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「王様の耳はロバの耳」(2018)
 
2018年12月28日
『マラソン』  マラソンといっても浅川土手を数百メートル走る幼稚園児のマラソンである。寒風吹きすさぶ天気でなので、真っ白な富士山が雲をたなびかせながら見えている土手の上を、五〇人ほどの幼稚園児が先生の「それでは、これからマラソンをしましょう」という説明を受けてから走り出した。大人は寒さで体を固くして歩いているのに、子どもたちは二人か、三人のかたまりになって、いかにも楽しそうに走り、追い抜いていくときにわたしの顔を見ながら「おはようございます」とあいさつしていく。こちらも大声であいさつを返して、すっかり笑い顔になっている。仕事納めの朝の通勤時にいいものを見た。
 日本列島に強い寒波がかかっていて、日本海側を中心に大雪らしいが、浅川の土手は、風こそあるが長閑な景色を展開していたのだ。
(宮)

『仕事納めの朝』  最近時々最寄の駅まで月に数回自転車に乗っている。今朝も出るのがギリギリになってしまい自転車で駅まで行き区営の自転車置き場へ。自転車置き場も年末になり休みの人も沢山いるらしく、とめにくる人もまばら。利用者が少ないと入口近くに置けるのがなんだか嬉しい。ここには、おじさんたちが働いていて、てきぱきと誘導したり駐車券をチェックしながら、「おはよう」だとか「そろそろ自転車空気入れないとね」とか話しかけてくれる。朝の小さな交流だ。今朝はこうだ。私の手をみて「えっ?手袋してないの!寒いよ。こんな寒いのにどんな構造になってるんだか?!」とビックリして言われた。確かに自転車の人にはこの時期手袋がかかせないのだが…はははと笑いながら「こんな構造でーす。ではそういうことで行ってきまーす」と答えた。何を隠そう、そこまで距離は1キロあるかないか。おまけに出て来る寸前までゆっくり風呂に浸かって体がぽかぽかなのだ。もちろんおじさんたちには教えないけれど。遅刻しそうならのんびり風呂なんて入っている場合でもないのにノンキなものだと自分ながら思う…。今年も今日で仕事納めだ。今年出版はいつもに増して売上の厳しい年だった。でも来年は何冊か(4冊くらい?)新刊も出る予定だ。後ろを見ても何も始まらない。たゆまず、こつこつと積み上げていける年にしたいと午前中に仕事をしながら思ったのだった。皆さん来年もどうぞ宜しくお願いいたします。(やぎ)
2018年12月21日
『大掃除』  20日に会社事務所の大掃除をした。元来住宅として作られている建物で、入居のときからよく手入れされている印象があったが、年一度の大掃除でも汚れは少ないしゴミも溜まっていない。手分けしてやったら、午前中で楽々終ってしまった。自分の住居と較べると汚れ方のちがいが不思議な感じだ。終わってから、こうして複数の人が各人の家を順に回って大掃除をしたら大掃除も気持ちよく済ますことが出来るという、一人暮らしの者にとっては我田引水の話がでた。(宮)
2018年12月14日
『27対258万』  休日にユーチューブで音楽を聴くが、知られざる名曲があることがわかった。トスカニーニの指揮したオペラの管弦楽曲集で、カタラーニの《ローレライ》〈のオンディーヌの踊り〉のきれいなメロディーがとても気に入った。思いついてユーチューブで検索したら出てきたが、視聴者の数が27人だったのには驚いた。2,3週間後に又見てみたが50人に届かない。カタラーニにはオペラ《ワリー》があるが、作品も少ないし、若くして死んだからマイナーな存在だとは思っていたが、これほどとは!?ちなみにときどき聴いているアンナ・ネトレプコが歌うレハールのオペレッタ《ジュディッタ》のなかの〈マイネ・リッペン・ジー・キュッセン・ゾー・ハイス〉は視聴者数250万人もいる。曲も面白いし、ネトレプコの芸達者な歌いっぷりはとても楽しいが、カタラーニの曲との落差に驚いている。(宮)

『紙の文化はどこへ向かうのか』  最近ネットを見ていたら、駅のゴミ箱がリニューアルされたら、なんと雑誌や新聞の捨てる分別の口が消えたとという記事を見つけ、かなりの衝撃を受けた。そういえば、最近コンビニで雑誌を読んでいる人も見なくなった。読めないようにゴムバンドをしたりビニールにいれられるようになったせいかとも思っていたが、それがついていない雑誌を読んでいる人さえ最近は見かけないことに気付く。みんなに立ち読みされていた頃は雑誌も傷んでいることも多く、キレイなものを選ぶのに苦労した覚えがあるが、今や並んでいる雑誌はピンピンしている。思えば(買われてはいなかったかもしれないが…)読まれていた証だったのだと思う。私は何年か前まで少年雑誌の連載を読んでいたので、毎週買っていた。今は好みのマンガの連載が減り買わなくなってしまったが、その頃は発売日に立ち読みの人が少年雑誌の並ぶラック前に立ちはだかってなかなか目当てのものが取れなかった。その人たちはいったいどこへいってしまったのだろうか(当時ももう少年っぽい人はいなかったが)。その頃からもすでにある種の変化は生まれていたのかもしれない。会社でも会議で話題をふると、やはり、電車でもスマホ、本、居眠り、おしゃべりなどしている人はいるけれど、雑誌を読んでいる人を見なくなったという話になる。確かに…。以前読み終わって棚の上に上げられた雑誌などあったが、今や皆無だ。いつから、境目ははっきりしないが、ほんのここ数年のことのような気がする。もっと世の中を見回してみる必要がありそうだ。紙でなくてもマンガは読める時代になってしまった。しかし、本や雑誌には、それぞれの特長に合う紙が選ばれている。その手触りを感じて育った世代としてはそれぞれの用途の手触りを次の世代にも残していけたらいいなあと思う。五感を働かせるものがだんだんになくなると、人間は進化した結果、何も考えない、感じられないものになってしまうのではないかと心配になる。今は地図もネットで見る時代。でも私は、ネットで調べても、つい紙で出力してしまうし、今でもあまり行かない場所へ行くときには軽量な地図を持ち歩いている。時刻表にいたっては近距離の一時的なものはネットで調べるが、旅など遠出するときは、やはり、あの分厚い紙の雑誌だよねーと同僚と盛り上がる。ネットは一発勝負には強いが、広く相関関係を比べるときにちょっともの足りない。出発地、乗り換え地、到着地への時間を見るにはいいが、各駅に何分に着き、各駅に何分停車するなどの情報を一度に見られるのも本の形のいいところ。辞書もその一つ電子辞書は紙の辞書には真似できない前後上下の意味もついでに見たりすることができる。ブレーキでいう、あそびの部分が見られるのが紙の媒体のいいところだ。あそびの部分がない世の中はただただギスギスしてしまうのではないだろうかと思うのであった。(やぎ)
2018年12月11日
『先週の「ファミリーマート」について』  12月7日(金)に更新した「ファミリーマート」は、私の誤認に基づく記事でした。14日に開店するのはファミリーマートではなくてローソンです。大変失礼しました。ファミリーマートは3店舗のままです。そういうわけで、記事を取り下げましたのでご了承下さい。(宮)
2018年12月7日
『甥っ子2人目結婚』  この11月に2番目の甥っ子が大分で結婚した。夕方、式を挙げるというので当日大分へ。夫のお姉さんの子ども達は男三兄弟。私が初めて会った時には一番下はまだ影も形もなく、その次が5才、一番上が小2くらいだった。去年3月に結婚した上の子はもう一児の父に。そして今回結婚した次男は小さな時からゲームと歌が好きで配達や、お出かけで車に乗るたび、ゲームをしたり、寝たりしていない時には、ワゴンの荷台で歌うのだった。それがあまりに上手いので将来歌手になればいいのにと思うほど。本人はそんな気はないようだったが。3番目の甥も今年大学院を卒業し就職する。みんな大きくなったもんだ。顔は似てるが3人いれば3様。彼らは学生時代時々家に泊まりに来ていた。みんな同じく、かわいいが、自然といろんな会話をする。年齢を重ねるにつれてはっきりと生き方の違いが見えてきた。かわいくても彼らの好きな部分もあれば、嫌いな部分もある。親の愛情をたっぷり受けたという点では3人とも同じ。だが、親は年を取るし、まわりの環境は少しずつ変わってくる。その環境の中でもともと持っている個性が育ってきたわけだ。
 結婚式では、本人達も、まわりもみんな心から楽しそうに笑っていた。もちろん感動してほろりと泣く人もいたにはいたが涙がこんなにも少ない式は珍しい気もした。そういえば彼は小さい頃から人を笑わせるのが大好きな子だったな。だからこんな日にもみんなを笑顔にしたのかもしれない。彼が選んだ女の子はぶれない瞳をした元気な子だった。
(やぎ)
2018年11月30日
『埋骨』  埋葬、埋骨というと墓石の下に作られている石室の戸を開けて、骨壷を中に収める、初めてでなければ既に収められている骨壷の隣に並べるというのが普通であろう。古い墓だと7つ8つの骨壷が並べてあったりする。
 知人の埋骨に声を掛けられて、出かけた鶴見の総持寺の墓はそうではなかった。墓石の後ろを掘り返すとコンクリートの丸い口がある。しかし石室はなく、丸い口の下から土を掘って斜めの道ができていた。コンクリートの丸い口に、骨壷から骨を流し込むのが埋骨であった。斜めの道の奥は見えないがおそらく多少広い空間ができていて、流し込まれた骨は以前流し込まれている骨と混ざってしまう。土に帰るという表現が当てはまる処置だと実感した。
(宮)
2018年11月22日
『きっぱり』  アメリカの特殊部隊元司令官のマクレイブンが、トランプ大統領のメディア批判を「私が生きてきたなかで最悪の、民主主義に対する脅威だ」と再三にわたり批判したそうだ。権力の中枢にいた人が、現役でないとはいえ、きっぱりと大統領批判をする。イギリスでは、EUとイギリス政府の間でまとめられた離脱の合意案に反対する複数の閣僚が辞任した。
 両国とも時の政権に対する批判の声が公然とあがっているわけで、あの安保法制の騒ぎのときですら閣内はもとより与党からも造反者が出なかった日本は、この点で不健全どころか危機的状況にある。この事態とセットになっているのが報道機関の機能不全と云う外ない批判精神の欠如だ。
 ふたつの事柄は心ある人には共有されているが、ここから如何に抜け出すかはまだ見えていない。
(宮)
2018年11月16日
『ホッファーとゲーテ』  『エリック・ホッファー自伝』は、サンフランシスコの沖仲仕として定住するまでの40年間を書いていて、私のようなホッファーの読者にはとても面白い本だった。そのほんの一部を紹介する。
 1931年から第2次世界大戦が起こるまでの10年間、エリック・ホッファーは放浪者として過ごした。
 自殺に失敗してロサンゼルスを離れたときのことを『自伝』で「気持ちは軽やかだったし、広々とした田舎に出たときは、故郷に戻ったような気がした。……ヒッチハイクもせず貨物列車にも乗らず、南に向かって歩きはじめた。乗せて行ってくれるというのなら断らなかっただろうが、自分から頼むつもりはなかった。」と書いている。
 その日の午後、車に乗せてもらうことになったが、ドイツ語訛りのある運転手は、「人間は目標をもたなくちゃいけない。希望をもたずに生きるのはよくないよ」と言いながら「希望は失われ、すべてが失われた。生まれて来ない方がよかった」というゲーテの言葉を引用して説教したらしい。反論はしなかったが、運転手の引用どおりにゲーテが書いているのだとすれば、「そのころのゲーテはまだ小者だったのだ」と、ホッファーは思って、車を降りてからすぐに図書館に行って調べた。そして引用箇所を見つけ、運転手が間違っていて、ゲーテは「希望」ではなく「勇気」が失われたと書いているとわかった。ホッファーは図書館を出ると、近くのレストランの窓に「皿洗い募集中」の張り紙が見えたので、しばらくそこで働くことにした
 『自伝』の注によると、ゲーテの詩は次のようなものである。

 財産を失ったのは――いくらか失ったことだ
 すぐ気をとりなおして、新しいものを手に入れよ。
 名誉を失ったのは――多くを失ったことだ!
 名声を獲得せよ。
 そうすれば、人々は考えなおすだろう。
 勇気を失ったのは――すべてを失ったことだ!
 そのくらいなら、生まれなかった方がいいだろう。
(宮)
2018年11月9日
『ラジオが紹介してくれた稲わらの輸入』  コメはほぼ完全に自給できる食料だが、日本は牛などの餌料として稲わらを毎年30万トンも輸入しているのだそうだ。コメは700万トンも生産されているのに、その稲わらが存在するはずなのに輸入が必要なのはなぜか?現在コメの収穫はコンバインで刈取りから脱穀まで一貫作業でおこなわれ、脱穀された稲わらは刻まれて田んぼに撒かれるらしい。飼料に廻せる稲わらはないのである。
 ウィキペディアによると、このタイプのコンバインは、日本の水稲作付面積の76%で使われている。そういうわけで飼料用稲わらが輸入されなければならないという話であったが、作付面積ののこり24%から出るはずの稲わらは飼料に廻すことができないのであろうか。短時間の解説だったが驚きと疑問のわきあがる内容であった。
(宮)

