動かない。眠っているとしか見えないが、約30羽もいる白鷺(たぶん)が動きもせず、足でじっと立っている景色はなんとも不思議な見ものであった。(宮)
2015年11月13日
『編曲家』 つい最近もラジオで聴いたのだが、編曲というといろいろな番組で南安雄の名前をよく聞きよく見た。専属だったらしので当然だが、とくにNHKで。だが昨夜(8日)「月の砂漠」を児童合唱で聴いたときに、この曲を中村八大の編曲で聴いてみたいと強く思った。だいたい「月の砂漠」を中村八大の編曲で聴いたという記憶があるわけでもないのに、そう思ったのは不思議なことだ。それぐらい中村八大の編曲に恋いこがれているいるわけだが、「夢であいましょう」で演奏した楽譜が僅かでも残っているものだろうか?(宮)
2015年11月6日
『職業としての政治』 11月1日の朝日新聞「思い出す本忘れない本」の欄で引退した元自民党幹事長古賀誠が初当選したときに派閥領袖の田中六助からマックス・ヴェーバー『職業としての政治』の文庫本を渡されて「政治家の基本だけは勉強しなきゃだめだよ。これを何十回でもいいから読みなさい」と言われたと書いている。この本が一番役にたったのは党務についたときだと言い、本を自分のものにしたうえで、「権力の怖さを一番実感したときは?」ときかれて、「それは今です。憲法さえも無視してしまうんですから。それに対してメディアも第一、怒っていないじゃない。」と答えている。さらに「こうした本を読んでおけば、判断に幅がでるし、一歩立ち止まることもできるようになるはずです。この本を読んでいる人をぜひ、総裁にしたいね」と。田中六助も古賀誠も、政治家が持つべき教養を持った人たちであるらしい。今、古賀誠に現役でいてほしかった。なにしろ、あの安保法案に対して真っ向から批判する声はついに村上誠一郎しか表に出てこなかったのだから。そのむかし、意見の対立から大臣を辞任するというできごとがあったが、今時は、大臣にすると誘われると、意見の違いを脇に置いてさっさと大臣になる政治家ばかり目につく。(宮)

『昔住んでいた場所』 ちょっと前のことになるが元加治にある、ムーミンで知られる、あけぼの子どもの森公園へ行ったときのこと。実はその場所は私が高校生から短大に通うくらいまでの数年住んでいた仏子ニュータウンからさほど離れていない場所に位置している。お散歩もかねて行きは元加治から公園に向かい、帰りは仏子まで歩いて電車に乗ることに。昔住んでいた場所なので今どんなふうなのか気になったがニュータウンまではバスか自転車がないとちょっと距離があるのであきらめた。駅前あたりだけを友人とぶらぶら歩き、駅前は変わったような、かわっていないようなという感じで、寧ろ昔より活気がないようにも見えた。昔よく通っていた駅前の小さな本屋は無くなっていた。そして自転車でいつも渡っていた川を覗き込んで驚いた。川の水は澄んでいてとても美しかったのだ。こんなにきれいな川がいつもそばにあったのかぁと今さらながら気づいたし驚いた。子どもの頃には当たり前と思っていたけれど、よい環境で育ったのだなあと思った。若いときには大自然の中に足を踏み入れるときにだけ感動していたように思う。大人になって思うのは実は身近にもこんなに感動できるものがあるのだということ。離れてみて初めて知る親のありがたさともいうが、離れてみてわかるその場所の魅力というのもあるのかもしれない。(やぎ)
2015年10月30日
『ふたたび「忘れられた本」』 江國香織訳の『パールストリートのクレイジー女たち』を読んだあと、トレヴェニアンの小説に戻って、『アイガーサンクション』を久しぶりに読んだ。そして主人公のジョナサン・ヘムロックがニューヨークオルバニーのスラム街出身と出てきたので、おもわず「そういうことか」納得した。オルバニーのスラム街は『パールストリートのクレイジー女たち』の舞台そのものだし、『パールストリートのクレイジー女たち』がトレヴェニアンの自伝的小説という話と符号すると思った。第1作『アイガーサンクション』から、しっかり自分自身の経験を使っているわけだ。『パールストリートのクレイジー女たち』は主人公の6歳からティーンエイジまでを描いているが、『アイガーサンクション』の一種非現実的な冒険活劇を支える細部に、トレヴェニアン自身のリアルな経験を当てているわけだ。これらのことは余分な感想でしかなくて、トレヴェニアン作品の読書中は、理屈抜きに楽しませてもらったのは確かだ。そしてつぎは、トレヴェニアン翻訳に執着した江國香織に進むことになりそうだ。(宮)
2015年10月23日
『おてもやん』 今週のNHKラジオ深夜便で、熊本マリが4日連続でクラシック音楽の話をしている。3日目に外国でのコンサートのアンコールで、日本の曲を演奏するという。日本人のピアニストのコンサートだから日本の曲をやると喜ばれる。奥村一(おくむらはじめ)という作曲家の日本民謡のピアノ編曲版からよく演奏するそうだ。この作曲家の曲を知ったのが外国人のピアニストのCDだったというのはいかにもありそうな話だが、熊本さんは探し回った挙句に奥村一の楽譜を手に入れて、以来アンコールでよく演奏するそうだ。この話の奥には日本人とクラシック音楽や文化との関わりだとか、考えるべきことがあるが、そんなこと以前に熊本さんは、外国で日本の音楽を演奏する必要に迫られて、その恰好の作品として、奥村一に出会った。演奏家の生々しい経験談として興味深く聴いていた。そこで熊本さんの演奏でとりあげたのが「おてもやん」だ。リズムがはずんで、とても面白いピアノ曲になっていた。奥村一をウィキペディアでみたら、映画音楽をたくさんてがけたひとであった。(宮)
2015年10月16日
『庭の露』 数日、秋の青空が続いたが、今日は一転雨降りに変わった。霧雨といっていいような細かな雨粒で庭の植物はしっとりと濡れている。見るともなく見ていたらときどき草の葉がぶるると揺らいでいる。虫でもいるかと思って目を凝らしたら、脇の梅の木から水滴が落ちて草の葉に当たっていた。同じことがあちこちであって木の葉、草の葉が動く。細かな雨の中でみた自然の姿に気持ちが和む。(宮)
2015年10月9日
『昼の憩い』 8日昼過ぎ、用事を済ませた帰り道に、浅川の土手を歩いていた。いい天気で川面にはいつもに増して澄んだ水が流れていた。岸近くの水面に目を凝らすと30センチほどの魚が泳いでいる。いい気持ちで歩きながら、音楽のことをあれこれ考えていた。この景色には「田園交響曲」ではなくて、やはり古関裕而の「昼の憩い」が似合うなどと勝手に納得していたら、なんと脇の道路に止まっていた軽トラックから「昼の憩い」のテーマ音楽が流れてきた。この偶然にはほんとうに驚いた。(宮)
2015年10月2日
『忘れられた本』 場所ふさぎの蔵書を整理しなければならなくなり、ふだん全く忘れていた本を間近に見ることになり、ときに手にとって読み始める。小説は、筋をすっかり忘れていて、とても新鮮に楽しめる。こういう体験が重なると処分するのがいささか惜しくもなる。しかし処分しようと考えなければ相変わらず書架の奥で眠り続けていただろうから、おかしなものだ。そういう本の1冊、トレヴェニアン『バスク 真夏の死』を読んでいたく感心した。思わずネットでトレヴェニアンを入力したら何と未邦訳トレヴェニアン作品の江國香織の新訳というのが出てきた。『パールストリートのクレイジー女たち』である(ホーム社発行、集英社発売、2015年4月刊)。調べるとトレヴェニアンがまとめて訳されていたのは1980年代だが、その後も新装版でぽつぽつ刊行が続いている。熱心な読者がいるわけで、ネット情報によると、江國江國さんはトレヴェニアンの『パールストリートのクレイジー女たち』をとても買っていて、どうしても自分で訳したいと思ったそうだ。こういう事情がわかると、こんどはその江國さんの新訳を是非とも読んでみたいし、江國さんの作品まで読んでみたくなった。これまで江國さんの小説は一篇も読んだことがないのに・・・(宮)
2015年9月25日
『クモ』 朝、多摩センターで電車を待っているとき、ホームの屋根を支える鉄製の柱の脇に立った。何気なく柱を見たら小さなクモが動いている。目を凝らしてみると巣を作っているところらしい。直径30センチぐらいの巣で、クモは身体を宙に投げかけて細い糸を張り、つぎに糸を伝って上部に戻り、角度を変えて宙をとぶ。細い糸がよく見えないので、メガネをかけてみいってしまった。朝のラッシュアワーは過ぎているが、大勢の乗客がうごめいているホームの一角でクモはわれ関せずと巣づくりに励んでいた。(宮)

