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「王様の耳はロバの耳」(2020)
 
   
2020年2月21日
『気にかかること』  仕事のことを別にして今一番の関心事は、安倍内閣が何時退陣する状況が出てくるかということだ。「桜を見る会」の問題が出てきたとき、安倍首相はこの問題からは逃げ切れないだろうとわたしは思ったのだ。
 問題の性格から違法行為である証拠が次々出てきて、逃げることは不可能だろうと。実際普通の感覚で言えば到底逃れられない証拠の数々が出てきている。多くの証拠に加えて、戦後社会に対する信頼もある。現に安倍首相に対する批判の声は決して少なくないし、繰り返し批判の論陣を張っている人々がいる。しかし……。
 現時点ではまだ逃げ続けている。これには理由があって、官僚組織が安倍首相の発言に合わせて辻褄の合わない答弁行動を取り続けていること(奴隷状態)、違法行為を摘発するべき検察機関が同様に安倍首相をひたすら忖度した行動を取り続けていること、与党からの公然たる批判、反乱が起きないこと。そして安倍首相をよしとする支持者も決してすくなくないことである。
 長期政権は、戦後社会システムを根底から破壊しつつあるが、このような状態に対する根本的な反動がどこかに時点で官僚組織、検察、与党政治家から起こるだろうというのが、わたしの予測で、それは戦後社会に対する信頼から出てくる。
 依然として信頼を持ち続けて、事態が今後どのように推移していくのか、連日の国会の論戦、報道機関、インターネットの動向を注視している。
(宮)
   
 
『日本の行く先は?』 生きていれば色んなことがある。日本も然り。いろんな良い事、悪い事もふりかかる。いいことはそんなに問題は起こらないけれど悪い事がおこったとき、その人、そしてその国の真価が問われるのではないだろうか。何かに巻き込まれたときほど、人は素の自分になる。こうありたい自分はいるが、その場に立ったときそういう自分と乖離してしまうこともある。ああ、何もないときの想像ではこうしたいと思っていたのにこんな判断をしてしまったと驚く。自分さえも見えない自分が出て来たりする。では、もしも人に何かを疑われるようなことが起った時には、どうしたらいいだろうか?悪い事をしていないのなら丸裸になっちゃえばいいと思う(本当の裸ではなく必要に応じた資料を出すということ)。丸裸になれないのはやましいからだろう。今の政治はそんなことばかり。今や日本は民主主義国でなくなってきているように思う。正しいと思ったことを素直に言えば何かに脅かされるなんてあってはいけない。個人の責務に避難を浴びせる時間に本来話し合うべきことがあるだろうに。何か起こるたびに不安が増す。まずは何が起こっているのかを自分で見きわめて、考え決断できるようにならなければ心までもってかれてしまうと危惧するばかりだ。(やぎ)
   
2020年2月14日
『オリンピック』  コロナウイルスの流行で、オリンピックが開催できるのかわからなくなってきたが、社員のひとりが1964年の「東京オリンピック」の映画を見たそうで、マラソンコースになっていた甲州街道の変貌にびっくりしたと言っていた。56年前の街を見れば、その変化に驚くのはよく分かる。当時、細い農道だった道が環状7号線になり、都心には高速道路が走って日本橋を覆い、新幹線まで間に合わせた。新しもの好きの日本らしく、工事を次々行って景色を一変させたのだ。経済成長の勢いを感じさせる変化だった。2020年のオリンピックではそういう大きな景観の変化はないが、なんか落ち着かない景色を作り出していると感じる。規模が大きくなって周囲を圧迫するような新国立競技場はその実例のひとつだ。落ち着かないといえば渋谷の変貌もものすごい。新たに高層ビルが何本もつくられ東横線、地下鉄の駅がまったく姿を変えてしまった。この落ち着かなさが、オリンピックをめぐるいろいろな問題(マラソンの札幌移転、東京湾の汚水)の浮上と絡んで、こんどのオリンピックの特徴だとおもっている。しかし開催できるであろうか?(宮)
   