『久しぶりの雑木林』  先週の日曜日、夏以来、久しぶりに日野市の雑木林のボランティアに参加した。さすがにこの季節、蚊はいないだろうと思っていたが、甘かった!雑木林を歩いてるとどこからともなく蚊が集まってくる。あまり人が立ち入る場所ではないので「おお美味しそう!」とばかりに寄ってくるようだ。最初むき出しの顔などには数10匹も黒々とたかってきて目も開けていられなかった。しかししばらくして蚊も飽きたのか、作業するうちに集団で寄ってくるのはやめたらしい。でもまさかこの時期に!とベテランメンバーも驚いていた。今年の夏は暑かったから活動時期をずらしたのかもしれない。
 月に一度しかないこの緑地の活動だが雨が降ると中止となる。今年は8月、9月が雨や台風で中止になりいつもより作業が進んでいないとのこと。蚊が気にならなくなった頃、草刈をしている草の種がやたらと服にくっついているのに気付く。昼の休憩で小屋へ。見回すとみんな、帽子にも、服にも、軍手にも種がビッシリくっついている。「やっぱり、種が出来る前に刈らなきゃね」と一言。払っても取れないから1個1個手でむしりとる。「草も生きるために必死だね〜できるだけいろんなところい運ばれようとこうやってくっつくんだね」と誰かが言い、ほんとそのとおりと思うのだった。6人のむしりとった種はみんな小屋(屋根と椅子があるが床は土)の中やまわりに落とされた。このままいくと来年は小屋の中もまわりも草ボウボウかもしれないなと秘かに思う素人の私。雨が降り出し早めの解散となったが、さすがベテラン達(私以外は)。予定していた仕事は無事終わったようだ。帰り際、雑木林でなった柿を皆で収穫。山分けして帰った。さほど役に立ったとは思えないけれど…楽しいひとときだったなあ。ミズという山菜の名前も覚えた。
(やぎ)
2018年11月2日
『富士山』  あの酷暑からにわかに冬っぽい気候になった此の頃浅川土手を歩くと富士山がよく見える。見え始めた富士山は雪を冠って歩いて行けそうな感じさえする。ところが2日前に見た富士山からは、雪が消えて黒っぽい姿に変わっていた。この時期ではこんなこともあるのかとなおよく見ていたたら、頂上に向かって見えている谷の部分は白い。さては谷では雪が溶けずにいるのだと思ってなおも目をそらさずに見ていたら、今度は頂上部分から白い雪が見えてきた。しかとは判別できないのだが雲が動いているようなのだ。雲は山肌と同じ様な濃い灰色なので雲とは識別できないが、かなりの速度で動いているようで雪の見える部分が動いている。生きている富士山を見た気がして面白かった。(宮)

『爽やか好青年』  10月のある土曜日に駅の階段をのぼっていると爽やか好青年が「あの〜すみません」と声をかけてきた。えっ、なに?と若者に声をかけられ思わず顔がほころぶ。なぜ彼は私に話しかけてきたのか。一瞬、心の中は不信感と好奇心でいっぱいに。そしてその理由はすぐにはっきりした。目が合い、にこっと笑いかけたあと「カバンの口があいていますよ」と言われた。そうだったか!背負っていたリュックを前にするとありゃりゃ。どうぞなんでも見てください、取って下さいと言わんばかりにカバンが大きな口をあけていた。「あ、ほんとだ…ありがとうございます」とお礼を言うと、もちろん爽やかな彼はただ親切そうに微笑み、去って行った。これで男の人にカバンがあいてると注意されたのは2度目だ。一度は自宅の近くの駅改札。そのときもこんな感じに大口あけていたっけ。さすがに気になるレベルを超えている。ある一定のレベルを超えると声をかけられるのだなと2度目にして思った。ちょい開き位の人は見ると時々いるけれど、こんなに開きっぱなしの人はほとんどいない。どうもこの安く購入したリュックはファスナーを両側から自由自在の位置でしめることが出来るのだが、重い荷物を入れリュックの一番上になる部分でしめると、歩いたり走ったりしているうちに中で荷物が揺れ、ファスナーがスルスルと開いていくようなのだ。一度開けっぴろげの失敗してから注意していたが、今回は中身もさほど重くないし、何かを出してそのままにしていたのかもしれない。何も盗まれなかったし、中身も恥ずかしいものはなかったからほっとした。そしてめったにない好青年に声をかけられるという出来事に繋がったわけだし、ちょっとよかったのかもしれない…。(やぎ)
2018年10月26日
『バスの中の会話』 ある日の午後7時半、バスのなかの会話
74歳「いやー、ひさしぶりですね。元気ですか、どちらへ?」
77歳「パチンコ」
「俺はパチンコはやらないんです。あれは毎日あるからやらない。」
「金が入ってくると、行かずにはいられない。」
「きょうは、どうでした?」
「2000円の損。損するとわかっていてもやらずにいられない。」
「おれは競馬です。あした一緒にどうですか?」
「賭け事は面白いね。それも、金が動くからやるんで。」
「俺は、毎日あるからパチンコはしません。」
「競馬は、何時に開場するの?」
「9時55分。」
「早くから行くんだね。全部のレースを買うの?」
「そう、でも地方のやつは買いません。」
「おたく、幾つになった?」
「74歳」
「俺は77歳。動けるうちはやりたいね。」
「あしたどうですか?」
乗車してから2つ目の停留所で、二人の老人は降りていった。
(宮)

『たわわに実る』  自分の家で、たわわに実るものを見た経験が今までなかった。しかし、今年なんと両親の住む千葉の御宿町の家の庭で、きっとこれがたわわなのだと確信するほど実った柿の木を見ることができた。実家の庭にあるのはわずか1メートルにも満たない背丈の柿の木。そこに20個?いや30個以上の実がなっていただろうか。枝も実をぶらさげ重そうに垂れ下がっていた。父がある日、買ってきて植えたものらしい。初めてそのたわわな実を目にしてそれから1ヶ月が過ぎた。すでに実は収穫されたあとだった。いままでも2〜3個はなっていたというが、今年のような豊作は初めてとのことらしい。大きなかごにあふれんばかり収穫できたと言っていた。かごに溢れる柿を見られず残念だ。かごの中には残り4〜5個の柿が入っていた。完全に色づいてからだと落ちるものもあって掃除が大変だからと木に2〜3個残して、全部収穫し、熟してきたものから母のお腹の中に納まったようだ。母が残ったのを1つ剥いて食べさせてくれた。家でなった柿を食べるなんて生まれて初めてだ。そうじゃないと言われつつも、渋柿なんじゃないかと疑う私。口の中へひょいと放り込むとなんとも優しい甘みが口の中に広がった。私「おいしいじゃない?」母「そうでしょう?」となんだか満足げ。もう一度翌朝、柿の木をよく見た。なんと小さく、幹も枝も細いこと!頼りなさそうな幹は、計ったら直径にして8pくらいしかないのではないか?こんなガリガリさんからそんなに沢山の実が取れたとは。この柿の木は栄養をすべて実につぎ込んでしまったんじゃないだろうか?と心配になるが、自然の力ってすごいなあ、生き物ってすごいなあと思った。ここまで栄養を使い果たした柿の木のガリガリさん。来年もちゃんと生きられるのだろうか。柿は沢山実がなる年とあまりならない年と交互に来るともどこかで読んだことがある。剪定もするといいとも。剪定については母が剪定魔なので問題ないだろう。庭の木々は、すぐ伸びてくるので、母は伸びてくると、ちょんちょんに刈り込む。手に届かないほど伸びてしまうと自分で手入れができなくなってしまうからなんだとか。母の手にかかる庭木はなんだかさっぱりしている。でも庭に実のなる木があって収穫できるっていいなあと庭のない賃貸住宅に住むわたしはうらやましく思うのだった。(やぎ)
2018年10月19日
『40%』  はじめは小さなことから始まったが、いまやかなりな大事件でもまかり通っている。政治家の責任のことだ。小さな間違いをしてその責任を取らずに済ますことが出来たら、同じレベルのことが起きても前例にならって責任を取らない。それが当たり前になってしまう。次にもっと大きな間違いをしでかしても、責任は取らない。そういうものだという空気ができてしまっている。日本とアメリカで同じような状況になっている。どちらも嘘や事実の隠蔽が中心にあるが、その責任を追及する力はとても小さい。責任追及より別の利益を重視して行動する。日本では麻生財務大臣は、財務省絡みの数多くの問題に一切責任を取らないし、アメリカではトランプ大統領の嘘の連発に叛旗を翻す与党政治家が出てこない。両国ともこれまでのところ、これまで程度の問題では国民の40%の支持は揺らがない。40%の支持がなぜ揺らがないのか様々な説明がされているが、いやな予感がするのは、そういう固い支持を動かすためにはもっと大きな問題を引き起こさなければならないのかと考えてしまうからである。大きな問題が起きたとき起こされたときに、責任を取らせて元に戻すことができればいいが、そのときそれが可能な状態であるかどうか。(宮)
2018年10月12日
『渋谷』  以前書いたが、井の頭線渋谷駅から東横線に乗るために地下通路に入ると、両脇に大きな広告がある。昨11日に東横線に乗るべく入っていったら、左手大画面の広告が無い!こんなこともあるのかと驚いた。人は相変わらず多くて、気をつけて歩かないとぶつかるほどなのに広告がなくて、間が抜けた景色に見える。この通路は外国人が多い。外国人といえば井の頭線を降りて地上に出ず、地下鉄駅に向かうとスクランブル交差点が見える一角があるが、そこでは外国人が大勢交差点の様子を眺めている。大改造が始まる前の渋谷の景色が懐かしいのだが、今はそれとは違う新しい景色が出来上がりつつあるのだとも思うのだ。(宮)
2018年10月5日
『責任』  ジャイアンツ(野球)の高橋監督が今季限りで辞任するという。3年契約の3年目だそうだが成績不振で責任を取るということだそうだ。スポーツの世界もいろいろなことがあるが、取るべき責任を取るということがまだ健在ということだ。すぐに比較したくなるのは政治の世界だ。
 不祥事を起こして責任を問われて、いずれ記者会見をひらいて説明しますと言った政治家たちが、約束どおりに説明はしないまま、今回の安倍内閣発足にあたって閣僚や党役員に任命されている。任命する人も任命される人も責任などどこ吹く風という態度である。たとえば麻生財務相は公文書改竄や虚偽答弁で批判の的になった組織のトップにいて、自殺する職員まで出たのに、責任など感じていないから平然と再任されるわけだろう。今朝は、佐川前国税庁長官の人事を依然として「適材適所」と言っている。現在の政権では責任という言葉が、まったく意味を持っていないのだ。自殺した職員の父親や財務相OB職員が報道機関に実名で出てきて発言しても何の効果も生み出さない。責任に係ることがらをすべて無視している。こういう異常事態に与党政治家からほとんどなんの反応もないことに愕然とする。
 これら一連の事態について、報道機関が批判しないことに現在日本政治の深刻な病状を感じる。道徳教育が必要なのは政治家とりわけ与党政治家だ。
(宮)
2018年9月28日
『秋晴れ』  久しぶりの秋晴れ―つかの間のことらしいが―で、朝の浅川土手は賑わっていた。ウォーキング、ジョギング、自転車といつもの利用者に加えて、袋とごみバサミをもってあたりをゆっくり探索してごみひろいをする人、同じ自転車でも横並びで手をつなぎ会話をしながら走る中国人女性まで、いろいろな人に出会った。行程の中ほどまで来ると、湿度が低くて空気が澄んでいるからだろう、富士山が見えた。私も、台風襲来直前の秋晴れを味わいながら事務所に向かって歩く。(宮)

