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「王様の耳はロバの耳」(2023)
 
2023年12月29日
『2023年から2024年へ』  今年はウクライナ戦争に加えてガザでイスラエル・ハマス戦争がはじまった。この他ミャンマーの内戦やアフリカの数カ国も内戦状態にある。世界規模でみると、戦争が絶え間なく行われ、人が殺されている。ウクライナ戦争とガザ戦争は大国を巻き込んで世界戦争の危機すらはらんでいる。人間は本当に懲りない生き物だとおもう。
 国内では、ジャニーズの性加害問題、木原事件、自民党派閥の裏金問題、普天間基地建設問題など不祥事が次々起きた。どの問題を取り上げても、政府の無能力、無責任が顕著で、気持ちが落ち込む。
 新年はどんな1年になるか?国内問題は一向に解決どころか改善される見通しが見えてこない。国外はどうか?選挙の年でアメリカ、ロシアの大統領選挙があるが、これまた明るい見通しが持てるような動きになっていない。
 暗い見通ししか持てない中で、仕事は一歩一歩着実に進めていく考えに変わりはない。そして、せめて仕事で少し明るい見通しが持てると好いのだが。
(宮)
   
 
『時の過ぎゆくスピード』  今年もあと数日で終わろうとしている。年間は365日で毎年その日数はほとんど変わることがないのに、こんなにも感じる速さが変わるのはどうしてなのだろうか。それがいいことなのかわるいことなのか。楽しい時間はあっという間というが、あっという間なのは楽しかったからなのかと考えてみるが、振り返ってみてもそれだけでもない気がする。悲しいのは、時折、今の季節を見失ってしまうこと。気候がおかしくなっているせいもあるが、頭が何か一つのことでいっぱいになってしまうとき、一気になにかをしなくてはならないときにそれが起こっているように思う。そんな時はカレンダーをみて確認する。今が何月何日で今の季節は春なのか、夏なのか、秋なのか、冬なのか。情けない。

 このまま文明がスピーディーに進んだ先で、私たちは幸せなのかと時々考える。経済が回ることが本当に大切なことなのか?ただ生きていることが幸せ、今日もご飯が食べられて幸せ、今日もだれかと話ができてしあわせ…そういう幸せでいいのになと思う。私は時々、お金を持たないことに後ろめたさを感じてしまうことがある。そんな気持ちを経験をしたことがある人はいるだろうか?お金のあるなしに関係なくもっと自由にどこにでも行けて、誰とでも対等に付き合えたらいいなぁと思う。なんとなく同じ立場の人はかたまりやすいが、もっといろんな人が混じり合ったら人生もっと出来ることが増えそうな気がする。年齢も、職業も、立場も、障がいのあるなしも、人種も、宗教も。初めは理解できないこともあるかもしれない。けれど、知って学ぶことは出来る。知るから考えられる。想像できる。知らないと想像すらできない。今の私は残念ながらまだ、お金に惑わされている。そしてお金に惑わされているうちはだめだなと思う。かといって今それなしに生きることができないのも現実だ。それでも時の過ぎゆくスピードを意識して落としてみたい。出来るならば。
 スピードを落として見える景色はどんなだろうか。それ以上、スピード落としてどうする?と周りからは言われそうだが…。(やぎ)
   
2023年12月22日
『裏金問題(続)』  自民党派閥のパーティー券裏金問題はなお進行中である。この問題の展開と様々な取材、報道の進展につれて、政治資金規正法がどんなにザル法で立件するための道具として甚だ不完全な法律であるとしても、考えるためには役に立つ沢山のきっかけが明らかになってくる。この点が、ジャニーズ問題との大きな違いだ。例えば西村前経産大臣の収支報告書には、お土産代がやたらと沢山でてくるし、ホテル等で1日に6回の飲食代が出てくる。派閥所属議員の収支報告書への不記載は派閥の指示だったとか、「喋るな、喋るな、これですよ!」といった内情暴露発言も出てくる。
 手がかりが存在し、かつ刻々事態が展開していくと、問題の内容と意味がますますはっきり見えてくる。にも関わらず当事者である自民党の首脳陣は、問題の性格を的確に認識できないまま、トンチンカンな対応を続けている。
 私が今注視しているのは、与野党を問わず、一人ひとりの国会議員がどんな対応をするかということだ。従来の国会議員の活動から、あまり期待は出来ないと思うが、それでも今回発覚した不祥事に触発された行動が何か出てくるのではないかと考えている。
(宮)
   
2023年12月15日
『裏金問題』  政治の世界ではいま、派閥のパーティー券から発生した裏金問題が内閣の存在を揺るがしている。郷原信郎弁護士によると政治資金規正法はひどいザル法だそうだが、それでも刑法はじめ他の法律もあり、手にしたノルマ以上のパーティー券売上を使って合法的にやれることには制約がある。裏金にすることはまず絶対してはならないことだ。数千万円単位の裏金を所有して、好き勝手に使うことが合法的であるはずはなく、普通の感覚があればやるはずはないと思うが、安倍派の政治家はそういう思考、行動をしないらしい。上から指示があれば、収支報告書に記載せずに自由の使ってきたらしい。パーティー券売上から作られた政治資金の処理方、使い方として、疑問を持って問いただす政治家はいないのだろうか。あるいは自身の行動としては裏金にせず、きちっと記帳し合法的につかうこともできたはずだ。派閥によってはそういう対応をしたところもあるらしい。100人近い安倍派の一人ひとりの議員の頭の中が問題だ。派閥の問題になっているが、組織の問題である以上に一人ひとりの議員の判断こそが問題ではないか。(宮)
   
2023年12月8日
『永山』  マイナンバーカードを作るために永山にある多摩市役所の永山マイナンバーカードセンターに行った。バスで行ったが、丘陵地帯に作られた街だから分かりにくい。あちこちに地図はあるが、現実の建物・道路と地図が関連して理解できないのだ。かなり余裕を見て出掛けたのだが、それでなんとか遅れずに辿り着けた。
 用事を済ませて外に出るためには一旦建物の4階まで行かなければならない。建物の構造がよくわかっていないので、4階までいっても出口がわからない。こんな複雑な構造のまちでも慣れてくれば、楽々と動き回ることが出来るようになるのだろう、周りの住民はのんびり、困ることもなく動いている。帰りのバス停を探したが、見つからない。すんなりたどり着くことが出来ない。すぐ迷子になる。
(宮)
   
 
『世界でたった一足の靴下』  少し前のこと。いつもお世話になっているgamouあかね.yaさんで絵を描くとなんと1500円でオリジナル靴下を作ることができるというワークショップに参加した。ワークショップといえどそこにあるのは絵を描く道具と紙と、出来上がった靴下の見本が置いてあるだけ。自由に来て絵を描いてお金を払い、お店の人に渡して帰る。
 その日は靴下会社のお兄さんが立ちあっていて、参加者にこういうふうに描くと見栄えがするよなどとちょっとアドバイスしてくれていた。選んだ紙の色が靴下の地色になる。描いた絵は、靴下会社のデザイナーさんが間に入り仕上げてくれるという魅力的な企画だった。初めは、自分の絵を靴下にしたところで恥ずかしいだけかなと思い参加する気はなかったが、カフェで本を売らせてもらいながらのんびり座っていると時々人がやってきてそこで絵を描き始め、楽しそうに仕上げていく。ある人は「家で描いてきた!」と意気揚々とその絵を見せてくれて、それはそれはもう店内が幸せな雰囲気に満ち溢れているのである。あれ?私もやりたくなってきたぞ?むずむずしてとりあえずやってみようと取り掛かる。子どもたちも2~3人がお父さんやお母さんと一緒に絵を描いている。そしてその場にあかね.yaさんで個展中の芸大生さんもやってきて描いてほしい絵をリクエストすると描いてくれるという。彼女の絵をそのまま靴下のデザインにする人もいるのだとか。わぁうまいなぁと横で食い入るようにみながら、自分が描ける絵を描いた。
 出来上がるのはクリスマス頃と聞いていたが、なんと先日できたよ!とお店のInstagramからの報告。動画が参加者たちの作品?を流してくれたので目をこらして探す。あ!あったあった!出来上がったそれはとてもかわいく仕上がっていてとても嬉しくなった。近所の人たちは次々引き取りに現れたそうだが、我が家はちょっと遠いので取りに行くのは少し先になりそうだ。思いがけない自分へのクリスマスプレゼント、世界にたった一足が出来てきた!嬉しいなぁ。(やぎ)
   
2023年12月1日
『乗せてくれないバス』  都合で、いつもの通勤時間ではなく、昼間に近い時間にバスに乗ることになった。昼間なのでバスのくる間隔が延びている。自宅を出て、 間に合うかギリギリの時間だったが、バスがきて乗客の乗り降りが見えたので乗るつもりで小走りした。バスの後部まで辿り着いたときに扉が閉められたので、手を降って合図し、ドアの前に立った。もちろんバスは走り出してはいない。こういう状況で、扉が開けられるかと思ったら、扉は開かれずにバスは走り去った。不親切な運転手に当たったわけで、一瞬ムカムカしたが、これまでもそういう体験をみずからもし、車中から見てきたけれども、現実にこの場面にぶつかると思わずムカムカして、そのあとで自分の反応に苦笑いをする。(宮)
   
 
『可哀そうな菊』  学生時代の友人と時々会ったり電話をしたりするのだが、その時に当時の話になることがある。先日急に寒くなり菊の話になった。その友人とは高校2年生の頃一緒に菊の係をしたことがあった。菊の係とは文字通り菊の栽培をする係の事。秋に食堂や講堂などに飾る花を育てるのだが、もっとも大きな役目としては10月末に亡くなった創立者の一人の墓参り(キリスト教系の学校で墓前礼拝といった)の時に飾る菊を自前で育てるということにあった(たぶん)。私は外で育てる菊の担当だったのだが彼女はビニールハウスの中の電照菊の担当だった。当時の話をしていたら彼女がこんなことを言った「電照菊ってほんとやだったんだよね。だってさ、日照時間が短くなると花を咲かせる菊の性質を利用して、人工的に光を当て無理やり咲かせるんだから可哀そうだなってずっと思ってた」というのだ。当時はビニールハウスの中で光の管理などをする電照菊の係こそ菊の係の中でも花形と思っていたので驚いた。育てていた当の本人がそれを嫌だと思いながらやっていたとは!私自身もその仕組みをきいて時折、菊に季節をだまして咲いてもらうなんて悪いなと思わないではなかったが、彼女がそのことに不自然な気持ちを募らせて菊が可哀そうと思っていたことを当時知らなかった。そんな彼女がなぜ電照菊の係をしたんだろう?と思わないではなかったが…。

 そんなこともあり今自分が生きていることについて様々な思いが湧いてきた。人が様々な経験から想像して実験し培ってきた技術は私たちの暮らしを豊かにしてきたはずなのに、どこか動物や植物に無理をさせているのではないかという疑問だ。いやきっとそうなのだろうなと思う。年間通して出荷可能になったことで私たちは花を楽しませてもらっている。花のない季節にも咲いてくれる花にどんなに癒されてきただろうか?何を豊かというか?何かが不自然であることで得られる便利は豊かなのか?彼女の言葉を聞きながら昔感じたチクチクした思いが蘇ってきた。外で育てた雨風をうけた菊のそれよりも透明感があった記憶の電照菊。いろんな意味で「自然と共に生きる」をしにくい今、自分に何ができるのか考えこんでしまう会話だった。(やぎ)
   
