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「王様の耳はロバの耳」(2010)
 
2010年12月30日
『恐怖の記憶』 夜、残業で根気仕事をしているときに、飴玉を口に入れることがある。すると六十年前の恐怖が鮮やかに蘇り、「気をつけろ」と自分に言い聞かす。幾つになっても子どもみたいな頭の働きが可笑しいが、それぐらい怖かったということだ。小学校1年か2年のとき、母の実家に泊まり込みで行っていた。近郊農家で藁葺き屋根の縁側で祖母が針仕事をしていた。私は庭先で何をしていたのか記憶にないが遊んでいた。そして祖母にもらったのかまん丸の飴玉を口に入れていた。それがなにかのひょうしに気管の方に入ってしまった。驚いて声にならない声をしぼりだして祖母に訴えたところ、「下をむいて、思い切りハッと息を吐きな」と言われた。夢中で言われたとおりにしたら、一度で飴玉がコロっと地面に出た。そのときの恐怖とそのあとの安堵感は昨日のことのように鮮明な記憶なのだ。そして飴玉を口に入れるたびに、記憶が蘇るというわけだ。(宮)

『つむじ風食堂の夜』 何度か広告や紹介でみた本のタイトルに惹かれて、書店の中をさまよい歩くうちにその最近、みなれたタイトルの文庫を見つけて手にとった。なんの知識もなく、新刊?と思っていたら大間違いだった。なんだ○○○○年なんて、もう○年前じゃない!なぜ今さら広告?そして話題に…と半信半疑で購入し、読み始めた。なんとも不思議な味わいの本である。好き嫌いはわかれるだろうが、私は好きだなあ。ふと読み終わって数日してからおもむろにネットで本の題名を検索してみると…ああ映画になったのかと初めて知った。昔でた本がこうやって話題になるのは誰か著名な人か、テレビで紹介される時だったりするのだ。とくに子どもの本以外でこのように再び多くの人の目に触れることがある本は限られる。映像になった「つむじ風食堂の夜」もちょっぴり見てみたくなった。(やぎ)

『師走と言えば…』 「第九」か「忠臣蔵」でしょう!
と言うわけで国立劇場の「仮名手本忠臣蔵」を観劇。忠臣蔵は日本人にはお馴染みのストーリーだが、そこは歌舞伎。虚とお約束事の世界。なにしろ時代も江戸ではなく室町時代という設定だし、登場人物の名前も違う。(例えば大石内蔵助は大星由良之助)
今回初めて知ったのだが、判官切腹の場面は厳粛な場なので「通さん場」と言って観客の出入りが禁止なのだとのこと。つまりもし遅れて劇場に来た場合、すぐに自分の席に着けずその場が終わるまではロビーで待つわけだ。中の客も途中トイレに立つことは許されずじっと我慢。どこまで日本人は忠臣蔵好きなんやねん!と思わずつっこみたくなるが、そんな私でも少しウルウル来てしまう場面だった。大詰めの討ち入りを果たした後、中央の大きな橋を向こうから渡って来る義士たちにはやんやの拍手!日本の師走を楽しんだ一日だった。
(むく)
2010年12月17日
『閲覧室』 むかしの図書館には閲覧室というものがあった。違う言い方をすれば、いまの図書館には閲覧室がない。仕事で急遽図書館に行き新聞をみることになった。新聞はあるが読む場所がない。新聞を拡げるための場所が、たった一台あるだけで、先客がいる。すると新聞はあれども役にたたない。いまの図書館は、本を借りていくところで、読んだり調べごとをする場所ではないらしい。どこの図書館も乏しい予算のなかで、いろいろ苦しんで、運営されているのだろうが、利用しづらい場所であることはたしかだ。(宮)

『月の満ち欠け』 月とはなんだかいいもんだ。以前はずーっと満月が好きだったが、少し年を重ねたせいか最近は、細くて華奢な月のきれいなカーブを見ているとなんだか美しいなあと思う。月の満ち欠けが一回りする間にいろんな出来事があるだろうけれど、一回りしてまた新しい満月までの道のりをスタートできるなんて、なんて潔くてよいのだろうか。ゲームのリセットボタンとは違うなにかが自然界には存在しているのだろう。た、たぶん…ね。(やぎ)

『ひとりごとの効用』 友人の話である。その日彼女は東京ドームでのボンジョビのコンサートに行くため電車に乗り込んだ。ところが次の駅で人身事故のために電車は緊急停車。いつ動くかわからない状態。思わず口に出して「あ〜ボンジョビは待ってくれないのに!」とつぶやいた。するとすぐ隣にいた高校生の息子を連れた男性が「あなたもボンジョビですか?私達も行くところなのでよかったら一緒にタクシーで新宿まで行きませんか?」と声をかけてくれたそうだ。渡りに船とばかりに一緒に電車を降り外へ。でもそこもタクシー乗り場などない駅。するとひとあし先にタクシーを止めた女性が「一緒に乗りませんか?」とまたまた声をかけてくれた。おかげでコンサートの時間にも間に合い、大いにボンジョビを満喫したということだ。
たまには人に聞こえるほどの独り言も役に立つものなんですね。
(むく)
2010年12月10日
『銀座の街灯』 時事通信社に行くと、銀座通りに出ることになる。晴れた日の夕方の景色は都会の美しさを魅せてくれる。ところが、その夕方期待して銀座通りに出たら、景色が違う。よくみると街灯が変えられている。以前のものは、明治時代のガス灯をイメージしたとてもシンプルなもので、ほかの場所のどんなに複雑華麗なものより気に入っていた。
こんどのは、なんともノッペラボーな形をしたメカニックな感じのデザイン。ものには寿命があるから付け替える必要があったのかもしれないが、デザインは前のママでよかったのにとがっかりした。私のこの感じかたからする、私にとって銀座通りの魅力のかなりの部分はあの街灯にあったということがわかった。一言で言えば残念だ。
(宮)

『紅葉狩り』 高幡不動尊の骨董市に行こうと言われていたのに、その日に用事ができてしまい、日にちを変えてもらった高幡行き。11月末までは高幡不動尊も、百草園も紅葉まつりという情報。紅葉を見に行こうとめいもくを変え年上の友人たちと出かけてきた。わざわざ紅葉を見に行くなんて久しぶりだ。みんなに歩くと思うので運動靴で来るようにと伝える。その日はお天気もよく、行楽日和。早速お参りに行くと秋の日差しを浴びて紅葉が真っ赤に紅葉していた。歩く道々京都の紅葉がみたいといったいたのに今やすっかり、高幡で充分に満たされた3人がいた。
お昼は会社の同僚が教えてくれたスペイン料理屋さんへ。のんびりしたゆったりしたお店でごはんもなかなかおいしく大好評。Uさんありがとね。食後は百草園へ。駅から向かう道は長く急な坂道だ。しかし同じ東京でもこんなにも自然に恵まれた場所がすぐ近くにあることに感動。ようやく見えた園の門を抜けるとまたまた階段が続く。イチョウは黄色くそびえ立ち。他の木々も思い思いの色に色づいている。ちょうどハープの演奏が終わったばかりの園内は少し日が落ちてきて人もまばらだ。しばらくは落ち葉を拾う人影があったが、次第に貸し切りに。土や落ち葉をふみしめてなんだかほっこりと楽しい一日だった。甘酒もちょっと飲みたかったな。
(やぎ)

『そうだ、京都へ行こう!』 某御曹司の事件が巷を賑わせているからというわけではないが、突然京都南座の顔見世を観に行こうと思い立った。夜の部を観てその日は一泊し、次の日は一日京都散策、そしてもう一泊して帰って来るという計画だ。思い立ったら即行動!チケット発売開始日時の30分前からパソコンを販売画面にスタンバイ。時間ぎりぎりのアクセスだと混み合っていてつながらないのだ。再更新をしながら時間になったと同時にログイン。無事希望の日時の希望の席種が買えた。(一番安い席でも5500円もするので一等席など手が出ない)
次はJTBへ。往復の新幹線と宿がパックになっているものを購入。こちらも京都通の友人お薦めのホテルと希望通りの時間の新幹線が買えた。京都一人旅など独身の時以来。のんびりと年末の京都を味わおうと今からわくわくしている。
(むく)
2010年12月4日
『電車遅延』 このごろ人身事故や車両故障などで電車の遅延電車が多い。乗車中に「ただいま○○駅で人身事故が発生しました・・・」というのが最悪で、どうにも手の打ちようがない。それはともかく、そこから毎度おなじみの車内放送が延々と繰り返される。とにかくお詫びの言葉が多い。お詫びも必要かもしれないが、それより状況説明、今後の見通しこそ丁寧に放送してほしい。何分後に復旧するということはなかなか分からないのだろうが、この種の情報が欲しいのに、車内放送はお詫びを繰り返している。車内放送を聞く立場から言うとお詫びはいまの一割ぐらいでたくさんだ。(宮)

『ただいま!』 家庭の事情でほぼ一年会社をお休みしておりました。このたび復帰することが出来、こちらへもまた書かせて頂きますのでよろしくお願いします。この一年、会社へは顔を出せませんでしたが、会社のみんなの支えでなんとか乗り切る事が出来ました。本当に私は周囲の人間関係に恵まれていると実感した一年でした。これからもこの仲間たちを大事に、そして仕事に励もうと思っております。(むく)
2010年11月27日
『日露戦争』 いま黒岩比佐子『日露戦争 勝利のあとの誤算』(2005年刊)を読んでいる。100年前の1905年、ポーツマスでの講和会議で日本はロシアから戦争の勝利に見合う賠償金、領土を獲得できなかったと、東京では民衆が大暴動を起こした(日比谷焼き討ち事件)。この事件を書いた本だが、尖閣諸島問題や、北朝鮮の韓国砲撃事件が起きている現在、威勢のいい議論がマスコミを賑わしているのを否応なく意識しながら読んでいる。黒岩さんの最近著は、出版社が電子書籍の出現に脅かされているときに、「売文社」と堺利彦について書いた本だ。タイミングのいいテーマで面白い本を書く人だと思って、まず『日露戦争 勝利のあとの誤算』を読み始めたのだが、この黒岩さんが11月17日に亡くなった(52歳)というニュースには驚いた。(宮)

『姪がうまれた!』 自分に子どもがいないせいか、甥や姪がうまれることや、友達に子どもがうまれると聞くとなんだかうれしい。
いままでなぜか姪には縁がないのだが。義妹が11月の始めに出産すると聞き、密かにどうせなら男がいいなと思っていた。甥の人数が7人から8人の記録更新となるからだ。その一方で姪とのやりとりまでシュミレーションしつつ、誕生を心待ちにしていた。赤ん坊は10月30日の台風接近の日にうまれてきた。報告は受けたものの、性別は?と聞くと、「見てのお楽しみ」と全然教えてくれない義弟。なんでやねん!何を見るのよ!と心の中でなぜか関西弁の突っ込みを入れてしまった。送られてきた写真では判断がつきかねた。会社の人に見せると、「男の子だよ。がっちりしているし、女の子じゃないでしょう」とのこと。そうか、やっぱり男!記録更新だあ〜と喜んだもの実際はどちらか告げられていないのでなんだか気持ちがすっきりしない。
義母の100カ日に九州に戻ったときにやっと真相があきらかに。なんとまあ女の子!その後にとった写真も何枚か見せてもらう。見たらあまりのかわいさにちょっとおばさんとしてはにやけてしまった。そして先週末ようやく本物とご対面してきた。「ちいさい…」というのが第一印象だった。新生児を見る機会は本当に少ないが、何度か見ているのに、いつも忘れてしまうのがこの大きさだ。小さくて弱そうでありながら、ちゃんと人間そのものなのにまた驚いてしまう。そして抱っこしてその動きの力強さに驚き、手の中ですやすやと寝られては、こんなにもなんの疑いもなく体を預けてくる赤ん坊に感動すら覚えてしまった。元気に大きくなあれ!
(やぎ)

