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「王様の耳はロバの耳」(2024)
 
2024年10月5日
『石破首相』  石破内閣が発足した。総裁選挙のときの発言を次々覆す石破首相が厳しい批判にさらされている。岸田前内閣は、裏金問題や統一教会問題をまともに処理しないために支持率が下がり続けて、今回、総裁選挙になった。そして支持率を回復するためにはトップの顔を替えて新しい自民党になったことを示す必要があり、石破総裁が誕生した。ところが新総裁は大事な問題について総裁選挙当時の発言をことごとくひっくり返していく。
 取材に基づく様々な報告を読むと、党内基盤のない、ある種孤立政治家であった石破首相は、自らの主張を抑えざるをえない立場に立たされていたという。つまり旧来の党内政治勢力の意向を尊重しなくては円満な党運営ができない苦しい状況に置かれていたというわけである。しかし、これは総裁選挙をする羽目になった事情を忘れた議論だし、もともと党内の孤立政治家なのだから、にわかに党内を思うままにコントロールすることが困難であることは自明である。思い切った行動を取らなければ何もできないに違いない。
 思い出すのは小泉純一郎内閣だ。「自民党をぶっこわす」「自分の政策に反対するものは抵抗勢力だ」と主張し続け、反対勢力と決めつけた候補者には「刺客」を落下傘候補として送り込んだ。
 政策の内容を言っているのではなくて、置かれた困難な立場で何事かを成し遂げるためには、まず出発点で、自らの主張を貫徹するための覚悟(=勇気)が必要なのだ。主張貫徹の行動に対しては当然激烈な抵抗があるに違いない。しかし、この勇気がなければ、石破首相は何もできないだろう。
(宮)
   
2024年9月28日
『個人向け店舗』  給料支払い(現金支給なので)、取引先・税金・返済の支払いと、銀行に出向いている。高幡不動駅前のみずほ銀行が閉店したので、最近は聖蹟桜ヶ丘まで行かなければならない。先日、いつもは郵便局で支払っている税金をみずほ聖蹟桜ヶ丘支店で払おうとしたら、まず、案内係からみずほ銀行のカードを見せろと言われ、ついで電話番号を聞かれ、書類記入も必要だった。郵便局では求められない厳しいチェックをされたわけだ。窓口の女性が説明してくれた。この支店は現在個人の利用者向けの店になっていて法人の業務は扱っていない、法人には調布と多摩センターの支店を案内していますということだった。驚いた。しばらく前に高幡不動駅前の三井住友銀行で税金を払おうとしたら、個人向けの店舗になったといって扱ってもらえなかったのと同じだ。みずほは扱ってくれただけマシか?
 郵便局は小銭の扱いを有料にしているし、高幡不動駅前の三菱UFJとみずほのATMでは小銭を扱ってくれない。当社のやり方が世の中の流れに遅れているのだろうが、現在も現金をメインに仕事をしている当社にとっては、不便な世の中になったとしか言いようがない。
 あとでネットで調べたら、多摩地方にあるみずほ銀行支店の半数はすでに個人向け店舗になっていた。
(宮)
   
2024年9月20日
『彼岸花』  今年の猛暑で彼岸花がまだ咲かないという報道があった。毎朝歩いている浅川土手からは例年土手の斜面一面に咲き乱れる彼岸花が見えていた。今年は?そう今年はまだあの赤い花を見ていないと思いつつ歩いていた。異常気象でいろいろなところに影響が出ている。彼岸花も酷暑のせいで咲くことができないのか?
 八王子では雹が降って自動車のフロントガラスにひびが入ったなどという。拳大の雹が降ったらしい。
 今年は彼岸花は無理かと勝手に思いつつ歩いていたが、薄日が射してきて暑くなりそうだったので、土手を下りて並行して走っている道路を歩き出した。道路脇の住宅の影に入って少しでも暑さを避けるためだ。歩き始めたら土手の斜面の裾の部分に数本の彼岸花が咲いているのを見つけた。たった数本だが今年も土手で彼岸花を見ることができた。
(宮)
   
2024年9月13日
『自民党総裁選挙』  9人の候補者が出てきたが、12人まで名前が挙がっていたのだから、3人脱落したわけだ。いずれも20人の推薦人が集まらなかったのが原因のようだ。脱落した1人青山繁晴さんは、当初自分には100人を超える支持者がいると言っていたが、実際に推薦人になってもらう話になったときどんどん減っていき、最終的に5人足らなかったそうだ。当初支持してくれた人たちも自身の支援組織の意向、派閥の締め付け、選挙後の人事面の考慮等により、推薦人から降りていったらしい。政治家の行動がどんな力によってコントロールされているのかがよく分かる。
 自民党総裁は取り敢えず首相になるわけだから、候補者の発言や政策について、新聞、テレビが結構丁寧に、繰り返し報道している。すると立候補の動機、野心、感情の動きなど、人柄を含めて各候補者がどんな政治家なのか分かるようになってくるのも面白い。報道によって、各候補者について新しい発見があったりするが、しかし応援したい候補者が出てこないのは残念だ。
(宮)
   
 
『美しさの基準』  最近、美しさについて考える。昔から草花や動物などには興味を持っていたもののつぶさに観察するなどということはあまりしてこなかった。でもひとたび草花や動物に目を向けた時その美しさに心打たれることが度々ある。まずはその形態だ。どんなデザイナーや芸術家もこの自然の作り出す造形の美しさにはかなわないのではないかと。人間たちにとって多少邪魔で鬱蒼とした場所にトンボや蝶、蜂、その近くではそれを狙う蜘蛛が巣を張っていたりする。そして水辺の生き物たちがそれぞれに合う環境の元で暮らしている自然のビオトープ。いうなれば、生き物たちの共同住宅。そこにめずらしかったり、めずらしくなかったりする蝶やトンボがあたりを飛び交っている。そういう場所を私は好きだし美しいなと思う。

最近楽しみに見ていたその場所が刈られてしまって彼らはどこかへいってしまった。以前もそういうことがあり、そのことを書いたら、もし自分の敷地の前がそういう状態だったら手入れが悪いと思われてしまうから刈ってしまうだろうという人がいた。誰しもご近所さんには迷惑をかけたくないから、そうしてしまうこともやむを得ないだろう。もちろん自分もその立場にいたら刈り取るに違いない。住んでいる場所は賃貸住宅で庭はないが、庭もまた同じ。私の好きな庭は人にとっては手入れの悪い庭になりそうだ。