2023年11月24日
『Jアラート』  21日夜、テレビ画面が突然切り替わって、「Jアラートが発出されました」とアナウンサーが発言した。北朝鮮が「軍事偵察衛星打ち上げ」と言ってミサイルを発射したというのが理由だ。このミサイル発射に対して、安全な建物のなかか、地下に避難しろ、建物の中では窓から離れて頭を守る姿勢とれなどの指示を具体的に細かく、くりかえしくりかえし放送した。馬鹿馬鹿しいとしか言いようのない内容だ。チャンネルを変えてもそれぞれの局で同じ内容の放送をくりかえしている。呆れ、恐ろしくなった。テレビ局が独自の判断でニュースを放送する姿勢が全くない。
 ミサイルは日本を目標に発射されたものではないし、飛翔軌道も発表されているので、日本に落下する確率は極めて低いことは明らかなのに、こういう発表をする。政府の世論誘導でしかない。この種の政府発表を各局揃って、オウム返しに放送することの意味、罪深さをテレビ局は考えなければならない。
(宮)
   
 
『図書館のYAコーナー』  子ども時代勉強らしい勉強をしてこなかった私。未だに知らないことの方が多く、日々様々なことに驚き学んでいる最中だ。50の手習いとはよく言ったものだが、生まれてから死ぬまできっと新たな学びは日々更新されていくのだろうなと感じている。
 先日借りたい本があって図書館に行った。ざっくりと検索し、その本はYAコーナーにあることがわかりコーナーまで行くが、内容からこのあたりにありそうだと思って探すがちっとも探し出せない。でもそのおかげで収穫があった。小説以外の各ジャンルの本をくまなく見ているうちに知りたいことが書かれていそうな本を何冊も見つけることが出来たのだった。日々感じている疑問や、興味の先について10代の子どもから大人になろうとしている子どもたちのために作られた本は、なんともわかりやすい言葉で書かれている。これこそ、私にひつような本なのだと気づいたのだった。図書館の一角にある数少ないけれど凝縮したコーナーにこれでもかというほどに私自身の好奇心をくすぐる本があふれていたのだった。4-5冊の本を手にもってはっとした。本当に借りたかった本の目的を果たさなければと検索機に向かった。もっとくわしく、どの棚にあるか確認しなければということだった。調べたらなんのことはない、岩波ジュニア新書で、ジャンル分けではなくジュニア新書のコーナーでまとまっていたのだ。後日このジュニア新書何冊あるのかと岩波書店のホームページを見て見たら984冊のデータがあるようだった。すごいな。もしも1日1冊読むとしたら3年近くかかりそうだ。全部読んだら世界がどんな風に見えるかなとちょっと気になったが、すぐに現実に引き戻され、そりゃ無理だなと思う軟弱ものの私だった。(やぎ)
   
2023年11月17日
『新唐詩選』  仕事で外出するとき、車中で読む本を持っていくが、急な外出で本を持っていないことがある。そんなときのために『新唐詩選』(岩波新書)がいつもカバンに入っているが、近頃はあらかじめ用意した本があっても『新唐詩選』を開くことが多い。高校時代に友人に教えられて読んで以来幾度読み返したか。くりかえし読む数少ない本の1冊だ。約1300年ほど前の詩なのに、人の気持はどんなに時間が離れていても変わらないものだと感じるが、それには吉川幸次郎さんの解説のちからも大きいのではないか。瑞々しい文章の息遣いに惹きつけられるが、本書執筆の頃は吉川さんは50歳になっていないのに驚く。
 思いついてネットに投稿されている読書感想文を読んでみた。70程前に出版された本が読み続けられていて、感想を寄稿する人がいるとわかったが、一見取っ付きにくい漢詩の本を、楽しんで読んでいる人がけっこういるのだ。また杜甫、李白、王維の詩が好きだという人が何人もいたので、同好の士が居ることがわかり嬉しくなった。手持ちの本は、昭和36年に刊行された26刷で、紙質もよくなくて軽いからカバンのなかで邪魔にもならず、ひとときの楽しみを味わわせてくれる良き友だ。
(宮)
   
 
『自動貸し出し機』  今の家に引越してから4年半が経つのだが、先日住んでいる市内で初めて図書館貸出カードを作った。なんとなく会社の近くの図書館で事足りていたため作りそびれていたのだ。

 最近通っている歯医者に行く途中の市の施設の中に中央図書館があるのは知っていた。案内を見るところによると、どうやら開館時間が21時までとのこと。これなら会社帰りにもゆっくり使えそうだ。しかし21時までやっているのをいいことに歯医者のあとに貸出カードを作ろうと窓口に行くと、登録業務は19時までという。システムの問題だろうか?なんとまぎらわしい。そんなわけでそれから数週間後ようやく、会社を早めに上がって歯医者の前に寄って図書館カードを作ることができた。

 今週初めて、説明にあった自動貸し出し機なるものに向き合う。図書館で自動貸し出し機などという物を見たのは初めて。いや~驚いた。機械には貸出カードを読み取る部分があり、その前の台に本を載せるよう書いてあった。ちょっとその表現に違和感を覚えつつ。その台に選んで来た本を置き、貸出カードをかざした。すると…なんと、いやなんと…(2回言いたくなる)いきなり機械が動き出し、置いた4-5冊の本のタイトルと返却日が印字されたレシートのようなものが機械から出てきたのである。当然スキャナーで自分でバーコードを読み取るつもりだったのに。でも置くだけ。自動とはこういうことだったのだな。ほんとにすごい。でも一方で心の中には複雑な思いもわいてしまうのだった。他愛ないやりとりではあるけれど、何日までにご返却下さいと、図書館員さんが本にポンと挟んでくれる返却日がハンコで押された紙切れと、手から手に本が渡されるときのちょっと嬉しい気持ちはもうやってこないのだろうかと。便利と引き換えに何かを置き去りにしているような気分になるのは昭和生まれだからなのかな?思えば本の後ろについていた、図書カードで何人がこの本を手にしたのかわかるのも好きだった。その前にいつ頃借りられたとか。想像できるロマンを感じたいのかもしれない。ロマンは遠ざかり、便利がそれに取ってかわった。(やぎ)
   
2023年11月10日
『国債によって賄われる減税』  岸田首相が、過去2年間の税の増収を国民に還元するために減税するという。しかし鈴木財務大臣は、国会で増収分はすでに使用されてしまったと答弁した。来年6月に予定されている減税は、国債を発行して賄うのだそうだ。こういう辻褄の合わない政策に与党の中から異論、批判の声が上がってこないのが、毎度のことながら、深刻な状況だと思う。こんな政策に対して、閣内から批判の声が出てこないのだろうか。今のところ辞任する人は一人も出てこない。アメリカやイギリスとの違いだ。
 日本政治の現実では、明らかに矛盾した事柄を、矛盾が表面化しないような理屈によって説明して、矛盾した事柄を正当化出来たような話にする。批判を何処かにしまい込んで、誰も責任を追及しないし、責任を感じない。言葉が本来の意味を失った使い方をされている。言葉の本来の意味が失われている。言葉と行動が別々に動いている。「任命責任を重く受け止めています。」といっても、現実には何もしない。何も変わらない。
 この様な動きが続いていると、政治に対する無関心がますます進行する。
(宮)
   
2023年11月2日
『死なないでね』  昨年は、身近な親族が亡くなった。妹婿と甥。長い闘病生活はその家族に深刻な影響を及ぼした。いま1年ほど経って、少しずつ平常生活を取り戻しつつある。もちろんその間にも日常生活にはつぎつぎ色々なことが起きる。子どもが小学校に入学して、新しい生活に馴染もうとしている。集団生活の中で新型コロナに感染し、夏なのに風邪をひく。生きているというのはそういうことかとも思う。共働きの息子夫婦の子どもが風邪をひいて急遽応援を頼まれた妹は、数日間出かけた。そこにいる2人の孫娘はとても喜んで、そばを離れようとしなかったそうだ。そして、元気になった孫のもとから帰ろうとしたときに、「おばあちゃん、こんどわたしたちがおばあちゃんとこにいくまで、死なないでね」と真剣な表情で言ったそうだ。身近な親族が亡くなったあとのいろいろな出来事、儀式に小さな子どもたちも、否応なく巻き込まれただけでなく、人の死に不思議な感覚と恐怖を覚えて、大好きなおばあちゃんにこれからも生きていてほしいと思ったのだろう。(宮)
   
2023年10月27日
『所得税減税』  所得税減税を、岸田首相が盛んに発言している。所得税の一律同額減税だとか、住民税非課税世帯に7万円給付するとか、政策の細部について首相が発言するたびにニュースが追いかけて報じる。しかし、しばらく前に防衛費倍増計画なるものが発表されたときには、その財源捻出に政府は苦しんで、所得税増額を言っていたはずだ。
 今回ここ2年間の税収増加分を納税者に還元するために、1年に限って所得税を減税すると言っている。この政策―減税と増税の目まぐるしい使い分け―単純な矛盾としか言いようがない―を筋の通った説明をせずに有権者の支持を得ようとするのは、あまりに馬鹿馬鹿しい話だ。増税と減税を短期間に交代させるトリックに、まともに耳傾ける気にならない。
 これから国会で論議がされるのだろうけれど、政府は上記の矛盾すら説明もなしに政策実施にたどり着けると考えているのだろうか
(宮)
   
2023年10月20日
『本人確認』  住民票を取りに市役所へ行った。住民票は、本人がたしかに記載された住所に住んでいることを証明してくれるから取りに行ったのだが、住民票を取るためには本人確認のできるものが2種類必要だといわれた。住民票を取るために必要な本人確認資料とはなにか?健康保険証、運転免許証、パスポート、マイナンバーカードがいいのだが、これらを持っていないと突然本人確認できるものが無くなる。市役所職員は親切にも市役所から送られてきた書類があればなんとかなると言ってくれる。健康保険証や住民税などの通知書類だ。
 市役所に出向いて、私が本人です、住所は◯◯◯です、生年月日は◯◯年◯◯月◯◯日です、勤務先は◯◯です、というだけでは現在の本人確認の厚い壁を突破することはできない。しかも2種類必要なのだ。たまたま2種類の確認資料を提示できなかった、ある日の私は出直すほかなかった。
(宮)
   
 
『メダカを飼う・3』  メダカを飼い始めてから、もう一つ分かったことがある。メダカ飼育のためにいただいた浮草についてきたスネールと呼ばれる貝のことだ。調べてみたところ、この貝類はとくにメダカに影響はないどころか水槽の藻やメダカの食べ残しを食べてくれる水槽のお掃除屋さんだとのこと。なんだよかったと思ったのは少しの間。おや?なんだか増えていないか?少し間引いてみる。あまりに沢山いるので大きい一匹をお掃除係に任命した。ところがある日水草にメダカでない、ゼリー状の卵を発見!これまた調べてみると、我が家のスネール(サカマキガイ)は雌雄同体で一匹でもどんどん増えるよそう。ゼリー状の卵はサカマキガイの卵だった。卵から孵る前にと、すくって除去したがある日見たら、バケツの壁面に何か所も卵を産んでいる!もしもこれが全て孵ったら大変なことになりそうだ。なんとかすくえるだけすくうが相手はゼリー状でつかみどころがなく、透明なので見失ってしまうものも。そんなわけで今まで知らなかった生物の命の不思議を学んでいる最中だ。生まれようとしているものを除去している自分。これはこれでいいのだろうか?と日々悩ましい。どうしたらよいのかなぁ。人間って…と思うのだった。そしてこのサカマキガイは壁面や底にいるだけでなく気づくと貝を下にしてぷかぷかと浮いていて水面に浮かぶメダカのえさの食べ残しをむしゃむしゃと食べていた。なんとなくその絵づらは昔話の「くわず女房」を思わせ不気味さをぬぐえなかった…。(やぎ)
   