『迷子のおばあさん』  夕方もうすっかり暗くなった道を会社から駅に向かって歩いていた。道の角におばあさんがいて呼び止められた。〇〇アパートに行きたいのだけど(たぶん自分の家のよう)、どこにあるかわからなくなったという。カバンの中からアパート名と番地を書いたメモを確認して教えてくれるのだが、アパート名なぞ、ついぞ意識的に見たことがないから覚えているわけもなく…。わかったのは会社がある場所と同じ5丁目で会社から近そうだということ。
 「二階建てのアパートで、階段がついていて…」と、どこにでもあるアパートの特長をおばあさんに告げられてちょっと困ってしまった。さすがに秋になり肌寒い。「わかりません」とだけ言い残し、おばあさんを一人残して立ち去れまい。一緒に歩けば見つかるに違いないとたかをくくり、本人と二人で歩き出した。いくつかのアパートを見つけては確認する。昔は住宅街でも家の表札や、電信柱に住所表示がしてあったが今はほとんどそれも見当たらない。私「ここですか?」おばあさん「ここじゃない。」私「ここは?」おばあさん「あれ?ここかな?似てるけどちがう」。参考のため「どんな雰囲気のアパートなんですか?きれいな感じ?古い建物?」と聞くと「わりとこぎれい。でも築40年だからそんなに新しくも無いね」しばらく歩くと「ここは電車の音が聞こえない。家のあたりは線路が近いから、電車の音が大きく聞こえるの」という。ということは…そうか、じゃあもう一本線路よりの道だ!そして今来た道から一本手前の道へ向かう。突き当たりまできた時、おばあさんが「あ、ここだ」と一言。いつの間にそのアパートの前に着いていたようだ。表示をみたら言っていたアパートの名前。思ったより早めに家がみつかった。
 「じゃあまた」と私。「悪かったね。おやすみなさい」とおばあさん。いつか私も自分の家に帰れなくなってしまうことがあるかもしれない。カバンの中に自分の家の住所だけは入れておこうとちょっと思った。もう少し年をとってからになるだろうと思うけれど…。
 でも実際、近所だろうとそうでなかろうと暗くなった通ったことのない道は迷子になりやすい。道は真っ直ぐに見えて一本手前の道と平行に走っていると思いきや思わぬ方向に伸びていたりして元の道から遠く離れてしまうこともある。近所だからと侮るなかれ。
(やぎ)
2018年9月21日
曼珠沙華と白鷺と三味線  秋の梅雨空で鬱陶しいが、晴れ間がのぞいたとき2度ほど浅川土手を歩いた。猛暑を避けて、しばらく休んでいた土手通勤を復活したのだ。久しぶりの土手は曼珠沙華が群れ咲いて華やかな景色である。行程の中ほどに進んだ頃、三味線が聴こえる。向こう岸の階段状につくられた土手の中ほどで、三味線を弾いている人がいる。以前にも出会ったことがあるが、広い空間を超えて響いてくる三味線の音をなんと形容してよいか。今風のバタ臭い弾きかたではなく、邦楽の調子だとわかる。そして、川面には白鷺が泳いでいるし、空中にも姿がある。土手を歩いた2度とも赤い花と白い鳥と三味線の組み合わせに出会ったのは何という幸運だろうか。(宮)
2018年9月14日
『駅の改造工事』  あたらしい本の原稿をお願いしている著者と打ち合わせをするために、ここ数年東横線菊名駅に通っている。建設後長時間経過した東京の鉄道の例に漏れず、菊名駅も現在改造工事中である。駅を使用しながら工事するわけで、綿密な計画にもとづいた工事が行われているのだろう。工事自体長期間にわたるが、最近少しづつ完成後の姿が見えてきた。改札の場所が変更され新しい改札口が出来る。駅に入る通路の工事は最終段階にある。
 地上からのエレベーターはすでに完成している。エレベーターは設置可能な場所が限られるためか、利用するために歩いてたどり着かねばならない駅が多いが、その点菊名駅はわりと便利な場所にある。しかしエスカレーターは作られていないようだ。工事をみると設置の予定ななさそうだ。老人の利用者のためにはエスカレーターがあるとよいのに。
 神保町の改造工事はいよいよ本格的に進められている。使い慣れていた駅も、会社の事務所移転後たまに出かけると工事のための遮蔽・通行止めなどによって一瞬方向がわからなくなるほど姿が変わってしまった。地下鉄の神保町駅がどのように変貌するのか、楽しみにしている。
(宮)

『スクランブル交差点』  スクランブル交差点というと渋谷の109の前の交差点を思い浮かべる。四方八方から人が歩いてくるのに誰もぶつからずに交差しているのを見たり、初めて自分で体験した時は感動したものである。
 会社のある南平には会社も少なく、住宅街でもあるので歩いている人もまばらで、いっぺんに沢山の人を見る機会はあまりない。駅のホームで高校生の帰宅にぶつかるか、若者(大学生?)の飲み会か、何かの集まりの帰宅にぶつかるとき、帰宅時間に電車を降りてくる人とぶつかるときくらいだ。
 ある日の会社からの帰り道、広い道を中学校側に渡ったときのこと。なんとその日は中学生が帰るために校門を出てちょっとおしゃべりしながら学校の角のあたりの歩道に沢山たまっていた。思いもよらない大人数が(30〜40人くらいか?)ちょうど「じゃあね!」とか「バイバーイ!」とか言いながら、いっせいに道の方々に散り始めた。その中ほどに私が突入してしまったのだった。右からも左からも前からも斜めからも人が歩いてくる。誰もぶつからず淡々とにこやかに交差して散らばっていった。おお、この人の少ない場所で思わぬ、即興スクランブル交差点じゃないか!と心の中で興奮する。秋の気配のする薄い暗闇の中で一人感動。そして誰かに言いたくなった。誰もそんなこと興味ないかもしれないけれど。生きていると時々面白いことが起こるものだ。
(やぎ)
2018年9月7日
『文語調』  NHKラジオの教養番組で「小泉八雲」を放送している。そのなかで「知られぬ日本」という言葉がでてきた。「知られざる日本の面影」というタイトルを覚えていたので、その作品とわかったが、おなじ文語調なら「知られざる」のままでいいのにと思う。口語的な表現、やさしい表現をめざして以前の言い方を変えることはよくあるが、たいがいは表現が劣化する。「知られぬ」と「知られざる」では微妙に違うのに。同じ例をもう一つ。「尊き御身」をいまは「まことのお体」と言っている。適訳か否かと初めて耳にした年齢と言葉の趣味がからんでいる。(宮)
2018年8月31日
もぎたて海外仰天ニュース  『日刊ゲンダイDIGITAL』は、安倍内閣に対する痛烈な批判記事で知られており、私も『日刊ゲンダイDIGITAL』はその種の記事を求めて読んでいる。ところが、つぎの記事に出会して驚いた。「高校中退シングルマザー全力支援 元女性担任に熱いエール」という記事である)。
 「米紙ワシントンポスト(29日付電子版)によると、米シカゴのハイスクールで地学の教師をしているラションダ・カーター(37)さんは、いつも生徒たちに「本当に困ったことがあったら、必ず連絡するように」と伝えている。8月23日深夜2時ごろ、ラションダ先生がフェイスブックをチェックしていると、3年前に教えていたラレシャ・プラマーさん(18)からメッセージが送られてきた。ラレシャさんは、3週間前に女の子を出産。お金がなくて娘の粉ミルク代にも困り、自分も食事を満足に取れていない。仕事に就くためにジョブ・フェア(合同会社説明イベント)に出席しなければならないけど、交通手段がない、などと窮状を訴えた。朝になったら迎えに行くから待っていて。住所を送って」自身もシングルマザーであるラションダ先生は即座にそう返信。そして車でラレシャさんを迎えに行き、ジョブ・フェアの会場に連れて行った。ラレシャさんがジョブ・フェアに出席している間、ラションダ先生はラレシャさんの娘タリヤちゃんにミルクをあげながら車内で待っていた。そして、スマホでその様子を動画で撮影し始めた。(中略)ジョブ・フェアの後、ラションダ先生はラレシャさんに、シングルマザーに食事を支援するWICという団体を紹介。さらにソーシャルファンディング「GoFundMe」にラレシャさんへの支援を訴えるページを作成し、寄付を募った。ラションダ先生は、車内で撮影した動画を自身のフェイスブックに投稿。先生への共感とラレシャさんへの同情から、この投稿は急拡散。8月30日現在、16万もの「いいね!」が押され、8万6000人からシェアされてる。またコメント欄には、先生への称賛と、タリアちゃんへの具体的な支援の申し出が殺到している。(中略)タリアちゃんの父親はまだ17歳で、貨物運送会社で働いているものの、「あまり助けにならない」と言うラレシャさんは、カーター先生について、ワシントンポストにこう語った。「妊娠中、先生以外は誰も助けてくれませんでした。先生は、決して私を見捨てなかった」」
 嫌なニュースが充満している毎日だが、その一方で、毎日地道に生活している人がいて、その働きに共感した人がさらに応援する。人間の美しい面が現れたいい話だった。
 記事は「もぎたて海外仰天ニュース」というページのものだったので、他の記事もみてみた。中にこの記事のようなほのぼのとした善意の行動をとりあげた記事も混じっていることがわかった。「もぎたて海外仰天ニュース」というタイトルは、私がパスしたい表現だが、気をつけて見分けて読まなければ。
(宮)

『母のメール』  最近、父が介護施設にいるため、母は人生初めての一人暮らしをしている。ちょうど数ヶ月前私が家に帰省したとき母が意識を失って倒れたことがあった。孤独死だけは嫌だなあと思い、以降毎朝おはようメールを送っている。安否確認だ。メールが苦手だという母。ひらがな、カタカナ、漢字、小さい文字の出し方がわからないからへんな文になるのだという。でもなかなかどうして母が送ってくるメールはユニークだ。ひらがな、カタカナ、漢字をごちゃまぜに使い、母独特の言い回しでメールが届く…。思わずくすっと笑ってしまう。最近じゃその返事を心待ちにしているのは私だったりして…。
 メッセージはこんな感じだ。「モウニング。電車の北は黒雲、南はあお空なんじや、焦らずでござる。はブアナイスデー。」そして別の日「おはよう。今夷隅てつどう発車です今日はすずし風が吹いてきもちよか。ばちし朝食もとり元気もりもりたい。〇〇も無理せんことじゃよ」「おはよう。美容院にいくとお喋りができてすかーとします。梅雨空のもとこころははれやかに」「おはよう。ものすごくうれしいわい。実は〇〇から介護の方が家にいらっしゃるので今いんとんのじゆつを使っています」などなど。ちなみに隠遁の術とは自分が隠れるのではなくごちゃごちゃの部屋をキレイに見せるために物を押し入れなどに隠す作業のことなのだとか。カタカナとひらがな、英語の混ざり具合が妙に絶妙な母メール。しかし心配なのは二人でおしゃべりしていると「あれ」とか「それとか」物や人の名前が出てこないこと(私も同じなのだが…)。まるで連想ゲーム。でもこれだけ気が利いた言葉をメールで操っていれば心配ないか?とも思う。私が先にボケないようにキヲツケナケレバ…。
(やぎ)
2018年8月24日
『庭の花』  去年茂りすぎた庭の花木が大胆に剪定されたので、今年は花の咲く木は、山吹と百日紅と紫陽花になった。去年までたくさん花を咲かせた木は、今年はないので従って鳥が来ない。花が咲けば蜜を吸うために毎日何羽も何羽も飛んできて花を一つずつ移動して蜜を吸っているのを飽かず眺めていたのに、今年はその姿がない。毎年同じような庭の風情なのだが、庭の手入れのせいで鳥が来なかったわけで、同じように見えて同じでなく景色が変わっていく。すると去年まで気づかなかった紫陽花に目がいく。5月の末頃から花が咲き始め、満開のときには水色のきれいな花が目を楽しませてくれた。やがて花びらが褪色し始めて、いつ散るのかと思っていたら、一向に散らなくて、褪色が更に進み少しずつ枯れてきたが、でも花の姿をなおも保っている。去年もこんな具合に推移していたのか、記憶がないので、どのように姿を変えていくのか見ておこうと毎日ガラス戸越しに見ている。(宮)
2018年8月17日
『石破茂』  自民党総裁選挙に出る石破茂が斎藤隆夫記念館に行き、言うべきことを言うことの大切さに触れ、自分も見習いたいと述べたそうだ。これは重い発言で、直ちに石破本人に跳ね返ってくる。石破は出馬の記者会見で、正直と公正というスローガンを提示した。これには、まるで小学生の学級委員選挙みたいだという批評が出ていたが、小学生だってもっとましなスローガンを掲げて選挙するだろう。現代日本の政治の世界は、正直と公正を掲げて戦う必要があるところまで、劣化してしまっているのだ。石破がこの状況の中で敢えて正直、公正を謳い、安倍首相に挑むからには、それなりの覚悟を決めたのだろうと、期待したい。なにしろ安倍首相がどんな嘘をつき、首相にあるまじき発言をしても、閣内からは批判の声は一向出てこず、理不尽な「閣議決定」を次々にしても、閣僚全員が署名捺印している。高級官僚の公文書隠し、捏造も罪の問われることはなく、責任者である政治家の誰一人として責任をとって辞任することがない。嘘と無責任な行動が繰り返され、当たり前のことになっている。メディアは、そのことを批判しない、あるいは出来なくされているようだ。そこに「正直と公正」だから現状では勇気ある行動にちがいない。そして斎藤隆夫を見習いたいと言った石破は、自らの発言をどこまで貫けるか試されている。(宮)
2018年8月10日
『爆弾3勇士』  安野光雅さんが朝日新聞の「語る 人生の贈りもの」Bで「小学校低学年のころ、1932年の上海事変で敵陣の鉄条網に爆弾を持って突入、爆死した「肉弾3勇士」の美談が一世を風靡した。もう、我々の下敷きからノートまで、3勇士が印刷されていないものはないぐらい。私は今でも、何も見ないで彼らを描くことができます。」と書いていた。
 軍部に迎合した好戦的な戦前の新聞を読んだ経験があるので、その風潮に子供が影響され、安野さんの場合には今でも何も見ないで3勇士を描けるというのを「さもありなん」と思い、批判精神の欠如が顕著な近頃の新聞テレビのことを想起した。
 安野さんの記事のことを話したら、安野さんより2年歳上の今井清一さんは、当時朝日新聞が公募した爆弾3勇士の歌をすらすら暗誦して聴かせてくれた。当時暗証させられたのをいまだに忘れずにいるわけだ。この歌は「廟行鎮の敵の陣」といって、募集に応募した与謝野鉄幹の作品なのだと教えてくれた。歌は七五調の調子のいい詞で、「鉄幹先生もよくやるなあ」ということもあるが、軍部と新聞と芸術家の連携で好戦的な空気を煽っていたことよく示している。子どものころの教育が長く影響を残すことがよくわかる。
 そして、爆弾3勇士で思い出したのが、私が小学三年か四年のころ、授業で担任の先生が爆弾3勇士のことを話したことだ。敗戦後間もない頃の小学校の授業で一体どういう文脈で爆弾3勇士が出てきたのか思い出せないが、爆弾3勇士の話は私の記憶に残ったわけである。この先生は東京大空襲のときに黒焦げになった死体を見たと、戦争の悲惨な情景を話してもいた。
(宮)
2018年8月3日
『熱中症』  昔、夏になると日射病という言葉をよく聴いた。ネットで調べたら、現在の分類では日射病は熱中症の中に含まれる症状らしい。毎日気温と熱中症に関するニュースが溢れている。私も今、出勤時の浅川利用を控え、夜帰るときだけにしている。高齢者は自覚症状がないままに熱中症で倒れることがあるので、予め行動に細心の注意を払う必要があるようだ。毎日のニュースで熱中症による死者があとを絶たないのは、このあたりの事前の注意不足によるのではないかと思って行動に気をつけている。夕方すこし気温が下がってきたとはいえ、浅川土手をジョギングしている人が結構いるので、他人事ながら心配になる。(宮)