どういう状態が好きかは人それぞれだけれど、野山や川、海をやはり人間の都合のいいようにするのはやはり違うような気がしている。最低限、その場を生き物として共有する程度で抑えるのが他の生き物と共存する方法かもしれない。人は弱いから便利を知るとその便利に流されてしまうけれど、本当の美しさを残したかったら不便を選ばないといけないのかもしれない。数週間前に蝉の死骸を道端で見つけた時、誰にも弔われず、一人で密かに生を終えたその蝉を美しいなと思い、そんなふうに生きてこの世を去れたら最高だなと思った。人間は本当に面倒な生き物だなと自分が思うのは自分が人間だからだろうか?(やぎ)
2024年9月6日
『影が伸びた』  ようやく朝晩多少涼しくなってきたが、昼間はまだまだ暑いし、近頃の異常気象時代でもやはり彼岸頃にならないと、涼しくならないのかもしれない。
 今朝も浅川を歩いて事務所に向かったが、午前9時前の時間だったので、暑くて汗が吹き出してきた。風がないので一層暑い。猛暑が続いていた頃は、少しでも暑さを緩和しようと、土手下を並行している道路い下りて、わずかにできている住宅の影を頼りに歩いていた。今朝は数日ぶりに土手下に下りたが、影が大分長くなっているのに驚いた。異常気象のために暑さは酷いが、太陽の位置は時期が来ればあるべきところに来ていて影が長くなっているのだと納得しながら歩いてきた。
(宮)
   
2024年8月30日
『台風10号』  台風10号はジョギング並みの速度で動いていて長期間日本列島にとどまっている。変則のコースをたどっているのは気象状況が従来とは違ってきているためだそうで、幾度か経験して、人々の反応が順応しつつあると感じる。たとえば、交通機関の計画運休について強い反発など出なくて、納得しているように見える。30日、たまたま外出していたら、京王線は部分的に運休しているし、動いている場合もかなり遅れている。運行状況についてホームの電光掲示板がすぐに知らせてくれるのはありがたい。しかし、こういうときのためにあらかじめ文章が作ってあるのだろうが、最後に「振替輸送を実施中です」と出る。でも一体どうやって振替輸送ができるのですかと疑問を感じた。AIを使った対応と人間の臨機応変の対応をバランスよく活用してもらいたいものだ。
 長期間猛威を振るっている台風10号だが、雨の降り方が従来とまるで違う。まだ九州にいる台風なのに、関東、東北地方に豪雨をもたらすのだから。一旦豪雨になると、1時間に100ミリというような激しい降り方なので、すぐに川が氾濫し、街中が水浸しになる。従来の想定を遥かに超えた未経験の災害にどこまで対応することができるのだろうかと不安だ。
(宮)
   
2024年8月23日
『草枕』  児童読み物の新刊『魔法のルビーの指輪』が出たので、新聞社を訪ねている。書評担当の記者に会うのだが、数年経つと担当者が変わっている。新しい担当者のところへ出かければ、出版活動のことを説明することになるので、出版目録を見直していたら、『草枕変奏曲』にぶつかった。この本について話すことになるとグレン・グールドが愛読していたアラン・ターニーさんの英訳版草枕に触れることになる。ターニーさんは英訳版草枕に"The three cornered world"という書名を付けた。それは、漱石が『草枕』に書いている「四角な世界から常識と名のつく、一角を摩滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう」に拠っている。こんなことを思い出して『草枕変奏曲』を引っ張り出して拾い読みした。「やはりこの本面白い」とカバーの三角の絵を見ていたら、こんどは久しぶりに漱石の『草枕』を読みたくなった。というわけで、目下『草枕』を読書中である。(宮)
   
 
『帰省中?』  朝会社に行く途中、小さな子ども達3人を連れた夫婦が、家族みんなで水路を覗き込んでなにやら見ていた。「みて!みて!魚がいっぱいいるよ。川から流れてきちゃったのかな?」と女性。「雨が激しい時にでも水量が増えて川の方から流れてきちゃったんだろう」と女性の夫と思われる男性が言う。

そうなのだ。この水路は水量が安定しないで増えたり減ったりするので(どこかで川が氾濫しないよう、あちこちに張り巡らされている脇の水路を利用しながら水量を見張っている人がいるのだろう)、水鳥や魚が暮らせる環境ではないようで、魚が泳いでいるのを見ることはあまりないし、ザリガニやメダカを見ることもない。それがちょっと寂しいところなのだ。だからそれを知っているのなら、魚の登場は驚きなはずだ。彼らの横を通り過ぎる。さらに男性が何かを発見したようだ。「あっ!あんなところに24時間300円のコインパーキングが出来てる」と叫んだ。そうなのだ最近できたコインパーキングで、初めは400円だったが目立たないところにあり、利用が少なかったのか表示が大きくなりさらにこのあたりの最安値の300円になった。

彼らはなんとなく久しぶりに実家に帰省しているか、学生時代一人暮らし?もしくは結婚当初二人暮らしなど、過去に、この町で暮らしたことのある人にちがいなく、町の変化を発見しては驚いたり感心したり、面白がったりしている様子。子ども達より夫婦の方がテンション高めなのは過去を知っているからに違いない。さて彼らにとってこの場所はどんな場所なのだろう。変わっていないようでもこの町も数年の間に少しずつ変化している。

会社が南平へ引越してきた2015年から今年で9年目。駅前の電気屋はスーパーに変わり、一件だけあったファーストフード店は無くなり、喫茶店が出来たり、ケバブ屋さんが出来たり、かき氷屋さんが出来たけど、今は無くなり、飲み屋さんが無くなっては新しい飲み屋さんが出来たり、無人の餃子屋が出来たり、駅近くのコンビニが無くなったり、ガーデニングの店がなくなった代わりに跡地に焼き肉屋が出来たり、和食のファミリーレストランがなくなりコンビニが出来たり、駅向こうにあった銀座ウエストの工場は移転した。書きながら、10年弱でもこんなに変化があったのだなと思った。変化はいっぺんにはやってこない。それでいい。変化はゆっくりがいい。そして…引越してきてから5年目に本屋さんが出来た。それが私たちにとって一番うれしい変化といえるだろう。南平は一緒に本のこと考えられる人がいる場所になった。さてあの家族はいくつの町の変化に気づくことができるだろう?(やぎ)
   
