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「王様の耳はロバの耳」(2011)
 
2011年12月29日
『1年』 終わってしまえば1年は短く、なにが出来たかと回顧すれば、たいしたこともできていない。それでも新しい年にはあれをしよう、これをかたづけてといろんなことを思い描く。性懲りもなくと言えなくもないが、それが生きている印でもあると思い、無い知恵を絞るわけだ。
通勤途上の景色をみているだけでも、毎年のことながら12月25日までの空気と、翌日からの空気の違いに気づかされる。世の中は四季と年中行事をうまく利用しながら、生きているらしい。そしてきょうは仕事納めの日になった。
(宮)

『家の電話と年賀状』 子どもの頃、友達同士の連絡手段は今のように多くはなかった。連絡といえば電話か手紙だ。どちらかというと電話は苦手だったので、連絡で電話もするが、手紙をよく書いていたように思う。
学生時代に書いた手紙など、自分で書いたものは手元にはないが、友人からの文面をみる限り、今読むと限りなくはずかしい。でも自宅にかける電話も、手書きの手紙を出すのも今考えるととてもいいなあと思う。誰が出るか分からない家の電話ごしになんとなくその家の雰囲気がただよっていたり、長電話して怒られたりするのもなんとなく懐かしい。
今や会社での電話は別として、家の電話に電話する機会はぐっとへり、携帯電話へ電話やメールをすることのほうが多くなっている。私などは電話が苦手なせいもありついついメールを多様。でもうまくニュアンスが伝わらないで何度もやりとりしなければいけないときなどはええいっと思って電話に切り替える。
待ち合わせも電話だったなあ。20年くらい前なら、誰かが集合時間にこなければ、家の電話に電話をかけて、何時に出ましたか?などと聞いたりしていた。そしてじゃあ、あと何分後には着きそうだななんて想像して待っていた。駅には伝言板もあり、「○○へ、先に○○へ行っています○○より」と書いたりしていた。そこには書いてから○○分を過ぎたものは消しますとか書いてあった気もする。メッセージを書くときに時間も書いていたのだろうか。記憶が定かでない。
年末を迎え会社でも年賀状を作りみなでまわしてメッセージを書き込んだ。大したことは書いていないが、届くであろう人のことを考えながら書く手紙。どうか想いが届きますように。今年も大変お世話になりました。来年もよろしくお願いします。
(やぎ)
2011年12月22日
『映像と時間』 時間の感覚は歳をとるともに変化する。子どものときは、30歳といったらすごい大人で、自分のこととして考えたら遙か先のことだった。自分のことで覚えているのは20世紀末に何歳になっているかということだ。そして当然遙か先のこととして考えていた。ところが60歳、70歳となると50年前といってもそれほど昔のことと感じなくなる。若い人にはこれがわからないが、自身の経験に照らしてそれも最もなことと思う。
私は50年前がついこの間のことという感覚が、映像とくみあわされるとより増幅されるのではないかと考えている。技術の進歩によって50年前の映像といえども実に鮮明である。私たちが子どものころに見た50年前の映像はモノクロで、ぼやけていてぎこちない動きのものだったからいかにも遠い昔ののことと感じさせるが、いま見る50年前の映像の鮮明さは、風俗の違いやら細部をいえばいろいろ変わっていても50年前という時間を昨日のことのように身近に引き寄せる力がある。
(宮)

『家電量販店の店員』 先日新宿のビックカメラに(敢えて店名を出します!)プリンターのインクを買いに行った。バラで何色か買おうと見ていたのだが、同じ形の物なのに色によってパッケージにうちのプリンターの型番が書いてあるものとないものがある。心配なのでそばにいた店員に聞いてみた。すると「書いてないんだったら僕は責任持てませんよ」とのたまう。「じゃあ書いてある物はどこにあるんですか?」と聞くと「同じシリーズの物だからそれでいいんじゃないんですか」だって…
もうあきれ果てて怒る気もなくなり、そのまま帰って来てしまった。だが後でよく考えたら、その場で責任者を呼び、事情を話した方がその店員のためにもよかったのではと思った。きちんと教育してもらわないことには、これからも不愉快な思いをする人がいるに違いない。我慢しないで怒るべき時には怒る、それを来年の課題にしようっと!
(むく)
2011年12月16日
『フリーゲージトレイン』 新幹線と在来線では2本の鉄道線路の幅(軌間という。)が違う。新幹線はいわゆる標準軌で1435ミリ(4フィート8.5インチ)、在来線は狭軌で1067ミリ(3フィート6インチ)の幅を持つ。この数字を見ただけで鉄道が外国から導入された痕跡を今も残していることがわかる。
ニュースによるとフリーゲージトレイン(軌間可変電車FGT)をテスト中だという。実用化されると同じ電車が新幹線と在来線を自由に行ったり来たりできる。技術の進歩は際限がないのだろうが、こういう素朴な技術的進歩は楽しい。「素朴な」というのはわたしの偏見だが。
(宮)

『神戸ルミナリエ』 友人が神戸に引越したので、先日遊びに行ってきた。ちょうど神戸ルミナリエが開催されていたので夜は見学に。
阪神・淡路大震災の鎮魂と復興を祈って始まった光のアートイベントだ。元町駅から一方通行でずっと遠回りをさせられぞろぞろ歩くと、最後の角を曲がったところでぱっと目に入ってくる光の玄関。思わず声が出る美しさだった。今年は特に東日本大震災のこともあり、亡くなられた方々への祈りをこめながら歩く。光のアーチを進むと最後に東遊園地公園では光の壁掛け。そしてその公園には被災地から寄せられた火をずっと灯している「希望の灯り」がある。そこに手をあわせ、ルミナリエ見物を終えた。
(むく)
2011年12月9日
『プラスかマイナスか』 本の制作過程でカバーデザインは、毎度議論の種になる。最新刊の『ある日とつぜん霊媒師』もそうだった。外部の貴重な意見、しかも本音で批評してくれる人が、「どうして、こんな暗い感じに作るの?もっと明るくして、チラッとみただけで手にとってみたくなるようなデザインでなくちゃあいけない」と言った。
いつも「地味だ、暗い、目立たない」と言われてきたが、今回もそうなってしまったらしい。作り手としては、常に「チラッとみただけで手にとってみたくなるようなデザイン」を目指している。なにしろ本が売れなくてはこまるのだから。
明るく、爽やかな感じはもちろん大切かもしれない。しかしそれは結果であって、作り手がみな同じように考えて作ったら、1冊1冊は明るく爽やかかもしれないが、そういうデザインの本の集まった平台や棚で「手にとってみたくなる」のはどんなデザインの本なのか。制作担当者はさまざまな条件をああでもないこうでもないと考える。本の内容をしっかり把握して、自分のイメージを作っていく。さまざまな人の意見を聞き、類書を探して参考にし、イメージをまとめ上げ、デザイナー伝える。
『ある日とつぜん霊媒師』は翻訳書で、原本のデザインを活用したカバーになった。これが色調は黒っぽいし、見た目は当然暗い。そこで、冒頭の批評、いや批判が出てきた。これが気になってしかたなかったが、動き出してからの読者の反応をみると、書名とあいまって興味を持ってくれる人が、手にとってくれる人が案外多いことがわかった。デザインのことを言えば、明るく爽やかな本のなかに埋もれるのではなくて、暗いイメージが逆に訴える力になったらしい。
(宮)

『次男の引越』 次男が一人暮らしを始めることになり、先日引越をした。とは言っても車で30分程の場所なのだが。
簡単な引越だから手伝わなくてもいいと言われたのだが、やはり心配。一緒に付いていった。
まず部屋にカーテンがない。道に面しているので外から丸見えだ。ひととおり片づいたところで食事をしがてら買い物に行った。ようやく帰って来た頃にはもう辺りも薄暗くなっていた。
そしてそこで初めて気が付いたのだ、部屋に照明器具が付いていないことに!!
ずっと明るかったし、トイレと台所には付いていたのでまったく気が付かなかった。照明がないことには夜を過ごせない。そこからまた買い物へ…
自宅に戻った時にはもうへとへと。小さな引越でも引越って疲れるものですね。
(むく)
2011年12月2日
『ナンキンハゼ』 毎年11月から12月頃になると南大沢駅から首都大学東京に通じる広い道に植えられた街路樹が見事に紅葉する。この木は1年を通して目を楽しませてくれる木だが、とりわけ今頃の変化がすばらしい。
緑の葉が次第に赤くなり、1本の木が色のモザイク模様をつくり出す。どの色も透明感があり、日毎変化、紅葉の進化を楽しめる。しかも通路の両側に植えられている並木道だから独特の雰囲気を醸し出している。
そして紅葉しきった葉がしだいにに落ちていくのにあわせるごとく、最後には白くて丸い実をたくさんつける。これも見ものだ。1年の締めくくりの景色だと思って毎日眺めている。いつもあわただしく通り過ぎるだけで、何の木だろうと思っていたが、なんのことはない、ちゃんと名札がついていた。すなわちナンキンハゼ(トウダイグサ科)だそうである。
(宮)

『どっちが早い?』 誕生日から随分時間がたってしまったが、夫がずいぶんまえからほしがっていた腹に巻いてスイッチを入れるだけで腹筋をやったのと同じ効果が得られるという機械をプレゼントした。箱には「ラクして鍛える」とある。でも最低3ヶ月〜6ヶ月は続けないと効果は得られないようだ。結構かかるなあと思う。
がしかし、たしかに夫のお腹がプヨプヨなのと、鍛えられお腹なら後者のほうがすてきだなと思う。だけどゴロゴロしているのにムキムキな人なんて魅力があるのだろうか?という疑問が頭をよぎる…。私としては贈ってあげたい品物ではなかったが、ほしいというので高かったけど面白半分に買ってあげた。
一方、私も30代後半になってから、肉がつきやすくなっており、これを機に、腹筋&柔軟体操(自己流)をはじめた。一週間もすると、少し連続腹筋回数を増やしても苦しさが減った気がする。
夫はというと、最近きつかったズボンが緩くなったとかなんとか言っている。そりゃ早すぎないか?と心の中でつっこむ。1ヶ月たち3ヶ月がたってはたしてどちらが先に鍛えられるか、今から結果が楽しみだ。本物と偽物の違いをみせつけられたら楽しいな。
(やぎ)
2011年11月25日
『きゅうりもみ』 第一次世界大戦中にベルギーにいた石川三四郎の「籠城日記」を読んでいたらフランス人の食物と日本人のそれが似ているという一節が出てきた。
一緒に暮らしているベルギー人が風邪気味なので、葡萄酒で卵酒を作って飲ませたという話に続けて出てくる。100年近くまえの話だが、いままで私は知らなかったので驚き感心しながら読んだ。原文はつぎの通り。
「仏国の田舎で食べるスウプは日本の汁にソックリである。夏中は屡々胡瓜揉を食べられたが、其れも日本との違いが無い。大体毎日一度は酢の物を調理するが殆ど日本的だし、例のマカロニなど、種々あるが、仏蘭西人の常食とするのは、日本の饂飩と少しも違はない。」
フランスにいって食べてみなくては!。
(宮)

『バックについてるのだあれ?』 久々にY社に営業にいった。じっくりいろんな話を聞いてくれたり、いろんな情報をくれたりするとても好きな会社だ。10月に新刊ができたのでそれをもって出かけた。
『ある日とつぜん、霊媒師』という本の話でしばし営業トーク。この本は一番読書人口が少ないと言われ、売りにくいといわれる、小学校高学年〜中学生くらいを中心読者層に据えた本だ。しかし読んでくれた人の感想はどれも反応がよく、思ったより動きもいい。
そのことを話すと、Tさんは「話題になって『ハリー・ポッター』みたいに売れたらいいよねえ」なんて嬉しいことを言ってくれる。
私「でも、ハリー・ポッターもバックに取次やら販売会社やらがついて、しかけてますからねえ(本当のところは知らないが)うちのようなとこにはだれもついてくれないですよ」
Tさん「バックにちゃんとついているじゃない?」とニヤリ。
私「えっ?」
Tさん「霊が…なんてね」
私「うーん。霊媒師だけに?話題になりそうな」
背後霊は守ってくれるというし、自社の背後が気になる今日この頃である。
(やぎ)