『夏の音?』  暑い日が始まって久しく、あまりに暑い日が続くので、もういい加減涼しくなったらどうだろうか?などと勝手なことを考えてしまう。本当は今から夏本番という月なのにそんなことも忘れそうなくらい、脳みそまで溶けておかしくなっているのだろう。夏の音として思い出すものは色々あれど、打ち上げ花火、風鈴、夕立、セミの声、プールから聞こえる子ども達の声などが主だった音だろう。これは夏に限らないが刈り払い機で草を刈っているエンジン音なんかもどちらかというと夏っぽい気がする。しかし今朝会社の通勤途中ですれ違った少年の背中から聞こえてきたのはまさに夏の音だった。彼の背中からはカチャカチャ、ポチャカシャ。と水っぽいもののなかを氷がこすれあうような音がしていたのだ。きっとリュックには水筒が入っているはずだ。こんなに暑い日は氷の入った水筒でももって歩かなければ倒れてしまうだろう。その少年の背中から奏でられる音はなんとなく夏そのものの音であり、安心する音だなと一人ふふっと嬉しくなった。(やぎ)
2018年7月27日
『「戦争は悪」と主張した軍人』  日本海海戦で戦艦三笠に乗り組んでいて、その艦上で戦争の残酷悲惨を体験した堀悌吉は、軍人でありながら「戦争は悪」と確信して、自分たち軍人、すなわち陸海軍の軍備というものは戦争を起こさないためにこそ存在すると考えていた。
 その堀悌吉は戦後すぐに次のように書き残している。「子子孫孫に至るまで斯かる海軍の人となる勿かれ。」之は昭和七年上海事変の現地に於いて深く感じた所である。抑々昭和七年の上海事変は、第一遣外艦隊の無分別、無定見に依り起こされたものである。従って全くの無名の師である。素因既に然り、次に来たものは平戦時公法の無視蹂躙、兵力濫用の修羅道である。一言にして上品に言ふても武士道の極端なる堕落である。斯様な場所で斯様な友軍と協同して警備に従事せねばならなかったのは自分の不幸な廻り合である。」堀悌吉の「戦争と軍備」という文章の一部だが、ここまできっぱり発言する軍人が存在していたことに驚いた。当時、海軍の第三戦隊司令官という武力組織のトップでありながら、冷静で常識にねざした判断によって行動したことに感心する。
 日頃どんな穏健な意見を持っていても一度戦争に巻き込まれれば、その流れに逆らって行動することがどれほど困難なことか。しかし無用な犠牲者を出さないため、無用な戦争に引きずりこまれないためには、このような勇気ある行動が必要なのだ。ロンドン海軍軍縮会議当時海軍軍務局長だった堀悌吉は常識ある判断と行動で軍縮条約締結に貢献したために、上海事変の2年後、現役を退かされる。山本五十六は堀悌吉の予備役編入のニュースを聞いて、巡洋艦戦隊一つと堀悌吉とどちらが大事なのかと批判したが、海軍もまた、良識に留まることはできずに、戦争への道をずるずる進んでいくのだ。
(宮)
2018年7月20日
『造反』  参議院議員の選挙法改正で自民党からの造反は船田元一人だそうだ。自民党は選挙法を自党の都合のよいように改めていて、野党の激しい反対にもかかわず強引な国会運営で押し切った。野党は数のうえではまったく刃がたたず、法案はあっさり成立してしまった。こんなことの繰り返しで政治が動いている。自民党内からまともな意見を表明する議員はほとんど出てこないし、公明党は何があっても政権からは決して離れないと決めているようだ。こんな状況の中で船田元は貴重な一人である。しかし、貴重な一人がいるだけでは事態は動かない。
 似たような問題のある政治の状況は世界中で発生している。しかし、イギリスでは政権幹部の方針に納得しない閣僚が辞任しているし、アメリカではトランプ大統領の政策をめぐって辞任、馘首ともに次々起きている。マレーシアでは92歳のマハティールが復活した。日本は、内閣の無責任で醜悪などんな行為に対しても造反する者は殆ど出てこない。1年前の前川喜平は勇気のある先頭バッターだったが、あとが続かない。批判の声は存在するがかなりの少数派でしかない。
 しかし絶対多数を持つ自民党と公明党のなかから政治家の責任を自覚した人が出てくる可能性を、なお5%ぐらいは信じている。
 それにしても、こんな深刻な状況にマスコミがまともに機能していないと思うと、かつてない不安な気持ちに落ち込む。
(宮)

『幸せそうだなあ』  今、父がいる病院は千葉の大多喜というところにあり、行くときにはJRの大原駅で乗り換えていすみ鉄道に乗る。この列車は二両編成の小さな電車だ。だが、古い車両をそのまま使っているので鉄道好きの人にとっては貴重なものらしい。母はいつも使っている電車なので特にそのありがたみは感じていないようだ。わたしとて、そこまではしゃぐわけでもない。車両にはキハの文字。以前この列車で一緒になった鉄道好きの方と話をしていたとき、その人は、この列車は日本の宝だと言っていた。日本は古いものを丁寧に使いながら残すのが下手くそだという。私もそう思う。まだ使えるものを直して使うのではなく、きれいに作り変えてしまうことのほうが多いような気がする。家も電化製品もその他のあらゆるものも。いすみ鉄道で使っているその車両はとても味があり、乗っていてもとても落ち着く。そして田舎の風景ともマッチしているように思うのだった。実は私は鉄道マニアではないけれど、乗ったことのない電車や特急などに乗るのが大好きだ。飛行機でなく、こういう電車でトコトコと旅をしていると色んな人と出会うし、話すことも多い。ある時は小学生だったりそれよりも小さな電車好きの男の子だったりと母も言っていた。この間、一ヶ月ぶりにその列車に乗った。春ごろの土日はいつも混んでいたのに、この連休は、やはりみんな海なのか車内はわりと空いていた。ふと横のボックスを見るとおじさんが一人で座っている。その顔はこの列車に乗れたという喜びに満ち溢れていて、良かったなあ幸せそうでと思ったのだった。父のおかげで乗るようになったいすみ鉄道でいろんなドラマを見せてもらっているようだ。嬉しそうな人たちを見るたびにこの列車が好きになり、私のスマホの写真にもいつの間にか、いすみ鉄道の姿を何枚も写しているのである。(やぎ)
2018年7月13日
『平成30年7月豪雨』  死者・行方不明者合わせて300人弱の大災害だが、テレビ、ラジオのニュースでは繰り返し過去にないような豪雨で重大な被害が出ると予想されるので迅速に避難し身の安全を確保するようにと言っていた。それでも甚大な被害が出た。思うように身動きができない高齢者は、避難したくてもできないだろうし、そういう高齢者の存在を誰がどの程度把握できているか。気象庁の予報と自治体の対策が連動して働けば有効な防災行動が取れると考えるのは単純すぎるのかもしれない。
 それにしても、去年の九州北部豪雨の記憶がまだ生々しいときなのに、有効な対応が出来ないのは情けない。5日の自民党酒宴の弁明に竹下総務会長の、まさかこれほどの災害になるとは思わなかったという発言がいい例だが、自分に関わりがなければ実感を持って考え行動することが出来ないらしい。政権与党幹部である竹下の発言は論外だが、予測を生かすことはとても難しいことらしい。
(宮)

『日野の雑木林へ』  日野市主催の雑木林ボランティア講座を3月に修了してから、初めての雑木林の活動に参加した。朝9時半に集合、初めて行ったその場所には年配の方々が5〜7人集まっていた。当日はカンカン照りのお天気で気温も昼間34度を超える勢い。移動するだけで汗がたらりと垂れてきた。私の参加していない前回の場所を示し、今日はその上の斜面の草刈をするという。以前、下草は全部刈っていたらしいが、雑木林らしい植生にしたいと考えているということ。新しく育っている若木も成長させたいが木を選んでないのでとりあえず残すという方針に。また植物もすべて刈るのでなく必要に応じて残すとの説明を聞くが、草の名前を聞いてもその草がどんなものかが判らないことに気づく。本当になにも知らないのだなあ嫌になる。だが新入りの私に周りの人が草の名前と形を指しながらアドバイスをしてくれた。ようやく安心して下草を鎌で刈れる。一時間もしないうちに汗びっしょりだ。しかしみるみるうちにまわりはキレイになっていく。せっかく来たのだから覚えていくといいよと竹を切らせてくれることになり細い竹を3本切った。竹も木を切るのと一緒で受け口追い口を鋸で入れていく。倒す方向と安全を見ながら。竹を切るのはそれで終わりかと思いきやお昼休み1時間をはさんで午後は草刈でなく竹やぶの竹を間引きする作業に移った。私にはつきっきりで一人の叔父さんが今度はこれをと指示とレクチャーをしながらサポートしてくださった。午後は7〜8本切ったのだろうか。竹は中はほぼ空洞なので切るだけなら簡単なのだが、大きく育った竹の枝を払い、小さくし、片付けるのが結構大変だ。何本も切っては片付けているうちに自然に息があがってきた。斜面への踏んばりも、腕の力も弱ってくる。まわりをみるとみんな私よりずっと年をとっているのに足腰がしっかりしていて、次々作業をこなしていく。午後、作業もあと少しで終わる頃、近所の農家の方が、よかったら冷やしておいたトマトを召し上がれと山盛りもってきてくださった。わあおいしそう。念のためどこの家の方か聞くと、家を指差してあそこと教えてくれた。あとで聞くとこの近所はみんな同じ苗字だというから家を聞いておいて正解だった!15時半頃作業を終えてみんなでトマトを食べる。今日収穫したばかりの冷えたトマトはおいしくみなでムシャムシャ食べた。鋸や剪定ばさみを下げていたベルトをはずすと腹回りのTシャツの布がグッショリ濡れている。絞れそうだ。そのあとどっと疲れがでて私の腕は筋肉疲労であがらなくなり重い腕をぶらさげて帰宅。その日は使い物にならなくなってしまった。翌日はどうにか復活したが、もっとたくましくなりたいなあと思った一日であった。でも休憩中にふと見上げる雑木林の木々が風に吹かれてざわざわし、その光景がキレイでまぶしくて気持ちがすっとした。また来よう。(やぎ)

