アーカイブス
「王様の耳はロバの耳」(2013)
 
2013年12月27日
『冬の大三角』 夜の帰り道、しんしんと冷え込んでいるが雲ひとつない天気だったので、街灯が邪魔をするが空を見上げたところ、オリオン座が目に飛び込んできた。それではと目を走らせると冬の大三角をはっきり確認できた。なかでもシリウスはギラギラとかがやいている。それから異様に明るい星がいやでも目にはいってくるが、これは木星。首都大学の門前から、葉の落ちた桜並木を透かして星空を眺めながら歩くのはひとときの楽しみである。(宮)

『年末』 年末になるとやたらと道路のあちこちを掘り返しているのをみることが多くなる気がする。国や市町村などの公的予算は消化しないと次年度に響くというが、それでいいのか?と問いたくなる。もうすこし年間まんべんなく、順序だてて、順次時期を離してできないものだろうか。
でも会社を出て外の工事をみると師走だなとも思う。ある意味風物詩になっているのか?!と一人つっこむ。11月頃だったか記憶が曖昧だが会社の近所でそんな光景を見た日、自宅のある駅でおりたらそこも、道路を切り刻む工事が行われていた…「ブルータスお前もか…」と叫びたくなった。年末は何カ所で道路をほりかえしているか…11月から12月に一度日本中まわって統計をとってみたいなとも思ったりする(実際は無理だが)。年末そして年度末も。
そして今日は仕事おさめの日、今年もみなさんには大変お世話になりました。来年が皆さんにとってよい一年になりますように。そして来年もどうぞよろしくお願いします。
(やぎ)
2013年12月20日
『大掃除』 駅の大掃除が行われるのをいくども見てきた。改札口からホームに行く階段の壁面こすり、照明器具を取り外して清掃していた。日本の地下鉄は明るく清潔で素晴らしいが、そこまでするならここもと思うのがホームを取り囲む壁面の清掃だ。半蔵門線神保町駅の壁面には、積み重ねられた本が描かれている。古書店が集まった街だということだ。これが薄汚れている。これを綺麗にするには、構内通路の清掃とは桁の違う経費が必要かもしれないが、電車を待っている時にホームから壁面をみていると、いくら古書の街とはいえ、この場所こそ綺麗にしてほしいと思うのである。(宮)

『夢を見て思うこと』 人はどんなときに夢をみるのだろうか?一般的には、熟睡していない眠りの浅い時にみるものらしいが実際そうなのかもしれない。熟睡していると脳も休んでいるだろうし、そんなときには夢は見ないのだろう。
私の場合、浅い眠りのときにテレビなどつけっぱなしにされるとてきめんに夢にその影響が出る。脳は映画やニュース、ドラマさまざまな情報を取り入れては、私の夢を作り出す。たぶん一人じゃできない芸当だ。夢は現実ではないのだが不思議なことに、普段気になっている出来事がデフォルメされて映像化されたりするし、いろんな時代の知り合いが共演するべき場ではないところで共演していたりする。覚めてみれば、ありえない設定と思うのだが、夢の中では何一つ違和感を感じていないのだ。
最近は少なくなったが、夫は夢というと何かに追われたり、怖い目にあったり、誰かと喧嘩したりするらしく、うなされたり、怯えたり、怒鳴ったりしている。あまりに声が大きいので起こされることもしばしばだ。本人が起きないのが不思議だが、いつだったか苦しんでいるので起こしたら、今からいいとこだったのにと怒られた。あんなに苦しそうでもいい夢をみてたのか。だから最近はすぐには起こさないでしばらく観察するようにしている。結構表情も変わって見ていると興味深い。夢占いなんてものもあるけれど占いというよりも、私にとって夢は心境の表れではないのかなと思っている。寝ている時くらい幸せな気分でいたいものだ。
(やぎ)
2013年12月13日
『ダグラスDC-3』 ラジオ深夜便を聴くと寝不足になる。当たり前のはなしで、最近は自粛していたが、スイッチを切り損ねて寝入ってしまい、そんなときには深夜目が覚めた時に切る。明け方4時、切ろうとしたら、「DC-3が……」と言っているので、ちょっと耳を貸したのがいけなかった。結局最後まで聴いてしまった。この日の話し手は山本賢吾さんといってDC-3の写真と記録を収集することに一生をかけているという人だという。
仕事をしてお金を貯めて、取材のために世界中を飛び回っている。そのために結婚もしてない。そんな人がいまでもいるのである。いま世界中に残っているDC-3は1200機(たしかそう言った)で、それらが消えてしまう前に写真と記録を残す活動をしている。でもよくそんなに多数の機体がのこっているものと感心する。アフリカや南米でしぶとく生き続けているらしい。3冊目の本が出るというのでネットでみたら、英語版で発行されている。ネットで提供しているDC-3の記事も面白そうで、ゆっくり見ていきたい。
(宮)
2013年12月6日
『特急』 先日、甥の結婚式があって、甲府まで行ってきた。八王子から特急で1時間弱と以外に近いことに驚いた。滅多に旅行をしないので、いちいち物珍しいことの連続である。乗車してから車中で特急券を買ったのだが現金でなくパスモで支払うことができた。客室ドアは自動ドアだが、ちょっと触れないと開かない。近づいただけで開いてしまうドアよりはよさそうだ。車内放送も余分なことは言わないので、静かでよかった。車窓から沿線の景色を眺めていれば、飽きることなく、たちまち到着してしまった。要するに1時間弱の間存分に楽しんだわけである。(宮)
2013年11月22日
『気象通報』 NHKラジオの第2放送を聞いていたら、「気象通報」が始まった。こんな放送をまだしているのかと驚いたのだが、昔聴いたとおりの内容でとてもなつかしかった。子供の頃聴いて、普段耳にすることのない遠隔地の島や、外国の地名がでてきてその音の感覚が 物珍しく記憶に残ったものだった。地名もなくて「東経〇〇度北緯〇〇度の海上では曇り、北の風、風力3、」というような内容を延々読み上げる。ウィキペディアによると気象庁の委託による放送だそうで、この放送から情報を得ている船舶が今も有るそうなので、実用目的をもった放送なのだ。テレビと違ってすべての情報を音声のみで伝えるので、地図を見ながら聴いたら面白いだろうとおもった。アナウンサーによってテンポ、アクセントなど読み方に微妙な差があって、それがまた面白い。(宮)

『嬉しい電話』 神保町ブックフェスティバルの終わったある日の夕方、電話があった。そこで本を買った人だという。神保町ブックフェスティバルはチョット傷んだ本を出版社が安く売るお祭りだ。だから中が破れてたのよとか、勧められたけど面白くないじゃない!といわれるかもしれないなあと思ってドキドキしながら対応。でも苦情の電話ではなく、嬉しいほうの反応だった。
「勧めてもらった本がとてもよくて、心が温かくなった。何度も読み返したくなった」とのこと。そして「ほかにもこの作家の作品があると言っていたので買いたいんです。勤め先が御社の近くなんです。買いに行っていいですか」と言う。やった〜!と心の中で叫んだ。どれがおススメか聞かれて、「本当は長編の『九月に』上下巻が代表作の一つなのでおススメなんですが…短編からいきなりそこに行くにはどうかと思うならこの間、出版になったばかりの『双子座の星のもとに』ですかね?」と私。祭りで安いから、勧めに応じて買っていた人から、一気にその人は定価でも買いたいと思う、著者のファンになってくれたのだ。嬉しい以外の何ものでもない。「どうぞどうぞお待ちしています」と私。私が出版社で働いていてよかった〜と思うのは、本を買ってくれる瞬間よりも本を買ってくださった方たちが読み終わって面白かった!よかった!と言ってくれる時だ。これからも真面目に、自分たちが良いな沢山の人に読んで欲しいなと思える本をだしていこうと、気持ちを新たにした出来事だった。
(やぎ)
2013年11月15日
『刊行目前の一仕事』 新刊書のカバーや表紙等の印刷立会いのために、朝霞にある印刷工場に行ってきた。12月初旬には書店にお目見えする濱口雄幸伝』上・下巻のさいごの一仕事である。
大正末期から昭和初期にかけて出現した政党政治の時代に、強い指導力をはっきして政治課題を解決し、政党政治の頂点をきわめた政治家濱口雄幸の伝記である。眼前の困難な政治課題を片付けた濱口首相は、直後に東京駅で拳銃で撃たれた。この時発せられたのが「男子の本懐だ」という有名なセリフで、城山三郎の小説のタイトルに使われている。その後は政党間の足の引っ張り合いに振り回されて、傷の養生もままならず首相を辞任し、命を落とす。劇的な最期を遂げたわけだが、元来濱口雄幸は、いたって地味な人柄で、地元の中学生に話した時自ら言っている通り、努力を積み重ねた一生を送った人でもある。他方「ライオン宰相」と呼ばれたように、ここぞという大事な局面では安易な妥協をしないで頑張る人でもあった。間違いを犯した時の対処法も見事であった。というわけで、内閣を組織したときから、亡くなる時まで国民の信頼を集めたが、人々は、濱口さんがたどってきた平凡な生き方が現実には実行することが困難な道であることを知っていて、それを実行した濱口首相を頼りにしていた。濱口雄幸とは一体どんな人間だったのか。そのことを知りたい人は『濱口雄幸伝』上・下巻を読んでください。
(宮)
2013年11月8日
『新聞社ビル』 日経新聞社にいってきた。大手町の出来たばかりの高層ビル。入り口でチェックされて入っていっても、来客用の談話室で話すので職場としての新聞社の様子はまったくわからない。古いボロビルのときは事務室が丸見えで、ある意味でとても人間臭かったのだが。どの新聞社・通信社も順番に新築移転し、改築して綺麗になったが、同時につまらなくなったと思う。まず近代化した高層ビルに移ったのは朝日新聞社だ。有楽町から築地に移った。そして大分経ってから東京新聞が品川から内幸町に移った。さらに産経新聞がのっぽビルに改築。読売新聞社も間もなく改築を終わり、元の場所に戻って来る。2大通信社はどちらも超高層ビルに移っている。残るのは毎日新聞だけだが、いまのまま長くいてほしい。移転前に時事通信社に行った時、地下にあったしょぼくれた喫茶店が懐かしい。銀座にあって、新しくきれいだが廊下で話しをさせられる今の時事通信社は好きになれない、あくまでも建物の話ですが。どの新聞社も時代が移って建物が超近代的になり、受付のシステムが電子化され、無機的な印象ばかりつよくなる。(宮)

