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「王様の耳はロバの耳」(2022)
 
   
2022年5月20日
『安倍元首相』  安倍内閣に対する批判派の批判、とりわけ安倍元首相にたいする批判は、安倍元首相の歴史知識の幼稚さ、歴史的事実の捻じ曲げ、平気で嘘をつき続ける人格の低劣なこと、責任感の欠如など、およそ政治家として、いや、人としてあるべからざる資質の持ち主であることなどを理由に、まともな考察に値する政治家と思わないし、心底軽蔑している。私も同感を禁じ得ないが、しかし彼とその内閣が残した遺産の数々は、すでにとんでもない負の影響を日本の政治、社会にしっかり残している。その一つひとつについて経緯と意味と刻印された影響をきちっと分析して置かなければならない。バカにして終わりにしてはいけない。(宮)
   
2022年5月13日
『ロシアのウクライナ侵攻』  日本では、戦後77年経って、戦争の記憶は遠くに去り、またまた戦争に巻き込まれるような状況になってきたように見える。政治家然り、一般国民然り。岸田首相はGセブン協調を優先すると言って、ウクライナに軍事的支援を始めた。これがどこまで拡大するのか甚だ不安である。また、国民の多くがロシアのウクライナ侵攻を見て、自衛隊の軍備増強が必要だと強く思い始め、さらに核兵器も必要だと、北朝鮮が言っているようなことを感じている気配が濃厚である。
 ニュースを見ている限り、世界中、本気でロシア・ウクライナ戦争を終わらせるために動いている国はないようだ。ロシアの軍事侵攻を目の当たりにして自国の安全を必死になって考え行動するフィンランドやスウェーデン政府のNATO加盟の動きは理解できるにしても、アメリカを先頭に、どこの国も自国の利益優先で動いている。第二次世界大戦が、ドイツのポーランド侵攻から始まったことを思い出すと、プーチンのロシアがウクライナ侵攻の足踏み状態に業を煮やしてもう一段戦闘レベルを上げたら、あっさり世界大戦突入ということになるのではないか。そして最悪の場合、核戦争が始まり人類滅亡ということになる。戦争は始めるのはじつに簡単だが終わらせるのは至難の大事業なのだと改めて思い知るのである。
(宮)
   
 
『チキチキマシン猛レース?!』  会社から駅まで向かう道。その日は郵便局側を経由して帰ろうと線路下をくぐるルートで夜道を歩いていた。線路をくぐる道は坂を一度降りて上がるタイプの道で、その道を下りきって上り始めたところで、少し手入れの悪そうな自転車をシャコシャコとこぐ音が向かいの舗道から聞こえてきた。音のする方を見ると大学生くらいの若者だけれどかなりふとっちょの青年。しかし猛然とその坂を立ち漕ぎもせず高速で登って行った。疲れていたせいもあるが、その姿がいかにものんびりしたこの町に似合わなくて思わず笑ってしまう。その勢いは何かのレースのよう。何をそんなに急いでいるのかな?と得意の妄想をふくらませていたら、ひとりでに笑いがこみ上げてきた。しばらくして信号をわったところで前を見たら自転車の彼がいた。なんのことはないそこは新しく出来た焼き肉屋だった。その焼き肉屋に向かうために猛然と自転車を漕いでいたのだった。彼は焼き肉が食べたくて一目散に自転車を漕いでいたんだろうか…。その猛スピードの自転車を漕ぐ先が焼き肉屋だったことでなんだか平和な気持ちになる。が、しかし…その事実に、がまんしようと思ってもさらなるおかしさがこみ上げてくる。その時、頭の中に『チキチキマシン猛レース』(昔のテレビアニメ)の歌が浮かんできて、帰り道、心の中で繰り返し歌ってしまった。(やぎ)
   
2022年4月27日
『立憲民主党と国民民主党』  7月の参議院選挙で立憲民主党と国民民主党の略称がまだ決まっていないらしい。前回の衆議院総選挙では、両党が「民主党」を略称として届け出て、「民主党」と書かれた票を案分したと報道された。略称がまだ決まらないという記事を読んで呆れた。今回もお互いに「民主党」を主張しているらしい。さっさと話し合いで解決できないのだろうか。こんな些細なことに角付き合ってどうするのかと思うが、これが現実の両党の姿らしい。朝日新聞の「素粒子」が「りっけん」と「こくみん」でいいではないかと書いていたが、どのように決着するだろうか。(宮)
   
2022年4月22日
『甘える犬』  通勤で朝晩歩いている浅川土手の遊歩道は、犬の散歩道でもある。実にいろいろな種類の犬が散歩している。草むらに鼻を突っ込んで容易に動かない犬もいるが、今朝は犬を胸元に抱いて歩いている女性と出会った。いい天気で、せっかく遊歩道にいるのに歩かないで抱いている。しばらくして、女性は犬を地面に下ろして歩くように促した。ところが犬は歩きたがらず女性の足元でもっと抱いてくれとしきりに訴えている。人間の子どもが「抱っこ!抱っこ!」と大人に訴えかけている姿とまったく同じだ。女性は歩くように強く促すが、犬の方も頭と前足を使って頑強に訴えている。そのうち犬は足元の抵抗でなく、おすわりの姿勢を取ってしまった。座り込んだという感じで、どうしても歩きたくないようである。通り過ぎてから振り返ってみたら、犬は抱っこされていた。(宮)
   