『山に行きたい』  山について書かれたエッセイ集を読んでいたら、山に行きたくなってしまった。
中央アルプスと南アルプスに囲まれた盆地で生まれ育ったこともあり、山の見える場所は落ち着くし、山が見える場所が大好きだ。
娘は、夏休みになると、私の実家に一人で帰省し、私の両親と共に、山登りをしている。麓からの登山ではないものの、ひと夏に3つの山に行ったり(←これは私の両親もすごい)、すっかり夏は山に行くことが定着している。今年は、ママも一緒に行こうかな〜と言ったら、「え〜?」と不満顔。私がいたら怒られるようなわがままを聞いてもらいながら、登るのも楽しみの一つなのかもしれない。しょうがない、じゃあ、私は一人で、実家の近くの山にでも登るかな。
(みなりん)
2018年7月6日
『テネシーワルツ』  YOU TUBEで戦後間もなくの歌謡曲を聴いていたら、《テネシーワルツ》が出てきた。例によって忖度で勝手に動いているのだ。《テネシーワルツ》というと70年近く前のことを思い出す。自宅に隣接して親類一家が住んでいた。わたしより5歳年上の跡取り息子のIは近所の子どもとはほとんど付合わず、自転車の後ろに外国人の女の子を乗せてこれ見よがしに走るようなこどもであった。Iは高校受験の面接で「尊敬する人物は?」と訊かれて「マッカーサー元帥」と答えたと伝え聞いた。人びとが、良い返事をしたと評価したのか馬鹿な答えをしたと批判したのかは残念ながら記憶にない。親類だからIの家に時々遊びにいった。Iは蓄音機を持っていて聴かせてくれたのが《テネシーワルツ》である。一度聴いたら忘れられない美しいメロディーだった。Iから蘊蓄を聞かされたはずだ。当時はアメリカ文化が幅を利かせていた時代で、私にとってジョン・ウェインやランドルフ・スコットの西部劇映画は嵐寛の鞍馬天狗や右門捕物帖と並んで娯楽の王様であったが。《テネシーワルツ》は昭和二十年代の生活の一面を思い出させてくれる。聴かせてもらったのはパティ・ページのレコードだろうが、日本では江利チエミが歌って流行った。
 Iが、10年ほど前に亡くなったとき、葬式でいよいよ出棺というときに《テネシーワルツ》が流された。私には《テネシーワルツ》はIの印象と離れがたく結びついていたのでメロディを聴いたとたん胸ふさがり、「細君はさすがによくわかっている」と心中で称賛した。
(宮)

『注意して下さい!』  以前、夫の実家で法事があったときのこと。いつも帰ると必ず姪っ子、甥っ子と遊ぶのだが、ふと見ると甥っ子がおもちゃのバスを持って遊び始めた。ボタンがいくつかあって、そのボタンを押すと「止まります」とか「バックします」「曲がります。注意して下さい。注意して下さい。」とおもちゃがしゃべる。面白がって「注意して下さいのところを」言い換えて「ちゅーぃ(小さい声で)して下さい、ちゅーぃして下さい」と言ったところ、ニコニコしながら走ってきてほっぺになんとチューをしてくれた。子育てしたことのない私が小さな子どもと接するのは年に数回なのだが、まさかチューしてもらえるとは…あまりにかわいくて、嬉しくて倒れそうだった。嬉しくて倒れないように「注意しなければ」と心の中で自分に注意をうながした。ちなみに姪も甥もよく人をなめたりかんだりしてくるのだが、それはやめてほしいものだ。似たような行動のようだがまったく違う。甥や姪にその違いわかるかな?(やぎ)
2018年6月29日
『BOOKEND2018』  絵本学会の機関誌『BOOKEND』の2018年版が刊行。判型を変え、デザインを一変した新しい『BOOKEND』の2冊目である。表紙には安野光雅さんの『もりのえほん』のなかの若葉の美しい絵が使われている。2018年版から本文用紙を少し白さの増したものに代えた。出来上がった本はおおむね好評で胸をなでおろした。
 早速飛び込んできた注文で、「今、Amazonで注文できないのは、どうしてなんでしょう。」ときかれた。アマゾンと直取引をしていない当社としては「どうしてですか?」とアマゾンにききたい。「アマゾン便利」のイメージが浸透していて、スムースに事が運ばないと、このような疑問が出てくる。アマゾンがからんでいて解りにくいのだが、出版流通が抱える問題は重い。
 数は少ないが、取次経由で配本された『BOOKEND2018』がちょうど書店に並び始めた頃だが、より多くの読者を獲得してひろく読まれるようにするべく、現在、営業活動を展開中である。
(宮)
2018年6月22日
『サッカーと国会』  ワールドカップ初戦でコロンビアに勝ったときのテレビニュースに驚いた。なにしろ伝えるアナウンサー、コメンテーターが興奮している。現地から報じるテレビ朝日の女性は「震えが止まりません」と、力の限りという感じで体全体から声を出して絶叫していた。ニュース報道と言えるようなものではなかった。さらに渋谷のスクランブル交差点に集まったファンの熱狂ぶりををみて、興奮状態の群衆をとんでもない行動に操るのは容易なことだろうと恐怖を覚えた。同調を煽るかのごとき、扇情的な報道に寒気がした。嫌悪感で震えが止まらないのは見ている私の方だ。
 サッカーにこれほど興奮する報道、熱狂する市民が、国会の政治活動には、サッカーの1%の興味すら示さないのが恐ろしい。
 日露戦争後に、ポーツマス条約でロシアから賠償金を取れなかったことに激怒した民衆は日比谷焼打事件を起こした。人々がどんな状況のときに興奮し行動に走るのか、考える格好の材料である。
 繰り返し繰り返し情報を注入され、その情報に基づいて各人が心底から期待するものを持っていて、それが裏切られたときには「日比谷焼打事件」になり、期待が満たされたときには「渋谷のサッカーファン」になる。
 人々が国会の政治に興味を示さないのは、政府の情報操作が功を奏して北朝鮮の脅威には敏感に反応するが、モリカケ問題は許容範囲のミスと捉えているからではないか。こうとでも考えないと安倍内閣の支持率が30〜40%を保っていることが理解できない。
 そして情報操作は結構容易だが、事実の情報、事実の正確な情報を理解してもらうのは至難の事柄なのである。「歴史修正主義」がはびこるわけである。
(宮)

『子どもも、色々』  本当に子どもでも大人でも個性がない人っていないなあと最近思う。先日義父の3回忌のため夫の実家のある九州に帰省した。去年の最後は、お盆に帰省した時だから、ほぼ1年ぶりの帰省。もちろん姪と甥とも1年ぶりだ。もっと小さい時には会うごとに人見知りをされていたが、一応認識してくれたのだろう。最近はいくとすぐさま遊びに誘われる。成長とともにちょっとずつ変化しているのがなんだかほほえましい。久しぶりに会った2人は元気にパワーアップしていた。1人は小学校2年生、もう1人は4才になり幼稚園に通い出したそうだ。この下の甥っ子が面白い。幼稚園がそんなに好きではないらしく泣きわめかないまでも、病気になったりして幼稚園を休んでいいとなると喜ぶようだ。話を聞くと、家が一番なのだとか。義妹がある日、彼に「ねえ、今日幼稚園でなにが一番楽しかった?」と聞いたら「帰りのバスに乗ったとき!」なんだって…。思わず笑ってしまった。本当に家が好きなんだねえ。これから君たちはどんな子になっていくんだろう。おばさんは2人の成長が楽しみで仕方ない。(やぎ)
2018年6月15日
『宇宙エレヴェーター』  金曜日夜8時半からNHKラジオ第2放送で「科学と人間」というテーマの番組がある。「地球外生物」や「AI」のこと、今は「宇宙エレヴェーター」のこと。いずれも10回前後のシリーズで、なるべく聴きたいとおもっている。「宇宙エレヴェーター」は、テレビならもっとうまく伝えられるのだろうが、そんなこと言っても始まらない。30分間神経を集中させ想像力をはたらかせて耳傾けている。細い針金状のものを十万キロ上空から地上に垂らしてなど「ええ?」と思うが現在最先端のアイデアが話される。、聴くほどに疑問が膨らんできたりするが、それでも好きなテーマだから最終回まで聴きたい。(宮)
2018年6月8日
『堀悌吉』  ロンドン海軍軍縮会議当時、海軍省の軍務局長を務めていたのが堀悌吉である。『濱口雄幸伝』の刊行以来、関連する人や事を注視してきたが、堀悌吉に対して漠然と抱いてきたイメージが鮮明になるにつれて、畏敬の念はいよいよ強くなった。なにしろ「戦争は悪」と断言した軍人である。日本海海戦で実践を経験して、戦争の無惨な実態を知り「戦争避けるべし」の信念が固くなったらしい。しかし、節度と良識に富んだ意見と行動は、艦隊派=武断派の批判を受けて、海軍を去ることになった。このような軍人が海軍を率いていれば歴史が違った道を辿ったかもしれないと思うが、現実には退役させられてしまうのである。
 最近のきな臭い国際情勢のもとで、海外派遣された自衛隊の日報隠蔽など、無責任な内閣の言動を見るにつけ、すでに戦前の軍隊に匹敵する年数を経てきた自衛隊に、堀悌吉のような良識ある自衛官が存在することを期待している。ほとんど外に出てくるはずもないだろうが、内部には当然いろいろな意見の持ち主がいるはずだ。その中に良識派が居てほしい。
(宮)

『あなたはだあれ?』  昨日間もなく出来上がってくる絵本学会発行/朔北社発売の『絵本BOOKEND 2018』のDM発送作業をした。チラシや注文書を3つ折りにし、お手紙文書と目録とを併せて封入してゆく。この新刊チラシを折っていたときのこと。表に最新号の紹介、裏には既刊本の紹介(『絵本BOOKEND』バックナンバー)があるチラシ。表の新刊が目立つように折るため、裏の折る場所の目安をつけておくとスピーディで均一に折れる。今回のチラシは、ちょうど2012年度版のピーターラビットが載っている号のあたりで折るとよさそうで自然とそこに目が行く。もちろんその上下も見ることになる。目に入ってきたのは「せとうちたいこ」。はて?こんな執筆者いたっけ?それとも作家のペンネーム?それにしてもなんだかいい名前…と思って隣の席の同僚に「これってどんな人だっけ?」と聞く。「せとうちたいこは、あれだよ。鯛に足がついた…」と奇妙なことを口走る。むむむと思って(タイに足…タイに足…と心で唱えるが思いつかない。人でないのか?)続けて「長野ヒデ子さんの鯛の」といわれてああそっかとやっと思い出した。せとうちたいこは、実在の人物ではなくて長野ヒデ子さんの描いた絵本の主人公だった…なんという、おおボケぶり。自分に笑ってしまう。そしてムショウに「せとうちたいこさんシリーズ」が読みたくなってしまったのだった。(やぎ)
2018年6月1日
『富士山を見ながら』  今日はとてもいい天気だ。梅雨の前の晴れで湿度も低いし、少々風が強いがさわやかな空気がきもちよい。こんな天気の日には富士山が富士山が見える。
 しかし、浅川土手を歩きながら考えていたのは政治のことだった。なにがあっても責任を取らない政治が続いている。今朝出掛けには、財務省の佐川ら38人の不起訴が決まったというニュースを聞いた。事実の隠蔽、虚偽答弁、公文書改竄で国会が1年余機能不全に陥ったにもかかわらず、役職にある政治家で責任を取る人がでてこない。昔ならば5つぐらい内閣が吹っ飛んでいるなどという話しがネット上では出てくるが、現実には、内閣が潰れるどころか誰一人責任を取らない。首相をトップにいただく内閣の中から自分の政治信条に反すると言って叛旗を翻す人が出てきてもおかしくないが、出てこない。自民党の中から批判が噴出してもいい状況だと思うが、村上誠一郎以外まともな批判の声を聞いたことはない。せいぜいおっかなびっくりの批判が時々発せられるぐらいだ。
 議会政治の根幹が危うくなるような事態だとおもうが、内閣が外部からの厳しい批判にさらされているときに与党が内閣を守らないような行動をとる、内閣を批判する言動をすることは、自民党では最も唾棄される行動だと発言する与党議員がいるそうだ。そこには議会政治を立て直すより、自党の政権を守ることのほうが大事だという価値判断がある。眼前に展開された一年余に及ぶ無責任政治を党派的な立場からしか考えられないのだ。事態をまともに認識できないのだ。
(宮)