2024年8月16日
『岸田首相』  岸田首相が自民党総裁選挙に立候補しないと言明した。最近はなんとか再選されるようにという強い願望を根底にもって、様々な政策を打ち出していた。再選されるためには党内の支持を得なければならないので、右派系議員集団に忖度した政策(防衛費、憲法改正など)も多かった。やると決めると、議会政治の基本である国会審議などあっさり無視して、さっさとうごきだす。また内閣支持率が低迷しているのをなんとか挽回しようと定額減税をやる。思いつくとすぐに動き出すのでやり方は合理性に欠け、事務方の負担が大きい。裏金問題の解決には派閥解消を言い出した。どの政策にも共通しているのは、国民の納得感を得られない美辞麗句で飾り立てた説明のやま。内閣支持率を上げ、自身の権力の維持継続を図っていることが見え見えだった。
 支持率が上がらず、総裁選挙で再選される見込みがなくて、党内で選挙の顔として否定する声が高くなり、それに負ける形で不出馬を表明したようだ。なにしろ根底の意図が自己本位で、かつやり方が中途半端なので政策の評価が低い。不出馬表明のなかで、裏金問題の責任を取るということを言っていたが、本気で裏金問題を解決し責任を負う意思があったのなら、党内にどんな反対の声があっても抜本的な改革をやり遂げて、満身創痍になって辞任すればよかった。任期途中で辞める破目になっても、議会政治家として後世の高い評価を期待できただろうに。所詮ないものねだりの話だが……。
(宮)
   
2024年8月9日
『アイルランド』  新刊読み物『魔法のルビーの指輪』がようやく出版にこぎつけた。少女がタイムスリップするのだが、連れて行かれた場所はアイルランドだ。当然アイルランドでの出来事が物語の主要部分なので、そのことが私にこの物語をいっそう面白いと感じさせた理由だと思う。
 アイルランドというと、長年イギリスとIRA(アイルランド共和国軍)との間の激しい武力衝突を思い出す。貧しいアイルランドの農民と横暴な貴族の存在があり、宗教も絡んだ独立闘争が繰り広げられていた。生活に行き詰まってアメリカへ移民する人々。
 アメリカ第35代大統領のケネディはアイルランド移民の子孫であり、カトリック信徒であったこと。
 『魔法のルビーの指輪』には、これらのことに繫がる出来事、政治家や貴族の行動が出てくるので、いつのまにか話に引き込まれてしまう。
 原作が書かれてから30年ほど経っているが、その100年前のアイルランドの館の暮らしは、電化製品のない時代なので、ひたすら人力で台所仕事等をしなければならない。今日の便利な生活と引きくらべながら、興味津々で読み進むのだ。
(宮)
   
 
『雨と雷』  最近は季節に関係なくゲリラ豪雨が降るようになった。夏になりその傾向はさらに増えたような気もしている。豪雨というのが本当にぴったりでまるで滝の裏側にいるような気分になることもあるし、夜中にもまたそのような状況になることもある。ねしなに遠くで雷の音が何度かしたあとでどこか地鳴りがして雷が落ちる音がしてごうごうと空気がかき乱される音がする。その音は怖いぐらいだ。暫くの間その音が続くが朝になると雨は上がっている。そんなことが続くとなんだか日本が日本でなくなったような気持ちになる。夕立が夕立だったころが懐かしい。もう元には戻れないのだろうか。戻るためになにか出来ることがあるならやりたいが遅すぎるだろうか?。(やぎ)
   
2024年8月2日
『鹿児島県警の再発防止策』  不祥事が相次いだ鹿児島県警が再発防止策として新たな仕組みを導入するという新聞記事朝日(8/3)。不祥事というが、警察官の不祥事を隠蔽しようとした本部長を内部告発した県警幹部が自殺している問題だ。県警を取材してその結果を記事にしたのだろうが、一連の経緯を知る者にとっては県警幹部の弁護記事でしかない。本部長の隠蔽指示が問題になっているのに、本部長のもとに改革推進委員会を設置する、外部の有識者、専門家から意見を聞くという。新聞記事は不祥事防止のための方策を伝えているが、これは戦前、戦時中の大本営発表をそのまま流す新聞と変わらない。暗澹たる気持ちを抑えられない。(宮)
   
 
『AI子』   ヤマトの集荷を頼む時、主に電話を活用する。ビジネスメンバーだからネットでも集荷依頼できるが旧式の人間にとっては電話のほうが気が楽でそうし続けている。ところが数年前から電話の集荷依頼もAIが対応するようになった。女性の声なので私はAIの彼女をエイアイ子と呼んでいる。エイアイ子は簡単な依頼には対応できるが、とにかくビジネスライクなので(もちろんそれでいいのだが)融通もきかず、聴き取りが下手である上に早とちりと来ている(私の滑舌が悪いせいもあるだろう)通常よく聴こえなかったら人間ならもう一度聞きなおしてくれたり確認しながら対応してくれるのが、聴きなおすつもりは毛頭ないようで、まだ話を続けているのに途中で電話を切ったりもする。その結果、この間8個の…とまだ続く言葉があったのに関わらず「分かりました」と電話を切られ、なんとドライバーには100個荷物があるというふうに伝言されてしまっていた。間違いそうな音の響きだ。言葉を遮った結果だと思うと機械であろうと腹立たしい。エイアイ子がきめ細やかな対応ができるようになったらそれはそれで能率は悪いかもしれない。機械だから仕方ないか…という諦めに馴れさせられるのが先なのかもしれない。郵便局の値上げも然り、値上がりしたあげく郵便を出す人が減ることを見越しているのではないかとうがった見方をするのは私の性格がひねまがっているからなのか、何か遠いところで何かを目論む人の影を感じる。いずれ全てがペーパーレス化になってしまうのだろうか。では電気が使えなくなったらいったいどうするのだろう?ペーパーレス化された世界には住みたくないが石や葉っぱや木の皮に書くのならそれはやってみたい気がする。(やぎ)
   
2024年7月26日
『バイデン大統領』  アメリカのバイデン大統領が大統領選挙からの撤退を表明してから、アメリカの政治状況はガラリと変わったように見える。政治家が適切な行動を取れば、政治状況がその動きに対応して変化していくようだ。老齢による能力劣化を心配する国民に対して、バイデンがギリギリのタイミングで大統領候補からの撤退を表明したということだ。その後迅速にハリス副大統領を中心に民主党は結束して共和党のトランプに対抗していく流れになった。民主党の有力政治家が早々とそうした動きを促進している。
 翻って日本の政治はどうか。要の立場にいる政治家が適切な行動を取らないために、政治状況は混迷の度を深めている。要の立場にいる政治家に期待できなければ、この状況を変えるためには有権者の投票行動がますます大事なのだが、色々の選挙の投票率に明らかな通り、有権者はなお眠っているようである。
(宮)
   
2024年7月19日
『自民党都会長』  萩生田代議士が自民党都連会長を辞任するというニュースが流れた。都議補選の不成績の責任を取るということだそうだ。私はずっと前から責任取るべしという意見だったが、それは裏金問題で、政治資金パーティの収入を不記載にして、多額の金額を自己都合で使用し、税金を払わなかったこと、つまり明らかな違法行為を冒したことに対する国会議員、政治家としての責任をとる方法として議員辞職すべしということであった。しかしながら裏金問題については、検察は不起訴にするし、自民党の処分でも、事実上不問扱いされてしまった。ところが、このたびの都議補選に関しては萩生田代議士は責任を取って都連会長を辞職するという。多額の金額と脱税にかかわる自身の法律違反行為よりも、選挙結果の不成績の方を重視しているわけだ。およそ普通の人々の倫理観から外れた、トンチンカンな行動である。一人ひとりの政治家の責任意識、倫理観の現れ方を見ていると、政治の世界の混迷ぶりがこの辺に胚胎していると思うのだ。(宮)
   