『川の近くで気が気じゃなくなった日』 浅川の近くの事務所にいてすっかり落ち着いてきたが、先日の大雨。各地での被害は大きなものだった。あの大雨の日、事務所ではみんな仕事をしながら気が気じゃなかった。
引っ越して間もないころ、近所のおいしいパン屋さんで世間話をした。過去に、ここらへんで川が氾濫して冠水などの被害はあるか?ということも聞きたいと思っていたので、パンを売るのがおばあちゃんだったのでこれ幸いと質問した。引っ越してきてから40数年一度もそんなことはないよとのこと。
前に一度市営住宅でそんなことがあったと聞いたことがあるがそれから堤防もそれに備えた形になっているはずだと。ほっとした。私の父は異常なくらいに自然災害に普段からアンテナビンビンなのだ。会社の引越先が川の近くだと知りずっと心配していた。報告をしたら安心したようだ。
自然災害とは怖いものでこの何十年もなかったことが起こる…それが天災だ。今回の大雨で被害にあった地域の人たちもこんな被害にあった経験はないという人がほとんどだったように思う。もちろん不安がある場所はあるだろうし、今回はまさにその不安視された場所から水が溢れ出たようだったが…。ここだって40年以上なにもなくたって、それ以上のことが起こればその今までなかったは覆されることもあるだろう。あの日浅川も流れが激しい場所もあるようだったが幸いにも被害にはあわずに済んだ。いざというとき慌てないでいいようにとは思いつつ…安全な場所はあるのか少し調べておかなければいけない。翌日の川をみたら、前日と打って変わって水量が減っていた。一日でこんなにも変わるのかと驚いてしまうのだった。
(やぎ)
2015年9月18日
『安保法案』 世論調査によれば国民の過半数が支持していないし、憲法学者のほとんど、もと法制局長官、もと最高裁判事等が斉しく憲法違反と判断している法案を、安倍首相は、とにかく国会で議決してしまおうと堅く決心しているようだ。10本以上の法律を1本にまとめて提案するなど、やり方がきわめて乱暴だ。まとめられてしまったなかに明白に憲法違反の部分があれば、なかに有益な部分があっても、これは廃案にするしかなくなるのだ。これは立憲主義の立場に立つ以上当然の結果である。ここは丁寧に時間をかけて国民の同意をえつつ進めるべきところである。法案提出の理由として日本周辺の安全保障環境の激変が言われるが、もし何事かあれば日米安全保障条約が現にあるので、然るべき働きをするはずではないか。現行安保条約に不備があるのなら、国民が納得できる政策の説明をするのがものごとの順序というものだ。国際関係は微妙でややこしいかもしれないが、今回の安保法案をめぐる問題は立憲主義の立場からは、単純なことだ。一気に自分の希望する法制を作り上げようとするから、問題が噴出する。問題が噴出するにも拘わらず、立憲主義の基本的立場に立って意見を述べ、政策変更を迫る与党政治家が出てこないのには心底驚いた。(宮)
2015年9月11日
『土手』 台風と豪雨が過ぎ去りさわやかな天気なので、数日ぶりに浅川の土手を歩いて出勤しようと土手の道路に上がったら、草刈りされて景色が一変していた。いつ刈ったのだろうか。雨降りのさなかにやったのだろうか。とにかく足元がさっぱりとして増水した浅川の流れがよくみえる。来春の芽生え時の景色などに思いを馳せつつ気持ちよく歩いた。(宮)

『事務所の庭の猫』 先日も猫のことを書いたが、猫が庭を通りすぎるくらいだったらなんとも感じなかったかもしれない。しかし、子猫の数、その家族の寛ぎ具合を見ていたら、かわいいなあと和む一方で困ったなあと思った。飼うつもりならば問題ないのかもしれないが、そうでない場合、野良猫はまたどこかで子どもを産み増えていく可能性があるのだ。かわいいだけでなく彼らは生きているのだ。生きるためにいろいろやってほしくないこともやるだろう。人間だって、動物だって増えすぎた結果なにかしら問題が出てきてしまう。餌(食料)の問題だって環境の問題だってそうだ。その後の行きつく先を考えるともたもたしていたら親猫のみならず、子猫たちも子どもを産めるような、子ども作れるような、大人の体に成長してしまう。大家さんに思い立って相談した。以前も猫の被害(?)があったらしく迅速に対応してくださった。翌日から野良猫の大家族が庭にくつろぎに来ることはなくなった。たまに庭の片隅で数匹を見るくらい。ほっとしていいことなのにどこかであの家族たちが来るのを心待ちにしている自分がいたりして矛盾しているなあと苦笑い。通勤の行き帰りで親猫をみつけたり、近所でないている鳴き声が聞こえると思わず見渡している。来なくなったこのはいいけれど、別の場所でまた増えていたりしたら…野放しにしていてよいわけではない。その先を考えてどうしたらいいものか悩んでもいる。食物連鎖が少しずつ狂ってきている日本の中で猫が他の動物に襲われる確立はどのくらいあるのだろうか。猫は食べものにあり続ければどんどん増えていってしまうのかもしれない。ちなみに社長はセミを食べている子猫を見たといっていた。私たちにできることはなんだろうなあ…と書いている矢先にあれ?木に登っている子猫発見。きっと私たちが試されているのだろう。さてどうしますかねえ。(やぎ)
2015年9月4日
『国会包囲デモ』 8月30日(日)の国会包囲デモに参加した。集団的自衛権を行使できるようにしようという安保法案反対の意志表示・行動である。10万人で包囲するという話だったが、主催者発表で12万人、警察発表でたしか35000人と言う人数が集まった。丸の内線の新宿駅ホームですでにデモ参加者とわかる人々がかなり目に付いた。国会議事堂前駅は警察の規制で自由に動けない。後でわかった情報では、地上に出るまで30分も掛かった人がいるらしい。私は警察が通行止めにしている階段をすり抜けて地上に出た。国会議事堂をぐるっと1周したが、議事堂側の道路は警察の規制でデモ参加者は入れない。主催者が設置した演台のそばに立って、約2時間過ごした。雨が降るなか、たいへんな人数が参加している。学生や子持ちの若い主婦もいるが、年輩者も多い。警察が厳しく規制するから行動もままならず一部で警察とやり合う場面もあったが、大事には至らない。周辺には「過剰警備監視隊(団?)」という襷を掛けた国会議員や弁護士が巡回している。2時から野党党首3人の演説があり、さらに著名人では坂本龍一や、森本誠一や、鎌田慧や、山口二郎らが演説した。カメラをもったテレビ取材グループの姿もある。動員されたのではなく、自発的に参加した、成熟した市民の行動だということは渦中に身を置いてみて実感できたが、人数こそ普段のデモに比べて桁違いに集まったようだが、事故もなく平穏に終わった市民のデモが政権に、そして安保法案の行方にどれだけ影響力を持つのかわからない。
憲法違反の法案提出という異常事態にしてはマスコミをはじめとして、政治の世界も、経済界も、労働組合も、大学も、反応は鈍い。生身の人のなかに、「このような異常事態に対してなぜ怒らないのか」と怒りの弱さを批判する声があるし、週1度の新聞の短歌・俳句の投稿作品をみたら、70年前に終わった戦争を回顧して、国の行く末を心から危惧し、今日の違憲法案提出を異常事態として認識する無数の声が反響しているのだが、政治の世界では着々と参議院の採決に向かって歩を進めている。関係者の感覚が麻痺していると感じる。自民党で公然と反対の意思表示をしたのは、私の知る限り村上誠一郎ただ1人というのは、これは異常ではなかろうか。村上議員のように言わなければ、自民党議員は憲法違反の法案提出を認めたことになる。彼らは皆、砂川判決に依拠して憲法違反ではないという話しを認めるのだろうか。公明党は、長年謳ってきた平和の党の看板をどこかに置き忘れてきたかのような理屈を、弁護士出身の党首脳陣が言っている。これにはさすがに創価学会内部から批判の声が挙がっているようだが。
(宮)
2015年8月28日
『土のボール』 最近の雨は、情緒などない激しさで降ることが多い。1時間に50ミリとか100ミリとかいう途轍もない降り方をする。自宅のある団地は、植物が植えられている場所以外は、広い面積の全面に10×20センチと10×10センチぐらいの石が敷きつめられている。角には丸みが付いていて歩きやすい。夜中に雨が降った翌朝、この石畳を歩くと、小豆の半分もないぐらいの土のボールが石の表面にぶつぶつと付いているのが目に入る。察するに、丸みのつけられた石と石のあいだに土が溜まっていて(場所によってはそこに芝や雑草がはえている)、その土が激しい雨に叩かれて、石の表面にはじき出されているのである。「昨夜も激しい降り方だったのだろうなあ」と思いながら歩く。(宮)
2015年8月21日
『高幡不動駅まで歩く』 通勤に浅川の土手を歩いていると話したら、対話者曰く「高幡不動までですか」という。「そうか、高幡不動まで歩けるのだ」と思い、そのうちに実行してみたいと思っていたらそのチャンスがめぐってきた(実はその気になればいつでも実行可能なことだが)。歩いてみたらこの道は南平までの土手と違い、車が通らないので一層散歩向きの道だということがわかった。会社から南平駅までは約15分だが、高幡不動駅までは30分。どちらもほとんど土手を歩くだけで到達できるのがすばらしい。神保町にいたときには、近くに皇居があり、北の丸公園、千鳥が淵遊歩道と散歩コースに事欠かなかったが、南平は別種の味わいをもって歓待してくれる。神保町ではどんな深い緑も大都会の空気のなかにあったが、南平ではあきらかに田舎の澄んだ風のなかにある。土手を通らなくても、駅を出たとたんに小さな用水路をきれいな水がながれている。というわけで新しい通勤を楽しんでいるが、唯一残念なのは日陰がないので、今年のような猛暑、酷暑のときには事務所に着いたとたん汗だくになることだ。(宮)

