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「王様の耳はロバの耳」(2014)
 
2014年12月26日
『菅原文太』 高倉健、菅原文太が亡くなったことを回顧した下記の文章を読んだ。「1981年11月21日(土)〜22日(日)、横浜市の神奈川県民ホールで自由民権百年全国集会が開かれました。実行委員長は遠山茂樹先生。会の目的は「自由民権運動を民主主義の原点として見直し、現代的意義を問う」。各地の民権運動家の遺族も参加。この壇上に菅原文太氏が登場!会場は万雷の拍手でした。その前年NHKの大河ドラマ「獅子の時代」で、徹底的に国家権力に立ち向かう主人公平沼銑次を演じていた折りの姿と重なって、その時の菅原文太氏は自由民権運動を顕彰する会場にピッタリでした。記憶は定かではないのですが、確かチェ・ゲバラの話だったように思います。」(「歴懇ニュース」『歴史書通信』No.217)この一文の執筆者は私の知人だったので、もうすこし詳しい話を聞きたいと思って連絡したところ、11月16日に行われた沖縄知事選挙のときの菅原文太の応援演説の動画コピーを送ってくれた。話よりなにより動画コピーが話題になった理由がよく分かる映像であった。新聞報道で応援演説の一部は読んでいたが、映像は見ていないし、まして演説の全部は読んでいない。11分ほどのものだが、なによりも日本語で、こんなに聴衆の胸にしみいる演説ができることに感動した。アメリカのケネディ大統領の就任演説やオバマ大統領の当選時の演説など名演説だと言われているし、私も納得してそう思っている。このたびは、日本語でもそれに匹敵する演説が可能だということを実感した。言うまでもなく、それはケネディやオバマの真似をすることではない。菅原文太の演説は、素朴な言葉でゆっくりと話される単純なものだ。菅原文太が胸にある思いを自分で確認しながら本気ではき出していることがまっすぐ聴衆に伝わってくる。そういうものであった。菅原文太の背後に並んでいる選挙運動の関係者は、演説に感動してみじろぎもせず耳を傾けている。日本の政治家がこういう演説をすることができれば、政治に対する関心は間違いなく高まるだろう。もちろん、これはたんなる言葉の問題ではないのであるが。(宮)

『ひつじちゃんありがとう』 時がたつのは早いもので、あっという間に年末となってしまった。会社は古い鉄筋の建物で夏はひんやりとしていいのだが、冬はとても冷える。エアコンの風の吹き出し口の裏に机のある私と同僚は毎年どうすごしてきたのだろう。同僚は毎年使い捨てのホッカイロを箱買いしていると言っていた。私はというと、やせ我慢と厚着で乗り切ってきた。しかし今年は齢のせいなのか寒さがしみる。しかしあるとき靴にいれるホッカイロを買ったらこれがまた温かく、それ以来、靴にいれるカイロのファンになって会社でもたまに使っている。寒さ対策のもうひとつのポイントがウールを取り入れることだと最近実感した。会社は寒い=厚着を通してきた私だが、厚着をしても身震いするときと、そうでもないときがあるのを知ったのだ(いまさらだが)。それが来年の干支でもある羊の毛なのだ。セーターなどでもウールが含まれている量が多ければ多いほど保温性が高く温かく過ごせるのだ。それはセーターの厚みでもないように思う。あらためて生き物からいただいているものはありがたいなあ、よくできているなあと感心してしまう。来年はひつじ年。寒い間はひつじのことを思って過ごせそうだ。ひつじちゃん本当にありがとう。あなたのおかげで凍えずにすみます。私の剛毛も何かの役に立てばいいんだけどなあ…。今のところ私の毛が役立つことはなさそうだ。来年もどうぞよろしくお願いします。(やぎ)
2014年12月19日
『海外文学』 『シェルシーカーズ』新装版を刊行したが、書店では外国文学の棚が小さくなり、取次は専ら返品を減らすために実績に基づいて配本部数を絞っている。どうやって外国文学を売るか頭を絞っている毎日だが、そこに12月18日発行の『新文化』3060号に「1月から「はじめての海外文学」フェア」という記事が載った。出版社、書店員、翻訳家ら48人が選書して来年1月末から15店規模で始まるそうだ。外国文学に読者の目を引きつけるために考えられたフェアらしい。このようなフェアが注目され話題にされることは我々にとっても有り難いことだ。(宮)

『残金ゼロ』 以前PASUMOの残金が丁度777円だったことがあったと書いたことがあるが、買い物をしたレジでも以外にあるもので、あるといいながらも秘かに数字がそろうと嬉しいもので、先日、コンビニで買い物をしたときに888円だったことがあったときには、やはり心の中で「わーい」と思っている。顔に出さないようにしているのだが、逆にレジの若者が嬉しそうに、「えーまさか777なんてすごいなあ」とつぶやいて笑っているのを見るとなんだか喜びを分かち合ったようで私までさらに嬉しさが倍増した。で、今度はなんとPASUMOがジャストゼロに!いやいやたいしたことのない話かもしれないが、8%前の消費税のときだったら可能性は今より数段高くなるだろうが、今や消費税が8%。電車賃だって一円単位の世の中なのだ。意識して使ったってゼロは難しいのではないかと思う。残金が少なくなっては入金してを繰り返した結果である。偶然にしても気持ちのよいものだ。それも偶然前日に定期券が切れ、朝買おうと思っていたが更にそんなことも忘れて改札を入場。今さら買うなら明日買おうと気持ちを切り替え会社に向かう。そして神保町到着。そういやあ残金も少なかったはずと思っていたのに、またもやうっかり改札にピッ!「んんっ?!しまった!」と思ったが無事改札を通過できてしまった。そしてゼロの文字が改札に表示。それを見て気持ちがスカッとした。13円とか27円とか154円とかの端数が残るより潔くて気持ちのいいものだとそのゼロをみたときに思ったのだった。(やぎ)
2014年12月12日
『選挙予測』 2月14日の総選挙の結果予測が発表されている。自民党大勝の予測がほとんどだ。どこの調査結果も似通っているということは、有権者の判断がそれなりに反映されている、つまり結構的確な予想となっている、と考えるべきなのだろうか。最近の選挙報道には違和感があるのだが、たとえば、まったく開票作業がされていない段階で、当選確実の報道がされることだ。やりすぎではないか。いかに手段をつくして調査したとしても、実際の票はべつにあるのだから、開票がある程度進んだ段階で当選確実と言えばよいのではないか。現実のの票を1票も見ないうちに当選確実が言えるのなら、投票する必要がないことになる。メディアの行き過ぎた行動にブレーキをかけるために、予想とまったく違う結果がでてくればいいと思っている。今回の選挙について言えば、メディアの結果予想は、私の個人的感触とかなりずれている。それが私個人の時代感覚とのズレによるものなのか、あるいは予測作業の不適確によるものなのか、興味津々で見ていたい。(宮)
2014年12月5日
『コレド室町』 共同通信社、時事通信社に行くとき、地下鉄三越前で乗り換えるが、ひさひぶりに行ったら、随分長く工事中だったのが終わって広い地下街が出来ていた。コレド室町だそうで新しい街がまた一つ出来たということだ。タロー書房をみてから、食料品の店をぐるりとまわり、さいごにお手洗いに行ったがぐるぐると迷路みたいに曲がってたどりつくのに驚いた。天気のいいときに地上からも歩いてみてみたい。こうやって東京のあちこちで新しい街ができているが、慣れ親しんだ景色が消えていくので寂しく感じるのも事実である。(宮)

『応援したくなっちゃった』 駅から家への帰り道。夫と二人で歩いていると、すぐそばを20代くらいの女性が追い抜いていった。右手には平らなピザの箱を下げている。ちょっと前に最寄り駅の駅構内には持ち帰りピザ屋ができた。前を通りかかるとピザの香ばしい香りが漂ってきて食欲をそそる。彼女はその焼きたてのピザを少しでも美味しく食べるために走っていたのだ(たぶん)。健気な努力にちょっと応援したくなり、ちょっと遠く離れた時に小さな声で「がんばれ!」と言ってみたが、もちろん聞こえなかっただろう。少しでも熱々を食べたい!という、純粋に美味しいものを食べたい気持ちで帰る足が早まる…なんて普通にステキなことだろう!そんな後ろ姿に自然に顔がニヤニヤしてしまう。だけれど…私「やっぱりちょっとの距離でも微妙に冷えちゃうんだよね〜」夫「少しのことでも味も変わるよね?ピザは焼きたてをその場で食べるに限る!」と夫婦で意見は一致した。そして駅の持ち帰りピザ屋ではないけれど、家に帰る途中にあるイタリアンで今度焼きたてのピザを食べようと約束した。(やぎ)
2014年11月28日
『多摩川と富士山』 総選挙というと昨年12月に刊行した『濱口雄幸伝』をすぐ思い浮かべる。編集作業中も眼前の政治動向と対比しながら本文を読んでいた。眼前では、政権にありつくためどころか、選挙になんとか生き残るために、小政党とそのメンバーが或いは大政党に入党し、或いは解党し、或いは無所属になりと、結果だけを新聞・テレビ・ラジオでみていると、理解に苦しむ動きを盛んにしている。80年以上まえの昭和初期の政党政治も全く同様で、見苦しい動きの数々は政党不信を生みだし増殖させ、濱口雄幸のような例外的な政治家がいなくなると、政党政治は信頼を取り戻すことができないまま、姿を消していくことになった。そんなことにならなければいいが。(宮)
2014年11月21日
『多摩川と富士山』 毎日京王線に乗って通勤している。冬が近づくと、多摩川を渡るとき新宿に向かって左手の山並みの上に富士山が顔を出しているのが見える。雨の日を除いて毎日、目を向ける。大気の状態によってくっきり見えたり、かすかに見えたり変化する。多摩川の水は雨の日も晴れの日も毎日見ているが、富士山同様毎日違った色と姿を見せる。多摩川と富士山見るのは、京王線が多摩川を渡るときの私の決まった行動である。前日雨で、よく晴れた朝には雪をかぶった富士山がくっきりみえて、自分ひとりで見ているのが惜しいと思うが・・・・。多摩川がよく工事しているのだが、残念ながら何の工事なのか解らない。今ちょうど、水流をせき止めるような感じで砂利をたくさん入れて工事中だ。以前、河原になにかを沢山埋め込む工事をしていたこともある。(宮)
2014年11月14日
『新宿区長選挙の投票率』  11月9日新宿区長選挙があった。新聞を見ると39000票余りで当選している。随分少ない得票だなと思い、記事を仔細に読むと投票率が25.8%しかない。前回も26.3%である。有権者の4分の1しか投票していない。なんという関心の低さかと思う。新宿区の人口は32万8000余だから、39000票は区民人口の12%足らずである。区政というものが、住民の切実な関心ではないということだろうか。1年前『濱口雄幸伝』の編集に取り掛かっていたときに、大正末年長年の普通選挙実現の運動のすえに成立した普通選挙法が重要な政治問題になっていたことを思い出す。ようやく獲得した選挙権も、いつの間にか関心のそとにおきわすれられている。ここ数日、にわかに衆議院の解散風がふいている。風に当てられて政治家の右往左往がマスコミをにぎわしているが、有権者の関心は何処に向いているのか、また関心の温度はどの程度のものなのか?どの党が増えた減ったという結果は確かに重要だが、その前段にある投票率に注目したい。(宮)

