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「王様の耳はロバの耳」(2025)
 
2025年1月31日
『道路陥没』  埼玉県八潮市の道路陥没問題で、ニュースに県知事の談話が取り上げられた。なるべく水を使わないようにという趣旨の発言だったので、驚いた。日常生活を水なしで出来るわけないのに、知事がなんという発言をするのかと思った。ほかに言うべきことは無いのか?知事は事故の現状を説明し、どんな対策を取りつつあり、その中で市民にどのように対処して欲しいのかを、きちっと話したのだろうか。ニュースではそのへんがさっぱりわからなくて、知事が無責任な発言をしているのか、そうではなくて、ニュースの伝え方が知事の発言の大事な部分を伝え損なっているのか、よくわからない。このような大きな事故で、住民に甚大な影響を及ぼす問題を、住民にどのように伝えるべきなのか、行政とメディアの両方とも問われている。最近ますます増えているように感じる地震に関しては繰り返し経験してきて、伝え方が改善されたと思うが、道路陥没などというこれまでにあまり経験してこなかった問題では、ニュースに戸惑うばかりだ。(宮)
   
2025年1月24日
『ラデツキー行進曲』  ウイーンフィルニューイヤーコンサートの最後に演奏されるのはラデツキー行進曲。長年聴いてきたので、新鮮な喜びを感じることがなくなったようだ。この曲を聴いて思い出すのは、毎年秋に行われていた小学校の運動会の終盤で流れてきた行進曲を、なんて軽快で調子がいいメロディなんだろうと思って聴いていたことだ。1度だけでなく年を越しておなじ小学校の運動会で、またこの曲だと思った記憶がある。当時の教師の誰かが、この曲を使っていたのだろう。聴いた当時はもちろん曲名など知らないで聴いていただけだが、それが後にラデツキー行進曲だとわかった。
 すこし靄のかかった夕暮れの運動場に流れていたラデツキー行進曲を懐かしく思い出す。
(宮)
   
 
『生きた言葉を』  テレビの報道やニュースを見る度に思うことがある。生きた言葉が聴きたいと。何か事件があり、政治家や、その会社の責任者が話す言葉への違和感。特に近年何代かの総理大臣になった人たちの話す言葉やその周辺の人たちが話す言葉に「形だけ」を感じ、心が入っているのだろうかと疑問を持ってしまう。気持ちが伝わってこないというのが一番つらい。「で、立場上の言葉ではなく、あなたの本当の気持ちは?」と迫って聞きたいくらいだ。あなたの今話す言葉の中にあなたはどのくらいいるのかと。

 私たちは全てのものに上手(うま)さを求めるわけではない。私たちは完璧を求めているわけではない。音楽、作品、文章、話す言葉の中にその人がいて、その人が表現したい何かに心動かされるのではないだろうか?本当に伝えたいことが伝わらない演説はただの音でしかなく、その言葉に人は動かされない。目を向けていなかったのにその言葉が生きていたら、はっとして手を止めるのではないだろうか。無論、その言葉を聴こうともしないで、届かないこともあるだろう。使い古された言葉は悪いわけではない。しかし、問題が出てくると判を押したように「誠に遺憾です」や「痛恨の極み」「不徳のいたすところ」とみんなが口にすることの違和感はなんなのだろうか。人が違えばもっと違う表現もあるだろうに。定型文のように感じてしまうのは今話すその人の心がそこにのっていないからなのではないだろうか?もし同じ言葉であってもその人の心からの言葉なら聴こえ方が変わるのではないかと日々言葉について考えてしまうのであった。もちろん聴く側の気持ちも大いに関係するのだろうけれど。(やぎ)
   
2025年1月17日
『阪神・淡路大震災』  阪神・淡路大震災から30年もたったということに驚く。自分の当日の行動をつい昨日のことのように思い出す。八王子の自宅で17日の明け方、兄の次男の電話で目を覚まされた。甥の声が普通でなかったので、朝っぱらからふざけているのかと思った。兄夫婦は倒壊した建物にとじこめられ、兄は呼びかけても返事がない、兄嫁は呼びかけに応えている、ということだった。家族が災害に巻き込まれたわけで、私は、それからすぐに現地へ行くことを決めた。当時、東京の大学に通っていた、兄の長男と一緒に行くことになった。
 朝9時頃には自宅を出発したが、兄一家が住んでいた西宮で、助け出された兄嫁が入院している病院にたどり着いたときには、18日の午前1時を回っていた。それから亡くなって、警察署の地下駐車場に寝かされている兄と対面したのだった。その後の数日間、さらに暫くの間、数々の忘れがたい経験をすることになった。
(宮)
   
2025年1月10日
『年を重ねる』  大勢の人が集まる街なかに出たとき、ある感覚を意識する。
 渋谷、新宿、いやもっと小さな街でも、街なかに出ると、何十年前も今も赤ん坊から老人まで、実に様々な年齢の人の姿が目に入ってくる。都会とはそういうもので、ヴァラエティに富んだ人たちが存在している場所だ。そして考えてみると、例えば70年前には子供の目で様々な年代の人達を見て、いろんな人がいるなあ、だけど自分は子どもの仲間だと思い、60年前には学生の目でみて、いろんな人がいるなあ、だけど自分は20代の若者の仲間だと思い、40年前には壮年の勤労者の目で見て、いろんな人がいるなあ、だけど自分はああいうサラリーマンの仲間だと思った。今は老人が増えたといってもやはりヴァラエティに富んだ人たちがいるじゃないかと思って見ている。そしてたしかに、いつでも、眼の前には、赤ん坊から老人までヴァラエティに富んださまざまな人たちがいる。ただ当たり前だが、自分の属する仲間の年代はちゃんと変わってきた。いつもヴァラエティに富んださまざまな人が存在しているけれど、自分はその中で世代の進行にしたがって属する仲間が変わっていき、やがてこの世から消えていくが、街なかのさまざまま人々の姿はいつでも変わらず、ヴァラエティに富んだ景色を見せているのだろうと思う。
(宮)
   
 
『今年もよろしくお願いします』   新しい年が明け月曜日から仕事始め。去年は、春先に前触れもなく襲ってきたぎっくり腰から始まり、なんとも50代半ばにさしかかる年齢を意識する一年だった。年末年始は間違って頼んだアメリカンサイズの冷たいドリンクをムリムリ飲み干したあとまんまと久々の風邪をひき、現在も若干年末からの風邪をひきずり気味である。今年は、去年の二の舞にならぬよう、無理のない範囲で人生を楽しみたいものだ。自分自身の心と体に問いかけながらなんとか元気に過ごしたいと思う。そんな年齢の山を自分の中に感じるものだから年上の先輩方がきびきびと日々を過ごしているのをみるとなんだかとても恥ずかしくなる。なぜあんなに軽やかに動き、楽しそうにできるのだろうか。まだ私はたったの50代半ばなのだ。90歳や100歳の元気なお年寄りたちが沢山いる昨今。彼ら彼女らに出会うたび、あんなふうに年を取りたいなと思う。さて、この一年もぼちぼちとがんばっていこう。(やぎ)