『情けない』 この数ヶ月、仕事以外の場面で、いろいろと「決断」しなくてはならないことが多い。人生を左右するであろうことから、そこまで大ごとではないけれどというようなこと、それでもやっぱり「決断」するとなれば、悩むことばかり。
自分がいざと言うときにスパッと「決断」できず、いつまでもあーでもないこーでもないと悩む優柔不断であることは重々承知していたが、最近「決断」することに疲れ、判断能力も低下していて、最後の最後「決断」できず、人に「決断」を任せる、要するに逃げちゃうこともあるのだ。そんなことしてたら、後で後悔するだろうに。
周りを見渡せば、みんなちゃんと責任をもって「決断」してるのに…、ああ自分が情けない。
(みなりん)
2010年11月19日
『ジーパン』 年寄りの姿が変わった。気がつくと男はジーパンが多い。そしてラフなシャツと帽子とリュックサック。3,40年まえのアメリカ映画でみたような姿だ。ただしリュックは別として。女性もリュックを背負いズボンをはき、頭髪は、私の子どものころ見慣れていた、髪をうしろでくくってちょこんと丸い髷にした人などまったく居ない。男女とも歳に関係なく同じような服装をしているのだ。(若者はさらにさきに進んでいて、男がスカートをはいている。スカートをはいていないまでも、後ろ姿では男女の区別が付かない人がふえてきた。)
さて、自分はどんな老人になろうかと考えるが、老年用の服をわざわざ買う意志もないから、面白くない話だが、いまの姿とちっともかわりそうにない。
(宮)
2010年11月12日
『鉛色の多摩川』 今年の秋は、猛烈な暑さのあと一気に冬の気温になり、南大沢は例年にまして鮮やかな紅葉が一日一日すすんでいて、日ごとの変化がよくわかるだけ、胸にこたえる名残惜しい景色だ。これに比して、これまた毎日眺めている多摩川の水が美しくない。
真っ青な水面をときどきは見たいが、だめだ。たいがい鉛色をしている。水が汚れているというよりは、水蒸気と光線の加減だと思うが、残念だ。ともあれ、新緑の時期と紅葉の時期は、車中で本を読むより、車窓から景色をながめていたい。
(宮)

『机に食べ物を置いて帰らないこと!』 先日取引先の担当者が会社にきて色々な説明をきいた。ちょうど知りたかった内容だったのでおおいに役にたった。さて話もおわり最後の30分くらいは雑談に花が咲く。
小社社長「御社の社屋は随分古いよねえ」
Tさん「団塊の世代のひとたちの入社したころに出来たんじゃないですかね。○階は床下にコード類を這わせるために床を何pかあとからあげているらしいんですよ、そこがねずみの通り道に…」
聞いてみるとねずみの被害がけっこうあるらしく帰るときには食べ物を机に置いて帰らないように言われていたとのこと。置いておくと次の日にはなくなっているのだそうだ。ねずみのせいとあってはしょうがない。そんな話を聞きながら妄想がふくらむ。でもねずみにあやかって(?)、置き去りの食べ物を同僚が食べていたとかいうことは、なかったんだろうか?私の頭の中では同僚の机で食べ物を見つけ、嬉しそうに取り上げて食べている残業中の会社員たちの姿が思い浮かび、一人でちょっぴり笑ってしまった。
(やぎ)
2010年11月5日
『電飾』 今朝(11月5日)、南大沢駅前通りで毎年クリスマスを挟んで前後2ヶ月ぐらい飾られる電飾の据え付け工事をしていた。11月になるとクリスマスの飾り付けがあちこちで始まるし、郵便局では年賀状の売り出しを始めた。世の中は年末モードに入っているわけだ。ところが、零細出版社としては、これまた例年の如く年末モードに入る前の懸案、難題の解決に忙しい。
今年もたしかに例年通りの状況だが、歳だけはひとつづつ増えているのが気になる。しかし、幸い今のところ健康でいられるわけだから、まあ、歳のことはひとまずおいて、この年末も例年通り働き続けるつもりである。
(宮)

『神保町ブックフェスティバル』 今年の神保町ブックフェスティバルは初日は台風が来るというので前日から異例の中止が決まった。外のイベントはお天気次第でなかなか気持が落ち着かない。なんの心配もしないで全ての日がお天気だったことは、このイベントに参加しはじめてから何度あったろうか?2日もしくは3日間に必ず一度は小雨がぱらつくのは恒例だ。このお祭りの内容、売る物が紙で出来ているものでなければそれほどは神経質にならないものの、本は紙で出来ていて水に弱い、おまけに重さはヘビー級だ。一箱きっちり詰めた段ボールの重いこと重いこと。一度広げたら片付けるのも大変。でもやっぱりこのお祭りをやめられないのは貴重な現金収入であることと、本好きのお客さんたちと十二分に本の話ができるからにほかならない。今年は1日目が雨だったこともあってか2日目(この日も朝は雨がぱらついていた)にお客さんが集中して押し寄せた。
世の中は電子ブックの記事でおどる昨今だが、いやはや、本をこんなにも沢山の人がもとめているのか…とも感慨深い。これが定価の本だったら…とも思うが、ひとまずそれは置いて置いて、大切なのは本という形がまだまだ「なし」ではないということだ。ものによってはいずれ電子化されていくのだろうが、丁寧に本を作り、ああこの本を手元におけて「しあわせ」と思って貰えるような本ができたらいいと思う。
さて、話は飛ぶが、我が社の場合ほとんどの本は3000冊くらいが初版だ。日本の人口を思うとこの3000冊が売り切れないことの不思議を思う。宣伝の仕方が悪いのもあるかもしれない。読者のターゲットによっては人口との関係はまったく関係ないとは思うものの、せめて複数ある各市町村の図書館の一館くらいは入れてもらってもバチはあたらないのではないか。入れて損はないはずだ。最近は全国の図書館の蔵書がホームページの検索機能を通して簡単に見ることができる。先日、朔北社と入れていくつかの図書館で検索したところ、タイトルによっては、1冊も置いて貰えていない市町村があり、ちょっとボーっとなってしまった。全国の図書館の数がおよそ3000館あると言われているが、そのおよそ半分の図書館に本を入れて貰えればまちがいなく、小さな出版社は安心して、今後も丁寧な本作りをしていけるのではないだろうか。出版社側は出版社側でなにができるだろうか?あたりまえなことかもしれないが、まずは出版した本の存在を少なからず知って貰うこと、そして選書してもらえる内容か吟味を重ね、読者が喜んでくれる物を世に送り出さなければと思うのだった。
(やぎ)
2010年10月30日
『連想と記憶』 朝の出勤時、雨降りで駅に向かって歩く人たちは皆傘を差している。女性が多かったせいか、色鮮やかな傘の動いていくのを見ていたら、「シェルブールの雨傘」の始めの場面を思い浮かべた。
「シェルブールの雨傘」といえば、あのテーマ音楽が出てくる。そしてあのメロディーから、なかなか離れられなくなる。メロディーを反芻していると映画のなかのわかくて美しいカトリーヌ・ドゥヌーヴがでてきて、つぎに、現在のカトリーヌ・ドゥヌーヴの姿がでてきて、マルチェロ・マストロヤンニの顔まででてくる。たしか1960年代の映画だったと思い出す。50年近く前の映画だったことに驚く。「シェルブールの雨傘」はセリフでなく、歌でつくられている。ミュージカルだ。
ミュージカルといえば、「サウンド・オブ・ミュージック」を母と一緒に見に行って、母が、マリアの結婚式の場面の華麗な部屋を、映画を見る前に見学してきた四谷の迎賓館とと比較して、迎賓館が貧弱だという感想を言ったことを思い出した。駅に着くまでの10分たらずの間に連想と記憶が頭の中を駆けめぐった。
(宮)

『こざっぱり』 最寄りの下高井戸から、三軒茶屋まで伸びる世田谷線の線路沿いにはいろんな草が生えていて季節毎にいろんな味わいがある。ついこのあいだまではオシロイバナが満開だった。そろそろタネができてきたころとおもって線路沿いを歩いてみるとなんだか味気ない。どうやら鉄道会社の人たちが草刈りにきて、きれいサッパリ刈り込んでいったようだ。
たしかにこぎれいだし、こざっぱりしている。でもよくみるとすべて刈り込んでいったわけではないようだ。沿線の住民の人が植えたのか、業者が植えたのかは謎だが、いかにも誰かがうえましたという菊なんかはちゃんと支柱までつけられて残っているではないか。草刈り隊も鬼ではないようだ。丹精込めて育てられているものまでには手をかけなかったらしい。でもけして丹精込めて育てられているものだけが美しいのはないと思う。現に私は草がこんもりと生い茂っている鉄道沿いの柵なんかとっても好きである。勝手に飛ばされてきたタネによってもたらされた草の成長もとても自然な姿でいいものだ。
もしこんど草刈りする人は、これは鉄道を邪魔しているな、とか、これが伸びてきたら事故に遭うなとか、こんなにうっそうとしたら蜂が巣を作ってあぶないなというものをうまく処理し、それ以外のものは全てとは言わないまでも少し風情として残してくれないかなと思う。きっとその方が手がかかっちゃうだろうけどね。
(やぎ)
2010年10月22日
『寿命』 JR中央線のオレンジ色の車両が引退するというニュース。新幹線の初代の車両はとっくに引退しているし、誕生から引退までを見てきたものもずいぶんある。スペースシャトルも引退を言われている。きわめて高度な技術に支えられて入りものは寿命もみじかい。しかし、動かぬものも誕生から引退まで見てきている。
渋谷の東急文化会館はそのひとつだ。解体はされないが、東京タワーも新顔のスカイツリーにバトンタッチした。法隆寺のような木造建築は長持ちするようだが、木造は火災に弱いといわれて、木造建築は積極的につくられていない。発想を転換して木造高層住宅ができたら面白いと思う。人が作ったものはかならず引退の時を迎えるわけで、人の一生のあいだにはじつに沢山見ることになる。
(宮)

『耳管開放症』 『歌手の中島美嘉が、耳の障害で活動休止』というニュースをみて、「あ、耳管開放症なのでは‥‥」とすぐに思いました。
彼女の体型、最近テレビで見た声の出しかたを見ての勘、なぜなら私も「耳管開放症」で長年苦しんできたからです。
HPにある耳管開放症の症状は、「耳管が開放されたままの状態になり、耳閉感や自声強聴(自分の声が大きく聞こえる)など」と書かれています。
原因として、「この病気は女性に多く、疲れや睡眠不足の状態が続いたり、急に体重が落ちた時に起こりやすくなります」←私は、基本的にこれで症状が悪化します。
「音楽に関わっている方は、音程がずれて聞こえる、自分の出している音の大きさがわからない、という症状が出たりする」とのことなので、中島美嘉さんは辛かっただろうなと思います。
日常生活に支障はないと書かれていましたが、そんなことはないと思います。
私の場合、「自声強聴(自分の声が大きく聞こえる)」がでると、言い表しようがない不快感とともに、まともに会話ができなくなります。でも働いていると「会話ができません」とは言えないので、無理をしてしゃべります。そうすると、自分が何を言ってるのか、よくわからなくなってしまい、症状も悪化。精神面でも苦痛を感じます。
それぞれに症状は違い、↑のような状態になる人もならない人もいると思いますが、「耳管開放症」という病気を多くの人に知ってもらうことで、この病気で苦しんでいる人が、少しでも周囲の人の理解を得たり、病院へ行くきっかけになればいいなと思います。
私も、こんな症状があるのは自分だけだと思っていたので、病院で診断をつけてもらえたときはホッとしました。「耳管開放症」は完治がなかなか難しいようです。それでも、少しずつ治療方法が増えていますし、症状の軽減、その先にはこの病気の完治が叶うことを期待しています。
(みなりん)
2010年10月15日
『子どもの好奇心』 朝9時の通勤電車の車中に、2〜3歳の女の子と若い母親がドアのまえに立っていた。まだ十分に口が回らない話し方で、母親と話している。気にもとめず本を読んでいたのだが、多摩川を渡るとき、いつものように本から目を離し、眼鏡を取って多摩川を見やった。今日は水面は鉛色にひかっていたが、以下、女の子と母親の会話
女の子「あ、海だ」
母親「これは海じゃなくて、川だよ、多摩川」
女の子「川ってなに?」
母親「・・・川ってボソボソ・・・」
子どもはいたって単純に見るもの聞くものに疑問をもち、つぎつぎにたずねる。車中のこととてあたりに聞こえているから母親も一瞬答えにつまったようだ。「川ってなに?」ときかれてなんと答えるか、思わず考えた。子どもの素朴な疑問に答えて、好奇心を満足させてやりたいが、そうやさしくはない。
(宮)