『庭に子猫が1・2・3・4・5?!』 お盆を終えて帰省から戻ると事務所の庭に猫がいた。以前から猫の声はどこかでしていたがまさか…それも話によると親猫と子猫が5匹いるという。土曜日に社長が会社に出社してふと窓の外をみると子猫がじゃれあって遊んでいたらしい。数えると五匹いたのだそうだ。そして火曜日…私もはじめて子猫をみた。庭でやはりじゃれて遊んでいる。その様子があまりにかわいく社内のみんなの顔が知らず知らずほころんでいる。そしてことあるごとに窓の外に目がいく。そして帰りがけにもう一度と思いカーテンをめくると…子猫たちにおっぱいをあげているお母さん猫がいた。お母さん猫と目が合うと警戒してじっとこちらを見て目をそらさない。その顔つきを見ていたら子どもを守ろうとする姿に美しいものを感じてしまった。やや痩せてはいるけれど薄汚い感じはなく凛としたその姿は野良なのだがちゃんとちゃんと生きているわよ!と見せ付けられたようでまぶしく見えた。そして2度目にのぞくと窓からは少しはなれた石の上に子どもをぶら下げたまま移動していた。かわいすぎる…そしてその吸い付く子どもたちの数を数えると…なんと6匹!引っ越した早々庭に猫が生まれてくるなんて思っても見なかったが…(ここで産まれたかは定かでないが)毎日楽しみなのと同時にどうしたものかと考えてもしまう。翌日ものぞくと朝、ウッドデッキの隅に親猫がくつろいで寝ていた。昨日の母親の顔とは違うようだが同僚が親猫だという。ウッドデッキの下をのぞくと子猫たちが。そしてしばらくすると賑やかな居間さながらの家族団欒リラックスタイムが庭で繰り広げられたのだった。昨日見た母猫も姿を現した。ということは薄茶の縞々は父親のようだ。6匹の子猫のうちの3匹はこのお父さんと同じ柄だ。間違いなくあの猫の子だろう。母親の姿が見えなくなりはじめはお父さんが子どもたちを見守る感じで、いやーお父さんもちゃんと子育てに参加するのだねと感心してみていたら、いやはやお父さんまで遊ぶ子らの間で腹をみせて寝ころぶ始末。「えーっ、くつろぎすぎでしょう?!」とみんな思った瞬間だった。どこかで見た光景だときっとみんな思ったろうな。(やぎ)
2015年8月17日
『ユーラシア・ブックレット』 出版社の倒産やら廃業やら、周辺が騒がしい。ユーラシア・ブックレットの版元東洋書店が廃業するという。200号に達するシリーズはとても貴重な存在だと思っていた。廃業の理由は知らないが、当然近年の出版不況がからんでいるだろう。日頃、こういう地味な出版物を図書館がもうすこし買ってくれたら、版元は落ち着いて仕事を継続できると思っていた。ためしにユーラシア・ブックレット26号『大統領プーチンと現代ロシア政治』(2002年3月刊)の所蔵状況を調べてみた。71館の大学図書館が所蔵し、東京都の48自治体図書館のうち5館が所蔵していた。2014年統計によると日本の大学図書館は1419館あり、短大、高専まで含めると1674館ある。また公共図書館は3246館ある。合計4920館に達する。4920館のせめて2割、いや1割の図書館が所蔵してくれればと思う。図書購入予算の減少は話題にもならない。文化に対する予算の配分が少なすぎるのである。そして、景気が悪くなれば真っ先に予算をカットされるのは図書館だ。(宮)
2015年8月7日
『フィガロの結婚』 最近、日曜日の朝は皆川達夫の「音楽の泉」を聴きながら食事する。8月2日にはモーツアルトのセレナードニ長調(K204)を聴いていた。「すこし時間があるのでオペラの序曲を聴いていただきましょう」と皆川さんが言い、『イドメネオ』序曲を、ついで『フィガロの結婚』をかけた。このときの皆川さんの一言は「モーツアルトのすべての作品が失われて『フィガロの結婚』1曲だけが残ったとしても、モーツアルトは稀有な天才だということ」であった。「我が意を得たり」と思いつつ耳傾けた。(宮)

『朝の電車で気づいたこと』 今朝の電車は朝から荷物が挟まった関係で30分も遅れるという。電車は立ち往生しているわけではなくすでに動いているようだ。急いだところで電車任せなので来るがままに電車に乗り込んだ。いつもより込み合っている社内でドアの近くで立ちながらふと自分の爪をみた。「えっ!」(もちろん心の中の声)。なんと私の爪は指によって長さがまちまちだったのだ。伸びる速度の違いか?!いやいや。私は昔から爪なんておしゃれにのばしたことがなく、切るときには白く伸びた部分をやや深爪と思われるほどしっかり切るのだけれど…よく観察してみると左手はなんと一本おきにちゃんと切りそろえられ、人差し指と薬指の爪が伸びているし、右手にいたっては人差し指と中指と小指だけが切りそろえられていたのだ。最近爪を切った覚えはあるのだがそのとき気もそぞろに切っていたのか、あまりのおかしな状況に呆れるやらおかしいやら。なんでこんなことになったのか自分でも不明であるが。テレビに夢中だったのかもしれないなとちょっと思った。ボケるのもほどほどにしなければ…そして帰ったらちゃんと切ろうと心に誓った。(やぎ)
2015年7月31日
『安保法案』 一昨年の特定秘密保護法、昨年の集団的自衛権の閣議決定、そして6月16日の安保2法案の衆議院採決と世の中が騒然としてきた。次第に世の中がざわついてくる様は60年近く前の警察官職務執行法から日米安保条約改定騒動にいたる動きとよく似ている。それから、新聞、テレビ、ネットの興奮と普段と変わらぬ街の中の平穏との落差は、これも60年安保騒動のときと似ている。大きな違いもある。反対運動が政党や労働組合や、学生団体などが中心になって動き出した前回と違い、今回の反対運動は組織といっても市民団体と新たに集まった学生の組織が主で、初めて政治に関心を持った学生のほか、参加者は熟年、老年が多い上に子連れの主婦まで加わっている。香港と台北についで、日本で民主主義の新しい波が起きている。(宮)