 
『消えた電卓』  先日、担当した本の契約書や覚書を作っていた時のこと。過去に自分や他の担当者が作った契約書類はすべてファイルに一緒に挟まれてキャビネットの中にある。ファイルを取り出し、他の契約書を参考にしながら、仕事を始める前にお話しした内容を盛り込み、作業中に変更になった点も加えながら実際の作業内容にあわせて詳細を調整してゆく。最後は経費計算としてお支払い内容を電卓を叩き最終金額を確認。社長に見せOKが出たので、後は本人たちに確認してもらい完成となる。ここまでくれば、ひと段落…と契約書のファイルをしまった。しばらく気づかなかったが、夕方頃再び電卓を使う場面があり、さっきまで使っていた電卓がみあたらないことに気づいた。きっと無意識に引き出しにしまったのかも?と引き出しを見るが、ない。では整理の悪い私の机の上で書類の間に挟まっているのかも?だがそこにも、ない。それなりに大きな電卓で、どこかに埋もれても今まで必ずに出て来たのに…。ところが今回はなんと数日たってもどこからも出てこないのだった。神隠しかと思い始めたころ、まさかな?と思いながらおもむろにキャビネットにしまった契約書のファイルを取り出した。すると、なんと恐ろしいことに、大きな電卓がそこにしっかり挟まっていたのだった。まさかこんな大きなものを挟んだままで気づかないとは…自分のやったことながらホトホトあきれてしまった。なんとも間抜けな結末。神隠しでなくてよかったけれど。(やぎ)
   
2024年7月5日
『2人の政治家』  取上げるのはバイデン大統領と岸田首相のことだ。二人とも国政のトップに立っていて、引き続き権力の座に居続けようとしている。しかしバイデンはトランプ前大統領との討論会で、言葉に詰まったり、意味不明のことを言ったりして、討論会後、大統領候補としての適格性を疑問視され、ニューヨーク・タイムズは社説で大統領候補から撤退すべきだと主張した。だが、今のところ本人は撤退する意思は全くなさそうだ。他方岸田首相は、衆議院解散の時期を虎視眈々と窺ってきたが、機会をつかめぬまま9月の自民党総裁選挙に行き着きそうだ。
 本人たちが権力を目指すのは自由だが、アメリカではバイデンの高齢化による能力の劣化による候補辞退を望む声が挙がっている。しかし本人に撤退の意思がない限り、候補者交代は、難しそうだ。岸田首相は、最近でも定額減税や、家計支援特別給付金など次々に新しい政策を打ち出すが、思いつきで始めたことなので実行するために要する事務作業の大きさが批判されている。そして、なにより政策の意図が岸田内閣の人気浮揚にあることはすっかり見透かされている。
 バイデンは2期目の任期を務めることを諦める気持ちはないようだし、岸田はどんなことをしてでも首相の座に居続けたいと思っているとしか見えない。困った政治家トップを抱えたアメリカと日本はどうなるのか。
 2人の権力者の政権与党は、この権力者にたいしてどう対応すべきかについて、国のために何をなすべきかという立場に立っての行動ではなく、各人の将来の地位や可能性、党派的利害を判断の優先事項と考えていて、あれこれわかりにくい言動が溢れ、結果として問題が先送りされている。
(宮)
   
2024年6月28日
『バスガール』  前田和男著『昭和街場のはやち歌』という本でコロンビア・ローズが歌った「東京のバスガール」が取り上げられている。歌詞に出てくるようなのどかな雰囲気の職場、仕事ではなくて、乗車賃を横領していないかを確認するために裸にして入浴させたというようなすさまじい話が出てくる。しかし、私の記憶にあるのは歌詞が描いているような、運転手と車掌(バスガール)の連携プレーで安全に走行しているバスの乗車経験だ。やがてバスのワンマン運行が始まったが、当時は、運転手になんという過酷な労働を強いるのかと思ったものだ。ワンマン化の理由はなんといっても人件費の節減だろう。今は技術の急速な進歩によりいろいろな処理が自動化され、運転手もワンマン運行に習熟して、バスのワンマン運行は全く当たり前の形態になっているように見える。
 バスのワンマン運行は可能になったかもしれないが、電車のワンマン走行はやめたほうがいいと思う。だが技術の進歩は、これをも可能にするのだろうか。人口減少が進む中、いたるところで、人との接触を少なくするような商売の形態が進行している。私には違和感がいよいよ大きくなってきた。
(宮)
2024年6月21日
『都知事選とポスター掲示場』  56人の候補者が出ているが、「NHKから国民を守る党」の関係者が24人出ているという。新聞の候補者一覧表で「N国党」と表示されているのは19人だが、一つの組織から複数の候補者が出てくること自体おかしい。政治を真面目に考えていないことははっきりしている。そして報道によればポスター掲示板の枠を販売して利益を挙げようとしている。ポスター掲示板は、立候補者を理解してもらう手段の一つとして設置されたものだということを無視して金儲けのために使っていいわけがない。このような掲示板の使い方を法律は違法とは規定していないといわれるが、法律に禁止すると書いてなければ、掲示板の枠を売買していいということではない。選挙という政治システムの一部として使われているポスター掲示板には、候補者に関わる情報を掲示するという目的があるのだから、N国党の行為は厳しく批判されるべきだ。24人の立候補者と、ポスター掲示枠を買った人たちも掲示板の目的を履き違えているのだから、同様に厳しく批判されるべきだ。真面目とか道徳心とか言うと、「堅苦しさ」を批判する声がすぐに挙がるかもしれないが、それらなくして社会は成り立たない。(宮)
   
2024年6月7日
『蟻』  今頃になると自宅からバス停までの歩道には大小の蟻が歩いている。なるべく踏み潰さないように足元に気をつけて歩く。植物がたくさん植えられているので、たくさんの蟻が生活しているのだろう。3分ほど歩いてバス停に着いて、何気なく足元を見たら、小さな蟻が自分の身体より大きな獲物を運ぼうと悪戦苦闘している。せんべいの欠片か、あるいは小さな生き物の薄べったい体の一部か、判別できないのだがとにかく蟻が取り付いている。体より大きいのでほとんど動かせないのだが、時々吹いてくる風の力をかりて少しづつ動く。バス停だから足元はコンクリートなのに、けっこう離れた土の部分にまで運ぶつもりなのだろう。しばらく見ていたが、バスに乗り込むまでのあいだにはコンクリートの上から離れられなかった。(宮)
   