『お幸せに!』 話をしたこともないけれど、偶然なぜかいつもすれ違う人が誰にでも何人かいるのではないだろうか?一番いい例は毎日の電車のメンバーだったりする。知らない人だけど毎日顔を合わせるうちにいないと心配になる。長い年月の中には、ある日を境に見なくなる人もいて、安否が心配になる。引越し?病気?かといらぬ心配で頭がいっぱいになる。
結婚前に夫が住んでいたのは今の家のすぐ近くのアパート。そこに住んでいた住人の一人はその外見からよく話題のぼっていた。上の階に住んでいた彼女は若いけど太った人。おまけに、フリフリのピンクハウスの服を着て自転車に乗っていたのですごく目立っていた。夫はその当時自転車がその体で埋もれて見えたので自転車はどのくらいの重さまで耐えられるのかと心配していた。わが家もしばらくは別な場所に住んでいたので当然お互いに会うことはなくなっていた。
しかし8年ほど前に現在の場所に越してきて、再びすれ違うようになったのだ。夫が住んでいたのは今からおよそ20年ほど前。うろつく時間帯も同じらしく、私も何度か彼女をみかけるようになった。以前住んでいたアパートは取り壊されたからそこに住んでいるわけではない。今も住んでいるのを見ると、よっぽどこの町が好きなのだろう。それも20年前と変わらず、現在もピンクハウスの服を着て、寸分たがわぬ体型を保っているとは!夜スーパーで買い物している彼女を発見!今日も会ったなあと思う。しかし「ん、んッつ!?」その隣にはなかなか味のある職人風の男性の姿が…。その彼ととても楽しそうに夕食の材料を物色しているではないか。その姿に目を細め(私はおばちゃんか!)一緒に買い物に来ていた夫に「春だねえ」と言うと、夫は気づいていない様子。「春じゃねえよ、今は秋だろ」と一言。いやいやそうじゃなくて…しばらくして夫も気がついたらしい。いや〜「お幸せに!」と心から思い「性格もよさそうな人だよね」と勝手に見定めをするのだった。
(やぎ)
2013年11月1日
『おおかみ』 おおかみは狼と書かれるが、じつは大神からきた名前だそうだ。日本の農村では、オオカミは農民の生活に損害を与えるイノシシやシカを殺してくれる味方であり、神になった。(オオカミを祀る三峯神社は豊作祈願の神社だそうだ。)オオカミがすっかり悪者にされたのは明治以降にはいってきた西洋文化の影響らしい。そのせいかどうか、ニホンオオカミはかなり以前に絶滅している。土着の民俗、意識まで変えてしまったのだから、教育のちからは侮れない。高槻成紀『野生動物と共存できるか』(岩波ジュニア新書)という本にでていたのだが、モンゴル人の方向感覚や目のいいことなどをはじめ、驚くべき事実や知らなかったことをつぎつぎ教えてくれる本であった。よく読まれているのも納得できる。(宮)

『大失敗の買い物』 今週末の11月2〜4日の3日間は毎年恒例の神保町ブックフェスティバルだ。毎年なぜか一度は雨がパラつくという、ジンクスが…(わたしが勝手に言っている)。今週はどうなることやら。天気予報では雨はふらないことになっている。毎年ながら、いかに作業の効率を良くできないかと考えるのだが、本は紙なので雨にも弱い上に、重いし、かさもはる。なかなか効率よくというのはいかないものだ。
その中で毎年こんなものがあったら…というものの一つに折りたたみコンテナがある。プラスティックでできた箱。ダンボールは雨に弱く、箱を崩したり作り直したりするうちにボロボロにもなる。取次からの返品が折りたたみコンテナになり、それをみるにつけいいなあ欲しいなあと思ってきた。今年どうしても我慢できず、私物として購入!5個のボックスと1枚の蓋、箱をのせて転がすための車輪部分もセットしたものだ。久々にうきうきする買い物であった。が、しかし届いた品を使ってみたら大きさを考えて買ったつもりが若干高さが高く、いっぱい入れると持ちにくいことに気づいてしまった。いや、目一杯いれなきゃいいんだけれど。意外にこの高さも問題があり手でもったときに箱の一番したの部分が足のもものあたりにあたり歩きにくいったら!倉庫に行きトーハンの折りたたみコンテナを持ってみる。ひゃー持ちやすいし軽い!よく考えてつくられているなあと関心してしまった。いやあ失敗した。通販は実際に目で見たりできないからなあ。でもカタログをもう一度再確認すると、あれ高さが低いのもあるなあ…でもいいのだ!明日から3日間活用してやる!でも雨だけは降らないでほしいなあ。
(やぎ)
2013年10月25日
『真夏の夜の夢』 週末、誰もいない事務所で単純作業をしながら、音楽を聴いている。何を聴くかYOU TUBEをさがす。気に入ると繰り返し聴く。変わった曲は意外に聴かないもので、我ながら貧相な趣味だと思うが、そんななかで思いがけない曲にぶつかるとうれしくなる。このあいだはメンデレスゾーンの真夏の夜の夢の音楽がそれだった。
ずいぶん久しぶりに聴いたと思う。17歳のとき書いたといわれる序曲は昔から大好きな曲だし、夜想曲のホルンは、大学に入った時これを吹いてみたくて吹奏楽団にはいったくらいだ。残念なことに若いころとちがって、「ながら族」ができにくくなってきた。だから、聴きたい曲がでてきたら手を止めて耳を傾けることになる。仕事が進まないのは困りものだが・・・。
(宮)