『隅田川花火大会』 出版関係で仲良くなった友人に誘われて、これまた取引先で以前お世話になっていたHさんの呼びかけで毎年花火大会を観るため集まっているという場所におじゃまさせていただいた。今回で2回目の参加。隅田川の花火大会会場そのものずばりの駅ではないが、花火が見える場所。この場所で10年くらい花火の宴をしているそうなのだが、初めはそのあたりもそんなに人がいなかったらしい。しかし毎年人は増え続け今年は思いもよらない人、人、人。私も前回よりも改札を出るのに、出待ちするほど。その話をしたら「芸能人みたいだな」と笑われた。花火が芸能人代わりか?道路も人があふれかえり、屋台が道の両脇にいっぱい。思わずキョロキョロしてしまう。人の流れに身を任せてあるくと、無事目的のスーパー前に出ることができた。誘いのメールはこんなだった「Hさんより花火のご案内。よろしければご一緒しましょう!」その下に首謀者Hさんからのメールもついていたのはいいのだが…「おはようございます。7月25日隅田川花火大会です。お待ちしてます」と友人Kにあてた内容。日にちしか分からないじゃない…転送されてもねえ。毎年同じ場所に同じ時間に集まっているのだろう。記憶をたどって行くしかない。さっぱりして男らしいメールだなと笑ってしまった。ちなみにメールをくれたKは30代の女性、首謀者は60代の男性だ。
この宴自体も初めはゴザ1枚に7人ほどではじまった会らしいが、いまや大きなゴザ2枚に小さなゴザ2枚という大家族ぶり。20人いや30人はいたような気がする。Hさんの友人関係と奥様の友人関係でこのゴザもいっぱい。目の前のスーパーでビールを買い、おくさまの手料理がところ狭しとならんでいる。何時から準備しているの?!いやはやこんな大人数の食べるものを準備し運ぶのも大変だ!それをまったく苦労した様子もみせずにふるまっている。すごいなあと思う。また顔ぶれが面白い。年齢も幅が広いのだ。20代から60代?おくさまのお友だちも若い若い。垣根の無い交友関係にまたびっくりである。以前訪れたときには花火大会とはいえ場所も遠いし、ビルのかげに隠れてしまい花火を見に行ったのか、飲みにいったのか?と微妙な場所だった。今年も同じ場所なら…とあまり期待していなかったが…いやいやなんと、打ち上げ場所が少しずれたようで、私たちのいた場所からややビルに隠れながらも2会場の花火の両方がとてもよく見えた。「おおっ!」とキレイな花火があがる周囲の同じゴザの面々からもそのまた別の見物客からとどよめきと喝采がおこる。みんなが同じ方向をみて夏を楽しむ花火大会。なんだかいい。こんなふうにいくつも夏を過ごせたらいいなあとしみじみ思った。
(やぎ)
2015年7月24日
『浅川土手の遊歩道』 南平駅から10分歩いて事務所に辿り着くはずだが10分というのは、実はたっぷり10分である。梅雨があけて酷暑の夏が到来したが、この事務所を初めて見に来たときの浅川沿いの土手が忘れがたく、地図を見、歩いてみて、全行程ほとんどが浅川沿いの通勤道を見つけた(見つけたというのはおかしな表現だが)。夕方、事務所を出て浅川の土手にでる階段を登るときに目に飛び込んでくるのは土手を覆っている草だ。10歩もない小さいが急勾配の階段を下手から見上げる形になり、モネの「日傘の女」を思い出させる草原だ。土手にあがると風があって、夕方の茜色に染まった雲が雄大な渦のかたちをつくっている。歩き始めると前方に富士山が見える。都心に通っていたときの電車から見たときよりは、大きくみえる。高々15分の通勤道だが、すっかり気に入ったので、天気がいい限りは往きも帰りもこの道を歩いて通うことになりそうだ。(宮)
2015年7月17日
『会社ひっこしました』 7月6日に会社が引越しをした。通常の業務をしながら引越しの準備をと考えていたがそんな生易しいものではなく、箱に詰めても詰めてもいろんな書類がでてきて半ばうんざりするころようやくほぼかたがついたという感じだった。それも前日!
さて、引越先で荷物を広げ移転届けなどを発送し、名刺を作りおえたころようやく日常の生活が見え始めた。移転して変わったことといえば家から会社に行く方向だ。都会とはまったく逆方向に通勤となり、みるみる緑が増えていく車窓をみながら、「あれ?今日はどこへいくんだっけ?」なんて思ってしまうありさま。駅から徒歩10分の道のりもひたすら住宅地に入っていくので家に帰るような気分だ。昼間に散歩してみると川があり、果樹園があり、ひまわりが咲いているのを発見し、さながら小学生のころの夏休みなのだ。あまりに暑い日には駅からの道も焦げそうで思わず翌日は麦わら帽子をかぶっての出勤となった。そしてふとスズキ コージ・文、片山健・絵の『やまのかいしゃ』の表紙で二人の男が山の頂上で気持ちよさげに寝ころんでいる光景が今の自分とかぶり、一人でニヤニヤしてしまった。もちろん河原で寝そべったりはしていないし、真面目にやっています!良いところですので、遠いですが、みなさんもいらして下さい。
(やぎ)
2015年7月10日
『引越』 7月6日、西神田から日野市南平に移転した。新事務所は一戸建住宅の1階だからガラリと雰囲気が変わった。荷物が入りきらないかと心配したが、週末までにはほぼ片付けも終わり、案外余裕で収納できたのはなによりだった。10日(金)には久しぶりに雨があがり、日が射して、ガラス戸越しに庭の植物が風にそよいでいる。さわやかな風が室内にも流れれているが、おりしも仕事に専念できる状態になったわけで、あとはバリバリ仕事をするだけだ。(宮)
2015年6月26日
『事務所移転』 事務所移転の準備に追われている。30年間に5回目の移転は多いのか少ないのか分からない。京王線を下ったり上ったり。それはともかく、今度は日野市南平だ。近くを浅川が流れている。自然環境は申し分ないが、そのぶん都心に出るには不便だ。さる著者のかたから「充実した出版活動の再スタートとなるように」という有り難くて嬉しい言葉をいただいた。準備で疲れたなどと言っている場合ではないと心中で呟いた。(宮)
2015年6月19日
『梅雨』 用事で外出したが、小雨が降っているので傘をさす。歩いている内に空が明るくなって雨があがった。買い物を済ませて外に出ると、おや、また雨が降っている。今日はそんなことの繰り返しで、傘をさしたり畳んだり忙しいことだ。梅雨まっさかりなので、雨を友達にしながら毎日を過ごしている。5月には30度を越す暑い日がつづいたり、異常気象だと思っていたら、いま、梅雨らしい梅雨なのでよかった。オーバーな感想だが、近年梅雨時に雨が降らなくて水不足になった記憶も新しいので、やはりよかったということです。(宮)

『名古屋コーチン?!』 通勤途中の出来事。朝の満員電車でゲームをしている三人ほどに囲まれた。いずれもいい大人たち。なにも満員電車の中でまで大人がゲームにいそしまなくてもいいのにと思うのが…。一人のおじさんはもう一人のゲーム女子のゲームがきになるようだ。チラチラ覗いている。その挙句に自分も育成ゲームを始めなにかの生き物を撫でまわしている。見たくないが目の前なので見えてしまう。少々イラッとしながらも、心を整えつつ、ふとゲーマーたちから視線をそらせたところ、出入口付近に野球帽風のキャップをかぶった整った顔立ちの背の高いおじいさんに目がとまった。なぜかというと…キャップの正面に名古屋コーチンの刺繍ワッペンが光っていたのだ。なぜにニワトリ?それも名古屋コーチン?と目が離せなかった。いったいどこで買ったのだろう。今もずっと気になっている。(やぎ)
2015年6月12日
『河川敷の工事』 今年の春のこと、京王線に乗って多摩川を渡るとき、水面を埋めて砂利が大量に運び込まれていたので、何の工事が始まるのだろうと思っていた。出来上がってみると右岸の河川敷の水面寄りに、150〜200メートルの長さで流れに沿って、もうひとつ河川敷が作られていた。川幅がすこし狭められたわけだ。砂利のままできあがり、殺風景だなと思っていたが、最近は砂利の表面に草が生え始めている。夏が近づくにしたがって、放っておいても自然に草が生え、やがて一面草に覆われるのだろうと想像した。自然のたくましさを感じる景色である。(宮)
2015年6月5日
『暑さ』 5月から6月にかけて東京は30度前後の気温を記録している。今は湿度が低いので身体で感じる暑さはそれほどでなくて、風があれば気持ちいいくらいだ。つい先日は、ニュースでインドでは50数度を記録したと言っていた(ウィキペディアでみるとインドの最高気温は50.6度だというから、記録更新があったのだろうか)。50度って、いったいどんな感じがするのだろう。T.E.ロレンスの『知恵の七柱』を読んでいたら7月のアラビア砂漠をいく場面があり、熱気、熱風と砂まみれの行軍がが描かれていた。読むと気温の数値だけではない過酷な環境は想像を絶するが、いまは観光スポットになっているところもあるようなので、(しかし観光スポットということは道路が整備されていたりしてロレンス時代とはまるで違うと考えなければいけないだろうが)、体力が許せば体験してみたいものだ。(宮)

