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「王様の耳はロバの耳」(2020)
 
   
2020年10月20日
『小さな芽がはらむ深刻な結末』  「小さな芽がはらむ深刻な結末」というのは朝日新聞10月18日付福島伸二記者の記事のタイトルだ。学術会議における任命除外について、福島記者は「意に染まぬものへの警告めいた政治介入は、ひいては学問や表現などの自由の首を締めかねない」と書いている。そしてそのあとすぐに、「はじめにおわりがある。抵抗するなら最初に抵抗せよ」というむのたけじが引用されているので、思わず朝日新聞の振る舞いに意識が向いた。近頃の記者会見の酷さをどのように考えているのか、評価しているのだろうかと。記者たちは追求すべき問題を首相やその他の政治家に質問し答えを引き出しているだろうか、答えが不十分であればさらに突っ込んで聞いているか。根底に批判精神がある取材、報道ができるためには、今や記者クラブの存在や最近の「3者代表インタビュー」は根本から考え直す必要があるのではなかろうか。新聞社をあげて再検討し、改めるべきは改めなければ、むのたけじに顔向けできないのではないかと思うのだ。(宮)
   
2020年10月2日
『安倍内閣の評価』  新聞、ネットで安倍内閣についての評価がさまざまに出てきて、教えられることも多々ある。政治は結果で評価されると言われ、その観点から個別具体的なテーマを取り上げて論じ、その成果を評価するものもある。
 私は戦後政治の中で築き上げられてきた議会政治と行政の手続きを十分な論議をせずに強引に変えてしまったことが最も重大な政治的過誤だと思う。典型的には憲法を度外視して集団的自衛権を講師できるとしたこと、それに付随して法制局長官人事で慣例を無視したことにあらわれている。
 また、いくつかの事案で公文書偽造、廃棄などの行為を繰り返したにもかかわらず、一切責任を取らなかったこと。 権力行使に責任がまったく伴っていないことは、政治に対する無関心や極度の情緒的態度や冷笑的態度を蔓延させた。
 個別具体的な行為や成果より、政治制度のメカニズムを滅茶苦茶にしてしまったことこそが、安倍内閣の最大の負の遺産だと考える。
(宮)
   
2020年9月18日
『西郷と山県』  明治10年9月23日に城山で最期を迎える西郷隆盛に向けて、官軍軍楽隊は演奏した。このことを探索したのが横田庄一郎『西郷隆盛惜別譜』だが、この本でも現地の最高指揮官だった山県有朋が指示したと述べている。
 学生時代に読んだ岡義武『山県有朋』によれば、西郷と山県は幕末期薩長の提携工作で接触し、戊辰戦争では相携えて北越、奥羽の各地に転戦し、苦難をともにした仲である。その二人が西南戦争では敵対する立場に立たされた。同書には、城山に立て籠もった西郷に宛てた長文の書簡が引用されている。この書簡は山県の秘書役を務めた福地桜痴の手になるとも言われているそうだが、山県の心情を伝えるものであることは間違いない。岡さんは「情理をこめた沈痛なこの書簡」といっているが、西郷からの返事はなかった。城山が陥落したときに山県が読んだ歌「山もさけ海もあせむとみし空のなごりやいづら秋の夜の月」とともに この書簡に述べられた山県の心中の感慨は、私の脳中に忘れがたく刻みつけられた。
(宮)
   
 
『初めての一人暮らし』  2月に父が亡くなってから半年以上がたった。姉兄たちはすでに何度か母の様子を見に実家に帰っていたが、私は県をまたぐ移動に躊躇してしばらく帰っていなかった。父が施設に入ったり入院している間も母は一人暮らしではあったが、母の心の中では父が亡くなり納骨を終えたら本当の意味での一人暮らしになったと実感したようだった。
 母は実家から出て結婚したので一人で暮らすのは正真正銘の初めて。いつも人の目がある生活から自分だけの生活になり、最近は一人暮らしを楽しんでいるようである。とはいえ家の近所には、程よい距離感をもって接してくれる、良き年下の友人がいて、ちょっと寂しいなと感じてるときにタイミングよく声をかけて映画や、食事に一緒に行こうと誘ってくれるらしい。我が家は数年前に運転免許を父母とも返納して車がない。一応は町が運行する定時ワゴン車(予約制)が主要な場所と自宅を結んで走るが、一時間前の予約が必要だし、定期便のない時間帯もあり、買い物にいくのも、銀行に行くのも、携帯電話の契約にいくのも、歯医者や病院にいくのも、役所にいくのも一苦労。一日に一つのことしかできないとぼやくが、幸いにも時間があるから、母は一つ一つを順番にこなしているようだ。楽しそうに暮らしている姿をみてほっとする。なにより地域の中に溶け込んで暮らす母をちょっとうらやましく思った。そもそも本人がそんな風に生きてきたから今の関係があるに違いない。人と関わるのは時に考え方の違いにもぶつかるし、疲れもするけれど、つかず離れず、温かく、皆を思いやりながら暮らすその場所で、まだしばらくは元気でくらしてくれるだろう。日本全体がこんなふうだったらみんなニコニコ生きられそうだ。母を見ながらふとそんなことを思った。(やぎ)
   
2020年9月11日
『ザ メイキング』  たまたま見たテレビで、「ザ メイキング」という番組に出会い、思わず引き込まれておしまいまで見た。大小さまざまな鉄の鎖を作る過程を克明に追っている。こういう工業製品の製造過程は完璧に自動化されていて、その動き自体を驚きとともに見入った。特に船舶をつなぐような大きな鎖の製造過程は面白かった。
 その後、「冷凍春巻きができるまで」を見たが、このような食品がここまで自動化されているのかと驚きを新たにした。番組を制作している科学技術振興機構のサイトで表示されている、取り上げられた製品一覧をみると、ほかにも面白そうなテーマがたくさん並んでいる。(http://sciencechannel.jst.go.jp/B980601/index.html)ちなみに一覧表では、「鎖ができるまで」は304番、「冷凍春巻きができるまで」は298番である。
 サイトの解説によると、このシリーズは「私たちの身の回りにある「モノ」たちのできあがる姿をビデオで追った「メーキング・ムービー」。最新の科学技術と伝統の技によって「モノ」たちが作り上げられる過程像でつづります」というのが趣旨である。 
(宮)
   
 
『涼しいわけは…』  今の家に引越してから2回目の夏が巡ってきた。我が家には使えるエアコンが1階に1つ、2階に1つあり、夏になると最近の暑さを凌ぐために無理せずつけることにしている。夜は2階で休むのだが、引越してから2度目の夏だというのにいまだ本やCDが棚に収めきれず幅を利かせているために2人で1部屋に布団を2枚敷けないというありさまなのだ。
 さてそんなわけで西向きに大きな窓、北向きに小さな窓のある、テレビとエアコンのある部屋に夫が。南向きに広めの窓、西向きに小さな窓のある、本やCDに埋もれたエアコンなしの部屋にはシングルベッドを置き、私が寝起きしている。去年も今年も熱帯夜はあったかと思う。しかしである。窓さえ開けていれば南と西の窓の部屋ではベッドに横になるとなんとも涼しく、この2回の夏中、暑くて眠れないということが一度もなかったのである。私としては幸せなこと。家でも自慢していた。
 ところがである。会社でそのことを言うと、「そんなことあるわけないから幽霊でもいるんじゃないの?」と言われてしまった。「えええええ」である。「怖がらないから、もっと涼しくもっと涼しくってやってるのかもよ?」そうか鈍いからなおさらアピールしてくるのか。考えてもみなかった。
 別の日、少し霊感の強い、別の友だちにも話をする。彼女も「そうなのかもよ?」と言うではないか。それも「でもお化けとか霊とかってやっぱり驚かせたいからやっているんであって、全然怖がったり、驚いたりしないと消えちゃうかも」とのこと。それを聞いて、そうなると来年あたりはエアコンなしでは乗り切れないかもしれない…などと不安な気持ちに。こんなことでは、近々、霊にも見放されてしまうかもしれない。(やぎ)
   
2020年9月4日
『政治の季節』  11月にアメリカの大統領選挙があるし、ベラルーシの大統領選挙は、国内を大混乱に陥らせているし、日本では安倍首相の突然の辞職表明から、自民党の総裁選挙が行なわれることになった。何処の選挙もとにかく当選したい一点張りでなりふり構わずあらゆる手段を尽くしている。
 自民党の総裁選挙は、派閥のボスが仕切っているようであるが、世論調査をすると、このことに対する反発もなく、派閥が推している菅官房長官を支持する声が高い。
 「次の首相にふさわしいのは誰か」について朝日新聞の世論調査によると、6月には石破氏31%、菅氏3%だったのに、九月2,3日調査では菅氏38%、石破氏25%となっている。いまのテレビの報道を見ている有権者にとっては、当然の反応なのだろうか。ベラルーシのような市民の強い意志表示は出てこないし、当首脳が党員選挙を省略しても、大した反対も出てこない。安倍首相の辞職から菅氏の立候補まで、仕組まれた筋書きのように見えるほど単純な動きと反応だ。安倍内閣の継続でいいと思っている市民が多数なのだろう。候補者の言動をどれだけ注意して聴いているのか甚だ疑問だ。マスコミは3候補の記者会見を並べて丁寧に伝えるだけでも意味があると思うがそんなことはせず、候補者の個人的な事柄のうち面白おかしいエピソードを伝えることに汲々としている。視聴率を挙げることを優先した番組制作なのだ。
 マスコミの無批判な報道ぶりとそれに飼いならされた有権者の反応。これが最大の問題だ。 
(宮)
   