優しい子どもたちの愛に支えられて?! 夏から秋にかけて、いろんな子どもと遊んだ。とは言っても姪と、友人二人の子ども、そして友人の妹の子どもの四人だけだが。
まず夏の帰省の時の姪とのやりとり。久しぶりにバーベキューをしたあと花火をする。もうすぐ3歳になる姪はもちろん始めての花火。嬉々として花火を選び次々火をつけては嬉しそう。私も久しぶりの花火を楽しみ、そろそろ終盤に差し掛かったのでお約束の線香花火にかかった。大人を含む5人が全員線香花火。何本か楽しんだあと残りわずかとなったとき、私が火をつけた線香花火があっけなくポトリと火の玉が落ちて終わってしまった。残り少ない花火だっただけにがっかりしたが仕方がない。すると姪が私の様子を見て、かわいそうに思ったのか自分の花火をくれようとした。「いいよ〜」と私が言うも譲らない。でも夫がじゃあ「俺のをあげるよ」と言うと素直に受け取って嬉しそうにしながら、私には花火を楽しむように促した。ああこんなに小さな子にも気を使わせてしまう私…。
さてそれとは別の日、友人と友人の子ども達と友人宅でカルタとりをすることになった。さすが私も大人なので多少手抜きと本気を織り交ぜながら勝負に挑んでいた、はずだった。しかし友人の子どもAちゃんが言った「やぎちゃん弱いからハンデをつけてあげるね」と。心の中で「えええっ!!!!」と思うがそこは飲み込み。「えっ、いいの?」と私。Aちゃん「うん。〇〇ちゃんは手を後ろにやってて!」とBちゃんに指示。私はハンデをつけてもらって勝負に挑む。もちろんそのあとの私の追い上げはすごかった…あたりまえなんだけどね。なんだか子どもに同情を誘う私。何がそんなに幼い心を同情に向かわせるのか…いまだもって自分では分からない。子どもに気を使わせるなんてなんだかなあ。
子どもに気を使わせない大人になるため日々修業中である。
(やぎ)
2013年10月18日
『音楽番組』 ラジオを聴く生活になって、こどものころ聴いた番組が今もいくつも続いていることがわかった。古関裕而のテーマ音楽が忘れがたい「昼の憩い」はまったくむかしのままだし、「日曜名作座」も頭に「新」がついて、西田敏行と竹下景子のコンビで放送している。なによりも音楽番組で「音楽の泉」がまだつづいているとは! 堀内敬三、村田武雄、皆川達夫と引き継がれた解説で、いろいろな曲を教えてもらった。中学生のころショパンのピアノ曲を聴いてすっかり気に入ったことを思い出す。日曜日の朝、皆川達夫さんの解説で古今の名曲を聴き、また自分からは聴かないような音楽を、ふたたび教えられながら聴いている。
ラジオの音楽番組といえば吉田秀和の「音楽の楽しみ」をずいぶん長い間聴き続けた。「モーツアルト その音楽と生涯」は2回くりかえされ、どちらもほとんど聴いたのではないか。吉田秀和亡きあと、片山杜秀が「音楽の迷宮」と題して面白い番組をつくった。吉田秀和とはまたちがう、片山さんらしい自由な発想で、魅力ある番組になっている。最近の放送ではダウランドの没後450年を記念してと称して、「ラクリメ」をいろいろな演奏で聴かせた。こういうときのやり方がとても自由で、面白い。はじめにキングの歌とカラマーゾフのリュートによる演奏を流して、そのあとオーソドックスなスタイルを含めていろいろ聴かせたあと、この曲をつかって作曲したブリテンの曲を紹介した。そして、番組の最後に、ダウランドの曲のなかで自分はこの曲が一番好きだと言って、キング、カラマーゾフの演奏による「かえっておいで(COME AGAIN)」という曲をかけた。私の好む明るくて陽気な曲で、とても気に入りました。
(宮)
2013年10月11日
『銀杏の木』 首都大学東京の図書館を利用している。南大沢駅から真っ直ぐ入ると銀杏並木がある。これは大学が目黒区にあったとき、柿の木坂から入った構内に植えられていた銀杏並木を移植したものだ。当時を知るものにには懐かしい景色である。学部附属図書館にいくためにその並木を通ったら銀杏が落ちていた。ごく小さな実だが、あらためて銀杏の木を見上げた。すると、まだ葉は緑色をしているのに、さらに真夏のような高温を記録する日が続いているというのに、ここの銀杏の木は10月になったので季節にふさわしい反応をしているのだろうと思ったのだが、それとも実のおおきさから想像すると、ひょっとして気候の変調を表しているのだろうか、とも思ったのである。(宮)

『夏と秋のはざまで』 昨日、営業に出て、喉が渇いたので自販機で缶コーヒーを買った。暑かったので冷たい飲み物をグビッとやりたかった。ガコンといって、缶コーヒーが出てきた。さて取ろうと思ってビックリ!だってコーヒーが温かいではないか!あれ、この場所の機械、このあいだまでこの同じ商品冷たかったよね?と自問しながら、機械をみあげると、ひゃーもうホットが出回ってるのかあ!と驚いた。一度涼しくなったころ温かい飲み物を飲みたいと彷徨ったが、また暑くなった今はすっかりそんな気持ちを忘れていた。人間ゲンキンなものである。この蒸し暑い気候の中自販機の飲み物は秋冬仕様になっていたのであった。もう10月なのだなあと思う。服や食べ物、季節が入れ替わる狭間は、ものごとを気をつけて眺めなければ。(やぎ)
2013年10月4日
『政令指定都市』 近頃だいぶ人気は衰えてきたようだが、橋下大阪市長の大阪都構想がマスコミを賑わしている。しかしこの構想なるもの、なぜ出てきたのか、なにをめざしているのか、なにをしようとしているのか、がよくわからない。北村亘著『政令指定都市』は簡潔にして要を得た説明をしてくれる。問題のひとつは、「大都市問題」だということ。大都市問題の解決のかたちとして、戦後まもなく政令指定都市がつくりだされたので、日本の大都市問題、大都市制度の歴史をおさえないと、問題を理解できないようだ。
現代日本の「大都市問題」に悩まされている代表選手が大阪市で、この本は、問題の中身をはっきりさせてくれている。この問題は今始まったことではなく、都市によって問題の種類と規模がちがうのだが、他の大都市、つまりは政令指定都市もまた、これまでいろいろな解決策を模索し、提案してきていることがわかった。分かりにくい問題をきちっと整理して説明してくれる本で、中公新書健在なりと思った。
(宮)

『雨の日の出来事』 水曜日は朝から雨だった。いろんな物事を並行して考えようと仕事をこなしていたが頭がすっきりとクリアにならず、なかなか進まない。12時40分ごろ久々にパン屋さんにお昼を買いに行った。棚をみたらすでにほとんど空っぽ!ひゃー今日はついていないなあと思う。いつも買うサンドイッチの類が一個も残ってないので、甘くないパン1つとブドウパンとオレンジジュースを手にレジへと向かう。「435円です」と言われ455円を支払うとクールできりりとした美人のレジのお姉さん(おそらく年下)が、私を見ながら嬉しそうにフフと笑い、20円のお釣りにくれた。私はなぜ笑われているのかちょっとわからなくてポカンとしていたら、視線の先に小銭いれにつけている江頭2時50分、通称エガちゃんのストラップを指差し「だって、それ。思わず笑ってしまって」と嬉しそうにハハハと笑った。その嬉しそうな笑顔があまりにかわいかったので、私も買うものがほとんどない、食いつくされた感が満載の店内にがっかりしていたことも忘れ、朝から悶々としていたものも、帳消しになるくらい心が晴れた気分になった。ついでに気分がよくなって「同僚にもあげたんですよ」などといらぬ情報まで伝える始末。笑顔がかわいい人だったな(笑った顔が可愛く無い人なんて見たことがないが)と、すでにおじさん気分のおばさんは雨の中会社にもどったのだった。(やぎ)
2013年9月27日
『靴ひも』 通勤電車で座れると、前に立っている人の足元に目がいくことがあるが、靴ひもが片方解けているのを、このところ続けて見つけた。注意してあげようかと思いつつ、結局声をかけたことはない。靴ひもが解けているのは、若い男女が多く、靴はスニーカーで、たいがいジーパンをはいている。ときには穴だらけのジーパンを。靴ひもも、ひょっとしてファッションとしてやっているかもしれないと思うと、声をかけられないのである。たまたま同じ駅で降りて歩きだすと、解けたひもにはすぐ気づくだろうに平気で歩いている。やはりファッションか。(宮)

『ガラス越しのかげ』 ある日曜日に夫とカラオケに訪れた。歌を歌っているとガラスを隔てて人の気配?影を感じたのでドアの方に目をやった。ガラス戸は、一部をのぞき、不透明になっているが、その一部のドアノブ付近が透明になっている。普段はたぶん、部屋がわからなくなった人などが「ここだよな?」と確認でのぞける程度の役割のため、または密室の犯罪防止のために使われているのだろう。
しかし…その影は影ではなく、その透明部分からリアルに顔が張り付いてさらに中の様子を凝視していた。その顔は小学生の低学年であろう少年の顔で、マンガかと思う光景だった。その透明部分に両手と顔をぺっちゃりとつけて(顔はもちろん潰れている)こちらをしばらくみている。私が気が夫に「みて!」ゆびさすも見えていないのか動じない。その格好の滑稽さが脳裏に焼きつき、自分が歌う番になっても思い出して笑ってしまうありさまだった。
よく外にむいた喫茶店などで、今、この場でこのガラスにぺっちゃりと顔をおしつけたりしたら中の人は驚くだろうなと、やりたい衝動に駆られることはあるが自制心が先立ち、未だやったことはない。少年をみながら、ああ中の人はこんな衝撃をうけるのだねと実感してしまった。でも少年は中の人が驚くのを見たかったわけではなさそうだ、じゃあいったい彼はなにをみていたのだろう?とふと疑問がわいた。でも子どもでもあんなに驚くのだから、大人が覗いたすごく怖いだろうな。私は絶対してはいけない行為だなとつくづく思ったのだった。あたりまえか。
(やぎ)
2013年9月20日
オリンピックと土木建設 2020年の東京オリンピックめざして、さまざまな施設が作られるらしい。1964年のオリンピックのときは国立競技場をはじめとする競技施設にくわえて、新幹線が出来た。自宅前の国道246号線の拡幅工事が大車輪で行われていたのは、あのときだったと思う。オリンピックが都市の姿を大きく変えるのは確かである。オリンピック開催を追いかけるようにリニア新幹線の建設計画が発表されたが、これは8割以上が地下化されるそうだから、見た目の変化は華々しくない。東京に住んでいて景観が美しくなるのは大歓迎だが、これは人によって趣味が違うので一概にはいえないことだ。
先日、年に1〜2度帰国するボストン在住の友人曰く、「帰ってくるたびに、東京が綺麗になっている」と。ときどき見る人にはそのように見えるのかと新鮮な驚きを覚えた。巨大で複雑極まりない東京のどこをとってきて綺麗になったというのか問題だが、やかましいことはいわないで、年に1〜2度帰国する人の感覚をひとまず素直にきいておきたい。これからオリンピックまでの7年間に東京がどういう変化をみせるのか、楽しみにしている。
(宮)