『「行ってきました!『本っていいじゃん!』in 豊川プリオ」』 11月の1〜3日は毎年恒例の神保町ブックフェスティバル。なぜか今回は豊橋に本店がある豊川堂のイベントが同じ時期(11月2.3日)に重なってしまった。今年はHPでも告知したとおり、そこで、朔北社でも『いるかはさかなじゃないんだよ。』という本を出版させてもらっている、平田昌広さんと平田景さんに絵本ライブをお願いした。本来ならこのイベントは前日に現地入りして、設営から参加するのだが、神保町ブックフェスティバルも捨てられない。そして野外イベントで天候に左右される。そして設営が大変&荷物が重い=一人じゃ大変。という結果が導き出され、社長一人で3日間は無理であるということで、豊川堂の担当のAさんにお願いし、平田さん夫妻の出番の最終日11月3日以外の参加を免除してもらった。結果的に神保町ブックフェスティバルの初日は雨のため中止となってめぐみのお休みとなったが2日目は同僚と二人のM&Mコンビに途中社長も加わり(社長もMなので3M)神保町のイベントをこなし、私は夜に豊川へ移動。同僚は翌日朝に平田夫妻と一緒に豊橋経由でプリオのある豊川市の諏訪町までやってきた。イベント慣れしていない私と同僚にひきかえ、平田夫妻はテキパキ。豊川堂のスタッフさんたちもとても気を配って下さり楽しいひとときを子どもたちやそのお父さんお母さんと共に過ごすことができた。くわしくは平田昌広さんと平田景さんのブログに書いていますので是非見て下さい。http://office-make.seesaa.net/ 平田昌広さんと平田景さん。同僚Mは担当編集者でもっと身近で彼らを見てきてよく知っていたのだろうと思うけれど、私は上野の森フェスタなどでチラリとお見かけし、少し言葉を交わす程度だったので今回もう少し沢山の時間を共有して、お二人のまだまだこれから伸びていこうとするのびしろのパワーにとても力をわけてらった。いい体験だった。豊川堂のみなさん、平田昌広さん、平田景さん本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。余談になるが、3日の神保町ブックフェスティバルはというと…もちろん社長一人…トイレも行けない状態かと心配したがワゴンが近かったのら書店さんが社長を心配してかなりお手伝いしてくれたとあとで聞いた。ありがたい。本当にありがとうございました。私も人が困っているときにすっと手を貸せるようでいようと心に誓うのだった。(やぎ)
2014年11月7日
『神保町ブックフェア』 初日雨で中止になったが、その後は天気にめぐまれて大勢の人出で賑わった。毎年来てれる有り難いお客さんがいて、いろいろなかたちで激励してくれた。デヴィッド・マッキーの「ミスター・ベンシリーズ」の続刊を熱心に希望していた人には、売るものがなくて申し訳ないことであった。こういうお客さんと話すと、時間はかかるかもしれないが「ミスター・ベンシリーズ」を広めたいと思い、出来るという自信が湧いてくる。日によって売れるものががらりと変わるのも面白い。2日目にあまり動かなかった『濱口雄幸伝』が3日目にはよく売れた。しかも読んでほしいと思っていた若いひとが買ってくれたのは嬉しかった。最終日の閉店時間が近づいてくると、場内放送が「残り、あと15分です。」「あと10分です」「あと5分です」と言う。なにかせき立てられるような、落ち着かない気持ちを抑えつつ、最後までお客さんに向き合った。(宮)
2014年10月31日
『神保町ブックフェスティバル』 今年もまた明日から神保町で「得々市」というワゴンセールが始まるので、着々準備を進めているのだが、空模様をみるとすこぶるあやしくなってきた。どういうわけか毎年雨に祟られている。降るなら降るではっきり降ってくれればいいのに、降ったり止んだり・・・・。今年も予報をみると同じ悩みを悩みそうだ。まっ、心配しても始まらないので余計なことは考えず準備するしかない。(宮)
2014年10月24日
『三木トリロー』 ラジオ深夜便三木トリロー作品集を聴いてから、すこし調べてみた。ネットには三木鶏郎資料館があって、いろいろおしえてもらい、他方『三木鶏郎回想録』を図書館から借りて読んだ。この本は「日曜娯楽版」同様、軽快なテンポと生々しい描写で書かれた自伝だが、三木鶏郎が亡くなったために、4部構成の予定が前半2部までで未完に終わったようだ。読み出すとそのまま読み続けるはめになる面白さ。軍隊時代の「活躍」をふくめて、どこまで事実に忠実に書いているか疑問を感じる部分もあるが、丸山真男の兄の丸山鐵雄(NHKの職員で「日曜娯楽版」の担当)や三木のり平、丹下キヨ子との出会いなど初めて知ることがたくさんあるし、とにかく読者を飽きさせない書きっぷりに感心する。去年,
NHK放送博物館で「元祖音楽バラエティ 三木鶏郎の世界 〜生誕100年〜」という展示があったそうだが(まったく気づかなかったのだが)、今回改めて知ることになった三木トリローの多芸多才ぶりを思えば、今日でもその仕事を振り返る意味があるはあるだろうし、それよりなにより見たかった。
(宮)
2014年10月17日
『アマゾン』 このほど、『ぼくグジグジ』について「アマゾンでは中古品しかないけれど在庫がありますか」という問い合わせをうけてすぐに思い出した。本年初頭『濱口雄幸伝』が新聞の書評で大きく取り上げられて売れているときに、アマゾンでは在庫がなくなったらしく、表示が「在庫○冊」から「出品者から買えます」になり、定価の2.5倍ぐらいの値段が出ていた。これを読んだ人は売り切れたために、新刊書として買えないと思ってしまうだろう(当時本欄で書いた)。読者にとっても出版社にとってもきわめて不親切な表示だ。不親切というよりアマゾンの商売上の考慮が最優先された、かなり意図的なやりかただと思う。アマゾンに「まだ新刊書として買えるのですよ、そう分かるように表示してください」と言いたかった。こういう場合にアマゾンに連絡することが困難で、やっとメールで連絡したが返事はない。一連の動きをみると、アマゾンというのはそういう会社だという認識を持つべきなのだ。アマゾンに注文すれば(新本・中古を問わず在庫があれば)安価で素早く配達してくれるから、便利なことこの上もない。しかしこの便利さに振り回わされてはいけない、もっと言えば支配されてはいけないと思う。『ぼくグジグジ』も刊行後10年経ったとはいえ、新本を買うことができるのだ。アマゾンに依存してしまうと中古品しか買えないことになる。(宮)

『想像と妄想』 私の想像力とか妄想力はいつ培われたのだろうかと考えてみた。やはり子どものときに培われたのだろうなと思う。そんなにたくさんの本を読んだという意識もないのだが、何かを想像させてくれたり少し現実にはないかもしれないけれど、あるかもしれない、あったらいいのに!というようなファンタジー的な要素が含まれるものが好きだった記憶がある。例えて言うなら小人とか、妖精とか…いることを考えると楽しくて仕方なかった。私が小さな子どもだったころ母は私たちが登場する、母の創作話を寝入りばなにしてくれた。何か実物を見るということも大きな刺激であるし、とても大切な想像力を助けてくれる経験という一部であると思うのだけれど、文字で読んだり、先ほどの母の話ではないが耳から聞くということは、足りない部分を想像力で補わなければならない分、益々想像力が磨かれたのだろうなと思う。想像も妄想もとても楽しいしお金がかからないのが共通なところだ。で、いったい想像と、妄想の違いはなんなのだろう?そう思う人はほかにもいるらしくパソコンで検索したら想像は何か根拠に基づいたものを思い浮かべることで、根拠のない思い込みが妄想だと書かれていた。妄想は頭で考えるうちには誰にも迷惑をかけないが、そこから現実の世界にもってくるときに気をつけなければならない。なぜなら…妄想は夢のような大それたことや都合のよいことを考えていることが、得てして多い気がするからである。(やぎ)
2014年10月10日
『三木トリロー「冗談音楽」』 10月5日のラジオ深夜便午前3時台「にっぽんの歌こころの歌」は「なつかしのエンターテイメント:三木トリロー作品集」だった。「日曜娯楽版」や「冗談音楽」がらみの内容だろう想像していたら案の定「僕は特急の機関士で」から始まった。初めて聴く藤山一郎の「ゆらりろの唄」、宮城まり子の「毒消しゃいらんかね」など、うつらうつらしながら聴いていた。そうしたら「毒消しゃいらんかね」の次に昔の「日曜娯楽版」みたいな寸劇が始まった。中身は造船疑獄のときの犬養法務大臣の指揮権発動を辛辣にしつこく風刺したもので、その激しさに驚いた。こんなものをよくも放送できたものだと思った。出演者は三木のり平、太宰久雄、宇野重吉、榎本健一、楠トシエ。
強烈な印象だったので、後日ネットで調べてみた。放送日時が不明だが、1954年5月から6月か。法相の指揮権発動は同年4月21日。ウィキペディアによると、辛辣な風刺が自由党幹事長佐藤栄作を激怒させて、番組は同年6月にうち切られたとある。さもありなんという激しい内容だった。この部分、ウィキペディアは三木鶏郎『三木鶏郎回想録』によっているが、ウィキペディアでは同じ『三木鶏郎回想録』によってNHK会長が辞任に追い込まれたとある。しかしこれは確認できなかった。とにかく大騒ぎになったことは間違いないだろう。当時のNHK担当者の判断・行動は勇気が要ったことだろう。そして深夜放送とはいえ、「三木トリロー作品集」のなかにこの作品を入れた今回の担当者の心意気を感じた次第である。公共放送NHKの政治的中立性、報道の意議と自由、内容の自主規制などいろいろなことを考えさせられた深夜番組であった。
(宮)