 
『偶然に偶然が重なって』  先日実家に帰った時の事。普段兄弟たちとは同じ日に重なることのないように実家に帰るのだが、4月の2週目にたまたま、兄が風呂の修理のことで実家で一緒になる機会があった。私はというと家の中の要らないものを少しずつ整理しているのだがこれは夫が着られるかもというものとか、誰かが着るかもしれないものを仕分けていたので、一度見て判断してもらおうと、この時、一緒に連れてきていた。コロナ禍でもあり夫は父の葬儀以来わたしの実家には来ていなかった。本当に、たまたま久しぶりに兄にも会うことになったわけだ。その次の朝である。兄は近くの畑へお世話になっている人に頼まれて草刈りに出かけた。帰って来てから一緒に朝食をとったあと、整理して出たごみを車に詰め込み(近くのごみステーションに運ぶため)その足で帰っていった。

その後、私が2階で段ボールの中のものを整理している時だ。「おーい、まきこ。おまえの会社の著者と本が新聞に載っているぞ!大きい記事だぞ!」と夫が1階から叫ぶ。そして2階に上がってきて興奮してすごいなという。私も内心嬉しかったが平静な顔をしながら下に降りて新聞を見るといつも母が読んでいる毎日新聞ではなく千葉日報。兄が畑の帰りに地元のニュースを読もうと思いつきで買って帰って「読んだから、よかったら母さん読めば」と置いていった新聞だった。なんと記事は大きいだけでなく新聞の1面のトップだった。どうやら取材をしていただいていた共同通信で最近配信されたばかりの記事。通信社の記事は配信後、どこで掲載になったかをリアルタイムで知ることはほとんどない。兄は私の会社の本が新聞に載っているとも思わずに置いていったのだが、私がこの本を作るのをずっと見ていた夫がたまたまそれを見たから気づき、私に伝えるという偶然が重なった結果、普段はいないエリアで当日に掲載紙をみるという偶然に遭遇したのだった。運命の糸が手繰り寄せられたような嬉しい出来事だった。
(やぎ)
   
 
『かけそば』  少しずつ、仕事で外にでる機会が増えている。お昼は外でちゃちゃっと、でも無駄遣いはできない!そんな私にとって大変ありがたいのは、駅構内のお蕎麦屋さん。蕎麦好きなので、毎日でも飽きませ~ん。しかもかけそばで満足!ネギも大好きなので、蕎麦+ネギで十分なのです。ただひとつだけ、あったらいいなと思うのが、ネギ増しボタン。注文のときに「ネギ多めでっ」と言っていいと聞くのだが、何だか申し訳なくて言えない。なので、遠慮なくネギ増しできるボタンを、作ってくれないかなー。サービスの場合は、増しぐらい。50円だったら、増し増しくらいみたいなボタンを、ぜひ。(みなりん)
   
2022年4月15日
『余計なお世話』  聖蹟桜ヶ丘駅行のバスに乗ると車内放送が、多摩市からのお知らせですと切り出して、食生活の世話を焼く。夕食の献立が決まったら、冷蔵庫と家の中をよく見回して、足りないものだけを買いましょう、そうすれば無駄が出ること無く美味しく食べられます云々という。このあとに言葉を忘れたがもっと立ち入った余計な世話を焼いていた。食材が大量に捨てられたりしないようにという趣旨は理解できるが、朝たまたま乗り合わせたバスの中で、子供に教え諭すかのように生活の仕方を具体的に指図する、市役所が個人生活の中に入り込んできて余計なお世話を焼くのは不要だよと言いたくなる。(宮)
   
 
『おいくら?』  先日、実家に帰ったときのこと。お天気だったので母の運動もかねて近所に散歩へでかけた。あともう少しで家に着く道に入る手前で、久しぶりにお会いした母と同い年だというご近所さんが、これまた娘さんとお散歩しているのにでくわした。母が「〇〇さん?」と聞くと一瞬わからなかったようだがすぐに「久しぶり~」と嬉しそうな顔になった。その方はここには住んではいないがしょっちゅう来ていた人で、近いうちに家を売ってしまうのだそうだ。その時の会話。

母「お元気でした?」
ご近所さん「すっかり骨と皮ばかりになってしまって」
わたし「うちの母にはたっぷりお肉ついているのでよかったら差し上げましょうか?」
ご近所さん「ええ、いいんですか?ところでおいくら?」
わたし・母「いいえ、いいえ、ただですから好きなだけもっていってください」
ご近所さん「まあ。それはそれは」
みんな「あはははは」

とまあ私の冗談にもユーモアでかえしてくれるご近所さんの後ろ姿をみながら、なんていい間柄だろうと感心してしまった。年をとってもこんなふうに楽しく会話を返せる人でいたいなぁ。
(やぎ)
   
