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「王様の耳はロバの耳」(2019)
 
2019年3月22日
『剪定』  出勤途上の浅川土手で、欅の剪定作業をしているので驚いた。土手沿いの広々とした場所で樹木の成長が住民の迷惑になるような状況ではないのに、電動ノコギリで大小の枝をばさばさ切り落としている。何ということをするのかとおもいつつ通り過ぎた。翌日の出勤時に結果を確認することができた。そこにはかなりお大きな欅が7本植えられているが、両端の2本を中間の2本の4本を剪定していた。残り3本は手が付けられていない。1本おきに処理したのだ。よくわからないやり方だ。私には不要な剪定作業としか思えない。
 私の住む百草団地も年に何度か植木の剪定が行われているが、過剰剪定で植木がひねこびていると感じている。私はのびのびした植木の姿が好きなのだが……。それで高校の修学旅行で四国へ行ったときのことを思い出す。当時私は日本庭園にすごく興味があって、天下の名園とされていた栗林公園を見ることを楽しみにしていた。足を一歩踏み入れて眼の前の松林をみて実にがっかりしたことを覚えている。それは極度の剪定作業でひねこびひねこびた松林だった。
 反対に忘れられない素晴らしい景色は、彌彦神社の参道の杉並木だ。胴回りの大きな無数の杉の木がすーっと天を指して伸びていた。
(宮)
2019年3月15日
『ビッグ・ウェンズデー』  新聞にジャン・マイケル・ビンセントが亡くなったと報じられた。ジャン・マイケル・ビンセントといえばビッグ・ウェンズデーを思い出す。この映画で売れっ子になっていろいろな作品に出ているが、私にはビッグ・ウェンズデーの印象が強く残っている。背景にベトナム戦争があるので、ディア・ハンターとともに忘れ難い作品だ。どちらも1978年に公開されている。最近は映画を見ることが稀になってしまったが、1970年代にはぽつぽつ見ていたことを思い出す。
 ジャン・マイケル・ビンセントの訃報で感慨に耽っていたら、ロザムンド・ピルチャーが亡くなったというニュースが入ってきた。新聞には出ていなかったので、一部の極めて熱心なファンがいるけれど、日本では読者の数が限られていて、新聞には取り上げられなかったのかと思った。しかし、もっと多くの読者に知ってほしい読んでほしいという気持ちに少しの揺らぎもないので、今後もピルチャー作品を出したいと考えている。
(宮)

『面会が解禁になって』  去年の11月だか12月頃からインフルエンザが日本中大流行となり、父の入っている施設も院内感染予防のためか面会が禁止になってしまった。母はお見舞いに行くのをルーティンのようにしていたのでくよくよするかなと思ったら当てがはずれ、それなりに楽しく近所の友人らと過ごしていたようだ。一人暮らしの母を心配し、ちょうどいい距離間でつきあってくれているらしい。
 しかし待てど暮せど、3月が来ても、なかなか面会が解禁にならない。母が施設に電話したところによると元気に落ち着いて過ごしているとのこと。心配なのは父はアルツハイマー型認知症で、ついさっきやったことなどを忘れてしまうから会わないうちに私たちを忘れてしまうかもしれないということ。去年も面会禁止だった時期はあったがそれほど長くなかった。しかし今年は3月11日になってようやく解禁になった。3ヶ月くらいだろうか?先日早速訪問した母のことは忘れていなかったようだが、子どもたちとなるとどうだろうか?名前は出なくとも「あ、娘」位には思うのだろうか。久々の再会までまだ日があるのに今から緊張してしまう。覚えていてくれたらいいなあ。母と時々話すのは、父は神経質で細かいことが気になるたちなので、父はこの病気になって幸せかもしれないということ。まあこだわる部分は以前のままのところもあるけれど、病気のおかげで以前のような生きづらさみたいなものは解消しているように見える。そう思うと病気や老化も悪くない。本人はどう思っているかわからないけれど。
(やぎ)
2019年3月8日
『オーヴァーホール』  朝日新聞グローブの連載記事ロッシェル・カップの「見出しを読み解く」を愛読している。3月3日は「選挙報道は徹底的な見直しが必要。そしてこれが一つの過激な提案だ」というタイトルで、ワシントン・ポストの記事を取り上げている。その記事は、2016年の大統領選挙のときマスコミは世論調査にとらわれて結果予測を大きく誤ったことを指摘し、その原因は「公平さ」の名のもとに些細な欠点や間違いばかりに焦点を当て、人格的問題をえぐることに失敗したことだと批判し、競馬のようにレースばかりに着目するのでなく、真に伝えるべきこと有権者が知りたいこと知る必要のあることに賢く答えることが選挙報道の中心であるべきだという。コラムの筆者ロッシェル・カップは、2020年の大統領選挙でマスコミがまた同じパターンに陥るという見通しはなんとも恐ろしい、アメリカは政治もマスコミもオーヴァーホール(overhaul 徹底的に見直す)すべきだと述べている。日本の政治と選挙の報道についてそっくり当てはまる指摘だ共感しつつ読んだ記事である。(宮)