2024年5月31日
『時間感覚の不思議』  関東大震災は私が生まれた時から20年前の出来事だが、10年前には、ドイツではヒトラーが首相に就任し、アメリカではフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任している。誕生後物心がついた私にとっては、どちらも歴史上の出来事でしかない。出来事の内容や意味については、いろいろな歴史書を読んで少しずつ理解できるようになった。
現在20歳の人にとって誕生から20年前は1984年、10年前は1994年だから、たとえば1995年のオウム真理教事件など、歴史上の出来事でしかないのではないか。彼らにとって広島、長崎への原爆投下は59年前になり、私にとって59年前は日清戦争の時である。時間の経過とその中で形成される歴史の感覚について考えせせられる。歴史の経験を伝承することの困難さを感じる。
(宮)
   
2024年5月24日
『交番のお巡りさん』  百草団地交番は、細長い百草団地の中央部に位置している。近くには郵便局とバス停とURの事務所と商店街がある。商店街は多くの店がシャッターで閉められているが、なお頑張って営業している店もある。建設当時の団地は活気があったのだろうが、建物の老朽化と住民の高齢化が進み、空家も増えて、今は静かな佇まいの団地である。
 バスを利用しているといやでも交番が目に入ってくる。ところが、これまで交番に警察官がいるところを見たことがないのだ。交番のお世話になるような出来事に出会ったことはないので、交番に入ったことがない。どんな人が勤務しているのかという関心から、バスのなかから見るのだが、姿を見たことがないのである。ふしぎな気持ちで毎日バスの中から交番を見ている。バスの利用時以外にも近くを歩いて通ることがあるが、人の姿をみたことはない。人の姿を見ないのは単なる偶然と思うべきなのだろうが、あるいは百草団地はよほど平和なところなのだろうか。
(宮)
   
2024年5月17日
『責任をとる』  谷川弥一前衆議院議員は4,335万円の裏金を不記載としていたことを追及されて議員辞職した。他にも数千万円を不記載としていた議員は何人もいる。しかし、事前に知っていたか知らなかったかに関わりなく、裏金の不記載は明白な法律違反行為であることに変わりはない。にもかかわらず、検察は起訴不起訴の基準を3000万円としているといわれ、また自民党の処分の基準は不記載金額を500万円以上にしている。
 
 不記載3000万円以上の議員は早々と議員辞職し、あるいは離党した。しかし、千万円単位の不記載をしながら起訴を免れ、自民党の処分を免れた議員も多数存在する。中には役職停止の処分を受けながら都連会長を続けている萩生田光一議員のような人もいる。私が不思議に思うのは、たとえ数百万円であれ明白な法律違反を犯したことが明らかになった現在になっても、その責任をとってきっぱり議員辞職する議員が出てこないことである。この倫理観の欠如が恐ろしい。つぎに選挙があれば、そのような議員には投票しないことが、有権者には求められる。
(宮)
   
2024年5月10日
『学校図書館』  未来の読者を育てる活動をしている「未来読書研究所」の湯浅創さんが『新文化』3510号(2024年4月25日)の1面トップ記事を書いているが、次の部分にいたく共感した。
 「学校図書館は蔵書の更新を適切に行い、生徒それぞれが興味を持つ事柄について、詳細で新しい情報が便利に手に入る場所を目指すべきだろう。そうすれば「本はいいもの」と教えられなくても、子どもたちは本を借りて読書をするはずだ。」

 この文章が主張しているような学校図書館を整備するために、いったいどれほどの費用が必要であろうか?甚だ残念ながら、日本政府は教育に予算を使うことに価値を認めていないようだから、実現しない夢でしかないが。

蔵書の更新が子どもの読書欲をどこまで刺激するかわからないが、学校図書館の蔵書が学習の便利な存在だという認識を子どもが持つようになれば、利用者が増えるのではないだろうか。まずは学校図書館を生きた組織にすることを実現してほしいと思う。
(宮)
   
2024年5月2日
『再び裏金問題』  裏金問題とは何なのか、一向に明らかにされないままだ。政治資金規正法改正が俎上に上がってきたが、自民党の上っ面のやってるふりでしかない。現在繰り広げられている国会での議論、与野党議員の議員の活動も何を目指して行われているのかわからない。議会政治がこれほどの深刻な事態に直面していても「国対政治」的対応が働いているらしい。
 小選挙区制になって以来、自民党派閥の役割がガラリと変わり、結果として政治システムがすっかり変わってしまった。裏金問題は新たに形成された政治システムを体現しているが、その腐敗、違法な行動がこの度、裏金問題として表面化することになったわけであるが、平野貞夫さんは、衆議院事務局員と参議院議員として、永年国会議員の行動を見てきた経験から、裏金問題はなによりも議会政治のあり方を問うているのだと主張された。また、青木理さんは、裏金問題というのは、この国の政治はどうあるべきかということを考えるいい機会だし、ひょっとすると最後の機会かもしれないと言う。
 
 ふたりとも政治倫理審査会や政治資金規正法がどうしたこうしたという問題にひっぱられないで、議会政治のあり方を問い直す議論が必要だと言っているのである。そしてこの立場から見ると現在の状況は、対症療法的反応の域を出ない、極めて深刻な状態だと悲観的に観察している。二人の意見に共感すると、これから政治がどのように動いていくのか、まったく目が離せない。
(宮)
   
2024年4月26日
『浅川のゴミ』  浅川土手の遊歩道は、私には通勤道路だが、多くの人にとっては散歩道であり、サイクリング道路でもある。自動車が入ってこない安全な道路だが、ゴミ捨て場として使っている人もいる。
 この浅川遊歩道を国土交通省のパトロールが定期的に見回っている。先日再び呼び止めて話を聞いた。法面に捨てられたゴミを発見すると記録して翌月にはゴミを収集するのだそうだが、ゴミと言っても、最近はパソコンや家具などの大型のゴミが増えている。遊歩道に並行している道路に自動車で運んできて、土手の法面に捨てているのだ。捨てておくと1ヶ月ほどのあいだに収集処分してくれるとわかっていて捨てに来るのだから始末が悪い。パトロールの人は、意識的に悪質なゴミ捨てをする人が増えていると言っていた。「収集しますが、税金を使ってするのですからねえ」と。
 ゴミ収集といえば、袋とゴミばさみをもって、捨てられている缶、弁当くず、吸い殻などを拾い集めながら歩いている奇特な人もいる。先日の土曜日には、日野市の行事として大勢の人たちがごみ収集をしながら歩いていた。
(宮)
   
