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「王様の耳はロバの耳」(2007)

この頁では朔北社の社長を含む朔北人(さくほくじん)たちの怒ったり、笑ったり、悲しんだりを勝手ながらホームページを通じて掲載していきます。あまり深く考えず、私たちのおしゃべりを楽しんで下さい。最近飛び飛びですみません…

2007年12月14日
『変質者?!』

夜遅くに道を歩いていた。すこし前に若い女性(多分20代)が歩いていた。わりと人がいない道ではスタスタ歩く私。夜はなんだか気を遣う。抜かしたいけど暗闇のそれも背後から人が迫ってくるのはだれでも恐いものである。しばらく歩いていたらあと数10メートルで彼女に追いついてしまうぐらいまで近づいてしまった。近づいてくる足音と荷物のすれる音、もしかして息もあらかったのか、彼女は曲がり角のあたりに来たとき一瞬後ろを振り返り、私の姿を確認してその後ものすごいいきおいで走り出した。それも私も曲がろうとした方向へ。多分わたしは怪しい人だと思われたのだろう。女なのに女を襲う女。なんか早口言葉みたいだなあ。気が付けば今年も12月で年の暮れになってしまった。人には逃げられたけど、チャンスには逃げられないようにしなくっちゃ。(やぎ)

 
『銀杏』

表参道の銀杏並木が、いま見頃だと新聞にでている。毎年ほとんど見ないことはないくらいだったが今年は忙しさにまぎれていきそびれていた。例年ならもう散っているはずなのにこの頃の異常気象のせいで、いま見頃だとわかれば行かずばなるまいとおもうが、さて本当にいけるかどうか。この週末は最後のチャンスだが、例によって、しごとの予定が詰まっている。さて、どうなるか。(宮)

 
2007年10月24日
『ティアラクラブの応募が来た!』

6月から出し始めたティアラクラブシリーズ。9月に6巻が出そろったところだ。この本には応募券がついていて全巻買った上に、各巻に隠された文字を探し出し文章も完成させなければならないという、ハードルの高いものなのだ。他社では一冊買えば応募出来るのにね。本当にみんな応募してくれるのだろうか半信半疑だった。しかし時折、「本をかったんだけど、応募券がついている帯がなかったんです!どうすればいいですか?」という問い合わせも何件かあったので1通も来ないことはないだろうと思っていた。そして最後の5.6が出てから数日したある日その応募のハガキが届いた!まず1通、そして次の日に1通そして2.3枚と届く。感想を書いてくれた子ども達やお母さんがプレゼントを心待ちしてくれると思うと嬉しさがこみあげてきた。みんなこのシリーズを読んで是非応募してね!きっと喜んでもらえるものを送るから待っていてね。(やぎ)

 
『猿回し』

毎週、土日には南大沢駅の近くで大道芸があり、猿回しがある。猿回しの猿の表情は人と同じようで、脅かしたりすかしたり勝手な命令を押しつけてくる芸人にふて腐れている。見世物だから芸人はチクチクと猿をいじめて芸をさせようとする。猿はそんな相手に真っ向から逆らうことは出来ず、かといって実はすこしも納得して芸をしていない。芸人と猿の波長のあわないやりとりが見せ物で見物人はそれを楽しんでいるのかもしれないが、私はいじめられている猿を見るのはとても苦痛である。猿回しの猿はわれわれと同じような心をもっている顔をしている。私にはそう見える。そういうわけで、ちかごろは、それでなくともせっかちではあるが、一層足早に通り過ぎることにしている。私一個の気持ちとしては猿回しなどやめてもらいたい。(宮)