2023年10月13日
『親切な運転手』  朝の通勤で利用しているバスでの出来事。バス停で乗客が乗り降りしているときに、横断歩道を渡って20メートルほどの距離を高齢の女性が走ってきた。まだ乗り降りしている客がいたが、運転手は車外に聞こえるマイクで「走らないでください。危険だから。大丈夫、待っていますから走らないで!」と走っている女性に声をかけた。めずらしい出来事で、こんな親切な運転手もいるのだとうれしくなった。
 ふだん、安全第一で規則正しい運転をしているのだとは思うが、やっとたどり着いた人にたいして、一旦閉じられたドアを開けてくれる運転手は少ない。みるからに意地悪だと言いたくなるような場面も数多く見てきた。そんな経験から必死に走って乗ろうとする人が後を絶たないのだろうが、他方で親切な運転手もいるわけで、思わず名札を見てしまった。初めて見る名前だった。
(宮)
   
2023年10月6日
『富士山』  10月5日朝、浅川土手を歩いていく。土手で毎日出会う顔見知りの人と「ようやく過ごしやすくなりなしたね」などと話したが、ゆったりしたカーブをまがると正面に富士山が見える。そしてこの日の富士山は頂上部分が白い。初冠雪だ。雪が少ないらしく斑にみえる。つい1週間前まで真夏日が続いていたのに、10月になったとたんに気温が下がり、西高東低という冬型の気圧配置になり、富士山の初冠雪だ。とりあえず秋の空気だが、秋はいつまで続くのかと心配になる。異常な気候の移り変わりは誰しも感じることだろうが、富士山初冠雪は夜のニュースでも伝えられていた。(宮)
   
 
『メダカを飼う・2』  1匹になって数週間、生き残ったメダカは、我が家に来た時の2倍の大きさになった。1匹となったメダカには名前をつけた。名前はサバだ。メダカのサバ。7匹いた時は見分けがつかず、名前を付ける気にならなかったが、1匹ならわかる。そんなわけで毎日話しかけている。ある日浮草を見ていたらメダカのサバが産んだらしい卵があった。どうやらメスだったのだ。すでに今日までで10回以上、卵を確認。調べると1匹でも卵は産むようだが、オスがいないので受精が行われず、無精卵となる。無精卵は生きていないのでそのうちに腐ってしまうので取り除いてあげないと水質が悪くなるのだそうだ。メダカという生き物の小さな世界。気軽に飼い始めたがやはり生き物を飼うというのはその命の責任を負うことなのだなと改めて思った。最近は2日おきくらいに卵を産んでいるサバ。オスがいたら家族はどのくらい増えただろうか…と時々考える。メダカにも相性があるようだから何匹かオスがいないと受精が行われないこともあるようだ。増やしたいときはメスよりもオスを多めに飼うといいと知った。魚の世界にも相性があるからなのだが、その事実に、なんとなく親しみを感じるのだった。夫のRにとってもサバは家族の一員になっているようで、3日に1度くらいは、最近移動した水色のバケツの中を熱心に覗き込んでいる。(やぎ)
   
2023年9月29日
『わからないこと』  今年の夏の異常な暑さは、近年の異常気象のひとつで、地球温暖化によってもたらされている。地球温暖化は産業革命以来の人間の活動によるものだ。このような説明が繰り返しなされ、科学者による研究によって妥当な説明として受け入れられている。しかし温暖化は太陽活動の周期的変動によるもので、人間の活動が原因ではないと主張する人々がいる。2020年の大統領選挙で当選したトランプはこのような見方をして、パリ協定から脱退した。ニュースを見ている限り、温暖化が人間活動の結果もたらされたという見方は、科学者の主流だと思うが、トランプアメリカ大統領はそれを否定し、支持、賛同する人たちが多数存在することも事実だ。どちらが妥当な見方なのか、判断することを誰ができるだろうか?
 新型コロナワクチンについての意見の違いも同じ問題を指し示している。新しく開発されたワクチンは先進国を中心にして大量に使用された。ワクチンの効用については専門家の意見がさまざまに報道され、政府の施策と相まって多くの人が接種を受けた。しかし接種による死者が出ているにもかかわらずきちっと報道されないことも相まって、ワクチンにたいする見方は分裂している。ワクチンは本当に効果があったのか疑問視する見方がある。製薬会社を儲けさせるために利用されたのだと。最近になりワクチン生産に関わった製薬会社が巨大な利益を上げていることが報道されて、ワクチンに対する信頼がいよいよ揺らいだ。ワクチンによる利益追求とワクチンの効用は分けて考えるべきだろうが、効用については医学専門家以外に判断することは不可能であろう。しかし、接種を受けるべきか否かは自分で判断するしかない。
(宮)
   
2023年9月22日
『図書館の新聞・雑誌』  最近、日曜日に図書館に行き、新聞の書評記事を読んでいる。書評記事は、全国紙では読売だけが日曜日掲載で、他紙はすべて土曜日の掲載である。日曜日に行くので前日の土曜日の新聞は空いていて順番に読んでいくが、この数週にかぎって日経を土曜日だけでなくごっそり借り出して読んでいる人がいるので、残念ながらパスしている。他紙の土曜日の新聞は大勢の人が読んでいるらしく、紙面がへなへなになっている。ところが少し前に利用登録している帝京大学図書館で新聞を見たことがあるが、そこの新聞はあまり利用された形跡がなく、きれいな紙面であった。大学生はあまり新聞を読まないのかと思ったものだ。
 新聞のあと雑誌を読むことがあるが、月刊誌はほとんどいつでも空いている。これも思い出すのは都心の千代田図書館を利用していたときには、読もうと思った雑誌は、誰かしらが読んでいて読むことができなかった。都心のサラリーマン対地域住民という、利用者の性格の違いだろうかと想像する。
 余計な感想はともかくとして、図書館の所蔵資料によって大きな利益を得ているわけで有り難いことだ。
(宮)
   
2023年9月15日
『編曲家中村八大』  たまたまネットで中村八大にめぐり会った。さらに長男の力丸さんのインタビューを読んだので、中村八大にまつわるさまざまな記憶がよみがえってきた。
 
NHKの「夢で逢いましょう」では新曲の発表が有名だが、私には中村八大の編曲を聴くのが楽しみだった。色々な曲をはっとするような新鮮な響きで聴かせてくれた。中村八大の自伝を読むと子供の頃、ダ・カール・ヘルスというピアニストが「荒城の月」や「さくらさくら」を編曲して弾いたのを聴いて「このときに初めて、生涯をかけて大音楽家になろう、と心に誓ったことを覚えている。」と書いているくらいだから、編曲には自信もあり楽しくもあったのだろう。その後中村八大のほかにも編曲家として名前の知られている音楽家は何人かいるが、その編曲を聴いたときに、中村八大のときのような目の覚めるような自在な音楽の楽しさ美しさを感じたことはない。
 
 八大の編曲をこれほど気に入っていたので、交響曲を作曲してその演奏会があるとわかったときには、迷わず切符を買って、聴きに行った。ところが、聴いたあとの感想は、さすがの中村八大もクラシックの約束事に縛られて、あんがい平凡な曲しか作れないのかといささかがっかりしたのを憶えている。しかしたまたま八大の息子力丸さんのインタビューを読んだら、交響曲のオーケストレーションは、自身で書くのが間に合わなくて友人の玉木宏樹さんがやったということがわかった。そうか、と納得もしたが、私としては本人のオーケストレーションで聴きたかったなあとあらためて嘆息した。
(宮)
   
 
『メダカを飼う』  機会があり、メダカを飼い始めた。七匹連れて帰ったのに、ある夏の暑い日に居間の西日のあたる机の上に放置して出かけ夜にもどってみたら小さな瓶の中のメダカが大変なことになっていた。メダカのほとんどが死滅していて全滅かと思われた。帰ったら水を変えようと思っていたタイミングでもあり、水質にも問題があったかもしれない。だが、おそらく今まで昼間には置かない西日が長くあたる場所に、それも透明の小さな容器。ただでさえ暑い部屋の瓶の中の水が、急激に高温になったせいだと思われる。なぜあの場所に置いたままにしてしまったのか…悔やんでも悔やみきれない。とりあえず全体の状況をみるために死骸を数える。その途中で、なんと生きていた小さな個体を一匹発見!水槽の水と共に小さな瓶に移して避難させた。みると、スイスイ泳いで何事もなかったかのように元気そう。よかった!この過酷な状況の中、なぜこの一匹だけ生き残ったのかは謎であるが、一匹が生き残ってくれたことで気持ちがすくわれた。全滅だったら悲しすぎて気持ちが追いつかなかっただろう。悲しいのは悲しかったがまずは生き残った一匹について気持ちを切り替えることができた。やっぱり生き物を飼うのは簡単と言われているものでも大変だなと思ったのだった。続きはまた…そのうちに。(やぎ)
   
2023年9月8日
『追悼文』  小池東京都知事は、関東大震災で虐殺された朝鮮人の追悼式典に今年も追悼文を出さない。その理由は、別の式典ですべての犠牲者に哀悼の意を表しているので、個別に改めての追悼はしないということだ。震災の犠牲者と虐殺された犠牲者を、一括りに震災の犠牲者といって両者を区別しない。災害死と犯罪による死を区別しない。小池知事はこんな乱暴なやり方、態度を頑として改めない。この態度が継続して取られると、なにか問題に突き当たったときに都職員は知事の意向を東京都の方針と考えて対応するようになる。その結果、誤った事実認識(つまり事実の歪曲)がまかり通ることになってしまう。組織の中で上司が理不尽な指示、命令を出したとき、それに反抗する職員が存在するだろうか。現在の日本社会でそのような人はほとんど存在しない気がする。仮に居たとしても、ニュースとして外部に出てくる可能性は極めて小さいのではないか。現代社会では、こんなことを考えさせられる事件が次々起こっているが、木原事件についての元警察官佐藤誠さんの登場は、暗澹たる気持ちを少し癒やしてくれる出来事であった。(宮)
   
2023年9月1日
『関東大震災から100年』  100年前の9月1日に、東京・横浜を中心に関東大震災が起きて10万人を超える死者が出た。最近発見された映像フィルムがテレビでうつされているが、関東大震災では火災と津波が想像を絶する犠牲者を出した原因のようだ。
 
 母の実家での思い出話に、幼児を抱っこして竹藪に逃げたというのがある。私が子どものころは、住んでいた三軒茶屋にも竹藪があった。しかし時代が大きく変わり、母の実家にも三軒茶屋にも竹藪など無い。大地震に備えるとして、現在の環境をよく観察し何ができるかを考える。それぞれ生活している場所、働いている場所の環境は全く違うので、必要な行動は何か、何を準備するべきかも違ってくるだろう。
 
 巨大都市東京が大地震に襲われたときのことを考えると、100年前と同様の木造密集住宅地域がなお存在している一方で、200メートル、300メートルを超える超高層建築の激増と、縦横に張り巡らされた高速道路や地下鉄のことが心配になる。阪神淡路大震災のとき、下層階が潰れたビルや倒壊した高速道路、高架鉄道を見ているので。
(宮)
   