2024年4月19日
『春とゴキブリ』  暖冬といっても冬のあいだ、姿を消していたゴキブリが、4月になってから姿を見せはじめた。動作が鈍くてまだ気温が低いせいだろうと思って見ていたが、数日前に出てきたゴキブリは、がらりと変わってすばやい動作と立派な体の持ち主だ。今年は桜の開花、満開が例年になく遅かったが、いまや昼間の気温が夏日になるとかならないとかいわれる時期になった。浅川の遊歩道もすっかり春めいて緑が日に日に成長している。めちゃくちゃに剪定されてしまったケヤキも新しい芽を出し始めた。すっかりみすぼらしい姿にされてしまたケヤキも夏になれば見違えるほどの生命力を示してくれるに違いない。そして家の中では春になるとゴキブリの登場で、春になったと実感し、今年も季節の変化が進んでいると納得する。古い集合住宅でゴキブリを徹底的に排除することは考えていない。同じ住居で共存しているつもりだ。とはいえ、我が物顔で歩き回られるのもいやなので、ときに叩くことがあるが、するとこちらの意思を感知したかのごとく、じっと伺うような動作をする。こちらのほうがドキドキする。(宮)
   
2024年4月12日
『ピストン堀口』  事務所の近くにいる子どもが遊んでいるのを見たら、自分の子どもの頃のことを思い出すことになった。遠い昔のことだが、母の実家に遊びに行ったときに、年の離れた従兄弟が田園コロシアムに、当時よく知られていたピストン堀口の拳闘の試合を見に連れて行ってくれたことを思い出した。夜のイベントで、ボクサーが登場してくる姿や、試合の様子をいまでも覚えている。
 ウィキペディアで調べたら田園コロシアムは、1936年に田園読売スタンドと言う名前で開設され、テニス、コンサート、プロレス、ボクシングの興行に使われていたが、1989年に閉鎖された。同じくピストン堀口を調べたら1933年にボクサーとしてデビューし、現役引退後半年経った1950年10月に列車に撥ねられて死去している。そうすると私が田園コロシアムにピストン堀口を見に行ったのは4~6歳のころで、昭和でいえば22~24年頃だったのだろう。亡くなる寸前のピストン堀口の姿を見ていたわけだ。この観戦以来、私には田園コロシアムがとても身近な場所になった。後年いろいろなイベントが行われたり、東横線で通るたびに懐かしく思い出した。ウィキペディアによると、ピストン堀口の孫が、茅ヶ崎市にある「ピストン堀口道場」を、引き継いで運営しているそうだ。
(宮)
   
2024年4月5日
『錠剤が食品』  紅麹のサプリメントを服用して死者まで出た。ニュースではじめて知ったのだが、機能性表示食品というものだそうだ。サプリメントにはほかに特定保健用食品というのもあるらしい。どちらも食品と呼ばれているが、食品ではないだろう。半世紀以上前からあまり変わらない原始的食生活をしている者からみると、あれは食品ではなくて錠剤と呼ぶほかないものだ。もちろん病気治療のために、薬品(錠剤)を服用することはあるだろう。しかし、健康な身体を持っている人が、なにがしかの効果(例えば、運動しなくても痩せられる)を持つ錠剤を日常的に服用するということ、そういう心理がごく普通(?)のことになっているらしいのに、驚く。そのようなものが日常の食生活の一部になっていることに違和感を覚える。いまどきこんなことを言う現代人はごくごく少数なのだろうけれど、わたしの実感である。(宮)
   
 
『ゴミの取集車の若者』   燃えるごみの収集日の午後に会社の近くの道を歩いていたら、歩く先にゴミの収集車があった。毎度ながら感心するが、収集人たちによってゴミは要領よく集められてゆく。だがその日は、なんだか勢いがあって集める人たちの様子がとても楽しそうに見えた。みると若者の二人組が軽やかに車を動かしながらリズミカルに右、左というようにゴミを集め収集車に放り込みながら進んでいく。それはそれは見事なものだった。まるでミュージカルでもみてるかのように軽やかだ。仕事をイヤイヤやっているのを見るのはいやなものだが、こんな風に楽しそうにやられたら、それを見た人は、あんな仕事もいいなと思う人も出てくるに違いない。いつもご苦労様。そしてありがとうと心の中でつぶやきながら後ろ姿を見送った。(やぎ)
   
2024年3月29日
『裏金問題』  政治家の劣化が言われて久しいが、ジャーナリズムの劣化も負けていない。現在自民党の裏金問題が大きな政治問題担っているが、新聞もテレビも問題を的確に把握して読者に伝えているとは到底思われない。そういう状況の中で、田中均さんの解説にはいたく感心したので、概要を紹介したい。
 裏金問題について、責任の所在を4つ挙げている。①裏金を受け取った人の責任、②安倍派幹部の責任、③裏金を始めた人の責任、④自民党総裁の責任。つぎに、なぜこんなことになったのかについては、①自民党が競争をやめてしまった、切磋琢磨するのでなく仲良しクラブになった。②80歳を超えたボスがなお実権を持ち長老支配している。一刻も早く辞めるべきだ。二世、三世がはびこっている。③与野党の関係が不活性化している。これは有権者の投票行動問題でもある。
 
 田中均さんは裏金問題がどういう性質の政治問題なのか整理して指摘し解説している。4つの責任の所在はとくに重要で、まずこれを押さえていることが必要だ。自民党内の動きに随順するのでなく、田中さんが行ったような整理を、新聞やテレビがきちっと把握して、その視角から自民党内の動きを分析していけば、時々刻々の動きに流されるのでなく、動きの意味がよくわかる報道になると思うが、そんな記事、解説にお目にかかることはほとんどない。4つの責任が押さえられていないのだ。
(宮)
   
2024年3月22日
『戦闘機の輸出』  日本、イギリス、イタリア3国が戦闘機の共同開発をする。そしてコスト削減のために輸出をしようとしている。日本は、他の強国と同様に武器輸出もできる普通の国になろうと、憲法を中心に守ってきた戦後の平和主義路線を捨て去りつつある。平和主義路線と最小限の自衛のための武力の保持とは長年拮抗矛盾したまま、自民党政権下の日本はなし崩し的に自衛権拡充の方向に舵を切ってきた。
 戦闘機の輸出ということは、普通の国になるための総仕上げの感がある政策変更だ。さて公明党である。このたび、条件付きで戦闘機輸出を認めることを了承した。これまで安保法制など重大な政策変更に際して公明党が採ってきた態度と全く同じである。何があっても結局公明党は権力から離れようとしないのだ。権力の恐ろしさよ。
(宮)
   