タヌキとわたしの不思議な夜 世田谷にはタヌキがいる。家の近くで夜に何度か出くわしたことはあった。いずれもサササッと、何処かにいってしまったので驚いたけれどさほど気に留めることはなかった。しかしである。いつもと違う道を通り家路にむかったその日、踏切を渡ろうとすると線路に二匹のタヌキがねそべっているではないか!こちらをつぶらな瞳で見上げている。それにしてもそのなんとも言えないリラックスムードはなんなのだ?!あたかもその線路がタヌキの家のようにくつろぎ切っている。私ですら、おくつろぎのところすみません…というような気持ちになって、その隣を心の中でタヌキにペコペコ頭を下げながら横切った。他人の家の中を通るような気分だ。踏切を渡りきって振り向くとタヌキと目が合った。急に我にかえる。いやいや、ずっとそこにいたら電車にひかれてぺっちゃんこになる…と、急に心配になり、おもわずタヌキに話しかけていた。「あぶないよ?」声が小さかったのかまだ動かない。いやちゃんと伝えなければ…まわりに誰も居なかったのでもう少し大きな声で「そんなとこにいたらあぶないよ!」と言うと、ようやくタヌキはちゃんと私の言ったことを理解したのか、踏切の反対側にちゃんと移動してくれた。ああよかった。なんだか不思議な夜だった。(やぎ)
2013年9月13日
『紅葉』 毎朝、新聞を取りに行ったときドアを開けて首都大学構内を見る。今年初めて木立の一部がわずかに黄色くなっているのがわかった。ちょっと前まで37度、38度などという異常気象に悩まされ、現在も昼間はきびしい暑さが続いているが、植物は季節の移行をしっかり示す姿を見せてくれているわけで、黄色くなった葉を見て、日本もまだ四季の変化が失われたわけではないらしいと、おもわずホッとした。(宮)

『文蔵おじさん』 少し前のことになるが、夫の父方のお姉さんの旦那様である文蔵おじさんがなくなった。九州への出張と重なってしまい、お通夜とお葬式に参加できなかったため、あらためてお家にお参りに行かせてもらうことにした。とてもステキな団地の中のマンション。私達が来るのを楽しみに待っていてくれた。亡くなったおじさんのことを訊くと、最後は肝臓をこわし、衰弱して逝ったのだといっていた。話もあまり出来なくなったとき、文蔵おじさんがなにか一生懸命うったえているのに気づいた長女とおばちゃん。『なに、ありがとうといってるの?』『苦しいならわかったから、もうわかったから』というとまだ何かうったえている。どうやらありがとうと言っているわけではないようだ。耳を近づけてよくきいてみると‥はっきりと聞こえたらしい『あまいものを‥』病気で酒やタバコをやめてから甘いものを食べるようになり、みずようかんも大好きだったらしい。それにしても『ありがとう』ではなく『あまいものを』だったとはとちょっとがっくりきたと長女の○さんとおばちゃんは笑って言った。でも希望が伝わってほんとうによかった。そのおかげで文蔵おじさんは水ようかんが食べられて幸せな気持ちになったはずだ。それから遺影についての話に話題が移っていった。とてもいい表情と普段着の服。いい写真だ。「遺影をつくるっていうのもはじめての経験だったんだけど…」と長女の◯さんとおばちゃん。
「今はすごいわねえ首から上さえあればいいんだから」
私たち「どういうことですか?」
おばちゃん「この服はね、すごいたくさんの種類から選べるのよ」という。どんな服でもありらしくよりどりみどりなのだという。いやしかし文蔵おじさんの遺影の写真は普段、文蔵おじさんがいかにも着ていそうな服なのだ。それを聞きながらなんだか面白いなあとおもった。死は悲しみとも直結している。でもそうやって葬儀の準備をしているうちになんだかふふふと笑いがおこりそうだ。葬儀はある意味けじめと区切りなのだなあとみんなの話を聞きながら思った。
(やぎ)
2013年9月6日
『復旧の見込み』 5日(木)朝7時40分頃、京王線は落雷のため全線ストップ状態になった。8時に駅についたら乗客が溜まっていていたので、又動いていないのだなとおもった(このところ運休、遅延が頻発している)。駅員の放送は「落雷のために全線で停車している、復旧の見込みは立っていません。」
さて、困った。朝、トラック定期便が来るのに、対応できる人はみな京王線を使っている。トラック便に連絡して中止するしかないと、ケイタイで然るべき相手に事情を説明して、中止することが出来た。それから振替え輸送で出社しようと慣れないバス路線を調べて乗ったが、結局会社まで3時間もかかった。あとになって事情がわかると、振替え輸送を使わずに待っていたほうが早かったらしい。しかし、復旧のメドが立っていないといわれると、その後の行動は、各人の判断に委ねられるわけで、その判断が良かったり悪かったりする。今回は悪かったようで、時間がかかり、疲れた。復旧のメドについてもうすこし具体的な見通しを伝えてくれると、行動しやすいのだが・・・。見通しが外れることを恐れて、具体的にいうのをギリギリまで伸ばしているのはわかるが。
(宮)
2013年8月30日
『投票率』 私がいま編集中の本に、100年ほどまえの普通選挙を実現するための政党間の駆け引きが出てきた。選挙権はあるのが当然と思われているかもしれないが、納税額、つまり経済力によって選挙権が条件付きで与えられていた時代があった。こういう歴史を前提に現代の選挙をみていると、いつも投票率が気になる。たとえば先日横浜市長選挙があった。現職の市長圧勝に終わったが、投票率は30パーセントに届かない。いかにもこの投票率は低すぎると思うのだが、近頃の選挙では50パーセントぐらいの投票率は当たり前のように頻出する。自分自身をかえりみてつねに投票しているわけでもないので、偉そうなことを言うつもりはないが、たとえば市長を選任するさいに、これでは有権者の意志を何がしか反映させるという選挙の役割を果たせていないとい危惧をもつ。かりに、得票数の3分の2を獲得したとしても、投票率30パーセントだと有権者の20パーセントの支持によって当選したことになる。得票数の半分で当選すれば、有権者の15パーセントの支持で当選できる。民主主義は多数者支配だともいわれるが、これでは少数者支配だ。(宮)

最近恥ずかしかった2つのこと 恥ずかしいことなど今までにいくつもしているが、ここ最近の二つは恐ろしいまでに自然にやってのけてしまった。
一つは打合せ先のギャラリーでの一コマ。先客がいてすでにみんなと楽しそうに話をしていた。私はなかなか人の名前と顔を覚えるのが苦手なのだが、その日は輪をかけて勘違いも入り…知っている人かのようにふるまい…あげくのはて、あれこの人髪切ったかな?前より(会ってないのに)短くなってる!と思い、馴れ馴れしくも「髪切った?」と質問。そしてなぜかその人はたまたま偶然髪を切っていたので「はい、切りました」と不思議そう。そこでオーナーさんが出てきて「あれ?Mさん◯◯さんと会ったことあった?初めてじゃない?」私「……」◯◯さん「私、わりと会ったことがある人のことは覚えるたちなんですけれど、覚えてなかったからあれって思ったんです」私「……すみません覚え違い」