2020年2月7日
『どちらがいいのか?』  大統領制と議院内閣制のことである。アメリカでは今年は大統領選挙の年で、ちょうどアイオワ州の党員集会の結果がニュースになっている。いろんな候補者が出てきて半年ほどかけて候補者を決めていくのをみると、日本の現状を考えて、大統領制も悪くない制度だと感じる。しかし3年ほど前の前回選挙では、トランプが共和党候補になり、本選挙でも勝ってしまった。今回も共和党はトランプを候補者にするようだし、ひとたび大統領になってしまうと党内の批判はなかなか力をもつことができないらしい。どこがいい制度なのかという批判がでてくるわけだ。
 日本では安倍内閣が7年余の長期政権となっていて、これまた党内の批判はなかなか表に出てこないうえに、現職の強みがあり、小選挙区制とあいまって政治責任を取ってとうぜん辞職するべき行動が、どんな批判をも物ともせず野放し状態である。安倍内閣は政治の世界で責任という言葉を死語にしてしまった。
 無責任極まる言動とや政策をコントロールするべきなのはまず第一に政党を含めた職業政治家たちであろうが、日米ともに、ひとりひとりの政治家は目前の自身の利害(端的には議員や政府の要職のポストを維持すること)に汲々としている。職業政治家がまともに働いていないときにこれを叱咤勉励するのは有権者の仕事だが、今日は一段とその働きが鈍くなっている。餓死者が出るような貧困状態であれば直接行動が現れるだろうが、そのような状況ではないので(実は極端な貧困が少数であるために)、社会全体としては政治に対する関心が低いのである。日米ともに重要な国政選挙で、投票率が50%ぐらいしかないし、日本では地方選挙の投票率が40%、30%が普通になっている。
 このような政治的無関心の蔓延するなかで今や民主主義の政治制度は存続することが可能なのかという重大な疑問まで出てくる。大統領制か、議院内閣制かという問題以前の制度的機能不全が顕在化してしまっているのが現在の状況らしい。
(宮)
   
2020年1月31日
『丸山真男とオペラ』  どこで読んだのか思い出せないが、丸山真男がフルトヴェングラー指揮のベートヴェンの交響曲第7番を勧めていたことを鮮明に覚えている。しかし中野雄『丸山真男 音楽の対話』(文春新書)によると、丸山はオペラがたいへん好きだたらしい。同書に引用されている丸山の「金龍館からバイロイトまで」を読むと、確かに若年の頃からオペラに親しんでいた。最初の出会いは金龍館の「カルメン」だったが、これはビゼーの歌劇カルメンのパロディだったと言っている。そして「私はカルメン全幕(?)をはじめにこうしたパロディで見てしまったために、戦後に日本やヨーロッパで一流歌手によるカルメンを鑑賞しても、エノケンの演ずるドン・ホセのイメージがふとよみがえって来て、せっかくの悲劇の舞台とダブってしまい、閉口したものである。」と書いている。丸山は音楽好きというだけでなくで自分で歌うのも好きだったらしいから、オペラに引き寄せられるのはよくわかる。ところが戦前ただ一度観たオペラ上演は戦時中の「フィデリオ」(藤原歌劇団)だそうだが、この実演鑑賞が自分にとって決定的なオペラのイメージダウンになったというのも面白い。筋書きが修身の教科書に出てくるような夫婦愛の美談である上に拙劣な演技ののために、ほとんど見るに堪えないものだったというわけである。
 こんな調子で「金龍館からバイロイトまで」は丸山のオペラ談義、音楽談義を展開していて、バイロイト詣でに及ぶ面白い読み物である。
(宮)
 
『ヤンキーぽい歩き方とは?  外を歩くとき、人と歩くことの方が少なく、殆んどの場合一人で歩く。すると全然知らない人たちのたわいもない(?)、または知らなくてもよい情報が時折耳に入ってきて楽しいものだ。
 昨日のことである。夜道を歩いていたら若い男の子(18~20代前半くらい?)たちが数人で団子状態で歩きながらしゃべっている。「おれさあ、ヤンキーぽく歩いてないよな」とAが言う。その友人たちもなにか言っていたと思うのだが、私はそのヤンキーぽい歩き方という言葉で頭がいっぱいになり、どんな歩き方だろうか?ヤンキーっぽい歩き方って?と想像してああでもないこうでもないとひとしきり考えた。
 そもそも最近ヤンキーっぽい人すら見なくなっている。ヤンキーなんて存在するのだろうか?と疑問がわいた。もしかしたらその子が言うヤンキーと私の思うヤンキーすら違うかもしれず、ということはヤンキーっぽい歩き方も彼の想像する歩き方と私が思い浮かぶ昔のヤンキーのそれとは違っているのかもしれない。言葉はどんどん変化するし、同じ言葉の中身すら変化していることもある。だけど今のヤンキーの歩き方を私は見たくて仕方がないのだった。いつか見られるといいな。現代のヤンキー歩きを。
(やぎ)
   