『リサイクルショップにて』 もう何年も着ていないような洋服が大量にあったので、近所のリサイクルショップに持ち込んだ。ブランド品でもないし、たぶん二束三文だろうと覚悟はしていたが…
さてその査定額はというと−−−なんと2円!
すべて値段が付けられない物なので重さでキロいくらという査定なのだそうだ。もう一点だけバッグを持っていっていたので、それが150円、合計152円也。
捨てたと思えばまぁいいか、という感じか。
オマケでその日だけに使える1000円引きになるチケットをくれたのだが、一点2000円以上の物にしか使えないという。いろいろと見て回ったが欲しい物がひとつもない。だいたい2000円以上の物がほとんどないのだ。結局何も買わずに帰って来た。「高価買い取り」などというチラシがよく新聞に入っているが、現実はこんなものなのだろう。
(むく)
2011年11月18日
『どうぶつにふくをきせてはいけません』 いまや、犬に服を着せるのはごくありふれたことどころか、服を着てない犬を探すほうが難しいくらいだが、まだまだ上がある。夜道にチカチカ点灯するランプをつけられた犬をみて、気の毒なと思っていたが、天気がいい昼前の散歩に、中型のコリーがサングラスをかけていた。これは初めて見ました。(宮)

『通気性の良い靴』 革靴がだめになり、夏にアウトレットショップで革靴を買った。2足目が半額というので、シンプルで飾りのない革靴を2足買った。一足目の靴は黒の靴。なんとも履きやすく何度も夏の間に履いていた。たまにはと思い2足目の靴(焦げ茶)もたまにはかなくてはと履きはじめる。2足あるので交互にはけて便利だ。
ある日最近気に入ってはいていた方の2足目の靴を履いていた。その日は夜遅くにけっこう本格的な雨がふる。穴のあいていない靴でよかった!と思いあるいていると靴の中がじわりじわりと濡れてきた。けして、水たまりを歩いているわけではないのにである。次第に濡れてくる靴をはきながらこの2足目の靴を売っていた夏の暑い日のことを思い出していた。キャッチフレーズは「通気性ばっちり!でも雨の日は履かないでください」だったじゃないか!
夏、靴の中がむれるのはいやなものだ。通気性もいいなんていいなあ、雨の日はけないのはちょっとどうかと思うけどと思いながら買ったんだった。図解では靴の底にもなんだか空気の対流が描かれていたなあと思い出す。「通気性いい」=「空気を通す穴があいている」ということなのだ。これからは気を付けなければと思いながら、濡れた足を引きずり家にかえった。こんどは夏にも履いてみないとなあ。
(やぎ)

『野菜室満室』 実家から、野菜がたっぷり送られてきた。
今年は大根が豊作で、次から次へと採れるそう。送られてくる大根もそれはそれはりっぱな大根で、スーパーで売ってるものより、断然りっぱ。そしておいしい。
そのほかにも、サトイモやサツマイモ、京菜、冬菜、ほうれん草、無農薬だから葉物には虫もついているけれど「虫も食べるくらいおいしいのね」と、嬉しい気分。
その他に、地元産の野菜やきのこなんかもわざわざ買って送ってくれて、とってもありがたい。
ただ、野菜室が満室なので、せっかくの野菜を腐らせたくなくて、毎日手を抜くことなく料理を作らなくっちゃならないのがちょっぴり大変という、贅沢な悩みを抱えております。
(みなりん)
2011年11月11日
『リニューアル』 会社の近くにある弁当を売っていた小さな店が、しばらく前に店仕舞いした。弁当以外に店内に4,5人座れる席があって日替わりランチを出していたが、あまり流行っている風でもなかったので、店仕舞いも仕方ないかと思っていた。この界隈は飲食店の交替が激しく、生き残るためには、値下げをしたり、店舗のリニューアルをしたり、なかなか大変だ。
店仕舞いしたあとには、渋くて洒落たコーヒショップができた。前の店のいかにも野暮ったい感じがこうも変われるものかと感心するぐらいで、入ってみようかと思わせる。
すぐ近くのカレーチェーン店もリニューアルした。ここはもともと今風の店でこぎれいな作りだったが、全面改装した。
近くに、名高いラーメン屋で行列の出来ない日がない店もあるが、多くの店は仕事を継続発展させるためにリニューアルやら値下げやら、知恵を絞っている。いっとき いくつかの店は出勤時や夕方にチラシを配っていた。
出版社も大変だが、飲食店も大変である。
(宮)

『子どもが楽しめる場所』 最近小さな子どものいる知り合いと子ども連れで会うシーンが増えている。子ども連れにふさわしい場所というのが自分にはなかなか想像できず迷ってしまう。いろんな子どもがいるわけだし、意外にどんな場所でも大人二人居ればどうにかなるかなとも思う時もあれば、子どもが飽きてしまったらどうしようとかいらぬ心配ばかりしている自分がいたりする。
子ども=公園とか、動物園、ファミリーレストランとか、遊園地とかそんなことしか浮かばない貧困な想像力。気の利いた場所を選んで安心してもらいたいが、これは子連れ側の判断にまかせるのが良さそうなことに最近ようやく気づく。
さて、我が家の家の中はあまりお子さま向きではないのだが、これを機に老若男女が落ち着ける場所にしたいなと本気で思うのだった。
(やぎ)

『バッキンガム宮殿前で迷子』 イギリス最終日はロンドンのバッキンガム宮殿での衛兵交代式の見学だった。ガイドさんから厳重な注意をされる。
「とにかくロンドン中の観光客が集まったかのような人混みです。くれぐれもはぐれないように。私の掲げている赤い傘を見失わないように。私の前には絶対行かないように。」
それなのにいるんだなぁ、迷子になっちゃう人が…
交代式も終わり、さぁ帰ろうという時、Hさんがいないと大騒ぎに。最近の団体旅行は各自にガイディング・レシーバーという物を渡される。ガイドと少しくらい離れていても、ガイドの声がよく聞こえるというすぐれ物だ。それでガイドさんは必死に呼びかける。
「Hさん聞こえますか〜?赤い傘が見えますか?見えなかったらさっき渡った信号まで戻ってください!Hさ〜ん!Hさ〜ん!」
携帯電話をかけてみても反応はなし。みんなで青くなっているところにようやく通りの向こうからHさん登場。信号を渡る時にちょうど周りを背の高いグループに囲まれて、渡らずにそのまままっすぐ行ってしまったらしい。一人はぐれてどんなに不安だったかと同情する。こんなハプニングも団体旅行ならではのものだろう。
(むく)
2011年11月4日
『神保町ブックフェスティバル』 10月29,30日、恒例のブックフェスティバルが開催された。今年は、荷物の搬入から後かたづけまでの一切に関わることになり、長時間現場で過ごした。子ども連れのお客さんもけっこうあり、面白かった。子どもが気に入った本を欲しそうにしたら、親が「ちゃんと全部読むのなら買ってあげる」と言ってシリーズ6冊買ってくれた。ときどき見かけたのは、子どもが気に入って熱心に見入っているのに、親がまったく反応しないで歩き去ってしまう。せっかく親子で見に来たのに。いろいろだと思った。人出の多いことにも今更ながら驚いた。ひとの流れに入るとなかなか歩けないほどの人口密度で、それが長時間途切れない。(宮)

『ハロウィン』 今年は、なんだか「ハロウィン」で盛り上がってる気がするのですが‥‥。去年は自分が気づかなかっただけで、同じくらい盛り上がっていたのでしょうか?
幼稚園の別のクラスでは、クラス単位でハロウィンパティーをやったり(もちろん仮装して)、隣駅の駅前でもハロウィンフェスティバル、近くの大きな公園でも今週末ハロウィンのイベントがあったり。どれもこれもとっても楽しそうで、来年は参加したいなぁと思ったのでした。
(みなりん)

『ロンドン、ヒースロー空港にて』 団体ツアーだったが成田での飛行機のチェックインは各自で行った。そのため機内でも誰が同じツアーの人なのかまるでわからない。隣の席のおばさまはロンドン乗り継ぎでスペインに行くと言うし…。
最初にみんなで集合したのがロンドンの空港に着いた時。だが国内線の乗り継ぎが3時間後なのでそれまでは解散となった。まだ誰とも仲良くなっていないので私は一人で空港内で時間をつぶすしかない。まずは腹ごしらえ。生まれて初めて使うポンドに少し緊張したが、問題なくサンドイッチとコーヒーを買えた。今ひとりでヒースロー空港でサンドイッチを食べているんだと思うと何だか不思議な気分になった。ちなみにパンがパサパサでおいしくなかったのだが…
免税店を見て歩くのにも疲れたので早めに集合場所に行って座っていることにした。すると空港職員のおばさんが近寄って来てチケットを見せろと言う。見せたところ何やらすごい剣幕でここにいてはいけない、あっちへ行けと言う。(たぶん)そんなこと言われたって添乗員にここに8時に集合しろと言われたのだから、私はここを動けない!なんて英語でスラスラ言えるわけもなく、パニクッているので単語のひとつも出てきやしない。添乗員って?集合って?
そうこうしているうちにやっと添乗員がやって来た。どうやらそこは障害者専用の待合室だったらしい。(そんなところに集合させるな〜!)
これが私のイギリス初パニックの話である。
(むく)
2011年10月28日
『表示』 このところ都内あちこちを地下鉄で動き回っているが、乗り換え表示に不満を覚えている。出口の表示とセットで出ていると良いのだが、乗り換え表示を探すためにあっち行きこっち行きしている。年のせいで注意力が落ちているせいもあろうがはじめて利用する者には本当に解りづらい。初めての利用者の目で表示を見直してほしいと思う。(宮)

『ロンドンでミュージカル鑑賞』 ロンドンのハー・マジェスティズ・シアターで(女王様の劇場という意味らしい)ミュージカルを観てきた。と言うとかっこいいが、実は団体ツアーの予定に最初から組み込まれていたもの。直前まで何を観せてもらえるのかもわからなかった。ラッキーなことに今年で25年のロングランを続けている「オペラ座の怪人」だった。
席はグランド・サークル。日本でグランド・サークルというと日生劇場の中二階で、とてもいい席だ。ちょっと期待してしまったが、現実は…。ロビーを通ることも許されず、劇場脇の細い階段をただひたすら登った三階だった。まるで歌舞伎座の幕見席だ。階段の途中でプログラムを売っている男性がいたので3.5ポンドのところ10ポンド札を出したら、おつりがないからだめだと言う。まったく商売っけがないったらありゃしない。
そんな席だったが案外見やすく、迫力ある舞台が楽しめた。その日の夜は頭の中をオペラ座の怪人の音楽がずっと鳴り続けていたのだった。
(むく)
2011年10月21日
『うんうん』 日曜日の朝9時、NHKの日曜討論会に枝野経済産業大臣だ出席、解説委員から質問されていた。質問中に大臣の「うん」「うんうん」という相づちの声が何度も聞こえる。ラジオなので声が情報源だから、気になってしかたない。たとえ解説委員と懇意な間柄なのかもしれないが「うんうん」は、耳障りでしかたなかった。へりくだる必要はまったくないが、普通の対話をききたかった。言葉が気持ちをなにほどか反映しているとすれば今更こんな批評は不要か。しかし、この番組の質問と回答は、全国放送だから聞き手に対する配慮も必要なはずだ。(宮)

『英国ツアー一人参加』 イギリスの北から南まで盛りだくさんに巡る団体ツアーに一人で参加して来た。参加者は14人。なんとそのうち8人が70代女性だった。あとは5,60代女性が私を含め4人。男性はたった一人(70代)、若い人も20代女性ただ一人。
おばさまたちの明るくパワフルなことといったら…
しかも全員海外旅行経験が半端なく豊富。メジャーな場所だけではなくマチュピチュだのアマゾンだのネパールだのとすごいところへ行っていらっしゃる。日本の旅行業界はお金と時間のたっぷりある70代女性で持っているんだなとつくづく思ってしまった。
でもおかげで楽しい話もたくさん聞け、9日間の旅行も充実したものとなった。海外旅行に行くのも、もうきついかなと思っていたのに「あなたは若いからまだまだこれからね」と逆に励まされてしまったのだった。
(むく)
2011年10月14日
『座っていく』 出勤時間を早くしたら、通勤電車で座れることはまずなくなった。座席は始発駅ですでに埋まっているわけだから当然のことだ。急行なので途中駅で接続があるが、笹塚で新宿行きに接続するが、乗車する人はあまりいなくて、しかも私が乗っている急行の側に大勢並んで待っている。急行の次ぎに入ってくる笹塚始発の電車に乗るためだ。座っていきたいということだろう。待っている人は老人というわけではなくて、若い男女が沢山いることに多少の驚きがある。(宮)
2011年10月7日
『グレン・グールド』 試写会の案内をもらって、「天才ピアニストの愛と孤独」という新作のドキュメンタリー映画を見てきた。今回の映画の売り物はグールドの女性との関わりを追究したこと。子どもをふくめて4人で一緒に暮らしていたという、その女性と子どもの証言が収められている。魅力的な女性を映像で見、いっとき幸福な時間をもったらしいことを知って、ほのぼのとした気持ちになった。
しかし、薬物の過剰摂取の影響でしだいに通常の人間関係が維持できなくなったらしい。天才は天才の生を生きるほかないようだ。
(宮)