2024年3月15日
『飲食店街』  高幡不動駅から南平の事務所まで毎日歩いているが、駅を出てすぐの道沿いには多数の飲食店が並んでいる。飲食店は経営の遷り変わりがはげしい。同じ中華料理店でもいつの間にか看板が付け替えられ、主力料理が変わっている。道路の角の店は元は新聞配達所だったが、そのあとだいぶ時間が経ってから高級パンの販売店になり、今はおでんと唐揚げの店になっている。開店して暫くの間は大勢のお客の姿が見えた。
 いろいろな店があるが、夕方から夜にかけて通ると、焼肉店が一番繁盛しているように見える。あまりお客の姿が見えない店があると、営業を続けることができるのだろうかと、ひとごとながら気になる。このあたりは小さいとはいえ、飲食店街なので、店が変わってもやはり飲食店になるが、ちょっと離れた住宅街の一角にあった居酒屋は、閉店後しばらくして、学習塾になってしまった。飲食業の経営は難しい
(宮)
   
2024年3月8日
『けやき』  浅川の遊歩道の途中にある小公園に見事な7本のけやきがあった、数年前に3本が根本から切り倒され、残りの4本は太い枝数本だけを残して徹底的に剪定された。これで再び新芽が出てくるのだろうかと疑問におもうほど丸坊主にされた。それが春になると新芽が出てき、柔らかい細い枝が出てき、まだ生きているのだと実感させてくれた。それから数年経ってすこしは木らしい姿になってきたと思っていたが、数日前、再び4本の木に剪定の鋏が入れられて、また丸坊主にされてしまった。いったいここまで剪定する必要があるのだろうか。小公園といっても朝川沿いの広い場所で、住宅に影を作るとというような心配も全くない環境なのに切られてしまった。
 
遠い昔読んだ森有正の一文を思い出す。(昔の記憶で書くので、曖昧な点はご容赦ください。)パリの街なかで、ある日、見慣れている立派な街路樹だったか、公園の木だったかが伐採されてしまったのを発見した。非常に落胆して、伐採をした当局を厳しく批判していた。ところがしばらくして、伐採の跡地に若い苗木が植えられ、年ごとに成長していく姿を見ることになり、若い木が成長していく姿を見るのも嬉しい経験だと思うようになった。そして当局の方針にそれなりに納得したという。
 
浅川沿いのけやきだけでなく、住まっている団地の植物についても、年に数回剪定作業が行われているが、その大胆な剪定によって作り出されている姿は妙にひねこびている印象が残る。もうすこしのびのびした姿に出来ないものなのだろうか。あるいはパリのように別のやり方もあるのではないかと思うのだ。
(宮)
   
2024年3月1日
『議員の責任 続』  朝日新聞夕刊の「取材考記」に政治部の村岡航平記者が「裏金作り 安倍派議員説明責任の自覚は」というタイトルで、書いていた。珍しく政治家の責任問題を正面から捉えている。曰く「裏金疑惑の発覚で瓦解に歩み始めた途端、雰囲気は一変。嫌疑をかけられる立場になった5人は、存在感を消すことに必死になった。」曰く、派閥の記者会見を前に「幹部間で会見の出席者をめぐって責任をなすりつけ合う様子が漏れ伝わってきた。」また曰く、「身内と駆け引きするばかり。政倫審の公開をめぐっても潔さがなかった。」また曰く、「裏金を作った全ての議員に重い政治責任が課せられている。……今のところその責任の重さを自覚しているように見える議員はいない。」
 村岡記者は1年半安倍派取材をしてきて、政治家の責任感を問題視する視点を持ち続けていたらしい。裏金問題について朝日では大量の記事が書かれているが、派閥内の状況報告が大半で、こういう記者の姿勢が感じ取れる記事は極めて乏しいのだ。
(宮)
   
2024年2月22日
『子どもの成長』  毎朝だいたい同じ時刻のバスに乗る。各停留所で乗ってくる常連の乗客がいる。口をきくわけではないが、たぶんお互いにその存在を認識しているはずだ。
 バスを待っているときと乗ってからの短い時間に洋書を読んでいる中年の女性、ショッピングカートを引きずってやっとのこと乗車してくる足の不自由な老婦人、保育所に行くらしい幼児を抱きかかえた女性など。ある日、これまで抱きかかえられていた幼児が、母親に手を引かれて自分の足で乗車してきた。下車するときも以前は横抱きにかかえられていたのに、自分の足で歩いて降りていった。歳を重ねても大人は変化が判らないが、子どもは着実に成長して自力で行動できるようになっていく。毎日の通勤風景のなかでちょっと感動的な変化=眺めであった。
(宮)
   
 
『なにかがへん?』   昨日、買い物に行った時のこと。買い物カゴをもってパンを見ているおじいさんがいた。おや?でも…なにか変だなと思い、しげしげとおじいさんをながめる。ちょっとひょうきんそうな風貌ではあるが、変というほどでもない。では何が変なのかなと彼の後ろを通った時にあることに気づいた!なんとおじいさんは肩にかけるはずのショルダーバックの紐?ベルト?を頭の前にひっかけて後ろにぶら下げていたのだった。それも当然のように。重くないのかな?首も大丈夫なのか?と心の中で自分に問いかける私。もちろん自分に問いかけたところで答えは返ってこないのだけれど。そんな恰好で嬉しそうに商品を選んでいるおじいさん。誰の迷惑にもならないけれど、いろんな人がいるなぁとちょっと笑ってしまった。(やぎ)
   
2024年2月16日
『政治家の責任』  相変わらず自民党の裏金問題が新聞テレビで取り上げられている。問題の大きさを考えれば当然のことだろうが、政治家が責任を取るという話は出てこない。あきらかに法律違反の行為をしたのだから政治家としての責任が問題になるはずだ。
 「派閥からの指示でキックバックされたカネを記載しなかったが、これは現在裏金問題が追及されることになって、自分も改めて違法行為をしたと認識した。追及されて初めて認識したとは、立法府の議員として誠に恥ずかしい限りである。自分は政治家としての責任を痛感したので、この際、責任を取って議員辞職をいたします。」こう言明して、きっぱり辞職する国会議員が一人ぐらい出てきてもいいのではないかと思うが、出てこない。自民党議員は、誰も納得できないような言い訳を異口同音に繰り返して、議員の地位にしがみついている。
(宮)
   
2024年2月9日
『土手でゴミ捨て』  毎日浅川の土手を歩いている。今年になってから土手の斜面にゴミが捨ててある。それがなんとパソコンだ。すこし離れたところに段ボール箱に入った、やはりパソコンらしきものが捨ててある。土手の遊歩道にわざわざ持ってきて斜面に捨てているのだ。以前もテーブルなどの家具が捨てられていたのをみた。土手で飲食してその残骸を放置してあるのもよく見る。大雨が降ると大量のゴミが川の両岸に打ち上げられるが、日頃捨てられているさまざまなゴミが姿を見せるわけだ。
 捨てられたパソコンをみたとき、たまたま国土交通省の河川パトロールがオートバイに乗って走っていたので、話しかけたところ「あのパソコンは近いうちに回収します」ということだった。ゴミを発見すると記録して回収する流れができているようだ。
(宮)
   