もう一つは会社での一コマ。時計を見ながら心のなかで(あ、お昼とおもった)私「お昼買いに行ってきます!」と社内に声をかけて…社長「なんて言いました?」私「お昼買ってきます」社長「はい」数分後意気揚々と戻ってくる。社長「Mさん今日はどこか出かけるんですか?」私「いいえ、どこも行きません」社長「いいんですけど、お昼休みには一時間早いですよ」私「……」時計を1時間見間違えた!あたりまえのように昼を買いに行き…いやまてよ、いつものパン屋の品揃えがやけによかったな…と思い当たる。特に我が社は休み時間が12時半だからいつもならすでに品薄なのだ。早く行ったからか…勘違いもはなはだしく、もちろん買ってきたパンは一時間後に食べることとなったのであった。あー久々大きなボケをかましてしまった。
(やぎ)
2013年8月23日
『大学図書館』 いま公共図書館は利用者にとても親切で、なんらかの身分証明書があれば即座に登録できて、本を借り出すことができる。図書館によっては10冊。利用者が増加していることも理解できる。1度読めばいい本なら買わないで借りて読む。なにしろ利用頻度が高いから、本の痛み方も激しい。
大学図書館もオープンな運営を志向しているらしいことはわかるが、ポーズに過ぎない気がする。登録すること自体が、なかなか難しい。公共図書館が身分証明書ひとつで登録できるのに、たとえばS大学は、大学所在地の住民でなければ登録できない。貸出期間も学内関係者とそれ以外の利用者では、大きく異なる。大学図書館の蔵書こそ時間をたっぷりかけて利用したいのだが、貸出延長がしにくい・・・しかし他方、公共図書館の本の紛失率の異常な高さを知ると、大学図書館が、大胆なオープン化政策をとりたくない気持ちもわかるが。
(宮)
2013年8月16日
『お盆』 毎年この時期は月遅れのお盆で帰郷する社員がいる。またお盆にあわせて取次、倉庫が休みである。
そして茹だるような暑さがつづき、15日前後の数日は靖国神社の近辺は騒がしい。そんな中、静かな事務所のなかでやっている仕事は気持ちを集中させ、根気づくでやる作業である。数少ない出勤者は、黙々と仕事をする。朝から電話も沈黙している。夕方沈黙を破って電話が鳴った。世田谷文学館から『BOOKEND2013』の追加注文だった。なかなかいい感じだ。
(宮)
2013年8月2日
『宮沢賢治』 BOOKEND2013年版は、「没後80年宮沢賢治 童話と絵本の世界 」が特集されている。本日校正を印刷所に戻して、あとは印刷・製本を待つだけになった。
ちょうど朝日新聞が賢治特集を連載していたし、世田谷文学館はすでに7月13日から「没後80年宮沢賢治 詩と絵の宇宙 雨ニモマケズの心展」を開催中である。
BOOKEND2013年版の表紙には、賢治のよく知られた写真と絵本6冊の表紙画像が表示されている。「没後80年宮沢賢治 詩と絵の宇宙 雨ニモマケズの心展」を見たあとで、このBOOKENDOの表紙を見たら、どうしても読んでみたくなるはずです。私はといえば、編集中に、賢治の童話が絵本の題材としてきわめて多数使われていることに改めて驚いた。賢治の作品は、けっして読みやすいあるいはわかりやすい童話ではないのに、多くの画家の関心を惹きつける力があることに気付かされ、これまであまり熱心な賢治読者でなかった私ももう一度挑戦してみようかという気持ちになりました。
(宮)
2013年7月26日
『鉄道事故』 スペインの高速鉄道脱線事故は80人の死者を出す惨事だが、ニュースによると制限速度80qのところを190qを出していたらしい。脱線の瞬間をとらえた映像も公開されているが、乗客は堪らない。詳しいことは分からないがもしかしたら日頃から制限速度など無視して走らせていたのかもしない。事故の時に限ってとつぜん倍以上の速度を出したりするだろうか。日頃、通勤に鉄道を利用していて、人身事故以外にも、やれ架線トラブルだポイント故障だと、かなり頻繁に遅れやら運休やらにぶつかってついつい不満をもらすが、スペインのような大事故に遭わない代償と思えば、これは我慢するべきなのかもしれない。(宮)
2013年7月19日
『参議院選挙』 期日前投票に行ってきた。都道府県別の選挙区と比例選挙区があるが、投票の仕方はとくに説明してなかった。解りにくい制度であることは衆議院のほうが上手だろうが、比例区のことで疑問が生じた。候補者か政党かどちらかを書き、両方の得票合計に応じて当選人数が割り振られる。割り振られた人数のなかでは候補者名の得票数の多い順に決まっていくという。しかしすべての得票数が政党名でしかなかったときにはどうするのか。やはり政党内で順位をつけておく必要があるのではないか。投票結果を処理する手間は、コンピュータの利用によって問題にならなくなってきたのだから、今後は分かりやすくて、民意をきめ細かに反映できる制度を作りだしたらいいと思う。(宮)
2013年7月12日
『猛暑日』 35度以上の猛暑日は4日で途絶えたが0.何度の差で記録を更新しなかっただけで体感では5日連続の猛暑である。中東では50度を記録したそうで、地球がおかしくなっていることを実感する。この暑さの中をこれから出かける。年寄りの冷や水と言われないよう気をつけよう。(宮)

『暑い!!!!』 夏がどこからともなくやって来た。梅雨があけたとたんに猛暑が容赦なく襲ってきた。ちょっと前までは長袖を着ていたのに今や家ではタンクトップ!さすがに裸族にはなりきれないが…7月中旬でこの暑さだといったい8月になったら干上がってしまうのではないだろうか?水分をとって…と思ってガブガブ水やら、珈琲やら飲んでいたらなんだか水分を取り過ぎたようで今度は足がむくんできた。ああ雨よ降れそして少し涼しくならないかなあ。ゲリラ豪雨じゃなくて夕立くらいでね。朝と晩くらいはせめてホッとしたいものだ。(やぎ)
2013年7月5日
『日本語で』 ワウター・ヴァン・レーク夫妻来日中は、おぼつかない英会話で意思疎通をはかるしかなくて、夫妻に不便な思いをさせ、いまさらながら英会話能力向上の必要性を痛感した。夫妻はオランダ人だから、英語は双方が比較的利用しやすい言語として使ったが、2人の英語は英米人と比べれば分かりやすい発音だった。それでも充分に理解できたとはいえないし、われわれのの発語能力の貧弱なことはれきぜんとしていた。こんなことを考えていたら面白い記事を見つけた。「米中外交は日本語で」という記事で、ASESAN地域フォーラムに出席した中国の王毅外相とアメリカのラッセル・アジア上級部長が日本語で話しをしていたという。2人とも日本での勤務経験があり、英語や中国語より日本語のほうが対等でスムースな意思疎通ができたという記事。ワウター夫妻が次回来日するまでにすこしでも英会話能力を改善したいと思うが・・・・。(宮)
2013年6月28日
『節電と冷房』 このところ通勤電車の冷房がよく利いている。大震災直後には節電のために証明を極端に減らし、冷房をうんと抑えてた。節電のためにみな我慢していたはずだが、いまは様変わりした。照明はそこそこに調節して不便でないていどに節電もしているようだが、冷房は昔に戻ったようにがんがん利かせている。私にとっては弱冷房車にいても効き過ぎと思うほどの冷房だ。石油危機のころを思い出す。当時やはり節電のためにテレビ放送は12時終了にしてしまった。しかしどのくらいの期間続いたのか、じきに元通り終夜放送になった。あのとき太陽光発電に力をいれるはずだったのに、それすらたちまち置き去りにした。のど元すぎれば熱さを忘れるどころか、あまりのその場しのぎの対応に驚く。(宮)