2023年8月25日
『関東大震災から木原事件まで』  まもなく関東大震災から100年たつ。大震災の混乱の中で大杉栄、伊藤野枝らが軍人に虐殺された。中国人労働者の支援活動をしていた王希天もまた軍隊の手で殺害された。国家の暴力装置である軍隊や警察は正義にかなった公正な活動をする義務があるが、混乱に乗じて気に入らない人々を殺害するなど、絶対にあってはならないことだが、現実にはそのような事件が多数発生した。王希天など中国人の殺害に軍隊が関わっていることは、独立国中国との関係から、政府は外交問題にならないように事実を捻じ曲げて、責任を回避する。この決定に首相など政府の主要メンバーまで了解して中国政府との交渉に当たった。事実の捏造隠蔽を政府が行ったわけである。
 後世の我々がこの歴史を知ると、昔は随分酷いことをしていたと思う。しかし政府に都合の悪い事実、歴史を改竄し、あるいは否定することは南京大虐殺など他にもいろいろあり、現在まで論争の種になっている。政府だけでなく過去の都合の悪い恥ずべき事件を事実と認めたくない人々がいるので、論争はやまない。小池東京都知事は関東大震災で多数の朝鮮人が虐殺されたことを認めたくないらしい。事件から100年たっているのに、公職に就いている人がこの有様なのだから問題は深刻である。

 人々が生活しているといろいろな出来事、事件がおきる。そこに政府、自治体や、警察などの公的機関が関わってくる。そのとき当然公正、公平が要求される。さらに現在も自衛隊や警察で、人々の信頼を裏切るような出来事、事件が起きている。日日のニュースを見ていると公的機関の対応に公正、公平ではないと疑問を持つ展開がけっこう起きている。
 法治国家を自認している政府が、およそ法治国家にふさわしくない行動を取ることが増えていると感じるのだ。法治国家であることを前提に考えれば当然なされるべき行動を取ることは、政府はもとより与党も野党も関係がないはずだが、政争の具として扱われがちだ。ウィシュマさんの問題などその典型で、現在の入国管理制度を根本から考え直す機会のはずなのに、そのような動きにはまったくならない。伊藤詩織さんの事件では、山口記者に出ていた逮捕状が警察の上級者の介入で止められるというありえないことが起きた。目下ネット上で進行中の問題は、木原官房副長官の事件である。伝えられる情報を読む限り、ここでは警察組織がまともに機能していないように見える。警察庁長官の発言によって事件の性質がきめられてしまった。それに対する現場の取り調べ官の記者会見での発言は真っ向から対立している。警察トップの発言は警察組織に対する信頼感を根底から覆すものだ。由々しき事態である。

 こうした問題に対して、関係組織の内部やや、政府与党から公正公平の観点からの発言が出てこないが、木原事件についての警察、政治家の動きにたいして、ネット上では左右の立場を超えて、日本はもはや法治国家ではないという危機感と批判が表明されている状況である。現在の日本はそれぐらい深刻な状況に陥っているということだろう。
 警察に対する信頼を取り戻す方法は、郷原信郎さんは、警察庁長官を馘首することだと言った。なるほどと思うが、岸田首相にそんなことができるだろうか。
(宮)
   
2023年8月18日
『猛暑日と異常気象』  東京は猛暑日の記録を日に日に更新している。今日(18日)は湿度も一段と高い。私は毎朝浅川土手を歩いているがこの暑さの中を、ゆっくりとしたペースではあるが走っている人がいる。その人の全身が水中から今上がったところだというぐらいに水浸しだ。昨日出会ったときには汗をかきながらゆっくり走っているという感じだったが、今日はまるで別人のような姿なので驚いた。
 異常気象が常態化しているのが怖い。台風のせいで記録にないぐらいの猛烈な雨が降って深刻な被害を出している地域がある一方で、首都圏の水甕である矢木沢ダムが雨がふらないために貯水量が35%にまで落ちているという。台風7号の影響で、関東地方も雷雨をともなう猛烈な雨で被害がでていると思っていたのだが、関東地方といっても場所によってはまるで異なる気象状況にあるのだと知らされた。
 韓国のアンダーパスの水難事故もハワイマウイ島の山火事も原因を探ると異常気象に行き着く。気象の変化から目を離せない時代だ。
(宮)
   
 
『久しぶり』  夏休みの初日、山の日に友人の小さな引越しのお手伝いに出かけた。仕事部屋にしていたという古いマンションの集まる、昔ながらの団地。その部屋は階段しか上る手段のない5階にあった。古いけれど広い3DKのマンションには楽器と机と椅子と冷蔵庫と電子レンジなどのほんの少しの家電だけがあり、カーテンを全部はずしたら作業はほぼ終わった。住んでいたわけでもなく数ヶ月だけ仕事部屋にしていた部屋はあっけらかんとした様子で荷物がすくなかった。5階ということもあり窓から見える空が気持ちがいい。何往復かしているうちに同じ棟の人たちにも何人かお会いした。

 ほとんどの人とは「こんにちは!」とか「暑いですね」とあいさつを交わす程度だったが最後にお会いしたおじさんだけ懐かしそうに私をみて一言「久しぶりだねぇ。元気そうで!」とのこと「どうも~」と言ったものの、心の中では(いえいえおじさん、わたしおじさんと会うの初めてだし、なんならここに来たのも…)と思った。きょとんとしていると「〇階の○○だよ」と名前まで教えてくれるではないか。お出かけのようなので深堀りせず、友人と顔を見合わせてあれ?という表情を交わすにとどめた。おじさんは誰と間違えたのだろうか?久しぶりだねと思うような関係がこのマンションを友人に貸してくれた持ち主にきっとあったのだろうなと後になってそう思った。もしかしたら彼女は私にどこか似ているのかもしれない。見たことはないけれど…。そして小さな引越しを終えたご褒美に友人の実家でお寿司をご相伴にあずかった。久々に食べた少し値の張ったいいお寿司のネタは普段食べないアワビとノドグロが入っていた。友人とそのお母さんと私の3人。3人が3人共、普段は食べないいいお寿司を「うまいうまい」と味わうように食べた。手伝った仕事に対してお釣りが出そうなので、えびで釣った鯛に見合うような追加仕事があれば声をかけてと言って別れた。久しぶりに会った友人とそのお母さん。久しぶりにした引越しの手伝い。久しぶりに食べたおいしいお寿司。そして知らない人に「久しぶりだね」と言われた久しぶりのオンパレードの一日。楽しかったな。(やぎ)
   
2023年8月4日
『蟻(アリ)』  私が住む百草団地は古い団地だが、5階建ての建物と建物の間にはたくさんの緑地や小公園が作られている。いろいろな植物が沢山植えられていて、その中を細い歩道が通っている。そんな構造だから夏になれば歩道に蟻が活発に動き回っていて、踏み潰さないように注意して足を運ばなければならない。
 7月30日の日曜日は猛暑日の一日だった。日曜日なので図書館で新聞の書評ページを読むために11時頃家を出た。団地の細い歩道は舗装されていて、時間が時間なので真上から太陽が射している。場所によっては木陰がないので、猛烈な暑さだ。目を足元にやるとこの日は蟻の姿がない。気を使わずに歩けるので有り難いが、なぜ蟻の姿がないのか。足元の熱さから、蟻も暑さを避けて巣に籠もっているのだろうかなどと考えた。あの小さな体に暑さはどんな影響が及んでいるのか?蟻が見えないのも暑さのせいか?単なる偶然か?暑さのせいで予想外の出来事が起きているので、妄想をたくましくした。
(宮)
   
2023年7月28日
『職人技』  通勤で毎日バスを利用している。私が住んでいる百草団地は丘陵地帯の山の方なので、曲りくねった坂道の連続だ。道路は長年使われて凸凹があり、車内で立っているとけっこう揺さぶられる。運転手が手すりつり革にしっかりつかまっているようにとアナウンスする。そんな道路をバスはかなりのスピードで走っている。とくに下りのときは運転手の熟練した運転に感心する。時速30キロ以上出している。長年走り込んでいて身についた感覚があるのだろうが、職人技というものは、形は変わっても存在しているのだと実感する。
 60年以上の昔、木造住宅を作っている大工さんの仕事を飽かず眺めていたのを懐かしく思い出す。木材に鉋をかける作業や、口に釘を含んで素早く金槌で打ち込んでいく姿。
(宮)
   
2023年7月24日
『ウィキペディアタウン』  ウィキペディアタウンという記事を『白水社の本棚』で読んだ。「ウィキペディアタウン」て何?という単純な疑問から読むことになった。ウィキペディアには日頃お世話になっている。内容の信頼性についていろんな説を目にしてもいるが、調べごとのスタートにウィキペディアはとても便利な道具だ。そのウィキペディアにタウンがついているので、俄然興味が湧いた。

 筆者の北村紗衣さんによると「ウィキペディアタウンというのは地方自治体の図書館などに集まり、その地域のことをテーマにウィキペディア記事を書くイベントだ。町おこしとウィキペディアに関する啓蒙を兼ねていて、日本中で人気があり、各地で毎月のように行われている。」このイベントは日本語版ウィキペディアで独自に発展したものだという。

 あらゆる事柄にウィキペディア記事があるが、ウィキペディアには責任者とか統括組織のようなものはなく、ほぼ素人のボランティアが運営している。そこでウィキペディアタウンのような活動が行われ、内容を支えていることがわかった。

 『白水社の本棚』は、新聞形式の時代から愛読してきたが、冊子状になって一層手に取りやすくなり、未知の事柄に目を開かれ、おまけに白水社の新刊を知ることができるという、私にとってはこれからも長く続いて欲しい冊子だ。
(宮)
   
2023年7月14日
『築50年』  中野サンプラザが解体されるという、築50年だそうだ。改修工事をして使い続けることはできないのだろうか。解体されたら街の景色は一変してしまう。鉄筋コンクリート製の建築の寿命の短さに驚く。新宿や渋谷を始めとして東京の各地で、再開発と称して古いビルが解体され、新しい建物が建造されている。再開発というのは曲者で、なかには表参道のようなとんでもない醜悪な建設計画まである。

 調べてみると昔の8階建ての丸ビルは1923年に竣工、築後76年の1999年に解体に着手された。浜松町の世界貿易センタービル(40階建て)は2021年に閉館したが、こちらは築後51年。赤坂プリンスホテル新館(40階建て)などは築後29年で閉館し、その後解体された。日本のビルは築後50年ぐらいで寿命が尽きて解体されるのだろうか。

 身近な建物を見ると、50年経ったとは思えない、とても美しかった3階建てのマンションは、数年前突然解体工事が始まって、跡地に新しいマンションが建てられた。外見だけでは住みやすさは分からないが、仮に設備に問題があるとしても、そこに手を入れて住み続けるのではなく、建て替えてしまう。これが、新しい物好きの日本人のやり方なのだろうか。
(宮)
   
2023年7月7日
『ジャニー喜多川の性加害問題』  ジャニーズ事務所所属の少年たちが、ジャニー喜多川から受けた性加害について当事者の告白を始め様々な事実が明らかにされつつある。1999年、事実を調査、報道した週刊文春の記事に対して、ジャニーズ事務所とジャニー喜多川が文春を名誉毀損で訴えた。そして、2004年最高裁はセクハラに関する記事の重要部分を真実と認め、賠償額を120万円に減額した判決が確定した。