2022年4月8日
『戦争と市民生活』  連日テレビニュースはウクライナ戦争について報じている。報道の仕方について様々な批判があることも承知しているが、それをひとまずおいて、報じられている動きを見ているだけでもきわめて深刻な状況になりつつあることがわかる。
 ロシアのプーチン大統領の決断で引き起こされた戦争であり、その責任が重大なことは間違いないが、戦場になった都市の残虐な出来事が報道され、関係国や周辺諸国から、戦争犯罪を追及するという憤激の声が挙がっている。アメリカ大統領は、ロシアのプーチン大統領を戦争犯罪人と呼び、西側の国がウクライナ政府に武器を供与する。チェコは旧ソ連製の戦車を供与するという。戦費の援助や武器供与は戦争に関与するということだ。だが、これに対してロシアが「参りました、降参します」と言うはずがない。戦争は一段と深みにはまり、激しくなり長期化するだろう。その間、民間人の被害が増え続け悲惨な出来事が繰り返される。事態は甚だ悪い方向に動いている。
 戦争が始まってから1ヶ月余で眼前の泥沼状態になってしまったが、当事国を含め諸国政府はそれぞれの国益を考え、いろんな政策目的と思惑をもって行動している。市民の生活、生命を守るということを最優先の目標にしているとは思えない動きを続けているので、なるべくしてなってしまった事態ということなのだろう。それでも、他の道は無かったのだろうかと、いまさらながら思う。
(宮)
   
 
『別れの季節』  子どもの中学校の図書館司書の先生が異動になった。 私が子どもの頃は、終業式(もしくは卒業式後だったか)に、退職や異動する教職員が挨拶する離任式があった。今は、新年度になり、始業式でその事実を知る。離任式は5月。 都の採用の先生は、4月1日の朝刊に別紙になって情報が掲載されるが(都のHPでも見られる)、区の採用の先生や、司書の先生の異動は、始業式まで知るよしもない。基本的に在校生の保護者も事前に教えてもらえることはないので、始業式の日に、子どもからの情報で知ることになる。異動してほしくない先生が移動してしまったときのショックと言ったら……(゚Д゚;)ガ――ンと、こんな顔。 子どもはもちろん、私も図書館司書の先生が異動するの淋しい。異動先が隣の中学だと聞いても、やっぱり淋しい。本の話やその周辺の話、図書館のこと、学校のこと、いろいろな話を聞かせてもらい、生徒思いで図書館と本が大好きなとってもいい先生だった。次の学校でも、変わらず、元気で頑張ってほしい!(みなりん)
   
2022年4月1日
『新型コロナ感染者増加』  今週、東京の新型コロナ感染者が増加傾向を示している。全国でみても横ばいか若干の増加を示している。なかなかしぶとい動きだ。ウイズコロナなどと言って共存するべき状況だという説もあるし、欧米では規制を全面的に外す国まである。そのような政策の原因は、経済を動かしたいということと、一人ひとりの個人が自由な行動を束縛されたくないということにあるようだ。日本も欧米にならって規制緩和の方向に向かっているが、他方、ひとたび感染すると後遺症がなかなか厄介そうだ。多くの人が長引く後遺症に悩まされているらしい。ニュースで報じられている後遺症の中身は結構深刻なものだ。政府には後遺症対策をよく考えて政策の方向決めてほしいが、独自の方針というよりは、欧米の動きにあわせて決めているようで、相変わらず甚だ自主性のないやりかたである。(宮)
   
2022年3月25日
『大量離職』  ネットでニュースを見ていたらアメリカで大量離職が社会現象になっているという。感染リスクと隣合わせの職場で働く人々が、リスクと賃金が見合っていないと考えている。そんな状況の中で雇う側は賃金を上げて従業員を確保しようとする。働く人たちは仕事と職場を比較してより有利な仕事に就こうとする。結果として大量離職と賃金上昇がますます広がっていく。また政府の手厚い支援策により、慌てて仕事を探すのではなく、時間をかけて探そうとしている。アメリカでは1人当り37万円の現金給付を実施している。さらに失業保険を上乗せする特別措置により働くよりも収入が多く得られるケースもあるという。賃金が上がり、生活に余裕ができるわけで、アメリカでは、市民生活を支えるという経済本来の機能がはたらいている。翻って日本ではどうか。大手企業は空前の内部留保を溜め込んで労働者への還元はまことに微々たるものだし、政府のコロナ支援策は、する事なす事チマチマとしていて中途半端である。今話題になっている年金受給者に一時金5000円を支給するなどその最たるものだ。人びとが前途に希望を持って生きていくことができない社会になっていて、悪循環にはまったままのようである。(宮)
   
 
『季節を楽しむ』  日本には四季がある。今はその境目があいまいになったり、以前の季節の変化と今の変化はもしかしたら違ってきているかもしれない。夏の猛暑日が増えたり、台風の勢力も強くなり、冬も以前より寒さが緩んでいる気もするし。