『穴のあいていない運動靴を』  以前穴あき運動靴は雨の日に困ると書いたが。2月中旬についに新しい運動靴を買った。以前、気に入っていた靴を買い直そうと思っていたのに、偶然魅力的に見えるデザインと素材のものに出合ってしまい衝動買いをしてしまった。日本製で運動靴では聞いたことがない、靴底のゴムを直せるタイプの靴だと言う。気に入った靴を長く履けるなら願ったりかなったりだ。予定していた予算より高かったが、長持ちさせると心に誓い、たまにはいいかと思い切って購入した。家に帰って夫に見せびらかし、さらには家の中で履いてみると更に嬉しさでいっぱいになり、しばし新しい運動靴を履いたまま家の中を闊歩する。新しい気に入ったものを買うというのはなんて嬉しいものなのだろう。
 いつから履こうか…考えているうち、なかなかこれといういい日がないまま月日は過ぎた。ある雨の翌日、ついに靴をおろした。だけどである…。なんだか歩くうちに、かかとが痛くなってきた。脱いだり履いたりするときに紐をほどいたり結んだりするのが億劫な私は基本的には靴の紐を少しゆるめに結ぶ。それがいけなかったのか?まるで新しい革靴を履いたみたいに夕方には血こそ出ていないが、ちょっとかかとがすれて皮がむけてひりひりとしていた。運動靴はガシガシはけるから大好きなのだがこれでは痛くて気軽にはけないではないか。次の日は紐をしっかり結んで履いた。しかしすでにかかとが痛いのでなんだかストレスなしには履けないのだった。そんなわけでしばらく新しい運動靴を履いていない。ようやく、かかとの皮も再生してきたので近々チャレンジする予定。どうか今度はかかとが痛くなりませんように…と願う。穴があいてないのは当たり前としても、足が痛くならない靴がほしい今の私であった。
(やぎ)

『違います』 ある朝、高幡不動駅で電車を降りると、足を止めて私の顔をじっと見ている女性がいる。知り合いかな?っと私もじっと見てみたが、知らない人。しかし、女性は「……ですよね?」と。「えっ?」という顔をした私に、「ですよね~」と知り合いだと確信した様子でさらに言うので、「多分、違うと思いますよ」と返すと、恥ずかしそうにするわけでもなく、そのままスタスタとエスカレーターを上っていってしまった。
それからしばらくして、子どもの友だちの発表会を観に行ったのだが、客席で私の横顔を凝視する子連れのお母さんが…。チラリと見たが知らない人なので、そのまま前を向いていたのだが、休憩時間に視線を感じ横を見ると、そのお母さんがまたじっと見ている。目が合うと「ですよね? こんにちわ」と言われ、まじまじと見てみたが、やはり知らない人だったので、「多分……違うと思いますよ」と言うと、そのまま、ふいっと前を向いてしまった。意外とみんな、間違えても「やだ~」とか「あ、ごめんなさい」とかもなく、恥ずかしがらずに冷静なんだなと思ったのだが、よくよく考えてみると、最近はほとんどしないが、私も数年前までよく人違いをしていた。そして、恥ずかしいからこそ、冷静にしれっとしていたことを思い出した。
前を歩く友人を見つけて、後ろからすっと横にいって腕を組んだら違う人、後ろから肩をトントンと叩いてこっち向いたら違う人、前から歩いてくる友人に、大きく手をふって近づいたら違う人だと気づいてそのままスーーと通り過ぎる、などなど。
前の2パターンはさすがに丁重に謝ったと思うが、3つめのパターンはよくやっていたけれど、だいたい、しれっと通り過ぎた。恥ずかしいからこそ、冷静に。
(みなりん)
2019年2月28日
『車内放送』  毎日バスに乗っている。乗降案内を録音音声がしているが運転士もマイクを装備していて適宜案内をしてくれる。先日運転士のすぐ脇の座席に座っていたら、例によって運転士の声が流れてきた。そのとき何気なく運転士をみたら口が動いていない。腹話術みたいに口を開かないで話しているのかと思ったが、そうではなさそうだ。しばらくみていたらわかった。此の運転士は自分の音声案内を録音していてそれを流している。そしてさらに必要なときには生の声でも話している。このバスは案内の音声が三重構造で使われているのだ。なんでこんなことをするのかと思うが……。(宮)