 この裁判で文春の代理人を務めた喜田村洋一弁護士の話(日本記者クラブでの会見)をネットの放映で見た。この種の裁判では物証というものがなくて、もっぱら当事者の発言が判断の材料である。ジャニー喜多川は週刊文春が報じたような性加害は「なかった」と言い続けていればそれを覆すことはできない。喜田村弁護士はジャニー喜多川に執拗に食い下がり、北公次から始まり、被害事実を告白した十人余の少年、さらに公判で証言した2人の少年が、なぜ同じような性被害の事実を発言するのかを繰り返し問いただした。そしてそのあげくにジャニー喜多川から「被害少年たちが嘘の証言をしたと僕は明確には言い難いです」という発言を引き出したのである。この瞬間、喜田村弁護士は裁判に勝ったと思ったという。ジャニー喜多川は「そんなことはなかった」と只管否定し続け、名誉毀損に怒り続けていれば首尾一貫したのに、そうできなかった。思わず事実と肯定するような言葉をポロリと吐いてしまった。

 このような状況に対して裁判所はどう判断したか。地裁は事実の探求に集中して、加害行為が何時何処で行われたのかを問題にした。しかし繰り返し行われた行為が何時何処で行われたのか少年たちがどこまで覚えていて答えられるだろうか。具体的事実探求の結果、性的加害行為があったとは認定できないという結論に達して、地裁は原告勝訴の判決を下した。喜田村弁護士に言わせれば、木を見て森を見ないどころか葉っぱを見て森を見ない判決を下したのだ。これに対して高裁では両者の発言内容をつぶさにたどり、性的加害行為があったと判断した。そして2004年、最高裁は高裁の判断を認めた。

 元検事総長をトップとする第三者委員会について訊かれたとき、喜田村弁護士はBBCの報道から被害者の実名告発までに展開してここまで事実が明らかになったことを踏まえて、いまなされるべきことは、裁判の原告でもあったジャニーズ事務所が会社として、なすべきことを実行することだという。長年問題を放置してきた責任を明らかにし、被害者救済のためのファンドを作るなどだ、と。だいたい元検事総長の委員会に手足となるスタッフはいるのか、と疑問を呈した。

 人間の愚劣さに嫌悪感を覚えるような出来事、ニュースが続発するなかで、喜田村弁護士のどこまでも冷静で謙虚な姿勢の発言を、なにかホッとする心持ちで聞いていた。
(宮)
   
2023年6月30日
『労働保険』  この時期、労働保険の申告のために、九段下にある東京労働局に出かける。今回は、比較的すいている日だったらしく、すぐ担当者に呼ばれたので、算定のために作成した賃金集計表を渡した。この集計表作成に前日苦労した。足し算引き算をしながら賃金計算をする。縦計横計が合うまで計算し直すが、例年になく再計算が必要になった。老化による計算能力の劣化を意識しつつ根気よく計算した。

 毎年申告書の記入を担当職員にお願いする形で申告してきたが、今日も親切な職員に当たった。彼女は説明しながら私にも計算させ、テキパキと空欄を埋めて行ってくれた。空欄をすべて埋めてから、改めて支払うべき保険料を見て驚いた。昨年の2倍の金額である。このことについて、担当職員とひとしきり話した。保険料を算出するための料率が大きくなっているのだ。彼女も気がついていて、これまで申告に来た企業の担当社員や経営者も、同じような感想を口にし、嘆いていたそうだ。

 昨年と多少事情が変わったこともあり、今年は保険料が小さくなると予想していただけに驚きが大きかった。料率の変更は国会で行われているのだそうで、こんな変更が国会をスイスイ通っているらしい。国会議員たちは、中小零細企業の経営にとってこんな大幅な値上げがどれだけ打撃になるなど理解できないのだろう。担当職員の彼女曰く、同じ意見なのだから、投票に行って国会を変えましょう、と。
(宮)
   
 
『日野のホタル』  6月中旬のこと、日野で仲良くなった自然関係の仲間の一人が、黒川清流公園のあたりでホタルが見られるというので見たくなったら付き合うから声かけてという連絡をくれた。ホタルの写真と共に。そうか、ここは水がきれいな場所なのだからホタルがいるというのもうなずける。雨でない日で行ける日。連絡があった日も含め夏至の前後で日が長く、なかなか暗くならない時期。薄暗くなってこないとホタルは飛ばないというので、夜の8時頃にいつも見に行くというのだけれど、仕事を終えると足をのばしてという気になれずずるずるとそのまま、6月も下旬になってしまった。

 もう時期を外しすぎたかな…と思ったが昨日は行けそうだったので前日に連絡を入れてみた。お天気次第、気分次第で突然キャンセルでも大丈夫とのこと。果たして夕方、空をちらちらと観察しながらその時間を待つ。19時前に会社を出ると清流公園まではだいたい15分くらい。空には怪しげな雲がいっぱいに広がっていた。くんくん、雨のにおいもしているようだ。近いうちに一雨来るなと思いつつも、こんな時に付き合わせるのは悪いので友人にはとりあえず今日はキャンセルの連絡をし、自分だけで観に行くことにした。が、友人も見てから帰るつもりとの連絡。あ、じゃあ会うかも…と結局落ち合うことに。先について散策。ホタルがどこを飛ぶかわからないのでカワセミハウスから公園の水辺をくまなく歩いて探すことにした。しばらく歩き足元が水でぐちゃぐちゃになっているあたりでじーっと目をこらしてみた。無理かな?と思ったところで、一度は山道を下って来る懐中電灯に一瞬騙されたあと、今度はぼーっと幻想的なあかりを発見した。たった1匹だけど…時折消えそうになりながらもそのあたりを飛んでくれた。きれいだなぁ。乱舞するような場所ではないけれどこれはこれでシンと静かな気持ちになる。友人と合流したころには雨が降って来て少し歩いたが、雨が強くなったので撤収となった。春にはカワセミを、夏にはホタルを見せてくれたその友人は惜しむことなく私にいろんなことを教えてくれる。こんなに身近にいろんな生き物と生きているのだなぁと思うとなんだか嬉しい。(やぎ)
   
2023年6月23日
マイナンバーカード』  まだつくっていない。健康保険証が使えなくなるらしいが、そのときは資格確認書でいくか。これは毎年更新するために役所の窓口に行かねばならないらしい。マイナンバーカードも有効期限は10年だそうだし、マイナ保険証は有効期限5年だそうだ。すると5年に1度は更新手続きが必要だ。そしてそのとき、マイナンバーカードを申し込んだ時に設定した6桁から16桁の暗証番号も必要だという。ややこしい手続きに振り回されそうだ。このような事情を年寄りにもわかるようにゆっくり丁寧に説明してほしいが、そういうものはめったに存在しない。インターネットでそういう説明を探していたら荻原博子さんの記事に出会った(『婦人公論』の記事らしい)。とてもわかり易くて助かった。そして政府のやっていることの愚劣さを改めて認識させられた。(宮)
   
 
『心の解像度』   毎日を平々凡々に過ごす日々だが、ちょっとしたきっかけで見える景色ががらりと変わることというのはないだろうか。目の前にあったのに見えていないことのどんなに多い事か!自分自身のことでもよくわかる。興味を持ち始めた瞬間から心や目の解像度がぐん!とあがるのがわかる。身の回りにこんなにもこのことに関する情報があったのかと気づいたり、そのそばを通り過ぎていただけだったのが立ち止まって観察したりするようになる。自然にそこに関心がすっと吸い寄せられていくのがわかる。どんなことにも初めは透明だ。そこからいろんな色を知っていく、知ることは豊かになることでもあるがそのこととは裏腹に一部を知ることでそこにとらわれて解像度が落ちることもこの先あるかもしれない。こうであると決めつけず、新鮮な目を持ち続けられたらいいなぁと思う。(やぎ)
   
2023年6月16日
『暗い未来』  朝日新聞の「折々のことば」で、鷲田清一さんは片岡義男の『日本語の外へ』から「政治家がいけないと多くの人は言うが、いけない人たちが勝手に政治家になれるシステムはどこにもない。」という一文を引用して、さらに次のように続ける。

 「この国の政治は三流だ、という言い草はひどく「呑気」だと作家は言う。政治家が三流だとしたら、人々の投票時の判断が三流だったから。何ごとも政治家に仕切ってもらい安心していたくて、大事なことを彼らに預けたから。云々」

 やはりこのことに戻ってくると感じる。今日の政治の世界と其の周辺世界では、それはそれは酷い出来事が途切れなく起きているが、そのことが投票行動にほとんど反映されていない。新聞・テレビのニュースは、その出来事をきちっと伝えないうえに、その半端なニュースさえ、見たり読んだりする人が激減している。その結果が国政選挙ですら50%を割り込むような低投票率となっているのだ。

 出来事と報道と有権者の反応の関係が問題の核心なのだ。この部分の再建なくして、民主政治の機能麻痺はますます酷くなるだろう。この部分の再建は、どうすれば可能なのか。
(宮)
   
2023年6月9日
『入管法改正案の強行採決』  8日、参議院法務委員会で、入管法改正案が』強行採決で可決された。この問題にきちっと向き合って審議経過と問題点を報じているメディアはごく少数でしかないのはどうしたことか。わずかにnews23がまともに問題を取り上げていた。NHKがひどく熱心に取り上げていたのは皇室のニュースだった。
 入管法改正については、難民申請をしている人たちの実状をしり、難民認定をする体制と実状を知ると、強行採決するべき問題でないことは明白なのだが、自民党、公明党の中から政府のやり方を公然と批判する声は聞こえてこない。この状況に、まず情けないと感じるが、それ以上にこれからの日本の危うさ、危険な道筋が想像されて怖ろしい。
 幾度か書いた情けないことの事例は、問題を孕んだ政策や政治行動が現れたときに、欧米先進国では、少数でも公然と異論を唱える政治家、官僚が出てくるのに、日本ではごく稀にしか出てこないことだ。
(宮)
   
2023年6月2日
『地球温暖化と戦争』  近年の異常気象による災害の激増は、地球温暖化による異常気象が原因だといわれている。世界中、とりわけ先進国では、地球温暖化をなんとか食い止めようとする様々な努力がされている。地球温暖化の原因である2酸化炭素排出を減少させるために、太陽光・風力・地熱発電の推進、電気自動車の普及などは典型的な動きだ。フランスで近距離航空路線を廃止したのもそのひとつだ。このような努力が効果を収めるまでには長い年月がかかるだろうが、しかし努力を続けなければならない。地球温暖化の進行と競争してなんとか食い止めようとしているわけだ。
 他方、現在ウクライナとロシアが戦争している。戦争では2酸化炭素の排出が多いことなど気にしていないだろう。火砲を発射しまくり、ヘリコプターや軍用機が飛び回っている。2酸化炭素を出しまくっているわけだ。その現実をニュースで見ると人間の愚かさに絶望的な気持ちになる。目前の目的のために、気長な努力を重ねるしかない行動はまったく無視されている。
(宮)
   