『台風の日に考えたこと』 ちょっと前のことになるが、東京を台風が通過していった日のこと。いつも台風がくる台風がくるといいながら東京はどうにか被害を免れてきた。が、しかし、今回はそんなわけにはいかなかった。ニュースでは午後4時ごろに東京付近を通過という情報。お昼ご飯を食べる頃、たいしかにその通りに雨足が強まり風も強くなってきた。会社では帰宅できなくなることを考えて社長が自主判断で早く帰ることを奨励。当日出社していた4人の中では、我が家が一番近い。とりあえず川を越える人が帰ってから帰ろうと決める。下高井戸なら帰れないことはないだろうと思っていた。14時半ころから順次みんな帰宅し始める。結局15時半過ぎに会社を出た。調布までいくという電車にのったものの、結局途中駅の笹塚までいったら電車という電車はすでに全てストップしてしまったというではないか。ホームはひとだかりだ。笹塚からなら徒歩で帰れないことはないが、一歩駅から出ると激しい雨と風でなんと危険な状態にいるかを思い知らされる。電車も止まるのも無理はない。しばらくマンガ喫茶でネットを観察しながら待機することに。
午後7時に店をおそるおそる出るとすでに雨はやんでいた。これなら帰れると甲州街道をあるいたが、やはり風にあおられる。台風は去ったようだけれどあとに残ったのは折れた街路樹と、無数のビニール傘だった(もちろん普通の傘も)。この日だけで何本のビニール傘がゴミになったのだろうか数えてみたいと思った。エコだエコだとエコブームをきどってみてもこんなに多くの人がこの日ビニール傘を使いそしてゴミにしてしまったのだ。こんな日にビニール傘を使うものではない!と思った。壊れるに決まっている。木まで折れてしまう雨風なんだから…道のあちらこちらに山になるビニール傘。恐らく一瞬のうちに使えなくなったんだろうなあ。消費社会の現状を見た気がした。普段の自分の姿を写しだしているようでちょっとはずかしい気持になった。自然災害は本当に恐い。人間にはたちうちできるものではないのだなと思った一日だった。
(やぎ)

『続・旅行も終わったのに…』 北海道ツアーに一緒に参加した人が感染症にかかったという件で、世田谷保健所から電話があった。こちらの症状が何もなくても国の法律に基づいて検便を提出して貰わなければならないと言う。お上が決めていることなら仕方がないと思い承諾した。一緒に旅行した友人に聞いてみると松戸保健所から電話はあったが、異常ないと伝えるとそれでOKだったそうだ。どうして国が決めていることが住んでいる場所によって違うんだ〜!ずる〜い!千葉は日本じゃないのか?千葉国か?
子供が小さい頃その友人の家に遊びに連れていったら、あまりに電車に乗るものだから「ここって日本?」と聞かれた事を思い出してしまった。それはさておき、こちらにはさっそく検便キットが送られてきたのだった。
(むく)
2011年9月30日
『台風一過』 台風15号が来たとき、ベランダをかたづけた。飛ばされそうなものは室内にいれ、物干し棹はひもで縛り付けた。しばらく掃除してなかったので、あちこちから吹き寄せられた枯れ葉や砂埃が目についたががそのままにした。そして、台風が通り過ぎたあとのベランダがきれいだったこと。動くものはすべてきれいさっぱり吹き飛ばされたようだ。通勤路に目に付いた踏みつぶされた季節外れの毛虫の死がいもほとんど姿を消していた。どこかに飛ばされたわけだ。桜並木は日当たりの悪い場所のものは葉がすっかり落ちてしまったし、日当たりの良い場所の桜も葉がかなり落とされて、スースーした眺めになってしまった。9月末だとはいえ、ついこの間まで真夏の暑さに往生していたのに。彼岸をはさんで季節がぐるっと回ったようである。(宮)

『一軒家でびっくりの賃貸住宅』 以前、物件情報をみるのがすきだとは何回か書いたような気がするが、最近見つけた物件で目玉が飛び出るような物件を発見し、一人興奮した。3DKの一軒家の赤羽にある物件。室内の写真なども掲載されていて、いや〜みればみるほど超お得だ。でも、賃貸料がなんと、1万円なのだ。東京の都会でありえない…絶対1万円ということはいわくつきか、一桁掲載内容を間違えたかのどちらかだろう。まさか金持ちの大家さんが、住まないで痛むより、固定資産分だけでもとれれば…と貸し出したというのでもないだろう。いったいどんな理由なのかは知らないが、この2〜3日はその物件のことで頭がいっぱいだ…ああ気になる。(やぎ)

『神経衰弱』 トランプの神経衰弱。子どもがはまってます。
うちの子は幼稚園に通ってますが、幼稚園の通常の時間外は、『あずかり保育』というものがあり、そこで夕方まで過ごします。年少さんから年長さんまで同じ教室で遊んでいるので、年長のお姉さんたちの遊びを覚えたりするのでしょう。いろんな遊びを覚えてきます。
その中の一つ、神経衰弱が流行っているようで、お迎えに行くとみんなでやっていたり、家でもずっとやっています。そして驚くのがその記憶力。はじめて一緒にやったとき、「少し手加減しようー」なんて思っていたら、そんな必要がないくらい強い。パパやじいじやばあばは、負けます。お友だちのママに聞いても、やっぱり子どもたちみんな手加減なしでやっても大丈夫なくらい強いようです。
ゲーム機器で遊ぶことが主流になりつつありますが、こうして紙でできたトランプでわいわい遊ぶことを子どもが楽しんでくれているのは、とても嬉しいです。
(みなりん)

『旅行も終わったのに…』 先日の北海道旅行から帰って、もう10日以上たつというのに旅行社から突然電話があった。旅行前に確認の電話はよくあるが、今頃いったい何なんだと思ったら、グループの一人がO-157に感染したと言う。体調は大丈夫かとの確認の電話だった。こちらはいたって元気だし、これから具合が悪くなるということもないだろうが、なんだか嫌な話である。旅行中の食事ではなく帰ってからの物かも知れないとのことだった。さっそく友人にも電話したら元気いっぱいだったので一安心。ただ旅行から帰って家に着いた時にアクシデントがあったそうだ。家の鍵がない!! 北海道から大きな荷物は宅配便で送ったのだが、その中に入れてしまったらしい。幸い娘と連絡が取れ事なきを得たそうだ。それにしても最後までお騒がせな旅行である。(むく)
2011年9月22日
『ホルン』 昔録画したビデオをみている。ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートを何年分か順番にみていたらある年のもので、ホルンがミスしている。さすがに一瞬のことではあるがミスはミスだ。「え?!」と思わず聴き耳をたてたら、その後も何度かやっている。ホルンの難しさだろうが、一度やると緊張してまたミスする。ウィーンフィルでもやってしまうということがわかった。ニューイヤーコンサートなので、その年にあったことを思い出しながら、ウィーンの音楽をずいぶん沢山聴いた。(宮)

『団体旅行のお約束』 北海道旅行へは団体ツアーで参加した。団体旅行の一番のお約束は集合時間に絶対遅れないこと!当たり前のことだが今回最初から危うい事態に…
飛行機が新千歳空港に到着して、到着ロビーに出たところで現地添乗員がお出迎え。食事などを済ませて、一時間後にまたこの場所に集合と言われた。食後集合場所へ行くためにエスカレーターを降りた。到着ロビーは一階だったのでどのエスカレーターでも一階に下りればいいと思っていたら、なんと見たこともない駐車場。慌てて上がり、また次のエスカレーターへ。するとまた見慣れないJRの乗り場。またまた慌てて次のエスカレーターへ。やっとのことで到着ロビーに着いたが誰もいない。私たちの飛行機は全日空だったのだが、そこはJALだったのだ。全日空は反対側の遙か向こう。走りに走ってやっとぎりぎり集合時間に間に合った。夫との旅行だったら大げんかになるところだが、友人と大笑い。
しかしまだまだツワモノがいた。一組だけ30分待っても来ず、とうとうその人達を置いてバスは出発したのだった。添乗員が「吉田さんいらっしゃいませんか?」と大声でその辺を走り回っていたので、それからは友人と遅刻すると言う代わりに「吉田っちゃう」と言って盛り上がっていた。
(むく)
2011年9月16日
『季節はずれ』 南大沢までの通勤歩道には、9月に入って桜並木の葉が落ち始めたのに、地面には黒くて小粒の糞、毛虫の糞が沢山落ちている。例年なら6月頃同じような沢山の糞を見るのだが、今年は6月頃、そろそろ毛虫の季節だと思っていたのに、一向毛虫は姿を見せなかったので、それはそれで、自然の生態だと思っていた。それが今時分出てくるとは?例年の6月のように毛虫もかなり落ちていて、歩行者に踏まれている。季節はずれの現象は、ここだけではなくて、友人から、自宅の庭にある「ひめりんご」に毛虫が沢山着いて、駆除しなければという話を聞いた。(宮)

『北と南』 近々友人と北海道へ遊びに行く。まったく同じ日に息子Bは沖縄旅行だそうだ。家族で同じ日に日本の北と南に行くという偶然も面白い。
そして一人留守番の息子Aは「え〜寂しいよ〜!」
もちろん冗談だが、あんがい本音なのかも知れない(笑)
それではまた次回は北海道のお土産話などを…
(むく)
2011年9月9日
『節電2』 大震災以来、夜になると世の中は薄暗くなった。いたるところ節電対策で、照明を減らしている。これまでが明るすぎたので、しかたないと思っている。しかし行き過ぎた節電もあって、駅のエスカレーターが止められたときに困った人が結構いたはずだ。しばらくの間、地下鉄の長大なエスカレーターが、あっさり止められた。さすがに最近は地下鉄の駅では、照明は減らしたままだが、エスカレーターは動いている。状況をみて微調整したわけだ。
よくわからないのは、図書館の開館時間の変更だ。いまだに節電のためと称して、夜9時まで利用できたのが、夕方5時には閉められてしまう。照明は減らされているし、9時を5時に変更することは、職員の勤務時間が短縮される以外に意味があるのか。トータルの使用電力はたしかに減るだろうが、停電を避けるための節電効果には関係がない。不必要な節電、迷惑な節電もあるわけだ。公共の場では、照明の節約もほどほどにしたほうがいい。大型ビルで1階ロビーの照明がすべて落とされているところがあったが、これもやりすぎの例だ。
(宮)

『引っ越したい!』 前回の家もそうだが、結婚してからというもの以前と比べ引っ越す回数が減り不満がたまっている。まだ17年で2カ所という少なさだ。同僚が引っ越しをするという。それだけで羨ましさ120倍だ。私の趣味は物件の情報を見ること。常に賃貸、売り物件共に目を通す。これはという物件を見つけるとそこでの生活をシュミレートまでしてしまう。
今、一番住みたいのは、土間のある家だ。土間といっても色々あるだろうが、一階が作業場みたいな赴きの家に住んでみたい。家の中なのに外のような気軽さがいいなあと思う。自転車もそこに置きたい。友達がきてそこに椅子とテーブルを置いてくつろげるスペースがあってもいいかもしれない。といいつついつまでも引っ越せない我が家。いや、しかし、妄想と想像が好きなのは本が好きだからなのか生まれついての性格なのかはわからないがこんなことで楽しめるとは安上がりな女だなと思う。こんなことをいいながら引っ越し代が工面できず今年も家の更新をしてしまった…さみしい現実だ。
(やぎ)