湿ったところがお好き?  会社は普通の住宅の一階をお借りしているので玄関は、大家さんと一緒だ。幸い一階なので、大雪や大雨以外の時は、もっぱら社長をのぞくほかのメンバーは台所の勝手口から出入りしている。もしもその入口をずっと観察している人がいたなら、たぶん、なぜあの家はへんな時間に人が勝手口から出入りしているのかと不思議に思うに違いない。勝手口とはいえ、駐車場がある玄関とは違い砂利がしいてあったりして庭の一部なので生き物たちがうごめいている。以前ツイッターで勝手口の砂利のところに咲いたタンポポなどをアップしてみたが、一度抜かれたはずなのに、根が残っていたのか、すごい勢いでまた生えてきて、タンポポはタンポポらしいのだが、葉っぱのギザギザもなんだか適当になって、まるで別の植物に見えてきた。勝手に生えてくる草は別として、大家さんが植えている庭の草木はとてもセンスがよく、勝手口の入口には白くて大きなバラの花が咲くバラの木が植わり、その根元にはクリスマスローズなどなど(知らないのも生えている)…とにかく色んな花や草木が生えていてとても気持ちが和む。
 先日同僚の一人が雨の日に帰ろうと勝手口から出たところ大量のあかちゃん団子虫となめくじに遭遇したらしく帰り道メールで教えてくれた。おおそんなに!と帰りに見ようと思っていたのにうっかり忘れ、翌日晴れた日の朝に見たらすでにカゲもカタチもなかった。雨の時にしか出てこないのかと…大量のあかちゃん団子虫など見たことがないから見たかった、残念無念と言ったところ、数日後やはり雨の日に出てきたらしく、今度は即、外に誘ってくれた。外にでたら…いるわいるわ…半透明の体で動き回っている。でも晴れた日には出てこない。またしてもその翌日、別の同僚が雨の日に帰ろうと外に出たらまたいたらしくメールをくれた。よっぽど湿ったところが好きで、雨が降るとうれしくて、みんなして祭りのようにそのお気に入りの場所に出てくるのだろう。面白いものだなあと感心してしまった。
(やぎ)
2018年5月25日
『漱石のハガキ発見』  留学中のイギリスから友人にあてた3通のハガキが発見されたというニュース。全集には収録されているらしいが、実物は行方不明になっていたが、100年ぶりに古書店で発見されたのだそうだ。漱石にとってイギリス留学の影響の大きなことは、繰り返し語られているし、偉大な漱石の源泉かもしれないが、「僕ハ独リボツチデ淋イヨ」などと書いているという記事を読むと、漱石を身近に感じて書簡集が読みたくなる。留学の大きな力ということなら、小野光子さんもモスクワ留学も、その後の小野さんを決定づけたのではないだろうか。留学経験のない私は、二人の偉大な先人が書き残したものを読んで、ロンドンやモスクワのことをあれこれ思い続ける。(宮)

『奇妙な光景』  昨日の帰り道、今日会社で使いたいものがあり聖蹟桜ヶ丘で下車した。駅ビルに入っているビックカメラに行くが在庫なし。新宿西口のヨドバシカメラまで足をのばした。目当てのものを探すが見つからない。仕方ない帰るかと外にでるも諦めきれず、念のためスマホで店頭在庫を見たら今見た店舗にあるようだ。聞くこともないかと思って出てきたが、やはり店員さんに聞いてみようと声をかけた。さすが店員さん。わき目もふらずに私が見なかったコーナーでその品を見つけてくれた。無事買い物できて大満足。さて落ち着いて外に出てみると、そこはバスタが出来るまで高速バスの発着所のあった場所。今は人が集まる場所になっているようで見渡すとなんと大勢の人がそこここに立ってスマホに向かっている光景が広がっていた。ひと昔前ならこんな広場は人を待ったり、ぼんやりしたり…おしゃべりする場所だったが今はまったく違うのだなと思った。そう言いながらも自分もさっきまでその中の一人だったんだと思ってぞっとした。(やぎ)
2018年5月18日
『小野光子先生を偲ぶ会』  5月12日、昨年9月27日に90歳で亡くなった小野光子さんを偲ぶ会が開催された。午後と夕方と2回にわけておこなわれた「偲ぶ会」では、1973年に東京藝術大学でロシヤ歌曲を教え始めて以来の教え子が歌った。たとえば30年以上も前に初めて教えてもらったというチャイコフスキー《エフゲニー・オネーギン》のアリアを、ここで歌うのを聴くのはなかなか感動的な場面であった。小野さんは、厳しいけれども根底では優しい教師だった。私も『回想 音楽の街 私のモスクワ』を刊行するまでの数年間、小野さんとつきあって忘れがたい思い出を作ってもらったのである。
 家族のいない小野さんを最後までお世話し、「偲ぶ会」を開催したのは、教え子の人たちであった。その師弟関係は温かくて気持ち良いもので、小野さんの人柄が偲ばれるのである。
 『回想 音楽の街 私のモスクワ』は、聞き書きの文字起こし原稿に加筆・修正を加えるかたちで始まったが、ある時から加筆の意欲が猛然と起きてきて、以来加筆・修正とデータ化の作業を繰り返しながら進行していった。同じ箇所を幾度直されたか、小野さんは粘り強い著者であった。このような原稿執筆の最中に「書くことが楽しい。簡単な資料から記憶がつぎつぎに蘇ってきて、書くべきことが出てくる。資料と記憶が一致する驚きもあり、書くことが楽しい」と言われた。楽しく書き上げられた原稿であった。
(宮)
2018年5月11日
『責任のとりかた』  福田財務次官のセクハラ問題についての麻生財務大臣の発言が大きな反発を招き、辞任を求める声が高まっている。首相が判断すればすぐに解決するが、安倍首相には、それが出来ない事情がある。その間に日本政治の評判は内外でどんどん落ちていく。それでも安倍内閣の支持率は落ちない。責任をとるという単純なルールが働かない状況になっている。
 野田聖子総務大臣が批判コメントを発言したぐらいが報じられただけだ。彼女ももっと強い行動には出ない。女性大臣としてさすがに黙っているのはまずいので発言するというぐらいのことだ。
 産経新聞のインタビューに答えた片山さつきは、財務大臣辞任を問われて、「私たちは党の側ですから、こういう大変なときであるからこそ一体となって内閣を支えるということにまったく揺らぎはございません」と答えている。理屈抜きに政権を守ることが当然のことといっているわけである。与党の政調会長代理である片山さつきは、自分の行動に疑問を抱いている節はない。
 大臣がどんなひどい行為をしても責任をまったく問われないのが眼前に展開されているドラマだ。
 国会で大臣不信任案や、内閣不信任案を出せばいいと思うがそんな動きはない。不信任案を出しても少数党である野党が負けるのは目に見えているが、なぜ不信任案かということに堂々の論陣を張って訴えるべきではないのか。国会で演説し、新聞雑誌に投稿し、テレビで話せばよい。
(宮)
2018年4月27日
『土手の草刈り』  今週、浅川土手の草刈りが始まった。ようやく草が伸び始めたこの時期に早くも草刈り。年3回実施している。草刈りしないで放置するとどんな景色になるのか見てみたい。遊歩道は舗装されているから、歩いたりジョギングしたりするのに支障はないだろう。しかし年間の作業計画と予算が組まれていて、几帳面に実施されている。年に1度の実施では具合の悪いことになるのだろうか、などと余計なことを考えつつ歩いている。(宮)
2018年4月20日
『住宅の解体と新築工事』  最近事務所の近くで、2度続けて住宅解体工事が行われるのを見た。外見を見れば2階建ての立派な建物であったが、事情があって解体されることになったのだろう。通勤の行き帰りに見ていたのだが、解体は1週間ぐらいで終わった。重機を使いホコリを収めるために散水しながら手際よく解体していた。一箇所では、引き続いて新築工事が進められて、ほとんど完成した。これまた工期はとても短くて、建築技術の進歩が反映しているのだろう。子供の頃にみた新築工事では大工がカンナを使って、いい音をさせながら柱や板を削っていたものだが、いまは材料のほとんどは工場で製作されたものであり、組み立てるのが主な仕事なのだろう。もはや新築工事現場を見る楽しみはあまりない。もう一つの解体工事は、終了後住宅会社の販売用の幟がたてられている。ご近所なのでどうなるか見守っている。(宮)
2018年4月13日
『外交文書200万ページ』  公文書の処分、隠蔽、改竄がニュースを賑わしているが、現在刊行準備中の本でも公文書は大きな問題である。準備中の本は、関東大震災で虐殺された中国人のことを書いているが、研究の発端には、敗戦後アメリカがマイクロフィルムに撮影した200万ページにおよぶ外交文書の存在がある。敗戦後、外務所に限らず公文書の大量焼却処分が行われたことはよく知られている。その結果、歴史的記録が失われ、それを利用して歴史上の事実をなかった事にしようとする動きがますますさかんだが、関東大震災時の中国人虐殺問題については、アメリカが撮影した外交文書が動かぬ証拠のいくつかをしめしているのである。それにしても、200万ページにおよぶ撮影をしたアメリカには驚く。
 外交文書に関しては、焼却を免れた文書を後世に残すべく、粘り強く働いた人たちが存在していたことも事実で、尽力の結果刊行された資料集は、戦前の日中関係を考えるのに不可欠の史料となっている。
 では、現在の外交文書はどうなっているか。沖縄の核兵器持ち込み密約問題に典型的に現れているように外交資料の隠蔽は今日の問題でもある。日米安保条約の地位協定にあらわれているようにことは単純な文書の隠蔽ではなく、外交のスタイル(行動様式)が深く関わっている。このことは戦前戦後を通じて変わらない。表向きの条文には簡単な取り決めしか書いてなくて、大事なことは当事者間だけに共有される付随文書の類に存在するのである。
 歴史の本の編集をしながら、眼前に展開されている政治事件の姿、その意味や今後の展開まで考えさせられる日々である。
(宮)
2018年4月6日
『政治の世界』  政治の世界を注視している。
 安倍内閣はまだ居座っている。公文書改竄や国有地の不法取引の露見や国会での虚偽答弁や現場公務員の自殺や公文書の隠蔽や、どんなことが起きても、内閣不信任が国会で議決される恐れがなければ居座っていられる。現在は与党が絶対多数を占めているから、与党が造反しないかぎり、居座っていられる。
 口では原因の徹底的究明やら再発防止やら国民に丁寧に説明するやらいろいろ言うが、行動は一向に伴っていない。そういう状況が続くとどうなるか。内閣が責任をとって総辞職しないかぎりは、人としてまともな行動をすることができなくなる。バカバカしくてまともなことは出来ない、ニヒリズムに陥る。忖度して保身を図るものも次々出てくる。
 変化が起きて、行動の結果に責任を取る政治が現実のものになれば、官僚の世界もガラリと変わるだろう。
 政治の世界で変化をもたらすのは与党議員の覚醒造反か権力争いだが、それをもたらすのは国民の内閣支持率の低下だ。結局、国民ひとりひとりの意識と行動に戻ってくる。
(宮)