『似た言葉』  朔北社には後ろに楽譜がついた絵本がシリーズで2冊ある。この後ろにある曲には秘かに中川ひろたかさんがレコーディングをしたCDが存在し、朔北社の取り扱いはないのだが、中川さんが鎌倉で開かれたソングブックカフェで、絵本にCDをつけて+400円増しの値段でCD付き絵本として販売している(今はわからないが)。時折そういう情報をどこかで知ったお客さんからCD付き絵本の注文が入るが、小社経由で販売していないので、ソングブックカフェをご紹介させていただく。先日も九州の書店さんからお電話があった。私「朔北社では売っていないんですが、鎌倉にある中川さんのお店で売っています。お店の名前は…ソングブックカフェ…」
書店さん「ん?トングブック?」
私「そ、ん、ぐブックカフェです」
書店さん「ソングね。ありがとう!」
受話器を置いて私のあたまの中には「トング」ブックカフェのイメージがむくむくとわきあがり、とめどもなくなりひとりほくそえんでしまうのであった。似た言葉の間違いは日々とてつもなくあり、似た言葉をメモって、何かの企画にできないだろうかと時々思う。
(やぎ)
2019年2月22日
『世論調査』  最近の安倍内閣の支持率は40%前後、支持しない方は若干小さいがほぼ同じ数字である。支持する理由として「他の内閣よりましだから」がトップに来る。不支持の理由のトップは「人柄が信頼できない」である。この世論調査の結果を「人柄は信頼できないが他の人より他の内閣よりましだから安倍内閣を支持する」というように要約するのは単純な間違いだ。支持グループと不支持グループはそもそも別々に存在しているのである。最近はどちらのグループの数字とも大きく動かない、安定している。ということは考えや判断を異にする2つのグループが存在していることを意味する。政治的判断・行動に関して大きく分断された状況にあるわけである。諸外国と違っていまのところ過激化する気配はないが、分断された状況にあることを押さえておきたい。(宮)

『人には見られたくない姿』  休みの日に夫と住んでいる街の最寄駅で待ち合わせをするのだが、たいてい、休みの日には私は気が抜けていて、遅刻するはめになる。すると夫は家に向う道を暇に任せて歩いてくる。私が遅れているのに走ろうともせずにゆっくり向っていたのを見付かってしまい、気まずいのでふざけて急に演技をする。いかにも急いでたんだけどという振りをして走ったり、ハアハア肩で息をしてみたり。走ったから胸が痛いふりをしたり、さらに走りながらもっと早く走るために右手もブルンブルン回しながら、必死にアピールして夫に近づく…誰もいないと思ったから。それなのにある家の駐車場から車がひょっこり顔を出した。あれ?もしかして見られてた?50近いおばちゃんの滑稽な姿を他人様にさらしてしまったことで急に恥ずかしくなる。もし見ていたとしたらあきれるか、もしくは笑いを堪えるのがたいへんだったろう。外では気をつけなければいけない…穏やかな午後の出来事である。心中は穏やかではなかったけれど…。(やぎ)