『帝劇100年』 日比谷の帝国劇場が出来て今年で100年なのだそうだ。日本で初めての西洋式劇場で、当時は「今日は帝劇、明日は三越」というキャッチフレーズで宣伝したらしい。
私の初めての帝劇の思い出は中学生の頃、父に連れられて観たミュージカル「ラ・マンチャの男」だ。主演は市川染五郎(現・松本幸四郎)、まだ彼が20代で相手役は草笛光子。今では素敵なおばあちゃま役の似合う女優だ。その後何度も再演をしてきたこの作品だが、来年には70歳になる幸四郎がまた挑むという。相手役は娘の松たか子。同じ役を同じ役者が40年以上も演じているなんて、つくづく役者ってすごい仕事だなと思う。来年の「ラ・マンチャ」も楽しみだ。
(むく)
2011年9月2日
『深夜配達』 以前、真夜中に目が覚めたとき、寝室に隣接する玄関ポストに新聞を入れる大きな音がして、ビクッとしたことがある。時計を見ると3時。これはたまたまその日だけのことではなくて、毎日ほぼ同じ時間に配達がある。そう、我が家の新聞は、深夜3時に配達される。ということは、配達員は、2時には、配達営業所を出発しているのではないか。どんな事情からか解らないが、やりすぎではないか。新聞の個別住宅配達は便利には違いないが、こんなサービスがいつまで続けられることなのかという疑問が浮かんでくる。(宮)
2011年8月26日
『進化するパソコン』 パソコンが使いこなせなくて、社内で顰蹙をかっているが、そんな個人的事情に関係なく、パソコンは、日々進化しているらしい。作表し、計算するときには、インストールされているソフトを使うが、そのソフトを持っていなくてもWEB経由で仕事ができるようになってきたらしい。インストールされているソフトすら使いこなせず、ソフトのヴァージョンアップにほとほと手こずっているのに、ますます困った。私としてはWEB経由などというものは取り敢えず無視して、既存のソフトに頼り、もう少し自由に作表し、計算出来るようになりたいものだ。(宮)

『自転車通勤はほど遠く』 誕生日に自転車を買ってもらったので、これを機にいろんなところへ自転車で行ってみようと思った。まずは通勤で自転車を使うのはどうだろう?と考えてみる。電車だと神保町から最寄りの駅まで約30分の近さ。ためしに休みの日に会社まで来てみようと思い立った。
土曜日の夕方ようやく重い腰をあげていざ会社へ向けて出発!よく知っている道といえば、甲州街道から新宿通りを抜け靖国通りに抜ける道。一番単純な経路だ。でも走ってみて気づいた!自転車はどこを走るのが一番いいのだろうか。歩行者でもなく、車でもない。免許もいらない乗り物はどこをどう走れば迷惑じゃないのか?!歩道はもちろん歩く人のためにできている。わりかし広い歩道もあるものの(自転車のマークもあったりもする)意外にボコボコした道である。あがったり下がったり、あがったり下がったりを繰り返すし、歩いている人に気を使うこと気を使うこと。なにげにオシリも痛い。甲州街道は夕方の時間帯人も何人も歩いている。気づくと自転車(ママチャリじゃないかっこいいやつ)に乗っている人はみんな車道を走っている。その人たちの後ろにつき、ためしに私も車道の端を走ってみる。おおなんという違いだろうか。すいすいと進んで行くではないか!歩道と比べ車道の道の平らでなめらかなこと!こんなに走る感触が違うのか!
しかし新宿駅にさしかかる頃また人混みと車の多さに悩まされることとなる。車道は車が多すぎて危ないし、歩道は人だらけだが自転車を押して歩く。新宿御苑付近までくると、すでに御苑は閉園で、すっかり人通りは殆どない。ようやくスイスイグングン進む。最後追い上げたものの結局家から約1時間半もかかってしまった!むろん汗もジットリとかいている。美容と健康にはいいかもしれないが、この時間のかかりかたは辛そうだとあえなく自転車通勤を断念する私。
ちなみに帰りは九段下から赤坂を抜け、青山通りを経由し神宮外苑を横目に見るオシャレなコースを選びなんと2時間もかかってしまった。なんでみんなはあまり時間をかけずに自転車の移動を楽しむことが出来るのだろう?う〜ん。まだまだ頭と足の使い方が間違っているようだ…
(やぎ)

『自転車』 子どもが1歳を過ぎた頃から、ママチャリを愛用しております。
通ってる幼稚園は、家から遠いので、自転車は必需品。
晴れの日も、雨の日も、すごい雨の日も、ものすごーい雨の日も、自転車通園です。
子どもが乗る後部自転車用チャイルドシートには、なんと専用の雨の日カバーがあり、またこれが(金額は高いのですが)、大変良くできていて、どんなに激しい雨でも、大丈夫なのです。おかげで、子どもは濡れることなく、雨の日でも自転車で移動できます。
それを運転する、私は、専用の雨カバーの50分の1ぐらいの金額で買った、ビニール雨合羽を着ているだけなので、それはほとんど役に立たず、頭から顔から服まで毎回びしょ濡れになりながら、移動しております。
(みなりん)

『続・ぴあ休刊』 「ぴあ」の最終号が増刷になったので、ようやく手に入れることが出来た。今まで39年の歴史がぎっしりと詰まった内容だった。
ぴあの表紙といえば1975年からずっと及川正通氏のイラストで、その1300点すべてが紹介されている。表紙を見ただけで当時どんな映画が話題だったのか、どんな俳優が人気があったのかがわかる。
そして付録になんと創刊号の復刻版が付いていた。今から見るとページ数といい紙質といい、フリーペーパーにも及ばないものだが、当時はおしゃれな最先端の雑誌だったのだろう。雑誌のぴあがなくなるのは寂しいが、それも時代の流れで仕方がないことなのだろう。
(むく)
2011年8月19日
『回想 音楽の街 私のモスクワ』 新聞雑誌にずいぶん沢山取り上げてもらった。その効果で、書店注文もいつもより数多く来たと思う。でも著者が買ってくれた分をのぞくと販売冊数は1000冊にはかなり遠い。では図書館でどのくらい所蔵されているのか。ためしにNIIの所蔵データをみると16館が所蔵している。東京都の公共図書館53サイトを調べると、所蔵館は21館である(分館が個別に所蔵することはまったくない)。全国の公共図書館、学校図書館も少しは所蔵してくれたと考えると、書店で個人が買ってくれた冊数は一体どれくらいなのか?数字のどこをみても厳しいことだけは、よくわかる。(宮)

『きのこがはえた!』 最近洗面所の床の隙間からちょっと目を離したすきにきのこがはえていることがある。一度お風呂の排水溝の不具合で床下が腐ったのをなおしてもらってから1年くらいだというのに…トホホである。
はえてくるのは茶色い、いかにも食べられそうなタイプのきのこ。というかきのこが床からはえてしまう家なんて大丈夫なのだろうかという疑問が頭をよぎる。3度ほど床から少し育ったきのこをむしり取った。そして先日。お盆で4日間程、家をあけて戻って洗面所で手と顔をあらっていたら大きな茶色い物体が頭を下げた瞬間に目に飛び込んできた。見ると5本いや6本くらいそれも椎茸くらいの大きさに育っているきのこではないか!!一度見ぬ振りをしたが、やはりある…しかたなく夫のところに報告。「今日のおかずが収穫できました。今日は自家製きのこ汁だよ」さすがの大きさに驚いたのは無理もない。
しかしどういう成長速度なのかとちょっときにかかる。きのこがはえるようになり3回目。いつも気を付けて床をみるようにしているのに1日か2日で大きくなっているとしか思えないのだ。昨日見えなかったものが今日大きくなっているというのがまさにふさわしい。家のことは大家さんに任せるとして…ちょっときのこの研究でも始めようかなとふと思うのだった。(やぎ)

『家電主婦』 「家電芸人ならぬ家電主婦だね」と息子に言われてしまった。
と言うのも、プリンターを買うからと家電量販店につきあわせ、そのくせプリンター売り場には直行せずにあちこち見て回り、さんざん店員の説明を聞いて、結局ブルーレイレコーダーを買ってしまったから。
そして家ではレコーダーとテレビとケーブルテレビのボックスの三つを一人でつなげてしまったから。
もちろん電気に強いわけでもなく、説明書片手に大汗かきかきつなげたのだが、その過程はなかなか楽しかった。そして間違いなく接続出来た時の達成感!
録画予約も出来ないから家族に頼んでいるとかわいい事を言う女性も多いが、私はそんな事は言っていられない。これからも家電主婦で頑張ります!
(むく)
2011年8月12日
『歌曲』 このごろ、昔録画したビデオテープを見ている。たとえば1990年代半ばのペーター・シュライヤーのシューベルト歌曲の来日コンサート。シュライヤー晩年の演奏で、苦しいところがある。
そこで今度はCDでフィッシャー・ディースカウを聴いてみる。そして突然昔のNHKのど自慢で歌曲を歌っていたことを思い出した。とくに年に一度の最優秀者を決めるときの放送は、歌曲、民謡、歌謡曲と3部構成でやっていた。その最初が歌曲の部で、外国語で難しいメロディを歌うのを聴きながら、子どものことで、なにが面白いのかと思っていた。そういう記憶があるのだが、当時の出場者は一体なにを歌っていたのかと思うのだ。菩提樹とか魔王とかを歌っていたのだろうか?。
(宮)

『ナノ・ブロック』 息子たちが小さい頃、よくレゴ・ブロックで遊んでいた。部屋中にブロックを並べて、いろんな物を飽きもせず作っていたものだ。大作になると大人も時々手伝わされたりして、それはそれで楽しい思い出である。
先日、インテリア用品などを売っている店で、大人向けのブロック「ナノ・ブロック」という物を見つけた。一個のブロックが4o×4oという小さな物である。自分で自由にいろんな物を作るセットもあるのだが、犬などの動物が作れる小さなセットからお城などの建物セットなどいろんな物が揃っている。とりあえず西洋のお城のセットを買ってみた。値段は千円ちょっと。ゆっくりじっくり作ろうと思っているのだが、そのゆっくりじっくりの時間がなかなか取れないでいる。子供の夏休みの工作の宿題のように夏の終わりにまでは作りたいものだ。
(むく)
2011年8月4日
『エジプト革命』 中東では、独裁政治に反対する動きがひろまっているが、エジプトは、比較的小さな犠牲しか出さずに一歩進んだ。
今日は、ムバラク前大統領が、ベットにねたまま、法廷に姿をみせた。各国に広まった動きは、ニュース報道だけではなかなか分からない。リビアはどうなったのか?シリアはいま政府と反政府運動との間でおおきな衝突が懸念されているが、6月にシリアに滞在していた友人の話では、首都ダマスカスは治安状態がとてもよかったそうだ。反政府運動は、地方で激しく展開されているらしい。各国で事情がちがうので持続的なニュースがなければ理解できない。そして、ときどきは経過を整理した記事を読みたい。このような状況のもとで、朔北社では、エジプト革命についての本を準備中です。
(宮)

『コロコロ変わる政府の政策』 子ども手当がなくなるとニュースでみた。私は子どものいる身でないので実感はないのだが、子どもが大きくなるまでにかかるお金のことを考えたら本当に大変な出費だろうなあと想像はつく。それなのに国民の収入は増えるどころか、減ることの方が多いし、潰れる会社だって沢山あり、職のない人だって沢山いる。働ける人だって沢山働いた割には収入は少なく少ない収入の中からやれ住民税、健康保険、年金保険と引かれるものは沢山あるから生活していくのは大変なことだなあというのは最近を生きる私の実感だ。働けど働けどお金は出ていってしまうなあとため息が出る。
政府がくれたお金で家庭が潤うのが果たしていいことなのか微妙な感覚はあるにはあった。だけどそれによって助けられた家があったのも本当だろうと思う。なんとかいい方法でその予算を子どもたちに平等に使うことはできないのだろうか。やってみないと何事もわからないが、数ヶ月でやめてしまったり結果というものは出るものだろうか。一貫した信念が見えてこないのが今不安をあおる。市町村単位でもかなり差がある日本の経済と生活に対する保障。まじめに働いていたら貯金がなくても生活していける国になったらいいなと思う。政治家の方々には、国民がまじめに生きて馬鹿をみなくてもよいように、人の揚げ足ばかりとるのではなく、協力しあって国をもり立てていってほしいと切に願う。(やぎ)