『夫はこどもちゃん?!』 ちょっと前のことになるがお盆に夫の家に帰省したときのこと。姪は3歳、そして今年の5月に甥が生まれて、義弟家族4人と病院で義父が私たちを迎えてくれた。姪は早くから大人とまともな会話が交わせるようになっていたが、しばらくぶりに会った姪は目覚ましくも格段に語彙が増えていて、いろんなものの洞察も鋭くなっていた。どうも姪は義弟の兄である夫のことが気になる様子。他の人が子どもに注目している間でも夫はマイペース。そんな人が周りにいないから面白いのだろう。けしてこびない夫になにか通じるものがあったのかもしれない。前に教えた「へんなおじさん」という言葉と「へんなおーじさんたらへんなおーじさん」と踊りも教えたのを気に入ったらしく、踊りながら寄ってくる。夫が「へんなおじさんじゃないよ、へんなまるちゃん(姪の名前)だよ〜」というと「まるちゃんはへんじゃないよ〜○○ちゃんがへんなおじさんだよ〜」という。あげくのはては「○○ちゃんはこどもちゃんだから〜」と夫を見ながらいう。確かに夫は子どものようなところがある人だが、いやはや3歳児にそれを見抜かれるとは?!そして帰る日になると「○○さんは帰るかもしれないけれど○○ちゃんはおいてきぼりにしたら?」なんていう。「おいてきぼりにしたら住む場所ないじゃん?」と私がいうと「じゃあ、まるちゃんちにすみついちゃえばいいよ〜」などと気の利いたことを言うのだった。気にいられているんじゃない?というと夫もまんざらでもない様子。また来たときにめいっぱいこどもちゃん同士で楽しい時を過ごしてくれたまえと思うのだった。3歳児からおいてきぼりとか住み着くとか言う言葉が出てくるとは思わなかったけど、使い方も間違っていなくてなんだか微笑ましくなってしまった。いつの間にいろんな言葉を覚えているのだなあ。(やぎ)
2014年10月3日
『香港の学生運動』 王丹の『中華人民共和国史十五講』をちょうど読み終わったら、香港で民主化を要求する学生運動が始まった。CNNなどでさまざまな映像を見ることが出来るので、毎日ハラハラしながらニュースを見ている。二十五年前の天安門事件と同様非暴力の原則に則って行動しているので、警察が催涙弾を発射すれば世界中の非難を浴びなければならないので、中国政府も慎重に対応しているように見えるが、やはり最後は弾圧に終わる可能性が高いのであろう。中国が一国家二制度を前提に台湾との統一を提唱しているだけに、今回のことは台湾にも大きな影響があるに違いない。(宮)

『うれしかったこと』 先週の出来事。会社の電話が鳴り、電話に出ると、文芸書担当の仙台の書店員さんだった。聞くことにはロザムンド・ピルチャーの本やほかにも海外文学のおススメを並べてフェアをしたいので、そういう本をまとめた注文書を送ってほしいとのこと。なんと嬉しい企画だろうか。嬉しくて本の豆情報などもつけていそいそ送った。それもその内容は、まさに私自身も書店でやってみたい企画だったのだ。普通に考えれば以前ならとてもベタなフェアだけれど、今だからこそあえてやりたいフェアだと思うのだ。今や外国文学の本はなかなか売れていないジャンル。だけど誰かに気づいてほしい、振り向いてほしい。普通に棚にあるだけではなかなか振り向かない今日この頃なのだ。同じように考えてくださる人がいるのだなあと仲間を見つけたようで嬉しくなった。こんな力のある作家が日本だけじゃなくて世界にたくさんいるんだぞ〜と声を大にして叫びたい。そしてこのフェアをやったことで「外国の本もこんな面白いのかあ」とお客さんたちが気づいてくれるきっかけになったらいいなあと思う。好きな本の種類は千差万別だから押し付けたくはないというのが正直なところだが、求めているのに気がつかないのはもったいない。書店でもどこでもだれかが何か気持ちを込めて置いたものには何か人を立ち止まらせる、呼びかける力があると思っている。以前、この絵本が好きだと置いてくれたその書店でその絵本はとてもたくさん売れた。気持ちのない人が同じように置いたらどうだろうか?ただ置かれているのと気持ちをこめて置かれたものは同じようでも同じじゃないのだとそのときとても強く感じたのだった。(やぎ)
2014年9月19日
『戦争』 7月13日、『赤旗』に『ちいさなへいたい』が紹介された。9月8日には『東京新聞』に、翻訳者野坂悦子さんのインタビューとともに紹介された。新刊書が新聞で紹介されても、読者の反応を感得できることは少ないのだが、今回は確かな反応があった。こどもに戦争について何かを伝えることは決してやさしくないが、『ちいさなへいたい』は静かに伝えようとしている。この絵本に新聞の読者が反応した。どうやら秘密保護法や集団的自衛権や中国・韓国との緊迫した関係など、最近の政治情勢に対するひとりひとりの危機感が反映しているのではないかと思う。本の注文がふえるのは有難いが、複雑な気分でもある。(宮)

『ラッキーセブンの日』 この間の連休は、母校のオープンキャンパスがあり、そこで卒業生のブースとして2日間お店をだし、本を売ってきた。自社の本の宣伝だ。母校の行事には何度か参加して本を売ってきたが、時間もいつも1時間とか多くても3時間。食べものや、手作りのリースやハガキなどにはわんさわんさの人だかりになるのだが、本をのんびりみたいという人はまずいない。たまにものめずらしく覗いてくれても時間と労力に見合わないことがほとんどだが、人に見てもらうことの大切さをいつも感じているので、本の存在アピールとして続けてきた。
今回はめずらしく朝9:30から16:00とのんびりした時間でできるらしいのが気に入り、ちょっと違う見せ方をしようと思った。できればじっくり選んでほしい。もちろん表紙や題名も大切。手にとってもらえなければおしまいだ。いつもは時間が短いので、自分で手で持っていける範囲の少量厳選方法だが、今回は2日間あったので、とにかくなるべく多くのタイトルを少しずつ持って行くことにした。どんな出会いがあるかわからないし、オープンキャンパスなので外部の人も来るだろう。十人十色なのだからなにを選ぶかも分からないのだ。そんなわけで今回は思い切って冊数を増やし宅急便を使うことにした。できれば帰りは手でもって帰りたいが…どうなることやら。
さて初日、なんとハッピーな気持ちになる出来事が!なんと学校の最寄改札をPASUMOでピッ!ひょいと残金を確認するとなんと「777」のラッキーセブンだったのだ!ん?!もしかしていいことあるかも?とちょっと期待に胸を膨らませた。会場につくと今回の卒業生参加は私ともう一組。びっくりしたがライバルが少ないのはありがたい。のんびり始めるとぽつりぽつりとだがお店を覗いてくれる人が。そしてしばらくすると「あんまり見たことないけど、どの本も気になる本ばかり出してますねえ」と一言。見たことないのは寂しいけれど後半の言葉は嬉しかった。では見せれば売れる可能性はあるということなのだから。そして「たぶんここにある本に興味を示しそうな人と知り合いになったばかりだから教えてあげなきゃ」といいつつ本を買って去って言った。しばらくしてそれらしき人がやってきて本を物色。一社のものしかありませんというと。「きゃー朔北社さんの人って卒業生の方だったんですか?まさかここで朔北社の本にたくさんの本に出会えるなんてテンション上がる〜」と喜んでくださった。そして話をしていくうちに、共通の知り合いがたくさん!翌日も父母の方で絵本を描いている方と出会ったりと、本がたくさん売れたのも嬉しかったが、たくさんの良い出会いに恵まれてラッキーセブンもだてじゃなかったな〜と思う2日間だった。買ってくれた人、買わなかったけど隅から隅までたくさんの本を楽しそうに立ち読みしてくれた学生さん、私のつたない話に耳を傾けてくれたたくさんのお客さん(たぶん在校生父母か、入学希望者のご家族)に感謝です。ツイッターで宣伝してくれたIさんにも感謝。また機会があれば会いましょう!
(やぎ)
2014年9月12日
『雀の低空飛行』 事務所の裏手にある西神田公園には雀やカラスや鳩がいる。ベンチに座っていたら雀が寄ってきた。地面を機敏に歩き回る。足下にすこし散らかっている焼きそばが目当てなのかと思い、身動きをせずじっと見ていた。飛ばないでかぼそい足を使って右に行き左に行きして焼きそばの周辺を敏捷に巡っていたが、どうやら焼きそばが目当てではなさそうだ。私の足の30センチぐらいまで寄ってきてときどき地面をくちばしでつついている。久しぶりのさわやかな秋晴れの午後、雀も楽しげに見える。そのうちに、雀は狭い道路をまたいで反対側の藪に飛び去った。このときの雀は地上15〜20センチぐらいの超低空飛行で一直線に飛んでいった。(宮)
2014年9月5日
2014年上半期 読む!書評欄に紹介された本 ブックファースト新宿店が8月25日から9月21日まで標記のフェアを開催中。朝日、毎日、読売、日経の4紙中2紙に紹介された本を集めたフェアだそうだ。昨年12月発行の『濱口雄幸伝』は刊行にいたる経緯もあって、4紙すべてで取り上げてもらった。先日見に行ったところ、4紙とも取り上げている本は6点しかない。3紙が20〜30点、2紙が100〜130点といったところか。新聞の書評で取り上げられた本を書店の売り場で書評記事とともにアピールすることは以前から行われているが、標記フェアのように書評記事を集計・整理してデータにもとずいて展示するのは初めてではないだろうか。産経、通信社系が入っていないことは残念だが、それはともかく、このフェアでどのくらい本が売れるのかとても気になる。(宮)
2014年8月29日
『真夏から10月へ』 火曜日まで34度、35度という猛暑だったのが翌日から突然気温が急下降して最低気温は20度を下回り、最高気温も22、23度ぐらいしかなくて、10月の気温だという。なんぼなんでも急すぎませんかといっても自然界のことでどうにもならない。「季節感が無くて」という意見もあるが、気分としては涼しくなって過ごしやすくて楽だ。有り難い。そうなのだが体が急激な変化についていけるかというと、これが問題である。すでに猛暑のせいで体が消耗しているのを実感していたので、押しつぶされないように気をつけて、とにかく急激な変化に上手に適応していくほかない。(宮)