2020年8月28日
『住宅を見ながら歩く』  朔北社の事務所は住宅地の中にある。通勤のとき毎日眺めていると少しずつ分かることがある。住宅地の中のいろいろな年代に作られた家を眺めるのは面白い。建売住宅もあれば、注文住宅らしいものもある。瓦の屋根を持つ家は建築されてからかなり経過しているのだろうと想像している。今の場所に移って5年ほどになるが住宅の新築工事が時々ある。古い(と想像する)住宅と比べるとまず瓦屋根の家はない。そして植木の扱い方が違う。新築の家は機能優先で、駐車スペースが住宅前面に配置されていて、植木のことは二の次三の三の次の要件らしい。土手を歩きながら見た二階建ての洒落たデザインの家は、個人住宅と思っていたのが、近くで見たら集合住宅だった。 (宮)
   
2020年8月21日
『ニュースランキング』  テレビ、ラジオのニュース番組で、「本日よく見られたニュースのランキング」などと20件ほどのニュースを挙げる。その日に起きた重要な出来事をなるべく見落としなく報じられているのなら、その中で視聴者の関心が何に向かっているのかがわかるかもしれない。しかし近ごろのニュースは政府に対する忖度やらテレビの広告提供企業に対する遠慮やらが働いているために、大きな出来事でもまったく触れられないことがよくある。だから、テレビニュースでも複数の番組を見ないと世の中の動きを知ることが難しい。偏ったニュース報道しかしない番組で、ニュースランキングなど無意味なサービスとしか思えないが、制作者はそうは思っていないらしい。とにかくランキングのさかんなこと。
 ニュース番組は、発表されたニュースを横流しする報道でなく、記者自ら調べたうえで、何者にも遠慮せず、きちっと伝える態度が大事だと思うが、そんなニュース番組はまことに乏しい。政府の発表や言い分をそのままニュースとして伝えることがごく当たり前になっている。日頃のニュースを見ていると、不満が大きくなる。最後の拠り所としては、現場の記者、キャスターの報道人としての覚悟に俟つしかなさそうなので、まことに大変な時代だ。出来事の意味を掴むためには、テレビ、新聞、インターネットのそれぞれ複数の媒体を介してニュースを見て、判断しなければならない。 
(宮)
   
 
『王子のたね』  小3の姪は、私の夫である「おじさん」のことが大好きで、彼のことを王子と呼んでいる。いつまで王子と呼んでくれるか、あと数年で王子の魔法はとけるだろう。その王子に少し前、異変が起きた。普段から肌の弱い夫は年に1度か2度季節の変わり目などに、ひどいアトピーにより可哀そうなくらい腫れたり、皮膚がただれたりする。かといって病院にもいかないのでなかなか治らない。先日も初めはそのひどいアトピーの症状だと思っていた。しかし…日に日に首から始まった腫れと湿疹は、顔、ついには胸中に赤くて小さな膿を含んだ小さなボツボツが増殖していく。熱も高い。これは一大事かもしれないと翌日の予定を繰り上げて救急相談センター(24時間受付・年中無休)へ相談の電話をかけた。ほどなくして看護師につながり、いくつかの救急外来で内科医の当直の病院を教えられた。2件目でようやく受け入れOKと言われほっとする。コロナ禍で病院も発熱には敏感なのだ。受診、退席、倒れる、緊急処置、検査と22時頃到着してから3時に家に着くまでなんとも言い難い時間を過ごすこととなる。倒れたのは予想外だったが、その結果、入院の可能性が出てきてコロナの検査もしてもらうことができた。結果は陰性だった。心臓や他に異常がみられなかったため入院とはならず帰宅を許された。夜中の2時過ぎに病人を連れて帰ることを思うと一泊くらい置いてくれたらいいのにと心の中で思うが仕方がない。タクシーで帰宅後、少し口に物を入れてから薬を飲ませて寝かせた。
 薬のおかげか日に日に腫れていた顔も、もとのサイズに戻り、熱も下がり、1-2日するとボツボツは乾燥してかさぶたになった。そして数日後に皮膚科で正確な診断を受けるとヘルペスだと判明。熱と湿疹の原因はヘルペスだったのだ。この病気、膿が出るあいだは人に感染する可能性があるらしいが、受診した時には顔と胸にできた大量のボツボツはほとんどかさぶたになっていた。ということはもう安心らしい。その日から我が家の床にはボロボロとかさぶたが落ちまくるようになった。フローリングの床や布団、ゴザの上から落ちたかさぶたを払い集めると大量のかさぶたの小さな山がいくつもできる。見ているうちに、赤い小さなポツボツからとれたかさぶたが「たね」に見えてきた。そして私の頭の中には、ばかな想像が頭をもたげた。これを植えたら王子の芽がでて沢山の王子が収穫できるという…うむどこかで見たような話だが…『ぶたのたね』(佐々木マキ/作)も、たしかそんな話だった。この「たね」を彼をすきな姪に送ってやろうか?そこまで想像して、我に返った私は、ちりとりで、そのかさぶたを集め、もう一度その種のような粒々をみながら、それをごみ箱にザラザラと捨てた。そんなことを考えてしまうばかな自分を恥じて…。(やぎ)
   
2020年8月14日
『被害者と加害者』  東京大空襲について高校生がハワイの高校生とリモートで話し合ったというニュースを見たら、日本の高校生が、ハワイの高校生から真珠湾攻撃のことを言われて、日本人は被害者だが同時に加害者でもあったということを新鮮な驚きを持って語っていた。日本で戦争体験を次世代に伝えるといえば広島長崎の原爆のことであり、東京をはじめとする空襲被害のことであるが、ハワイの高校生が言うように真珠湾攻撃は、たしかに奇襲攻撃であった。やられた側がそのことを忘れないのは、日本人と同じだ。同じように中国や東南アジアで現地の人々に日本はどれだけの迷惑をかけたのか、このことまで考えないと戦争と平和の問題は理解が深まらないし、戦争体験の継承を実現することなど出来ないのだと思う。 (宮)
   
2020年8月7日
『民度』  大阪府の吉村知事がうがい薬(イソジンなど)でうがいすることにより新型コロナウイルスの陽性者の割合が大きく減ったという研究成果を発表した。発言時の映像をたまたま見たが根拠のあやふやな報告だと感じた。知事の言い方からしてとても信頼できる発言とは思えなかった。ところがこの発言後、ドラッグストアに購買者が殺到して、うがい薬はたちまち店頭からなくなったと報じられた。ニュースに振り回される消費者の行動に心底驚く。また、感染者を出した金融機関のガラス窓をコンクリートを投げつけて穴をあける者が現れたり、おかしな行動が次々と起きている。我が身を守るためであり、偏見による行動だが、麻生財務相が、とくとくとして「ヨーロッパと日本とは民度が違う」発言したことを思い出して、改めてこれは民度が違うと思った。トイレットペーパーでは、1度ならず2度までも買い占め騒動を起こしたし、この先もこのような愚行を繰り返すと思うとうんざりする。だから、今、民度にふさわしい政府しか持てていないことは、当然のことなのだ。 (宮)
   
2020年7月31日
『日本のオーケストラ特集』  新型コロナのせいで、テレビ番組が変更を余儀なくされている。朝の連続テレビ小説「エール」も大河ドラマ「麒麟がくる」も中断して埋め草に過去の放送を使ってしのいでいる。音楽番組も同じで、演奏会が出来ないので、番組構成に苦労している。NHKのクラシック音楽館では、いま「日本のオーケストラ特集」といって各地にあるオーケストラの演奏を放映している。日頃ほとんど聴くことがない地方楽団の演奏を聴くことが出来て、おもしろい。地方の楽団と言うと、映画になった群馬交響楽団や京都市交響楽団、最近ではアンサンブル金沢などを思い浮かべるが、ほかにも色々あり、活発に活動していることがわかった。せっかくの機会だからたっぷり時間をとって聞かせてほしいのに、1楽章だけとかいうやりかたなのが、少々残念だ。地方に根を生やした楽団だから、日本の作曲家の曲も取り上げてほしいが、実際どんな曲が演奏されているのだろうか。そういう事情は放送ではよくわからない。2回ほどの放送のなかで、技術的に難があっても、楽団員が熱っぽい演奏をしている場面に出会った。音楽の喜びを味わうことが出来てうれしくなる。 (宮)
   
 
『なんとまあ』 社長は、当たり前だが、間違いにうるさい。私がいい加減すぎるからなのだが、このロバ耳でも、ツイッターでも誤字脱字などがあると鬼の首をとったかのように猛然とやってきて注意されている私(自分ではちゃんと確認しているつもりなのだが)。進歩なく何度もやらかしてしまう。編集の仕事は向いていないのかもしれないとつくづく思う。この間、さぼり気味のロバ耳を久々書いて、担当に渡した。私はその日とくに確認しなかったのだが、月曜日に来てまた社長に言われた。「載っている内容読んだことがある」そういわれてもそんなはずはない。だって新しいのを渡したのだから。人は間違う生き物である。担当の人だって貼り付けるものを間違うこともある。念のため自分でも確認。で、間違って再度載ってしまった内容が最高だった…。載った文章の題名が『ボケ気味』だった…。まさかよりによってそれか!と思ったら笑いがこみあげてきた。ロバ耳を読む人なんてそんなにいないと思いつつも、もしも毎回読んでいる人がいたのなら、みんなに『ボケ気味』でなく、完全完璧ボケそのものだと口をそろえて言われそうだ。そして優しい人はこういうだろう。そろそろ受診したらどう?と…。気を付けよう。気を付けようがないけれど、まずは誤字脱字に。(やぎ)
   