『秋のおとずれ』 秋になったなあと一番思う花はと言われたら一番に思いつくのがキンモクセイだ。10月になるとキンモクセイの木にオレンジ色の小さな花が無数に咲きほこり、しばらくたつとその下には落ちた花でオレンジ色の絨毯が敷かれる。香りは芳香剤の香りにも使われていることからなんとなくトイレを連想もさせるが、その見た目がかわいくてついついキンモクセイの絨毯の脇に立ちたくなる。(やぎ)

『運動会』 子どもの保育園の運動会が雨で延期。
前日から、「明日、運動会だから早く寝ようね」「いい子にしないと明日の運動会に参加しなくていいって言われちゃうよ」等々、運動会をカードに言うことを聞かせていたので、当日の中止という事実をなかなか受け入れてくれず、大変でした。
今週の日曜日に延期となったのですが、天気予報は雨。うーーーん、微妙だな…また中止にならないといいな。
(みなりん)
2010年10月8日
『スカラピーノ』 スカラピーノの新刊『アジアの激動を見つめて』(岩波書店)を読んだ。スカラピーノといえば、先頃亡くなった恩師升味さんとの共著『現代日本の政党と政治』を思い出すが、それはこれしか読んでないからだ。しかし、半世紀も前の本だ。
『アジアの激動を見つめて』は新聞に取り上げられていて、読む気になった。読んでみると、おおらかな人柄は升味さんとイメージがダブって、面白かった。イタリア系で本当はスカナヴィーナという名前なのに、移民局で読み間違えてスカラピーノと書かれてしまい、そのままになったといういかにも移民社会のアメリカらしい話からはじまり、一人前の学者になるまでの叙述も気持ちよく読めるが、第2次大戦中に日本語を勉強し沖縄に派遣されて以来のアジア研究の軌跡は、読む者を飽かせない。
 とにかく足跡は広大な地域にまたがっている。中国、朝鮮、インドシナ、東南アジア、南アジアに隈無く足を踏み入れ、多くの人と交流した。モンゴル、チベット、ミャンマー、ブータン、アフガニスタン等も洩れてはいない。教えを受けた人のなかには、国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子さんのように公職についた人も多く、国際社会の平和的発展にさまざまなかたちで貢献している。幸福な学者生活を送った人ともいえ、この点でも升味さんとダブる。翻訳書の巻末に緒方さんが、簡潔にして要をえた解説を書いている。
(宮)
2010年10月1日
『雨』 このところ雨が続いている。小降りかと思うといつの間にか激しい降りかたになっている。目まぐるしく変化する。
激しく降ると通勤途上にある首都大学の曲がり角にはたちまち水たまりが出来る。靴ごと水びたしになる難所である。雨が上がったときにみたら、曲がり角の内側に排水溝があるが、大学の樹林から落ちた木の葉が溝をふさいで水たまりが出来るのだとわかった。丘陵地帯の中腹に作られた道だから排水の向きを工夫すれば、水たまりができるわけはないのだが。
(宮)

『鮨屋の犬』 今の家に引っ越してから通勤途中で毎日見る犬がいた。鮨屋の犬だ。犬小屋があり、いつもそこに寝そべっている。あまりに通るたびに寝ているので「グー」と名前までつけて、毎日グーと会えるのを楽しみにしていた。グーに会いたくてわざわざその道を通ることも。いつも寝ているグーもおきて目と目が合うときがあり、私が「グー」と呼びかけると、見つめながらしっぽをふってくれるようになった。心が和む一時だ。ある日、この犬の名前が「チコ」だと知った。なにやら柱に文字が書いてある。「みなさん、チコは老犬です。お腹をこわすので食べ物をあげないでください」と書いてあった。
そして半年とか一年したらその場からチコの姿が消えた。まさか…私は息が詰まりそうだった。私に心和むひとときをくれた犬が…目をこらして柱をみると、「犬小屋は片付けましたがチコは元気です」とある。このメモをみるかぎり、チコはいろんな人たちから愛されているようだ。最近帰り道、よくチコの散歩をみかけるようになった。横広の体に長い茶色い毛並み、まあるくて黒目がちの目に又会えて、私はとっても嬉しかった。その背中をみながら長生きしてねと声をかけた。また散歩中のチコに会えるといいな。
(やぎ)

『お姉さんになりました』 私と子ども、2人で耳鼻科のお世話になっています。月に2度くらい予約を入れ、子どもは調子が悪い時のみ一緒に行くようにしています。
しばらくは調子が良かったのですが、3ヶ月ぶりに受診することに…。病院はわりと平気だったのですが、2歳くらいから痛いことをされると認識し始め、嫌がる事も多くなりました。特に耳鼻科は、「鼻吸い」をされるのが嫌いで、「お鼻の先生のところに行くよ」というと「やだ」「行きたくない」と言われ、だましだまし連れて行っては、病院の入り口で大泣き、階段で大泣き、となってしまいます。特に今回は久々の受診、泣かれる事を覚悟しつつ、何かいい方法がないかと考えました。
そういえば最近は「もう、お姉さんだから○○できるよ」と、いろんな事を一人でやりたがります。よーし、これを使おう。
「お鼻の先生、行くの?」と言う子どもを自転車に乗せ走り始めると、大げさに言いました。
「そうなの、お鼻の先生のところ行くの。今日、ママも先生に見てもらうんだけど…、ママ、お鼻とか耳とか痛いことされるのが、すごーく怖いよ。もしかしたら泣いちゃうかも。○○ちゃん(子どもの名前)はいい子だから、いつも先生にほめてもらえるけど、ママは、怒られちゃうかも。どうしよう、ママも行きたくないな、怖いな」
すると、私の背中をさすりながら、優しい声で言いました。
「ママ、大丈夫。○○ちゃんがついてるから、大丈夫。痛いのすぐ終わるから。ね、終わったら、いい子いい子してあげるから、泣かないの」
そして、病院へ到着、診察室へ。子どもは、一人でイスに座り、先生の言うとおりに診察を受け、ちょっと辛そうだけど「鼻吸い」もしてもらい、ぐずることも泣くことも、無事終了。その後、「ママ、大丈夫だからね、すぐ終わるからね」と私の診察に、ちゃんと付き添ってくれました。
(みなりん)
2010年9月24日
『手紙』 ひさしぶりに漱石書簡集をひらいて、たちまち引き込まれて読む羽目に。漱石は朝日新聞に入社するまでの数年間、学校で教えながら小説を書き始めたが、そのころの弟子、教え子にあてたものは、家庭内での苦虫をかみつぶしたような顔とはちがい、ありのままの気持ち、考えを飾らず構えず自由気ままに書いている。漱石が40歳にならない頃だが、楽しそうな心持ちが伝わってくる。いくつになっても成熟しない人生を送っている私には、40歳前の漱石の手紙は、スッと共感できる精神の清涼剤である。次に目に触れた手紙をいくつか引用する。
一つ目は、漱石書簡集では、おおらかなやんちゃ坊主といった人柄の野村傳四宛(明治39年6月23日)。
「正は勝たざるべからず、邪は斃れざるべからず、犬は殺さざるべからず。豚は屠らざるべからず、猪口才は頓首せしめざるべからず。文は作らざるべからず。書は読まざるべからず。御馳走は食はざるべからず、試験はしらべざるべからず。人世多事。」
 二つ目も明治39年6月23日で、森田草平宛「口述試験に惨憺たるものは君のみにあらず。学問の出来る中川と平然たる傳四とを外にしては大概は惨憺たるものである。サンタン豈君のみならんや。試験官たる小生が受験者とならば矢張りサンタンたるのみ。僕はあの試験をして深く感じたことがある。得意の境に立てば愚うたらたる小生の如きものも亦普通の試験官たり。人間を見るのは逆境に於いてするに限る。得意に居る奴を見ると大に買ひ被る。当人自身が買ひ被って居る。気の毒なものである。逆境を踏んだ人は自ら修業が出来る。サンタンたる諸先生も毎日試験を受けて居れば立派な人になれる。天の禍を下す、下せる人を珠玉にせんが為なり。禍はないかな。天下に求むべきものありとすれば禍のパーゲトクなり。」
 三つ目は門下中の秀才だが気の弱い中川芳太郎宛「世の中が恐ろしい由、恐ろしき様なれど存外恐ろしからぬものなり。もし君の弊を言はば学校に居るときより君は世の中を恐れ過ぎて居るなり。君は家に居っておやぢを恐れ過ぎ。学校で朋友を恐れ過ぎ卒業して世間と先生とを恐れ過ぐ。其上に世の中の恐ろしきを悟ったら却って困る位なり。恐ろしきを悟るものは用心す。用心は大概人格を下落せしむるものなり。世上の所謂用心家を見よ。世を渡るは即ち是あらん。親友となし得べきか。大事を託し得べきか。利害以上の思慮を闘はすに足るべきか。世を恐るるは非なり。生まれたる世が恐ろしくては肩身が狭くて生きて居るのが苦しかるべし。余は君にもっと大胆なれと勧む。世の中を恐るるなとすすむ。自ら反して直き千万人と雖われ行かんといふ気性を養へと勧む。天下は君の考ふる如く恐るべきものにあらず。存外太平なるものなり。只一箇所の地位が出来るか出来ぬ位にて天下は恐るべきものにあらず。免職と増給以外に人生の目的なくんば天下は恐ろしきものかも知れず。天下の士、一代の学者はそれ以上に恐ろしき理由を口にせずんば恥辱なり。
(宮)

『地元愛』 B級ご当地グルメの祭典!「B−1グランプリ」、いろんなニュース番組で取り上げられているのを見ました。これだけテレビで取り上げられ、来場者も40万人以上(!)とのことなので、「B−1グランプリ」についての説明は不要でしょう。
自分の街の自慢の味、魅力を、もっともっとたくさんの人に知ってもらいたい、そういう気持ちは「わかる」の一言につきます。生まれ故郷を離れ、東京に暮らしている身ですが、何年たってもやはり地元への愛着は変わりません。地元に帰れば、地元の味を買い込んで帰ってきますし、おみやげに買ってきたものを「おいしい!」と言われると、これが何とも言えずに嬉しくて、誇らしい。
「B−1グランプリ」の結果は、地域の活性化につながっているそうです。自分の街の味を自慢できるって、みんな誇らしいだろうな。そして、その味を食べに、たくさんの人が、自分の街に足を運んでくれるって、嬉しいだろうな。
それぞれに地元を愛する人たちの思いを感じ、テレビを見ながら心が温かくなりました。
(みなりん)
2010年9月17日
『声』 以前、録音された自分の声を聴いたときに、くぐもった、あまりに不快な響きに自己嫌悪に陥ったことを鮮明に覚えている。これは生得のもので、あきらめるしかない。しかし世の中にはすばらしい声の持ち主がいる。
南大沢駅構内に洋菓子店がある。夜10時までの営業で、閉店30分ぐらい前になり電車が着くとと女性店員が店の前に出てきて、「お得なケーキセット」をしきりに勧める。その声のことだが、日によって、何人かが交代でやっているが、そのなかの一人が、発声からしてほかの人とはちがう。実によく響く声である。喉から楽々と声がでている。生まれつきの喉に加えて、商売用に鍛えられた声だと感心しながら聴いている。
(宮)