日本はずっと四季と一緒に生きて来たんだなぁとこの頃思う。木々の変化、草花の咲く時期には四季折々の変化があり、それを日本に住む多くの人たちが楽しんでいることがわかる。春はとくにみんな嬉しそうだ。道ですれ違う人、SNSの写真や言葉、知り合いたちの会話から、その喜びが伝わってくる。鳥や他の動物からもそんな会話が聞こえてくるようだ。

自分は今までどうだったろうか?改めて考えてみると自分がどんなふうに四季を楽しんできたか全く思い出せないでいる。でも今は…そわそわとこの春の訪れを楽しんでいることに気づく。いろんな生き物や誰かのワクワクした気持ちが自分の中に入り込み変化したのかもしれない。そうなれてうれしい。
(やぎ)
   
 
『昔の自分に、励まされる』  パソコンの中の奥の奥にあった古い資料をたまたま開くと、約15年前に自分が書いた文章がでてきた。何かに掲載した文章なのか、そこに書かれていたのは、書店の児童書の担当さんとの交流のことだった(15年前に、10年前を振り返っている文章だったので、25年前のことか、ひょえー)。
少し抜粋して、ここに。

「東京郊外にある書店さんの児童書担当者Aさんと出会った。注文を頂いた新刊でも既刊でも動きがないことが続き、「今度こそ返品かなぁ」とうつむき加減でお伺いすると、「朔北社の本一冊では動かなかったけど、他の本と合わせて置いたら動いたよ」と、棚を見せてくれた。そこには、手作りのポップまで飾ってある。・・・・そして一言「この本を売りたいからがんばったよ」(―中略―)大好きな児童書について楽しそうに語り、気に入った本はとことん売りたいという、Aさんにあって話をすることは、私のパワーの源だった。」
「ある書店さんで、レジに入っていた児童書の担当の方を離れた場所で待っていると、担当者さんが急ぎ足で近づいてきて「早く、早く、こっちにきて」とレジに連れて行かれた。すると、そこには、朔北社の本を購入している親子が・・・・子どもが大切に本を抱えている。朔北社の本を購入していただく場面を初めて見た私にとって、それは例えようのない衝撃的な喜びの瞬間であった。」

どちらの担当さんも、どこかに異動されたり、辞めてしまわれたり、残念なことに今は交流が途絶えてしまっている。元気にしてるかな?

コロナ禍で思うように動けないし、世の中の流れにもついていけず、自分のやってきたことは何だったのだろうと、落ち込んだり、心折れそうなこともしばしば。けれど、もう少し頑張れそうな気がしている。(みなりん)
   
2022年3月18日
『ありえない判決文』  日産自動車のケリー元会長に対する判決が3月3日に下されたが、郷原信郎弁護士によるとケリー「有罪」判決は法と論理ではなく「主観」「政策判断」によって導かれた、法解釈上と文理解釈上ありえない内容のもので、「日本の刑事司法の惨状」を象徴する判決であるという。元検事の郷原弁護士にこのように批判されている判決文の箇所を具体的に説明している映像を視聴した。とりわけ、普通の日本語の文章として論理的に明らかに間違っている解釈を平然と判決文に書いていることには驚き呆れた。まさかこんな馬鹿げた文章を裁判官が書くなどとは誰も思わないだろうが、そんな盲目的信頼感を持ってはいけないのだ。郷原弁護士の説明は十分納得できるものだったが、新聞テレビは判決の結果を単純に伝えるだけなので、裁判官が書いた判決文の問題性はまったく伝えられていないのである。ゴーン元社長が「日本では公正な裁判を受けることが出来ない」と言って逃亡したことが正当な行動だったということにならざるを得ないと、郷原弁護士は嘆いていたが、そのとおりで、暗澹たる気持ちになる。(宮)
   
2022年3月11日
『便利な銀行』  高幡不動駅前の三菱UFJ銀行のATで現金を引き出そうとしたら、引き出せない。おかしいと思ってよく見ると千円単位で入力するようにという指示が出ている。2週間ほど前には出来たのに、機能が変更されている。千円単位でしか引き出せないというのは、店舗が無くなってあらたに駅構内に設置されたみずほ銀行ATMがそうだった。仕事がらみで使うときには不便で、三菱UFJを買っていたのに、同じく不便な機能に落とされてしまった。このとき駅の2階にあるATMを思い出し、こちらはどうなっているか確かめようと行ってみた。驚いたことにATM自体が撤去されていた。  銀行の経営が大変なことはときどきニュースになるが、大変さを乗り越えるために個人利用者に不便を強いるのは毎度のことだ。郵便局が小銭の入金を有料にするなど、ありえない処置だと思うが、強行される。  金融機関の存在価値がどこにあるのか、いろんな考え方があるだろうが、世の中の変化に単純適応するだけではいずれは消滅するのではないかとすら思う。たとえば近年「何とかファンド」という組織が多数存在するが、本来銀行が担うべき仕事をファンドに取られているだけではないのか。(宮)
   