 
2007年10月10日
『世の中はどうなって行くんだろう?』

私は先日京王線新宿の改札附近を歩いていた。そこに若く清潔感溢れ、だけど無表情な男性がこちらに歩いてきた。しかしである、なんとその男は、私のすこし前を歩く女の人の肩をがしっと掴んだかと思うと遠くにはねのけた。「えっ?」私の目は丸くなった。女の人の肩のつかみかたが、かなりしっかりしていたので私は一瞬だけ恋人なのかと錯覚したが、アッという間に目の前で覆された。もちろん一番びっくりしたのはその女の人だ。知り合いでもなんでもない男にいきなりむんずと捕まれそしてはねのけられいったいなにがおこったのが理解不能そうな顔。驚きの顔を隠せない私と目が合い「ありえないね」とアイコンタクト(たぶん)女の人は倒れることも無かったので大騒ぎにはならなかったが、あとになって沸々と怒りもわいてきたのではないかと思う。あの男は自分の前を遮るものを邪魔なものと見なしたのだと思う。見ていた人は大勢いたはずなのにその場はまるで何事もなかったかのように人がすぐ流れ始めた。それにしても、おそろしい世の中だ。友人にその話をしたら。私はゴミ箱に投げられた女の人を見たことがあるとのこと…それも知り合いでふざけ合っている風でもないらしかったというから…世の中はどこへ行くんだろう?長渕剛のJAPANという曲の中にそんな歌詞があったなあ。そういえば…今後は短く書く訓練をするはずが…又長くなってしまった…(やぎ)

 
『ざるそば』

今年も猛暑続きでよく蕎麦屋に通った。行く店は何軒かあるが、何と言っても事務所から最も近いW店が多い。店に入るなり若いウェートレスに「ざるそばですか」と先回りされる。夏の盛りには、これを拒否出来なくて、「ざるそば」と言ってしまう。すっかり涼しくなった今日は、また先回りされたが涼しい顔で別のメニューを注文して、ウェートレスをずっこけさせ、長かった夏の鬱憤を晴らした。(宮)

 
2007年10月4日
『西郷隆盛惜別譜』

今年は西郷隆盛の生誕180年没後130年にあたり、鹿児島の南洲墓地で明治10年9月23日の官軍軍楽隊による奏楽が再現された。この行事に招かれた「西郷隆盛惜別譜」の著者である横田庄一郎さんの話しによると、横田さんが本のなかで推測した演奏曲のうち、ヘンデルので涙する人が幾人もいたそうだ。そう一曲のほうのショパンの「送葬行進曲」ではなくて、ヘンデルの曲に強い反応があったことには、横田さんも驚いたようですが、その横田さんにもこのときの現場の雰囲気はとても印象的で、しばらくあとをひいたそうです。仕事の都合で急遽鹿児島行きを中止したのだが、ああ、私もその場にいたかった!(宮)

 
2007年10月2日
『言い間違え?』

言い間違えは私もよくするのだが、言い間違えるとまったくもって違うものになってしまうから要注意だ。先日も 夫「会社の同僚の子どもが今日大変だったんだ」私「なんで?」夫「子どもが学童疎開先からいなくなっちゃったんだって…」私「おーい。戦時中になってるよ。それは学童保育!」夫「ちょっと間違えただけじゃない」私「いや、かなり間違ってるから」でも笑えたから許してあげるのだった。かくいう私も20世紀梨を21世紀梨と言って会社でつっこまれたクチである。でも言い間違えは楽しい疲れたときの笑いのツボになってくれる。ボケとつっこみは大切だ。(やぎ)

 
『暑さ寒さも彼岸まで』

「暑さ寒さも彼岸まで」とは本当のことで、毎年の春秋の彼岸に実感している。30度を超える真夏日がなかなかおさまらなかったのが嘘のように、昨日今日の気温は11月中旬並だという。自宅から駅までの通勤の道筋は桜並木だが、彼岸を境にみるみる黄葉し、落葉し始めた。仕事に追われてただただ忙しく働き続ける毎日で、季節の移り変わりを見るのは、気持をなごませてくれる貴重なひとときである。(宮)

 
2007年10月1日
『台風の影響』

台風9号が関東地方を襲ったとき、一時は京王線が止まるほどの大雨が降った。翌日は台風一過の天気というわけにはいかなかったが、雨はあがり、電車も通常どおり走っていた。
通勤途上で毎日見ている多摩川がどんな様子か、いつもに増して興味があった。案の定、前日の大雨のせいで河川敷はすっかり見えなくなって両岸の土手ギリギリまで水が来ている。あと少し降り続いたら、溢れたに違いない。近頃の雨の振り方は実に怖い。しかし、その翌日には水量がぐんと減って河川敷が姿を現し、多摩川は元の景色に戻った。ところが戻らないのは川の水の色である。電車が多摩川を渡るとき毎日見ているが、台風から3週間も経つというのに、上流から土を運んで来るせいだろう、黄色に濁ったまま、水は一向に澄んでこない。
(宮)