『嬉しい偶然、以心伝心』 先日、仙台から、友人が会いに来てくれた。この友人(と言って良いのか?私が勝手に思っている)は以前書店に勤めていて、現在は図書館に勤めている人。今回の訪問を入れて通算で3回しか会っていないのになぜか心に残る人なのだ。たまに、よくそんな本をみつけたねというような小社の本でも特に地味な本を図書館の棚でみつけてはきにいってくれて、出版社名をみたら朔北社の本だったと、たまに嬉しいお手紙をくれる。子どものにすすめられて読んだ本の話なんかも微笑ましく、そんなやりとりいいなあと思うのだ。もちろん本好きなので、自分の会社の本を買ってプレゼントすることにした。あの本をいいと思う人なら、こういうの好きかな〜とか色々考えながら3冊の本を選んだ。1つは2冊組みの越智典子さんと沢田としきさんの合作の『いのちのなぞ上の巻・下の巻』もう一冊は新刊の絵本。沢田さんの絵が好きかしらと思ったら、まさにどんぴしゃ。来るまえにも図書館から借りて読んでいたとのこと。「質問と答えの形式なのに、答えがないのもありますよね?それはわかりませんって」確かにその通り。ちゃんと読んでくれているのがなんだかこそばゆいようなうれしいような。地元のおまつりでは『アフリカの音』を読み聞かせで読んだとのこと。まさにその本の話をしようと思ってきたら、私もその本をあげたくて持ってきていた…その偶然に驚き、それもまた嬉しい出来事となった。(やぎ)
2010年9月10日
『毛虫』 記録的猛暑の末期、駅までの通勤路の桜並木には、地面に黒いつぶつぶの毛虫の糞がたくさん目についた。毛虫が落ちてくるかと足早に歩いたが、その1,2日後の朝には、あちこちを毛虫がむずむずと這っていた。踏みつけないようにおかしな足取りで通過した。そしてその翌日には、毛虫は、踏まれて、大半がぺしゃんこになってしまった。そのまた翌日、雨にも洗われて、桜の葉もずいぶん落ちて夏の面影がうすれ、やっと秋の気配が感じられるようになった。(宮)

『ちょっと見ないうちに』 お葬式とお盆で一週間ほど留守にしていた家に戻ってきた日、アパートの一階に住む我が家の玄関前の木が玄関先に覆い被さってみえた。玄関もなんだかちょっと薄暗い感じ。庭がある家ではないので植物の成長を目前にみることはめったにないが、一週間もみないと木々や草はこんなにも成長するのかとあらためてびっくりした。そういえば通勤途中にある家の庭も草取りしてきれいになったな〜とみていると一週間もすると庭に草がびっしりとはびこっているではないか。生きものの成長の早さに驚くとともに夏だなあと思った瞬間だった。(やぎ)

『方言』 東京にでてきて20年近く、地元で過ごした時間より長い時間を東京で過ごしているにもかかわらず、方言が抜けきっていません。ただ、イントネーションや語尾については、ほぼ標準語だと思っていました。
地元の方言で、語尾につける「〜ずら」「〜だら」と並びよく使われる、「〜だに」「〜に」があります。自分では、全く使っていないつもりでいたのですが、最近子どもが語尾に「〜に」とつけてしゃべるのを聞いて、自分が日常的に使っているのであろう事に気がつきました。親と電話をしたり、家の中で気を抜いていたりすると、無意識で使っているのでしょう。子どもは、東京育ちなのに方言しゃべるって‥…と思う反面、自分が慣れ親しんだ方言をしゃべってくれることに、嬉しさも感じています。
(みなりん)
2010年8月27日
『日傘』 近頃の猛暑のせいで、日傘を使っている女性が多くなったようだ。それも黒や黒っぽい色の日傘が多い。見た目が暑苦しいが、紫外線を通しにくいとか、理由があるのだろう。日傘といえば、モネの「傘をもつ女」を中学の図工の教師がみせてくれて以来、忘れられない絵だが、あんな風景をみられれば猛暑を我慢できるかもしれない。現代の女性は日傘に加えて、両手を肘のあたりまで黒い布で覆った人も結構多い。あれは一段と暑苦しいが、暑さ対策、紫外線対策なのだから、とやかくいっても始まらない。とにかく連日の猛暑だから、健康に生きていくこと自体なかなかたいへんだ。(宮)

『ドラムストラック』 私が打楽器が好きだと話したら友人が「ドラムストラック」というアフリカのジンベという太鼓と、打楽器を使った、参加型コンサートのチケットをとってくれた。
当日会場に行くと各々の席にジンベが用意されていた。話には聞いていたが会場中の人の分が用意してあるのは壮観だ。すでに席に座ってポンポコと鳴らしている。私と友人も足の間に挟み太鼓をたたいてみる。思ったより響かないなあというのが感想だった。コンサートが始まり、出演者が指揮しながら会場の観客にリズムを教えながら自分たちも演奏する。はじめはリズムにばかり気をとられてうまくたたけなかったが、そのうち気持が解放されてきてよい音が響くようになってきた。太鼓はたたく場所によって、たたきかたによって全然響き方がちがった。うねるような太鼓、ドラム、そしてボディをたたくことによって、足を踏みならすことによって音をだす出演者。音階を奏でるわけでない打楽器はむしろ心臓の音というか血の流れにも似ていると思った。
日本の和太鼓にも同じ流れを感じる。観客たちの楽しそうなこと楽しそうなこと。年齢も老若男女と幅広い。言葉も通じない外国の人とのやりとりだが、音楽やリズムは国を選ばず一緒に楽しめるのだなあとつくづく思う。今度は和太鼓でも聞きに行こう。
(やぎ)

『ばっさり』 髪の毛を切りました。シャンプーもすごく楽になり、快適です!
ロングヘアを、さっぱりショートに、30センチ以上切ったので、いろんな人にびっくりされます。私自身、長い髪に特別な思い入れがあるわけでもなく、美容院に行くのがもったいなくて、しばらくは伸ばしているだけの「ずぼら」です。こうして、ばっさりショートにして、またしばらく美容院にいかず、そのうちロングヘアになることでしょう。
(みなりん)
2010年8月22日
『暑さ寒さも・・・』 事務所ビルの階段で(エレベーターのない建物なので)、別フロアの顔見知りの人と出くわしたら、知人曰く、「お暑うございます!」とさっと言ったあと、げらげら笑いながら「もう少し気の利いたことが言えないんですかねえ」と自嘲気味に言い、二人で大笑いしたが、今年の猛暑は、とにかくすさまじい。ではあるが、月遅れのお盆のさなかには、南大沢の桜並木の葉が落ち始めていたし、今日あたりは、湿度が下がった気配で、おまけに風があるので気持ちいい秋の空気を感じた。いろんなことを考えながら、このしのびがたい季節をなんとか乗り切ろうとしているのである。(宮)

『突然の別れ』 突然、義母が亡くなった。本人の自慢は手相見さんから100まで生きると言われていることだと耳にタコができるくらい言われていたので、本人はともかくとして、周りのモノもみんな母は100まで生きると信じて疑っていなかった。突然ひょいと何かをまたぐようにあちら側にいってしまった義母。東京に戻る道すがら、何か戻るべき故郷が一つなくなったような淋しい思いにかられて思わず帰り道の空港で涙がこぼれた。息子の嫁ということで気を使って接しているところもお互いあったように思う。けれど、帰るたび「おかえりなさい!」という嬉しそうな笑顔はいつでも本物だったなあと思う。笑顔が似合う義母さんだった。奇しくも、義母のお葬式は私たちの結婚記念日と同じ日となり、きっと私のことを忘れないでねと、寂しがり屋のお母さんが私たちへ残したメッセージだろうと夫と話ししんみりしてしまった。(やぎ)

『なんで?どうして?』 子どもの成長過程で、通らなくてはならない、「親にとっての試練」がある。その中のひとつ、先輩パパママから聞いていた「なんで?どうして?」攻撃。我が子はもうすぐ3歳(早いなぁ〜)、我が家でもこの攻撃が、少し前から始まった。
まだ、1〜2ヶ月だからなのか、言われていたほどうんざりすることもなく、結構楽しんでいる。ただ、こちらが答えられそうなことは聞いてくれず、「それはママだって知りたいよ」というようなことばかりを聞いてくるのだ。
そんなときは邪道かもしれないが、「ママもわかんなーい」と言ってしまう。
しか〜し、子どもは、全然あきらめない。
「なんで、わかんないの?」
「ママだってわからないことがあるんだよ」
「なんで、わからないことがあるの?」
「なんでかなぁ?」
「なんで、なんでかなぁなの?」
「うっ、それは………」(答えにつまりしばらく沈黙)
「なんで?なんで?なんで?」
「………」(気の利いた答えを考え中)
「……ブリブリ、ママぁ〜ブリブリ。あはは」
…と、何の脈略もない、おもしろいことを言って、「なんで?どうして?」攻撃は終了することも多いが、もっとながーーい攻撃が続くこともあり、とりあえず今のところ、そのやりとりを楽しんでおります。
(みなりん)
2010年8月16日
『冠婚葬祭』 月遅れのお盆あけの月曜日だが、葬式にいってきた。学生時代の恩師が亡くなったのだが、学校を離れて生きてきたから40年ぶりに再会した人が幾人もいた。顔や姿は変わっていても話をすると、学生時代とかわらぬ人柄に心中で納得した。最後に先生の奥様が挨拶されたが、20年ほどまえにワシントン大学によばれて1年間暮らしたときの夏に、夜な夜な無数の蛍が光り煌めいた光景を終生忘れ得ぬと言って、参列者に「蛍の光」を合唱するように慫慂され、みなで歌った。後味さわやかな葬式だった。亡くなった恩師は「1955年の政治体制」という言葉を論文中で使い、世に知られている政治学者である。(宮)
2010年7月31日
『専決処分』 竹原阿久根市長が専決処分を連発して、やりたい放題の市政運営(あれが運営とよべるものとは思えないが)をしている。欠陥を抱えた法律の隙間を衝いて、思い通りに行動する。法律の趣旨には反しているのだろうが、罰則があるわけでなし、平然として法を無視する。あそこまでやられると、法に従うこととは何なのかという問題が出てくる。解釈により現実との辻褄をあわせる憲法第9条のような事例もあるが、それはともかく、社会生活を律する規範がゆるみ、無秩序が拡散していく社会状況がある。
何事があっても責任をとらない例はじつにたくさんある。政治の世界も同様だが、それはさておき、阿久根市長の言動は、そのような行動と意識を結果的には肯定する、見過ごしてはいけないものだと私は感じた。ところが地方自治の専門家は、この問題の背景には、自治体の議会を軽視し、首長に優越的地位をあたえようという、戦後地方自治制度を貫通する、内務省いらいの地方行政の基本的態度があるという。たとえば地方議会の開催権を、議会が持っていなくて首長が持っている。議会と首長がともに住民の代表として位置づけられていながら、これはほんとうに理解できないシステムだ。これまでこのことについて地方議会から開催権を取り戻す声は、出てこなかったのだろうか。というわけで、阿久根市の問題は複数の視角から探求すべき問題だということがわかった。
(宮)