2022年3月5日
『プーチンのウクライナ攻撃』  24日の侵攻以来ウクライナでは戦闘が続いている。テレビのニュースでその状況はいろいろ伝えられている。軍事力の圧倒的違いから、ウクライナ人ウクライナ軍が抵抗すればするほどウクライナの破壊が進み死者が増加する。世界の世論は圧倒的ウクライナ支持が強いが、だからといって、プーチンが軍を退くはずもなく、プーチンの言い分が通るまで、つまりウクライナ人がプーチンの言うとおりにするまで戦争状態が続く。歴史を見返すとソ連崩壊以来の米欧諸国とロシアとの外交交渉のなかで、約束したことが守られずロシアの不満が増大したということがあるらしい。アメリカのトランプ大統領がいい例だが自国の利益最優先で行動する国が強い力を持っているから、外交関係のなかで理不尽な結果を押し付けられてきたことがあるだろうことは想像できる。約束したことがあっさり反故にされたことがあるだろう。しかしだからといって、今回のように自国の主張を相手に飲ませるために軍隊を使う、他国を侵略することが容認されるはずがない。だが核兵器の使用までちらつかせて主張を押し通そうとするプーチンを翻意させる、侵攻を止める方法があるだろうか。今のまま推移すると、ウクライナ中が軍事力で滅茶苦茶にされて多数の死傷者を出してウクライナ人が抵抗できなくなって、初めて戦火は止むのだろうか。軍事力を背景に強引な主張を押し通すやり方は、ヒトラーを連想させるが、ヒトラーの場合には戦争を避けるために宥和政策が取られ、ヒトラーの意図が順次実現させていったのだが、プーチンの場合にも同じことになるのだろうか。核の存在があるだけに当時より対応の条件が一段と厳しくなっている。(宮)
   
2022年2月25日
『プーチンのロシア』  ロシア軍がウクライナに侵攻した。ウクライナの周辺に集結していたロシア軍が動きだし、ウクライナ軍の施設を攻撃、制空権を確保したなどど報じられている。ロシア軍は、ウクライナ東部の親ロシア派の2州ではなくウクライナ全土にわたって動いているらしい。これに対してウクライナ軍がどんな反応をしたのかは、まだよくわからない。とにかく戦争が始まったのは間違いない。
 たまたま岩波新書の芝健介『ヒトラー』を読んでいるので、ロシアのプーチン大統領がヒトラーに重なって見えてくる。独裁者の頭の中の妄想というべき国家構想が、何かの拍子に現実のことになって戦争が始まり、その結果が既成事実となって現実の世界になる。独裁者のそんな妄想を、眼前に見るとはまったく想像も出来ないことだったが、いやいや、現実にそういう世界を見ている。
(宮)
   
2022年2月18日
『満月』  17日(木)の夕方事務所を出て高幡不動駅に向かって歩き始めた。すでにすっかり暗くなっているので、浅川土手のすぐ脇を並行してはしる道を選んだ。土手の脇に出たときに前方に見えたのは地平線から昇り始めて間がないまん丸の月だ。満月である。いつもの2倍はあるかと思われる大きなオレンジ色の月の姿は、この地区に事務所があるからこそ見ることができる。大きな建物がなくて空が広いのだ。感動して、事務所で残業している社員に電話で、この見事な景色を伝えた。事務所を出る時間と月の満ち欠けのタイミングが上手く合うと、大きくオレンジ色に輝く満月に出会うことができる。(宮)
   
 
『おばちゃん化』  買い物してレジに並ぶ。今やどこでもポイントカードなどがあり便利でありがたいものだけれど、グズでだらしないわたしにとってはレジの会計は日々の緊張事項のひとつとなっている。まずポイントカードをトレーに出して、時には割引券なんかも出すこともある。レジの値段をにらむ。後ろに人がいなければいいが、たいていの場合は人が並んでいて、邪魔にならないようにと気が急くのである。なるべくお釣りが少ないように小銭も使いたいが、焦ると小銭がうまくつかめない。挙句の果て足りるかなと出し始めた小銭が一枚足りないなんてことがよくあるのだ。
 そしてある日定期入れに入れていたポイントカードを渡してから会計を済ませようとしていたら、定期入れのカードを差し入れる側を逆さにしてしまって何枚も入っているからきつくて落ちないケースから一枚カードを抜いたもんだから口が緩んだケースからカードというカードが全部床に落ちて散らばってしまった。
 後ろにはその日も人が並んでいて、とりあえず会計して後でまとめて拾おうとしたら、後ろに並んでいた20代の女性が全部拾って「はい!」と渡してくれた。しかしこともあろうに私がその時に最初に言った言葉が間抜けであった。「全部おとしちゃった~」と受け取りながら言ったのだった。言った後なんと間抜けな!と思うが、そんな私に彼女はふふっと笑ってくれたのでなんだか心が軽くなり、改めて目を見てから「ありがとう!」と告げることが出来た。その時も彼女は微笑んでいた。本当にいい子だったな。しかしまあ私ときたら、心の中そのまんまの自分の気持ちを赤の他人に口にするなんて…若い頃ならなかったなと思う。これが俗にいうおばちゃん化なのかもしれない…。
(やぎ)
   