ワウターさんがやってきた! オランダのケープドリシリーズの作家のワウター・ヴァン・レークが先週の金曜日から日本にやってきた。あと数日滞在の予定だ。語学堪能者がいない会社が海外の人を呼ぶのは大変だ。外部の人たちの助けなしではこの来日は実現しなかっただろう。翻訳者のNさんはじめイベントを主催してくださった会場の人たち。なによりもワウターさんご夫婦のあたたかくユーモアあふれる人柄。一度彼のイベントに訪れた人はきっとケープドリのそしてワウターさんのファンになってしまうのではないだろうか。アニメーションの世界から絵本の世界にきたワウターさん。だけど本業はやはりアニメーション作家なのだそうだ。だけど、絵本にしてみないかといわれ作成してみて驚いたのは、アニメのために作った何千枚の絵から絵本にぴったりのシーンを選べなかったことだという。5分のアニメーションを24ページであらわす。コマ送りで送ることができると細かく動きを追うことができるけれども、絵本では展開が早くならざる得ないともいっていた。でも読者はその行間や絵の間を想像というものでみたすことができるのではないかと改めてわたしはその講演会を聞きながらそう思った。絵本は面白い媒体なのだ。
今回の来日では喋れないけれどなにか伝えたいと思う思いは社員みんな同じらしく、ワウターさんと奥様のトゥルースさんにそれぞれのやり方で話しかけ交流を図っている。トゥルースさんは日本語を勉強しているらしく私達が困っていると少し助け舟を出してくれる。ありがたい!おそらく彼女はこの滞在中に日本語がメキメキ上達しているにちがいないわたしは、はじめの2日で彼女の耳の良さに気づいた。日本語を聞きとり発音!その覚えの早いこと早いこと!残す所明日明後日の土日のイベントを終えて来週月曜日にはオランダに帰国してしまうが、残念だ。次の時にはもう少しまともに話したい。担当のMが一番切に願っていることだろう。あ、出版部はみんなMだったからMといっても誰だかわからないか…みなさんも英会話は出来るに越したことはないですよ…
(やぎ)
2013年6月25日
ワウター・ヴァン・レーク来日 「ケープドリシリーズ」の作家ワウター・ヴァン・レークがオランダからやって来た。21日昼成田着、午後にはホテルで夕方まで打合せをして、翌日は朝からちひろ美術館へ行ってさっそくワークショップ、夜はギャラリーでのトークショーと、精力的に活動した。トークショーで『ケープドリとモンドリアンドリ』の制作過程を聞いて、日本版を編集制作したわれわれが気付かなかったいろいろが、絵に描き込まれていたことが初めてわかり、じつに興味津々のトークショーだった。このことを大勢の人たちに伝えたいと強く思うが、取材にきたのはわずかに産経新聞1社。もったいない!と言うほかない。(宮)
2013年6月14日
『梅雨』 6月は梅雨の真っ盛りだが、気象情報は梅雨にふさわしくない情報を連日伝えている。いま西日本では35度とか37度という異常としかいえない気温らしい。近年の異常気象は分かっているつもりでも、梅雨に入ったとたんにこの気温はいったいどうしたんだと言いたくなる。気温26度ぐらいでも湿度が90%のときは熱中症に気を付けなさいといわれる。熱中症のメカニズムがわかっているからこういう注意がされるわけだが、うるさいことだ。こう言っていて熱中症になったらサマにならないので、元来てきとうに暮らしたいのだが、せいぜい気を付けることにしよう。(宮)
2013年6月7日
『山と海と』 仕事で油壺まで行ってきた。京浜急行で三崎口まで行き、山の緑とヨットハーバーを横手に眺めながら、タクシーで目的地まで行ったが、山と海にかこまれ、車もほとんど通らない閑静な地域だった(もっとも夏には海に行くひとでかなり混雑するそうだが)。道連れの人はこんな場所に住みたいという。季節柄緑がひときわ鮮やかで、そう言う気持ちが素直に理解できた。いまどきはパソコンを駆使して仕事をすることも充分可能だろう。タクシーの運転手の話では、けっこう遠隔地から越してくるひとがいるそうだ。鎌倉などとは違い、割と手頃な価格で住むことができるらしい。せまい日本だが一瞬別世界に足を踏み入れていろんなことを考えた。(宮)
2013年5月31日
『日傘』 今日は晴れあがった五月晴れで朝の通勤時間に日傘をさしている人が結構いる。それをみて中学時代、図工の時間に美術の教師が見せてくれた「日傘をさす婦人」を思い出す。たくさん見せてもらった絵のなかでこの絵だけ鮮明に記憶に残った。見上げるような構図で、白を基調とした色の画面がとても印象的だった。モネの有名な絵だとはあとでわかったが、私には日傘とこの絵がセットななった記憶である。(宮)
2013年5月24日
『5分間』 いつもより5分ほど早く家を出たところ、団地内に子どもの姿がまったくないのに驚いた。いつもはランドセルを背負った子どもがあちこちからでてきて、団地の管理人作業事務所のおじさんにあいさつしたり、しゃべっているのに、たった5分の差でこれだけ風景が一変する。朝はそれぞれ規則正しく行動していることがよくわかる。1時間あとになるとこんどは幼稚園にいく子どもが送迎バスを待っているのにでくわす。比較的ひろびろとつくられている団地にはみどりがたくさんあって、天気のいい日には今時分の新緑の季節はのどかな雰囲気で、出かける者の気持ちを引き立ててくれる。(宮)
2013年5月17日
『コミュニケーション』 帰宅の車中で、座席に腰掛けて本を読んでいたら、前に立っていた男のリュックが、突然網棚から本をかすって私の膝のうえに「ドサッ」と落ちてきた。男は「しまった!」という顔をして私を見たが、ひと言も言葉を発しない。吃驚したが、本が床にはねとばされたわけではないので、なにもいわずにいたが、「すみません」のひと言があってもよい事態ではあった。その翌朝の電車で、私はこんどは座席の前に立っていた。ある駅から乗ってきた若い女性が隣に立って荷物(大きめのバッグ)を網棚にのせようとしたら、スマホが結構高い位置から座席にすわっているひとに落ちた。そんなことがあっても女性からは、やはり言葉は発せられなかった。やはし「すみません」とか「ごめんなさい」とか、ひと言でいいからなにか言えばいいのに言葉が出てこない。物を落とされた人がおとなしいから何事もなく終わっているだけで、およそ人にたいする態度ではないのに・・・。(宮)
2013年5月10日
『黒澤明の十字架』 図書館の新刊コーナーをみていて見つけた本だが、黒沢作品の背景に「徴兵忌避」問題があると言っている。戦後まもなくのころの作品群のことをうまく説明できる説だと思った。読みはじめたら、そのままおしまいまでよんでしまった。図書館と書店の違いはあるが、偶然面白い本を見つける楽しさ、面白さを経験した。新刊書ではないが、このことは『日本文壇史』も同じで、たまたま図書館でみつけて読み出したら、止められなくなったのだ。(宮)
2013年5月2日
『日本文壇史』 伊藤整の『日本文壇史』第1巻を読みはじめた。文壇史といいながら明治維新による社会の激変のただなかで新しい文章を書き始めた人たちを、眼前に見るごとくにえがいている。
とりあえず三点ほど印象にのこることがある。ひとつは皆若いということ。二十代、せいぜい三十代の若者が動き回る。第2に新聞の興廃がじつにわかりやすく書いてある。新聞と社会のかかわり、またその変化を若い新聞人を捉えて教えてくれる。そして第3に文壇史という観点からの仕事であるにも拘わらず、歴史書としてとても面白く書けている。世の中がひっくり返ったなかで、文学者にかぎらず政治家や実業家や教育者やらが、なにを考え、なにをなさんとしたのかがよくわかる。歴史の諸相を縦横自在に書きながら文壇史がテーマであることがちゃんとわかるのである。
(宮)

『デキル人』 世の中どこでも、デキル人といのはいるものだと最近感じる。私が卒業した学校は卒業しても何年かに一度は順番に委員となり、学校となんらかの形でつながり続ける。委員とは学校と卒業生、クラスの橋渡しをするいわば連絡係だ。自分のクラスのことと行事の手伝いで済むこともあれば公の仕事が回ってくる年もある。今年はちょうどその公仕事を受け持つクラスになった。委員会の議事をとりホームページにアップしてもらう原稿を作るというのが今回の私の仕事だった。先週その作業を終えてみなさんに修正チェックを入れてもらうべくメールしたところ、あっと言う間に目の前で仕上がっていくのを目の当たりにした。私が頭を捻って作った文章なぞ、ものの数時間でデキル人の手にかかればチョチョイのチョイと要点をとらまえて修正されるのだ。あまりの見事さに、あっぱれ!と心の中で叫んでしまったほどだ。人にはいろんな才能があるものだ。頑張っても自分の手におえないものは思い切って助けを求めることも大切なんだと思う経験であった。(やぎ)
2013年4月26日
『元気な老年?』 朝の出勤時に駅に向かって歩いていたら、うしろからきた人にすーっと追い抜かれた。私と同年輩(?)でリュックサックを背負い、規則正しいペースで足を運んでいる。抜かれたままも癪なので、ついていこうとペースをあげたが追いつかない。比べると足の動き(ペース)がちがう。そこで同じペースで交互に足をだして歩くが、それでも少しづつ差がひらいている。ということは歩幅がちがうのだと思い精一杯歩幅をとりペースを合わせて歩く。ようやく、これで差がひろがることはなくなったが、なにしろかなり激しい運動で、駅に着いたら足ががたがたするし、体がほてっている。私が対抗した件の人はマイペースでらくらく着いたようなので、これは日頃の鍛えかたの差がでたのだろうと反省しきり。(宮)
2013年4月19日
『隠れていた八重桜』 南大沢駅から首都大学東京に向かって歩いていくと門の両側はT字型の桜並木で、都心から1週間ほど遅れて、私は毎年2度目の花見をすることが出来る。ところが首都大学では3度目の花見ができるのである。はじめに染井吉野が咲き始めたときはまったく気がつかないのだが、ところどころに八重桜が植えられている。それが、すでに葉桜になった染井吉野にはさまれて、今時分にちょうど満開になる。染井吉野をみているときにはまったくわからなかったのに、新緑のなかに独特の味わいを見せて存在感をしめす。この時期は通勤電車に乗っていても、読み物を脇において、車窓から沿線の新緑を眺めるのが私の楽しみである。(宮)
2013年4月12日
『制服と私服』 事務所にちかい銀行や飲食店で働くひととはいつの間にか顔馴染みになっている。銀行のフロアサービスの人とはときどき用事以外の話しをすることもある。仕事中はみな制服を着ているので、その姿を記憶している。以前、バスのなかで中年の男性から挨拶されたが一瞬だれだか分からなかった。その人は毎日のようにお世話になっている宅配便の人であった。配達をしているときの制服・制帽ではなくて分からなかったのだ。飲食店の女性従業員はいっそう分からないだろうと思うのは、たまたま従業員が、交替時間で店を出ていくところに出会ってまずびっくりした。その女性は、べつの場所で出会ったらまず識別できないだろうとおもうぐらい変身していたからである。(宮)
2013年4月5日
『ラッシュアワー』 ちょっと遠方に行くので、いつもより1時間ほど早い午前7時ごろ家を出た。電車はしだいに混みだして、調布辺では身動きできないほどの混みようである。立っていた場所がよくなかったようで、ドアわきのつり革である。駅ごとに無理矢理乗り込んでくる乗客に押されて、いつしか自分の姿勢をコントロール出来なくなった。前の座席の人にぶつかったり、腕がぶるぶる震えるほど無理な力がはいって・・・。寒い日だったのに汗をかいた。時間帯によっては昔ながらの混み方がいまも変わらずあることがわかりました。(宮)