『サトラレ』 何年も前のことになるがドラマで思ったことがみんなにわかってしまうというか、心の声として聴こえてしまうという特異な体質(?)を持つ人が主人公のドラマを見た。ドラマではその人のことを「サトラレ」と言っていた。「サトラレ」は自分が心の中で思ったことや感じたことが皆にもれているのは知らないし、まわりは「サトラレ」にその事実を知らせてはいけない。ある意味守られた存在なのだ。
多くの人は素直に思ったことを口にすぐに出さない。いや、出すこともあるだろうが、うまく使いわけている。まずは心に留め置き、人によっては一瞬のうちに、人によってはしばし考えてから口に出すから、お互いを傷つけ合うことをせずにいられるのだろう。一瞬心に浮かんだことは本心かもしれないけれど、そう思いたくない自分も人は持っている気がする。自分が思いもよらない嫌な感情や、人を好きだという感情が湧いたりする。そんな感情が駄々漏れだったら人はどうなってしまうのだろうか。なぜ、今ふいに「サトラレ」のことを言い出したかというと、私自身、最近気を抜いていると思ったことが口をついて出ていることがあるからなのだ。電車に乗り込もうとして自分がドアの前を陣取りたかった男が肩で私を奥に押しこんだ。思わず「なんなの…この人」と心で思ったら、なんと声に出ていた!小さな声だったからなのか、誰も聞こえているそぶりは見せなかったが…。独り言をいう怪しい人に思ったかも。気をつけようと思った朝の出来事だ。私の心の声はサトラレテシマッタカナ?と大胆なくせに妙にビクビクしながら生きている小心者の私がいたりする。(やぎ)
2014年8月22日
『広島の豪雨災害』 今週、各地で豪雨が降り、登山者が沢を渡ろうとして流されたというニュースが伝えられた。ニュースでは従来の記録にはない激しい降りかたといわれ、予期せぬ被害に遭う人が多いようだ。広島で深夜、今度は猛烈な雷のために住宅が土石流に押し流されて39人が亡くなった。高度成長時代以来、かならずしも適地でない場所に住宅がたくさん建設されて、そこが被害地区になっているらしい。高度成長と無理な宅地開発、そこに異常気象による豪雨。避難勧告がきちっと出ていたのかなど、すぐに自治体の責任が問われる。また問題が発生したというよりは、個々のニュースが伝える困難な問題の続発は、こんにちの日本の悩める姿の一断面だと思う。(宮)

『真夏のダッシュ!』 お盆の少し前の7月の下旬に、九州方面に出張した。夏休みになり学校の先生たちが図書館の本を選書にやってくる取次に一週間立合った後、最終日に、書店以外の営業先を訪問する予定を入れていた。博多あたりで15時に1社。そして博多南から徒歩25〜30分の場所にあるもう1社。
無事に予定の1件目の訪問を終え、移動しようと、JR乗り場に行くが駅が路線図にない!?駅員さんに聞くと「博多南は新幹線乗り場です」とのこと。「えっ?新幹線の駅なの?」と半信半疑で向かう。新幹線の切符売り場で見ると、どうやら隣りの駅らしい。料金は特急券込みで300円!(えー新幹線に300円で乗れるのか〜と感動!)博多南の訪問先も事前にアポをとっていたが忙しい時期なので当日電話して会えそうならとのことで、博多南駅から電話した。幸いにも社長さんがいらっしゃり、「来てくれていいよ」とのことで、とりあえずタクシーで向かう。タクシーだと5〜10分か?という距離。見たところ流しのタクシーはない。運転手さんに「このへんだと帰りにタクシーを拾うのは難しいですよね?」と訊ねると「まず、走ってないね〜」とのこと。電話番号を渡されるも「今日は金曜日だから電話もらってもなかなか捕まらないんだよね余裕をもって呼んだ方がいいよ〜」と言われる。わかってはいるが、時間が読めない。17時前に先方に着き1時間話して戻るなら…もしもタクシーが捕まらなくても早足で戻れば戻れなくはない。予定は未定、その結果、話に花が咲き、長時間ありがとうございましたと言って時計を見てびっくり!電車の時間まで10分ほど…「タクシーで駅まで戻るなら、暑いので中でまっていらっしゃい」という奥様(?)の優しい一言。だけど、それじゃあ飛行機に間に合わないかも〜と心は乱れるが、顔は平静を装い「いえいえ大丈夫です」と丁寧にその場を後にした。タクシー会社の電話では「出払っちゃって…」と申し訳なさそうに言われ…あとはこの足でダッシュするのみだ!と覚悟を決めた。幸いにも道は一本道。まだ太陽が照りつける中、走り続けた。何度か赤信号に阻まれ…完全なダッシュが出来ない。ええい、もどかしい。時間は刻々と過ぎ…あと数百メートルのところで電車が発車するのが見えた…ああ、だめだったか…。いつも帰りの便は最終にするのに…今回に限って、早く帰れるように19時台の飛行機をとっていた自分を呪った。諦め半分に駅のタクシー乗り場にいくとなんと一台だけタクシーがとまっていた。もちろん無事に空港に到着。でもちょっとイタイ出費だった。300円が数千円。でもこの程度で済んでよかったと安堵する。空港に近い営業先に感謝。過ぎてみれば久々のダッシュもちょっと気持ちよかったなと思ったのんきな私である。思えば出張に行くといつも走っている気がする…。(やぎ)
2014年8月1日
『虫の話』 一つめの話:夜中にすこし目が覚めた。肘のあたりがもぞもぞする。手で払ったがまだもぞもぞ。目が覚めてきて、また手を伸ばしたらなんと虫の体に触ったとわかった。正体が分からぬまますぐさま捕まえて床に放り投げた。ゴキブリかなと一瞬思ったが、いままで出てきたことはないのだ。灯りをつけてみたが姿がない。ドアを開けて廊下を見たらバッタのようなかたちをした虫だった。あまり動かない。かわいそうだが室内で飼うわけにはいかないので新聞紙で叩いたら飛び上がって玄関にむかっていき姿を消してしまった。翌日出勤時に玄関を開けたら外にうずくまっていた。叩いたのに生きていたようである。