2020年7月17日
『生き抜く方法』  新型コロナ感染について、しばらく前には秋冬の第2波の備えて今のうちに準備をすべしなどと言われていた。ところが秋冬を待たずに感染者がみるみる増えだした。空気感染するという説も出てきている。ウイルスの性質がまだ解明されていないのが怖い。こういうときに、GO TOキャンペーンが前倒しで実施され、しかしこの頃の急激な感染者増加のせいで東京は除外してなどと半端で不公平な手直しがされている。
 先行きが読めない状況で、的確な情報を提供するべきメディアの責任はますます重いが、見ている限りまことに頼りない。事態をよく考えて、伝えるべき情報を取材、整理、選択して報道してほしいが、視聴率を気にするうえに、馴れ合いや忖度がはびこっている。メディアは何事によらずセンセーショナルな話題に飛びつく。そして現実には、政治家や行政組織にいいように利用されている。沖縄米軍のコロナ感染について、「日本政府関係者は「(米軍の意に反して)情報公開すると、米軍から今後、必用な情報が提供されなくなる恐れがある」と話す。」という朝日新聞の記事(7/14)があった。言うべきことを言わず、聞き出すべきことを聞かない。安直きわまる忖度と卑屈な行動。この態度が至るところで蔓延している。その中から意味のある情報を掴みだすのは簡単ではないが、これをやらなければ振り回わされるだけだから、粘り強く情報を集め、考えなければならない。 
(宮)
   
2020年7月10日
『バイデンとバーニー』  バーニーが大統領選から撤退後、3ヶ月にわたり中道のバイデン派と左派のバーニー派は、政策をすり合わせてきて、共同でまとめた政策を発表した。バーニーは「アメリカ史上、最も危険な大統領であるトランプ氏を倒すために、われわれは1つにならなければならない」と言ったそうだ。いろいろあるが、アメリカではなんとかしようという動きがあるわけだ。トランプについて再選を危うくするような材料が次々出てきて、2期目はないのではないかと思う。
 日本はどうか?トランプと同じぐらい危険で無能で嘘つきの首相を倒すための動きの鈍いこと。残念ながら、バーニーのような広範な支持を集める左派の政治家がいない。自民党内から正面からのまともな安倍批判が出てこないのだから、前途はまことに暗い。
(宮)
   
 
『御書印』  数年前から神社やお寺を巡り御朱印を集めるということがブームになっていたが、最近「御書印」なるものが出来たようだ。御書印プロジェクトのページを開くとこう書かれている。

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本が好き!本屋が好き!な人集まれ!御書印は人と書店を結ぶ印(しるし)です。参加書店=御書印店を巡って、書店員が選んだ本のタイトルや一節とオリジナルの書印を入手しましょう。こちらでは御書印の楽しみ方、御書印参加店、御書印ニュースなどをお知らせします。
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 「御書印は人と書店を結ぶ印(しるし)です。」なるほど。御朱印の面白さはただのスタンプラリーではなく、人の手によりそれを押してもらったり、文字を書き加えてもらうことにあると思う。それなりに時間も使う。書店で御書印。朱と書が違うだけ。
 さて、普段いろんなお店で買い物をするとき、お金だけ払って会話なし、または事務的な会話のみで用事が済んでしまうことも多い。昔の商店はどうだったろうか?「今日は新鮮な何々が入っているよ」とか「今年はじめての〇〇があるよ」とか、時には買う量をみて、「今日はお客さんでも来るのかい?」「そうなの!」なんてお客さんと声を掛け合いながら売ったり買ったりしていたのではないだろうか。本屋さんはどうだっただろうか。残念ながら、本屋さんで声をかけられたり本をすすめられた子どもの頃の記憶にはない。大人になってからはどうだろう。最近は著者をよんでサイン会、講演会、書店同士の座談会などなど、いまはいろんな催しが書店で行われるようになっている。以前にもあったのかもしれないけれど、毎日どこかで何かのイベントが行われるという催しの数の多さは昔の比ではないのではないだろうか。
 「御書印」へ話を戻すが、この御書印は1件200円。お金を支払うのは御朱印とも同じ。2020年3月に始まったばかりの「御書印」はまだ「御朱印」と比べると歴史は浅いが、これからも長く続くといいなあと思う。客は書店員が手間と時間をかけ御書印を記すのを見守る間に何をするだろう。お店の人と会話したり、そこへ足を運ぶことにより、置いてある本がどこも同じでないことに気づいて、何か感じるだろうか。その中から相性のいい本屋が見つかるかもしれない。書かれた言葉からその本を読んでみるかもしれない。御書印をきっかけに地方にあるその書店に旅のように足を運ぶかもしれない。御書印からいろんな出会いがあるといいなあと思う。私も時々集めたい。(やぎ)
こちらのリンクにはこの企画を立ち上げた人のひらめきと妄想の記録がある。https://www.shosetsu-maru.com/node/1792
   
2020年7月3日
『三つのこと』  ロバ耳を書こうとするとどうなるか。コロナウイルスで世界中が大混乱におちいっており、日本では長期の安倍内閣によって政治、法律、、倫理が滅茶苦茶にされているから、頭の中ではいつもこの二つのことが動き回っているが、気持ちを持ち直すためには音楽に耳を傾ける。つまりコロナと政治と音楽の三つ以外のことが書けない。しかしコロナ問題は結局のところ政治の問題に帰着するので、政治のことが頭の殆どを占めているのだ。救いようのない愚かさをこれでもかこれでもかと繰り出す政治の世界。安倍の日本だけではない。トランプのアメリカ、習近平の中国、プーチンのロシア。こういうときに聴く音楽は、滅びる前の人間の生み出した美しいものの極みに思える。(宮)
   
 
『嗚呼なんと恐ろしい…』  話題になっていた『女帝 小池百合子』を読み終わった。ただただ怖かった。それと同時にこの人の本当の本当の奥底にある感情もここに書かれた通りなのだとしたらあまりにも悲しいなと思った。今の会社での仕事の関わりで一度、今回知った小池さんに、行動や発言がよく似た人物と仕事をする機会がずいぶん以前だったがあった。最後まで、とうていその人を信じることが出来なかった。今はもう自分たちから進んで、その人と会うことはないだろう。私たちへの信頼は皆無だった。そんな人たちとどうしてよい仕事ができるだろうか。その人からは心が感じられなかった。とにかく真実を捻じ曲げる人だった。
 世の中には本当にいろんな人がいるけれど、ほとんどは嫌いになるほどひどくは無い。相性が合わないだけな人はいるけれど、そんなことは当然あるし、お互い様。相性があわなくてもどうにか気を付けながら仕事をすることは出来るだろう。しかし人を上下で判断したり、嘘をつく人は嫌だなと思う。
 そもそも今の世の中の中心が一番のそういう巣窟なのかもしれない。あったことをなかったと言い続けることで本当のことにしてしまうような人が驚くほど多くて嫌になってしまう。何かに怯えているわけではない…ように見える人のなんと多いことか。その目は何か短い言葉で真実をはぐらかしながらいやらし気に笑っている(ように見えることがある)。人を小馬鹿にするような表情で。そんな顔をするために国会議員になったのだとしたらがっかりだと国民は怒っているってことにすら気づかない。
 今週末は都知事選挙だ。自分の欲から立候補するのではなく、一緒に、この場所を少しでも良くしていきたいと思う人に投票したい。そして自分もこの時代そしてこの場所にいる一員として一つ一つできることを…と願いながら。
(やぎ)
   
2020年6月26日
『都知事選挙のポスター』  コロナ感染最中の選挙だが、コロナ以外にもおかしな事件・問題が次々出てくるので、強い関心を持って見ている。ポスターを見て驚いたのは、ホリエモン新党から3人の候補者が出ていること。都知事は1人でその1人を選ぶための選挙に3人の候補者を出すというのは何なのだ。見ると、そのうちの2枚には候補者名が出ていない。代わりに堀江貴文の写真が出ている。あと1枚には候補者立花孝志の写真が出ている。ひとつの組織から3人の候補者が出ているとはどういうことか。ポスターを見ると立花候補者を挟んで堀江貴文の写ったポスターがある。2まいは立花候補をもり立てるように作られているのだろう。私は有権者が余程馬鹿にされていると感じ、有権者の1人として腹が立つ。とにかく、とことん軽んじられ馬鹿にされているのだ。しかしこんなやり方に効果があるのだろうか。一人ひとりの有権者はそんなことを見とおおせる能力が十分あると思っっているが……
  選挙公報やポスターを見ればわかる、有権者を馬鹿にしたこういう候補者は、今回の選挙で一体何票ぐらい獲得するのだろうか。もしも何十万票という大量得票したら、前途に一段と悲観的にならざるを得ないではないか。
(宮)
   