『おかあさんといっしょ』  「おかあさんといっしょ」体操のよしお兄さんが卒業する。もう、現役で「おかあさんといっしょ」を見てはいないけれど、ふっとチャンネルを合わせて見るときもあった。いつも、当たり前のようにそこにいると思っていた人がいなくなってしまうのは、やはり寂しい……。
応募資格のある期間、スタジオ収録にずっと応募し続けていたけど、当選することはなかった。NHKホールでのファミリーコンサートは、一度だけ当選して観覧できた。よしお兄さんの「ぱわわぷたいそう」を、子どもがはりきって踊っている横で、座ったまんま小さく踊っていた私。いい思い出だ。
現役のママたちは、悲しみにくれているだろう、寂しいだろうな。私だって、あの頃、よしお兄さんの笑顔に、変顔に、ダンスに、すりかえかめんのギャグに、どれだけ助けられたことだろう。何年たっても、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとう、ありがとう、ありがとうーーー!
(みなりん)
2019年2月15日
『二月中旬』  通勤の道筋にある臘梅が咲き始めて春がくるとおもって見ていたが、2月半ばともなると、日常動いているあちこちにある梅の木が咲いている。浅川の土手の枯れた草の下から日に日に緑が増してきているのがわかる。
 賃金統計の不正問題をめぐって政府が隠蔽・改竄を追及されるだの、沖縄の辺野古埋め立てについての県民投票が実施されるだの、トランプ大統領がメキシコ国境の壁建設のために非常事態宣言を出すだの、韓国の国会議長が日韓関係を改善するためには慰安婦問題ついて天皇が元慰安婦の手を取り謝罪すればいいだの、タイ国王の姉が首相候補になることが取り下げられただの、毎日毎日大きな政治的事件だけでもつぎつぎに起きて、頭が未消化のママ通り過ぎていってしまう。わたしたちは何という時代に生きているのかとつくづく思う。しかし、不順な天候はあるものの季節だけはいまのところ順繰りに巡ってきている。その春の兆しを目にして、つかの間ほっとするのである。
(宮)

『もやもやの原因は?』 なんだか心がもやもやする。昔、時々こんなふうに気持ちがもやもやして何が原因かもわからないことがよくあった。たぶん時々やってくる自律神経の乱れのような状態かもしれない。私だけかしらと思ったら知り合いに話したら「あっ、そういうの私もあります」との返事。どうやら他の人もそういうふうになることがあるのだと知る。だが、最近のもやもやの原因はちょっとちがっている。長い期間ずっともやもやが治らない。毎日過ごす日常、見聞きするものに、時にニュースに、出版界に、日本全体になんだかもやもやした気持ちが治まらないのだ。もちろん全てが悪いわけではないし、自分もそこに存在する一人なのだけれど…日本全体があんまりにも狂っているように映るのは私だけなのだろうか。みんながストレスをため、ニュースは核心には触れず、政治でも本当に大切なことは語られず、平気で嘘をつく、誰でも間違うことはあるのに、それを隠すのはなぜか?政治的発言ってなんだ?政治に感心をもち自分の意見を言った人は非難され、時に仕事をも失うなんておかしくないか?日本はこんなに不自由な国だったのかと疑心暗鬼になってしまう。
そしてもう一つ。先週の新文化をみて驚いた。アマゾンと直取引をしている出版社はなんと2942社あるのだそうだ。出版社の数は2016年で3370社、2017年に3182社(?)程になり、2018年は…数字がないので不明だが増減あって3000社前後といったところだろうか。思った以上の出版社が直取引をしている事実はなんとなくは認識していたものの、考えていた以上の数字であった。直取引をしていないのは全体の約7~8%。どうやら朔北社は少数派の中に含まれるようだ。この事実にもなんだかもやもやとしてしまうのであった。
(やぎ)