二つめの話:電車に乗って会社に向かう。朝はのろのろ運転が多いが、この日はちょうど新聞を読み終わって外に目をやった。電車はのろのろと走っていたが、やがて停車した。目の前の民家に天窓のようなガラス戸があり、なにか動いている。目を凝らすと蛾である。ガラス戸と網戸の間に体が挟まれて動けなくなっている。体を動かそうともがいているがほとんど自由がきかない。そもそもどうしてあんな場所に入ってしまったのか解らない。住人がガラス戸を動かしたときに閉じこめられたのかもしれないが・・・。
(宮)
2014年7月25日
『落雷で京王線が止まった』 20日夕方7時に落雷で京王線が甚大な影響を受けた。7時少し回った頃神保町で乗車したが、この電車は橋本行きで、構内放送も事故のことはなにも言っていなかった。乗車してから車内放送で事故にからんだことを言っているらしいのだが、ほとんど聴き取れない。事故の度に思うのだが、肝心のときに車内放送が役立たない。今回は音量が小さい上に走行中の騒音で何を言っているのかわからない。車掌に放送がどのように聞こえているのか実証実験をしてほしい。
結局電車は笹塚行きになり、笹塚まで行って少し事情がわかったが、運転再開のメドはたっていないのだから待つしかなかった。乗車したまま本を読んでいたら、やがて桜上水まで行くという。桜上水まで行ったら今度は降ろされてしまい運転再開のメドなしになった。桜上水八王子間、調布橋本間が動いていないという放送。この状態で大分ホームにいたが、運転再開の時に目的地の南大沢に近い方がいいと思い、小田急線で多摩センターまで行くことにした。明大前まで戻って井の頭線で下北沢へというコースだ。そうしたら井の頭線だったと思うが、車内電光ニュースが若葉台橋本間は動いているという。この情報がいつ分かったのかしらないが、どことどこの区間が止まり、どことどこの区間が動いているのか、このことをきちっと伝えてくれれば行動の方針が立つのに、構内放送は曖昧なことしか言わなかった。けっきょく4時間ちかくかかって帰宅することが出来た。
(宮)
2014年7月18日
『旅客機撃墜される』 乗客乗員295人が乗っているマレーシア航空機がウクライナで撃墜されたというニュースには驚いた。旅客機が地対空ミサイルで撃墜されたというが、内戦状態にある領域を旅客機が飛行しているというのも不用心すぎると思うが、ウクライナで戦っている政府軍はともかくクリミヤの親露派ウクライナ人も対空ミサイルを持っているのだろうか。どうすれば地対空ミサイルなどという兵器が入手できるのか。以前、オウム真理教がひそかにヘリコプターを運び込んでいたくらいだから、しかるべきルートがあるのだろう。撃墜事件の真相はまだまったくわからないが、誰かが対空ミサイルを使ったことだけはたしかだ。
冷戦終結後、地域紛争が多発し高性能な武器が使用される。人間は性懲りもなく今も争い続け、殺し合う時代に生きている。しかしまさか旅客機が撃墜されるとは思わないから、そのときの乗客の驚きと恐怖はいかばかりであったか。ところがすでに今世紀初頭9.11が起きていたわけで、さきのマレーシア航空機消息不明事件も考えると、われわれが生きているのは旅客機の乗客受難の時代でもある。
(宮)
2014年7月11日
『台風8号』 大型台風がやってきた。気象庁の予報も被害を極限するためにかなり苦心しているのがわかる。それを踏まえてニュースも繰り返し様々な注意情報を流している。にもかかわらず今回も犠牲者が出ている。どんなに細心の注意を払って行動しても、予期せぬ自然の素早い動きの結果、南木曽町の土石流のようなことが起きてしまう。これにに備えることはなかなか難しいとは思うが町役場が非難指示を出したのが土石流が起きた10分後と聞くと、危機的状況を目前にして迅速な対応が出来なかったことがわかる。自然恐るべし。(宮)
2014年7月4日
『手紙』 便りという題名で手紙のよさについて、最近も書いたが、それを再認識した出来事があった。夫の父親はここ数年手術のあとに意識を失い現在も寝たきりの状態が続いている。最近ちょっと危ないことがあったので、普段も父のことを考えない日はないくらいだ。場所が九州ということもあり、そんなにしょっちゅう顔を見にいってあげられないのが辛いところだが、私たちにも生活があり裕福というわけでもないので出来る範囲で訪問することにしている。夫の実家はお米屋で、義父や亡くなった義母が元気だったころ、私たちによくお米や、お店で売れ残った賞味期限間近の食品や、自分たちが食べておいしかったものなどを宅急便で送ってくれていた。そのときに2回だけだが義父が手紙を添えてくれたことがあった。ふと無造作に積んであった手紙の束を持ち上げたら義父からの手紙が出てきたのだ。以前にも読んだ手紙を久々に再読すると義父の人柄と、気の利いたユーモアが手紙からほとばしるように溢れてきた。一部を抜粋するとこんなかんじだ。
【--お元気かーい。桃の節句も過ぎ、日増しに暖かさを覚えて春めいてまいりました。花の命は短くてと申しますが、はかなくて美しい桜の季節もまじかです。桜の名所、西海橋の両側に(図入りで説明…川と橋と桜の木が書いてある)新たに橋が出来、花見を兼ねて2人で(48年前の彼女と)見学に行こうと思っています。実行できますかねワァハァハァー--】
まったく情緒もありながらなんて自由な手紙だろうか。もうすぐ夏だ。お盆前にある出張は九州だ。少し足を伸ばして義父に会いに行こうと思った。アンジェラ・アキの『手紙』という曲は、幼かった自分が今の自分にあてて書く手紙の歌だが、いい歌だなあと思う。親しい人たちに夏の便りを書こう。
(やぎ)
2014年6月27日
『取次の支払い』 『濱口雄幸伝』の編集・制作・営業に力を注いできたが、刊行から6ヶ月経って委託配本の精算時期がきた。ところが大手取次は、当てにしていた精算支払が出来ないという。たずねてみると次の新刊が出ていないから云々という返事。たしかに次の新刊書は9月だし、取次担当者の言うとおり「事務処理基準」には「支払の繰延べ」と言う条項に「委託扱いの継続取引が中断したとき」とい1項がある。これには参った。あわてて取次に連絡して、支払時期が迫っている月末になってから支払の繰延べは困るし、新刊書の準備は着々と進んでいるので、計算書のとおり支払ってくれるようにお願いしたが、「支払の繰延べ」条項を楯にとって拒否されてしまった。取次に提出している約定書や、渡されている事務処理基準には、出版社の経営状態がおかしくなったときのためにさまざまな安全装置が規定されていて、これに該当するような現象が起きると、その条項を機械的に適用してくる。今回いくら事情を説明しても、効果無し。「支払の繰延べ」条項を適用するという判断をひっくり返すことは出来なかった。(宮)
2014年6月20日
『トリセツ』 出勤前のラジオで、毎日サラリーマンや主婦のためにいろいろな情報を流している。やれ部屋の上手な片付け方だの、旬の果物の見分け方・食べ方だの、名刺交換の仕方だの、お辞儀の仕方だの、結構ハウツーものが多い。テーマによっては定期的に扱われているが、なかに「育児のトリセツ」というのがある。育児についてのハウツーだが、「トリセツ」とは違和感を覚える名前の付け方ではないかと思う。こどもは機械ではないからと当たり前のことを言いたくないけれど、センスのないネーミングというものです。(宮)

『展示会は情報がいっぱい』 春先からスタートする小中学校の図書館のための展示会に毎年いくつか参加しているのだが、普段社内でいるときには考えないことをこの展示会にいくと考える。
まずは先生方がいまどんな本を求めているかということ。「○○○に関する本ってありますか?」「○○を育てる本ってありますか?」という質問をうけてその本を探す。「へえ〜こんな本があるのだなあ」と私自身も勉強になるし、そういう本を求める人が何人もいたときには「企画として社内にあげてみようかな?」とも思う。
そして何より展示会での一番の嬉しいことはそこに展示してある全ての本を自由に閲覧することができることだ。こんな種類の本があるのか!と感心するほど各社様々な角度から本を作っている。わが社なぞはほとんど絵本や読み物、それに詩集や科学読み物をぽつりぽつりのに限られた種類しかないのでその種類を見るたび愕然とする。先生たちの求める本を聞かれる度にああ、「こんな本がうちにあったら薦められるのに…」とそんな本も持たないくせに口惜しい(?)思いにかられるのだ。
今年の新刊の中である社から出ていた各国の子どもたちの暮らしを描いたシリーズを空き時間に読む。何冊か読むうち、フランスについて書かれた本が目にとまった。日本の自給率が低い低いと聞いていたがフランスの自給率をみてびっくりした。なんとほとんどを国内でまかなうことができるのだそうだ(もちろん輸入をするものもあるようだが)。フランスは農業国なのだそうだ。去年一年美術留学でフランスで暮らした普段あまり野菜を食べない友人が野菜がとてもおいしかったといっていた。その理由もうなずける。新鮮野菜をいつも食べていたのだろうから。最近になって日本の自給率は今いくつなのか気になってネットで検索してみた。農林水産省のデータ(平成24年度)では一位がカナダ223%、二位オーストリア187%、三位アメリカ130%、フランス121%と続く。フランスですごい!と思っていたのにカナダの223%をみて、さらに驚く無知なわたし。日本は…というと39%となる。食料自給率とは、国内の食料消費が、国産でどの程度、賄えているかを示す指標なのだ(カロリーベースで)。まったくもって低い…すべての輸入がストップしてしまったら日本はどうなるのだろう。40年ほど前には日本も73%もあったようだ。日本人の食生活の変化と共に日本人が摂取する食べものの嗜好が西洋化するにつれて国内で生産するものだけではまかなえなくなってきているのだろう。何を食べるかという意味ではなくとも、日本で作られている食料の分量だけでいうと日本の全人口の食は足りるのだろうか?それも知っておきたいものだ。
(やぎ)
2014年6月13日
『逆行』 このところ『丸山真男話文集』を読んでいる。丸山がいろいろな場面で話した録音を文字起こししたものが多い。本人はこういうものを本にされるのは不本意かもしれないが、仲間内で喋ったものでなく、なかにたとえば高校生に対して、たとえば中国人留学生に対して話したものがある。これらは政治、社会、法制度、歴史について基本的な考え方をとても分かりやすく解説している。読み始めると巧みな語り口に引き込まれてしまう。先日電車最後尾の車両に乗って本を読み始めた。しばらくして目を上げたら先頭車両に乗っているとわかった。反対向きに走っているのだ。頭が混乱し、いささか驚いた。終点に着いて反対方向に走り出したことに気づかぬくらい読み耽っていたわけだ。(宮)

『土砂降りの雨の中考えたこと』 このところの雨の激しいこと激しいこと。真夏に突然カミナリが鳴り、降りだす土砂降りの雨には覚えがあるが、最近は梅雨の土砂振りである。私の梅雨のイメージはあまり激しくない、ほどほどの雨がしょっちゅう降っているというものだ。土砂降りが何日も続くなんて梅雨じゃない!とさえ思う。
この月曜なんて駅から家に帰るだけで靴からズボンの裾までずぶ濡れ。靴が歩きながらクチュクチュと自己主張さえ始めた(冗談はおいといて…)。実は、あまりに道路の水の流れも激しいので、どうせ濡れるならと思い、ちょっと夜道の水の流れを観察しつつ帰ったせいかもしれない。おお、この道は片方にこんなに傾いていたのか!ここにはくぼみがあったのか!車庫に入るための道路と駐車場をつなぐ傾斜の部分が邪魔をして素直に流れられない水の動き…ほほーっ!と思わず関心してしまった。意外に毎日見ているのにその道の様子に気づいていないことが分かる。水は恐ろしい。浸水に水圧…どれも幸いなことに、私自身はあまり怖い思いをした経験がないのだけれど。各地のニュースを見るにつけ恐ろしいなと思う。
一度我が家の玄関で掃除が行き届いていなかったことが原因で排水口に土が蓄積。ある大雨か台風の日にそこから玄関先まで流れぬ水が入り込んだことがあった。あれから排水口の掃除を丁寧にするようになったんだっけ。自然を前に人間ができることはあまり多くないけれど、「掃除くらいはしておかないといけない」と思う。町の水は一時間にどのくらいの降水があると溢れてしまうのかなど少し知っておくべきなのかも。激しい雨水の行き先を辿ること。これは大切なことだなあと思う。政府や市町村で働く人は雨や雪のときにすすんで外に出て今どこの道がどんなふうになっているのか見ておくのは悪いことではない気がする。そんなときだからこそ普段見えないものが見えてくるものだ。
(やぎ)
2014年6月6日
『20年の桜』 南大沢に越してから19年。首都大学東京をぐるりと囲む桜並木は、その間にすっかり成長した。細い苗木だったのが幹は何倍にも太くなり、毎年剪定されているのもかかわらず横に横にと枝を伸ばしている。道の両側に植えられた苗木が枝をのばしてトンネルを作り、今では空が見えないほどになった。風当たりの強い場所に植えられて、ほかの木より育ちが悪くひ弱にみえた一本は丈夫に大きくなり、いまでは毎年時節になると格好の花見の場所となっている。毎日みていると成長ぶりが分からないが、気がつけばすっかり景色が変わってしまった。20年足らずの変貌驚くべし。(宮)