『三度も?!』 家のトイレットペーパーを変えるタイミングにぶつかるときは誰でもあるだろう。ただし外では?もちろんたまにはあるが、ある日わたしは朝、自分が使い切り替えたのを皮切りに会社のあるビルのトイレで、その一日に二回しかいってないトイレで午前に一回、午後一回トイレットペーパーをホルダーにはめる作業をした。二つあるトイレをそれぞれ一回ずつ使ったこともあるのだろうか?おそらく一度目に入ったトイレならそんなにすぐに紙がなくなることもなかっただろうに、運の悪いことに別の個室に入ってしまったのだ。最後に自分が使い終わったときならいざしらず、その日はなぜか家を除く二度とも空の芯を変えた。ようは使い終わった人が替えなかったというケースだ。きっと紙がたりてホッとして立ち去ったのだろうか。こんな日もあるのだなあと思ったが、家以外の場所で一日に何度も補充をすることにはなりたくないものだ。(やぎ)
2013年3月29日
図書館と新刊書について 図書館についての調査報告をみて、考えさせられた。現在日本には3274館の公共図書館があり、約3300万人が利用登録をしており、1年間に20冊借り出しているそうだ。1年間に6億6000万冊が借り出されている計算になる。12年前と比較すると2.5倍に増加している。一方、新刊書は2012年に6億8790万冊売れたと推計されている。1年間に売れた新刊書とほぼ同じ冊数が図書館で利用されているわけだ。いま本が売れなくて苦しんでいる原因の一つとして、図書館利用の増加傾向があることはまちがいない。ところが図書館は、予算を年々削減されて、所蔵したい新刊書を買うことができていない。図書館の買い渋りは日頃実感していることである。よれよれになり汚れた図書館蔵書をみると図書館の無力さをも考える。統計数字をみてさまざまなこと考えるが、新刊書の点数のこともそのひとつだ。数え方でいろいろではあるが日本では雑誌・漫画を除いて年間7万点の新刊書が出ている。ところが外国の刊行点数はこれを大きく上回る数字であることをみたことがあり、疑問に思っていた。今日ネットで目にした報告書によると、2012年イギリスの発行点数は約15万点である。しかし、このうち新刊書は約3000点と出ていた。すると残りは重版のものなのか?知りたいことはなかなかわからないものだ。(宮)
2013年3月22日
『桜』 今年は厳しい寒さのあと俄に気温が上昇したので、例年になく桜の開花が早いそうで、東京は今週末が満開で見頃だという。用事で外出するといたるところに桜があるのが嬉しい。毎年、花の色合いは微妙にちがっているようで、今年はやや白っぽい感じだが、これは逆光のなかで見たせいかもしれない。というように、今年も桜をめぐってああでもないこうでもないと楽しんでいるのである。(宮)

『春がやってきた!』 冬から春へと移り変わるさまはなんだか不思議だ。昨日まで寒かったのに今日は暖かく、そして翌日にはまたひんやりとした空気に戻っていたりする。最近はというと、春を通り越して25度とか26度とか温度計のメモリがその暑さを指している。お陰で本の倉庫会社にいって外で本の整理なぞしていたら、あついこと!あついこと!午後には鼻の頭がヒリヒリとし、帰る頃には腕まくりしていた腕が土方焼けしていた。紫外線はこの時期強いというが、なんと不思議な気候だろう。間違いなくまたシミが増えそうだ(手入れが悪いだけともいう)。夏じゃないの?!とは思うものの、お天気がコロコロと変わる様子を見る限りやはり春は春なのだなあと思う。
我が家の近くの桜は毎年どこの桜より早く咲く。今年もやはりそうだった。すでに桜の間に葉っぱも出てきた。人の家の庭にある桜は上の方で枝を道のほうにも伸ばし、毎年美しい姿をみせてくれる。幹も古くて太くて、なんだかその幹に頬を寄せたくなってしまう。黒くてゴツゴツしたその幹はきっとひんやりとして気持ちよいだろうなあ。人の家の木なのでさすがに抱きついたりすることはできないが…。そういえば結婚して10年くらい住んでいた家のそばにも小さな桜並木があって、あの場所を通ると心が落着いたなあと思い出す。古い桜の木は私を落ち着かせてくれる木なのだなあと気づいた。
(やぎ)
2013年3月15日
『ダイヤ改正』 京王線が大規模なダイヤ改正をおこなった。相模原線に特急が復活して、私のように遠くに帰る者には便利になった。近場から通勤している社員に言わせると、特急が八王子行きと橋本行きの2本続くことがあり、じつに腹立たしいと言っていたが、もっともな反応だ。呼び名が改正されて区間急行というのができたが、各駅停車であるにもかかわらず新宿橋本間は急行運転したりする電車もあるので区間急行とどこが違うのか、あいかわらずよく分からない。慣れるまでしばらくまごつくだろう。昨日も乗り換えについての社内放送が、きちっとされないので乗り損なってしまった。車内放送は必要なことだけをきちっとつたえてくれれば十分なのによぶんなことをうるさいほど繰り返してしゃべっている。これもああいかわらずだ。(宮)
2013年3月8日
『マスク』 いよいよ花粉症の最盛期になった。もっぱらマスクに頼っている。通勤電車のなかでもマスクを使っているひとが多いが、ときどきみるのが、鼻をだしたかたちでマスクをしている人。せっかくマスクをしても意味ないと思うのだが。
とつぜんくしゃみが出たりして、花粉の霧のなかに入ったかなどと思うこともあるので、今シーズンは花粉が多いのかもしれない。
(宮)