2020年6月22日
『投票行動』  都知事選挙が始まった。22人の候補者がいるが、新聞もテレビも5人の候補者を大きく取り上げている。この紹介の仕方が適切か否かはともかくとして、有権者はなにがしかの理由で誰かを選ぶのだろう。小池百合子が学歴詐称で批判されているが、それでも圧勝するだろうという予測がある。有権者は、一体どこからどんな情報を得て判断するのだろうか。テレビで顔を見る頻度が高いと投票する人が増えるのか?発言の中身でなく、「見た」という経験が投票をさせるのだろうか。あるいは現職者が強いのだろうか。
 コロナ感染で世界中が大変なことになっているときに、然るべき指導力を発揮する人を選ぶ必要がある。有権者が真剣に考えたら、適切な判断を引き出せる情報を持たなければならないが、そういう情報を、テレビ、新聞、ネットが提供しているだろうか。
 問題は2つある。有権者が、判断に役立つ情報を本気で求めているか、テレビ、新聞、ネットといったメディアが、報道するべき情報を本気で取材し伝える意志を持っているか?真剣に考える有権者と、本気で取材し報道するジャーナリストは存在すると思う。ただし、どちらも少数派なのだ。このことを考えると暗澹たる気持ちになる。
(宮)
   
2020年6月12日
『夏のマスク』  遅ればせの確定申告に日野税務署まで出向いた。どういうコースで行っても10分余歩かないと行き着けない。歩行中はマスクを外していたが、建物の中に入るときにはマスクを付けた。税務署担当者としばらく話をしたが、その時のマスクの邪魔なこと。口の周りが熱く蒸れて呼吸しづらく、頭がぼうっとする。頭が働かない。気温が高いと言ってもまだ梅雨入り前の今、この異常な暑さの中でのマスク装着の大変さを実感した。今年の夏が思いやられる。外せるときにはなるべくマスクを外すことにしないと熱中症になるかもしれないし、第一仕事にならない。事務所に戻ってこの話をしたら、社員の1人は換えマスクを準備しているとのことだった。そういう対策は必要だし効果もあるだろうが、とりあえずマスクを付けること自体を止めるわけにいかないことが厄介だ。(宮)
   
 
『美しいなあ』  先日、用事があり早く家に帰ったときのこと。会社を出て少し歩いたところで、最近引っ越してきたと思われる、家族と会った。ちょうど車で出かけて帰ってきたばかりの様子。お母さんは車を駐車場に止めるために運転席にいて、子どもたちは一足先に車から降りて家のまわりを好奇心いっぱいの目でみている。初夏のように日差しがまぶしい。小1くらいの男の子とその妹(3~4歳?)二人で一心に外にあるプラスティックケースを覗いている。初めはお兄ちゃんと二人で嬉々として話していたが、私が通りかかるとまぶしい笑顔で振り返り「ねえねえ!見て!虫がいるの!」と呼び掛けてきた。あまりに邪気のないまっすぐな笑顔をむけられてなんだか、うれしくなる。もちろんそんなの無視できるわけがない。一緒に覗き込むとそこには黒い毛虫が元気に動いている。「さわってみる?」と言われたが「毛が生えているからやめておいたほうがいいかも?」と言うと「そうかな。さわろうよ」といって今にも掴む気満々だ。「かゆくなるかもよ」というとお兄ちゃんが「大丈夫だよ」と頼もしくいう。お母さんも車から降りてきたので挨拶して去ることにした。またねバイバイ!って…今初めて会ったばかりなのに仲間にすぐ入れてくれるのだねと、その垣根のなさに感心してしまった。きっといい家族なんだろうし、いい大人がまわりに沢山いるんだね。そして子どもたちの笑顔を思い出す度、そのまっすぐさと美しさに心打たれている自分に気づくのだった。(やぎ)
   
2020年6月5日
『ジェームズ・マティス』  アメリカの元国防長官ジェームズ・マティスが、トランプ批判の一文を雑誌に投稿した記事を読んだ。マティスは政権発足時に国防長官に任命されたが、2018年のシリアからの米軍撤兵に反対して辞任した。海兵隊出身で「荒くれ者」という渾名を持つ猛将だが、トランプが復活させようとした水責めの拷問に反対するなど、まともな感覚をもち、意志のはっきりした人物である。今アメリカで起きている人種差別反対運動に対して、軍隊を動員してでも強引に抑え込もうとするするトランプ大統領の言動を批判している。憲法を尊重しない態度を非難し、自分の人生のなかで出会った、アメリカ人を統合しようと努力する気がなく、代わりに分断しようとする初めての大統領だと言っている。
  危機的状況になると建国の理想、憲法の精神に立ち戻って、相手が大統領といえども真正面から批判する人物が出てくるのが、アメリカの強みだ。
  飜えって、日本で対応する人物として思い出すのは、公文書問題で発言を続けている福田康夫元首相だ。シリア撤兵で辞任したマティスにならえば、7年余の安倍長期政権の歩みの中で、現職閣僚の辞任があってもおかしくない問題はいくつもあったが、辞任する閣僚はいなかった。
(宮)
   
2020年5月29日
『新型コロナウイルスの前と後』  中国武漢の都市封鎖のニュースから始まった新型コロナウイルス感染問題は、2月初め横浜港に寄港したクルーズ船ダイヤモンド・プリンセスの船内感染、2月半ばの屋形船における感染から他人事ではなくなった。3月末には朔北社で自宅勤務を始めることになったほど急な動きだった。  個人的な感覚では、『関東大震災と中国人虐殺事件』の出版の前後で世の中も、自社の仕事もすっかり様変わりしたと思う。3月9日に『関東大震災と中国人虐殺事件』の著者今井清一先生が急に亡くなられるということがあり、昨年暮れまでの数年、同書編集のために足繁く先生の自宅に通っていた私には、コロナ禍の現在は別世界に生きている感じがする。先生の元に通っていた時間が何者にも代えがたい貴重なものであったと思えるのだ。
 今、感傷的になる気持ちをじっとこらえて、コロナ禍の新しい世界をどう生きていくのか考えている。
(宮)
   
2020年5月22日
『気になること』  この時期、事務所の座敷左手の庭は新緑を過ぎて旺盛な生命力を見せつけるように、敷石が見えなくなるほどに生い茂っている。毎日飽かず眺めている。  『週刊文春』が書いた賭けマージャン問題で、黒川検事長は一気に辞職することになった。安倍批判の論陣はこの問題をめぐって沸騰している。さらに河井議員夫妻の事件や「桜を見る会」の刑事告発がこれからどんな展開を見せるのか?モリカケ問題の赤木俊夫さんのこともある。検察当局がどんな動きをするのか注視していきたい。安倍首相も年貢の納め時になるのではないか。  コロナウイルスが感染問題では政府の失政を数限りもなく挙げられるが、諸外国に比べて死者の数は確かに少ないのだ。その原因はなんなのかを知りたい。それと「自粛」を強要された中小零細企業、個人がこの先どうなるのか、他人事ではなくて、日夜考え続けている。(宮)
   
 
『ボケ気味』  最近ちょっとボケ気味だ。周りの人は言うだろう。「いつものことじゃない?」いえいえいつもよりすごいことをお伝えしなければ。ほぼ毎朝、朝食用に一杯ずつそして夫と私の水筒に1本ずつ入るくらいの量のコーヒーをドリップで入れる。そうするとサーバーに残るのはカップに一杯くらいのはずだ。昨日、自分の水筒に入れ、夫の水筒にもいれたはずだったが、おや、いつもよりコーヒーが多いではないか。どうしたことかと、大きなカップに二杯もお代りしてぐびぐび飲む。会社についてしばらくしたら夫からメールが。「俺の水筒にはコーヒーが入ってない!」ああなんてこった!コーヒーは入れすぎたんじゃなくて入れ忘れていたのだ。よくもあの量をみて疑問をいだかなかったか謎である。どう考えても残りが多すぎたのは明らかだ。コーヒーサーバーは泉ではない。自然にコーヒーは湧いてこない。ボケもほどほどにしなければ…。その自分のボケ具合になんだか笑ってしまった。朝からコーヒー飲みすぎだろ!(やぎ)
   
2020年5月15日
『検察庁法の改正』  法改正について、ツイッターが1000万件を超えたという説さえあるほどの反対が巻き起こっているが、政府与党は強行採決の方針を変えていないらしい。成り行きを注視しているが、3つのことを考える。
 第1に政府与党の姑息なやり方には呆れるほかない。コロナウイルス問題に紛れて法改正をしてしまうだけでなく、検察官の定年延長を一般の国家公務員の定年延長とセットにして、一括提案している。一括提案することで、性格が異なる検察官の定年問題を、法務大臣の説明すらしないまま突っ走るつもりだったらしい。
第2に国会での質疑、記者会見での説明を聞いても、政府与党の言葉が信用できないこと。これまでの様々な問題についての安倍首相の言葉を聞いてきた経験から、この問題についても言葉がまったく信用できない。首相、大臣、議員の言葉が信用できないのでは、議会制民主主義の存立基盤が存在していないに等しい。
 第3に、これほどの危機に、自民党、公明党から、法案に対する疑問の声が出てこないという異常事態。5/12に郷原信雄氏はツイッターで23人の自民内閣委員の実名を列挙して、「良心に恥じない行動を」と述べ、覚醒を促した。そのせいか、泉田議員が強行採決を批判して内閣委員会を外された。15日午前段階で、石破、船田、岸田の3議員が法案に反対あるいは疑義を唱えたと報じられているが、このあとどういう動きがあるのかないのか?
(宮)
   