『子ども頃の記憶』 現在朔北社では以前出した「ヒトと動物」という本の第二弾(?)として現代におけるヒトと動物の関係を様々な角度から書いた本を製作中だ。直接の担当の本ではないが本の題名を考えるのに、我が社では他出版部の人たちは全員が読むことになる。読んでいたら「人に見られる動物たち―動物園動物」の章で多摩動物園のことが出てきて、この動物園はアリからゾウまで見ることの出来る動物園をキャッチフレーズにしていると書かれていた。なぜかそこで、私は子どもの頃にみた多摩動物園の昆虫館(記憶が定かでないが)の記憶がフラッシュバックしたのだった。その頃、多摩動物園には昆虫館というのがあってそこでの記憶は出口付近に大量に展示してあった昆虫標本で具合が悪くなってしまったという記憶なのだ。本の中では生きた虫の展示というふうに書いてあるが、私の記憶のその部分は飛んでしまっている。子どもの頃私は、昆虫が嫌いな女の子ではなく、むしろ大好きな子どもだったと思う。カマキリも、ミミズも、クワガタも、カブトムシも、カナブンもトンボもセミもアリも、毛虫を除けばとってきてはひとしきり一緒に遊んだり、飼ったりした。それなのになぜ昆虫館で具合が悪くなってしまったのだろうかと今考えてみると、その理由の1つは大量にあった標本でいっきに見たこともないような数の虫をみたため。そして気持ちが悪くなった一番の理由は蝶や蛾の鱗粉による恐ろしいの記憶にほかならない気がする。それも蝶の標本もかなり沢山あったような…。そしてそれがすべて死骸であるのがなんだか怖かった。その記憶の前は蝶もすきだったこともあったと思うのだが…ある日そーっと蝶を捕まえた指についたその模様が目玉のようなかたちの柄だったのだ。今なら気持ちがわるーいくらいの反応であったかもしれないがそのころはその蝶(蛾?)のもつ羽の目玉のような模様が自分にうってしまったようで本当に怖かった。鱗粉恐るべし。二度と蝶は手で捕まえないぞと誓った。そらからその頃私が住んでいた八王子ではある時期になると毎年ヤママユガが大量死している姿を目にしたのも強烈な印象だ。朝起きると昨日はいなかった場所にヤママユガが大量(大きかったから大量に見えたのかも)に道に死んでいた。ヤママユガはとても大きくて肉厚でそれだけでこわかった。そんなのが道路で何匹も死んでいるのだ。当時私が生きた虫たちの展示には拒否反応はなく、結果記憶にも残らなかったのか?すべてのことを覚えているわけではない子どもの頃の記憶だが、何が好きで何が好きでないのか、自分なりにあったことを物語っているような気がする。自分の過去の記憶の話になってしまったが、今作っている本とはなんら関係ないが…。
 
話は「ヒトと動物」第二弾の話に戻るが、この原稿を読んだら人間とは生態系を一番狂わせている張本人なのかもしれないなと思ってしまう…。そんな気はしていたが具体的にどういうことなのか読むとよくわかる。『動物を守りたい君へ』(岩波ジュニア新書)を書いている高槻成紀さんがリーダーになりまとめて下さった本です。生態系の一部である私たちが忘れちゃいけない大切なことが書かれている。
(やぎ)
2015年5月29日
『発車音楽』 帰宅してラジオをかけたら、電車の発車音楽を作っている作曲家が話しをしていた。東西線の発車音楽の作曲家(名前を失念)だそうで、作曲家といっても現代はじつにさまざまなジャンルで仕事をしているのだということがよくわかった。各駅ごとに違うメロディをあてているが、つなぐと1曲の作品になっているのだそうだ。駅の音楽というと、誰でも知っている曲をながしているばあいと、新たにつくられているばあいがあるわけだ。駅によって「うるさいなあ」と思いつつ耳にしていることもあれば、ちぐはぐな気持ちにさせられるものもある。ほとんど気にならない音楽のばあいもあるが、正直なところは音楽など流れていないほうがいい。しかし駅を利用すれば、のがれることができないのがこまる。(宮)
2015年5月22日
『続投』 言葉は生きもので、これまでなかった新しい表現がごくふつうに使われるようになる。私には「がっつり」はその一例だ。会社で、社員との会話で耳にして、ずいぶん違和感があったが、ちかごろは頻繁に耳にする言葉となった。最近気づいたのは「炎上」である。ネット上で何かの発言が、短期集中的に批判的な反応を引き起こすことをいっているらしいが、いかにもセンセーショナルで、ネット社会の反応の一面をうまく表現している。「続投」はかなり前から使われているが、例えば「キャメロン首相続投へ」などとあるポストを引き続き担当することを意味する。これは野球用語から転用しているわけだ。政治の世界で、野球用語を使わなくても表現できるのではないかと思うが、マスコミは当然のごとくに「続投」と言う。外国語をまぜるのはますます亢進している。ラジオ深夜便で、「アンカー」「リスナー」など。「MC」などといういいかたもごく普通だ。年寄りはじょじょに付いていけなくなるわけだ。(宮)

本の話が出来るともだち 今出版社に勤めていて考えるのは、どうしたら本が売れるのだろうかということばかり。考えすぎてなかなかいい考えが浮かばない。もっと単純に考えてみたらどうだろうかと自問する。さて、自分には本の話ができる友だちがいるだろうかと考えると、実はほとんどいない。思い浮かぶのは一人かもしくは二人か。仕事としてではなくあくまでもプライベートでということであるが。人と本の話をするとき、「この本よかったよ」「この本好きなんだ」といって本を手渡されたり、題名を聞いたりして読み始める。もちろんその本をすすめてくれた、その人のことを好きだったり、関心をもっていれば、なおのこと読んでみようかなという気になるだろうし、私はこんなふうに感じたけど、すすめてくれた彼は、彼女はこの本をよんでどんなふうに感じたのかな?など、考えたりするのも楽しい。芸能人がテレビで紹介する本が売れたりするのはメディアの力も大きいが、誰がどのように紹介したかが肝心なような気がする。そうやってすすめられた(テレビや新聞や雑誌の紹介なども含める)本の中には自分でも過去に選んで読んでいた本もあるし、自分からは決して手にとらなかった本もあったりして…。手渡したり、手渡されたりして本があちこちに動いていくということ。そんなふうがいいなあと思う。友人たちは、いつどんな本を読んでいるのだろう。そして好きな作家は?今まであまり触れてこなかったことだけれど、今度聞いてみようかなと思う。(やぎ)
2015年5月15日
『古書』 「古書の買い取りはドラマに満ちて」と題して、ラジオ深夜便で西荻窪の古書店主広瀬洋一さんの話を聴いた。面白かったので翌日ネットで調べたら広瀬さんに本を買って貰った体験談が出てきた。本の価値を前提に買い取ってもらったといううれしい話だ。そのあと、たまたま神保町の古書店街を歩いたときに店頭に飾ってある古書の価格をみると、たとえば昭和40年代に出た菊判の漱石全集(岩波)全18巻が8000円である。漱石に限らず個人全集の安いことには驚かされる。好きな人にはまことに有り難い状況だが、世間の風潮としては、住宅事情から、嵩張る個人全集など不人気を極めているのだろう。そう考えないと理解できない価格がついている。いつか、紙の本が見直されるときが来るのだろうか。(宮)