 
『∨3だそうで』  2月22日が猫の日ということで、とある会社の「猫の名前ランキング2022」を見ましたら、総合ランキング1位は「ムギ」(=^・^=)だそう。我が家の母猫の名前は、他にあまりない名前にしよう!とつけたはずの「むぎ」(平仮名がポイント)だったのに、人気の名前だったとは……。息子猫の名前が「ちょこ」なので、合わせて「むぎちょこ」。ちなみに、「チョコ」はランキング外。(猫にチョコを食べさせたらダメだからかな?)ま、当の猫たちは、そんなランキングなんて知ったこっちゃない。今日も、明日も、猫の日だって、2匹はいつもと変わらず、「むぎ~、ちょこ~、ただいま」と帰宅した私の後ろを「にゃーにゃーにゃー」と、一日の出来事を話しながらついて回るのです。(みなりん)
   
2022年2月14日
『新型コロナ感染者数』  このところ東京の感染者数は前週を下回ってきた。全国の数字でも減少しているようだ。店の前を毎日通り過ぎている居酒屋のガラス越しに見える混み具合は、新型コロナの感染などどこの話かというぐらい密接、密集して飲食・歓談している。あんなに密接・密集していて感染が怖くないのかと思いながら見ていたが、何事もなかったようである。そして今東京では感染者が減少している。新型コロナ感染の「不思議な動き」を改めて感じる。感染しないための行動様式がいろいろ言われていて、ときに解説者の言うとおりの事例も無くはない。しかし、他方で原因不明の事象がいろいろある。結局のところ、よくわからないのだから、推奨されている行動をして感染を避けているつもりでいるしかない。(宮)
   
2022年2月4日
『事業復活支援金』  コロナ禍で政府は中小企業向けの支援策をいろいろ打ち出しているが、その最新策が1月31日から受付が始まった事業復活支援金である。これについてテレビニュースは最大150万円の支援金が、2年前の持続化給付金と違って、売上の減少率が50%から30%に緩和されて利用しやすくなったと報じている。しかし、これは政府発表の表面的な垂れ流し報道の典型で、内容についてまったく調べていない。
 最大150万円は、年間売上が5億円超の法人に対してであり、年間売上が1億円以下の場合、60万円の支給となる。どのみち本当に困窮している企業にとってはあまり助けにはならない金額である。そして「事前確認」という段取りを新たに作って「登録確認機関」に企業経営の細部を事細かにチェックさせる。事前確認のために、確定申告書に加えて売上台帳、請求書、領収書、通帳を数年分用意せよという。確定申告書を信用していないやり方である。
 というようなわけで、煩雑な事務処理を新たに大量に押し付けて、政府はコロナ禍において中小企業対策をやっていますよというポーズをとっている。おかしな事だらけだが、何とか生き延びるために、煩雑な事務作業をやらざるを得ないのが現実だ。
(宮)
   
 
『嫌じゃない?!』  腰椎圧迫骨折で年末に退院してきた母は、まだコルセットをしたままだし、今もあまり自由に動けない。普段一人暮らしなので週に2回のデイサービスに通いそこで風呂にも入ってくる。それなりに家の中を歩き回れるようになったが今の時期寒いし、もしもの時に風呂で一人で倒れたらと思うと家で風呂に入るのが怖いという。以前一人で風呂に入った時に突然目が見えなくなったことがあるし、年寄りがヒートショックでなくなることもあるので私たち兄弟も心配している。そんなわけで週末は誰かしらが母の元を訪問して一泊して帰って来る。昼間比較的暖かい時間に自分も風呂に入り風呂場や脱衣所を温めたあとに母のお風呂を見守る。必要に応じて手伝うことがあれば手伝うが基本は側でたわいないおしゃぺりをする。頭や体を洗い終え湯舟でくつろぐ母がおなかの肉を手でつまんでお湯の中で揺らしている。母はおなかの肉がたっぷりしているのだ。母に聞く。
私「ねえ、そんなお肉がついてて嫌じゃない?」
母「全然嫌じゃないよ」
私「そんなたぷんたぷんなのに?!」
母「うん、だって笑いがとれるじゃん?芸もできるし」といたって嬉しそう。
確かに入院中同室のかしましい年上のお婆さん達(96を筆頭に81歳の母が最年少の部屋だったらしい)にもちもちしてて肌がきれいだとか、鏡餅のようだとか言われて拝まれていたらしい。そうか、みんなに笑ってもらえる…そう考える人もいるのだと我が母ながら感心してしまった。
(やぎ)
   