 
『灯台下暗し』  毎年ゴールデンウィークというと、上野の森親子ブックフェスタでお店を出す事のほか、もう1つ大事な用事が私にはある。今年はコロナで両方とも流れてしまった。私のもう1つのゴールデンウィークの楽しみ…それはここにも何度か書いたが中学からの同級生のおうちにおじゃまして、その庭でさくらんぼ摘みをさせてもらうこと。
 たった一本の枝には小ぶりだけれどかわいくて甘ずっぱい恋の味のような(そんな恋はしたことはないが…)さくらんぼが山のように収穫できるのだ。数年前から友人がさくらんぼ摘みに招待してくれるようになって学校時代の友人ほか3名とその子どもも加わって楽しいひとときを過ごす。なにを隠そうわたしは果物の中ではさくらんぼが一番好きなのだ。バナナ(これも好きだが)と違い、ちょっと値段が高いので、毎日は食べられないが季節ものなのでこの季節ばかりはと多少奮発してせっせと食べる。
 友人宅のさくらんぼはムシャムシャ食べるにはちょっと小さいので、収穫したものは各家庭でジャムにする。するとさらにルビーさながら透明感のある赤い色で食卓に花を添えてくれる。その友人が今や会社の同僚になっているので花が咲いた頃から、その様子を時折さくらんぼの情報をくれる。しかし、このコロナである。今年はやめようということになった。木の持ち主の友人宅でも今年は摘むのを断念するという。「今年は鳥さんたちにみんな食べてもらうことにした」との事。私が「私も鳥になろうかな」というと友人は笑って「もしよかったら一人でくる?」と言ってくれたが、それも迷惑だろう…。「いやいや鳥の格好をして庭にいたら笑ってね」で話は終った。鳥の格好をした自分を想像してちょっとおかしくなって心の中で笑う。でかすぎるから…。今年鳥たちはさぞかし喜んだことだろう。毎年人間との競争だったのだから。
 ゴールデンウィーク過ぎたある日のこと。今住んでいるメゾネット住宅のゴミ捨て場に種や実や葉っぱが沢山落ちていた。そういえば去年ここに引越してきたばかりのときもこんなのがいっぱい落ちていて、箒で掃いたのを思い出した。その実や種をよくよく見てみる。そして気づいた。「あの実だ!」どこから落ちてきたのだろう。見上げてみると、お隣の木からさくらんぼがキラキラしながらたわわに(?)ゆれていた。下に落ちた種はどうやらここも鳥たちが食べたらしい。そういえばここのところかわるがわる鳥の集団が時間差でやってきていたなあと思い出した。みんなでおいしいものがここにあるよと教えあっていたのだった。こんなにすぐそばに私の好きな実がなっているとは。でもお隣の木なことが残念だ。来年は指をくわえてみているしかないだろうか。それから3日ほどして木からは実がなくなった。すっかり食べたのだろう。来年は私も鳥になりたいなと思った。
(やぎ)
   
2020年5月8日
『またまたコロナウイルス』  コロナウイルスをめぐる問題がすこし分かってきたので書く。強い感染力を持つ新型コロナウイルスの流行は、ワクチンができ治療薬ができるまでは感染を拡大させるわけにはいかない。感染者が一気に増えたら医療機関が対応できなくなるからだ。医療崩壊と言われている事態だ。いずれの国・地域も感染拡大を防ごうとするのはもっともである。
 ワクチンに関してはトランプ大統領のように年内にできるという意見もあるが、専門家によると1年半ぐらいはかかるという。そうなると、あと1年ぐらいは感染拡大を防ぐための行動を取らなければならない。それが外出や営業の自粛が求められる理由であろう。あと約1年の間感染拡大を防ぎつつ生活を維持するための経済活動を支援することが政治、行政の仕事である。この課題をどのように解くのか?オリンピックや習近平来日や総選挙や都知事選挙という夾雑物を除外すれば、コロナウイルスをめぐる問題は、状況認識と課題の設定と取るべき対策という形に整理できる。この問題に如何にに取り組むかが政府と地方自治体の仕事のはずである。
 武漢の食肉市場で新型ウイルスの感染が発生したと報じられたときには、問題の性格が把握できなかった。クルーズ客船内での感染拡大が大きなニュースになっても他人事でしかなかった。中国、韓国で感染者がみるみる拡大し、死者が増え始め、都市封鎖されたときに問題が眼前に迫ってきた感じがする。このとき政府当局と自治体が先に触れた夾雑物に影響されず、新型コロナウイルス問題について「状況認識と課題の設定と取るべき対策」に向き合っていれば事態は違っていとはずだ。
 現実には夾雑物に支配された、ゆがんだ状況認識に基づいて行動していた。それから現政権のおよそ信頼感に欠けた判断と行動が今日の状況を作っている。
 にもかかわらず感染者が爆発的には増加せず死者の数が諸外国に比してすくないのはなぜだろうか。国民が政府自治体の指示に従順に従うこと、日常生活の衛生的であること、医療機関の献身的活動が原因なのではないかと思う。
 現下の大問題は、自粛要請と補償がまるでアンバランスなことが人びとの生活を破壊し、経済活動を沈滞させることだ。政府、自治体の愚かな政策の数々をいちいち挙げるつもりはないが、それでも「新しい生活様式」とか言って、箸の上げ下ろしにまで指図する政府の愚劣さ加減には呆れるしかない。
(宮)
   
2020年5月1日
『ケネディ大統領暗殺』  昨晩ケネディ大統領暗殺事件を扱った番組をテレビで見た(NHKスペシャル 未解決事件FILE9)。67年前、日米間で初めて衛星中継で放送されたのがケネディ暗殺のニュースだったことをいまでも鮮明に覚えている。現役の大統領が暗殺されるという大事件は、未だに謎に包まれているが、その真相をドラマと記録の両面から描くという作品だった。犯人とされたオズワルドは海兵隊員として厚木に勤務していたという。オズワルドの人生を辿りながら、ケネディ暗殺には背後に黒幕が存在するということを膨大な記録資料にもとづいて主張するらしい。殺害される直前にオズワルドが「はめられた!」と叫んだことがわかっていて、政治の世界の陰謀がどこまで解明されたのか興味津々で、後編を待っている。
 政治の闇の世界は67年前に戻らなくても、またアメリカに限らず存在する。もちろん日本にも。闇から事実を掘り起こし、真実を明らかにするべくいろんな活動がなされている。我々も出版という仕事でその一角を担っているつもりだ。
(宮)
   
 
『コロナとポンちゃんラーメン』  5月7日までを予定していた緊急事態宣言が延長になる。世界の様子を見る限りそうなるだろうと予想はしていた。しかし、このままでよいはずがない。いつになるかわからない経済活動の開始、学校の再開を、ただ家の中で終息をじっと待てるほど会社も個人も余裕はない。アベノミクスの効果といわれた景気の快復をどれほどの人がその当時に実感できただろうか。事実、日々のニュースは決ったといいながら現在に至るまでに実行されたものの少ないことこの上ない。苦境にある国を救うのは容易なことではないだろう。けれどこの苦境の中にあり、動かぬ政府を尻目に国民たち自身が生き残るためにあちこちで動き出している。待つだけではなかなか世の中は変らない。人に上も下もないと思うが、1日仕事がないだけでも脅かされる者の生活など想像だにできないのだろう。誰もが貯金があると思ったら大間違いだ。想像できないなら知ろうとしようよ、見に来ればいいよ、そして体験してみたらいい。
 話は変るがポンちゃんラーメンのこと。緊急事態宣言がまもなく出るだろうと思われる数日前のこと。トイレットペーパーであまりにも精神的にダメージをうけた私は買いだめほどではないが、その日暮しにならない程度に災害にも備えて毎日少しずつ、日持ちする食材を買っていた。ある日袋ラーメンでもと思ったが、みんな同じことを考えるようだ。久々にペーパー類やマスク以外でガラガラに空いた棚を見た。しかし何か残っている商品もあるではないか!棚の一番下の段にみたことのないメーカーの、かわいらしいネーミングの袋ラーメン(5袋入)があった。こんな時もやはり有名メーカーのもの(普段食べなれているもの)が真っ先に売れるようだ。ポンちゃんラーメンはどこのメーカーなのかしらと袋をしげしげと見つめると、おお長野県のメーカーだとわかる。そうかポンちゃんは長野からやってきたのか。こんな時でないと買わないだろうと試してみることに。非常用に買ったのだが早速食べたくなった。期待をしていなかったのだが、なんともさっぱりした醤油味。人によって評価は違うかもしれないが我が家では大好評だった。コロナがポンちゃんとの出合いを作ってくれたのだ。調べてみるとこのラーメンはかなり古い歴史があり長野県では最初に作られたインスタントラーメンなのだとか。ポンちゃんのメーカーである信陽食品が出来た1964年当初から今も変わらず存在しつづけるポンちゃんラーメン。間違いなくロングセラー商品で長野で愛されるラーメンなのだろう。最後の1袋となり買ったスーパーへ行ったがもう置いていない。なんてこった!ポンちゃんにまた会える日は来るだろうか?またフイに会いたいラーメンとなったのだった。この機会に普段買わないものを買ってみようと思うきっかけをありがとうポンちゃん。
(やぎ)
   