『便り』 幼い頃、そして学生のころ手紙を出したり受け取ったりはごく普通に行われていた。いまはメールがその役割を担っているのだろうか。小説の中で愛する人や家族、友人などにあてた手紙を読んだり過去の人たちの書簡などを見るにつけ、手紙とはいいものだなあと思う。短い文章のハガキも、長い封書の手紙も。読む側はどんな感想を持つのだろうか。届くであろう人の顔を思い浮かべながら書く手紙は本当にいいなあと思う。
私の数少ない友人たちの中でも細々とだが手紙を交換する人がいる。ありがたいことである。メールは自分が頭で思うより、どこか心では迅速な返事を期待している。だけど不思議なもので手紙は時間の流れがその気持ちをどこかに置き去りにして、気長になる。ビジネスの手紙には期限もあるし返事を期待するだろう。でも、家族、友だち、恋人に対してはちょっと違う意味合いがあるのではないだろうか?自分が見たり感じたり、思っていることとを伝えたいというのが手紙を出す意味だろう。手紙の返事がくるのも嬉しいけれど、受け取った相手がその手紙を読んで喜んでくれたり共感したり、自分の手紙と向き合ってくれている瞬間があるということが素直に嬉しい。たった数十円?もしくは百数十円で地球のどこへでも届けられる手紙。この手紙の文化がなくならないといいなあ。
(やぎ)
2014年5月30日
『時計』 腕時計を使わなくなってだいぶ経つ。ケイタイで代用しているのだが、ときどき持って出るのを忘れることがある。すると時間が分からなくなる。昔は町中にでれば建物のどこかに時計があったが、いまどき腕時計無しケイタイ無しで外出して時間を知りたいとき、手だてが無い。まあケイタイ・スマホ全盛で、持たない人がいない時代だから、建物に時計を据え付けるという発想が無いのだろう。昼間の明るさのなかでもくっきり見えるほどの精細鮮明な大型スクリーンを設置している建物はたくさんあるが、時計は無い。電車のプラットフォームにも電車の到着時刻を数字で出しているが、丸形の時計など無くなっている。しかし私のような人間もいるわけで、ケイタイを忘れてくると時間が分からなくて困るということだ。(宮)
2014年5月23日
『縮小』 ここ数年のあいだに、朔北社が入居している建物では3社の出版社が建物内で移転している。いずれも事務所面積を縮小するための移転で、目的は経費節減だ。出版業界の不景気を反映した動きである。しかし、この程度の経費節減で業況が改善できるのかとの疑問をいだき、3社のうちの1社として他人ごとではない危機感を持ちながら眺めている。出版業界の不況は本当に深刻です。(宮)
2014年5月16日
『映像と音声記録』 映像や音声記録が使われるようになってから、50年前、100年前という時間が、以前ほど遠いものではなくなった気がする。流行歌なども30年前、40年前の曲がごく普通に流されている。映画もそういう感覚を助長する力がおおきい。「風とともに去りぬ」は1939年の作品だから、75年前の映画ということだ。すると、30年、40年などなんということもない近さである。もっとも流行歌やファッションなどは、その場に生きていなかった者にはぴんとこない憾みはあるが、映画で見る鮮明な映像は、遙か昔という感じではない。映像や音声記録が時間の感覚をかえてしまったのだ。小学生のとき幕末の歴史は、遙か昔の出来事であった。しかし当時の写真をよく目にするようになった最近では、写真に写った侍がとても身近な隣人に思えて遠い昔の人物という感じがしなくなった。(宮)

『私を見るのはだれ?!』 この間のことである。洗面所で顔をあらっていたるとき下から視線を感じた。なに?何者?と探すがそれらしき生き物はいない。虫やヤモリの類かと思ったが。つづいて洗面所の掃除をして、汚れを発見!ふと目をむけると、汚れだと思っていたものがなんと小さな小さなナメクジだった。ナメクジは風呂場や洗面所でたまに発見していたが、こんなに小さいのは初めてだ。いや、こんな小さいのは生まれて初めてみた。あまりにかわいいのでそのまま排水溝に流れてしまわないように気をつけて洗面所を洗った。次の日みると少し移動しているものの、昨日とあまり変わらない場所にもそもそ動いている。その翌日も。友人に話すと、どこか外の葉っぱに移動してあげるのがいいんじゃない?と助言。でもそこが問題なんである。だって指でつまんだらつぶれそうなんだもの‥。でも、餌もないこんな場所でひからびたらそれはそれで悲しい。そんなわけなのだけれど、こわくてつまめず、いまだチビナメクジくんは我が家の洗面所に住み着くはずだった…でも今朝見たら影も形もみあたらない。良かったような、さみしいような…(やぎ)
2014年5月9日
『ピッチ』 以前通勤途上で早歩きの競争をしたことを書いたが、毎日のこととて最近わかったことがある。歩くときのピッチが若いときと違うのだ。もっとはっきり言えば若いときのピッチで歩けない。近くを歩いている若者を見ると急いでいるときのピッチの早いこと。真似してみてもそのピッチが出ないのだ。要するに敏捷な行動が出来なくなったということだろう。高齢になって筋力が衰えるというのはこういうことかと思う。もともと運動神経がなくて敏捷性に欠けるのだからこれではお手上げである。まあ、せいぜい転ばないように一所懸命歩くしかなさそうだ。(宮)
2014年5月2日
『八王子大停電』 4月27日の夜、南大沢駅を出て50メートルほど歩いたところで、辺り一帯が真っ暗になった。停電だ。周囲を見回すと視野の届く限り停電である。ただ、駅や建物のロビー、踊り場といったところは非常灯がついている。しかし一面の暗さは驚くほどで、目が慣れた頃には首都大学の桜並木に到達していたので、新緑の若葉に覆われた並木道は一寸先も見えないと言っても誇張でないくらい物が見えない。人が大勢歩いているわけではないがそれでも目を凝らしてぶつからないように用心しながらゆっくり歩いた。団地まで行き着いても非常灯以外に明かりはなくて、とにかく暗い。エレヴェーターが止まっているので、10階まで階段を登らなければならない。こんなときにはめったに話すこともない近隣の住人とあれこれ話す。情報交換だ。ひとしきり話した後、階段を登りきりドアを開けて家に入ったが、文字通り真っ暗闇だ。手探りで仕切りのドアを開け、懐中電灯をつけた。それから蝋燭と燭台を探し出してきてテーブルに置き火を灯した。こういう状況は実に久しぶりのことで、さてこれからどうするかとひとまず椅子に座って息をつく。方針を決めて立ち上がった頃、停電が終わったので、ほとんどなんの問題もなかったが、非常時のそなえはやはり必要らしい。(宮)
2014年4月25日
『心』 4月20日から夏目漱石の「こころ」が100年前にならって朝日新聞で連載されている。表記は、岩波文庫に準拠した新字新かなで表記されているので、100年前そのままではないが、これは、当時のままで読みたかった。以前、産経新聞が司馬遼太郎の『坂の上の雲』を再掲載したことがあったが、これとは違って連載小説のスタイルを踏襲するのなら、大正時代のままが見たかった。いずれにせよ、久しぶりに新聞小説を読むことになり、平明だが読み手をつかんで離さない見事な文章を、毎日楽しみに読んでいる。(宮)

『話題になることと、売れること』 今の会社で出版部に所属するようになったころ新聞の書評や、紹介の効果は絶大だった。広告なんて出せないから少しでもたくさんの新聞や雑誌に自分のところの本を紹介してもらいたいと思う。それにプラスしてそのタイミングでの書店での露出ができればきっと文句なく本は売れるだろう…と考えていた。去年12月に朔北社は昭和初期の政治家の伝記を出版した。『濱口雄幸伝』上下巻だ。社長のがんばりと、出版にいたる経緯の面白さもあいまって、結果、多くの新聞に掲載された。小さな紹介のものもあったが大半は紙面を大きく割く、嬉しい内容のであり、またこの本をよく伝える書評だったり、インタビュー記事だったりした。12月に3紙、1月に2紙、2月に6紙。その人物出身地である高知ではちがった角度から3月に更にもう一度文化欄で記事になった。そしてこの4月に1紙だ。もちろんそれぞれに反応があり、一番のピークは2月だったろう。でも正直こんなにたくさんの記事が載ったら、もっと売れるのではないか?と疑問がわいた。いや20年前だったらもっともっと売れていただろうと思う。話題と売れ方はもちろん大小はあれど影響ゼロということはないだろうがぴったりは一致しないものだと今回強く感じた。
固いテーマもあるだろうし、誰もが楽に理解できない部分もあるし、小説とも違う。一般に多くの女は政治ものをあまり読まないという印象も強い。私自身も政治に関する本は敬遠してきた。だけど日本のやり方が変われば否応なく自分にもその影響が及ぶのも事実なのだよなあと思う。政治に対する諦めもある。濱口雄幸と言って知らないという人のほうがいまや多いだろう。しかし城山三郎も実は彼について『男子の本懐』(新潮文庫)という小説の中で彼をえがいている。同僚の妹さんが同僚に「きっとお姉ちゃん好きだと思って」と手渡したこの本がなければおそらくこの『濱口雄幸伝』は出なかっただろう。そして社長が岩波書店の『丸山真男回顧談』を読まなければこの原稿の存在も知らなかっただろう。そしてその原稿書きにまさか自分が教わった先生が関わっていたなんて…とまさに運命の糸に引き寄せられるようにして出版した本であると言って過言ではない。