『バレンタイン』 今どきの小学生、手作りの「友チョコ」が、主流のようです。みんなで贈って、もらってと、楽しんでいました。ただ、やっぱり大変なのは、大量のチョコ作り。「自分で好きに作ったら?」と任せてしまえばいいのですが、結局手伝ってしまい、そのうち、こっちが本気になって、作っているという……。今どきの親は「大変だー」という気持ちはありますが、そのうち、手伝わせてなんてもらえなくなるだろうから、今、一緒に手作りすることを楽しおくのが、一番なのかな。(みなりん)
2019年2月8日
『伊沢多喜男の伝記』  3月に刊行する『伊沢多喜男―知られざる官僚政治家』に対するTRCストックブックの発注数は10部だった。これには驚いた。TRC仕入部の経験に照らして刊行当初の動きとしては、このくらいの部数しか売れないだろうという判断があるわけだ。今日無名の政治家の伝記にはこの程度の反応しかないのが現実なのだ。
 『濱口雄幸伝』のとき発注部数は60部だった。発注部数60部の『濱口雄幸伝』は2013年の刊行から今日まで、図書館でどのくらい所蔵されているのか調べてみたところ、都内の公共図書館で34館、その他全国の公共図書館で49館、大学図書館で74館、合計157館である。
 全国3300の公共図書館と1400の大学図書館で濱口雄幸のような政治家の伝記を160館弱しか所蔵していない。図書購入予算が少ないことと、その本の利用者数の予測から選書されている結果だということはすぐ気づくが、出版社としては、図書館の予算や方針や予測を覆すような結果を出すべく知恵を絞る。
(宮)

『鍵がない?!』  先週の土曜日のこと。土曜日は髪を切りに行こうと思っていたものの、グズグズしていたらあっという間に15時。服を着替え、さて出かけようと玄関を出たが、鍵がない!普段はカバンか、玄関横の棚に置くが、どちらにもない。会社、家、実家、スーツケースのなどすべての鍵がキーホルダーにまとまった鍵の束。落とせば間違いなく激しい音がするはず。最後に使ったのはいつだったか…最後の記憶は前日の会社の勝手口を閉めた時のこと。家の鍵は夫に開けてもらったので使わなかったはずだ。なるほど会社を出たところまでは持っていたことになる。道中落とせば気付くはず(と信じたい)。家の中を探す。まずはいつも使っているカバンの中を、そして玄関の脇の棚、床、こたつの中、上着のポケット…だが、どこを探しても見つからない。ところが、夫の荷物がおいてあるあたりを、少し片付けるとその床には夫の鍵が落ちていた。これで出かけられる!と思ったのも本心。だが私の鍵はどこへ?
 夫の鍵、なんともシンプルに2つの鍵がぶら下がっているだけ。まさか夫が私の鍵を持っていったのか?という疑問がわくが、間違い様がないとも思う…。では、やはり外で落としたのか?念のため土曜日出社の社長にメールをするとすぐに外をみてくれたらしく「外をみてみたけれどみあたらない」との返事。気持ちを切り替えつつ、19時まで仕事でメールを見られない夫に念のため「間違って鍵をもっていってないよね?」とメールを入れ、夫の鍵を持って髪を切りに出た。カットを終え、さっぱりして表に出ると19時を過ぎていて夫からメールが!私の問いに「そんな大ボケ…ごめん!かましていた!」まさかの入れ間違い。よく間違えるよなあと呆れたが、落としてなくてよかった。帰って来てから散々文句を言ってしまった。あんな間違いようのないものを…と。しかしその2日後、玄関に置いてある鍵を摑み出かけようとして外に出て気付いた…私が手にしていたのは夫の鍵だったのだ。嗚呼、きっと夫もこのようにしていつものようにいつもの動きをして鍵を摑んで外に出たろう。滅多にしない間違いだけど、いつもの行動をいつものようにしたときに時折こんなことをしてしまうこともあるかもしれない…夫を責めた一昨日の自分を反省しつつ自分の鍵がカバンにあるのを確かめ、夫の鍵を玄関の下駄箱の上に戻した。
(やぎ)