『ガンバレ!「ビブリア古書堂」』 最近本に関するマンガや小説などがあるが、その一つである、テレビドラマにもなっている「ビブリア古書堂の事件帖」のテレビ番組を毎週録画して見ている。いわゆる月9ドラマというものらしいがそういう気持ちではまったくみておらず、ただ単に剛力彩芽が好きだから見ている。いや本音をいうとこの小説を読んでみたいなあと思っていたこともその理由の一つだと思う。古本屋という舞台設定。さまざまな人の手をわたった本、そしてその本にかかわる歴史的な背景などが語られて紹介される。おもわず、へえ〜、へえ〜、へえ〜と関心しきり、その本を読みたくなっている自分がいる。そして本もこんなふうに紹介されたら興味をもつ人が絶対いるだろうと思って、おもわずドラマで紹介された本を検索してしまう。もちろん未だに流通している本もあるが、検索した本でずっと絶版だったものだろう、多分番組を機に発売する準備している本を見つけておもわずびっくりした。「たんぽぽ娘」(ロバート・F・ヤング/著)という河出書房新社の本だ。5月25日発売でただいま予約受付中。いったいどのくらい売れるのか知りたい気がした。他にどんな本を紹介しているのかドラマの原作本を買って読んでみようかなという気持ちになっている。メディアの影響力おそるべし。ネットで検索した時に視聴率が落ちてきているとどこかのサイトで書いてあるのを目にしたが、がんばってほしいなあと密かに応援している。!(やぎ)
2013年3月1日
『わたしも「若葉ちゃん」』 ラジオ深夜便で耳に入ってきた面白い話である。近頃のラジオは聴き手とのコミュニケーションが当然のようにあって、今回のケースは司会者が、ある若葉(名前です)さんからしかじかのお便りがありましたと紹介したところ、それを聴いていたひとがすぐに反応したのである。反応したひとは自分は20年来「わかばちゃん」と呼ばれているのでお便りをだした。なぜ「わかばちゃん」と呼ばれているかというと、孫ができたときに、曾おばあさんがいて、呼び方を相談した。その結果曾おばあさんを「ばあちゃん」とよび、自分は「若ばあちゃん」と呼ばれることになった。そして「若ばあちゃん」がくりかえし呼ばれているうちに「わかばちゃん」になってしまったのだという。(宮)
2013年2月25日
『隕石』 ロシアに落ちた隕石の様々映像が流された。ニュースによると、ロシアでは最近交通事故の備えて(?)自動車にビデオカメラが搭載されているために、あの映像群が記録できたそうだ。直径17メートル、重さ1万トンで時速65,000qで大気圏に突入して最後は爆発してバラバラに分散した。広島型原爆の30倍のエネルギーを持つという。猛スピードで動いている物なので映像がとれること自体僥倖だろうが、車載ビデオが威力を発揮したというのが面白い。最近では被害を防ぐためにUFOが撃墜してくれたという説が出たとか・・・。私は太陽に比肩する光球が落ちてきたと語った目撃者談も臨場感があって面白かった。(宮)

『家にいると…』 みなさんは家にいるときどれだけの時間を起きていられるのだろう。わたしは家でご飯をたべると眠くなってしまう。食べる時間は関係ない。なぜなら8時にたべたら9時に眠ってしまっていたこともあるからだ。休みの日も同じだ。お休みの日はあまり早く起きる必要がないのでグダグダと布団の中にいて、10時ごろもぞもぞと起きだし、やかんを火にかけたりして朝食をとり、朝風呂に入ったりしてその後テレビをみながらまたなんだか眠くなってくるといった具合だ。会社で寝ることはないのだが、なぜ家にいると眠くなるのか…それはコタツのせいかもしれない。我が家はエアコンがあるものの「暖房」という意味ではちっとも役にたたず、もっぱらコタツに頼っている(これも去年、人にもらったもの…ありがたや)。足は暖かいが体が寒くなると寝っ転がってすっぽりと、コタツに入ってしまう。そのため寝てしまうのだろう。そんな体勢にならなくてよいような暖房器具を買えばいいのだろうが、そうこうするうちにあと数ヶ月で春だ。家で寝てばかりいないで済むような方法が考えつかないかと考えているうちにまた数分で眠ってしまうのだった。ああ、早く春にならないかなあ!(やぎ)
2013年2月8日
『再開発』 都内のあちこちで古い建物・施設が解体され新しく作り直されている。年がら年中どこかでやっている。新宿駅南口など何年建設中が続いているか。南口の前には駅ビルの工事があったし、あれだけ広くて複雑な構造、利用者の多いことから工事が途切れることが無いのではないかとも思う。
新宿もそうだが何十年来馴染んできた地区、施設、建造物が壊され、新しくなるのを見ているとなかなか複雑な思いが去来するのである。最近のニュースでは、渋谷駅が大きく変わるらしい。その昔完成したときに大きな話題になった東急文化会館はとっくに無くなって、「ひかりえ」などというなまえの高層ビルになっているが、今度は一建物の話ではなく、東横線のホームが地下になり、その跡に埼京線のホームがきて・・・東横デパートが改築され・・・要するに駅を中心にして大規模再開発工事が行われる。巨大な構造物ができるのはみものではあるが、品川や新橋をみていると、出来上がった施設、建物がみんな今風のメカニックなモダン様式(?)ではつまらないと思う。渋谷の場合、ずいぶん時間もかかるようなのですべてを見届けることが出来るかわからないのに、余計な心配をしているのである。
(宮)
2013年2月1日
『大相撲』 初場所で横綱日馬富士が全勝優勝した。久しぶりにラジオで実況中継を聴いていると、以前と変わらぬ儀式と相撲が渾然一体となった独特の雰囲気と進行が面白かった。日馬富士と白鵬の横綱同志の一番では、木村庄之助の千秋楽の触れに柝が入って、これでこの場所も終わると思わせる。自然な流れに引き込まれ楽しんだ。表彰式では安倍首相が登場して小泉首相以来の「全身全霊云々」のひと言を付け加えたりといろいろあるが、相撲協会はこれからも、時代に適応しつつ継続していく道をさぐるのだろう。その成否はまだ分からないが・・・。(宮)
2013年1月25日
『流動食』 1週間ほど前、駅ホームで昏倒して顔面打撲・骨折し、突然生活が変わってしまった。顎を動かさないようにするため包帯で顔をぐるぐる巻きされた。すると、ものが食べられない。ストローで吸い飲みするほかないので3食流動食という仕儀となった。1ヶ月はこれで我慢するよりしかたないのだが、必要な栄養・エネルギーを流動食でどこまでとるかが課題となった。周りからいろいろな助言があり、活用させてもらっている。病院や老人施設では同じメニューの食事に普通食、刻み食、ミキサー食と3種あるそうで、私のばあいはもっぱらミキサー食で行くわけだ。それでも何でもミキサーにかけるわけにもいかなくて、すこしづつ経験を積んで前に進んでいる。それにしても当然のことだが、どんな内容であれ食感がすべて同じなのがいかにも味気ないことだ。そのなかでのヒット食品は甘酒である。米の感じが残っていて、完全な流動食でうれしい。(宮)

『ビラ配りのインド人』 朝、地下鉄から地上へ上がり、外にでると、ビラを配っているカレー屋のインド人(たぶん)がいた。たまに昼にテイクアウトで利用するカレー屋さんだ。インド人がせっせとビラを配る。受け取る人、受け取らない人さまざまだ。「◯◯でーす」という言葉を連呼したあと人がまばらになった。その隙に「ああ、さむぅーい」とインド人が言った。独り言だと思うけど、聞こえてもいいもんねくらいの普通の声。冬だもんねえ。そりゃあ寒いさ。そのイントネーションに愛嬌があり思わずニヤリと顔がニヤけてしました。寒いけどがんばって!(やぎ)
2013年1月18日
『雪かき』 この間の成人式の日、東京では雪がふった。天気予報では雨だと言ってたのに!気がついたらすごい勢いで窓の外では雪が吹雪いているではないか!まさにふりこめられたような気分になる。
仕事が詰まっていたのでその日は会社に出ていた。お昼に外に出たらもうあたり一面、白い世界。さて仕事も終わって帰るころはふりやんだ。道々すでに雪かきをしている家もちらほら。道路は公共のものだが市や区が雪かきをしてくれるわけでもないからみんな自分たちの生活のために不便ないように雪かきをする。いろんな道を歩くとその人がどんなことを意図して雪かきしているかがよくわかる。とりあえずの人は自分が玄関から出やすいように。道に二本の通路のような雪かきはすれ違う人のことを考えて。そして自分の前の道の部分すべてがきれいさっぱり雪かきしている人はそういうすっきりしたのが好きな人なのだろう。どうせやるのなら徹底的にという性格なのかもしれない。
実は私も雪かきはしたいほう。ちゃんと道具を持っている。わが家は貸アパートに住んでいるが一階のような地下一階に住んでいるので玄関をあけたらすぐ道路。やらない手はない。帰って体が冷えないうちに明日の凍結を考えて人が一人通れるほどの雪かきをした。家の前はわりと幅のある道路なのでもう一方の通路とのバイパスも作った。帰る道々そういうふうに雪かきしてある道をありがたく通らせてもらって素晴らしく歩きやすかったからだ。バイパスは私なりのアイデアだ。雪かきの成果を夫に見せてちょっと自慢する。それにしても今回の雪は水分が多い重い雪だったなあ。
(やぎ)
2013年1月11日
『エールを送る』 以前はこのような表現をしていなかったと思うのだが、最近はニュースでもごく普通に使われている表現で、この間はNHKのニュースで、「政治家Aが政治家Bにエールを送った」と言っていた。この言葉、どうも好きではなくて、たぶん英語だろうがとインターネットで探ってみた。ところが、使われている意味でエールという単語はないらしい。どうやら和製英語のようだ。ナイターみたいなもののようだ。ナイターは、感じが出ていて違和感がないのだが、「エールを送る」は駄目です。好き嫌いの問題ではあるが、多くのカタカナ言葉と同様普通の日本語で十分表現できると思うが、今明らかに流行っている。耳にしたくない言葉が増えるのは年がいった証拠かもしれないと思いつつ・・・・。(宮)