『年に一度の棚卸し』  先日、年に一度の棚卸しで倉庫に行ってきた。棚卸しにいくと一区切りという感じがする。ここ数年は返品に関しては別倉庫で高く積んだパレットで管理されているので、私たち自身がカウントすることはなくなってしまった。新本のピカピカなのに比べると返本は茶紙に何冊かずつ包まれるわけでもなく行ったり来たりするうちに少し薄汚れていて、数えにくく、積んである場所によってはものをどけないと下まで見えず、結構重労働でもあるし大変なのだが、これを終えると棚卸しをやったという充実感ある。今は倉庫の方々が返品倉庫の棚卸しと、パレット積みの新本在庫の棚卸しを当日までに済ませておいてくれているので、私たちの作業は新本の出庫用の棚にある本を数えることだ。以前は本のタイトルももう少し多かったし、動いている本も多かったので棚には沢山の在庫が詰められていたが、動きがゆるやかな今は棚にも少ししか置いていない。総勢4名で朝9時半に倉庫につき、まもなく作業開始。二人一組で数える人と、その数を記入する人(表と付箋に数字を書き込み付箋は数えたタイトルの本に貼っていく)という分担で本のタイトルごとに数を数え記入していく。10時半頃には数え終えてしまった。今までで最速。タイトル数も、数も少ないので当然だ。その後、倉庫で前もって数えてもらった返品倉庫在庫、パレット積新本、先ほど数えた棚の在庫を合計して数字上の在庫数との差異を見る。激しく食い違う在庫は数えなおしだ。人を変えて数え直す。数え直しても出てこない在庫は在庫調整となりプラスやマイナス調整し数字を確定していく。大変な集計などの雑務を倉庫の人がして下さるので私たちはその後集計を待つ。なんだかちょっと申し訳ない気分だ。本来ならすべて自分達でやらなければならない作業。おしゃべりしているよりは、体を動かして仕事をしたいなあと思ったりもする。あの返本在庫を数えていて多少忙しかったころの棚卸しがなんだか懐かしい。数字だけで数量をみるより実際の物質的な量を見るのは勉強になる。少ない数はわかりやすいが、多い在庫は本物を見るに限る。売らなければと自覚するためにも。お昼を挟み13時半頃に終了。草加駅まで皆で歩き少々のお花見。その日は14時に解散となった。少し数が合わなかった数点は後日、修正があり確定。今年の棚卸しは終了となった。ほっとするのは束の間。次は決算だ。もうひとふんばりしなければ。(やぎ)
2018年3月16日
『人が死んで、動き出す』  財務書の公文書偽造問題(改竄と言うのが事態に合致するようだ)は1週間の間に目まぐるしく変動した。財務省が改竄を認め、佐川国税庁長官が辞任し、近畿財務局職員が自殺し(死者はほかにもいるらしい)、与野党が佐川前長官の国会招致で合意した。この問題に関して明らかに一変した空気に敏感に反応して、次々に新事実が報じられている。死人が出たことが関係者に、ついで一般市民にも大きな影響を与えた。事態がここまでくればまともな政治家ならば責任を負って辞任するだろうが、なにしろ常識と責任感を持ち合わせていない政権である。政権中枢の言動は、なお権力を維持する前提で動いている。こうなって、これまで政権批判を一切してこなかった与党政治家が、公然と批判を口にし始めた。事情はどうであれ、結果として安倍内閣退陣が実現すれば結構なことだが、そう安々とは退陣に追い込めないかもしれない。(宮)
2018年3月9日
『公文書偽造』  朝日新聞が森友学園問題で財務省による公文書偽造を報じた。国会で散々追及されながら1年の間まともな答弁は一切せずに逃げ回ってきたが、安倍内閣は今回の朝日新聞記事からは逃げられそうにない。それでもなお逃げ続けるべく詭弁を弄している。生活人の感覚では、財務官僚が政権の事情にとらわれて、公文書偽造をしたとしか考えられない。官僚は安倍内閣を護るためにこれ以上罪の上塗りをせずに、公務員の原点に帰って本当のことを言うときだ。単純なことだが、渦中にいるとこれまでの経緯もあり、突然裏切るような行為に出ることの困難は理解できなくはない。しかし、ものには限度がある。去年は文部科学次官の前川さんが、まともな感覚に従って事実を語った。まともな感覚による行動が財務省にも波及することを予想している。少ないかもしれないがいるはずだ。
 与党の国会議員にも同じことを考える。現在の政治システムをまともに動かすためには国会の国政調査権を使って正すべき行為を正さねばならないが、今の所そのような動きは認められない。
 政権を支える政治家、副大臣や政務官など多数の政治家の中にまともな感覚は存在しないのだろうか。アメリカと比べて寂しくなる。アメリカにはトランプ大統領と意見が一致せずに政権を去る人が次々に出る。健康な現象だと思う。
 最後は個人個人の意識、感覚がモノを言うはずで、まともな感覚を持った官僚、国会議員よ、勇気を出して登場せよ!と言いたい。
(宮)
2018年3月2日
『春到来』  前夜は強い雨がふり、3月1日朝は嵐のような悪天候が予報されていた。ところが出勤する頃には雨があがった。関東地方では昼間は20度をこす気温となり、雲一つない空はいよいよ春到来かと感じさせた。そして今朝浅川土手を歩くと、緑の草がはっきり姿をみせて、春本番間違いなし。今日は富士山もよく見えて20分間の土手歩きはまことに気持ちいい。予報ではまた寒さがぶり返すらしいが、春の歩みは着実に進んでいる。ひとつ困るのは花粉症だ。昨日はこれまでになく悩まされた。というわけで、当分の間マスクを手放せない。(宮)

『偶然?必然?運命?』  こんなにも世の中に人が沢山いるのに偶然、約束もしていないのに知り合いに合うということが人生の中で何回くらいあるだろうか。覚えている限りで私の場合は地方で3回、花火大会で1回、都内で5回くらいある。もちろん会いそうもない場所でだ。もしかしたら知らないだけ、気づかないだけで、ニアミスしていた可能性もあるだろう。でも気づかないなら会ってないと同じこと。以前、休みをとり沖縄旅行をしていたときに泊まったホテルで同業の知合いと、その家族に遭遇したときは本当に現実なのか疑ってしまったくらいだ。いずれも普段しない行動のときの方が出会う確立が格段に上がっていることに気づく。最近ではここ2年ほど前に、九州の義弟のかわりに講習料を支払いにいった講座の講師の一人が学校の後輩だったり、直行でいつもと逆向きの電車に乗り、普段乗らない時間の、めったに乗らない車両の奥に入り込んだところで目の前に座っているのが前の会社の人だり、続くときは続くもので…先日はめったに行かない場所のイベントに出かけたらこれまた、そのお店にも関係ある人が前の会社の同僚だったり(しばらく疎遠にはなっていたがどうしているか気になっていた人)。人に偶然会うという機会が空から振ってきたみたいに降り注いだというわけだ。地方では名古屋駅の切符売り場で、これまた知り合いの会社の社長にあったり、新宿のJRの改札でアメリカにいるはずの友人の一時帰国に出くわしたり、花火大会の帰り道のもみくちゃの雑踏の中で偶然に会社の人が夫婦で歩いているのに遭遇したり、普段会わない姉と夕方の池袋の駅の地下道でお互いを見つけたり…。やはりその人たちとは、一度出会った時点から縁がずっとあるのかもしれない。そんな偶然に翻弄されつつもこの偶然はちょっと得したような、嬉しいような気持ちが溢れてくるような気がするのであった。(やぎ)
2018年2月23日
『地下通路の広告』  このところ毎週菊名まで行くので、井の頭線で渋谷につくとすぐに地下に潜って東横線まで歩く。地下に入ったとたんに地下道の壁面を巨大な広告写真が目に飛び込んでくる。タテ1.5メートル、ヨコ3〜5メートルぐらいの大きな写真がぴたっと貼ってある。ある区間を同じ大きさの写真が、10枚はないかもしれないが、覆っている。この写真群が、通るたびに差し替えられているのに気づいた。一度だけ貼付け作業中に出くわしたことがある。すごい労力と経費をかけてやっているのだろうと想像する。週に1度かひょっとしたらもっと短いサイクルで張り替えられているのだから驚く。地下通路を支える太い円柱にもやはりさまざまな広告画像が貼ってあり、これも壁面広告同様、頻繁に変えられていく。昔の渋谷を知るものにとって、驚くべき変貌をとげつつある今日の渋谷のエネルギーを否応なく感じる地下通路だ。(宮)

『木の重さと、椎茸栽培』  いよいよ来月の1回で1年間の日野市雑木林ボランティア講座が終わる。座学も実践もどちらもとても面白かった。3回も休んじゃったし、ちゃんと身になったかはわからないがなんだか終わってしまうのは少し寂しい。一緒に参加人たちもみなさん人柄もよくて会うたび心が和んだ。作業自体はあぶない刃物などを使ったりするので緊張はしたのだが。
 さて、最後の授業は先日切った木をつかって、しいたけの菌を植える作業をする。当初から授業内容が書かれたスケジュールにこのことも書かれており、当初からこのほだ木を持ち帰ることができるというのを楽しみにしていた。しかし倒された木を切るというチェーンソーでの実習で実際に生木に触れてみてあらためて生の木の重さを実感。直径20〜30センチの幹をたった1〜2センチの輪切りにしたものですら結構重いのだ。チェーンソーで自分で切った木を記念にいくつか持ち帰ったのだがそれだけでもとても重かった。
 今月はグループに分かれてほだ木に適した木を1本安全に切り倒すという授業があり、皆で倒した木を(結局は一人が代表して先生のアドバイスを聞きながら切り倒すのを他の人は見ているのだが)、皆でほだ木になるように90センチの長さに切っていく。小高い場所からその木を下まで降ろす。90センチの長さの生木1本を持って歩き出す。しかし木の重みでしばらくたつと腕が重くなってくる。なんて生木って重いんだろうと思う。ということはどうやって持って帰るか?!という不安が頭をもたげてきた。私を除くほぼ全員が日野市在住で実習場所まで自転車で来ている。その人たちですら、持ち帰る方法を悩んでいる。自転車にくくりつけて帰ることになるだろう。自転車ならまだいいが、徒歩で持って帰るのは本当に近い人でなければ途中でくじけそうだ。私はというと、会社は実習地から近いが、家へは電車と徒歩で1時間ほど。90センチのほだ木と電車に乗らなければならない。寄り道なぞ言語道断だ。だいたい90センチのほだ木を入れる袋がない。むき出しだと不審がられるだろうから、とりあえず半透明のごみ袋とビニール紐でも持参するか。アパート住まいの身で、はたしてしいたけ栽培は成功するのか今から不安になってきた。初めてスケジュールを見たときの喜びはどこかへ消えてしまいそう。持ち帰ることもさることながら一軒家に住みたいと心から願うのだった。そしたら誰に気を使うことなく椎茸栽培できるのにと。
(やぎ)
2018年2月16日
『歴史を知る』  笠原十九司著『日中戦争全史』を読んだ。加藤陽子さんが毎日新聞「今週の本棚」に書いた紹介記事(2017.8.27)を見つけて読みたくなった。知ってるつもりが実はとんでもない錯覚だと思い知った読書だった。太平洋戦争なら、ハワイ真珠湾から始まって、ミッドウェー、ガダルカナル、マリアナ、レイテ、沖縄と時間を追って戦争の記録を読んでいるが、日中戦争では同じようにはまるで知らないことがよくわかった、とくに太平洋戦争勃発後は、中国本土でどんな会戦があったのかなかったのか、ほとんど読んだことがない。
笠原さんの本はこのことを十分に意識して書いていて、あらためて歴史を知る意味を自覚させられ、気の滅入る事実の連続だが、歴史を知る喜びを味わわせてくれる。とくに強く印象づけられたのは、海軍の働きである。日中戦争を拡大した責任の大きな部分を海軍が負っている。海軍善玉説の訂正どころではない。日中戦争の拡大を図って軍事費増額を要求して軍備充実を実現しようとしたらしい。陸軍に対抗して海軍戦備を拡大することが自己目的化されていた。国の運命より海軍の利益を優先したということだ。
(宮)

『夫、初の一人旅』  1月初めに義弟から電話があり、宮崎キャンプでソフトバンクと巨人のOB戦があるので行かないかという誘い。義弟の子ども(甥・3才)が野球好きなこともあり、かなり遅いクリスマスプレゼントにOB戦のチケットを思いついたようだ。その話を聞いたとき「ク、クリスマスプレゼントが2月?!」とびっくらこいてしまった。
 残念ながら私は、義弟が指定してきた日は、今年度通っていた日野市の雑木林ボランティア講座の日。11回の講座のうち3分の1を欠席すると修了証がもらえないのだが、すでに法事、疲労、友人との旅行の3回を欠席していた私はこれ以上1回も休めないギリギリの状態にいた。
 夫は野球好きなので行きたい気持ちがあるだろう。初めは「えー1人で行くの?」と言っていたが、最後には「オレだけいくよ」となった。しかし、指定してきた2月10日は、3連休の最初の日。旅行代が高そうだなと思う。夫現在無職につき出来るだけ旅費を安く押さえたかったので、自由な時間がある夫に、ついでの旅を提案する。こんなに自分の時間がもてる時間なぞ人生の中でそう多くはないだろう。すると「一人旅なんて初めてで…大丈夫なかあ?」なんていうのである。そういえば旅のお膳立てはいつも私だったなあと思う。53才のおじさん、しっかりして!と思うが、でもよく考えてみると純粋に一人旅は(出張はあるが)私もしたことがないことに気づく。そうだったか…。
 夫の現在のような状況にいられるのはめったにないことだ。こんな自由な時間がある時に旅をしないなんてもったいない。飛行機のチケットを調べると、木曜日あたりにさかのぼると安いチケットが見つかった。宮崎の前に桜島だ!鹿児島から入って当日は鹿児島泊、翌日昼過ぎに宮崎へ移動宮崎泊、翌日義弟の家族と合流。何泊か義弟たちが住む実家に寄せてもらい13日に帰京。楽しそうだ。追い出されるように出かけた夫だったが、行ったら結構楽しそうな様子の写真が送られてきた。残念ながら当の3才の甥と7才の姪が相次いでインフルエンザにかかり結局OB戦を見られたのは夫と義弟だけだったようだ。その日は熊本泊、11日から実家泊。そこで病み上がりの姪と甥に迎えられ手作りチョコをプレゼントされたようだ。私も旅のプランをたてるときが一番旅をしている気分になる。行かずして自分も旅に行った気分になっている。しかしいつかは夫が立てたプランにのっかって一度くらいは何も考えず付いていく旅もして見たいものだ。
(やぎ)
2018年2月9日
『両手放し』  毎日寒い日が続く。身体がだいぶなれてきたように感じるが、朝の低温はつらい。高幡不動から浅川土手に上がったとき前方から自転車が来た。日頃浅川土手には、通勤通学の自転車も来れば、幼児を乗せた母親の自転車もいるし、ヘルメットをかぶりサイクリング用の服を着た人がいかにもスピードが出そうな自転車で走ってくる。しかし寒い今朝の土手を両手放しで走ってくる自転車が目に入った。両手をポケットに入れて、安定した走り方で通り過ぎていった。両手放しは、運動神経で苦労した私にはやってみたい乗り方の一つだったが、緊張して試したことはあっても、あのように安定した走り方はできたことがないのだ。この寒さの中で納得と羨望と複雑な気持ちで見送った。(宮)