『さくらんぼ狩』 昨年のゴールデンウィーク、久しぶりにご飯を一緒に食べに行った友人の一人が帰り際にお家の庭で咲いたスズランの花と、庭でとれたさくらんぼで作ったジャムの小さな瓶をくれた。「えっ!おうちでさくらんぼ?!」とても驚いた。一緒にいた友人は最近一番下の子どもとさくらんぼ狩に行ったとか行くとか話していたと思う。そして「来年もしよかったらさくらんぼ狩にきていいよ」と言ってくれた。そして、今年ちゃんと覚えていてくれて実現したのだ。いつも集まるメンバーにその子どもたち。誘ってくれた友人も含め5家族で総勢8名でのさくらんぼ狩。聞くと木は一本だと言うので、そんなに大勢で行って大丈夫かしらと心配していたが、見事に不安は消し去られた。巣鴨にある友人のおうちの庭に入りさくらんぼの木に案内されると…!!!!!実は小さいながらも(お店に売っているようなさくらんぼの二回りくらい小さくしたようなかわいさ!)枝の上から下までびっちり輝くような実がなっていた。友人が朝から用意してくれたお昼ごはんを食べたあとみんなでわいわいいいながら次々さくらんぼを摘む。一部は口に運びながら。友人のお母さんが用意してくれたいちごや果物を入れるパックはすぐにいっぱいになってしまった。あまりに沢山とれたので子どもたちに何個とれたか数えてもらおうかと収穫数を数えることになったが予想をはるかに上回ったその数は…一家族に500個ずつ。2000まで数えて残りは収穫させていただいたご家族へ。おそらく残りも500個以上ありそうな量だった。思い思いに持ち帰り…ひとしきり食べて仲良しのご近所さんに配った人もいたようだ。そして食べきれない分をみんなそれぞれにさくらんぼジャムに。我が家もその夜、せっせと種を抜きさくらんぼジャムに仕上げた。自分が収穫したもので作るジャムはなんだか格別な気がした。贅沢だなあ。(やぎ)
2015年5月8日
『あごのコツコツ』 3年前に笹塚駅で倒れたとき顎に傷を負った。以来顎はもとの顎ではない。日常生活にはまったく支障がないのだが、しばらく前から食事中に顎のあたりで、ときどき「コツコツ」おとがする。歯がぶつかっているらしくも思えるが、よくわからない。そして、突然思い出す。60年以上前に母の実家に泊まったとき、祖父(そのころ70歳台)が食事のときコツコツ音をさせていたことを。いまならどこかで倒れて顔面を打ったのかとか尋ねるだろうが、当時祖父を怖がっていたわたしは、「コツコツ」を記憶にとどめはしたが、その原因をきくことができなかった。植木仕事の最中に、樹を揺さぶって隣の樹に飛び移るといったことを得意になってやるような祖父だったから、きっとなにかあったのだろうと思うのだが・・・。(宮)
2015年5月1日
『甥っ子の初節句』 義弟のところに二人目が生まれたのは去年のこと。何を隠そう子どもの日の翌日だ。そして数年前に亡くなった義母の誕生日と偶然にも同じ日。さて丸一年が来てその彼(男の子だった)は初節句を迎えることとなったのである。上の子は観察眼が鋭く繊細で気の利くたちの子であるが、弟の方はというと、おっとりとしてなんだかまるで仏様のように穏やかな顔をしている。見ているとなんとなく癒やされる。赤ん坊とて不思議なもので一人一人個性がすでに違うのだなと思う。ゴールデンウィーク。そのお祝いにと我が夫婦は九州に飛ぶのであった。早く大きくなってこれからどんな子に育つのかな。義姉はお祝い奮発しようと張り切っている。我が家は飛行機代で手一杯かな…(やぎ)
2015年4月24日
『報道の自由』 24日の朝日新聞の「池上彰の新聞ななめ読み」が自民党によるNHK,テレビ朝日の事情聴取問題をとりあげている。個別番組の内容について政権与党が放送局の関係者を呼びつけて事情聴取したというニュースをみたときなんという乱暴なことをするのかと、自民党の関係当事者の感覚を疑った。池上さんの記事を読むと、放送法は、放送に対する権力の介入を禁じているといってよい。法律に関しては、自分に都合のよい条項だけを取り出して利用しがちだが、法制定の趣旨というものがあるわけで、自民党には放送と権力の関係について冷静に考える政治家がいないらしい。それにしても、呼び出されたNHK,テレビ朝日の幹部は呼出を拒否することを考えなかったのか。ひとつひとつの問題にきちっと対応していくことが大切だと思うのだが。(宮)
2015年4月17日
『壁掛けテレビ』 スーパーへ行くとポスター感覚で薄型大画面の映像が使われている。電車に乗れば扉の上部には路線図の代わりに動画の路線案内や、コマーシャル映像が流されている。これらを目にすると亡くなった父が、まだテレビも無かった半世紀以上も前に「いずれ壁掛けテレビというものが出来る」とよく言っていたのをおもいだすのである。そのときどんなものなのかイメージがわかなくて、部屋の壁に目をやって薄板のような厚みのない盤に、映画のように映像が映し出されるのかと想像していた。こんなことを言えば、パソコンや携帯電話だって驚くべき働きをなんでもないことのようにしている。しかし、これらのモノによって便利にはなったものの、これらのモノは、どうやら人間の幸福とはまるで無関係、別次元の道具、機械であるようだ。(宮)
2015年4月10日
『エアコンの故障』 8,9日と突然真冬に戻ったような寒さにおそわれたが、8日夕方から事務所のエアコンが故障した。なにしろ冷たい風しか出てこない。早速家主事務所に連絡した。迅速に現場をみて確認し、エアコンの型式や不具合を伝えるメッセージ等を調べて修理の手配をしてくれた。そして修理の前にひとつ試すべき動作を指示されたので、もちろん言われたとおりにすることになった。結果を見守った。「修理の前にひとつ試すべき動作」とは一旦電源を落とせということだったが、これをしたら、件のエアコンはあっさり元通りに働きだした。いじょう人騒がせな一席でした。(宮)

『桜見物』 早いもので桜は見頃を過ぎてしまった。学生の頃はかならず学校に桜の木があり桜は見に行くものではなかった。最近はお散歩といいつつわざわざ桜を見に行く自分がいたりする。
昨年は夫に通勤途上の神保町で電車を降りてもらい、千鳥ヶ淵と靖国の桜を眺めながら市ヶ谷駅まで歩いて桜を眺めたし、今年はというと、私が通っているデンマーク体操の教室の先生と、体操のあと時間が許すメンバー(結局3人)と石神井公園の桜を見に行った。ここで言う見るとは宴会などではなく、そぞろ歩きである。若いころ務めていた会社ではお花見ならぬ宴会などが行われたりしたが、そちらは花より団子の印象だ。昼間の明るい時間にただ公園などをそぞろ歩きながら桜や自然の中にいるのは気持ちのよいものだなあと最近思っている。うーむ年をとったのか。桜を見に行こうといって石神井公園と提案したのは体操の仲間であり学生時代からの友人J。彼女は石神井公園は魅力のある公園だという。実際彼女とこの公園を歩くのは2度目なのだが、毎回彼女の言っているその意味を噛みしめる。自然の公園の中には野草があちこちにあったり、木も、池もなんとなく自然の生態のままのような様子をしている。曇り空で今にも雨が降りそうだったが、散策中はどうにかお天気ももち、池の鴨やサギなんかも観察した。このサギの動きが面白くて夢中になって見ていたら、どうやら他の人も桜そっちのけでサギに釘付けになっていたのが面白かった。桜の名所というわけではないので並木になったりしているわけではないから人は多くもなく少なくもないちょうどいいくらい。1時間少し歩きまわってもどったのは池のほとりのイタリアンレストラン。行きがけに名前を書いておいたが散策しすぎて順番はすでに過ぎていた。事情を説明し再度待って窓際の池側の席に案内された。2つある窓からは、どちらからも満開の桜が見える席だった。「わーいい席だね」と盛りあがり、満足の一日となった。つでにいうと母校の旧校舎も帰り道の途中にあったのでJと私はそちらへもハシゴ。薄暗くなった空と建物を背景にして白々と桜が美しく見えた。
(やぎ)
2015年4月3日
『地下鉄神保町駅』 神保町駅が明るくなった。大震災以来本数を減らされていた蛍光管が点灯されている。ごく僅かに蛍光管が外されている場所があるが、ほぼ元通りに点灯されて、駅構内が明るくなった。思い出すのは1973年のオイルショックの時のことだ。トイレットペーパーの買い占め、テレビ放映時間の短縮、街のネオンサインの早期消灯、太陽光発電の研究などなど実に広範な電力節約策が実行された。しかし1年ぐらいは続いたのだろうか、エネルギー節約の必要性がなくなったわけではないのに、しばらくするとすべて元通りになった。オイルショックは乗り切ったが、エネルギー問題が根本的に解決できたわけではないのに、当面なんとかなったので元に戻した。太陽光発電の研究もやめてしまった。今回の大震災では原発再稼働が大きな問題になっているし、大部分は運転停止中だが、止められていた旧式火力発電所を再稼働させたりして必要発電量がおそらく確保できているからだろう、近頃は節電をうるさく言わなくなった。とりあえずなんとかなりそうだから元に戻すということなのだろう。駅は照明を元に戻して明るくなった。いっぽう、よく出かける千代田区立図書館のエレベーター乗り場の薄暗いこと。これは図書館予算が十分に確保できていないためだろう。いろいろな問題は、方針と予算のかねあいからさまざまな姿になるようだ。(宮)
2015年3月27日
『卒業式』 この時期、事務所の近辺は和服に袴をつけた女性が大勢歩いている。ちょうど桜が咲きはじめて、昼間のあたたかな春の陽射しとあいまって一種華やかでのどかで幸福感にあふれた空気がながれている。年々歳々おなじような風景が展開されているわけだが気持ちのなごむことにかわりない。会社のKさんの娘さんも26日武道館で卒業式があり、袴姿で臨んだそうだ。(宮)
2015年3月20日
『残っていた乗客』 京王線のダイヤ改正で笹塚乗換が必要になった。乗換のためにホームに出ると、乗り換える乗客で一杯だが、乗換電車(新宿線)は入ってこなくて新宿行きの電車が続けて2本来る。ホームは乗換客で溢れんばかり。この時間帯(9時前)にしてはひどく混んでいる。そしてやっと入ってきた新宿線直通、笹塚始発の電車を見ていたら、真ん中あたりの車両に男の乗客がひとり眠り込んで乗っている。この人はいつどこでこういうことになったのか?電車が終点に着くと車掌が車内を見回って眠り込んでいる乗客を降ろす光景はよく見るが、朝の通勤時間帯の電車では初めて見た。(宮)