2007年9月28日
『えっ?』

床屋の脇を通りかかった。いつもあまり通らない道。目に飛び込んでみるものが新鮮だ。大きな張り紙に「坊主1000円」と書いてある。職業坊主なら誰でも1000円の坊主好きの店主なのか、はたまた「坊主頭」のヘアースタイル1000円なのか日本語でどちらともとれる書き方だ。袈裟を着たお坊さんと、野球少年が床屋ではち合わせになったら面白いなと思う。でもお坊さんの髪型が坊主頭だったらなんてことはないんだけど、最近はふつうに髪のある坊さんもいるのだから、是非その人に来てほしいもんである。しかし、床屋に行くことはないし、その床屋の人でもない私は、きっと一生その現場は押さえられないんだろうな。ちぇっ。(やぎ)

 
『ワーキング・プアとデータ装備費』

 テレビニュースと新聞から知ったことだが、コムスン事件で知られるようになったグッドウィルという会社は、派遣社員の時給から毎日200円の「データ装備費」なるものを天引きしていた。現在はその返還要求訴訟が起きているそうだが、もともと高くもない賃金から一律とりつづけていた。「データ装備費」をそっくり返還したら債務超過になるかもしれぬというのだから、200円という金額を馬鹿に出来ない。こういうやりかたが、会社の急成長を底辺でささえていたのだろう。そして老人介護の現場で働く人々は、働けど働けど我が暮らし楽にならざる「ワーキングプア」と言われる状況に置かれる。金儲けが上手い連中の、ひとを低賃金で働かせながら、なおかつごく小さな単位の金額を積み上げていくという頭のよさには感心する。しかし、こんなやりかたでなくても企業は存続できるし、成長できるということを言いたい。(宮)

 
2007年7月20日
『親はいつまでも親』

先日久々に両親の住む実家へ帰ってきた。夕食も終えてホッとしたころ父がおもむろに切り出した「S夫(兄)はその後どうしてるのかな。心配だな」その後のことは数週間前に実家に連れてきた見合い相手との関係のことだった。「わたしがMの館長になったことも言っていなかったしそれを口実に電話してみよう」さて電話をし、兄が出た。「あっ、Sその後元気か?その後どうなったんだ」いきなり自分のことではなく見合い相手の話を振る。その後なぜか「RくんやM(私)達が来てるから、かわるよ」と電話までかわるはめに。別に話すこともないのにと思いながらかわると「今日は彼女と星を見に富士山の五合目まできてるんだ」とのこと。どうも4人に電話をまわされている内に雲が星を隠し始めたらしい。早く電話を切りたいようだ。電話を切りどうもデート中だったらしいねと話すと、父は「ああ、これで安心して眠れる」と本当に嬉しそうに一言。40に近い子でも心配で仕方ないんだな。親はこうしていつまでも子どもの心配をし続けるのだなと思った瞬間であった。7月7日の七夕の日の出来事。兄と彼女の願いが同じだといいなと妹心に思うのだった。(やぎ)

 
『風呂屋』

会社から、疲れた体を引きずるように、神保町駅にむかって歩いているとふーと湯の香が鼻にくる。専大通りから交差点の手前を左に入ると銭湯がある。
20階、30階という高層ビルがニョキニョキ建ってしまった神保町に、湯の香がただよう。
古本屋街がまだほとんど木造2階建てだったころを思い出した。
神保町界隈は私にとって、まだまだ生活感が残っている町で、心安まる場所である。
(宮)

 
2007年6月25日
『高速バス』

バスで移動なんて学生のときならまだしも…と思ったこともあったが、未だに利用している私。さすがに居心地はよくないが(長時間座り続けるとオシリが痛くなるってしまうので)疲れさえ気にならなければ一日を有効に使えるのでおすすめだ。何と言っても安いのが魅力。新幹線などの半分くらいの料金で同じ場所に行けてしまうのだ。その代わり、時間がかかるので忙しい人にはあまり向かないかもしれない。こういったバスの料金の自由化?で以前より選択の幅が広がったのがありがたい。この間も仙台から夜行で帰ってきたのだが、なんと4500円!一番安い便で3200円で帰ってこられる便があった。あなどれない…。(やぎ)