『知りたかったのになあ』  最近実家に顔を出す頻度が増えると共に母からいろんな話を聞くようになった。私の母は私たちがまだ幼い頃、家に図書館から沢山本を借りてきたりして家を週に1度とか2度、家庭文庫のように開放していたことがあったのだと最近知った。その後ブランクがあり、今は二十数年来、地域で紙芝居や読み聞かせの活動などもしていて、今度何を読もうかなどいつも考えている。父の仕事についていったアメリカや、バヌアツでもこの活動は続けていたようで、現地のお話を絵にして紙芝居にしたり、持っていった紙芝居を現地語でやったり(語学は苦手なのでたぶんそこで出来た友人たちや父に手伝ってもらってだろうけど)していたようだ。家に帰った時にたまに紙芝居の練習する現場に居合わすのだが、昔話は特にうまい。そんな母なのでさぞかし私たち子どもたちは沢山本を読んでもらっていたのかなと思い、聞いてみたが「読んであげてたよ」というだけ。よく子どもは気に入った本を何度も読むというので、私「ところで私はどんな本がお気に入りだったの?」と聞くと、母「うーん昔話とか…」私「とか?具体的には?」母「ちからたろう?……」私「それだけ?覚えてないの?」母「覚えてるよ。いろいろ読んだからどれがって言ってもさ。読むと自分が眠くなっちゃうから、そのうち自分で作って話すの。3人の生まれた干支の動物が出てくるお話を。もちろん誰がどの動物とは言わないんだけど…、その日の3人の行動を考えながら即興で創作してたよ。へびと、ひつじと、いぬね。でも誰のことだか分かるみたいで、くすくす笑ったり、わたしそんなことしてなーいなんて言うんだよ。」創作話をしていたというのは以前書いたことがあると思うのだが、私たちを干支の動物にしていたのは初耳。いやそうじゃなくて、自分がどんな本に執着していたのか知りたかったのに。ほとんど明確な答えはなし。自分でも記憶に残っている本となると、もう少し大きくなってからなのかそれ以前のことなのか記憶は定かではないが『おばけのバーバパパ』『きかんしゃやえもん』『ちからたろう』『ふしぎなたいこ』『おしいれのぼうけん』『はじめてのおるすばん』『うみのおばけオーリー』『こねこのぴっち』なのだが、ときたま、お出かけするときに自分で選んだものを買ってもらえるピクシーブックも好きだったなあと。好きだった本は自分の記憶を懸命に探るしか方法はなさそうだ。そんな母の最近?の絵本のお気に入りは『あらしのよるに』(きむらゆういち作/あべ弘士絵)。誕生日になにがほしい?と聞いたらこの本を希望された。間違ってお話の方をプレゼントしてしまったのだが。(やぎ)
2018年2月2日
『何が問題なのか』  トランプ大統領がどうなるのか、強い関心を持ってみているが、同様に日本の政治でこれからどんな展開があるのか注視している。現状をみると国会はその役割をまともに果たしていないが、国会議員、とくに与党の国会議員はそう思っていないらしい。行動を決めているのはもっぱら目前の問題にたいする政府与党の立場を擁護する意志だ。そう割り切って発言しているが、その発言の意味、効果を、国会の役割に照らして吟味している気配は微塵もない。参議院予算委員会で、山本太郎の「総理大臣夫人という立場性を使い、国有地をタダ同然で差し上げるきっかけ、その橋渡しなどをつくったと疑われる人物が何の説明もすることなく毎日をエンジョイ。一方、籠池氏と奥様は半年以上にも亘り独房で長期間拘束。総理ご自身が口封じのために長期拘留を指示したなんてありませんよね」という質問を委員長は「失言」と言って扱いを理事会で協議することにし、結果、削除されたらしい。質問は単純なものなので、「指示した」か「指示していない」と答えれば済むのに安倍首相は答えない。予算委員長も与党議員も、安倍首相の態度がどんなに理不尽なものでも、それを擁護することを何より優先している。一事が万事で、近頃は何事であれ、国会の本来の役割とか期待されている機能とかいう観点から物事を考え行動するということがみられない。国会の運営が日常的には与野党の党利党略の観点から行われていることはわかるが、どこかに限界線はあるはずで、ときに制度の原理原則に戻って考え行動することが必要だと、私は思っている。その意識を持っていることが大切だと思うが、これは青臭い理想論でしかないらしい。三権分立も国権の最高機関も関係なく、目前の安倍内閣を擁護することが与党議員の当然の仕事と思われている。その態度に躊躇する気持ちが殆どみられないことを危惧する。トランプ政権では与党共和党が少なくとも盲目的支持だけではないと見えるし、政権内部から離脱する幹部が跡を絶たないことは、制度の柔軟な回復力をみせているのだと考えられる。この辺は制度の違いはあるけれども日本の状況とは異なっている。私が思い出すのは濱口内閣のロンドン海軍軍縮条約問題をめぐって、鳩山一郎だけでなく、何十年も政党政治に献身してきた犬養毅までもが「統帥権干犯」と言って激しく非難攻撃したことである。党派の利害のためには、大切な理念を放り出して「統帥権干犯」を利用した。軍部の政治介入は結局1945年の敗戦に行き着く。(宮)
2018年1月26日
『白い雪』  月曜日、東京は大雪だった。雪景色を楽しみにしていたが、都心で23センチは交通機関を麻痺させる十分な降雪量である。夕方にはバスが動かなくなり、百草団地まで坂道を歩かなければならなかった。バスがなくても、しんしんと降り続ける雪のなかを歩くのはけっこう楽しい時間だった。翌火曜日は朝から晴れて、一面の雪は眩しい。強い寒波が来ていて気温がひくく水曜日以降は路面が凍結して歩きにくい。しかし雪はあくまでも白く、目を楽しませてくれる。半世紀前に戻ると、雪が降っているとき、上がった直後までは今と同じ美しい雪景色だったが、そのあとがちがう。道の両脇にかき集められた雪は泥と混じって茶色いかたまりになり、雪は後が汚らしくて嫌だと思ったものだ。ところが最近は時間が経って溶け出した頃でも、雪はやはり白いまま。きれいなものだ。道路が舗装されて、雪が泥と混じることが少なくなったせいではないか。(宮)

『寒い日に』  先日からの寒波の影響で朝の気温はマイナスを示した。子どもの頃も厚い氷がはるような寒い日を何度も経験してるのにと思うのだが、48年ぶりの寒さだと報道されていた。そんなはずはないのだけれどと思う。48年と言えば私が生まれるちょっと前なのか、後なのか。何にせよ先日は都内でもマイナス6度〜8度。前日から水道が凍る心配をして朝のお茶用のお水を薬缶にためておく。だが朝起きて水は出たのにお湯が出ないという事態に陥った。思ってもみなかったのだが水が出るだけありがたいと思わなければ。どうやら湯沸しの系統のどこかが凍りついているようだ。水は出るので鍋にお湯を沸かしてそのお湯で顔を洗ったり、食器を洗ったりする。そうでなければ冬の水は凍りつくように冷たい。お湯が湧く前に食器を洗い始めたがすぐに指先は氷のようで真っ赤になった。生活の中で水はなくてはならない大切なものだ。飲み水、料理、洗濯、風呂、洗面、そしてトイレ。スイッチを入れればお湯が出て、蛇口をひねれば水が出るのが当たり前の生活で、その1つだけが出来ないだけなのに、こんなにも不便なのかと思う。いつもの倍くらいの時間をかけて身支度と朝ご飯などの準備をした。家に帰ってニュースを見ると水道管が破裂する家や会社も結構あったようで驚く。家にいた夫に聞くと昼にはもう氷が溶けてお湯も出たようで、水道管が破裂しなくてほっとした。(やぎ)
2018年1月19日
『岩波書店百年』  大学時代の恩師宅に伺ったところ、なにやら大きなケース入りの本がある。みてみると『岩波書店百年』というもの。本編だけで1700ページを超え、索引が500ページ以上ある。岩波書店が1913年からの100年間に発行した書目が年代順に網羅されている。それに岩波関係、出版関係、内外諸事情の3項目にわけた克明な年表が付されている。先生に伺うと50週年の頃、年表作成を手伝ったことがあるという。この時の年表を根拠に、出版社が自社の設立時期を確定するしたということがあったそうだ。そのくらい克明に調べたということである。一種の文化史年表となっているのだ。この本の奥付には非売品と表記されていたが、岩波書店のサイトをみたら300部の限定で販売されていることがわかった。残部僅少と表示されていたので、2万円の高価本だが売れているらしい。今年は明治維新150年と言われているが、近代日本も時間を積み重ねて創業100年を越す企業が多数存在している。その時間にふさわしい成熟を遂げているかというと、近頃の状況に心細い出来事が多いのは気懸かりである。(宮)
2018年1月12日
『写真入り年賀状』  年賀状に家族写真を使う人がけっこういる。若い人が多いようだが、もちろん年寄りだって使うことがある。今年の写真入り年賀状で、中学時代の友人の顔を62年ぶりにみることができた。夫婦でポルトガル旅行に行ったようで、珍しく写真入りの年賀状にしたらしい。お陰で懐かしい友人の顔を見ることが出来た。そとでばったり出くわしたらおそらく判らないと思うが、写真をよく見ると目元、口元は紛れもなく〇〇君であった。中学卒業以来年賀状をやり取りしてきたが、60年余逢う機会がなかった。暮れも押し詰まった12月28日にも、横浜のスナックで偶然大学時代のクラスメートに出会った。この時も学生時代の面影は殆どなくて紹介されなければ識別できなかっただろう。年末年始に懐旧の念をそそられて気持ちが和むことしきりである。(宮)

『お正月』  年が明け、会社5日からスタートした。8日が祝日だったので今日で出社はまだ5日間。なのに気分はもう2週間くらい会社に来ている気がしている。わけあって、今年から九州へ帰省することがなくなった我が家。2年ほど前から自分の実家の両親も少しずつ体も弱ってきたことから、今後は私の実家へ行くことに(今まで年末年始に自分の実家に行くことは20数年来なかった)。ほぼほぼ20数年振りに東京でお正月を迎えた。
 父は入院中のため12月31日と1月1日は実家で夫と母と年越しと年始を迎えた。長い間両親が元気なのをいいことに年に数回しか実家には顔を出していなかった。それを許してくれていたのも両親だったのだが。少し反省。実家には姉兄私の3人、重ならない日に母と一緒に過ごすことに。一気に来て急に誰もいなくなるのほど寂しいものはない。我が家はその後の数日とその後の連休何をしたものかと考えあぐねていたが、思い立って東京の初詣と、七福神巡りをした。初詣はせっかくなので会社のお膝元である高幡不動尊へ。3日になって行ったので、実は混んでないと予想していたが大きくはずれ、まだまだ人でいっぱいだった。そして連休の1日は七福神巡りへ。ちょうど連休前に我が家のポストに投函された「東京リビング新聞」にその記事があり、人形も集められるとのこと。何をかくそう私は人形が好きなのである(もちろん好みはあるのだが)運動不足解消と人形に魅かれて(1体400円×7体)出かけた。リビング新聞にのっていた土の人形はかわいらしく私好み。夫もそれなりに楽しんでくれたようだ。暖かい日差しの中、目的を持ってお散歩するのは楽しいものなのだとふと思った。お昼を食べたあと新宿を出発して、お参りの最後は神楽坂にある鎮護山善国寺。出版クラブなどにいく道の途中にあるよく知った場所。私たちが到着した時も既にお参りの人で溢れていたが、お参りして、七福神人形を購入して外に出てびっくりした。なんと人はどんどん増え続け、神楽坂の飯田橋方面へ向かう道まで長蛇の列が続いていた。いいときにお参りできたのかもしれない。運動もお参りもし七福神も集まって心も体も高揚しながらお茶を飲み帰途についた。それだけでもいいことがあった縁起よかったと言ってよい。それ以上何を望むか?私の今年の祈りは自分に連なる多くの人が健康で過ごせますようにということ。今年生まれた年を含めれば5回目の年女。年を重ねてそれ以外のことは浮かばないのであった。皆さんにとってもよい年となりますよう。今年もよろしくお願いします。
(やぎ)