『出会いと別れ』 数ヶ月前、前から見える歯が大きく欠けてしまった。以前通っていた歯医者さんが引越してしまい。はて、どこに通おうか悩んだ。ネットで検索してみるがどこがいい歯医者か検討もつかない。会社か家から近くないと通いつづけられないと思いネットで調べてみるがチンプンカンプン。行った人たちの声とホームページをにらめっこして、自分のカンで電話する。歯が欠けてしまったので一刻もはやく治したい。1件目今日は無理と言われる。しばらく予約でいっぱいだと断られる。もう一件も予約でいっぱいというが…どうしても仮でいいのでみっともなくない程度にしてほしいと泣きつくとどうにか夕方なら待つかもしれないけれど間に入れられるかもとのこと。初めて行く歯医者の初めての先生。私には歯の治療のノウハウも、技術も、知識もないから椅子に座ったら先生に任せるしかない。いい先生だといいなと思った。なかなか人を信用しない私はしばらく、この歯医者でよかったのか?としばらく思っていたと思う。でも回数を重ね名前を呼ばれ、笑顔を向けられ、徐々に信頼関係ができてきた。仕事も丁寧なことも治療されていてよくわかる。3月のある日治療が終わったあと先生が「実はわたくし事なんですが…」という。私(なんだろう、旅行か何かでしばらく留守とか?!)先生「3月末でここをやめて福島の実家に帰ることになったんです」私(えーっ!!!)と心の中はざわつくも「ということはご実家が歯医者さんなんですか?」先生「はい、そうなんです。ちょうど次で今治療中の歯の治療が終わるので、他の歯の治療は次の先生にちゃんと引き継ぎますので…」とのこと。私「残念ですね…。わかりました…」そして先日最後の治療をしてくれた。「一番ひどかったときに少しずつ丁寧になおしてくださってありがとうございました」とお礼を言った。なんだか親にポツンと取り残された子どもの気分になった。帰り道、寂しい気持ちになった。新たな地で活躍するようになる先生にこっそりエールをおくりたい。フレー!フレー!(やぎ)
2015年3月13日
『東京大空襲』 3月10日は東京大空襲の日。大火災が発生して赤く染まった空を、当時1歳半の私を抱いた母が見せたそうだが、記憶があるはずもない。小学校3、4年の頃、担任の先生が大空襲のことを話してくれたことをいまでも鮮明に覚えている。大火災で多くの人が焼死したが、ひととは分からないぐらいに黒く焼かれて折り重なっている情景を見たというはなしである。どんな授業でその話を聞いたのか覚えていない。ただ黒こげに折り重なった死体のことが頭に残った。小学3、4年ということは昭和27、28年頃である。先生は25歳ぐらいか。空襲に関しては、疎開する場所もなくて、どうせ死ぬなら家族一緒にという考えていたという母の話をくりかえし聞かされた。昭和十九年に、強制疎開で引っ越してきた三軒茶屋の家は、空襲では焼かれずに残って、以後四十数年そこで生活することになった。(宮)
2015年3月6日
『ダイヤ改正』 京王線のダイヤが改正された。改正の初日、ホームの人の集まりかたが偏っていたが2〜3日したら偏りが消えて、乗客が新ダイヤに適応しているのがよくわかった。とはいえ時刻が動いているからホームで見かける何人かの常連さんは居なくなったようだ。私の場合、いままでより6分早く家を出る必要があるが、そのうちに慣れてくるだろうと思っている。家を出る時間が変わったので、通勤途上でであう人も変わった。首都大学の構内に入っていく年輩のひとびと−−おそらく大学の事務局等のスタッフか教師−−も出会う顔ぶれが替わるのである。(宮)

『お幸せに!』 電車にはいろんな人が乗ってくる。そのほとんどが他人だ。名前も顔もしらない人ばかり。だけどその中にいろんなドラマがあって面白く、ついつい興味がある方に顔が向いてしまう。もちろん大丈夫かな?と心配な人もあるし、なんだかこわい感じの人に警戒したり、子どもの声が聞こえるとそちらに目を向けるし、幸せそうでつい見てしまうというのもある。今朝はラッシュ時の通勤電車に、あと数日で結婚するという二人が乗ってきた。もちろん他人だが、ちょっと前に同じ電車にのっていたその人たちの同僚と「あ!」とかなんとかいいながら会話していてその事実を知ったわけである。二人は始終幸せそうな感じでその表情をみたらすごーくキラキラしていた。これから始まる二人の生活。どうぞ幸せになってくださいと心の中でその見知らぬ二人に伝えたのだった。(やぎ)
2015年2月27日
『アラビアのロレンス』 「イスラム国」が出てきて、第一次世界大戦のときの中東の国境が話題にされていた。ニュースできいたときにすぐ「アラビアのロレンス」の舞台の話だと思った。いま東洋文庫から出ている完全版『知恵の七柱』を読み始めたところなので、100年前の出来事が生々しく蘇ったような感じがする。結局、問題は片づいていなかったということではないだろうか。そして、100年間の真ん中にイスラエルの建国がはさまって、問題をいよいよ複雑にしたのだ。東アジアでは「歴史認識」が政治問題になっているが、歴史とのつきあい方がとても重要なことになってきたことをあらためて感じている。(宮)
2015年2月20日
『富士山』 朝の通勤電車で多摩川を渡るときに富士山を見るのが楽しみだ。冬場は真っ白な山容をくっきりとみせてくれる。雨上がりの翌朝などはずいぶん近く見える。ある日突然想像してしまったのだが、もし富士山が噴火したら、多摩川を渡るときには見えすぎるほどはっきり見えるだろうし、火山灰などが東京まで飛んでくるのが極く当然のことに思えた。その景色が頭にはっきりとうかぶが、近頃のもろもろの火山情報を聞いていると、これがそれほど非現実的な妄想だとは思えないのが恐ろしい。(宮)
2015年2月13日
『室内照明』 1月20日、事務室入口の蛍光灯を交換しようとしたら、照明器具自体が簡単に壊れてしまい、蛍光管どころか器具をそっくり交換することになった。あきらかにプラスティックの劣化と思われる壊れかただった。それから事務室入口が薄暗くて陰気くさいので、はやく器具交換が出来ればいいと思っていたが、今朝出社したら取り換え作業をやっている。やれやれ、1ヵ月はかからなかったが優に3週間ほど待たされてやっと復旧した。新しい器具、蛍光管なので、以前より明るくて、気持ちまで明るくなる。(宮)