 
『スキー合宿』  子どもが2泊3日のスキー合宿(学校行事)に行った。こんな時期に?と思われるかもしれないが、事前にPCR検査を受け、宿泊先でも厳しすぎるくらいの感染症対策をした上でのことだ。この2年間、学生生活の楽しい行事がどんどんなくなる中で、心配ではあるけれど、行けて良かったなぁというのが正直なところである。
出発の朝、ぎゅうぎゅうに詰まった大きなバックを持ち、うれしそうに玄関をでていく子ども……のすぐ後ろを家の前の道まで見送りに出る私。「え、外までくるの?」と言われても、気にしません! まっすぐ続く道を歩いていく後ろ姿、振り向くたびに大きく手を振る私。「もう~(-_-;)」という顔をしてるけど、何度も振り返っているので、多分嫌じゃない。何度も何度も手を振った。心の中で声をかける。
「楽しんできてね~、怪我しないでね~、ワスレモノないよね? タイチョウくずさないかな? スキーのタイツ、オナカきつくないかな? バスニヨワナイカナ?………」
そうしているうちに、ふっと思い出した。実家から東京に帰るとき、父に駅まで車で送ってもらうのだが、門の外に出てきて車が見えなくなるまでずっと大きく手を振っていた母の姿を。
「ちゃんとご飯たべてね、体調くずさないようにね、きをつけてかえってね、またかえってきてね、まってるよ、まってるよ」
そんなことを思っていたのかなと考えていたら、泣けてきた。家に入ると「え? 中学生が2泊3日のスキー合宿に行っただけなのに、なんで泣いてるの?」と夫。……ですよね。でもやっぱり、ちょっとさびしいのです。(みなりん)
   
2022年1月28日
『梅が咲き始めた』  1月20日は大寒だった。今週も厳しい寒さが続いているが、今頃は1年中で一番寒い時期らしい。そのさなかに梅が咲き始めたのを見つけた。今週初めに高幡不動から会社に向かって歩き始めて京王線の踏切を渡ると、線路際のお宅に白梅が咲き始めたのを見た。毎年恒例の風景だが、厳しい寒さの中で咲き始めるのが不思議に思える。毎日少しづつ花が増えていくが、とりわけ咲き始めの景色が気に入っている。近年は異常気象の話題が途切れなしに出てくるが、こうして時期が来ると梅が咲き、その次には桜が咲くはずで、季節が巡っていくのを目で見てホッとする。浅川土手の遊歩道は冬枯れの真っ盛りだが、梅はそんな環境を物ともせず咲き出す。会社の庭にある梅の木も蕾を膨らませてきた。(宮)
   
 
『挨拶』  昨日一昨日と門が閉まっていた都立農業高校。同僚に話したら都立高校はリモートなんじゃない?とのこと。感染が広まってくるといち早くリモートになるらしいという。しかし今日も休みかなと思ったら通常校舎から次々生徒たちが実習棟へ移動してゆく。今日はリモートではできない授業なのかもしれない。2-3人連れだって嬉しそうに歩く高校生たち。一人で移動してくる生徒もちらほら。私もそういうタイプだったなと思う。そのうちの一人の女の子が生徒たちとは逆向きに歩いてきた先生に弱々しく「おはようございまぁ~す」と言う。先生が「おはよう、なんか元気ねーな」というとその生徒は「あー元気ないんです」といいながらすれ違っていった。元気なくても自分から先生にあいさつする女子高生とその元気のなさにちゃんと気づいてあげられる先生がいることになんだかちょっと心にグッとくる朝だった。女子高生はなんで元気がなかったのか気になるが、気づいてあげられる先生がいるから大丈夫に違いない。(やぎ)
   
 
『募る思いが止まらない』  地元の長野に帰りたい。本当に帰りたい。コロナ禍になりもう数年帰っていない。いつになったら帰れるのだろう? 感染状況がすこし落ち着いていたこの間の年末年始も、悩みに悩んだ挙げ句、諦めた。諦めなければよかったのか?
 年が明けて「4年ぶりに諏訪湖の御神渡りが現れそう」というテレビのニュースを目にして、地元への郷愁の念、帰りたい気持ちに拍車がかかってしまった。毎日地元の新聞をネットで読むようになってしまっている。両親とはスマホでお互いの顔を見ながら話はできるが、近くて遠い。そこに写る顔がほんの少しだけ年をとったように見えて、心配でたまらなくなる(とても元気なんだけども)。昨年末は、地元に帰るのを諦めたいとこから「帰りたくてしょうがない、涙がでる」と連絡があり慰めていた側だったのに、今度は私が同じように「帰りたくてしょうがない」と同じく東京にいる妹に泣き言を言っている。こんなふうに帰れない日々が続くなんて、想像もしていなかったよ。(みなりん)
   
2022年1月21日
『思い出す阪神淡路大震災』  1月17日の阪神淡路大震災で西宮にいた兄一家が被災した。兄の次男からの電話で、兄が瓦礫に埋まって呼びかけても返事がないという。次男は怪我ひとつ負わなかったが兄は亡くなり、細君は瀕死の大怪我だった。あの日、とにかく現場に行こうと決めて朝9時頃家を出たが、現地についたのは夜中の1時だった。亡くなった兄は、警察の地下駐車場に着の身着のままの姿で横たわっていた。兄のところに辿り着くまでの道すがら、どんな揺れが来れば家がこんなにまで粉々になるのかと驚くような瓦礫の山をこえなければならなかった。翌朝見た街の景色は忘れられない。8階建てぐらいのビルが1階部分や途中のワンフロアがそっくり押し潰されていたり、ビルが激しく斜めに傾いていたり、自動販売機がひっくり返っていた。巨大な建造物である高速道路や鉄道がひっくり返っていた。とりあえず命が助かった細君は大腿部骨折の重症で、早く治療できる病院に移らなければならなかった。2、3日、夜は病院の廊下で体を休めて、昼間は病院探しに奔走した。そして、幸いなことに手遅れにならないうちに病院に移ることが出来たのである。(宮)
   