 
『衣替え』

梅雨が終わるか終わらないかという時分に、朝、着替えようとして突然今日から半袖だと確信して背広を廃し、半袖シャツにしてきた。今年はそのときがまだ来ないが、通勤電車に乗ると冷房の利かせ方が半端ではなくて、ひょっとするとズーっと背広なしでは過ごせないかもしれないと、いささか弱気になっている。車内の温度が低いだけでなくかなり強い風が吹き付けていて、健康な大人といえども体調がおかしくなるのではないかと思う程である。電鉄会社の人たちよ、ぜひ自分で車内のエアコンの状況を体験してみてください。(宮)

 
『散髪』

先日2ヶ月ぶりに髪を切った。切ると言っても、私は坊主頭なのでバリカンで刈るだけ。人に刈って貰った方が仕上がりが綺麗になるので、同居人にやって貰った。通常バリカンには髪の長さを決める付属品が含まれていて、大雑把ではあるけれど、だいたい好みの長さに刈ることが出来る。私は通常9mmにするので、その為の付属品を取り付けておいたら、なんと彼はその部品を外して刈り始めているではないか! 聞けば、その部品をカバーだと勘違いしていたらしい。気付いたときには三分の一は刈ってしまっていたので、どうすることも出来ず、そのまま最後まで刈って貰った。おかげで私の髪は人生で最も短い1〜2mmぐらいになってしまった。勘弁してくれよ…。現在は髪も伸びて普通の坊主頭になったが、当初は出家したお坊さんのような髪型。写真には撮らなかったが、せっかくだから写真に残しておけば良かったかな?(ぼうず)

 
2007年5月17日
『上野の森フェスタ』

ゴールデンウィーク5月の3・4・5日恒例の「上野の森親子フェスタ」に朔北社は今年も参加した。売上の程を考えるともしかして赤字かも???と思うものの、それだけでない読者との交流があるのが一番魅力だ。それから持っていくものを決めるときに前年の売上から予測してもっていくのだが、これがいつも見事にはずれる。もちろん定番的によく売れるものもあるのだが、去年あまり売れなかったからと思い少な目にもっていくとなぜか残り一冊や売り切れの事態に陥ったりと当たるようであたらない販売予測と商売という感じがたまらない魅力でもある。これが毎日だとどんな感じなのかなと思う。以前旅行で訪れた酒屋さんで「商いは飽きない」との言葉が印象的だった。商売は工夫の余地がいくつもあって沢山の発想があればいくつもの展開の仕方があるということなのだろう。会社でも同じことが言えるのではないだろうか。三日間でずいぶん沢山の人が来場したこの子どもの本のお祭り。また来年のことを考えると楽しみだ。(やぎ)

 
『向田邦子』

世田谷文学館の向田邦子展を見てきた。我が家でよく見ていたのは「だいこんの花」だがこれは彼女の作品中では地味なものだろう。この作品に限らず、彼女のシナリオには戦前、戦後にまたがった庶民の生活が軽さと人情の味付けで描かれていた。そして、初めて放映された時から二、三十年たったいまになると、自分たちがいきてきた時代の空気が一段と鮮明に思い出される。航空機事故で若くして亡くなったことに加えて、その後明らかになった彼女自身の人生が重ねられてられて、作品と作者に独特の魅力を感じさせるのである。(宮)