2020年4月27日
『放送』  日曜日昼の「NHKのど自慢」は中止にされていた。コロナ問題で放送も変形を余儀なくされている。ニュース番組で司会者の1人が別室から出演するくらいだから、出演者と観客が密集する「のど自慢が」中止になるのも当然だ。いろんな番組が人と人の間を大きく空けており、解説者、コメンテーターなどが自宅から出演することも普通になった。 「コロナ」が今後どうなっていくのか予測できない状態では、変則放送も当分続かざるを得ないだろう。変則の形もいろいろに変化している。「笑点」にチャンネルを回したら、客席に大きく間を空けて観客がいた。前には観客無しで放送したり、再放送で済ませたり、過去のものを編集したりといろいろ試みている。
 その点、ラジオは変化が小さいようだ。「昼の憩い」も「深夜便」もこれまで通りの形だし内容である。
 放送の形と内容も、仕事の仕方と同様、「コロナ」以前には戻らないのではなかろうか。
(宮)
   
2020年4月17日
『またコロナウイルス』  コロナウイルスの影響はますます大きくなってきた。世界中で翻弄されている。感染の状況、政府や自治体の対応、姿の見えない相手に翻弄されている人びとのニュースや情報が溢れている。何が問題なのか、何が危険なのか、自分はどんな行動をするべきなのか?今起こっていることを的確に知って、自分の頭で考えることが大事だと思う。日本政府がしていること、全世帯にマスクを2枚配布することのバカバカしさ、生活を支援するための給付金が30万円から10万円に減額されて全国民配布に変更されるらしいことなど、毎日不満、批判の種は無数に湧き出てくるが、すこし頭を冷やして考えることも大切で、そんなことを教えてくれる一文に出会うとほっとする。そのひとつは、藤原辰史「パンデミックを生きる指針―歴史研究のアプローチ」だ。岩波新書HP「B面の岩波新書」に掲載されたもの。100年前のスペイン風邪を取り上げ、今回のコロナウイルスと比較している。人間は歴史の教訓を活かすことができない、まことに不完全な存在だと改めて思う。(宮)
   
2020年3月26日
『コロナウイルス』  世界中がコロナウイルスに翻弄されている。日本はこれから感染者、死者が増えるのだろうか。これまではオリンピックを控えて検査数を絞っていたらしい。信頼できない発表が不安感を増幅する。赤木俊夫さんの妻の手記にたいする首相や、政府要人の発言を聴いているとこの人達が国民のために本気で対策を練っていると思えない。こういうときにNHKがまた信頼できないのだから、なんという不幸か。自分で自分のことを考えるほかないのだ。どこまで有効な行動が取れるかわからないが、他に方法はないのだ。
 コロナウイルス騒ぎをよそに、外は春真っ盛りで、浅川土手は草が勢いよく伸び、桜は満開だ。その対照が不思議な「夢か現か」という感覚をもたらす。
(宮)
   
 
『新型ウィルス』  初めにこのウィルスが出始めたときにここまでのことになると誰が想像しただろうか。各国がそれぞれのやり方でこの危機的状況を少しでもおさえるために対策を講じている。日本は随分と立ち遅れているのではないだろうか。
 少し前から店からマスクがなくなり、トイレットペーパーがなくなり、それぞれの状況に応じて何かが品薄になっていく事態が起ると考えられる。病気も怖いけれど、こういう状況になって余裕を失う人間もまた怖い。わたしとて、ちょっと前のトイレットペーパーの時には本当に困った。なぜなら家にある在庫が2ロールきりしかなかったからだ。普段余分をストックする習慣がなく、近いうちに買おう、週末に気に入っているメーカーのものを少し離れたお店に買いに行こうと思っているうちにそれは起こってしまった。どこへいっても、トイレットペーパーの棚という棚はからっぽな日が何日も続く。普段は月に1度か1ヶ月半に1度買うものだが、どんなペースで減り2ロールがどれだけもつのか真面目に考えたことはなかった。
 家族(といっても夫と二人)会議となる。この2ロールで、トイレットペーパーを買える日までどう乗り切るか。私「家で〇〇〇をなるべくしない。お腹をこわさない、無駄に使わない」の3つが大事だと話をしたあと、なんと私のお腹が痛くなった。めったにお腹を壊さない私であるが、なんとそのトイレットペーパーのプレッシャーに押しつぶされたらしい…なんとも情けなく、マンガの様で笑えるけど笑えない話だ。幸い2回ほどトイレに通い事なきを得た。冷静に対応しようと言った私の方が心中あせっていたのだろう。トホホである。
 その後、なくなってしまった時の保険のために会社から2ロールを借り、それに手を出す前に4ロール入りを入手。その後無事に12ロール入りを朝のスーパーで見つけて無事購入することができた。その間2週間以上2ロールで足りたことになる。覚えておこう。
 マスクや生理用品、オシメ、キッチンペーパー、ティッシュペーパーなどはいざとなれば布で代用できるが、トイレットペーパーだけは、水洗トイレ文化にいる私たちにとって必需品になっている。そしてそれに代替となる代物をなかなか思いつけない。
 市場在庫は充分にあるといわれていたトイレットペーパーだったので一週間もすれば元に戻ると甘く見ていたが思いのほか未だにその影響が残っているという恐ろしさよ…。安全に過ごしつつどうにか、これから最終的にこのウィルスが収束するまで、どんな時でもなるべく心穏やかに過ごしたいものである。
 戦争やオイルショックを経験した人は、やはり物資、食糧がなくて困った経験をしているため買い置きや買いだめをしている人が多いと聞く。私なぞはそういう経験に乏しい分うかつになりがちだ。このウィルスの蔓延が収束したら、私も必要以上買いだめしようとは思わないが、ちょっとした予備は準備しておこうと思ったのであった。
(やぎ)
   
2020年3月13日
『新型コロナウイルス』  日本どころか世界中が新型コロナウイルスで大騒ぎだし、振り回されている。株の動きは歴史で恐慌と言われている動きに重なって、この先世界がどのような動き、変貌を見せるのか予測困難である。世界中にまたがって経済活動にブレーキがかかっている。オリンピック延期論がニュースになった。経済活動や、日本の世界のと大きなことを措いても、日常的に変化にいろいろ気づく。毎日乗っているバスは明らかに乗客が減っている。ほぼ同じ時間に乗り合わせていた老人たちが減少した。トイレットペーパーの買いだめ、買い占め行動は、必要ないとずいぶんいわれているがまだ続いているようだ。ドラッグストアのトイレットペーパー売り場は長い間空っぽになっていたが、雨の降った日に見たら商品が戻っていた。ところがその翌日見たときにはまた空っぽだ。人が毎日ニュースを見ていて、予測できない変化を警戒する心理が勝っているのではなかろうか。(宮)
   
2020年3月6日
『ウイーンの音楽』  新型コロナウイルスの問題で世間は物情騒然といったありさまだが、先日の「音楽の泉」はウイーンの音楽をと言って、シュトラウスらのワルツやポルカを放送した。こういうテーマのときには皆川達夫さんは思い切りご自身の好み、評価に従って番組を構成する。何十年前の演奏家だろうと関係ない。ベートーヴェンの「第九」のときバイロイトのフルトヴェングラーの演奏を使ったように、今回はクレメンス・クラウス指揮のウイーン・フィルだ。「ウイーンの森の物語」や「ピチカートポルカ」「春の声」などを聴いていると、ワンパターンの連想で、高校時代に図書委員をしていて、昼休みのレコードコンサートの準備で大判の模造紙に曲名を書いていたときのことを思い出す。とくにウインナワルツの曲名を書いていたのが忘れられないのだ。そしてLPレコードにそっと針を下ろしたときの感触も。60年前のことだ。(宮)
   
 
『開花宣言』  いつもゴールデンウィークにさくらんぼ摘みに行かせてくれる友人宅があるのだが、今年は、いつもより暖かく、その家のお母さんが先日こんなことを云っていたと友人から聞いた。「さくらんぼの木に花が五厘咲いたので開花宣言をさせていただきます」と。東京の桜の開花宣言を真似たのだろうがとてもかわいらしい、そしてユーモアのある宣言に思わず笑ってしまった。その後、翌週には八分咲きくらい一気に開花したようだが、宣言を聞いた花たちがきっと、「そうか咲いていいのか」といいながら安心して咲いたに違いないとわたしは秘かに確信している。
 去年の収穫時にはおいしそうな実に限ってすでに鳥についばまれていたのを思い出す。これは…友人母にしかと見張ってもらっておかねばならない。友人に「お母さんには鳥に実を食べられないように見張っておいてと言っておいてね」と伝えた。果して…人間と鳥のどちらがより美味しい実にありつけるだろうか。どう考えても空から、枝の梢から、つぶさに実の様子をチェックできる鳥の方が有利だろうなあとは思うのだが。ここ何年か恒例行事となりつつある東京でのさくらんぼ狩りが今から楽しみでしかたない。
(やぎ)
   
2020年2月28日
『コロナウイルスと安倍内閣』  コロナウイルスがじりじり感染者を増やしているが、この問題にも安倍内閣の対応が批判の対象になっている。問題の広がり方がとてつもなく大きい、大部分の日本人が関係せざるを得ないので批判も半端ではない。今後の展開によっては、致命的な不評を買って、安倍内閣退陣に行き着く可能性が大きそうだ。桜を見る会をめぐる問題では、法律の専門家や政治学者が、将棋で言えば完全に詰んでいると言われたけれど、退陣の動きにならなかったが、コロナウイルス問題は、一気に安倍退陣の動きに移っていくのではないか。このところの安倍批判は従来とは別次元の、タガが外れたかのようなに激しい批判、軽侮のの嵐だ。これから自民党、公明党からどんな動きが出てくるのか、注目している。(宮)
   