2024年2月2日
『建築50年』  「人生50年」は死語かもしれないが、「建築50年」は今まさにいたるところで効力を発揮している。立派な高層建築が築50年を理由に取り壊されている。渋谷の東急文化会館は1956年開業、2003年閉館、東急プラザは1965年開業、20015年閉館。どちらのビルについても竣工から閉館、改築までをそっくり見てきたが、この改築はいくらなんでも早すぎないか。街の顔として慣れ親しんできた建物、頑丈な鉄筋コンクリート造のビルが、50年経つか経たないうちに消えていく。あっさり改築されて異様な超高層ビルに変貌して、いまでは渋谷に行くと別世界に置き去りにされたような違和感が残る。
 新築、改築といえば、小学校卒業の年に、木造2階建ての新校舎が建築された、真新しい木造の柔らかい感じがとても気に入ったのだが、卒業間近の私は一度も中に入ることもなくおわってしまった。いまでも残念な思い出だ。
(宮)
   
2024年1月26日
『議員の責任』  自民党派閥のパーティー券売上金のキックバック問題(裏金問題)については、政治と金の問題として連日事細かに報道されている。岸田首相ら自民党指導部は、派閥問題として岸田首相の先導で派閥解散によって一件落着を目指しているようだ。検察は政治資金の不記載に着目して大規模な捜査をしたが、会計担当者を立件する以上のことができないでいる。裏金金額の大きい3人の議員のみが立件されるようだ。検察の方針が明らかになった時点で、安倍派の幹部の一部が記者会見を開いて釈明したが、会計担当者と派閥会長の問題で自分たちは直接かかわっていなかったので、問題を認識できなかったのだと述べている。しかし派閥による巨額のキックバックが存在したのは事実だし、キックバックされた金、最大数千万円の大金を派閥の所属議員が手にしていたことも事実である。これが政治資金なら資金管理団体できちっと記録していなければならないし、政治資金でないのなら個人の収入なので、税金の支払いが必要だ。こういう具体的な事実の経緯についてどの議員もほとんど説明していない。
 どんな事情であれ、数千万円に上る裏金に議員事務所が関わっていれば、それだけで明確な法令違反の行為なのだから、政治家としての道義的責任が発生するはずだ。しかし立件されなかったことはすなわち政治家としての責任は発生していないかのような対応しか見えてこない。会計責任者に責任を押し付けるのでなく政治家としての責任を取るという行動がないのが不思議でしかたなかった。
 自民党のなかからそういう議論が出てくるべきだと感じていたが、初めてその種の議論に出会った。現在88歳で自民党東京都連最高顧問の深谷隆司が自民党派閥の裏金事件について、政治資金収支報告書に記載しなければならないという法律違反の行為で、裏金を手中に収めた政治家に天下国家を論じる資格はない。裏金議員は全員国会から追放すべしと主張した。立件するか否かという法律運用の観点からではなく、どういう経緯で裏金になったかに関わりなく、法律違反の行為を行ったのだから、その責任を取るべきだということを主張している(Webオフィシャルサイト「深谷隆司の言いたい放題」、『週間ポスト』2月2日号)。政治家の行為の問題としては、根本はここにあるので、責任を取ってこの際は議員辞職するという政治家が出てくると思いきや出てこない。自ら責任を取らないのならば、追放するほかないということだろう。現役の政治家ではないけれども、自民党のなかから真っ当な主張が出て来たことはよかった。
 不記載責任を問われているので修正記載することで問題を終わりにしようという政治家、そのやり方を誘導している検察のどちらも間違っている。政治家の責任を正面から見据えていない。
(宮)
   
2024年1月19日
『弾道ミサイル避難訓練』  1月15日、中野区で弾道ミサイルが発射された際の避難訓練が行われた。Jアラートが発令されて、ミサイルを避けるための訓練だという。新聞記事では自衛隊、警察、消防、市民が参加したそうだ。以前、Jアラート発令後に小学生に頭を抱えて机の下に身を隠すというニュースを見たことを思い出す。今回は、小学生でなく市民を巻き込んでの演習だ。どこの国が日本に向けてミサイルを発射すると考えているのか。日本政府は、北朝鮮や台湾に状況から危機意識を煽っている。しかし、煽動に乗せられてはいけない。
 第2次大戦中の新聞には、防空演習でバケツリレーをさせられている記事があった。B29の焼夷弾爆撃にバケツの水で対抗するナンセンスを、いままた繰り返すのだろうか。現代の戦争で使われている兵器は威力と命中精度で、大戦中の武器の比ではない。無駄な演習に駆り出されるのは私は御免だ。日本に向かってミサイルが発射されることにならないよう、地道な外交努力をすることこそが必要だと思う。
 しかし、世の中は随分ときな臭くなってきていて、本気で演習に参加する人が増えるのだろうか。私のような意見が批判される時代が間近に来ている感じがして恐ろしい。90年ほどまえに、信濃毎日新聞に「関東防空演習を嗤う」を書いた桐生悠々は、この記事のために、退職させられた。言論の自由がなくなっていった。
(宮)
   
2024年1月12日
『震災の一断面』  新年は元日の能登地震から始まった。地震の規模や実態はなかなか伝わってこなかったが、このところ驚くような事実がわかってきた。元日には津波は一番高いところでも1.2メートルで、他のところでは80センチ、30センチなどと報じられていたが、実際には場所によっては3メートルの津波に襲われたらしい。地盤が4メートルも隆起して、漁業が出来なったところもある。能登地震の激しさに改めて驚かされる。
 10日余も経つと避難の細部の実態が報道されてきて、避難所生活の厳しさを実感する。私が阪神淡路大震災の経験からもっとも気になったのはトイレのことだ。生きるためには水と食べ物がまず必要だが、同じようにトイレがどうなっているのかが、気がかりだ。現に水分摂取を控えたりトイレの使用自体を控える人のことが報じられている。私の経験は病院の廊下での数日間だったが、トイレは水が使えなかったので、排泄物が便器に盛り上がっているような状態であった。これまでもトイレ問題は幾度も課題として取り上げられてきたが、実態としてはあまり改善はされていないようだ。個人用トイレではなくて、他者の目を気にしないで使用できるしっかりした作りのものを用意する必要があると思う。災害対策の重点整備の項目として、トイレ問題をぜひ解決してほしい。
(宮)