2022年1月14日
『蜂の巣』  長らく放置していたベランダに溜まった枯れ葉の山を片付け始めたら、エアコンの室外機のパイプに蜂の巣が出来ている。不気味な形にぎょっとしたが、今の時期ハチは活動していないようだ。すぐに自分で除去しても問題なさそうだが、片付ける前にインターネットでハチの巣の始末について調べたら、自治体は蜂の巣を直接取り除くことはしてくれなくて、処理業者を紹介してくれるという。ハチの巣の存在に気がつくのが遅かったので、真冬の今、自分で安全に取り除くことができる。
真夏の時期に、夜ガラス戸に虫がぶつかっているような音をよく耳にしていたが、その中にハチがまじっていたのかもしれないなどと、いまごろ考えるのである。なんとも迂闊な話だ。
(宮)
   
 
『新たな年の一歩』  
   年が明けた。毎年新年を迎えると新たな気持ちが湧いてくるのだが、9月末の義理の兄の死、年末のバタバタと新刊の準備やら展示の準備やら、骨折で入院していた母の退院やらいろいろ重なり今年の元旦は心新たな気持ちからは少し離れたところにいたように思う。仕事始めの展示準備を終え、ようやく少し日常が戻ってきた今、しんしんと寒い空気の中でようやく自分を取り戻してきたと感じている。雪に反射する日の光で心の中を照らしながら、今自分は何をしなければいけないか考える。まずは新刊を売ることを考えよう。届いた先にも元気のパワーを届けるためにも、自分自身も元気でいようと思う。初めは小さなものでしかないかもしれない。けれど待っているだけでは何も始まらない。まずは一歩を踏み出したい。今年もどうぞよろしくお願いします。

※7日に載せようと書きかけたものなのでちょっと時間軸がずれているがお許し下さい。
(やぎ)
 
『寛容』  コロナ禍もあり、テレビをみても、ネットをみても、世間の人は寛容さが足りない!と他人事のように思っていたが、自分のことを振り返ってみると、それこそ不寛容だ。細かいことが気になって、小言や愚痴ばかり。寛容さのかけらもない。いつまでもウジウジして、本当に小さい人間だ。
そんな自分にうんざりしていたお正月気分抜けない成人の日の朝。楽しみにしていた番組が始まる。NHKの生放送!「平野レミの早わざレシピ 2022初春」!!
密にならないよう、スタジオで料理するのはレミさんのみという形態も数回目。慣れない頃の、始まりからてんてこまい、やることもたくさんあって右往左往、ということも減り(ちょっと寂しい)、レミさんらしくおおらかに派手に楽しそうに「はい、こうして、こうして、ね、はい、でっきあっがりー」と、どんどん料理を作っていく。
別スタジオにいる他の出演者との掛け合いも、相変わらず楽しくて、大笑い。笑って、笑って、レシピがちっとも頭に入らないけれど、レミさんの楽しそうな姿を見ているだけで、こちらも楽しい。ああーやっぱり、この人のおおらかさって、別格だ!
どーんと目の前に完成した料理がでてくると、さっきまでの駄目な自分をまるごと受け入れてもらったような、そんな気分になる。すごい人。ありがとう、元気になりました。
番組の最後に新成人に向けて「人と比較しないで自分は自分だと思って一日一日を大切に過ごしましょう」ですって。新成人じゃないけど、心に刺さる。
次が待ち遠しいな。13弾がすぐにでも放送されますように! 待ってまーす。(みなりん)
   
2022年1月7日
『東京の大雪』  ニュースで「東京の大雪」と言われるのは、5センチとか10センチの積雪のことで、昨日(1月6日)も都心で10センチだった。道路で事故が続発し、路上で転倒して救急車のお世話になる人も出ている。夕方会社を出る頃は日野市でほとんどふっていなかった。夜のニュースでは、翌日の路面凍結に気をつけるようにしきりに強調していたが、今朝の道路は確かに凍結していて滑る。ところが浅川土手の遊歩道に出たら、太陽に照らせれた雪は殆ど融けていて両側の斜面だけ白く輝いていた。何度経験しても嬉しい景色だ。その遊歩道も桜並木まできたら、路面は雪は残っていないが、いま融けたばかりとばかり水っぽくなっている。太陽が直接照らしているところと日陰になっているところで、雪の解けかたがまるでちがうのだ。自動車が頻繁に通る道路でも日陰になったいると雪が残っていたり、凍結して危険な状態になっている。(宮)