2020年1月24日
『通史』  「大系日本の歴史」15巻の藤原彰著『世界の中の日本』を読んだ。同じ著者の『中国戦線従軍記』(岩波現代文庫)が面白かったので、図書館にあった『世界の中の日本』を引き続いて読んだ。第2次世界大戦の終わった1945年から、昭和天皇がなくなるまでの約45年間の通史である。通読して、分っていたつもりの出来事、事件が時間の流れの中で、世界の動きと関連させられながら、位置づけられ説明されていて、とても面白かった。
 GHQの強力な指導に従って制定された日本国憲法だが、朝鮮戦争の勃発により、制定から3年弱の時間しかたっていないのに真っ向から矛盾する警察予備隊という軍隊を作らざるを得なくなったことなど、アメリカの矛盾した政策とそれに随順する占領下日本の姿が的確に描かれている。
 政治の動きは歴代首相のプロフィールとともに解説されていて、内閣の性格がよくわかる。戦前の政治家が復活し戦前回帰の強い願望を持って動き出すが、GHQに反発する力は弱い。むしろマッカーサーやGHQに巧みに取り入って面従腹背の行動を取る。
 通史の中で見るとサンフランシスコ講和会議で中国、朝鮮、ソ連を除外したことの問題性もよくわかる。日本は、戦争でもっとも迷惑をかけた国を除外した講和条約を締結したのだから、後年そのつけが回ってくるのも当然だろう
 通史を読むことの有用性を改めて知らされた本だ。
(宮)
   
2020年1月17日
『涙もろい』 この3月で小学校を卒業する子どものクラスでは、音楽の時間に卒業式(か、お別れの会)で歌う歌を練習している。お友だちの一人が、その歌を歌い始めると感情移入しすぎて、途中でおいおい泣いてしまうそう。どんなに堪えても必ず泣いてしまう。それどころか、音楽の時間以外に、この「どうしても泣いてしまうエピソード」を話しているだけでも、泣いてしまうのだという。その話のあと、うちの子が「幼稚園卒園の時に、クラスのママが作ってくれた思い出DVDにBGMで使われていたSEKAI NO OWARIの「RPG」を聞くと、小学校2年生くらいまでは思い出して号泣しちゃってた」と言い、今でも聴くと「うるっ」としちゃうそうだ。
音楽ってそういうものだよね~と、ママもそういう曲があるよ~と話をしながら思う、母はそのお友だちのエピソードを聞いただけで泣けるし、「RPG」は今だに泣く。私は、とっても涙もろい。そして今、小学校の卒業式、私はどんだけ泣くんだろうか?と想像しただけで、「うるっ」としてしまった。卒業式、大きなタオルを持参しなくては……。
(みなりん)
2020年1月10日
『戦争を回避』  トランプ大統領の愚かな指示でアメリカ軍がイラン革命防衛隊のソレイマニ司令官を殺害したために、いよいよイランアメリカ戦争が始まるのかと世界中が固唾をのむ中、イランがまず米軍基地に対しての攻撃を行った。これに対してアメリカが更に反撃することが危惧されていたわけだが、ひとまず武力による反撃はせず、経済制裁することが明らかになった。攻撃を受けたとき、イランもアメリカも激しい言葉で相手を威嚇し、厳しい反撃を声高に誓っていた。しかし今回の危機を招いたトランプ大統領は、イランの反撃のあと、戦争回避に舵を切ったようだ。声明発表のとき周囲に政府・軍の要人を背後に立たせて、自身の思いつきの方針でなく、慎重に検討した政府の方針であることを示していた。まったく人騒がせな男だ。こんな人物がアメリカ大統領であり、次期大統領選でも再選される可能性があるのだから恐ろしい。とんでもない人物が首相を務めているのは日本も同様で、今回の危機に際して安倍首相は海上自衛隊の中東派遣を再考すると発言しない。既定方針通り派遣するという。こんな政府の方針に対して自衛隊の現場から不安の声が上がっているると報じられた。偶発的な出来事によって戦争に巻き込まれるかもしれないのに、的確な状況判断と行動方針を国民に全く説明しない、説明しようとしない現在の日本政府の対応はじつに恐ろしい。(宮)