 
2007年4月19日
『豊かさと食育』

豊かな時代と言われているが、豊かさと貧しさは表裏一体なのだと思う。何もない時代が不幸だったかというとそうでもない。子どもの頃は家族が自分の世界の常識だったから、貧しくてもあまり貧しさを感じたことはなかった気がする。ただ、母の財布の中身はいつでも小銭と千円札が何枚かあるだけで、一万円札がその財布から出される現場を見た記憶が私にはない。自分で働くようになりお財布に一万円札を入れておくと母から「おまえはお金持ちだね」と言われた。自由になるお金があるというのはいいものだ。しかし、がまんしてお金を貯めて買ったものや、吟味して吟味を重ねたあげくやっとの思いで買ったものは何倍も嬉しい気持ちにさせる。時にはつらいこともあるけれどいいこともあるから幸せを感じるんだろうなあと思う。ここ数年、食育という言葉を学校の現場でも児童書の世界でも聞かれるようになって久しいが、食育って学校で習うものなのかなと少々腑に落ちないでいる。基本は家族で食卓を囲んで御飯を食べること。旬のものをその季節に食べるとおいしいこと。今では大家族も少なくなってきたけれど、親や祖父母にお箸の持ち方を注意されたり、食べ物に纏わる様々な言い伝えやマナーなどを聞き覚えては次の世代へと受け継いできたのだろう。家庭の味を受け継いだり…あえて学ばなければならないようになったのはさみしいなと思う。最近では季節に関係なくほとんどのものが手に入るようになったから季節があるのに知らずにいることもあるのだろう。だけどその旬に食べるものの美味しさがその季節を立証してくれる。やっぱり旬に食べると格別においしいのだ。我が家では子どもの頃いちごの季節になると両親が近所のいちご畑を一列買って(借りて?)いた。その列の苗からとれるいちごは我が家のいちごだ。毎朝、朝露にぬれた赤く熟れた大きいや小さいいちごをザルを片手に取りに行くのは本当に楽しかった。たまに大きい熟れたヤツをその場でパクッ!贅沢なものは何一つ食べさせてもらえなかったが、豊かな生活をさせてもらっていたんだなあと思う。(やぎ)

 
『読書』

今のところ通勤電車の中が読書の場所だから、いきおい文庫本や新書があつかいやすい。しかし読書を文庫、新書に限定するわけにもいかない。ときどきA5版、700頁などという本を読む。これはさすがに座った時でなければ開けないので、読みあげるのに時間がかかる。ところが面白くなってくると、ときには座れないときにも両手でしっかり支えながら、読みつづけるはめになる。だがそれも苦にならないような本なら、疲れている帰宅途上であっても、楽しいひとときなのである。最近ではソロモンの「モーツアルト」がこの種の本だった。このような状況だから、大著は上下に分けてくれると助かります。(宮)

 
2007年4月2日
『選挙』

もうすぐ都知事選挙だ。ついこの間までテレビで3〜4人の候補者がいて丸山弁護士が出るとか出ないとかいうことで騒いでいたが、先日我が家のポストに入ってきた候補者一覧とその抱負?を見てびっくりした。あまりこういったものをちゃんと見たことがなかったのだが、驚いたのはいつのまにやらテレビで集まって答弁していた人たちじゃないひとたちも何人もいてそれなりの候補者の人数になっていることだった。お恥ずかしい話、この年まであまり政治に興味がなく、誰がなってもどうせ何も変わりはしないくらいに思っていたのだが、最近ようやく政治の動きに興味を持ちだした次第だ。自分が弱い立場になればなるほど税金の使い方に憤りを感じ、世の中こうなったらよいのにと考えるようになるのだろうか?(やぎ)

 
『豊田泰光』

暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものだと毎年実感してきたが今年もまたこの実感を裏付けてくれた。春がくると春のことがついつい書きたくなるが敢えて別のことを書く。私は新聞のスポーツ欄は超スピードの斜め読みしかしないが、豊田泰光のコラムは見つければ必ず読む。日経新聞で小泉武夫と並ぶ名物コラムだと思っている。今日のコラムは「先達の至言、時が醸す」という。川上哲治が名より実をとってバットを短く持ったことに長嶋茂雄のエピソードを書き添えて、豊田がただ一人残っていた代打として、監督に「お前だけか」と落胆され、期待されていない場面で、逆転ホームランを打った話である。(宮)