2023年5月26日
『短距離航空路線の利用禁止』  インターネットのBBCの記事:「フランスは23日、鉄道での移動が可能な国内の短距離区間で、航空機を利用するのを禁止する法律が施行された。温室効果ガスの削減を狙ったもの。これにより、鉄道で2時間半以内に移動できる路線は廃止される。議会は2年前に法案を可決していた。」
 二酸化炭素削減についての取り組みの真剣さの程度がわかるが、そもそも鉄道利用で余分にかかる時間はプラス40分と言われていたそうだ。私は二酸化炭素もさることながらわずかの時間短縮を優先するような生き方を見直すべきだと思う。航空会社は経営が立ち行かなくなるだろう。しかし現代の資本主義は新自由主義に毒されて行き詰まっているのだから、中途半端な対応では立ち直れない。フランスは2年も前に、このような法律をよく成立させたものだ。
 たとえば生活を便利にするためにいろんな家電製品が発明され製造された。その結果、経済が発展し、生活や社会が劇的に変化してきた。しかし、いつの間にか経済を活発に動かすために、企業は飽くことなく便利さを追求するようになった。なかには不必要な便利さもたくさんある。それでも便利さの追求は止まらない。人間の生活と社会と経済の関係をどのようにするべきなのか、いま問われている。
(宮)
   
2023年5月19日
『ゾルゲ事件』  ゾルゲ事件についての講演会に行ってきた。「尾崎=ゾルゲ研究会」の代表加藤哲郎(政治学者)さんが、病後にもかかわらず2時間に及ぶ講演とその後の質疑応答にも明確に答え続けた。充実した講演会だった。
 ゾルゲ事件は、80年以上前のスパイ事件で、1941年に首謀者が逮捕され、1944年に死刑が執行された。戦前には1942年5月17日に新聞紙上に「国際諜報団検さる 内外人5人が首魁」と報じられたのみであったが、戦後冷戦が始まると共産国による恐るべきスパイ活動の典型として報道された。GHQのウイロビーによるゾルゲ事件の政治的利用である。
 以来、数奇な運命をたどるゾルゲ事件の歴史を、講演会で加藤さんが手際よく解説してくれた。関係資料が長年の経過の中で徐々に明らかにされてきたことが大きいが、例えばゾルゲがソ連に送っていた電文の全貌は、21世紀になってようやくあきらかになり始めた。ソ連、ロシアに於けるゾルゲの評価の変遷も興味深い。初め無視されていたのが、英雄扱いされるようになった。ゾルゲと政治の関わりということでは、プーチン大統領がKGBを志願した動機としてゾルゲの活動を挙げていたりする。ゾルゲ事件はまだ歴史上の一エピソードどころか、現在も政治利用の価値があるものらしい。多摩墓地にあるゾルゲの墓は、ゾルゲの愛人である石井花子が作ったものだが、ごく最近石井花子の子孫が墓の維持管理が難しく鳴ったときに、ロシア大使館がそれを引き受けたと新聞報道された。
 ゾルゲらによる活動の評価についてもまだ不明の事柄がおおく、今後の課題ということであった。
(宮)
   
2023年5月12日
『受付番号』  銀行や郵便局で用事を窓口で済まそうとすると、受付番号票を取ることから始まる。ATMなら行列に並ぶことで順番を待つが、窓口では引いた番号順に処理される。
 先日郵便局に行ったときのこと。ひどく混んでいて待っている人の幾人かは座る椅子がない。自分の番が回ってくるまで10人以上の人がいる。これは時間がかかるなと覚悟を決めて、待つこと30分。窓口では3人の職員が対応してしている。各窓口の上に処理中の番号を表示する電光掲示板があるが、その一つの番号が「1」のまま動かない。職員がいて作業中だとわかる動きが見える。しかし、「1」ということはもっとも早く窓口に来た人のはずだから、おそらくすでに1時間以上かかっているのだろう。わたしも郵便局では様々な支払い処理を10件ほど持ち込むことがあり、手間と時間のかかることと毎度恐縮していた。しかし、1時間以上かけてなお処理中というのはどんな厄介な内容なのだろう。私の番号は「21」で、30分ほど待って窓口に行くことができたが、「1」はなお表示のまま動かない。この日の私の用事は窓口に行けばすぐに終了する簡単なことだったので、動かない「1」を横目で見ながら郵便局を出た。
(宮)
   
 
『ここは私たちの大切な場所  母方の祖父母は農家だったので、田んぼや畑がいくつもあった。家の裏のちょっと先にある畑を「じょうの畑」と呼んでいて、色んな種類の野菜やくだものを育てていた。昔、お蚕さんを飼っていたので、桑畑もあった。
 物心ついたころからそこは「じょうの畑」だったので、特別に何か思ったこともなかったのだが、最近、その畑の辺りをGoogleMapでみると「〇〇城跡」となっている、と妹が教えてくれた。見てみると、確かにそうなっていた。妹が母に「あの辺りにお城があったんだね」と聞くと、「だから「城の畑」でしょ?」と当たり前のように言った。
 ああ、そうか、なるほど! なんなら私は「上の畑」だと思っていた。畑に行く道は少し上り坂になっているし、反対側は急な土手で、その下に田んぼがあって、お田植えのとき、上を見上げた場所にあるのが「じょうの畑」だったから。
 続けて母は「その下にある田んぼのとこはお堀だったから、「堀の田んぼ」って言ってたよ」と。そうか、あそこはお堀だったのか。だから、あんなに急な土手みたいになってるのか。
 調べてみると、じょうの畑にあった城から、ちょっと離れた場所に新たに城が建てられて、一族はそちらへと移り住み、畑の場所にあった城は、名前を変えて家臣の居住城になったそうだ……なるほど、そうだったのか! 住所とは別にその辺りを通称「こじょう」と呼んでいた。そっか「古城」だったのか。
 自分たちが、子どものころから慣れ親しんだ場所の答え合わせをしているような気持ちで、妹と感動した。
 祖父母は亡くなり、その家にはもう誰も住んでいない。でも、母と父は今も畑の土を耕し、庭や土地の手入れをしている。どんなにしんどくても、欠かさずに。自分の先祖が、長く大事に暮らしてきた場所を今でも大切にしているのかと、母たちの思いに今ごろ気づく。祖父母との思い出と、会ったことはなくても、そこに確かに暮らしていた自分の先祖の姿に思いを巡らし、受け継いでいくことの意味を考えている。(みなりん)
   
2023年4月28日
『レニングラード市民』  新聞の書評欄で紹介されていた『グッバイ、レニングラード』という本を読んだ。著者の小林文乃さんは10歳のとき子ども記者としてレニングラードへ行き(1991年7月)、2016年ショスタコーヴィチの交響曲7番『レニングラード』の軌跡を追うためロシアを再訪した。本書は2度のロシア行きのルポルタージュだ。
 面白く読ませてもらったが、特に印象に残ったのは、ナチス・ドイツの猛攻と、包囲されたレニングラード市民の生活ぶりだ。戦争の後半では、兵糧絶めにも会い、合わせて100万人の死者を出したといわれる。ソ連は第2次世界大戦で2000万人というとてつもない数の死者を出しているが、その間のレニングラード市民の悲惨な状況と感動的なエピソードの数々を、この本は伝えてくれる。。中でもショスタコーヴィチの『レニングラード』を巡るエピソードはそんな市民の心の支えだったし、誇りであった。
 こういうルポルタージュとして面白く読ませてもらったことと別に、戦時中の市民生活の話から現在のウクライナ戦争のことを想起しないわけにはいかないのだ。レニングラード攻囲戦は今から80年も前の出来事だから、世代が変わってしまっているが、ロシアのウクライナ侵攻を、ナチスの暴虐を耐え忍んで生き抜いてきた、あの愛すべきロシア人はどう思っているのだろうか?
(宮)
   
2023年4月21日
『桶屋の〇〇ちゃん』  ごみ問題の中で、プラスチックが悪玉にされて久しいが、便利さには逆らえず包装用素材としてあらゆるところで使われている。何時からだろうか入れ物はなんでもかんでもプラスチックに取って代わられた。子供の頃、納豆は藁につつまれていたし、肉屋では竹の皮が使われていた。豆腐は鍋を持って買いに行ったが、今はパックに入っている。とにかく現代では、日常生活のあらゆる場面でプラスチックに囲まれている。レジ袋を有料にするなどどれほどの効果があるのか。
 先日、『巨大桶を絶やすな』(岩波ジュニア新書)という本が東京新聞で紹介されていた。従来醤油の製造に直径2メートルもある大型の木桶をつかってきたが、その木桶製造技術の継承を意識的にやっているということらしい。木製の桶というと私の家では漬物には長い間、木の桶を使っていたが、いつのまにかプラスチックになった。そして、母から繰り返し聴いた話の中に、母の実家の近くの「桶屋の〇〇ちゃん」がよく出てきた。「桶屋の〇〇ちゃん」がいつ頃まで仕事をしていたのか聞きそびれたのが残念だが、以前は近郊農村の一角に桶づくり職人が居たわけだ。しかし、そういう職人の世界には2度と戻れないだろうと思う。
 『巨大桶を絶やすな』が「桶屋の〇〇ちゃん」の話を記憶の底から蘇らせてくれた。
(宮)
   
 
『ユーモアを忘れずに!』  友人のご実家の庭の手入れにいってきた。最近お父様がなくなりお母様一人。さみしいかしらと思って訪ねて行ったが思ったよりもお元気な笑顔で迎えられてほっとした。雨の合間に一緒に家の周りや芝生の草取り、切っていいよという木にハサミを入れた。枯れてしまったというザクロの木を細かく鋸で切り分けているうちに疲れてきたが切り始めたところだけはどうにか切ってしまいたい。そうこうするうちにまた雷もなり始めた。あと少し、やった!切れた!となって道具をしまいにかかったところで本格的に雨がふってきた。あえなくそこでその日の作業は終了することに。手を洗いしばし雑談。出して下さったカステラを食べながら二人でお茶を飲む。友人がいた時にも何度も遊びに来たけれど、友人のお母様と二人で差し向かいで話をするのは初めてのこと。話が弾むかなと?ちょっとドキドキしていたが、すぐにその不安は消えた。庭のこと、お友だちのこと、娘たちのこと、そして連れ合いであったお父さんのことと様々な話をしてくれた。お父さん(旦那様)はとってもユーモアのある人だったと友人の妹のJちゃんから聞いていたが、お母さんの口からもそんな話題が出た。「それでね、以前プールに通っていた時に、娘が、なんで泳ぎをならっているのって聞いたらね…」と嬉しそうに話した答えに思わず笑ってしまった。「三途の川を泳ぐとき、クイックターンが出来たら、三途の川から戻ってこられるだろう?」とのこと。「もうクイックターンは覚えたから大丈夫!」なんだって。でも「結局戻ってこないんだから、寿命だったのかしらね」とお母さん。それにしても楽しいお父さんである。これを書こうと思っていた朝、柚木沙弥郎さんのお孫さん?のInstagramで柚木さんが半年ぶりの散髪をして、さっぱり、また若返りました。と書いているのを読んだ。その後の柚木さんの言葉がまたふるっている。「まだ生きなきゃいけないからね、50年ぐらい」だって!ユーモアはいつまでも忘れずにいたい。人生の晩年もこんなふうに生きたい。(やぎ)
   