『ベッジ・パードン』 世田谷パブリックシアターで三谷幸喜作・演出の「ベッジ・パードン」を観た。
夏目漱石がロンドン留学中にノイローゼに陥り、下宿に引きこもってしまったというエピソードをもとに、三谷が抱腹絶倒のコメディに仕立て上げた作品だ。
下宿先の小間使いの訛りがひどく「I beg your pardon」(もう一度言ってください)と言うべきところを「ベッジ・パードン」と聞こえることから、漱石は彼女に「ベッジ」とあだ名をつける。そのベッジと漱石のラブコメディ。
イギリス人の顔がみんな同じに見えるという漱石の話から、一人の役者が11人のイギリス人を歌舞伎さながらの早変わりで演じるところがまた大笑い。
本来はもっとシリアスな芝居にしようと考えていたところ、あの三月の大震災で方向転換したそうである。こんな時こそ大笑いしてほしいという作者の思いに答えて、劇場は笑いで溢れた。そして最後には切ない気持ちにさせて幕が降りたのだった。
(むく)
2011年7月29日
『一周忌と初盆』 義母が亡くなってからもうすぐ一年になる。先日一周忌に九州に帰った。着々と義弟が一周忌と初盆の準備をしていてくれた。とにかくイベント毎が好きな義弟は今回も張り切っていた。こちらの初盆には精霊船を流す(といっても本当に川に流すわけではない)。自宅からその舟(大きさはまちまち)を焼き場まで家族や親戚たちの手により運び、盛大に初盆をおくってあげるのだ。
実家がやっている、米屋の店先をみると木で作りかけの大きな舟があった。丁寧に作られたカッコイイ形の舟。私「精霊流しの舟、本当に手作りしているんですね。なんだか大きくて立派」義弟「実はある人物に協力してもらって作って居るんですよ、今はいえないけど」私「そこまで言って聞けないで帰るなんて…ひどくない?」義弟「ゆくゆく教えますよ」との会話をし、数時間後たねあかしが…なんとお寺のお坊さんが手伝ってくれているのだという。そのお坊さん手先が器用でまえにも木で作った刀と鞘とかいろいろ見せてもらっていた。普段ありがたくお経を上げているお坊さんの素の姿。大好きな工作を楽しんでくれている様子になんだか心温まる気持になった。
30代?の若いお坊さん。これからも我が家をよろしくと心の中でいい、Uターンしてお店をついだ義弟のよき相棒ができたことがなんだか微笑ましく、立派な舟を作ってもらっている義母が空の上からきっとはしゃしで見ているだろうと思うのだった。(やぎ)

『ぴあ休刊』 雑誌「ぴあ」がとうとう休刊になった。最近では本屋で手に取ることもなくなってしまったが、学生時代にはずいぶんとお世話になったものだ。
映画や演劇の情報を調べるには新聞くらいしかなかった時代、「ぴあ」は画期的な雑誌だった。今ではネットですぐに調べられるし、チケットの予約も可能だ。休刊もやむを得ないのだろうが、やはり少し寂しい。
学生の頃、芝居をやっていた友人が公演の情報を載せてもらうために「ぴあ」の編集室に出向いたところ、狭くてきたないところだったので驚いたという話をしていた。その後、就職先の先輩からは「知り合いがぴあを始めたのだが、最初はまったく売れないので会社の若い子にタダで配った」という話を聞いた。そんな時代もあり、その後急成長をし、そして今に至ったわけだ。
最終号は記念に買おうと思っていたのだが、もうどこも売り切れで手に入らなかった。私のような想いの人間がたくさんいたのだろう。
(むく)

『YOUTUBE』 YOUTUBEで珍しい曲を見つけて聴き、その便利さに恩恵を蒙っている。「お気に入り」(嫌いな言い方で使いたくないが仕方ない)に入れておいて、久しぶりに開くと、削除されていることがよくある。著作権がらみでひっかかり、削除されたらしい。そして、同じようなものを探しても、なかなか見つからないことが多い。YOUTUBEといえども見つけたときが聴きどきということと思っている。実にいろいろな珍品が出てくるのだが、決して出てこないものもある。これには、むしろホッとする。しらないうちにYOUTUBEが生活の一部になっている。(宮)

『全国制覇』 なにしろ芝居好きなもので、今までに都内のほとんどの劇場には足を運んでいる。(もちろん小さな劇場はまだまだたくさんあるのだが…)
埼玉や神奈川へも出掛けるが、それでも飽きたらず最近ではもっと遠い場所にも行くようになってしまった。京都の南座、大阪の松竹座、そして先月には名古屋に行って来た。
この名古屋での芝居はあまりにすばらしかったので、名古屋城見物をする予定だった日にも、それを中止してもう一度観てきてしまった程だ。
もうこうなったら全国制覇!!福岡の博多座や四国の金丸座にもいつか行ってみたいと夢だけは大きく膨らんでいる。
(むく)
2011年7月15日
『梅雨明け』 梅雨が早々とおわり真夏の暑さが始まった。梅雨明け後の2〜3日は体が暑さに反応して、全身汗みずくになったが、いまはその暑さを感じない。体が順応して過ごしやすくなるようだ。今年は梅雨らしい梅雨と思っていたが、期間は短くて、真夏に突入したわけだ。夏のあいだに仕上げる短期大型の仕事を請け負ったため、暑さがどうのこうのといっている余裕はないだけに、体の順応はありがたい。(宮)
2011年7月8日
『Gメール』 事情があって、gmailを使うことになった。これが、使うひとの要求しそうなことを勝手に決め込んで勝手に動き回るために、わけがわからなくなる。あまりに気を回しすぎてくれるのだ。パソコンに向かっているうちに放り出したくなる。あたまの働きをパソコンにコントロールされたくない。仕事をスムーズに進めるためには、忍耐強くやるべきだが、このことについては、おおいに腹を立てることにしている。(宮)

『踵骨棘』 「しょうこつきょく」というのだそうだ。
少し前から右足のかかとの足裏部分が歩くたびに痛くてしかたがなかった。整形外科に行ってレントゲンを撮ってもらうと、素人目にもはっきりとわかる程かかとの骨に棘のような物が写っている。加齢による踵の骨の異常な増殖なのだそうだ。接触する組織が炎症を起こして痛みが生じているとのことだ。
「よく歩くほうでしょう?」と医者に聞かれ「それ程でもないと思いますが」と答えたが、「いいや、きっとたくさん歩いているに違いない」と断定され、遊び歩いていることを見透かされたようで冷や汗ものだった。
結局痛みと炎症を抑える塗り薬を処方されただけで、後は東急ハンズにでも行って靴に入れるインソールを買って対処するしかないということであった。手術などはめったにしないらしい。しばらくはおとなしくしていなさいという自分の体からのメッセージだと思い、諦めるしかない。後はこの踵骨棘と上手につきあっていくだけだ。
(むく)
2011年7月1日
『俊足』 朝の出勤時、幼稚園に行く親子とエレベーターで一緒になった。隣に住んでいる一家で、2人の幼児が幼稚園にいくところで、年下の女の子が自分の靴を指さしながら、私に「すんそく」とかなんとかいしょけんめいに言っている。母親が教えてくれた。いま幼稚園ではやっている「俊足」と言う名前の靴だそうだ。「ずいぶんむずかしい言葉をしってるねえ」といって、赤い運動靴というのか、スニーカーというのか靴を見たが、私にはなんということもない運動靴だった。(宮)

『○○効果?ネーミングのおかげ?』 学校向けのセット名はいつもより考えに考えて作った。九州で営業をしていただくことになった方にも色々アドバイスをいただいたので今年はきっと中身にぴったりの内容のはずだ。最近セットの注文が少しずつだが増えている気がする。もちろん昨年はほとんど何もしなかったから昨年と比較はしたくないが、明らかに昨年とは違う動きだ。それくらいで会社の売上が上がったとは言えないが、着実に数字には繋がるはずだ。出来ることをしようと、ない予算の中で業者の方にも協力していただき、できることをした今年。書店の売り上げもほっといたら下がりっぱなし。
そんな中、学校販売は、返品のない確実にうれる場所として無視できない。本の題名もそうだが、中身の手を抜かず買ってもらった人に納得していただける商品として手元に届くまでの間に、宣伝もさることながら、ネーミングと顔の大切さをひしひしと感じている。外での販売の機会はそういったマーケティングの機会でもあると思う。表紙をみてあっ!と思えばまず立ち止まってくれる。題名もしかりだ。そして本の中身へと手が動く。中を見て長く読んで貰えれば購入の可能性は高くなる。そして裏に返される。最後は値段だ。そうやって少しの時間のあいだに眺め回されて、評価され、買うか買わないかが決まっていく。今年のセット組はこじつけなかった分、いれられなかった本もあったが、年度の最後にニコリと微笑めたらいいなあと思う。そして学校が、このセット買ってよかったねって言われたらいいな。(やぎ)
2011年6月24日
『リュック』 出勤時間を1時間早くしたら、出勤途上で新しい風景に接することになった。毎朝、中学生の通学と一緒になる。気がつくと8割かたの子どもが鞄でなくリュックを背負っている。風俗とはそんなものなのだろうが、子どもから年寄りまで、リュックを愛用しているわけだ。スーツにリュックというのも当たり前になってきたし、鞄メーカーは困っている? いや、いち早くあたまを切り替えてリュックの製造に励んでいるかもしれない。(宮)
2011年6月17日
『節電の効果』 3月の震災以来節電に心がけるようになったものの、今や震災の前とあまり変わりない自分の生活になんだか情けなくもなる。
でも今も会社の入ったビルの踊り場や、駅の構内も薄暗かったりするが気にならなくなった。エスカレータを止めているところもついこの間まであった。エスカレータが止まっているためにみんなガツガツと歩く。上に下に、下に上に。東京の電車は、特に地下鉄はよく歩く歩く。ただでさえ歩くのに、エスカレータが止まれば倍くらいのエネルギーを消費している気がする。でも、そのお陰か、はじめのうちは息があがっていた階段の上り下り、毎日のことになったおかげできつくなくなった。節電のお陰で健脚になったわけだ。なにがいい方に転ぶかわからないものだ。自分の足で歩くこと、エネルギーや電気だけに頼った生活でないふうに変わって行きたいなと思う。自分の中にあるエネルギーを発散させることの大事さを思う。震災から3ヶ月。この間に東京人の多くがそんな体験をしたのではないだろうか?今やエスカレータもまえほどは停止していないが…丈夫になった足をそのままキープするために少し頑張ろうかなと思う。歩くことで発電ができたらもっといいのだけれど。
そういえば母方の祖母も毎日エレベータのないマンションの5階から1階のスーパーまで毎日息もあがらず買い物してたなあと懐かしく思い出した。
(やぎ)

『写楽展』 歌舞伎好きなら絶対にお薦めと友人に教えて貰ったので、国立博物館で開催されている「写楽展」に行って来た。
写楽と言えば個性的な役者のクローズアップの図でお馴染みだが、そんな豪華な作品を一度に28図出版するというデビューを果たした10カ月後に忽然と姿を消したそうだ。写楽の浮世絵がそれまでにない迫力なだけにその謎は江戸のロマンをかき立てる。
今回の展覧会はそんな写楽の作品140図あまりのほぼすべてを世界中の美術館から集めての開催だ。やはり初期の大首絵は役者の一瞬の表情をとらえて圧巻だ。その後全身を描くようになるのだが、最後の方は何故か力の入らない作品となっていく。
それにしても日本の芸術品が世界に散らばってしまっているという現実には少し寂しくなる。このような特別展が開かれない限り、イギリスの大英博物館やアメリカのメトロポリタン美術館に行かないと見ることが出来ないということだ。
(むく)
2011年6月10日
『30年』 同じ場所に行くので、分かっているつもりで出かけたらすっかり様子が変わっていて、迷子になり、あげくに迎えに来てもらう羽目になったことがある。20年、30年と時間をへだてるとこういうことになる。
30年近い昔、平河町に仕事で通っていたが、先日同じ場所に行く用事ができた。今度は、迷わないでたどり着けたが、平河町といえども、森ビルが背をのばし、遊歩道が出来、周辺はそれなりに変化している。そんななかで、三十年前、昼食にときどきいった居酒屋、それも大通りに面したお店の看板が見えたので、まだ続いていたかと懐かしいのと嬉しいのと両方で、傍にいってみると、建物の二階に看板だけが昔のままのこり、お店は跡形もなくなっていた。ああ。
(宮)