『社内引越準備=初心に返る』 ビル内での社内の引越をするために今色んな場所を片付けている。2フロアだったのを人が少なくなったのを期に一つにまとめるのがねらいだ。普段からそんなに片付けや整理がうまくない私であるが、片付け始めると大胆な行動がとれるほうだと思う。思い切ってざくざくと仕分け捨てていく。こうやって整理してみると書類の多さにびっくりする。なにかトラブルがあったときに振り返ることができるようにと処理した書類を相手先に分けて綴っているが、そういったものもいつまで取っておく必要があるものだろうか?と悩みもある。仕事の仕方を振り返る機会にもなったこの引越準備。注文書の控えをかたづけていたら8年程前の詳細がみつかる。今と比べると各書店の注文冊数の単位が大きいことに気づく。小さな出版社の本でも書店は検討して並べてくれ、色々な本がそこそこ売れる時代だったのだと思う。では今は?出版界全体が小さく縮こまっているようにも見える。注文をくれた書店の名前をながめながら、ああここは沢山売ってくれたけど、今は注文がこなくなってしまったなあ、いやなくなってしまった書店もあるのだなあなどと振り返り、すこーしセンチメンタルになってしまった。
時代を引き返すことは出来ないが、今の時代でもしっかり地に足をつけて売る方法を考えていかなければいけないと改めて思わされた書類たちとの出会いだった。さあ来週が引越本番!働きやすくするためにがんばるぞ!
(やぎ)
2010年7月23日
『猛暑』 梅雨明けと同時に連日の猛暑。むかしと比べて気温が高いのが昨今の夏だが、梅雨から夏への移り変わりはこんなものだと思う。ところが隣の中国では、豪雨のあと三峡ダムが満水になり巨大な量の放水が行われ、下流の至る所が大洪水にみまわれて甚大な被害が出ているという。昔に変わらぬ季節の変化があるのだが、突然途方もない豪雨や雷に襲われたりするので、油断はできない。だが連日の猛暑で、身体がだいぶ暑さに慣れてきたのがわかる。しかし、熱中症で死者が出ているそうで、しかも老人が多いというが、気をつけようもない。できることといえば、なるべく日陰を歩き、水分をとることぐらいか。(宮)
2010年7月19日
『二十弦箏』 7月8日、すみだトリフォニーホールで吉村七重さんが主催する「邦楽展」を聴いてきた。現代音楽の作曲家が箏のために作曲した作品が演奏された、大半が二重奏で、組み合わせは、二十弦箏2台、十七弦箏と二十弦箏、二十弦箏と打楽器、二十弦箏と横笛、二十弦箏と唄などいろいろだったが、現代曲なのに美しい調べがあり、調子のよいリズムがある。そう聴こえるのは、曲自体のせいなのか、耳が馴れてきたせいなのか? とにかく楽しく聴けたのだからいうことなし。ここまできたら、あと一歩踏み込んで、伝統的な作品もまぜて演奏してみたらどうかと思った。バッハやモーツアルトとシェーンベルクやウェーベルンをひとつの演奏会で取り上げるようなものだから、他国はしらず、日本ではあまり例がないことなのだろうと思うが・・・。(宮)
2010年7月12日
『スペンサー』 通勤電車で座れないときには、文庫か新書が軽くていい。手元にストックが無くなってしまい、なにかないかとさがしたあげくロバート・パーカーのスペンサーものを書棚から持ってきた。揃っているわけではないが、初期の巻から読むことにした。ずいぶん以前に読んだのだが案外憶えている。しかしかすかな記憶は少しも邪魔にならず、間違いなくこのシリーズの売り物に違いないスペンサーとスーザンの会話など細部は実に新鮮で面白い。当分スペンサーで楽しめそうだ。誇り高く独立独行のスペンサーは困難にぶつかったときに勇気を与えてくれる。くせのあるパーソナリティは好き嫌いが分かれると思うが、どの巻でもいい、だまされたつもりで1冊読んでみることを勧めたい。(宮)
2010年7月4日
『世界企業』 楽天が世界企業としてさらに発展成長するために「社内公用語」(へんな言い方だ)を英語にするという。多国籍企業となれば意志疎通を効率的にするために英語を使うのは理解できるが「社内公用語」が英語といわれると違和感がある。効率をどこまで徹底的に追求するかという問題だと思うが、なにより世界企業になることを優先するのだろうから、このような選択がされるわけだ。私はそこでは働かせてもらえないだろうし、働きたいとも思わない。
英語といえば、電車の英語による社内放送がさらに広まっているが、私はこれにも違和感があって、不要なサービスだと思う。世界企業とか、効率とか、外国人に親切なサービスとか、しごくもっともなスローガンに反対するのはなかなか難しいが、自身が感じていることをいえば、いまの世の中の上記のような風潮には合わないということになる。
(宮)

『風呂なし生活』 年始に夫の実家の風呂が壊れたことは以前書いたが、先日6ヶ月ぶりに帰省したら相変わらず壊れたまま毎日を送っていた。昔ならともかくとして、一度家に風呂のある生活をした人にとって風呂なしは本来きつい気がするが、意外や意外に「よく考えたら、九州は温泉の土地。あちこちに入りにいって楽しんでいるというではないか?なんだか目から鱗だった。
私が帰った日も嬉野の親戚の家にいきそのまま、山小屋のような温泉につれていってもらった。外は大雨だ。20時半に到着するも駐車場には車はなく、私たちだけのようだ。21時に閉まるところにかけこみ、30分の温泉気分。すでにだれもおらず貸し切りだ。川沿いには広い露天風呂まである。大雨だが、どうせお風呂で濡れている体。えいと外にでる。おおっ!広い周りに広がる景色がまたよいではないか。思わずうなりながら一人風呂に浸かった。もちろん毎日こんなところにはこれないだろうから近くの銭湯にも行くのだろうが、たまにはいいけど、やっぱり家でゆっくり入りたくなるだろうなあと思う。
老朽化する夫の実家に帰るたびせめて水回りのリフォーム(風呂・台所・トイレ)をしてあげたいなと思う。すぐにしてあげられない懐の寂しさを思うが、不便を人生の楽しみとできる人は幸せものだと思うのだった。
(やぎ)

『歌を覚えて、歌う』 「お野菜のお歌歌ってー」
「何それ、わかんない」
「お野菜の歌でしょ、お野菜の歌がいいのぉぉぉぉー」

「ウルトラマンの歌、歌って」
「〜♪〜(普通のウルトラマンのテーマ曲)」
「ちがーうぅ、それじゃないぃぃぃぃ」

保育園に通ってる子どもには、私の知らない子どもの日常と生活がある。保育園に預ける前の24時間べったり一緒にいた時とは違い、そこで、経験したり、覚えたりしたことは、保育園からの連絡帳と、つたない子どもとの会話で知るしかないが、それは、ほんの一部でしかない。
成長するに従い、親の知らない子どもの顔は増え、親以外と過ごす世界や時間ががどんどん増えていくだろう。そうなればそうなったで心配ごとも増え、頭を悩ますのだろうが、今の問題は、保育園で過ごす以外は親にべったりであるがために、「私が知ってることは、ママも知っていて当たり前」という子どもの感覚だ。
冒頭のような歌を歌ってという要求に応えられないと、それはもう、泣いてわめいてぐずる。基本的に、先生たちの創作の歌だったり、替え歌だったりするので、教わらない限り、歌は歌えない。
「それは、保育園で先生が歌ってる歌だから、今はわからないから、明日先生に教えてもらって歌ってあげるね」という提案を理解してくれるわけもなく、「やだー今がいいのぉーーーーーー」と絶叫され、子どもは泣き疲れて、私はなだめ疲れて、一日が終わる。
次の日、先生に歌を教えてもらい、その日からしばらくは、布団の中で一緒に歌いながら眠りにつくというのが、最近の日課となっております。
(みなりん)
2010年6月26日
『おつかれ』 南大沢駅周辺では、いやおうなく学生の会話を耳にする。そして別れの挨拶は「おつかれ」。いつからこういう挨拶になったのかとかんがえる。20年ほどまえ学生アルバイトが大勢いたときに「おつかれ」は今のように頻繁に言われていなかったとおもうが・・・。
自分の学生時代というと4,50年前だが、たとえば「じゃーな」とか「さよなら」とか「グッバイ」とか。「おつかれ」がこんなに使われるのは、アルバイトをすることが学生生活の不可欠の要素になって、職場の挨拶として身に付いたのかもしれない。もっとも今日の学生は、20年前の学生のようには長期のアルバイトをやらない。にもかかわらず、労働が生活の一部になっているので、挨拶は「おつかれ」になっているのではないか。
(宮)
2010年6月22日
『風邪』 何十年生きてきても、ときどき体調を崩す。風邪でもいろんな前兆があるので、避けるためにけっこう気をつけて生活する。それでも、けっきょく風邪に捉えられる。年をとると前兆から始まって健康をすっかり回復するまでが長期にわたる。その間とにかく根気がいります。そして周囲の人から、やれ日頃の生活に休息が足りないだの、食事時間が変則だの、生活を夜型から朝型に変えるべきだのさまざまに言われる。
しかしながら、気をつけて生活していても、その意識を越えたなにかの要因が働いて体調を崩す。四六時中、健康最優先では生活できないし、風邪に捉えられた以上じたばたせずさっさと観念して病気と向かい合うことにする。
(宮)

『たまると大変!』 会社で目を通しておくようにとしょっちゅう本の情報やら、新聞やらがまわってくる。あまりに沢山あり場合によっては読む間がないので、とりあえずためていつのまにか山になっていく。決心を決めて読み始める。情報の山山山。みんなどんなふうに整理し活用しているのだろうか。新刊の情報を知り、出版界の情報を読む。ありゃりゃ。3月の情報まで…ためちゃうと情報まで古くなってしまうし、読むのが大変!洗濯物と、目を通すものはためないに限る。とは分かっているのだけれど…(やぎ)

『お庭でいろいろ』 我が家の小さな小さな庭は、雑草の発育がすごくいい。草むしりをしないと、これからの季節、蚊が大量発生する。‥‥ということで、休日に子どもが庭でシャボン玉をしたいと言うので、私はその横で草むしり。草を引っこ抜くと、土がひっくり返り、ミミズやらダンゴムシがいっぱい出てくる。ミミズは、すぐに土の中に入ってしまうので、「ミミズいたよー」と子どもに声をかけ、「どこどこ?」とそばに来るころには、もういない。それでも「ミミズいたー」と、楽しそうでした。
あと、今年はプチトマトをプランターで育てていて、朝の水やりは子どもの仕事。それも、とっても楽しそうにやっています。ほんの少しだけど、こうして自然に触れられるのはいいことだなぁと、田舎の大自然の中で育った母は思うのでした。
(みなりん)
2010年6月14日
『政治とカネ』 民主党政権になっても政治とカネの問題はなくならない。仕事に無関係の住まいが事務所扱いされ家賃が払われている、その家賃の出所、秘書の給与問題、さらにカネの使途が政治活動に無関係だとか・・・・。
長年にわたって政治とカネの問題が批判されているのに、あいかわらず類似の行為が繰り返されている。政治家は自分のことが具体的に批判の対象になるまでは点検しない人たちらしい。菅首相が、自分も100%クリーンではないようなことを発言していた。政治の世界とは大変な世界である。
(宮)

『夢の話』 先日こんな夢を見た。夢の中でアフリカンドラムを作ることになりその材料となるものを探している夢だ。
どんな素材でもよく、中が空洞になるものの上に動物の皮をはればそれでアフリカンドラムを作ることが出来るという(夢の話なので事実ではない)。その部屋にはなぜか食器棚があちこちに置いてあり、どうもその湯飲みやコップ、茶筒などをみんなが我先にと探している。私は混雑や取り合いが嫌なので落ち着くのを待って食器棚へ向かった。しかし、二つのドラムを作るのに見合う器が見つからない。どれも一個ものだったり、5客揃っているもので使ってはもったいないような気がして途方に暮れていた。すると後ろから沢田としきさん(「いのちのなぞ」朔北社刊の絵を担当してくれた)がやってきて、なんとも優しい声で「どんなものでも大丈夫だから」と言った。なんだかその声を聞いたらとってもほっとした。という何とも不思議な夢だった。
目を覚まし沢田さんの事を思い出していた。5月に風の様に去っていった沢田としきさんのご冥福を心より祈ります。
(やぎ)

『みんなエライなあ』 先週末、土曜日は近所の大きい公園に、日曜日はちょっと離れた大きな公園で、子どもとガッツリ遊んだ。正直な気持ちは「休日は、ぐぅたらしたーーい」というのが私の希望なのだが、子どもは、ママやパパと遊びに行きたい。その希望を叶えるべく、疲れた体にむち打って、がんばる、パパとママ。公園で周りを見渡せば、そんなパパやママがいっぱい(顔に疲れがにじみ出てる‥‥)。みんな、がんばろうねーーー。(みなりん)
2010年6月4日
『はえ』 会社で会議中のことです。深刻な話で胃が痛くなるような議論をしているとき、どこからか1匹の大きな蠅が入ってきて窓ガラスとふれて音をだしていた。深刻な話をしていた女性が突然「はえ!」といって、窓をあけて蠅を外に出すことに全神経をむけた。たかが1匹の蠅にそのおおげさな騒ぎ方には、私がびっくりした。(宮)

『総理大臣交代』 鳩山さんが辞任することになった。全て攻めるつもりはないけれど、小泉さん以降の総理は短い間に次から次へとかわってきた。現在日本はどこに向かいどこへ行くのか不安にもなる。
外国から見た日本はどんな風に映っているのだろうか。どんな偉い人でも間違いはあるだろうけれど、常に足を引っ張り合うのでなく、高めあったり、協力しあうとこは出来ないのだろうかと思う。政治だけではなく小さなどんな社会でもそれはあてはまる。小さい大きいに関係なく、よい関係を築き切磋琢磨していけるようになろうと、いまの政治をみながら思うのだった。
(やぎ)