2023年4月14日
『放送会館』  日産館の記憶を書いたので、放送会館のことも書いておきたい。日産館の隣にあって、子どものころはNHKといえば内幸町とセットでよく耳にした。小学校の3年か4年のときに、校外授業として学校から放送局の見学に行ったときのことをよく覚えている。
 ドラマなどの擬音―雨の降る音や、馬が走るときの足音を、現代と違って、道具を使って音を作っていた。どんな道具をどのように使って音を出すのか、実際にやって見せながらの説明を聞いた。
 放送会館でもう一つ記憶にあるのはNHKホールだ。観客を入れて放送する番組に使うのは現在と変わらないが、個人的には、ここで始めて管弦楽の演奏を聞いたときの経験は忘れ難い。妹の高校に音楽課程があって、その演奏会に行って初めて生の管弦楽の音を聴いたのである。低音が下腹に応えるように鳴った。ベートーヴェンの交響曲第7番が演奏され、第2楽章か第3楽章で、チェロを弾いている前列の女子生徒の腕と指の優雅な動きに魅せられたのを記憶している。
 NHKホールは、その後も時々演奏会を聴きに行った懐かしい場所である。
(宮)
   
 
『黄色いリュックのおかげ?』  仕事で出かけた日、新宿で下車したあとPASMOにチャージしようと、精算機の前でリュックをゴソゴソしていたときのことだ。「お久しぶりです。こんにちは!」と目力のある女性に声をかけられた。キリリとしたその顔を見ても、はて?誰だろう?と思い出せずに目をぱちくりさせていると「会社のお隣に住んでいたSです」と言う。Sさんとは、Sさんの子どもが幼稚園に通い始めた頃から幼稚園バス待ちの彼らに会うようになり、親しく会話を交わす仲となった。そのうち弟くんもベビーカーに乗せられてくるようになり…。上の子が小学校に上がるのを機に少し大きい家にと引越して行かれたのだ。しかし、あんなに何度も会っていたのに思い出せないとは…情けない。お母さんである彼女は髪型も違っていたし、専業主婦として南平の近所を歩いていた時とはまるで違って見えた。働きに出ているのかはわからないが、今の彼女は私の目には、見た目も、顔つきもすっかりキャリアウーマン風に見えた。もちろん近所にちょっとの外出と、完全なるお出かけではメイクも格好も違うものかもしれない。ご家族と都内にある彼女の実家に遊びに行く途中だという。幼稚園児だった長男くん、生まれたばかりだった次男くんもすっかり背丈も伸び、幼児の顔から少年の顔になっていた。面影があったかなかったか…驚きすぎてよくわからなかったが、旦那様だけがあの時と変わらぬにこやかな笑顔で隣に佇んでいて、ほっとした。マスクもしているし数年たっているので「よくわかりましたねぇ」というと「その黄色いリュックが…」とのこと。もちろん何度も会っていたので私の特徴も覚えていたに違いないが、なんとまぁほとんどの人は使いそうもない色の黄色いリュックを使っていたのが決め手になったようなのだった。人が持たないものを持っているとそれはその人を見分けるのに役に立つらしい…。黄色いリュックのおかげで高幡不動に引越してしまったお隣さんの家族全員と再会することができた。覚えていてくれてとても嬉しかった。これからも元気でいてほしい。リュックは壊れかけていていつまでもつかわからないけれど、彼らとはまたどこかで会えたらいいなぁ。(やぎ)
   
2023年4月7日
『日産館』  朝日新聞で連載されている山根基世(元NHKアナウンサー)さんの記事に、内幸町にあった放送会館の写真が掲載されていた。放送会館といえば日産館を思い出す。「日産館」は懐かしい建物だ。当時外務省だった黒い外壁の日産館に並んで建っていたのがNHK放送会館だ。
 父が昭和20年代に、日産館の地下にあった「グリル」の共同経営者だったので、子供の頃日曜日に遊びに行った。ドアを入ると、客室が拡がっていて、右奥にカウンターが調理場を囲んでいる割りと小さな一角があり、客は例えばステーキを焼いているのを見ることができた。私は日曜日に、父が調理場でペティナイフを使って、牛肉の筋をとったりするのを飽かずに眺めていた。この部屋の奥は客室から右に折れた別区画になっていた。日曜日に行くと、家では食べたことのないチーズを食べたり、クリームソーダが楽しみだった。
 日産館の外壁が黒く塗られていたのは、戦時中に、目立たなくするためだが、1944年には海軍に接収されて艦政本部が入っていたそうだ。ここで働いていた従兄弟から、のちに聴いた話だが、日産の総帥鮎川義介が8階に居て、料理を運んだことがあるそうだ。「グリル」は、日産汽船の社員が常連だったし、外務省やNHKの職員もよく利用していたそうだ。そんな「グリル」を父は数年後に出てしまったが、日産館も外務省が出たあと三井物産が買収して「物産館」と改称され、黒い外壁も白くなった。三井物産が出た後は、警視庁が桜田門の警視庁新庁舎を建設している間、使っていた。1981年に解体され、1983年には日比谷セントラルビルという現在の姿になった。日産館は大型ビルなので、戦後、便利に利用されたのだろう。
(宮)
   
2023年3月24日
『発言と責任』  高市経済安全保障相は、小西議員が提出した行政文書が捏造であれば大臣、議員を辞職すると発言した。そのごの経過を見ると、総務省が、行政文書であることを認めたので、この時点で高市辞任は当然あるべき行動であるが、自身の発言に責任を持つという単純な理屈を高市さんは全く無視している。国会でのやり取りを聴いていると無茶苦茶としか言いようのない屁理屈を口にして辞任する気配はない。恥ずかしい行為だ。
 恥ずかしい言動は高市さんに限らない。岸田首相からして度々発言を変更して恥じるところがない。池田勇人首相の政策をを踏襲して「所得倍増計画」を打ち出したとき、新しい経済政策が打ち出されるのだろうと期待したが、しばらくすると「所得倍増計画」ではなくて「資産倍増計画」だという。この2つの言葉は意味するところが著しく異なる。にもかかわらず、発言内容の変更に対する説明はない。要するに政権発足当初、耳触りの良い言葉を口にしてみたが、政権発足後、「所得倍増計画」の具体的政策化は、とても実現できないとわかったので、似て非なる表現に変えてしまった。発言に対する責任は微塵も感じられない。
 高市発言も同様で、予算委員会での質疑応答のなかで売り言葉に買い言葉という感じで啖呵を切ってしまったが、その発言の責任を取るべき状況になったときに理屈にならない弁解を並べて恥じるところがない。岸田内閣の政策関連の発言には同じようなインチキ表現に満ち満ちている。発言と責任が分離している。情けない。
(宮)
   

『図書館と出版社』  日本にある公共図書館の数は約3300館ほど。新刊時に、日本にある公共図書館が一冊ずつ本を仕入れてくれたら小さな出版社はそれだけで、出版の費用を経費をまかなうことができる。単純な計算は下記の通りだ。

現在我が社が児童書を出版するときの初版の部数が平均して3000冊。もし3300館の市町村の図書館の全てが一冊ずつ購入してくれるとすると、1500円の絵本を取次への卸値67で卸し約330万円の売上となる。しかしここには様々な費用がかかっている。印刷費、デザイン費、印税、人件費、その他の経費などを差し引くとざっくりと90万くらいの利益が生まれる計算だが、もし長い時間をかけてその数を売るとしたら計算はどんどん変わって来る。在庫は置いておけば倉庫料もかかるし、返品になれば改装費もかかる。それを何年で売り切ることができるか?もし、本当に3300冊を購入してもらえたら、まず初版の部数も4000とか5000冊刷ることになるだろう。刷り部数から3300冊を差し引いた数が、いわゆる書店販売用の在庫となる。一度に沢山刷れれば一冊あたりのコストを下げる事が可能だ。下がったコストのおかげで利益をのばすことができ、じっくり次の本を作るために使うことができる。

実際の図書館からの注文の実績を見ると初発で300~500冊または一番よい時で1000冊くらいを納品している。だけどその数が300冊なのか500冊なのか、はたまた1000冊なのかで出版社の経済上の安心感、安定感は大きく変わってくる。書店は返品があるが図書館は返品がないからだ。

しかし、図書館とて予算があり、図書館という箱の中に収めることのできる適正量があり、それに日々悪戦苦闘していると聞く。そりゃそうだ。魔法のように何冊でも入る棚はない。今までは絶版になった本でも図書館にならあるだろうと思っていたが、どうやらそれも絶対ではないようだ。今や過去に出た本も動きがないもの(その中でも資料的な位置づけのものは残されるのかもしれない)や、複本で購入されたものは貸出のブーム後、数の見直しをし、廃棄処分もしくは区民や市民に図書館開放本として無料で持って行ってもらうというようなことが結構あるようだ。処分対象となるだろう本を想像で書いたが処分の基準はどこにあるのだろうか?もしかしたらその基準もその市町村単位で違うかもしれないし、処分を担当する担当者レベルでももしかしたらばらつきがあるかもしれない。ある程度の基準がないと難しい作業のような気もする。現在も流通しているものでない限り、捨てたり手放したものは戻ってこない。責任重大だ。本の価値を値踏みされ、天国と地獄にわけられるようなものだ。残される本になるか破棄される本になるか…心穏やかではない。

自分が借りたい本が、自分の住む地域になかった経験はあるだろうか?私には多々この経験がある。調べてもその本はありませんと出るばかり。その市や区に一冊も入っていないのだ。では、ない本はリクエストすれば購入してもらえるのだろうか?否である。他の市町村の館から取り寄せ可能なものは取寄せるのである。出版社は出版社の側からしか物事が見えていない。もしかしたらいろんな立場の人と話をする機会が必要なのかもしれない。図書館で働く人たちは出版社にどんなことを求めているだろうか?どんな本を購入し、置きたいと思っているだろうか?図書館をどんな場所にしたいと思っているのか?本を通じて関係がある場所なのに案外なんにもしらないなと思う。しかし処分される本が貸出率だけをベースに選ばれていないことを心から願いたい。(やぎ)
   
2023年3月17日
春が来る   3月になって気温が上がり、桜の開花が発表され、春が近くに来ていると感じる今日此頃だ。今日は浅川遊歩道の桜をしっかり見てみた。蕾が大きくなり、赤みがさしているのもある。近日中に開花するのだろう。
 人間の活動によって世界中で気候変動がはげしくなっているし、日本だけでなく外国まで含めて地震などの天災や異常気象が続いていると不安を覚える。しかし、今のところ季節の移り変わりはいつも通りに着実に進んでいるようで安心する。遊歩道を歩きながら、住宅の軒下に燕が巣を作っているのをみたし、うぐいすのなきごえも聴いた。天気の良い日にはすっかり楽観的になって春の到来を待ち望んでいる。単純な感覚に我ながら呆れる。
(宮)
   
2023年3月10日
丸裸にされたけやき  2月末のある日、浅川土手の遊歩道の途中にある4本のけやきが、2日がかりで、めちゃめちゃに枝を切られた。太い枝をわずかに残すだけで、丸裸と言うのがふさわしい切られかた。このけやき、実は5、6年前に同じようにされたのだが、そのときは始めての荒療治だったらしく、もう昔のような姿には戻れないだろうと思った。しかもこのときは、もともと7本あったけやきを3本根本から切り倒して4本にした。しかしながら、5、6年経つうちに小枝が出てき、その小枝が成長して、植物の生命力を感じさせてくれる姿になってきたところだった。ようやく落ち着いた景色になったと思いつつ眺める今日此頃だったが、又々災難にあった。だいたい遊歩道脇の広い場所に植えられているので、人家の邪魔になるようなことはないし、日陰を作って困らせると言うこともない木だった。それなのに切られてしまう。国土交通省か東京都か日野市か、どこが管轄しているのかわからないが、やらなくてもいい仕事をしているとしか思えない。(宮)
2023年2月24日
『地震から救助』  トルコの大地震で4万人を超す人たちが犠牲になった、現地で行われている救助活動を繰り返しニュースで見た。苦心の末助け出された人を担ぎ上げて喜ぶ救助活動の人たちの喜ぶ顔、姿を見ると、人間の純粋な喜びの感情が映像に溢れていて、嬉しくなり、人間捨てたものではないと単純な感想を抱く。他方で、すぐ近くのウクライナではロシアとの激しい戦闘が続けられており、渦中の人びとは敵国に対して激しい憎しみを懐き、いつ終わるとも全く不明な戦争のなかで生きている。そして、相手を只管批判し、戦争をやめる意思は全く無いこと、勝つまで戦い、軍事援助を続けるなどというプーチンやバイデンの演説を聴いていると人間の未来には絶望しか覚えないのだが、トルコの映像は人間に対する信頼と希望を少しだけ回復してくれる。結局のところ、人間のどちらの側面が強く働くことになるのだろうか。(宮)
   