『ほこ×たて−矛盾』 「ほこ×たて」という深夜にやっているテレビ番組が面白い。
矛盾という言葉は、昔「この矛はどんな物でも突き通します」と言って売っている商人がもう一方では「この盾はどんな物にも壊れることはありません」と言っているのを聞いた人が「ではこの矛でこの盾を突いたらどうなるんだい?」と尋ねたという話から出来ている。それと同じように「これはどんな○○にも○○しない」という商品の対決なのだ。
例えばどんな風にも壊れない傘を開発した人とどんな強風も作り出すことの出来るマシンを開発した会社の対決。お互い自分の製品には絶対の自信を持っているのでまるで武士の一騎打ちのような緊迫した面もちだ。どちらが勝つか予想する人たちも手に汗握る緊張感。中に学者の先生もいて科学的見知から予想するのだが、それがことごとく外れるのも面白い。この時はマシンの勝利だったが、勝った方の喜びように対して悔しさのにじみ出る敗者。そして「またもっと完璧な物を開発する」という意欲。
最近はちょっとネタ切れかなと思われるが、次はどんな対決が待っているのか楽しみだ。
(むく)
2011年6月3日
『ミュージック・ペン・クラブ賞の夜』 ミュージック・ペン・クラブの事務局長として精力的に活動している越谷政義さんが「ジャパニーズ・ロック・インタビュー集」でミュージック・ペン・クラブ賞を受賞した。原宿のミュージック・レストラン(こういう店があるのですね)で溢れんばかりの人をあつめて、祝賀演奏主体のにぎやかきわまる会であった。越谷さんの会なのでとうぜん、ローリング・ストーンズの曲が演奏された。ひろい交友関係からさまざまな分野の人が参加していて、めずらしい人にも会え、満足して帰路についた。(宮)

『不幸自慢』 中学卒業以来初めて会ったというのに、その上その当時それほど仲良くしていたというわけでもないのに、その人は今までの自分の人生がいかに不幸であったかという話を延々と語った。
中学時代の仲のいい友だちが5,6人毎年集まって食事会をしていて、たまたまその中の一人と連絡が取れたこともあって私も誘ってもらった。そういう会はだいたい昔話に花が咲き、大いに笑って元気を貰い、楽しく別れるというのが常だ。だがその時は違った。
その人の不幸な話、例えば子供の頃家が貧乏で食事もろくにさせてもらえなかったので「朝御飯」というものの存在すら知らなかったとか、結婚した相手が酒乱で大変な目に遭ったなど、もうまるで自慢話をするかのように湧き出てきて止まることがない。それも笑い話として話してくれるならまだしも重たい調子なのだ。
どうも後ろばかり向いている人とは相性が悪い。私は初めてなのでまだいいが、他のみんなは毎年聞かされているのかと思うと気の毒になった。愚痴を聞いてあげるのも友だちの役目かも知れないが、こちらが不愉快になる程なら無理に友達関係を続ける必要もないのではと感じた。この年になったら特に友達は選ぶべきなのかも知れない。もし次回お誘いがあってもちょっと参加する気にはなれないでいる。
(むく)
2011年5月27日
『「安心病」の特効薬は』 産経新聞に曽野綾子さんが書いた文章のタイトルだが、内容は大人の良識を教えている。
すこし引用させてもらうと「何度も書いているのだが、安心して暮らせる生活などというものを、人生を知っている大の大人がいうものではない。そんなものは、地震や津波がこなくても、もともとどこにもないのである。・・・安心して暮らせる生活を約束する人は嘘つきか詐欺師。求める方は物知らずか幼児性の持ち主である。前者は選挙中の立候補者にたくさん発生し・・・しかしこれほど多くの日本人が「安心して暮らせる生活」なるものが現世にあるはずだ、と思い始めているとしたら、それは日本人全体の精神の異常事態だ。・・・「安心して暮らせる」とか「絶対安全でなければ」とかは、共に空虚な言葉だ。」激しい言い方だが曽野さんの言葉に納得する。政治家の言葉をまともに聞く気にならない理由がちゃんと言われている。幼児性の有権者とそれに迎合する政治家というのが眼前にある関係だ。しかし、近頃は迎合する政治家に飽き飽きした有権者が増えてきたと思うが・・・。
(宮)

『お弁当』 5月から「お弁当づくり」が始まりました。定期的に、誰かのために(もちろん自分のためにも作ったことない)お弁当を作るなんて、初めてのことなので、毎朝悪戦苦闘しております。
お弁当のレパートリーも少ないことから始まり、慣れないからなのか、わたしにセンスがないからなのか、詰める段階になってもモタモタして、年少さんの小さなお弁当を作るのに、毎日気がつけば、1時間以上‥‥。
これから三年間、少しは上達するといいのですが‥‥。
(みなりん)
2011年5月20日
『ラジオ深夜便』 18,19の両日のラジオ深夜便は、ブラジルのサンパウロからの放送だった。明石勇アナが現地から放送した。日本との時差は丁度12時間で、番組の始まる午後11時20分は、サンパウロの午前11時20分。これだけでも結構おもしろい。明石さんが現地に到着するまで30時間かかったというから、地球の裏側サンパウロは遠いところだが、明石さんの声を聴いていると、日頃の放送で日本各地の情報を伝える電話の声とくらべれば、すぐそばにいるように近く感じる。変な感覚を味わった。(宮)
2011年5月13日
『四季から二季へ』 今年は春らしい天気にならなくて、真冬の寒さから真夏の暑さへ飛ぶ、気候の極端な変動が目立つ。体調を維持するのに苦労する。近年は夏期の異常な高温、寒くない冬、降るたびに記録を更新する雨などがが当たり前になりつつある。日本の四季がいつのまにか二季になってしまうというのは見たくもなし、経験したくもないが、ままならぬ自然のことで、どうなるか。新緑の鮮やかな緑は健在なので、せいぜい味わっておきたい。(宮)

『緑のトンネル』 夜、家路につくときに駅から元気に歩く。暗くてよくは見えないのだけれど、この季節の植物の成長には目をみはるものがある。どこの家の木々や草花もスクスクと育ち、我が家へと続く細い路地はその道の上にまでおおいかぶさっている。雲の切れまに見える月とその緑のトンネルを抜けると一日の疲れまで吹き飛ぶようだ。そうやって一人で道を歩くとき、なんとも言えない充実感に満たされる。暑すぎず寒すぎないこの気候の良い季節爽やかにすごすぞ!。(やぎ)

『父からのご褒美』 五月五日の子どもの日は上野公園での「上野の森親子フェスタ」を手伝わせてもらった。毎年この時期に行われるイベントだが、上野の寛永寺に父のお墓があるためお墓参りも私にとってはこの時期の恒例となっている。
この日もお手伝いの前に寛永寺のお墓参りを済ませた。出口に向かって歩いていると向こうからスラッと長身の男性が一人歩いて来る。な、なんと私の大好きな歌舞伎役者Aさんではないか!(海老さまではないぞよ)思わず「Aさん!いつも拝見させて頂いています!」と声をかけた。藤間紫さんのお墓参りにいらしたとの事。「今月は?」とお聞きすると「明日から六月の舞台のお稽古が始まります」とのことだったので、すかさず「それも観に行く予定です!」もうその後は舞い上がってしまい「頑張ってください」などという陳腐な言葉しか出てこず後悔するばかり…
それでもこんな偶然、亡き父が私にご褒美をくれたのだと涙が出るほど嬉しかった。父に感謝!感謝!
以前テレビで市川亀治郎さんが従兄弟の香川照之さんと偶然生まれて初めて会ったのが、この寛永寺でお墓参りをしていた時だったという話をしていた。寛永寺はパワースポットかもしれませんよ。
(むく)
2011年4月28日
『想定外』 想定外という言葉がすこぶる評判悪い。原発でいえば電力会社の都合のいい想定にもとずいて災害対策をしてきたということ。極論すればこういうことだろう。そのあげく、いいわけとして「想定外」といえば評判が悪くなるのは当然だ。
ところが想定をきちっとしたために、被害を食い止められたのが、ちかごろ報じられている岩手県普代村の防潮堤と水門の建設である。1967年と1984年に当時の村長が周囲の猛反対を押し切って建設したといわれている。どちらも高さ15.5メートルあり、その根拠は1896(明治29)年の大津波が15メートルあったということだそうだ。いつ来るかわからない災害のために当時の価格で36億円かかったという防潮堤と水門は、今回の大津波をくいとめて居住地区の被害はほとんど無かったというのだから、すばらしい。過去のデータがあっても本気になって使えば、役に立つというわけだ。もうひとつ、産経新聞にでていた遠野市の想定も見事だとおもう。内陸部にあるという条件を考えて、従来から臨海部が津波等の被害を受けたときの救援支援基地と位置づけて準備を重ねてきたという。このような、今後に活きる話を、マスコミは丹念に取材し、報道してほしい。
(宮)

『行動観察』 出版関係の若手(?)営業担当者が、勉強会と称して2ヶ月に一度夜の集まりをしている。殆どが交流会だが、電子ブックのこと、今後見越していきたいことなどのテーマなどが提供され私などは教えてもらってばかりだ。今回出版社Aの担当さんが週刊ダイアモンドの特集で、”知られざる「行動観察」の威力”をもとに営業に役立てられないかと提案してくれた。ちょっとした気づきと工夫で人はものを買う方向に気持がいくこともあるというのだ。そういった人間がもつ、行動をお客様の目からみて置き換える。お客様目線はどんな場合も大切だ。自分がお客になったときを想像してみると分かりやすい。スーパーなどもそうだと思う。レジまでの流れの中で人がくまなく動き回れる配置にしてあるお店ではやはりついつい買い物をしてしまうこともある気がする。売れない売れないと嘆くより出版社も書店も垣根を取り払って工夫して本を売って行けたらいいなあと思う。(やぎ)
2011年4月22日
『節電』 震災以来地下鉄の駅構内は照明を落として薄暗い。この状態がやがて照明器具の付け替えにすすんで恒久的な姿になり、後年「東日本大震災を機に公共交通機関や建物の照明についての考え方がかわり、今日の姿になった」と言われることになるのかどうか。しかしエスカレーターは動かすべきだと思う。いまのやりかたは、年寄りは外に出るなと言っているようなものだから。不必要な電気はやめればいいが、これは事情がちがう。事務所近くの図書館は「節電のため、平日は夕方5時で閉館し、土日は休館します」というが、節電を理由にしているがよくわからないやり方である。(宮)

『誕生日プレゼント?』 その近くにはドーナツ三個入りの袋と「ママへ ○○」というメモ書きが。ちょうど誕生日を過ぎたあたりだったので、これは息子からの誕生日プレゼントに違いないとわくわくしながら包みを開けた。中身は…鉄製の風鈴が入っていた。モスグリーンの釣り鐘のような形の物だ。渋い!渋すぎる!! 息子よ、母はもっとかわいらしい物が好きなのだよ!と苦笑しながらも何故風鈴?という疑問も…後で聞いたら「今年の夏はエコに暮らさなければならないだろうから」との心遣いだったらしい。ちなみにドーナツはおいしくいただきました。(笑)(むく)
2011年4月15日
『寒暖』 桜が満開になっても夜になれば真冬のような寒さが続き(八王子だからかどうかわからないが)、気候の異常さを改めて確認したところだったが、今日などは、外はじっとしていても汗ばむほどの気温だ。つまり寒くても暑くてもどちらにせよ異常気候というわけである。くわえて花粉症に苦しめられて、芽吹きの、見た目には実に美しい季節なのに、体感としては不快であり過ごしにくい。しかし自然相手のことだから、どう逆らったとてどうにもならない。頭を冷やして、順応する
しかない。
(宮)