『サインは指で……』  物心ついたときから、スマホやSNSが当たり前にある世代を、スマホネイティブ、SNSネイティブなどと呼ぶらしい。先日、ニュースでやっていた。確かに、うちの子も、私より、何でも、さっと理解する。うちはまだ持たせていないが、同級生の子でスマホを持っている子も半数以上いるし、そのうち持たせることになるのだろう。しかし、便利さの裏にある、怖さをちゃんと教えていかなければいけないと、最近のニュースを見るたびに思う。「苦手なんです~」などと言ってる場合ではない。でも、苦手。
先日、宅急便を受け取ると、配達員さんに、さっとスマホを出された。画面を覗き込むと、白い画面。「……えっと、なんでしょう?」というと、「あ、サインを」「ここに?この画面に?」「はい」「えっと、ペンで?」「いえ、指で(失笑)」「……今は、もうこうなんですね」「ええ、最近は」そうだったのか、知らなかった。送り状に、サインするか、ハンコ押すかしか、したことなかった。これはもう、当たり前のことなの?
(みなりん)
2019年2月1日
『統計調査』  今問題になっている厚生労働省統計調査の不正問題から、五十数年前、新入職員として世田谷区の統計調査係に配属されて、1年のうちに事業所調査、商業動態調査を始め複数の調査を次々行なったことを思い出す。事前に説明会、打合せをしてそれなりにやっていたけれど、中で食事の内容を調査するのがあり、統計調査係の女性職員が、自宅の食事内容を書いて調査を省略していたのも思い出す。現在は調査される側になったが、年に何件もさまざまな調査票が送られてきて、その記入には結構時間を取られている。しかし統計調査がきちんと行われていて初めて適切な政策が企画され実行されるはずであり、真面目に記入回答している。記録の保存管理や、統計調査の重要性などに認識の乏しいのが行政組織の通弊と思っているが、今回の事件を契機に改められるだろうか。関わった厚労省職員や、第三者委員会の対応をみていると残念ながら期待できそうもない。
 普通にまともな仕事をする公務員や政治家もいると実感したいが、できそうもない。
(宮)

わたしの好きなパンダはね  私は動物ではゾウが好きだ。どのくらい好きかというと、家でゾウの形をした置き物やら人形、ゾウグッズをいくつか集める程度のとりたててマニアックさはないくらい。とくにゾウの生態に詳しいわけではない。ゾウも人気があるが、パンダはそれを遙かに超える人気者。こんなに人気があるのに、私にとっては、そんなに興味がわかない動物の1つだった。少し前上野で久し振りにパンダの赤ちゃんが生まれ、みんなが、あんなにパンダ、パンダと騒いでいるのを見て不思議で仕方なかった。そんなことを言ったら黒柳徹子さんに怒られてしまいそうだが…。
 ところがある時、ネットでアドベンチャーワールドで生れた赤ちゃんパンダの動画を見た。まだ肌の色の残る体に薄っすらと白と黒の産毛がポワポワとはえている。その表情たるや…なんてかわいい子なのか…と初めて思ったのであった。しばらくは名前もなく、「良浜(らうひん)」の赤ちゃんと思ってみていたが、表情のかわいさに、いつのまにかとりこになってしまった。去年の12月中旬にとうとう名前が決った。名前は「彩浜(さいひん)」。私が初めてかわいいなと思ったパンダの赤ちゃんの名前は、なんとかわいがっている友達の子どもの名前の漢字が一字入っていた。これは何かの縁だろうか(そんなわけないか)。ちなみに他のパンダをみてもかわいいとは思わないのは何故だろう?そういえば以前シャンシャンがみんなに騒がれていたとき、そのお母さんのシンシンがせっせとシャンシャンの世話をする愛情深い姿をかわいいなあと思ったのをふと思い出した。正確には彩浜は好みのパンダの二頭目だったのだ。どうやら人間と同じ様に動物にも個性があり、顔もぜんぜん違っていてどうやら私はそのパンダの個性を好きになったのだと思う。しかし私がパンダにこんなに夢中になるとは自分でも驚きだ。今はアドベンチャーワールドに行きたくてうずうずしている。
(やぎ)