『数字に罪はないのだけど…』 朝、たまたまテレビをつけたら、たまたま占いの時間で、たまたま自分の星座が「今日の最下位」ということがある。たまたまなのに、見てしまうと何となく気にして、朝から憂鬱な気分になるのである。
私は、厄とか、占いとか、そういう類のことを、気にしてしまうタイプで、その中のひとつに、買い物した時の「合計金額」というのがある。これが、例えば「777」とか、「333」とか、何となく縁起のいいものだと、財布の中にいれてまま捨てられない。
先週の日曜日、ドラッグストアに買い物に行き、レジで精算をすると、なんと「4444円」。嫌だなと思って、500円のサービス券を使い、合計金額を「4444円」ではない数字にした。もちろん、偶然の偶然なのだが、その日の夜、私が体調を崩し、次の次の日の朝、子どもも体調を崩し……。なんとなーく「4444円」の事が、頭の中でぐるぐると回ったのでした。
(みなりん)
2010年5月28日

『花粉症』 毎年悩まされているが、今年はたしかに軽くおわった。ところが今時分になって、花粉症とまったくおなじ症状がでる。
花粉症も樹種によりいろいろあって、人によってはそれにつぎつぎ悩まされるらしい。ほこりによってもおなじような症状が出るし、あまりひどい症状ではないので気にしないようにしている。しかし日によっては電車のなかで、ひっきりなしに、はなをかみつづけるときもある。体質と生活環境がなせるわざだろうが、うっとうしいかぎりだ。
(宮)

『マラソン大会』 知り合いたちと東京マラソンに出ようと申し込むも全員落選。一度はちょっとやる気になったので、友人にそんな話をしたところ、じゃあ一緒にどこかで走ろうよということになり、5月4日の春日部の大凧マラソンに出ることになった。
初心者の私にあわせて制限時間の長めの10qコース。マラソンなんて小学生以来だ。10qも走れるだろうかと心配になる。聞くところによるとたぶん全部歩いてもゴールできる制限時間らしい。2週間のにわか練習のち、本番。普通の人よりもずいぶんかかってしまったが、無事ゴール。久々に達成感を味わって気持のよい日だった。
(やぎ)

『ジューキーズ工事中』 NHK「おかあさんといっしょ」は、月の歌があり、今月は「ジューキーズ」という、重機を主人公にした歌。子どもはこの歌が大好きで、毎日一緒になって歌っている。
正直、子どもがこんなにも重機にはまるものなのだとは思っていなかった。マニアックな重機の名前もすぐ覚えるし、男の子だけでなく、女の子も重機が大好きなのだ。
保育園へ向かう途中の大きな道路は、重機がいっぱい走っていて、「ミキサー車だ」「ダンプトラックだ」と、朝から大興奮。保育園の近くの工事現場に、しばらくショベルカーが置かれていたのだが、子どもは帰り道にその場所でショベルカーを眺めて、ウットリ。うちの子だけではない。保育園の何人もの子どもたちが同じ行動をしていた。ショベルカーがいなくなってしまった日、肩を落として立ちつくす、哀愁すら漂うそのうしろ姿に、申し訳ないが、親たちは笑いを堪えるのに必死だった。
こうして親も、子どもと一緒に、子どもの興味あるものに、詳しくなっていくのですね。
(みなりん)
2010年5月24日
『どうぶつにふくを・・・』 『どうぶつにふくをきせてはいけません』は朔北社のベストセラーだが、夜、帰宅途上でふくをきせられた犬と散歩している人とすれちがう。ところが、この犬がふくだけでなく、首に赤や緑の点滅ランプまでつけられている。なんとも異様な景色で、犬がどんな気持ちでいるのかと気の毒になる。犬のほうは、今は飼い主のすることだからあきらめて歩いているのだろうが、初めてつけられたときには、突然暗闇で首のうしろで点滅するランプにパニックになったりしたのでは、すくなくとも驚きあわてたのではないかと想像してしまう。
もっとも飼い主にきいたら、暗闇で犬の存在を知らせるため、つまり犬の安全のためだと答えるのかもしれないが・・・。
(宮)

『読まされてしまう本』 人物や、作品の好き嫌いにかかわらず読まされてしまう本というのがある。こういう本は中毒になるから危険だ。私は右にならえが苦手なのでついつい、売れているものを敬遠してしまうきらいがあるが、でも、たまにはどうして売れるのかを知りたくなることがあり手を伸ばす。読んでみて思う。ついつい続きが読みたくなってしまう。話の展開は嫌いなのに、気になる。やっぱり文章がうまいと思う。悔しいけれど、最後まで読んでしまう。べつに読みたくないのにと思う。でも売れている作家のすごさはそういうところにあるのかもなあと思う。
ついつい夢中で読みたくなる本ができたらいいなあと思う。読まされてしまう本に負けないように。
(やぎ)

『大量生産』 京王線沿線のショッピングセンターで安く買ったショルダーバックを気に入ってよく使っているのだが、京王線に乗っていて同じバックを持ってる人に、たまに会う。ちょっと恥ずかしい。
でも、だいたいがおしゃれな若い女の子なので、おしゃれではないややおばさんの私は嬉しい。逆にあちらは、心の中でショックを受けているだろうなぁ。
子どもの場合でも、保育園で同じ服を着てる子がよくいるし、お出かけしてもそういうことがある。すぐに着られなくなってしまうし、汚してしまうから、日常的に着る服は、安いお店で買っているが、たぶん、そう考えてる人が多いと思う。すると、必然的にいろんな人と同じ服を着ていることになる。
あんまり人と同じってつまんないから、へんてこであっても、服や小物やらを作ってあげたいなって思うけど、今のところアップリケをつけてあげるくらいの時間しかない。そのうち作りたいと思ってはいるけれど、子どもの成長は早いから、やっと作ってあげられる時間が出来たころには、「お母さんの作ったのなんてダサいからイヤ!」って言われちゃうのかな〜。
(みなりん)
2010年5月19日
『金星探査機』 新聞に金星探査機あかつきのことが出ていたので、JAXAのホームページをのぞいてみた。以前の月面探査機の月面映像の時以来JAXAのホームページは見応えがあると思っていたので、面白い情報があると期待してみてみた。期待通りで、新聞記事ではわからなかったことが映像と言葉を駆使して表示されている。おまけは、宇宙帆船イカロスの情報で、厚さ0.0075ミリ、14メートル四方の樹脂製の帆が展張される様子をアニメーションでつぶさに見せてくれる。この帆にあたる太陽光でイカロスは宇宙を移動するのだ。(宮)
2010年5月10日
『上野の森 親子フェスタ』 5月3〜5日の3日間、例年どおり児童書即売会がおこなわれた。児童書の版元がワゴンを借りて2割引で売っている。3日間とも快晴にめぐまれたが、これは珍しいことで、おかげで楽しく過ごせた。
上野公園の目に鮮やかな新緑に囲まれて、親子でのんびり本を見ていく。秋の神田古書店とはまた違った雰囲気で、ゆったりと時間が流れていく。欲しい本を手に取り、はにかみながら上目づかいに母親をうかがう子どもが、微笑みをさそう。毎年かならず多くの人に見てもらえる本があるのは事実だが、これまであまり見られなかった本が、並べた位置やみせかたをちょっとかえてみたら、見るひとがふえ、売れるのがうれしい。
『いるかはさかなじゃないんだよ』の著者、平田さんご夫妻がサイン会に駆けつけてくれ、説得力あふれるたくみな話術で来店者を魅了した。
(宮)
2010年5月3日
『沢田としきさん』 4月27日、『いのちのなぞ』の絵をかいてくださった沢田としきさんが亡くなった。毎日ショッキングなニュースがこれでもかこれでもかとあるなかで、もっともあってほしくないニュースだった。政治、経済のニュースと、私的な関係のニュースといっしょくたにすべきではないが、私の実感である。
29日の告別式に参列すべく家を出たが、突風とはげしい雨に翻弄された。近くを歩いていた女性は、風で傘をくちゃくちゃに壊された。式場についたら、風はなお吹いていたが、雨はすっかり上がり、やがて青空がみえた。式場に溢れんばかりの人があつまって、葬儀はすすみ、アフリカンドラムが鳴らされるなかを、沢田さんの棺が火葬場へと出ていった。
(宮)
2010年4月23日
『雨降りのなかの新緑』 いまだに春と冬を行ったり来たりしている不安定な天気の毎日だが、振り返ってみれば桜は3月末から4月はじめに咲き、散っていった。自然は異常な天気ほどには歩みを乱していないようだ。
このごろは、花のあとの新緑の季節を堪能している。毎日通勤電車の窓から見える多摩丘陵の緑は、それはそれは鮮やかで、もちろん日が射しているときの輝くような緑は目にしみるが、雨降りのなかでも、日ごとに成長していく若緑のしっとりとした美しさは、また格別の味わいである。そういうわけで、出勤途上の電車では、右側の窓が見える場所に居ることにしている。
(宮)

『赤ちゃんがえり?』 主人のいとこに子どもが生まれ、我が家で一番最初に使っていたお古のベビーカーを活用してもらおうと、会いに行きました。
生まれて一ヶ月足らずの赤ちゃんは小さくて、そんなに小さな赤ちゃんをみるのが初めてのうちの子は、眠そうな赤ちゃんにガラガラを振ってあげたり、「ベビーカー、もらってもいいかな?」と赤ちゃんのママに聞かれると「どうぞ、どうぞ」と即答したり(←普段は自分のものを人にあげたりなど絶対しない)、最初から最後までお姉さんっぽい振る舞いをしていました。
それから数日後‥‥。お風呂からあがって布団に寝転がり、一言。
「ここで眠るんですバブ」
「バブ?」
「ミルク飲みたいんですバブ」
「バブって何?」
「赤ちゃんですぅバブ」
「赤ちゃんの真似してるの?」
「(頷きながら)赤ちゃんでーーーす‥‥バブ」
うーん、なんかちょっと違うけど、赤ちゃんがえりですか?
(みなりん)
2010年4月16日
『ダイヤ改正』 京王線が数年ぶりにダイヤ改正をした。私にとってはかなりの改悪だが、これに適応するほかないので、あらたに生活パターンをつくりあげるべく努力中である。ようするに今までよりすこし早く家を出なければならない。めざす電車に間に合わないと、20分以上あとの電車に乗るのとおなじになる。改生前には中間に救いがあったが、バッサリ削られた。とにかくダイヤ改正のたびに、すこしずつ早く出ることを強いられている。やはり改悪と言いたくなります。(宮)

『園遊会』 天皇陛下主催の行事「園遊会」が終わった。4月1日のこと。とあるメーリングリストで、「私、園遊会に招待されました!」というメールが届いた。他の主要な要件のメールだったので嬉しかったからメールしたんだろうと驚きながらも文面の通りに事実を受け取った。ない話ではないとも思った。でもこんな身近に招待される人がいるなんてとワクワクするではないか。つい皇室好きの同僚に「ねえねえすごいよ!みて!みて!」とメールを見せた。でもなぜか同僚は浮かない顔をしている。そして言いにくそうにこういった「言っていいのかわからないけど。最後まで読んだ?」いいや!私は読みかけであまりに驚いたのでもちろん最後まで読んでいなかった。促されそのメールの最後に目を落とす。あれれ?「今日は何の日?」とあるではないか!何を隠そうその日はエイプリルフール。そうか嘘だったのか…残念。そうとは思いつつ園遊会の様子をテレビの画面で見ながら思わずそのメールの主を捜してしまうのであった。(やぎ)