『就職活動』 一番上の甥っ子がこの春から就職した。最近駅や電車でも新しいスーツを着た若者を沢山目にする。彼はさんざん落ちまくり、一年就職浪人?(最近は学校にもう一年在籍するのが常らしい)最後に大穴で「デンソウ」に就職が決まった。私は知らなかったけれど自動車部品メーカーではかなり有名な会社らしい。孫が「デンソー」に決まり、嬉しくて周りの人に話す彼のおばあちゃんであり、私の義母さんは「○○オがダイソーに決まったんですよ」と時折間違えて人に伝えていた。確かに「ダイソー」も大企業だが、そちらは100円ショップですよおかあさん!とついつっこみをいれたくなった。でも響きが似てるから間違えるのもわかるけど…。
新しい春が来てその弟の就職活動がはじまった。次男の○○アキだ。京都で就職したいのだけどと、しばらくは東京にこなかったがこの木曜日から東京での面接のために上京。我が家から通っている。昨日は1時間半も面接で色んな話をしたらしい。気に入らなければそんなに話もしないだろうからさいさきいいんじゃない?と家で盛り上がる。16時から17時半。ちょうど仕事が終わるころだと気づく。も、もしかして仕事終わりまでの暇つぶし?とそちらも笑いながら盛り上がった。○○アキ一言「もしそうだとしたら最悪じゃない?」そうだよね。そんな話をしながら20年前の自分を思い出すのであった。
(やぎ)

『続・コテコテの大阪体験』 大阪最終日は大阪城へ!大阪城公園というのはとてつもなく広い。そのまん中に天守閣があるのだが、四つある最寄り駅のどこから行っても20分くらい歩かなくてはならない。せっかく来たのだからと中国人や韓国人観光客でごった返すなか上まで登った。
天守閣の上からの眺めは絶景だった。大阪の街が四方に見渡せ、しばし「天下取ったど〜!」と秀吉になった気分。
もちろん当時の建物ではなく後世に建てられた物だが、お城というのはいいものだ。今回の旅行は親戚の家での温かいもてなしも受け、おいしい物もたくさん食べ、本当に楽しい時間が過ごせた。今度はどこへ行こうかと次の楽しみを考えている日々である。
(むく)
2011年4月11日
『飲食店』 事務所の近くにある店の栄枯盛衰の激しさよ、と思うことしきりだ。せっかくなじんだ店が突然閉店してしまう。そのままのこともあれば、じきにべつの店が開店することもある。継続することの大変さを感じさせられる。客の入りがあまり良くないことが分かる場合がある。地下の店で客が入りにくかったり、他店にくらべて価格が若干高かったり、店員の態度に問題があったり。とにかく毎日激しい競争が繰り広げられているわけで、各店とも智慧をしぼって生き残りをはかっているのが痛いほどわかる。なかでも料理の値段は、結局引き下げるしかないわけで、しかも料理の内容が落ちれば、客に見放される。がんばっていると頭がさがる工夫を凝らしている店もある。それに加えて今回の大震災で、節電が叫ばれ、夜早く帰途につく人が多い。今日も、「夜、生ビール半額」という看板を見たが、店の悲鳴が聞こえるようだ。(宮)

『いつの間にか春』 地震があり、心がザワザワザワザワしているうちに桜が咲き始め、いまや満開だ。どんな時も季節はちゃんと過ぎていくのだと少しだけほっとした。バカ騒ぎはしないけれど、こうやって静かに桜を眺められる幸せをかみしめてしまった。(やぎ)
2011年4月1日
『街の灯』 震災の影響で、至る所節電中だ。ビルに一歩足を踏み入れると真っ暗というところが多い。地下鉄に乗ると、ホームが薄暗い。以前、ニューヨークの地下鉄に乗ったときの印象を思い出した。あのとき感じた東京とニューヨークの地下鉄の違いは照明のせいだったと気づいた。当時、ニューヨークに比べて、東京の地下鉄は清潔で明るくて室内にいるような感覚をおぼえたのだ。夜になって、街の照明、商店のネオンや看板もだいぶ明るさを落としている。明るさの点で神保町がニューヨークの街と同じような雰囲気になっている。東京は、いままで明るすぎたのかもしれない。ビルに入ったとたんの真っ暗はやりすぎだと思うが、地下鉄や街の灯りは、以前のような明るさは必要ないのではないか。(宮)

『エネルギーの方法』 原子力発電所がない前のことを考えてみた。どんなふうに電気の供給を行っていたのだろうか。知ろうと思えば知る機会はあったはずなのに全然しらない自分がいたりする。現在の日本はほとんどのものを電気にたよった生活だ。原子力発電所で毎日電気が供給されているから電気が足りないことはなかったのだろうと思う。原発事故による恐さは映画やテレビでも何度も見て理解しているつもりだったが、自分の身近に起こりうることであると頭では理解していても遠いところで起こっている出来事としかとらえていなかったことに気づいた。恥ずかしいことだ。今回の地震で初めて核が身近にある恐さを初めて自分のこととしとらえた。
日本はどんなふうに変わっていかなければならないのだろうか?地震のあとに集まった夫の兄姉弟たちと話をした。原発以外の自然エネルギーはどのくらい可能なのだろうか。よく自転車をこいで電気を灯す実験が行われるが沢山こいでもほんとうにわずかの電気にしかならない。では他にどんな方法があるのだろうか?太陽、風力、水力の他に自分たちが動くエネルギーで発電できないだろうかという話までに及んだ。何かを動かすエネルギーは同時にエネルギーもくうけれど、逆にエネルギーを生み出すことはできないのだろうか?たとえば自転車はもとより、車のタイヤにもエネルギー発電機をつける、人の靴にも内蔵して毎日あるくエネルギーにはかえられないだろうか。一人の生み出すエネルギーはわずかでも全ての人から生み出されるエネルギーだったら少しは役にたたないだろうか?
計画停電があったりして、足りない電力を少しずつ節約したりするようになりみんなの意識が少しずつ変わり始めている。真っ暗なビルというのはなんだか行き過ぎだが、今までが過剰に明かりを使いすぎていたので蛍光灯の数をへらしてもいいだろうし、少し薄暗い街は海外のそれなりの都会とも変わらない。安全で継続可能である分量を確保できる電気を作る方法というのはあるのだろうか?今後の課題として日本中で考えられたらと思う。まずは福島の原発が落ち着くことを願わずには居られない。
(やぎ)
2011年3月25日
『世の中が変わった』 3月11日の大震災は、いまだに失われた人命の全貌がつかめないほどの激しくて巨大な自然災害だった。あの日以来世の中が一変した。事務所でも商店でも照明を落とし、駅ではエスカレータを停止し、・・・と数え上げればこれまで見たこともないような景色を、いまはごく当然のように受け入れている。
変わったのは見かけにとどまらない。例えば我が社では停電のせいでコンピュータ・システムがつかえず、仕事が遅々として進まない。東日本では同様の事態が広がっている。ようするに経済活動が不活発化せざるをえないのである。世の中が一変した。この危機的状況からどうやって抜け出すかが、いま最大の課題である。いろんなことを、これまでの延長線上に考えるのでなく、新たにスタートラインに立つ気持ちで考えなければならない。われわれのような零細企業といえども、直面している問題に違いはない。これまで抱えてきた多くの困難にさらに今回の大震災が加わったのだから、なおさら大胆な発想が必要だろう。だが、この零細企業にいったい何が出来るか?
(宮)
2011年3月4日
『花粉症の季節』 花粉症の季節が始まった。いよいよ時節到来で、目がかゆい、鼻水がでる。しかし、寒気がもどると楽になる。事前に医者にかかるということもせず、対象療法でいくつもりなので、去年の10倍などという花粉の猛威にどこまで耐えられるか?とにかく花粉に侵入されないことが大切らしいので、今年は例年以上にマスクを多用したいと思っている。今日たまたま通勤電車で隣に座った若い女性がやおら化粧道具をとりだして目や顔をつくりはじめた。ところが、しばらくしてくしゃみを2度、3度とくりかえし、ズルズルの鼻をこれまた幾度もティッシュでかんでいる。化粧するよりマスクをするほうがいいと思うが、すている車中とはいえ、あまり迷惑をかけないようになどとはせず、けっこう盛大に花粉症と闘っていた。(宮)

『100かいだてのいえ展』 久しぶりに連絡が来た友人が今「100かいだてのいえ展」にはまっていてもう3回もいっちゃった!との話を聞いた。私も好きな本だ。こんなに愛される本なんて本当にうらやましい!の一言だ。でもほんとうはちょっと悔しい。というのもこの本が出る前に我が社ではこういうふうに縦長開きの絵本(翻訳ものだが)を出していたのだ。朔北社のものは井戸の中におちたオオカミの話。この本がでたあとに何冊かこの縦長に開く絵本が出て結構話題になった。朔北社の本もあるのよ〜。ふか〜い井戸の深さを実感するつくりになっている絵本。うちが先に出したんだからね!といいたくもなる。ちなみに本の書名は『ポッチャーン!』(フィリップ・コランタン作 ふしみみさを/訳)だ。結局行った友人オススメの「100だてのいえ展」はとっても楽しかった。友人4回目私1回目の展覧会。周りに原画、中央にいわいさんちで子どもたちのために?作った段ボールの遊び物がならんでいる。いや、とっても凝っていて、パン屋などはちゃんとパンも一個づつ出してお買い物できるようなごっこあそびが楽しくなる代物だ。原画は家の住んでいる動物や虫ごとに絵になっていて細かいところまで面白い。最後までみていくとちゃんとその生きものたちストーリーがあとになってああ、こういうことか!と繋がる仕組みになっている。う〜む面白いこれはみんな虜になるわけだ。
構想している最中のラフ?メモ?がとくに面白かった。それにこの美術展大人100円というのも友人がリピート来場できた理由の一つだろう。なんて良心的なのか!
グッズのお買い物をしている最中の親子の会話。子どもがあれもこれもとねだっている。
誰かのお母さん「もう、入場料より高いじゃない!」ついつっこみたくなる私の口からは勝手に言葉が…「なんせ大人でも100円ですからね、安すぎですよね(笑)これより安い買い物は難しいかもしれないですよね」お母さん「そうですよねえ…」よけいなことを口にしてしまったと反省しつつその場所を後にした。
(やぎ)

『コテコテの大阪体験』 大阪生まれではあるが、大人になってから一人で大阪の街を歩いたことはない。今回は大阪らしい場所を巡って来た。まずはなんばグランド花月でよしもと新喜劇。一日四回も公演があるので当日券で大丈夫かと思っていたが、一週間前にネットで確認したらもうほとんどチケットがない。焦って購入できたのは朝いちの9時45分の回。当日は朝からすごい熱気だった。西川きよしなどのベテランの漫談や若手の漫才などの後に新喜劇。笑った後に少しほろりとさせられるのは新喜劇の定番か。
後でわかった事だが、観客のほとんどが大阪在住の人ではなく他府県の人らしい。やはりみんな大阪と言えばよしもとと思うのだろう。お昼にきつねうどんを食べ、その後は通天閣へ。駅を降りると目の前に通天閣が見えるのだが、そこまでの商店街がなんだかさびれた感じで驚いた。だが通天閣まで来ると登るのに50分待ちという混みよう。登るのはあきらめて、串カツ屋さんに入った。ビールも飲めないくせにお水だけ貰って串カツを注文。揚げたては美味!
では続きはまた次回。
(むく)