『おじさんになったら…』 通勤の電車の中で向かいに座ったおじさんをみてたら誰かに似ていることに気づく。あ、羽生結弦!と思った。髪型といい、雰囲気といい彼に似ている。見ているとおじさん以外のなにものでもないのだが、どことなく似ているのだ。そのおじさんはちっとも王子様っぽくないしオーラもないのだけれど。すでに3回は電車の同じ車両でみかけている。いつか羽生結弦もおじさんになったらあんな感じになるのだろうか?ちょっと未来に行き30年後くらいの羽生くんの生活を覗いてみたくなった。あのおじさんも、そのうち電車の中で4回転のジャンプを決めてくれたりして…まあそれはないか。(やぎ)
2015年2月6日
『銀行の案内係』 貧乏会社のこととて、毎日のように銀行に足をはこぶ。店に入ると定年退職したとおぼしき年輩の男性の案内係が数人いる。毎日のように行けば顔見知りになる。しかし親しくなる人とそうならない人がいる。定年退職後に働いているらしいのだが、さらに年齢制限があるらしく、顔ぶれが替わる。辞める直前に親しく言葉を交わした人もいるが、日ごろ懇意(?)にしていたのに、ある日突然すがたをみなくなった人もいる。ときどき、この案内係にATM操作のことを尋ねたことがあるが、さすがに皆詳しくて親切に教えてもらった。メガバンクの最末端の現場で人間社会の縮図を見ているのだ思っている。(宮)
2015年1月30日
『大雪』 大雪注意報が出た。朝8時、南大沢ではしんしんと降っていて、早くも2〜3センチの積雪がある。通学の子どもたちは、雪面に足跡を作りながら楽しそうに歩いていく。私は、ころばないように足を踏みしめながら駅に向かう。首都大学の桜並木は雪をかぶって美しい。電車は雪の影響でのろのろ運転をしていて神保町には20分遅れで着いた。地上に出ると雪が舞っているが積雪はなく、八王子とは違うことを実感した。ニュースでは都心部で積雪3センチといっていたが、昼頃には雨になった。ニューヨークのすさまじい雪をニュースで見ていたので、東京はどうなるかと思っていたら、電車の遅れ以外、軽く済んだらしいのは何よりである。(宮)
2015年1月23日
『笠置シズ子と南原繁』 眠れない夜はラジオ深夜便の出番だ。先日の「日本の歌こころの歌」は服部良一特集の1回目で戦前の曲ばかり放送された。うとうとしながら聴いていたが、さすが服部良一と感じ入った。なかでも笠置シズ子の「ラッパと娘」には驚いた。曲と笠置シズ子の両方に感心した。まったく古くさくないしゃれた曲で、それを歌う笠置シズ子の声を堪能した。レコードを回す雑音もなく75年も前の録音とは思えない(レーザーターンテーブルを使った再生?)。そこでネットで「ラッパと娘」を探したら松浦亜弥が歌っているので早速聴いてみた。これもなかなかよくて、松浦亜弥というタレントを見直した。笠置シズ子をウィキペディアでみると「ラッパと娘」は出ていなかったが、最後の方に後援会会長は、南原繁とある。これにはまた驚いた。南原繁は昭和20年から26年まで東大総長を務めた人だ。戦後の激動期、日本が連合軍の占領下にあった時期だ。私はちょうど今、昭和21年の紀元節と天長節のときの大学における南原繁の演説が収録されている本を読んでいたのだ。ウィキペディアによると笠置シズ子の父親と南原が友人だったそうだが(香川県出身の同郷人)、あの南原が笠置シズ子を応援していたとは嬉しい発見であった。(宮)
2015年1月16日
『消費税と値段』 消費税の8パーセントは、買い物をするときにいやでも意識せざるをえない重みがある。スーパーで食料品を買うときに、以前とちがって本体価格と税込価格を見る。ところが金額だけ見たのでは十分ではない。よくみると商品が小さくなっっているものがある。従来1000ミリリットルで売っていた牛乳が900ミリリットルになっている。たしかに価格は前とほぼ同じだが内容が変わっているわけだ。これは消費者にとってすこぶる不親切なやりかただだと思う。たとえば、1000ミリリットルを3人で消費していたものが900ミリリットルでは不足が生じるので、消費量(つかいかた)を変えるか、従来より早くもう1本買わなければならなくなる。必要な分量と支払うべき価格(税金を含めて)は変わらないのだから、余計な小細工はやめてもらいたいと思う。牛乳ならむしろ2リットル、3リットルパックを作ってわずかでも値引きしたらどうなのか。そんな商品が出てくれば買うことにしよう。いまのところ、牛乳を買うときには1000ミリリットルを買うことにしている。(宮)

『サムさんと10ぴきのひつじ』 このタイトル。何を隠そう朔北社の絵本のタイトルだ。昨年の末から、にわかに注文が増えた絵本。はじめはなぜ?と思っていたが、次第に書店から年始のフェアで注文などといわれてようやくなるほどと気づいた。早く気づけばよかった…などとちょっぴり後悔。そう今年はひつじ年なのだ。でも日本人がこんなにも干支に関心をもち大切にしているか…この現象を肌で感じるまで気づきもしなかった。もちろん自分の年賀状などにはその年の干支をデザインにいれたりはしてきたけれど、自らその年の干支が主人公の本を読もうと思ったことがなかったから、おはずかしながら思いつきもしなかった。直接の注文でも、「読み聞かせをやっていて、ひつじ年なのでひつじの絵本を子どもたちに紹介したくて」という方が何人も。そんなわけで年末年始に来た注文であっと言う間に、あまり豊富でなかった在庫がばばばばーっとはけてしまった。色々と考えた末に重版は学校のセットを組む頃まで待つことに。悲しいかなご注文いただいた短冊や注文は品切れのお知らせをした。でもこの『サムさんと10ぴきのひつじ』干支にこだわらなくても、なんともウイットにとんでいて面白ので重版が4月に出来上がったらぜひとおススメしたい。ひつじの飼い主のおとぼけサムさんと、気の利いたひつじたちのやりとりがめちゃくちゃいいのだ。海外の絵本賞ケイト・グリーナウェイ賞最終候補にもなった絵本で、読めば候補になるのもうなずけるはずだと私は信じている。とにかく絵から夜の外の寒さや、部屋の中のドタバタ、安心して入ったふとんの温かさなどがすごく伝わってくる絵本なのだ。文字のないページもあるがそこにも独特の感触があるのだ。五感を研ぎ澄まして読んでほしい。そんなわけで、この機会に同僚とこの『サムさん〜』の自分の住んでいる地域の図書館の貸し出し状況を調べてみた。なんと全部貸し出しになっているではないか?!おまけに良く見ると予約まで何人か入っている?!大人気(?)絵本に成長した我が子に、その現実にちょっと目頭が熱くなった。ちなみにひつじの出てくるお話といえば朔北社では『ぼくねむれないよ!』もある。眠りとひつじにはなにか深い関係がありそうだ。この本はタイトルにひつじがないのだけれど、どこかの書店ではこの本をひつじコーナーに置いてくれた。よく見つけてくれたなあ。熱心な書店さんに感謝感激だ。(やぎ)
2015年1月9日
『正月の即興曲』 年末にヘンデルの《メサイア》を放送した皆川達夫さんの「音楽の泉」(1月4日の日曜日朝)は、新年最初の放送でシューベルトの即興曲作品90を取り上げた。この即興曲は、私にとっては新年最初の放送で聴くのにふさわしい美しいピアノ曲っであるだけでなく、高校時代の懐かしい記憶が蘇るときでもある。高校2年のとき、文化祭をひかえた初秋の放課後の時間に、音楽室のそばを通るとこの即興曲の4番目の曲を練習している音が流れていた。しばらくして弾いているのが女子生徒のTさんだということもわかった。そして指が追いつかなくて苦労しているのを耳にしながら、印象的な音の形が忘れがたく記憶されたのである。当時はこの曲がシューベルトの即興曲だということも知らなかった。ただ切なく美しいメロディーと感じて、忘れられなくなり「いったい何という曲なのだろう」と思った。曲名は文化祭の発表会で知った。この曲を耳にすると、そのときの構内の雰囲気と記憶が蘇るのである。(宮)