 
『3分で』  先日、用事のため、母校に行った。ついでに母校のすぐ近所に住む友人に、夏ごろから預かりっぱなしだった荷物を届けに行くことに。その日はいるのだろうか?前日にメールを入れる。朝になって連絡がきた。「〇〇(娘)は学校に行ったよ。私は保護者会があるけど9時なら大丈夫なので寄ってください」とのこと。用事の前に寄るだけだけど会えるのは嬉しい。一緒に出かける予定だった他の2人に彼女の家に寄る承諾を貰う。彼女たちもその友人に会いたいねと先日言っていたのだ。駅につくとメールがきた。「お茶でも飲んでいかない?」嬉しい申し入れだが時間を考えると無理そう。「あまり余裕がないから残念だけど」と送る。学校へ向う道でさらにメールが届く。「3分で飲めるように用意しておきます」とのメッセージが!えええええっ。さっきの「残念だけど」と送ったら普通は「わかりました」と来そうなものだ。「こんなメールが来た!」ほかのメンバーに見せるとみんなで大笑い。「マラソンの給水所みたいだね~」とか「熱いのはちょっと…わたしが猫舌だって知っているかな~」などと更にもりあがった。果して到着してインターホンを押すと階段を降りる音がして玄関の扉が開いた。「わあ、はやくはやく、2階に上がって!すぐお茶を入れるからね!いそいでいそいで!」と言う。3人で階段を上がると居間にクッキーとチョコレートを並べたお皿が準備されていた。素早く目の前に紅茶のカップが置かれた。チョコレートはゴディバ。3分間でこんなおもてなしを受けるとは…びっくり仰天だった。「普通はさ…こんなのだれも思いつかない」と友人に言うと、悪びれず嬉しそうに笑っている。3分ではさすがに飲めず8分くらいいただろうか?その後は大急ぎで目的の場所に滑り込んだが、なんとも素敵なおもてなしであった。えーとか言いつつチョコレートもクッキーも朝っぱらから3人ともしっかり食べたなぁ。(やぎ)
   
2020年2月21日
『気にかかること』  仕事のことを別にして今一番の関心事は、安倍内閣が何時退陣する状況が出てくるかということだ。「桜を見る会」の問題が出てきたとき、安倍首相はこの問題からは逃げ切れないだろうとわたしは思ったのだ。
 問題の性格から違法行為である証拠が次々出てきて、逃げることは不可能だろうと。実際普通の感覚で言えば到底逃れられない証拠の数々が出てきている。多くの証拠に加えて、戦後社会に対する信頼もある。現に安倍首相に対する批判の声は決して少なくないし、繰り返し批判の論陣を張っている人々がいる。しかし……。
 現時点ではまだ逃げ続けている。これには理由があって、官僚組織が安倍首相の発言に合わせて辻褄の合わない答弁行動を取り続けていること(奴隷状態)、違法行為を摘発するべき検察機関が同様に安倍首相をひたすら忖度した行動を取り続けていること、与党からの公然たる批判、反乱が起きないこと。そして安倍首相をよしとする支持者も決してすくなくないことである。
 長期政権は、戦後社会システムを根底から破壊しつつあるが、このような状態に対する根本的な反動がどこかに時点で官僚組織、検察、与党政治家から起こるだろうというのが、わたしの予測で、それは戦後社会に対する信頼から出てくる。
 依然として信頼を持ち続けて、事態が今後どのように推移していくのか、連日の国会の論戦、報道機関、インターネットの動向を注視している。
(宮)
   
 
『日本の行く先は?』 生きていれば色んなことがある。日本も然り。いろんな良い事、悪い事もふりかかる。いいことはそんなに問題は起こらないけれど悪い事がおこったとき、その人、そしてその国の真価が問われるのではないだろうか。何かに巻き込まれたときほど、人は素の自分になる。こうありたい自分はいるが、その場に立ったときそういう自分と乖離してしまうこともある。ああ、何もないときの想像ではこうしたいと思っていたのにこんな判断をしてしまったと驚く。自分さえも見えない自分が出て来たりする。では、もしも人に何かを疑われるようなことが起った時には、どうしたらいいだろうか?悪い事をしていないのなら丸裸になっちゃえばいいと思う(本当の裸ではなく必要に応じた資料を出すということ)。丸裸になれないのはやましいからだろう。今の政治はそんなことばかり。今や日本は民主主義国でなくなってきているように思う。正しいと思ったことを素直に言えば何かに脅かされるなんてあってはいけない。個人の責務に避難を浴びせる時間に本来話し合うべきことがあるだろうに。何か起こるたびに不安が増す。まずは何が起こっているのかを自分で見きわめて、考え決断できるようにならなければ心までもってかれてしまうと危惧するばかりだ。(やぎ)
   
2020年2月14日
『オリンピック』  コロナウイルスの流行で、オリンピックが開催できるのかわからなくなってきたが、社員のひとりが1964年の「東京オリンピック」の映画を見たそうで、マラソンコースになっていた甲州街道の変貌にびっくりしたと言っていた。56年前の街を見れば、その変化に驚くのはよく分かる。当時、細い農道だった道が環状7号線になり、都心には高速道路が走って日本橋を覆い、新幹線まで間に合わせた。新しもの好きの日本らしく、工事を次々行って景色を一変させたのだ。経済成長の勢いを感じさせる変化だった。2020年のオリンピックではそういう大きな景観の変化はないが、なんか落ち着かない景色を作り出していると感じる。規模が大きくなって周囲を圧迫するような新国立競技場はその実例のひとつだ。落ち着かないといえば渋谷の変貌もものすごい。新たに高層ビルが何本もつくられ東横線、地下鉄の駅がまったく姿を変えてしまった。この落ち着かなさが、オリンピックをめぐるいろいろな問題(マラソンの札幌移転、東京湾の汚水)の浮上と絡んで、こんどのオリンピックの特徴だとおもっている。しかし開催できるであろうか?(宮)
   
2020年2月7日
『どちらがいいのか?』  大統領制と議院内閣制のことである。アメリカでは今年は大統領選挙の年で、ちょうどアイオワ州の党員集会の結果がニュースになっている。いろんな候補者が出てきて半年ほどかけて候補者を決めていくのをみると、日本の現状を考えて、大統領制も悪くない制度だと感じる。しかし3年ほど前の前回選挙では、トランプが共和党候補になり、本選挙でも勝ってしまった。今回も共和党はトランプを候補者にするようだし、ひとたび大統領になってしまうと党内の批判はなかなか力をもつことができないらしい。どこがいい制度なのかという批判がでてくるわけだ。
 日本では安倍内閣が7年余の長期政権となっていて、これまた党内の批判はなかなか表に出てこないうえに、現職の強みがあり、小選挙区制とあいまって政治責任を取ってとうぜん辞職するべき行動が、どんな批判をも物ともせず野放し状態である。安倍内閣は政治の世界で責任という言葉を死語にしてしまった。
 無責任極まる言動とや政策をコントロールするべきなのはまず第一に政党を含めた職業政治家たちであろうが、日米ともに、ひとりひとりの政治家は目前の自身の利害(端的には議員や政府の要職のポストを維持すること)に汲々としている。職業政治家がまともに働いていないときにこれを叱咤勉励するのは有権者の仕事だが、今日は一段とその働きが鈍くなっている。餓死者が出るような貧困状態であれば直接行動が現れるだろうが、そのような状況ではないので(実は極端な貧困が少数であるために)、社会全体としては政治に対する関心が低いのである。日米ともに重要な国政選挙で、投票率が50%ぐらいしかないし、日本では地方選挙の投票率が40%、30%が普通になっている。
 このような政治的無関心の蔓延するなかで今や民主主義の政治制度は存続することが可能なのかという重大な疑問まで出てくる。大統領制か、議院内閣制かという問題以前の制度的機能不全が顕在化してしまっているのが現在の状況らしい。
(宮)
   
2020年1月31日
『丸山真男とオペラ』  どこで読んだのか思い出せないが、丸山真男がフルトヴェングラー指揮のベートヴェンの交響曲第7番を勧めていたことを鮮明に覚えている。しかし中野雄『丸山真男 音楽の対話』(文春新書)によると、丸山はオペラがたいへん好きだたらしい。同書に引用されている丸山の「金龍館からバイロイトまで」を読むと、確かに若年の頃からオペラに親しんでいた。最初の出会いは金龍館の「カルメン」だったが、これはビゼーの歌劇カルメンのパロディだったと言っている。そして「私はカルメン全幕(?)をはじめにこうしたパロディで見てしまったために、戦後に日本やヨーロッパで一流歌手によるカルメンを鑑賞しても、エノケンの演ずるドン・ホセのイメージがふとよみがえって来て、せっかくの悲劇の舞台とダブってしまい、閉口したものである。」と書いている。丸山は音楽好きというだけでなくで自分で歌うのも好きだったらしいから、オペラに引き寄せられるのはよくわかる。ところが戦前ただ一度観たオペラ上演は戦時中の「フィデリオ」(藤原歌劇団)だそうだが、この実演鑑賞が自分にとって決定的なオペラのイメージダウンになったというのも面白い。筋書きが修身の教科書に出てくるような夫婦愛の美談である上に拙劣な演技ののために、ほとんど見るに堪えないものだったというわけである。
 こんな調子で「金龍館からバイロイトまで」は丸山のオペラ談義、音楽談義を展開していて、バイロイト詣でに及ぶ面白い読み物である。
(宮)
 