『方言』 出がけに朝の情報番組を目の端で見ていると、冒頭、前日の放送の際、スタジオでりんごを食べたあと、加藤浩次さんが「このりんごボケてる」と言ったら、他の出演者には意味が伝わらず、ぽか~んとしていたという話題に…。そこで、番組で調べたところ、加藤さんの出身地北海道以外でも、15の県で「ボケてる」を使うという結果がでていた。特に、りんごの産地でよく使われているそうだ。
長野県出身の私は、「りんごがボケてる」と当たり前のように使っている。そして、この言葉が、時に人を「???」とさせることも、経験済みだ。しかし「このりんごボケてる」以外に「りんごがボケてる」ことを的確にいう言葉をどうしたって思いつかない。あえて言うなら「食感がボソボソしてる」とか…。
日本の、その土地ならでは方言は、どうにも他の言葉には訳せない。なんとなく似た言葉はあっても、ピッタリの言葉はないものだ。方言とわかっていても、それしか言いようのない言葉を、私は今も変わらず(というよりも積極的に)使っている。この郷土の言葉への愛着というのは、その土地を離れて暮らしているからなのか、それともただただ私の郷土愛からなのか。日本語や方言についての本は、数多く出版されているけれど、それとはまた違う、郷土愛に溢れた日本語&方言の本が作れたらなあと、頭の中でうすらぼんやり思い描いております。日本語って、方言って、本当に興味深い。
(みなりん)
2019年1月25日
『靴の中から…こんにちは』  ある日会社に到着し、下駄箱へ靴をしまおうとしていたところ、そろそろ買い換えないとと思いながらオンボロになった靴をまじまじと見た。ふと、あれ???と思う。なんと靴の中を覗いていたはずが外の世界が底から見えていたことに気付いたのだ。靴の底が薄くなり、かかと近くの底の一部から外の世界が見えるようになっていた。仲良く並んだ二つの四角い穴。いやはや全然気付かなかった。もはや雨の日には使えない。以前同僚がよく外を歩いていて靴の先でけつまずくので靴の先がベロリとなり水が入るという話を聞いてから雨が降る度、その同僚が今日来れるのか心配をしていた。なんだ私もだったのか…人の心配ばかりしているわけにはいかなくなった。最近は乾燥していて雨も降らなったから助かった。本気で新しい靴を買わなければ…。同僚の足下はというと…すでに冬用の穴のあいてない靴を履いていた。(やぎ)

『うっかり』  最近、「うっかり」することが多い。
スーパーの自動精算レジで、お釣りを取り忘れて帰宅したり……あれ、「うっかり」したことが何だったのかを、「うっかり」忘れてしまっている。
大きな声では言えないが、「うっかり」がタイトルに入っている、ユーモアたっぷりの絵本の制作まつわるあれこれに没頭しいるからかもしれない。……と、うっかり言ってしまったが、刊行はまだ数ヶ月先である。
(みなりん)
2019年1月18日
『練習』  浅川土手では、対岸でまた工事があるらしい。かなりの距離オレンジ色の編み柵が張られている。ショベルカーまで出てきたので何を始めるのかとみていると、いろいろ動かしているが、土を掘ったり削ったり山を作ったりという具体的な仕事をしていない。一体何をしているのかと見ても解らない。そんな景色を何日か続けてみていて、ショベルカーの動かし方を練習しているのではないかと思い至った。永い腕と先端の手を自由自在に動かすにはそれなりの訓練が必要なのだろう。そういう目で見るといかにもその様に見えたのである。具体的な仕事をしていないのだから。僅かな通勤時間のあいだの観察だから、昼間は練習でなく仕事をしているのかも知れないが。何日かそんな様子を見ながら歩いた。(宮)

『心がやさぐれる時』  最近、家から最寄駅に向う途中、あちらこちらで新しいマンションなどを建てているために工事中につき資材などを運ぶトラックが何台も道に止っている。今朝はトラックを敷地内に入れるために一時道をふさいでいた。私はその車が移動するのを待つ一番先頭にいた。少しして、人が二人分くらい通れるくらい道が空いたので、さてと、足早に通り過ぎようと進んだところ、その横から、いきなり自転車が追い越して行った。あまりに至近距離を通り過ぎたので、自転車の一部が私の手の甲にぶつかり、思わず「イタイっ!」と口から出た(ビックリしたこともあって)。幸い怪我するほどではなかったが、その声を聞いてもなお自転車は振り返りもせず、淡々とスピードを上げいなくなった…。無理やり人との安全な距離もはからず(もしかしたら通れたらいいと思っているのかも)ヒヤッとさせたと想像もしないのだろう。本人はぶつかったことに気付かなかったのかもしれない。自転車も車。少し弾力性のあるものに車体自体が触れたくらいでは向こうは衝撃もあまりないのだろう。自転車とて速度があれば、ぶつかれば、やはり人は死ぬことだってあるというのに…。そんなわけで、朝から私は、一人やさぐれ、恐らく顔も渋い顔をしていたにちがいない。心の中で何度も「チッ!チッ!」と舌打ちしてしまったくらいだ。そういう自分も自転車に乗ることだってある。人の振り見て我がふり…だ。ならば私は安全運転に心掛けようではないか!いつまでもやさぐれていないで。(やぎ)