『間違えた?』 夕飯後に、親が二人とも、後片付けをしていたときのこと。
少し離れた場所から「遊ぼうよ、遊ぼうよ、○○先生」と子どもの声。どうやら、「パパ」か「ママ」と言おうとして、間違えて先生の名前を呼んでしまったのだ。
振り返ってみると、自分でも「間違えた!」っと思ったのか、顔を手で隠して、真っ赤になっている。「えー、今、間違えて先生の名前言ったの?」というと、更に真っ赤になってしまった。
自分が子どものころに、学校の先生を「お母さーん」と呼んで、恥ずかしい思いをしたことがあるが、今回はその逆のパターン。保育園で、先生が愛情いっぱいに接してくれている証拠だなあとありがたく思う反面、ちょっぴり寂しい気分にもなったのだった。
(みなりん)
2010年4月9日
『沖縄』 吉川公文館のPR誌『本郷』3月号に教育評論家の尾木直樹氏が、「教育風土と歴史」というエッセーで、沖縄の学校のことを次のように書いている。「沖縄の学校を訪問してみると、校舎は破損しているし、校長室も狭いにもかかわらず、図書室だけは他県よりも立派なのである。これは占領時代、図書館を大切にするアメリカの学校文化の影響なのだという。
蔵書数も他県の比ではない。学校の図書予算は100万円から150万円。PTAからの補助が100万円くらいなので、合計200万円以上に達する。全国の60〜80万円の低レベルとは比較にならない。」沖縄と他県の教育予算や財政の比較分析をしなければ、この一文が妥当なものか否か判断できないと思うが、−−基地が存在することに対する補償として図書費が多いという情報もある−−アメリカの学校文化の影響ということもわかるところがある。学生時代にアメリカ文化センター図書館の蔵書と運営と雰囲気とに感心したことがあるのでそう思うのだ。このことに関係はないが沖縄をめぐって意識が駆けめぐって、沖縄の自治体図書館の蔵書データ作成の仕事をしたときに、沖縄の独自性を主張する蔵書構成が印象的だったことを思い出し、さらに沖縄に出張しなければならない仕事のことまで思い出してしまった。
(宮)

『かわいくないけどかわいい』 ちょっと前に中・高・短大と行った学校のクラス会があった。子連れもOKとあり、小さな子どものいる友人たちは子どもを連れてやってきた。子どもたちは今日会ったばかり。年齢も2.3歳〜小6まで幅広い。でも子どもたちは気づくとすぐにうち解けて遊んでいた。3歳児などは二人でおままごと。「ふとんしいてねましょうか?」とか、大人顔負けなくらいずーっとしゃべり続けている。特に仲のよかったMの子どもなどはかなりのおしゃべり好きのようだ。とくに整った顔立ちでないけど、いうことがいっちょまえでものすごくカワイイのだ。たとえばMが「やぎちゃん(学生時代のあだな)に会ったら頼むことがあったんでしょう?」Mの娘「やぎちゃん。メエエエーって鳴いて」私「メーエエエエ」(学生時代ならした鳴き声なので自分でいうのはなんだが超うまいのだ)Mの娘「キャッキャッキャ」なんだかとっても喜んでくれている。嬉しいなあ。クラス会の帰り道今度は階段でベビーカーをMと一緒に持ち上げて運んであげる。M「やぎちゃんにお礼は」M娘「やぎちゃんサンキューウ!」いやはや。なんだかよく考えたらバカにされているみたいな言動なのだが、なんだかかわいくないけどかわいいのだった。「早く大きくなれよ」と頭をポンポンたたきたくなった。(やぎ)
2010年4月2日
『♪春が来た』 春になれば桜で、今年は開花してから10日余も冬に戻ってしまって、花見どころではなかったが、4月になってようやく暖かくなり、今朝(2日)のラジオは、東京の桜が満開だと言っていた。
そして駅までの道すがら、桜並木があり、八王子だから満開前ではあるが、7分咲きぐらいになっていて、前日までとはまるで雰囲気が変わっている。するとかならず思い出すのが小学校で歌った「♪桜の花のさくころは、うららうららと日はうらら・・・」という歌。教科書に載っていなくて、先生が教えてくれた歌。しかし、題名がわからなかった。
それが先日何十年ぶりかでわかったのです。朝のラジオで鮫島由美子が歌っていて、「春が来た」という歌だった。このメロディ、大好きというのとはちょっと違って、教室でオルガンの伴奏で歌った景色を思い出して、ノスタルジックな気持ちとくっついている。
(宮)

『肩こりと首の疲れ』 仕事が溜まり帰りが遅くなってしまったときのこと。急ぎ足で駅に向かう。みずほ銀行を曲がったところでなにかチラシを配布している女性。早く帰りたかったので急ぎ足で通り過ぎると耳元に聞こえてきたのは…「肩こりと首の疲れにマッサージをどうぞ〜」という呼びかけ。こんな時間に飲み屋でなさそうな無垢な感じの女性がなにを配っているかと思えば…。この時間にぴったりではないか!行き過ぎてしまったので、チラシを受け取れなかったが、ちょっと残念。こんど配っていたら受け取ろうと心に誓うのであった。(やぎ)

『お願いごと』 最近、子どもが、よくしゃべる。1歳のときも、1歳半のときも、2歳のときも、言葉が標準よりゆっくりだと言われてたのに、昨年末、いきなりペラペラとしゃべりだし、今ではうるさいくらいによくしゃべる。
駆け引きみたいなこともするようになった。これが、なかなか面白い。子どもが、私に何度かお願いしても、聞いてもらえないと、敬語を使うのだ。
子「パン食べたーい」 
私「だめ」
子「パン食べたい、パン食べたーい」 
私「ちゃんと夕飯たべちゃったらね」
子「ヤダヤダ、パン食べたーい」
私「だめ」
子「パン、パン、パンが食べたいんですぅ」
という感じに‥‥。
敬語を使われると、思わず笑ってしまう。で、笑うと喜んで、「食べたいんです、食べたいんでーす」と連呼するので、余計に笑えて、結局パンをあげてしまうのだ。この最後のお願いを敬語でっていうのは、そのほかの場面でもよく使うが、どうして、この使い方を覚えたのか、謎です。
(みなりん)
2010年3月26日
『漏水』 南大沢駅が、駅ビルの新築に伴って若干改造された。ホームの屋根にあたる駅ビルと陸橋の接合部分が漏水する。竣工直後は上りホームが、いまは下りホームが漏水でびちゃびちゃしている。建物の漏水は、なかなか原因箇所が特定できなくて対策に手こずる。小社も前の事務所では漏水に悩まされ、対策が効を奏するまで約3年かかったが、駅の場合はずっとやりやすいとおもうが、どうなることか。そう混雑する駅ではないからか、バケツが置いてあるわけでもなく、注意書きもなく、暢気なものだ。(宮)

『終わりの3月、始まりの4月』 先日、子どもの通う保育園で「進級・卒園の会」が、あった。大人になり、すっかりご無沙汰していたが、3月は卒業、4月は入園の時期なのだと改めて実感。
仕事上、そういうことを意識し、本の出版をしたり、販売したりしているし、年度ごとで決算があったりと、区切りの時期ではあるが、そういう行事に身をもって参加するのは、約20年ぶりくらいだ。
 そんなわけで、「進級・卒園の会」も、普段の保育園の行事とおんなじに考えていて、それはそれは、びっくりするくらい地味な普段着で、軽やかに会場へと向かった‥‥が、到着してびっくり。先生たちはみんな正装、出席してる保護者も正装、若干名だが私と同じ種類の人はいるものの(みんな「ヤバイ‥‥普段着」の顔していた)、明らかに浮いている。先生は、「普段着でもぜんぜん大丈夫ですよー」と言ってくれたものの、ちゃーんとした「進級・卒園お祝いの会」だったのだ。卒業式や入学式って、保護者は普通、正装だものね。失敗したー。
 さて来年、区立の保育園へ転園する子たちもたくさんいるけれど、例年以上にそのまま進級する子が多いそうで(我が家も)、子どもたちも、仲良くなったお友達とまた一年楽しく過ごせることになり、良かった、良かった。
(みなりん)
2010年3月19日
『風とともに去りぬ』 前回、伝記に偏った読書のことを書いたが、読んでいる人のほとんどはとっくに亡くなっている。そんな人々と親しくつき合っている気分だが、だから100年前のことは、はるか昔であり同時に今のことでもある。
そんな気分で『中江丑吉書簡集』を読んでいたら、映画『風とともに去りぬ』を見たときの感想が出てきた。私は、『風とともに去りぬ』は日本では、戦後になってから公開されたと思っていたので、驚いた。
もっとも中江さんが見たのは、北京であるが。昭和十四、五年の手紙だったから制作されてから、すぐに北京で上映されていたというわけだ。ちなみに、映画は1939年に制作され、昭和14年は1939年である。いま私の頭のなかは、かなり中江丑吉で占められているが、その中江丑吉がどんな気持ちで映画をみたのか不思議な感じがする。彼の友人たちは、映画が原作に引っ張られすぎていて云々と言ったらしいが、中江さんは長さが気にならないぐらいに楽しんだようだ。
(宮)

『花粉の季節』 花粉の季節が到来した。先日会社に帰る電車で思いがけず座れた。隣の若い男の人がマスクをしてなんだか苦しそう。しばらくしたら苦しそうというより、呼吸が荒い。耳にも残る息苦しさだ。しかし意表をついて彼は一人でクックッと笑っているではないか。苦しそうなのに笑うのはなぜ?あたりを見回すが知り合いらしい人はだれもいない。胸元からiPOTをおもむろにだした。き、きっとラジオの録音か何か聞いてるんだよね?面白いトークしてたんだよね?花粉の季節、花粉症だけでなくちょっとおかしな人もふえているのかなあ?(やぎ)

『風邪、うつってます』 子どもが風邪をひくと、必ず私にも、うつる。
先月「おなかにくる風邪」に子どもがかかり、これは看病している大人にもうつると知っていたので、換気、手洗い、消毒、そのほか諸々、ずいぶん気を付けていたのだが、私にもうつり、ダウン。完全復活まで1週間以上‥‥。
先週くらいからは、保育園で流行ってる風邪をひき、「鼻水、咳、くしゃみ」という症状。そして私にうつった。風邪が悪化し、副鼻腔炎になりかけているのがよくわかる。(今までにも副鼻腔炎に何度もなっている)
わかったのは、私の場合、子どもの風邪をもらうと、子どもより症状が重くなること。
これは、歳のせいなのか? 風邪、うつって増すという感じです。
(みなりん)
2010年3月12日
『伝記』 最近読んでいるのが、伝記に類するものに偏っていることに気づいた。昔読んだ小島直記の伝記エッセーを読み返しているし、50年以上も前に出版された『西園寺公と政局』を飽きもせず読み続けているし、中江兆民、中江丑吉に関連するものを探して読んでいる。とにかく人に偏している。出版を仕事にしていながら、はやりものは駄目で、坂本龍馬本などいまはまったく手を出さないが、NHKの大河ドラマに乗って、200点ほど出ているそうだから驚く。
伝記に偏るのは自分自身年をとったことが大きいのかとも思うが、それだけでなく、これは龍馬本の読者と同じように、いまの世の中や政治家に対する欲求不満のあらわれかもしれない。一段落がつくまで、しばらくはこの読書傾向が続きそうだ。
(宮)
2010年3月5日
『春が来たpart2』 今日(3月5日)は日中の予想最高気温が20度で4月下旬なみの気候だという。
実際外にでると雨上がりのきれいな空気と青空で、「春がきた!」という感じに満たされた。そしてとにかく暖かい、いや暑いくらいの日射しである。
こんな日にはずっと外にいたいが、溜まった仕事のことを考えると、そうもいかないのが残念だ。昼時には、上着を脱いだ人も多く、春の明るい太陽のもとで軽快に歩いている(ように感じる)。天候にここまで単純に影響されている自分を自覚して、我ながらおかしい。
(宮)

『暖炉のある家』 友人宅に遊びにいった。建築士の友人が建てた家なんて、興味ありありだ。一年前くらいに建ったようだがなかなかお誘いもないので、素直に遊びに行きたいと言ってみた。ようやく念願叶って遊びにいく。二階に台所、居間、お風呂など生活拠点があるようですぐに二階に案内される。早速目に飛び込んできたのは暖炉だった。二階に暖炉!びっくりだ。想像だにしていなかったが、建築基準によると一階に暖炉を設置するときには、色々と規制が多くコストもかなり高いらしい。予算オーバーであきらめかけていたという。しかし、二階だとその規制がゆるいためローコストで暖炉を実現することができるらしいのだ。薪を燃やし、中にサツマイモやジャガイモをアルミホイルに入れて放り込む。しばらくしてほかほかに焼けたお芋が出来上がった。いや〜なんとも贅沢な生活だ。都会では薪の供給が大変そうだけど。(やぎ)