『ヤンキーぽい歩き方とは?  外を歩くとき、人と歩くことの方が少なく、殆んどの場合一人で歩く。すると全然知らない人たちのたわいもない(?)、または知らなくてもよい情報が時折耳に入ってきて楽しいものだ。
 昨日のことである。夜道を歩いていたら若い男の子(18~20代前半くらい?)たちが数人で団子状態で歩きながらしゃべっている。「おれさあ、ヤンキーぽく歩いてないよな」とAが言う。その友人たちもなにか言っていたと思うのだが、私はそのヤンキーぽい歩き方という言葉で頭がいっぱいになり、どんな歩き方だろうか?ヤンキーっぽい歩き方って?と想像してああでもないこうでもないとひとしきり考えた。
 そもそも最近ヤンキーっぽい人すら見なくなっている。ヤンキーなんて存在するのだろうか?と疑問がわいた。もしかしたらその子が言うヤンキーと私の思うヤンキーすら違うかもしれず、ということはヤンキーっぽい歩き方も彼の想像する歩き方と私が思い浮かぶ昔のヤンキーのそれとは違っているのかもしれない。言葉はどんどん変化するし、同じ言葉の中身すら変化していることもある。だけど今のヤンキーの歩き方を私は見たくて仕方がないのだった。いつか見られるといいな。現代のヤンキー歩きを。
(やぎ)
   
2020年1月24日
『通史』  「大系日本の歴史」15巻の藤原彰著『世界の中の日本』を読んだ。同じ著者の『中国戦線従軍記』(岩波現代文庫)が面白かったので、図書館にあった『世界の中の日本』を引き続いて読んだ。第2次世界大戦の終わった1945年から、昭和天皇がなくなるまでの約45年間の通史である。通読して、分っていたつもりの出来事、事件が時間の流れの中で、世界の動きと関連させられながら、位置づけられ説明されていて、とても面白かった。
 GHQの強力な指導に従って制定された日本国憲法だが、朝鮮戦争の勃発により、制定から3年弱の時間しかたっていないのに真っ向から矛盾する警察予備隊という軍隊を作らざるを得なくなったことなど、アメリカの矛盾した政策とそれに随順する占領下日本の姿が的確に描かれている。
 政治の動きは歴代首相のプロフィールとともに解説されていて、内閣の性格がよくわかる。戦前の政治家が復活し戦前回帰の強い願望を持って動き出すが、GHQに反発する力は弱い。むしろマッカーサーやGHQに巧みに取り入って面従腹背の行動を取る。
 通史の中で見るとサンフランシスコ講和会議で中国、朝鮮、ソ連を除外したことの問題性もよくわかる。日本は、戦争でもっとも迷惑をかけた国を除外した講和条約を締結したのだから、後年そのつけが回ってくるのも当然だろう
 通史を読むことの有用性を改めて知らされた本だ。
(宮)
   
2020年1月17日
『涙もろい』 この3月で小学校を卒業する子どものクラスでは、音楽の時間に卒業式(か、お別れの会)で歌う歌を練習している。お友だちの一人が、その歌を歌い始めると感情移入しすぎて、途中でおいおい泣いてしまうそう。どんなに堪えても必ず泣いてしまう。それどころか、音楽の時間以外に、この「どうしても泣いてしまうエピソード」を話しているだけでも、泣いてしまうのだという。その話のあと、うちの子が「幼稚園卒園の時に、クラスのママが作ってくれた思い出DVDにBGMで使われていたSEKAI NO OWARIの「RPG」を聞くと、小学校2年生くらいまでは思い出して号泣しちゃってた」と言い、今でも聴くと「うるっ」としちゃうそうだ。
音楽ってそういうものだよね~と、ママもそういう曲があるよ~と話をしながら思う、母はそのお友だちのエピソードを聞いただけで泣けるし、「RPG」は今だに泣く。私は、とっても涙もろい。そして今、小学校の卒業式、私はどんだけ泣くんだろうか?と想像しただけで、「うるっ」としてしまった。卒業式、大きなタオルを持参しなくては……。
(みなりん)
2020年1月10日
『戦争を回避』  トランプ大統領の愚かな指示でアメリカ軍がイラン革命防衛隊のソレイマニ司令官を殺害したために、いよいよイランアメリカ戦争が始まるのかと世界中が固唾をのむ中、イランがまず米軍基地に対しての攻撃を行った。これに対してアメリカが更に反撃することが危惧されていたわけだが、ひとまず武力による反撃はせず、経済制裁することが明らかになった。攻撃を受けたとき、イランもアメリカも激しい言葉で相手を威嚇し、厳しい反撃を声高に誓っていた。しかし今回の危機を招いたトランプ大統領は、イランの反撃のあと、戦争回避に舵を切ったようだ。声明発表のとき周囲に政府・軍の要人を背後に立たせて、自身の思いつきの方針でなく、慎重に検討した政府の方針であることを示していた。まったく人騒がせな男だ。こんな人物がアメリカ大統領であり、次期大統領選でも再選される可能性があるのだから恐ろしい。とんでもない人物が首相を務めているのは日本も同様で、今回の危機に際して安倍首相は海上自衛隊の中東派遣を再考すると発言しない。既定方針通り派遣するという。こんな政府の方針に対して自衛隊の現場から不安の声が上がっているると報じられた。偶発的な出来事によって戦争に巻き込まれるかもしれないのに、的確な状況判断と行動方針を国民に全く説明しない、説明しようとしない現在の日本政府の対応はじつに恐ろしい。(宮)

『道徳教育』  明けましておめでとうございます。
 新しい年が始まった。2020年という年は日本にとってどんな年になるだろうか。何も問題のない社会などないけれど、このところの世の中を見ていると、とんでもない方向へ向っていくのではないかと不安の方が大きい。真面目にコツコツ働いてきた人たちが報われない世の中なんてあってはいけない、そう思う。
 近年いわれる道徳教育。私の頃の道徳の授業といえば「口笛吹いて~♪空き地へい~った 知らない子がやってきて、遊ばないかと笑ってい~いった♪」という歌詞がメロディーと共に流れてきて始まるNHK教育番組のテレビドラマを見ていた記憶しかない。本来、普通に人間関係を育んでいれば自然と培われるものでもある道徳。挨拶すること、嘘をつかないこと、間違ったことをしたときには謝ること、お礼を言うこと、盗まないこと、人がいやがることをしないこと等々。子ども達には大人が見本だ。よく見ていて真似をする。間違ったことをした時にはしかることも必要だし、子ども同士の中でもいろんなことで揉まれては学び成長していく。
 考えるきっかけはいつでもどこにでもころがっているし、道徳の教科に点数をつけるなんてナンセンスもいいところだ。道徳教育が一番必要なのは大人の方かもしれない。子どもにあれはだめこれはだめだといいながら、一番嘘をついたり、自分の利権ばかりを考え、ずるをしたり、本心とは違う対応をし、陰口を叩くのは大人のほうなのだから。
 特に現在の政治家たちには道徳教育云々言われたくない。基本の道徳ができていない人に道徳云々言われること自体、ちゃんちゃらおかしいではないか。教育が必要なのは、大人自身なのだ。まず政治家たちは国民に道徳の成績表をつけてもらったらいいだろう。私だって大人になった今だってちゃんとできていない部分があるかもしれない。だから考える。どうすればいいか。自分で。そして家族、友人、同僚、また出会った人たちの様々な意見を聞きながら又考える。今はとにかくスピードが問われる時代だけれど、本当にそんなに急ぐ必要があるのだろうか。深呼吸して考える時間、季節を感じたり、笑い合える時間をもつことのほうが道徳を学び、成績をつけるよりも大切なのではないだろうか。子ども達は年々忙しくなっている。ただただ学校へ行き、放課後遊び、夏休みも暇をもてあまし、小さな冒険をする…私たちは本当の豊かさとはなにか今一度考えるときに来ているのではないだろうか。
(やぎ)
   

『2020年』 2020年が始まった。
2019年の年末は、子どもがインフルエンザにかかり、弱ってるところに胃腸炎をもらい、病院で点滴をうけたりと、ハードな年の暮れだった。
大晦日の気忙しさや、ちょっとしたご馳走と年越しそば、正月のお節やお餅等々は、元気もりもり、食欲もりもりであればこそ。我が家は、家族で消化のよいものを食べながら、のんびり過ごした。それでも、家族(+猫2匹)で、あたたかい部屋で新しい年を迎えられるだけでも、本当に幸せだと思う。
年が明けてから、世界平和へ背を向けるようなニュースが続く。世界中の誰もが、戦争や争いのない平和な世の中を望んでいると私はずっと思っているが、時々ふと思う。まったくもって信じがたいが、もしかしたらそうじゃない人がいるのではないか?と。
子どもが生きる未来が希望に満ち溢れた戦争のない平和な日々であるように、自分にできることは何だろうかと、ずっと考えている。できることは、小さい事かもしれないが、考えることを止めず、行動していきたいと思っている。
(みなりん)