日本の近代音楽史に変わらぬ興味を保ち続けているが、これまで読んでみたかった、あるいはこういう捉え方もあるのではあるまいかと思っていた立場の本にめぐりあった。要点は次のようなことであろうか。近代になって西洋音楽が入ってきたとき、あるいはその後しばらくの間、洋楽渡来以前の音楽家は、あるいは音楽に関心のある人々は、問題をごく単純化して言えば、大きく二つの立場に分かれた。ひとつは結局のところ西洋音楽は本場のそれに尽きる、したがっていかに本場物に近づくかが重要である。そして我々日本人はわれわれの音楽、つまり伝統音楽を大切にすべきである。もうひとつは西洋音楽と伝統音楽をぶつけて新しい音楽を作り出そうとする。この立場は具体的には例えば和洋合奏と言われた音楽になった。そして、歴史的にみれば、否定され、今日では第一の立場が勝利をおさめた。このような歴史的経過にもかかわらず、本書は第二の立場をもういちど見直して、音楽のあらたな可能性を探ろうとする。本書はじつは音楽にとどまらず、日本の近代文化の変遷を視野に入れて、外来文化と遭遇した様々な文化領域の様々な反応、可能性を問題にしているのである。音楽にかぎってみても二つの立場に還元しきれない動きがあるのは事実だが紆余曲折の後、本場のものと伝統のものに純化していく傾向があるのは否定することができない。ことはいわゆるクラシック音楽に限らない。著者は宝塚歌劇の歴史に、第二の立場に立った、いろいろな試みを丹念に追っているが、これは実を結ぶことは出来なかった。別の例を挙げれば、戦前から昭和30年代ごろまで栄えた歌謡曲は10年から20年のあいだに、ロック、ポップスと演歌に分化してしまった。文化の歴史を考えるときの、示唆するところ多いものの見方を提示してくれる本である。(文:宮) |