『迷惑にならない程度に』 最近は通勤電車で、iPodを聞いている。私は、普段、通勤にはマスクをしているのだが、これがとても便利。口をパクパク動かし歌を歌っていても(もちろん声は出さないが)、バレない。ラッシュ時を避けた、空いた電車ならば、電車の音にかき消され(特に地下鉄)、はじっこにいれば、少しくらい声を出しても、バレない。何となく、楽しい気分になれるので、パクパクがやめられません。(みなりん)
2010年2月25日
『春が来た』 ここ数日、とても暖かくて春間近と思っていたが、今日は暖かいだけでなく、空の色がちがう。そとは霞がかかって、とにかく明るい。春の空気にみたされている。ところが事務所に入ると、若い女性が「さむい!」と縮こまっている。関東大震災の後、頑丈に作られている壁と高い天井をもった事務所ビルは、外気の影響が及ぶのに時間がかかる。毎年のことだが、こうして実際に、春を体感する時期がくると気持ちが浮き立つ。(宮)

『変な夢』 先日こんな夢をみてしまった。一軒家に住んでいる私たち夫婦。警官が色んなことを調べにきている。近所の人たちがうさんくさそうに私たちをみながらこんなことを言った「いや、普通はね、出かけたりするときには人っておしゃれをするもんなのよね。でもあの家の人たちがオシャレをしてでかける姿、見たことないのよ」と警官の前で事情聴取をしているのだった。私は夢の中で(確かにみんなみたいなオシャレはしたことないけれど、たまには私なりの一張羅を着るときだってあるのにな)と心の中でふてくされて淋しい思いをするというものだった。もともと夫はオシャレ好きだったのに、やれ、アイロンをしなくていい服を買えだの、そんな高級服は買うなだのいう内にすっかり私色に染まり、今では服を数々共有するまでになっている。しかしなんでこんな夢見たんだろう?しかし本当に警官にオシャレをしたのを見たことがないなんていうことが事情聴取として必要だったんだろうか?ってこれは夢なんだけど不審な気持がぬぐいきれない日々を送っている。(やぎ)
2010年2月22日
『丘がなくなる?』 京王線の読売ランドと稲田堤のあいだにある、切り崩されて絶壁の側面を持つ台形の土地のことを以前書いた。絶壁の地肌が十余年のあいだに緑に包まれてきたのを感心して眺めてきた。ところが半年前ぐらいから、また切り崩され始めた。台地の上にあった植物が取り払われてノッペラボーにされた。ちかごろはいよいよ切り崩されて、なにか建造物ができるのだろうと思ってみている。がんらい多摩ニュウタウンが、丘陵を切り崩して造成されたのだから、いまさら驚くこともないのだろうが、心中では「やめろー」といいたい。(宮)
2010年2月8日
『日曜名作座』 テレビからラジオに切り替えたら、「昼のいこい」だの「新日曜名作座」だのが耳に届くようになった。「日曜名作座」というと、学生時代に森繁久弥と加藤道子で聴いた石光真清の手記4部作が忘れられない。放送にいたく興味を刺激され、図書館で本を探し出して読んだ。龍星閣から出ていた単行本でシベリヤの写真やブラゴヴェヒチェンスクなどという地名を興味津々でみつめた。いまは中公文庫にあるが、先日図書館で同じ中央公論社から出ている4部作の豪華合本版を見つけて、さっそく借り出した。その解説を学生時代の先輩である酒田正敏さんが書いていて、懐かしくも何十年かの記憶が錯綜しながらつながったのだ。六十余年生きてると、ごく限られた経験しかないのに、なんかのひょうしに、経験と記憶がつながって、四〇年前のことが鮮明によみがえるのに驚く。(宮)

『カンピュータ』 本を読んでいたら久しぶりの言葉に出会った。主婦のレシピを教えてもらうときの会話。『私の料理はカンがたよりのカンピュータなのよ』今や大人から子どもまでコンピュータにお世話になる生活があたりまえになっている。カンをたよりにカンピュータ。なんていい響きだろうと思った。経験から生まれるカンほど頼りになるものはない。電気もいらずに動くなんてね。文明が発展しても最後には人間の本来持っている柔軟な能力にコンピュータはきっと届かないと私はいつも思っている。(やぎ)

『神頼み‥‥』 気がつけば新しい年も、すでに一ヶ月が過ぎ、今頃になって、今年初のロバ耳となりました。なんとも情けない一年の始まりです。
今年は私自身が後厄なので、一月初旬に厄払いに行きました。申し込み場所に行ったところ、子どもも幼年の厄年(本厄)ということがわかり、自分、子ども、旦那のお仕事(商売繁盛)、そしてせっかくなので朔北社の商売繁盛、4つのお札を買い、祈願をしてきました。
今年は、たくさん本が売れますように‥‥。
(みなりん)
2010年2月1日
『歯医者』 去年の11月から歯医者に通っている。一番奥の歯が内向きに大きく曲がっていて、歯槽膿漏になったらしい。医者がはじめ、歯痛の原因を見間違えていて、1ヶ月余別の治療がされた。いまようやく本来の治療が始まったが、治療中と、治療後ととにかく痛いこと痛いこと。いまどきそんな痛い歯医者はないという人がいるが、いや、あるのです。ちょと回り道しているし、とにかく治療は痛いしで不安無しとは云わないが、とりあえず医者の言葉を信頼して、もうすこし通ってみようと思う。(宮)
2010年1月22日
『時間』 年末の時間の速いこと。そして正月も速いが、仕事が始まってからは、時間のながれは、突然遅くなる。だから1月は長い。それから時間はまた早くなって・・・。身辺の状況と気持ちの問題だから、まったく個人的なことがらだが、毎年同じ感覚をおぼえるのも事実である。今年はこのあとどんな時間の感覚を持つことになるのか。(宮)

『健康十則』 実家に帰省したときに、みんなでご飯に出かけた。あたりはほとんど何もない場所に一軒、佇んでいる、思ったより大きな建物の中にある店。話によると昔ペンションだったのを改造して作ったもののようだ。一階が和食屋で二階がイタリアン。父は和食が好きなので和食屋に入った。店の名は『五穀』。店の人が出てきて実はまだ準備中なのだけれどといい、でもどうぞ〜と中へ案内される。それぞれに好きなものを頼み料理が来るのを待った。しばらくすると出来上がった料理が一番最初に私の目の前に置かれた。他の料理が来る間、お箸を手に取ると箸袋に何やら文字がかかれている。健康十則。へえと思い、口に出して言ってみる。「少肉多菜」「少塩多酢」「少糖多果」「少食多歩」「少衣多浴」「少欲多施」「少憂多眠」「少言多行」「少車多歩」「少憤多笑」この最後の「笑」赤い字で強調してある。丁度そこにお店を切り盛りしている風の美人で感じのよい女将さん(?)が、他のご飯を運んできた。
「笑いが一番大切だと思っているので赤い字で書いたのよ」と微笑みながら言う。確かにその通りだと思う。元気は体だけでなく、心からも来る。人が心から楽しそうに笑っているのを見るのは嬉しいものだ。私自身も「わはははっ」と思いきり笑ったあとは心がうきうきしたり楽しい気分が持続することが多い。この健康十則は、誰が考えた言葉なのだろう。誰が考えたにしろ、いいなあと思ったので食事後、箸袋を持ち帰った。忘れないように。
(やぎ)
2010年1月18日
『ゴミ拾い』 水道橋駅の近くを歩いていたら、前方からおそろいの上着(ジャンパー)を身につけた集団が2,3人ずつ長いつまみ棒でときどきゴミを拾いながら近づいてきた。ぺちゃくちゃ喋りながら歩いている。たぶん区役所の職員で、総勢10人をこえている。本気でゴミ拾いをするのなら2,3人でできるのに、あとからあとからぞろぞろと歩いている。いわゆるお役所仕事で、駆り出されてでてきたのだろう。
いまどきは、省エネとか、リサイクルとか、ゴミの分別収集とか流行りの業務があり、こういう風景がうまれてくる。スーパーマーケットで買い物をするとレジでかならず「レジぶくろをおつかいになりますか」とたずねられる。いつまで聞かれ続けるのだろう。そのうち袋持参でないと買い物がしずらくなるかもしれない、と思ったりする。いま流行りの商売スタイルらしいから。
(宮)

『実家に帰省』 自分の実家に夫と帰省してきた。我が家は両親とも元気なので夫の家のように頻繁に帰って様子をみる心配がないのをいいことに気づけば一年も帰省していないことに気づいた。年明けの挨拶くらいはしておかないとと思い週末に帰省。72歳になる父と70歳になる母だが、そう思うと元気だなあと思う。まずはご飯。私たちと同じだけを平らげ、ご飯もおかわり?!するの???とびっくりな食欲。父は近所のコーラスグループや男の料理教室に通っているらしい。母も児童館の子どもたちに読み聞かせや紙芝居をしてみせるのグループで楽しそうだ。その姿をみながら人生を楽しまなければ損だなと思いながら帰ってきた。親が子どもが元気なことを願うように、この年になると親が元気なことが一番嬉しいことだと実感した週末だった。(やぎ)
2010年1月8日
『増刷』 『どうぶつにふくをきせてはいけません』の増刷をきめた。第7刷ということになる。2005年刊行だから5年かかって30,000部を越える。年々、本の売上が減少するなかで、初版の3000部、4000部がなかなかさばけないのが実情だから、すこぶる頼もしい存在である。新刊の半分がこんな動きをしてくれれば、出版社としては、のびのびと仕事ができるのだが、とてもそんなわけにはいかない。増刷は資金繰りを苦しめるので、決めるのに勇気がいるが、せっかく動きのよい本のことだから、躊躇することなく踏み切った。新年早々、強気の判断を下したわけだが、今年はどんな一年になることか。(宮)

『新年の幕開け』 明けましておめでとうございます。今年も年があけた。この時期、あわただしくもあるが、凛と寒い時期に新年がやってくるのを実は楽しみにしている。寒い正月は気持が引き締まる。季節のある国に生まれて良かったなあと思う。
毎年のように年末年始は夫の九州の実家ですごすのだが、今年は悲惨だった。まずトイレが紙切れだった。そして、風呂が元旦に壊れたのである。風呂は灯油式のお風呂。水抜きが問題なんじゃないかとのことで、栓をひねる。しかし、ひねってもひねっても水など一滴もでない。そこでやめればいいものの、そんなはずはないと、ひねりすぎてしまうのが私の悪いところ。それも馬鹿力がものをいい、ひねってはいけないギリギリまでひねりまくり…ストッパーが壊れて灯油タンクの灯油が穴からドクドクと流れ出した。もちろんストッパーを壊したので中味がなくなるまで出すしかない。手元にあったバケツを手繰り寄せ灯油を受けるが、かなりの量が入っているらしく、そんなものはすぐに一杯になった。灯油缶を倉庫から持ってきてもらい、結局3つの灯油缶がいっぱいになった。全部出るまで放ってもおけず寒空の下、灯油が出切るのを見守り、身も心も冷たくなった正月であった。
でも良いこともあった。駄目もとで電話した風呂の修理屋さんがお休みなのに電話で対応に出てくれ3日に家まで見に来てくれたのだ。入院中の父がうめき声のようなものをあげたのだ。それはちょうど親戚がぞろぞろと連れだってお見舞いにやって来たその時にみんなが義父に温かい言葉をかけてくれたときに始めて聞いた声(声にならない声だが)だった。意識がはっきりしなくなってから早1年半。大きな変化があるわけではないが、義父はすこーしずつすこーしずつ変化を見せているような気がしている。前に出来なかったことが出来るようになる。まえしなかった反応をするようになる。これだけで身内はうれしいのだ。前のように戻るのは無理かもしれないけれど、少しでも何かを感じていてくれたらこんなに嬉しいことはない。寄り添って側にいてあげられなくてごめんねと心の中でいい東京に戻ってきた。人は人で支えられている。今年も一年よい年にしようと心に誓った。
(やぎ)