仕事を通して濱口を知ることが出来たことは私にとって嬉しい出来事の一つだった。なぜなら今や信頼してついていきたい政治家なんていないのではないかと悲観していたからだ。ああ、日本にもこんなに骨のある人がいたのだなあと思った。
何事も派手なことばかりがいいことではないのだと思う。もちろんリーダーとなる資質というのは誰もが持っているわけではないなあと思うのだが地道に頑張ってきた人が時がきてリーダーになり国民のことを第一に思い行動したり、リーダーとなってもなお、その地位に甘んじず自分で予算のそろばんをはじき、正しいと思ったことを突き詰め信念を貫く姿に男を感じる。営業先で話をしたときにある書店の外商を担当する男性が、「城山三郎が書くほどの男なんだからさぞかしかっこいい男だったんだろうね」と言った。他社本ながら、まずは、きっかけに『男子の本懐』(新潮文庫)も是非読んでほしい。小説なので断然読みやすいが、幼少時代から政治家として人生の幕を引くまでを描いた伝記は読み応えはばっちりです。なんだか宣伝みたいになってしまったケレド…。
(やぎ)
2014年4月18日
『気象通報』 以前、触れたことがある「気象通報」が4月からの番組変更で、従来1日3回放送していたのが、1日1回に減らされてしまった。いまどき、「気象通報」を誰がきいているのかと思っていたが、1日1回に減らされたのは利用者の数と関係があるのかどうか。この間風邪で休んでいたら、夕方、1日1回の「気象通報」の放送時間にちょうど巡り会った。「名瀬では、北の風、風力3,曇り、13ヘクトパスカル、18度」というような、何十年前から変わらぬ放送を、私は、結構喜んで聴いている。「北緯45度、東経140度では、南東の風、風力不明、天気不明、15ヘクトパスカル、12度」なんていう漁船から送られてきたらしい情報もある。こどものころ、この番組で珍しい地名(もっぽ、うるるんとう、あもい)を面白く耳にして覚えたものである。夕方4時の放送では、今後はほとんど聴くことはなさそうでちょっと残念だ。(宮)
2014年4月11日
「濱口雄幸伝」の紹介記事 今回、『濱口雄幸伝』の紹介記事が各紙に出たが、それぞれの記事は肝腎な点を押さえたうえで強調する部分がヴァラエティに富んでいて、結果としてこの本の魅力を多面的に紹介してもらったことになり、編集者にとってはとても有り難いことであった。
著者インタビューでは記者の高い能力が窺われる鋭い質問と、著者と交わされた、現代の政治状況を踏まえた関連性の指摘や質疑応答に感銘を受けた。そして、これだけ多数の紹介記事が出たので、あきらかにいつもとは違う読者や書店の反応があったのは事実だが、それでも新聞読者が日々減少している今日、どれだけの読者が記事を読み、興味を持ってくれ、結局どの位の売上を記録することになるのだろうか…。
(宮)
2014年4月4日
『平穏死』 「老衰を医療で止めることはできない。人生の最期にはしばしば、医療を加減したほうが静かに逝ける。必要な水分や栄養の量はどんどん減り、入れない方がむしろ穏やかに過ごせる。入れないから死ぬのではなく、死ぬから要らないのだ。私は、そうした命の閉じ方を「平穏死」と名付けた。」
特別養護老人ホーム常勤医である石飛幸三さんの書いた文章の冒頭の1節である(産経新聞2014年4月1日朝刊「論点」)。本当は全文を引用したいが、関心のある人はぜひ読んでほしい。石飛さんが書いていることは実に穏当な理屈だし、自分が死ぬときにはこのように扱ってほしいと思うが、現実に実践するのはきわめて難しいのだろうと想像する。体が水分や栄養を受け付けなくなったときに、医者は医療行為として水分と栄養を補給してしまうだろうし、そばにいる家族はそれを当然のこととして受け入れるにちがいない。医療技術の進歩がそういう観念を長年培ってきたわけで、医者も家族も、水分や栄養を補給しないという判断をするのが難しいにちがいない。頭の切り替えが不可欠だ。それにしても、そういう切り替えが可能だろうか?石飛さんにもう一歩踏み込んだ意見を聞いてみたい。
(宮)
2014年3月28日
『明治100年、150年』 大学生の時、明治100年記念の年に当たった。関連本が沢山出版されたし、いろいろなイヴェントが行われた。
2018年は明治維新150年にあたり、三谷博さんの本には、世界中から研究者を集めて革命についての国際会議を計画していると出ていた。三谷さんの明治維新についての本は、とても新鮮に感じられたし、明治維新を革命として扱おうとする立場には共感できる点が多々ある。世の中が大きく変動している現代に、新世代の研究者が出てきて、新しい見方が表明されるわけだ。新しい見方をしなければ理解できないような激変が眼前に展開されている。
今年は第1次世界大戦から100年たつ。ときあたかもウクライナ、クリミヤで軍隊が動き、戦争勃発の危険も感じられる。ちょっとした出来事から戦争になることが言われている。世の中の大きなうねりに翻弄されながら身近な家族や職場の問題に頭を悩ませているのも現実であるが、『濱口雄幸伝』を出した出版社としては、濱口死後1ヶ月もたたないうちに満州事変がおきたことを想起して、眼前の政治や世界の動きに注目せざるをえない。一人一人が何を考え、どんな行動をとるのかがおおきな意味を持っていると思う。もちろん政治家の責任はとても大きくて、ひとつの行動指針として濱口さんの生き方は読まれるべきものを持っている。商売からだけでなく、『濱口雄幸伝』をもっと読まれるようにしなければと思う今日この頃である。
(宮)
2014年3月20日
『みんな小さくなっちゃった!』 4月からの消費税アップのため各企業がいろいろな対策を早々と取り始めた。一番身近なところでは、セブンイレブンのお弁当、そしてスーパーでよく買う食品のパッケージがなんだか小さくなっているのを見て気づいた。まだ3月なのに…。
そういえば原材料費が高騰したときだったか、それとも以前の消費税アップのときだったか忘れてしまったがそんなことがあったなあと思い出した。ロッテのチョコパイが一回り小さくなったときの残念観が今も色濃く印象として残っている。なぜ今から?4月からせーのでいいじゃない?同僚いわく、4月の値上げはせずに少し前からこの一新した値段とサイズで慣らしてるのでは?とのこと。ショックを和らげるため?でもある意味3月での値上げを実行されたんじゃたまったもんじゃない!私のお昼300円台生活はどうなるんだ!(ていうか、お弁当を作ってくればいいんだけれど…)おまけに以前買っていた価格帯の商品をみるとなんだか子どもの弁当か!というくらいみんなミニミニサイズ。いやー私が巨人になったのかと思うくらいみんな軒並み小さい!小さい!消費税アップでダイエットをしろと言っているようなものだ。同じサイズで値段が上がるほうがまだましだ。食べたいものが小さいサイズしかないときには物足りなくなり、余計な買い物をしてしまいそうだ。どちらにしても満たされない気分である。
消費税は必要だからアップしたのだろうと思うのだが、政治家たちは本当に必要なものにお金を使ってほしいと心から思う。予算を使い切らないと次年度予算が減らされるといって必要のないものを買った、必要のないところにお金を落とすという話を身近な公務員からも聞いたことがある。そんなところにお金を落とさないでほしいものだ。本来予算とは計画的に使うものであり、あまったら返し、翌年は翌年必要なものを計上すべきではないかと思う。いつも変わらぬ予算が必要な場面とそうでない場面が絶対にあるはずなのだから。
(やぎ)
2014年3月14日
『資料整理』 『濱口雄幸伝』が出てから、現在著者の今井さんが所蔵する、元の伝記執筆受託者丸山幹治さんが集めた資料を点検している。伝記執筆に使われたものもたくさんあるが、執筆を支える基盤ともなったさまざまな資料がある。
たとえば濱口雄幸が東京駅で銃撃されてから亡くなるまでの新聞記事をあつめた冊子は、3種あるが、なかには記事をはさみで切り取り読みやすく並べて写真撮影したものがある。手間のかかった資料というだけでなく、見やすく便利な資料だ。これを見ていた高知新聞の記者は、「男子の本懐」という言葉が発せられた記事の見出しや「色を失った高知」という見出しを見つけて感激も一入という顔をした。コピーがない時代の作業なので、議事録や新聞記事の多くは原稿用紙に筆写されている。このような生の資料をみたら、編集作業の手間に不平を言ったら罰が当たると思うものだ。新聞記事から当時の有名無名の人々の感想を拾うだけでも、濱口さんがどのように国民に親しまれ支持されていたのかを知るのに便利な本ができそうである。
(宮)