2023年2月17日
『経験してわかること』   実家に帰ったときのこと。母と近所の散歩にでかけ、家まで一歩というところまできたところで母の知り合いに会った。ダンス教室で一緒だったというおばあさん。母と同じようにノルディックウォーキング用の2本の杖をつきながら散歩していた。歩いては休み、休んでは歩きしながらこちらへ向かってきた。母が手を振ると「ああ!」というように手を振り返して来た。家の前でしばしの立ち話。「わたしも腰やひざがいたくなって杖をついているんだけど、あなたも杖をついているの?」とおばあさん。「ええ、わたしはずいぶん前から膝がいたくてついているんですよ」と母。おばあさんは91歳、母は今年83歳になるので8歳違い。母が「去年転んで頭と腰を打って腰の骨を折ったのでデイサービスに行っているんです」というと、「介護保険使うと月にどのくらい費用がかかるのかしら?」と聞いてきた。介護度によって、またはやってもらうことによってその費用は違ってくるんですよと伝えると「一度も使ったことないから、知っておきたくてね」とおばあさん。続いて「わたし、少し前まではこうしてよちよち腰を曲げながらゆっくりあるく老人をみて、わたしはあんなふうにはならないだろうなと思っていたの。でも年をとると自然にいろんなところが弱ってくるのね」と言った。わたしが「何事も経験して初めてわかることってたくさんありますよね」というと「ほんとほんと」と活き活きとした顔で言われた。自分の今を受け入れて毎日をよりよく生きようとしているおばあさんを見てなんとなく励まされるのだった。ちなみに彼女はずっと10年日記をつけていたそうで、少し前に、「はて?」とこの後何年書けるかわからないから5年日記に変えようかと5年前に5年日記を買ったのだそう。まもなくその日記が終わるので、買い直さないといけないと思っているといった。5年前の日記を見たら5年前の今日までダンス教室に通っていたのよと笑った。自分で織った布で作った帽子をかぶり、自分で織った布で作ったバッグを下げてお散歩していた彼女は、「では、いくわね。会えてよかった」と去っていった。その後ろ姿を角を曲がるまで母と見送っていたら、角の所で振り向いて私たちに気づき、大きく手を振り返してくれた。いいなあ。あんなふうに生きたいなと思った出来事だった。(やぎ)
   
2023年2月10日
『本の販売』  ずいぶん前から、本が売れなくなっていると言われてきた。これは出版を仕事としている我々にとって、自分自身のことであり、20年、30年という長い時間のなかでデータを見直してみると、その通り、たしかに本が売れなくなっている。その中で悪戦苦闘する毎日なのだ。
 最近読んだ『私たちが図書館について知っている2、3の事柄』(中村文孝、小田光雄著、論創社、2022.8)に興味深いデータが出てきた。
 同書によると1999年の書籍販売数(累計)は7億9186万冊である。それが2019年には5億4240万冊に減少している。1999年を100%とすると2019年は68%にまで減少している。他方図書館の個人貸出数は、1999年には4億9546万冊だが、2019年には6億8421万冊になっている。1999年を100%とすると2019年は131%に増加している。
 書籍販売数は年々減少し、個人貸出数は年々増加しているのだ。そして2010年には書籍販売数7億233万冊に対して個人貸出数7億1172万冊と、個人貸出数が書籍販売数を実数で上回った。2019年には個人貸出数は6億8421万冊と書籍販売数を26%も上回っている。
 同書によると人々の本に対する関係の持ち方、意識が変わったのだという。本は借りて読むものであり、買うものではなくなってきたという。この解釈の是非はさておき、書籍販売数と個人貸出数の変動は事実である。出版をめぐる条件、環境には外にも色々あるが、この事実を一つの重要な前提条件として考えなければならない。
(宮)
   
2023年2月3日
『名前』  戸籍に名前のフリガナを加えるというニュースで、「キラキラネーム」と言われる名前が取り上げられていた。ニュースで報じられる名前の中にはビックリするような名前もたくさんあるが、「海」と書いて「マリン」と読む名前は、パスポートでは200人もいるという。これなど、ごくおとなしい名前だが、パスポートから推定するとおそらく1000人はいるらしい。「秋桜」の「コスモス」もごく普通に受け入れられている名前だ。頼朝の「とも」、和子の「かず」も「名乗り読み」だそうだから、これからも名前に関しての自由さを持ち続けたほうが良いのではという意見には同感する。
 バスに乗ると運転士の名前が表示されているので見ると、名前には名付け親の気持ちが込められていると感じ入る事が多い。年齢的に運転士にキラキラネームを見たことはないが、先日は「博愛」という名前があった。知人の名前の「不可死」というのも忘れがたい。
(宮)
   
 
『日の暮れた住宅街で』  少し前、絵本の原画展のために額装した額を発送しようとしたときのこと。いつも集荷にきてくれる宅配便業者の方の集荷では、間に合わないことがわかり、急遽、会社から近い別の集積所に直接運び込むことにした。以前はちょっとした荷物を運んだりするのに台車を使っていたが、靴を脱いで上がる事務所で台車を使うことはなく、台所に立てかけられたままになっていた。目指すは一番橋をこえたところにある宅配便の集積所。台車に久々の活躍の時が来た。台車のサイズは嬉しいことに大きな額の入った箱2つを載せるとジャストフィットした。同僚と2人で台車を押しながら出発。外は18時前だったがすでに暗い。会社から一つ目の角を曲がったところでお母さんと小さな女の子が歩いてきた。ちょうど家に帰るのかリラックスしたムード。女の子は私たちを見るや、物珍しそうに走り寄って来て、台車と荷物をながめて、私たちに「ねえ、なにがはいっているの?」と無邪気に聞いてきた。おしえてあげると納得してお母さんと去っていった。静かなのんびりした住宅街。そこに突如、大人の女性の2人連れが大きな荷物を台車で運んでいるのなんて珍しかったのかもしれない。人を疑うこともなくむかってきて問いかける子どもの姿をみて、かわいいなぁと心が和む。会社での荷物集荷ができなかったおかげていい出会いと交流が生まれた。時々はこんなふうに時間に間に合わなくても偶然にいいことがある。(やぎ)
   
2023年1月27日
『動物病院』  川崎街道沿いの住宅が解体され100坪(?)ほどの更地が生まれたが、そのうち「動物病院建設予定地」という表示が出た。この広さでさぞ立派な病院が建つのだろうと、最近のペットブームから勝手に想像していた。最近建設が最終段階に来て正体が判明した。何のことはない、動物病院は1階の1部分で、駐車場が並設されている。そして、2階から5階までは住宅である。人間相手の病院とは違い、動物にはこのぐらいの規模で間に合うのだろう。「動物病院建設予定地」の表示から、想像をたくましくした自分が可笑しくなった。(宮)
   
 
『しいねはるかさん』  仕事を離れ、ただTwitterに流れる、人々のつぶやきに目を落とし、読んでいた時の事。ある本のことを紹介しているつぶやきをみつけた。なんだかタイトルも気になった。『未知を放つ』(しいねはるか/著 地下BOOKS)。最近ではめずらしく、手に取ってみたわけではないのに手元に置きたいという思いが芽生えた。本を作っている地下BOOKSのサイトから直接注文し、昨日届く。今朝、会社に来る前の時間に読んだ。なんだろう。この気持ちは。いびつさは弱さではないという彼女の言葉は素直に心にはいってきた。みんながその人らしくいきられる社会ってどんなだろうか。そんなことを考えて、清々しい気持ちになった。(やぎ)
   
2023年1月20日
『カラスの土手登り』  朝、浅川土手を歩いているといろんな鳥の姿が目に入る。鳥の姿がないことはない。上空を集団で飛んでいることはもちろん、時に数十羽が河原にいたり、時には水面で潜水を繰り返して餌を啄んでいることもある。潜水の時間が結構長いこともわかった。
 その日は、気温は低いがいい天気で、浅川土手の遊歩道をいい気持で歩いていた。カラスが一羽、河原を歩いている。水際から土手に向かって歩き続けている。ずいぶん長い距離をあるいて土手の斜面にたどり着いたカラスが、どうするのかとおもわず立ち止まって見ていたら、土手を登り始めたのには驚いた。河原だってけっして平らではないだろうから、いつ飛び上がるのかと見ていたら飛ぶ気配はなくて、土手を登りきったのだ。
(宮)
   
2023年1月13日
『ワンマンバス』  百草団地に住んでいる。団地内にあったスーパーは昨年6月に店仕舞してしまったので、買い物等は高幡不動駅まで出なければならない。しかし百草団地のそばに帝京大学があり、そのおかげか高幡不動駅へ行くバスが頻繁に出ている。毎日利用しているバスだが、時間帯によって混雑ぶりが大きく変わる。大学直行便というバスまであるが、これとてほとんど乗客がいないまま走っていたりする。先日の日曜日の夜、高幡不動まで出なければならなくなったが、乗り込んだバスには一人も乗客がいない。しかし団地内にまだバス停があるから、誰か乗ってくるだろうと思っていたが、駅に着くまでとうとう私一人のままだった。運転士と乗客がそれぞれ一人という珍しいワンマンバス経験だった。(宮)
   
2023年1月6日
『事務所の暖房』  年末年始の休み明け、6日ぶりに出社したが、事務所の中は格別寒くもなくいつも通りの空気だ。社員の一人が休み明けに事務所が冷え切っているのではないかと心配していたが、まったくの杞憂だった。事務所といっても住宅の1階を事務所として使わせてもらっているので、以前の鉄筋コンクリートビルとは事情が全く別だということを改めて実感した。寒さを気にすることもなく仕事ができる。
 事務所が鉄筋コンクリートビルのときは、しばらく暖房を切っていたために建物自体が冷え切っていて、久しぶりに出社して暖房を使っても寒さは一向収まらなかった。冷え切ったコンクリートの質感を感じざるをえなかった。
 木造住宅と鉄筋コンクリート建築の違いということで言えば、現在住んでいるURの集合住宅は、冬の寒気に支配されて、昼間誰も居ないせいもあり、帰宅すると室温は6、7度しかない。少しばかりの暖房ではなかなか温まらない。WHOが健康を保つために、住宅には18度の室内温度が必要だと言ったということをニュースで聴いたが、住宅公団の極く初期の集合住宅である今の団地住宅をWHOの基準に合うように手を入れることは至難のことだろう。URに依存せず、自ら暖かくする方法を講じなければならない。
(宮)