『福笑い』  お正月に「福笑い」をやったのは、いつのことだろう。最近はやっていないが、ルールも簡単で、子どもからお年寄りまで誰もが参加できて、誰でも笑顔になれる遊びだと思う。
私は、心がささくれだってしまったときに、聞く歌がある。高橋優の「福笑い」。何度も何度もきいていると、どんどん心が和らいでいくのだ。
お正月休みに、車で出かけたときに流したら、娘が「この曲好き!」と言って一緒に歌いはじめた。「ここの歌詞が一番好きっっ!」と言ってさらに大きな声に。
『きっと此の世界の共通言語は、英語じゃなくて笑顔だと思う♪♪』
私もここが好き。そして、未来ある娘がこの歌詞を好きだと言ってくれて嬉しかった。どんなときでも、笑顔でいられるように、どうしたらみんなが笑顔になれるのか考えて、そして少しでもそうなれるよう一人ひとりが相手を思いあう。そうしたら、少しは世の中変わるかもしれないと思うのは、あまりに単純かな。でも、これから、そういう世の中になるといいね。
(みなりん)
2019年1月11日
『年が明けて』  新しい年が始まった。そういえば今年の目標などあまり深く考えていなかったなあと思う。友人の何人かの年賀状には去年はインプットの年だったので今年はアウトプットできる年にしたいと書いた。会社でも去年は自社の本が一冊も出なかった。今年は…何冊か面白いものを世に出せそうで嬉しい。
 会社も人数が少なくなってから十数年。その頃から少しだけ編集の仕事もやるようになったのだがいずれも翻訳絵本だったり、一度出したものの新装版にかかわるのみ。それだって一筋縄ではなかったけれど、一から企画を立てて本を作ってみたいというのはそのころからずっとあった。でもなにしろ自信がないから一歩も踏み出せなかったのだ。去年も後半。初めて、翻訳本以外の企画を、夢物語として語るだけでなく企画書(これもまた完成形には程遠い)として皆に配り検討してもらうということをした。編集経験に乏しい私が出す企画書は詰めが甘く皆にいろいろ突っこまれる。ずばりと説得する言葉を持てないためになかなか次へ進めない。まだまだうすっぺらな内容の企画書しか作れない自分になんだか情けなくなる。本に出来るまで持っていけるか疑問ではあるが、いくつか出した企画の中で何か一冊でもきちんと形にできたらいいなあと思っている。どちらにしても出来上がるのはきっと数年後になるだろう。深いところを掘り下げて、根気強くやる事が苦手な私は恐らく編集者には向いていない。小さな会社のよさは本の流れを初めから終わりまで見守ることができることにある気がする。電話をとること、事務仕事をすること、チラシを作り、営業に行く事、本の企画を考えること、人と会い打合せをすること、経理の仕事。なんでも経験させてもらえることは面倒でもあるけれど、いいことだと思う。立ち止まっていれば楽かもしれないが、苦手意識をとりあえず向こうに追いやり、会社の中でも成長していこうと思うのだった。なんだか所信表明みたいで恥ずかしいが…。
(やぎ)

『新しい年』  2019年が始まった。平成から新しい元号に変わる、節目の年。
子供のころは、新しい年を迎えると「今年は、毎日日記をつける」とか、「早起きをする」とか、ちっちゃくても目標を立てて、気を引き締め背筋が伸びるような気持ちになっていたのだが、今はそうでもないことに気がついた。だめだ、ちゃんとしよう。今年は、定期的に、ロバ耳を書こう、せめて去年よりも。
今年は、新刊も出ます。気を引き締めて頑張ります。どうぞよろしくお願いいたします。
(みなりん)