『幼稚園』 早いもので、もう3月。卒園、進級の月です。
子どもが、現在お世話になっている保育園は、東京都認証保育園。ほとんどの子が、3歳になる年まで通い、認可保育園や幼稚園に移ります。私が住んでいる地域は、それはそれは認可保育園の待機児童が多いところで、応募してもぎりぎりになるまで、入れるか入れないかわからない上に、入れない可能性が大きい。
いつまでも決まらず、もやもやするのも嫌だなぁ……ということで、早い段階で、保育園並の時間で預かり保育がある幼稚園に通うことに決めてしまいました。現在通ってる保育園から仲良しの子も含め10人近いお友だちが、その幼稚園に入園することとなり、子どもたちも嬉しそうだし、とりあえず、良かった良かったと思っています。
しかーし、そこは幼稚園。仕事をしてる親にとっては、なかなか大変なことがたっぷり。すでに、説明会やら何やら、平日に予定が入ることが多々あり、先が思いやられる(涙)そして4月からはお弁当です。大丈夫かな、私…。
(みなりん)
2011年2月25日
『地震』 ニュージーランドの地震のニュースを聞いて、これまであちこちで見てきたいろいろな景色が頭を駆け回る。今回のニュージーランドの地震は、マグニテュード6.3という。それにしては大きな被害が出ている。直下型ということがその原因らしい。伝統的な西洋建築は石を積み上げて造られるのだろうから、直下型地震に襲われたら、ひとたまりもないのだろう。
以前、会社のすぐ近くでビルの解体工事が行われているとかいたが、工事は、最終段階に来ている。遮蔽壁の間から工事の模様がみえるのだが、鉄筋の入った分厚い壁の断片はとても頑丈そうだ。耐震構造が研究され、法制化されても都市に存在する建築は長短さまざまな歴史を背負い、とうぜん耐震構造も区々にちがいない。すると、直下型地震に襲われたとき、弱点をさらけ出して、崩壊する建物が出てくるわけだ。壊れ方は実にいろいろで、阪神の震災では、文字通り粉々になった住宅をいくつも見た。いま会社が入居しているビルは関東大震災のあと、あの大地震に耐えられるビルとして建築されたという。はたして看板通りの強靱性を発揮できるかどうか、それは直下型地震に遭うまではわからない。
(宮)
2011年2月18日
『選挙結果の報道』 選挙結果の報道についていつも不満なのは、投票率をきちっとおさえたコメントが無いことだ。たしかに誰が当選したかが最も関心の高いテーマであるが、選挙結果の意味を考えるとき、誰が当選したかだけでは甚だ不十分な分析しかできない。例えば大きなニュースになった、名古屋市長選挙、愛知県知事選挙だが投票率は、それぞれ54.1%、52.5%である。当選した川村氏、大村氏の得票率は69.8%、49.2%である。すると有権者に対する得票率はそれぞれ38%、26%である。市民の圧倒的な支持をえているようなイメージの河村氏でも有権者の半分も支持していない。大村氏にいたっては、有権者の4人に1人が支持しているに過ぎない。近年の日本の選挙では投票率がとても低い。そういう状況を考えたとき、38%、26%という得票率は、有権者の高い支持の現れだということもできるが、他方、地方政治の激動がニュースを賑わしているにも拘わらず、投票率をみれば前回の選挙でそれぞれ50.1%、52.1%と今回の選挙と大きな違いはない。
有権者の政治意識がどう変わったのか、あるいは変わらなかったのか?相変わらず有権者の半数しか投票しないし、当選した2人は、得票率で1位になったということ以上の何が言えるのか、まずは基本的な数字を押さえて、冷静に選挙結果の意味を考えることが大切なのに、マスコミは、問題をとかく面白ろ可笑しくセンセーショナルに扱っている。名古屋市長選挙では開票速報で0.2%の開票率で、当選確実を言っていた。誰がこんな報道を期待するだろうか。選挙に限らず、ニュースのセンセーショナリズムは、いよいよ進行しているようだ。
(宮)

『一口坂ギャラリー』 2月の7日から市ヶ谷にあるギャラリーでヴァレンタイン企画で平日の9日間だけの展示販売をさせていただいた。その名も「9日堂書店」。絵本や児童書が大好きなギャラリーのオーナーさん。初めてそのような展示を何社かで参加させていただいた時には本を展示してギャラリーで売れるのかしら?と思っていたが、何年もの間にオーナーさんが培ってきたギャラリーのイメージと活動のおかげか、毎年クリスマスあたりにはしかけ絵本の展示販売をしておおいにお客さんが入るらしいし、そのときにも本をたくさん売って頂いた。朔北社といっても知っている人の方がまだ少ない。そんな出版社に声をかけていただくなんて、なんと心の広い!多くの種類の本を並べてお客さんにみていただく機会をもてることはなかなか一般書店ではないこと。ありがたいの一言だ。もちろん他の版元さんがやるときより渋い品揃えなので、集客はきっといつもより多くないだろう。でもお客さんの中には、見たこともないいい本がいっぱい!なんて言って下さると嬉しいの半分、複雑な気持ちにもなる。書店においていただくことの難しさや、見てもらう機会を作ることで売れるべき本は売れるのだということを実感する。
ゆっくり見て下さった方々、迷いながら本を選び、買って下さった方、絵本を愛してとても楽しそうにディスプレイしたり、朔北社の本を何冊も読み、オススメポイントを書いて下さったギャラリーのお二人には感謝、感謝である!
(やぎ)

『大当たり!』 ある日宅配便の不在通知が入っていた。息子宛だったので本人に電話をさせると「なんか大きくて重い物が当たったらしい。」と困惑顔。届いた荷物は…なんと本物のパチスロ台!雑誌の一等一名様の賞品に当たるわけないだろうとそれ程欲しいわけではなかったが応募したとのこと。それにみご大当たり!男二人でようやく二階の息子の部屋に運び、ただでさえ散らかっている部屋のまん中にどーんと鎮座ましますパチスロ台。電源を入れるとうるさい事この上ない。
今年の運を変な物に使ってしまったとしょげる息子。どうせ当たるならもう少しましな物にしてほしかった母。どうにかしてよ〜パチスロ台!!
(むく)
2011年2月4日
『締めくくりの曲』 ウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサートは、アンコールとして、「美しく青きドナウ」と、ラデツキー行進曲を演奏する。こういうやりかたは、いろいろあるもので、ヴァルトビューネのコンサートでは「ベルリンの風」が締めくくる。日本で同様のコンサートをするときには、締めくくりの曲は何だろうと、よく考える。ユーチューブで昔の曲を聴くことがあるが、個人のコンサートでも締めくくりの曲があることがわかった。美空ひばりは「人生一路」だそうだし、岡晴夫は「青春のパラダイス」だった。好みを言えば、「人生一路」はあまり、好きとはいえないが、ユーチューブで聴ける美空ひばりの数多くの「人生一路」のなかに、じつにうまい歌がある。歌のうまさで、曲が引き立つということがあると実感する。「青春のパラダイス」は、何十年も聴いたことがなかったので、懐かしく、歌謡曲のなかに名曲があると再認識した。ユーチューブをみると個人的経験とあわせて昔の名曲を聴いている人が大勢いるとわかり、うれしくなる。津村謙や、フランク永井の歌った曲のなかにもすばらしい曲があります。(宮)

『鍋三昧』 この時期我が家の夕飯は鍋料理のことが多い。最近はいろんな鍋のつゆが売られていて重宝している。定番の寄せ鍋に始まって、豆乳鍋、カレー鍋、トマト鍋、果てはカルボナーラ鍋などと言う物まで…(トマト鍋はおすすめ!)だが家族の帰宅時間はそれぞれ違うので、みんなで一緒に鍋を囲むということはまずない。一度にたくさん作っておいて、それぞれが温めて食べるという状態だ。
ところが先日の夜珍しく全員が揃い、しかも北海道土産の蟹がたくさんある絶好のタイミング!もうこれは蟹鍋でしょう、とワイワイ始まり、蟹をむくのに苦戦しながらもおいしいおいしいと全部たいらげ、そして最後は雑炊で締め。みんなでこんなのはものすごく久しぶりだねとしみじみ。そして全員共通の意見は「蟹っておいしいけど、すごく疲れたね」だった。
(むく)
2011年1月31日
『中国人店員』 神保町の中華料理店には大概中国人の店員がいるし、私が食料品を買うスーパーのレジの半分ぐらいは中国人だ。しかし、中華料理店のなかには、客がいても平気で店員同士が大声でしゃべるのがうるさくて足が遠のいた店もある。また、レジの中国人の達者な日本語には毎度感心している。こうして多くの中国人と日常接触しているが、なかでも、とりわけ感心しているのは、近くのコンビニの20歳前後の女性店員だ。元気が良くて、入っていくと顔をみてちゃんと挨拶するし、レジの処理の時も、お客本意に細かく気がまわる。マニュアルどおりと言うのではなく、「仕事を楽しくやってます」という気配が、体からごく自然にでている。この人がいるとこちらも気持ちが明るくなる。 やはり、仕事は楽しく、しかも自発的にやることが大事なのだと思った。(宮)

『淋しいけれど』 退職…だれもが一度は体験することだ。送る側もあれば送られる側もいる。先日おつきあいのある会社の大変お世話になった方が退職するというので労う会に参加させていただいた。20代からのおつきあいで早15〜16年。当時は今の私と同じ世代だった筈の人をこうして送ることとなるのはなんだか不思議な気がするものだ。切磋琢磨できる関係というのは大切だなあと思う。会社の大小でなく、商品に対する想いや、情熱で一緒に喜んだり悲しんだり、工夫したり。ときには対立したりできることのありがたさを思う。それにしてもこうして沢山の人が集まって笑顔がいっぱいの会とはなかなかないなあと思う。私の心は、しみじみと、退職されるSさんに感謝の気持ちでいっぱいになった。(やぎ)
2011年1月21日
『ビル解体』 職場のすぐ近くで、3,4年使われずに放置されていたビルの解体工事をしている。半年ほど続く。周囲をすっかり覆っているし、3階のあたりにはに庇がグルリとまいているから工事の様子はわからない。1階に造られたトラックの出入り口から頻繁に瓦礫を運び出しているのは見えていた。たまたま道路の反対側を歩いているとき解体中のビルを見たら、なんと大分背が低くなっていた。一番上の階から壊しては1階から瓦礫を運び出していたわけだ。そして、ビル上部の空がすこしずつ広くなっていく。考えてみれば周辺の建物や住民に迷惑をかけずに解体するには、まことに穏当なやりかただと納得した。テレビでときどき見た、ダイナマイトを使って一気に建物をつぶしてしまうアメリカのやり方とはまったく違う。もっともアメリカで、ビル解体工事をすべてダイナマイトでやっているのかどうか知らないが・・・。(宮)

『やさぐれキティちゃん』 京王線のドアの注意書きのキャラクターはキティちゃんだ。キティちゃんが横を向いて手を挟まれないようにとかの注意がうながされている。朝いつものようにドアをみるとキティちゃんの顔半分がすけている。よくみると誰かに似ている。ああブラックジャックだ〜と一人でみながらニヤリ。ご当地ものなど、さまざまなキティちゃんが世の中に溢れているがこのたまたま禿げてしまった顔半分、透明なキティちゃんが、なんだかとっても愛おしく思えた朝だった。(やぎ)

『今年もよろしくおねがいします』 2011年、初めてのロバ耳となりました。すでに、もう1月も後半となり、この調子でいくと、あっという間に1年が経ってしまいそうです。年末に充実した一年だったと思えるよう、ひとつひとつを着実に、一歩一歩前に進めるように、仕事をしていきたいと思います。がんばります。(みなりん)

『辛そうで辛くない少し辛いラー油』 こんなネーミングの食べるラー油が売れているという話題をテレビで見たのは、もう半年以上前だっただろうか。さっそくスーパーで探してみたが、どこも売り切れ。結局いつまでたっても店頭に並ばず、そのうち他のメーカーでも似たような物を売りだした。一応買ってはみたもののそれほどおいしいとも思わず、どうしてそんなに人気なのか不思議だった。先日やっとのことで「辛そうで〜」を購入することが出来た。
ご飯に乗せて食べてみると…「お、おいしい!!」
具に入っているフライドガーリックがなんとも香ばしい。やはり本家本元は違うのね〜と妙に納得。
それにしてもラー油を食べるという発想とこのユニークなネーミング、考えた人はすごいですね!
(むく)
2011年1月7日
『富士山』 年末年始、東京は冬型の気圧配置で比較的天気がよかった。京王線が多摩川を渡るとき上流左手の奥に富士山が僅かに顔を見せている。普段はどんよりとした空のせいで見えないことの方が多いが、冬場は、気をつけていると見ることができる。それに多摩川の水の色が青ければ言うことなし。車中で雪を被った鮮やかな姿が見えると、思わず隣の乗客におしえたくなるが・・・。高層建築が多くなり、富士山がみえる場所がずいぶん少なくなってしまったが、今でも見えるいくつかのポイントを、天気がよければ見てみる。(宮)

『新しい年』 2011年となった。はたちから20年。なんだかそんなにたった気がしないが時は確実に流れているのを感じる。年があけてグッと寒さが厳しくなってきたが、これも春の一歩手前と思いじっとたえ、春を迎えようと意気込んでいます。仕事もまた同じ。工夫しながらない頭をひねりよいアイデア(妄想だけにとどまらず)と、軽いフットワークで1年を過ごしたいと思います。今年もどうぞよろしくお願いします。(やぎ)