『道徳教育』  明けましておめでとうございます。
 新しい年が始まった。2020年という年は日本にとってどんな年になるだろうか。何も問題のない社会などないけれど、このところの世の中を見ていると、とんでもない方向へ向っていくのではないかと不安の方が大きい。真面目にコツコツ働いてきた人たちが報われない世の中なんてあってはいけない、そう思う。
 近年いわれる道徳教育。私の頃の道徳の授業といえば「口笛吹いて~♪空き地へい~った 知らない子がやってきて、遊ばないかと笑ってい~いった♪」という歌詞がメロディーと共に流れてきて始まるNHK教育番組のテレビドラマを見ていた記憶しかない。本来、普通に人間関係を育んでいれば自然と培われるものでもある道徳。挨拶すること、嘘をつかないこと、間違ったことをしたときには謝ること、お礼を言うこと、盗まないこと、人がいやがることをしないこと等々。子ども達には大人が見本だ。よく見ていて真似をする。間違ったことをした時にはしかることも必要だし、子ども同士の中でもいろんなことで揉まれては学び成長していく。
 考えるきっかけはいつでもどこにでもころがっているし、道徳の教科に点数をつけるなんてナンセンスもいいところだ。道徳教育が一番必要なのは大人の方かもしれない。子どもにあれはだめこれはだめだといいながら、一番嘘をついたり、自分の利権ばかりを考え、ずるをしたり、本心とは違う対応をし、陰口を叩くのは大人のほうなのだから。
 特に現在の政治家たちには道徳教育云々言われたくない。基本の道徳ができていない人に道徳云々言われること自体、ちゃんちゃらおかしいではないか。教育が必要なのは、大人自身なのだ。まず政治家たちは国民に道徳の成績表をつけてもらったらいいだろう。私だって大人になった今だってちゃんとできていない部分があるかもしれない。だから考える。どうすればいいか。自分で。そして家族、友人、同僚、また出会った人たちの様々な意見を聞きながら又考える。今はとにかくスピードが問われる時代だけれど、本当にそんなに急ぐ必要があるのだろうか。深呼吸して考える時間、季節を感じたり、笑い合える時間をもつことのほうが道徳を学び、成績をつけるよりも大切なのではないだろうか。子ども達は年々忙しくなっている。ただただ学校へ行き、放課後遊び、夏休みも暇をもてあまし、小さな冒険をする…私たちは本当の豊かさとはなにか今一度考えるときに来ているのではないだろうか。
(やぎ)
   

『2020年』 2020年が始まった。
2019年の年末は、子どもがインフルエンザにかかり、弱ってるところに胃腸炎をもらい、病院で点滴をうけたりと、ハードな年の暮れだった。
大晦日の気忙しさや、ちょっとしたご馳走と年越しそば、正月のお節やお餅等々は、元気もりもり、食欲もりもりであればこそ。我が家は、家族で消化のよいものを食べながら、のんびり過ごした。それでも、家族(+猫2匹)で、あたたかい部屋で新しい年を迎えられるだけでも、本当に幸せだと思う。
年が明けてから、世界平和へ背を向けるようなニュースが続く。世界中の誰もが、戦争や争いのない平和な世の中を望んでいると私はずっと思っているが、時々ふと思う。まったくもって信じがたいが、もしかしたらそうじゃない人がいるのではないか?と。
子どもが生きる未来が希望に満ち溢れた戦争のない平和な日々であるように、自分にできることは何だろうかと、ずっと考えている。できることは、小さい事かもしれないが、考えることを止めず、行動していきたいと思っている。
(みなりん)