『眠り人形』 よく友人たちから夜眠れないという悩みを聞くたびに、世の中いろんな人がいるなあと思う。なぜなら私自身は眠れない経験に乏しいからだ。目がさえきって眠れなかったことは生まれてこの方、数えるほどしかない。熟睡しているかと聞かれると夢も結構見るし寝起きもよくないので、まったく自信がないのだけれど。
人形でこんな人形を見たことはないだろうか?立っているときには目をパッチリあけているが横にすると目がとじる人形。あれである。最近気づいたのだが同じ現象が人間であるわたしにも実際におこっていることに気づき自分で笑ってしまった。晩御飯を食べてテレビを座ってみてるときはいいのだけれど、横になったら自然に目が閉じてしまうのだ。それはほとんど数秒単位の出来事で我ながらびっくりする。もうすこしどうにかならないものかなあと真剣に悩んでいる。
(やぎ)
2014年3月7日
『雪あらしの日のイベント』 ちょっと前のことになるが川崎のポンポワでイベントがあった。よりにもよって前日から雪。昼に同僚とその子どもと新百合ヶ丘で待ち合わせ、バスで現地に向かう。こんな雪だしタクシーで行こうかと思ったらタクシー乗り場もひと、ひと、ひと。バス停を探しながら吹雪で震えた。しばらくしてバスが来て乗るが窓の外は真っ白だ!木も、道路も、家も全てのものが真っ白。最寄駅に到着するとそこも雪。なかなか深い。ようやくたどり着いたお店の中でようやくほっとした。
こじんまりしてかわいいお店ポンポワは団地の中の商店の一角にある。姉妹お二人でやっている。今日は定員8名のところ6名の参加。付き添いのお母さんたちも入れて12名が雪あらしの中、イベントに参加してくれた。その日のテーマはオランダの絵本と、紙芝居、そして朔北社で出しているケープドリシリーズのケープドリとツングステンの形でクッキーを焼くという楽しいイベント。嵐の中来てくれた子どもたちに翻訳者の野坂さんが『ケープドリあらしのまき』を読んでくれてまさに、その日、そのものが「嵐の巻」となったイベントとなった。こうやってこの悪天候にもかかわらず集まって楽しんでくれた子どもたちとお母さんたち、野坂さんにポンポワの方々、児童書出版社のNさんほんとうにありがとう。遅くなりましたがお礼を申し上げます。私もクッキーでケープドリとツングステン作りたかったなあ。
(やぎ)
2014年2月28日
『新聞の読み方』 毎朝通勤途上の車中で新聞を読んでいる。周囲の人の邪魔にならないように折り畳んで読む。折り畳み方にいろいろ工夫がある。最近その車中でスマホ・タブレット端末で新聞を読んでいる人をチラホラ見かけるようになった。新聞そのままが画面に出ているから紙で読むのと同じだが、折り畳む代わりに指で画面を動かしている。場所をとらないぶん、気楽に読めるのは確かだ。紙かタブレットか、各人の好みの問題かもしれないが、いっぽうパソコンでみる新聞の記事は、パソコン用に編集されているわけで、新聞の形態がどのように落ち着くのか、あるいは多様な形態に分化したままそれぞれ利用されるのか、私は興味津々で見ている。敢えて言えば、紙の便利さが意外に根強く支持されて長続きするのではないかというのが私の予測である。(宮)
2014年2月21日
『インターネット』 出版部の2台のパソコンが2週間ほど前から調子が悪くて、仕事にも影響が出ていたが、今日は、出版部の2台だけでなく社内すべてのパソコンがインターネット使用不能になってしまった。プロヴァイダーに連絡して、電話で指示を受けながら修復を試みたが、結局うまくいかなくて、ADSL回線の帯域調整という処置にゆだねることになった。インターネットが使えないと、データ部の仕事は100%止まってしまうが、どうしようもなくて、あきらめた。そこに外出から帰ってきた社員が念のためとインターネットに接続したら、出来たのである。気まぐれパソコンにはまったく手を焼かされる。これまでもインターネット接続不能は時々発生していて、そのつど電源の抜き差しなをを繰り返して復旧できていたのだが、今日の症状は症状が重いとみてプロヴァイダーに連絡したのだが、結局理由不明のまま復旧したらしい。というわけで、プロヴァイダーに復旧したことを連絡したら、既に「帯域調整」をしてくれたそうで、その効果ではないかということだった。そんな迅速に処置してくれたとはと、ここは感謝しなければならない。ともあれ、半日パソコンに振り回されたわけである。(宮)
2014年2月14日
『アマゾン』 『濱口雄幸伝』を出してからときどきアマゾンをみているが、在庫4冊という表示をみたあと、在庫が減っていったので「売れている」喜んでいたら、在庫がなくなってから、「出品者から買えます」という表示になり、見ると中古品、コレクター出品とも定価を上回る値段が付いているのには驚いた。新刊書として流通しているのに、これは納得できないやりかたなので、連絡をとろうとしたがメールしか使えない。やむをえずメールで要望をつたえたが、返事はこない。一方通行のシステムなのだ。その後アマゾンの表示は2週間から5週間以内に発送しますに変わった。しかし、これもおかしな表示であることに変わりはない。出版社からアマゾンにクレームはないのだろうか。(宮)
2014年2月7日
『「ゆうこう」対「おさち」』 『濱口雄幸伝』刊行以来、電話注文を随分受けたが(何件?)たいがい雄幸が読めなくてこちらから「おさち」ですと言うことになる。ところが今日の電話で受話器の向こうから「はまぐちゆうこうでん」をお願いしますと言われて、このひとは、濱口雄幸のことをよくしっている人だと思いこんでしまい、うれしくなった。今回は新聞の書評記事の威力を味わわせてもらったこともうれしいことであった。(宮)

『犬と子どもは喜ぶが…』 今週の火曜日、東京では午後から少しずつ雨からみぞれ、そして15時ごろにはいつのまに雪になった外に気づく。天気予報もろくに見ない私は、実はイベントで出かけたり、倉庫で返品の整理をするとき以外はまったくもってお天気に無頓着。しかし、雪となると話は別だ。雪の多い地区に住む人にとっては生死に関わる一大事で、きっと朝から晩まで雪かきや雪下ろしで雪なんかに嬉々とする人の気持ちを理解できないかもしれないが、めったに雪が降らない場所に雪が降るとき半数以上の人は少し心が踊るのではないだろうか。雪がいろんなものを真っ白に覆い隠し、音を吸収してしんとするあの感じが私は大好きだ。だから雪がふると子どもや犬ではないが心が弾んでしまう。夕方、各所に出す請求を仕上げた私は郵便局に行くという名目で外に出ることができた。大粒の雪が次から次へと空から降ってきている時間帯だった。思わず足が弾むが、平静を装って歩いた。ところが道の向こう側からお母さんが女の子二人を連れて歩いていた。もちろん女の子は雪にキャッキャと歓声をあげたり手のひらで雪を受けようと雪に気をとられている。お母さんはというと、子どもたちが雪に夢中で道路に飛び出やしないかと「気をつけて!」と後を追っていた。おそらく明日の凍結のことなども頭をよぎっているに違いない。対照的で面白いなあと思いながら楽しい数分間の郵便局行きはまたたく間に終わる。仕事を終えて帰る17時半ころにはもう雪はやんでいた。一瞬の夢の出来事のようだったなあ。ん、今週末も雪が降るらしいが…8日は新百合ヶ丘のポンポワというところでイベントだ。参加される人たちが無事に会場までこられますように!(やぎ)
2014年1月31日
『45年ぶりの再会』 『濱口雄幸伝』がとりもつ縁で45年ぶりに旧友に再会した。彼は地方自治の研究者で、目下歴史上の著名人を取り上げて、地方自治の観点から彼らの言説を紹介、分析するというユニークな列伝を年に1冊のペースで執筆しつつある。彼の声を聴けば45年前とすこしも変わらず、弁舌は流れるごとくというのも昔のままだ。意見を聞けば円熟の境地に到達しているようで感心したが、本人曰く「瞬間湯沸かし器は直らない」と。時間のたつのを忘れて話し続けた。彼は、これまでの長い期間、いくつかの大学で教えてきたが、今日の大学がかかえる問題や、問題が出てきたときの大学内部の反応など生々しく且つ今日の日本を象徴するような事勿れ主義の横行を縷々語り続けた。これまで私は『濱口雄幸伝』を政治家諸氏に読んでもらいたいと思っていたが、旧友の話を聞いたあとでは、大学関係者にも読んでほしいと痛感した。私の頭のなかで、読むべき人々がどんどんふくらんでいく。そうすると本書はいよいよベストセラーにならざるをえないようである。(宮)
2014年1月24日
『都知事選挙』 都知事選挙が始まった。東京ではいつも10人前後の人数が立候補しているが今回は16人。どういうわけか朝日新聞で写真入りで大きく書かれているのは5人。ラジオを聞いていたら主要候補者とその支援者の演説のごく一部を流していたが、小泉純一郎元首相は甲高い声で絶叫していた。ちょっとろれつが回らないぐらいに(懐かしの小泉演説)。事務所ビルでは入居している組織の知人にさっそく投票を勧誘されたし、この2週間ほどは選挙で明け暮れしそうだ。というわりには事務所近辺では静かなものだが…。(宮)

『姪っ子はもうすぐお姉ちゃん』 年末年始はいつも夫の実家に帰る。数年前に義母が亡くなり、義父も入院中なので今は義弟の家族が家業を継ぎながらそこに住んでいる。姪はかわいいさかりの3歳だ。2歳になったばかりのころから、かなりしゃべるようになり、それがまたかわいい。会話が成り立つというのはなぜこんなにも心が弾むのか。私が病院へ寄付しようと思っていた絵本も今は姪っ子が読んでいる。たまにわが社の『いのちのなぞ』なんかも引っぱりだしてみているので将来が楽しみだ。そして義妹を見ると???太ったか?いやもしやと思っていたら5月に二人目を出産の予定だという。ああ良かったふとった?なんてばかな質問をしなくて…と安堵の溜息。
姪っ子のなまえは「まる」という。次は?「さんかく」とか「しかく」とか、はたまた「直角」なんていうのもいいねえと我が家で盛り上がる。まるは、万瑠と書く。とても歌と踊りと本と鏡が好きな女の子。3歳まで一人っ子でみんなの視線を独り占めしていたまるが、これからどんなふうに変わっていくのか、育っていくのかがとても楽しみだ。余談だが、私たちが義弟夫婦に、苗字が「まる」さんって人と結婚したら「まるまる」だねなんて冗談でいったら義妹「なんか、それいいですね。最高な名前です」と本気も本気で言うのだ。明るくしっかりものの義妹が真面目にそんなふうに言うのがなんだか面白かった。今年はなんだかいい年になりそうだ。次はどんな子が誕生するのか、今からわくわくする。
(やぎ)
2014年1月17日
『低温』 この冬はいつもにもまして寒さがこたえる。体調や年齢もあると思うが、久しぶりに気温が低いことも事実だろう。−20度などという低温が全国各地に続出している。ニュースをきくかぎり世界的にも同じ傾向らしい。わが東方学会の建物はこういうときなかなか暖かくならなくて困る。寒さはこれからだろうから、よほど気をつけないと健康でいられなくなる。とりあえず重ね着をして凌ぐほか無いが…。夏は暑く、冬は寒いのは当然の
ことだが、夏もも冬もいささか度がすぎるのがこのごろの気候だ。
(宮)
2014年1月10日
『濱口雄幸伝』 「濱口雄幸伝」がでて約1ヶ月。同じ日に福田和也の「大宰相原敬」が出たので、アマゾンでランキングをみた。政治家の伝記で抜きつ抜かれつだが、1度25位という記録が出たのを単純に喜んでいる。やはり、メヂアで話題にされることがないと大きな動きにはならないのだろう。(宮)