 
2007年3月11日
『ライマさんと長谷川義史さんのイベント行って来ました』

3月4日、日曜日に大阪国際児童文学館で朔北社でもお世話になっている2人の絵本作家が「台湾と日本の絵本」についてのシンポジウムをおこなうというので、行って来た。日本人同士ならありえる話だろうし、このような小さな出版社で海外の作家と国内の作家と両方お世話になっている組み合わせでこのようなプログラムが、自分の会社以外のところで組まれることは本当にまれだと思う。だからそのイベントの知らせを聞いたときには本当に本当に嬉しかった。1時〜4時までの3時間にもおよぶシンポジウムは楽しくて、編集駆け出しの私にとって貴重な時間だった。夕方は文学館の方が企画してくださった夕食会と言う名の打ち上げにも参加させていただき、改めて二人の作家さんのファンになってしまった私だった。みなさんありがとうございました。(やぎ)

 
『天気』

今年は近来稀な異常気象だそうだ。観測史上はじめての暖冬だとか、雪が降らないスキー場だとか話題に事欠かない。その原因はなんなのか。地球の長い歴史のなかでは今どころではない異常気象もあったようだから、あまり急いで結論をもとめることには慎重であるべきだろうが、取りあえず、地球規模の工業化による地球温暖化は原因の一つと言われている。中国、インドなどの巨大人口国の近代化はますます急速になり、地球温暖化が一層進むに違いない。九州の南部沿岸には、大陸から黄砂ではなくて、工場の煙突から大気中に排出された化学物質の微粒子が大量に飛来して、市街地の空気がボーとかすんでいるという。もちろん中国本土の都市部でも大気汚染は深刻らしい。しかし、工業化や経済発展政策は中止されるわけはないし、多少の公害対策がとられても、事態の進行は変わらないに相違ない。あと100年もしたら世界はどんなに変化していることかと思う。たとえば海岸部分のかなりの面積が海没しているということが現実に起きているかもしれない。これはすでにさんざん言われている予測のひとつにすぎないが、いまやかなり多くの人は、その可能性が結構高いとおもっているのだろうが、それでも事態を変えるために動くことはあまりない。その日の米のことは気にかけても、100年後のために本気で動くことはとても難しい。(宮)

 
2007年2月23日
『東京マラソン』

先週の日曜日、東京マラソンがあった。市民ランナーも参加する大きなマラソンの第一回目だった。仮装して走るもの、プロのマラソン選手、家族、ボランティア医師団など様々な人が走っていた。市民マラソンはこんなにっ自由な雰囲気があるのだと実は初めて知った。マラソン=苦しいものと思っていた私にとっては目から鱗。走る人も応援する人も活き活きしている姿を見ることが出来、なんだか胸が熱くなってしまった。事件も多い最近だけど、人間の根本ではこういうお祭りが大好きなんですね。こんなこととか、芸術、文化にのびのびと打ち込める機会があれば犯罪なんかも減ってくるのじゃないのかな。(やぎ)

 
『ケネディ』

ケネディ暗殺から44年がたつが、銃弾発射の90秒前に撮影されたというフィルムが発見された、とニュースが伝えた。これまでに発表されたものの中で最も鮮明な映像だということなので、早速その映像が収められている資料館のホームページにいってみた。発表通りの鮮明なフィルムだ。何十年前のフィルムでも、ある時期以降のものは現在とあまり変わらないクリアな映像なので、何十年前という時間の感覚がなくなっている感じがする。臨場感が遙かに強い。見た後でこれが何十年前のものだと改めて考えて時間の感覚を認識しなおすのだ。変な対比だが、第二次世界大戦の記録映像は、いかにも遠くなった歴史を見ている感じがするが、「風とともに去りぬ」の鮮やかな映像はずっと強い臨場感をもって見ている。(宮)

 
2007年2月9日
『なにをすべきか』

政治家達が今日も国会でだれかを辞任に追いやっている。何度となく見てきた光景だが、何度見てもいやなものだなと思う。会社で不祥事があり、その指揮官だった人が責任をとって辞任というのはまだ納得がいくけれど、政治家が何か悪事をはたらいたようなことは別にして間違いをおこした時に何かの責任をとってとはいえ、なにがなんでもやめるべきなのか疑問が先に立つ。政治家だから多くの人に影響を及ぼすから発言にも私たちよりも気を付けなければならないのは確かだろうが人は生まれてから間違わない人は誰もいない。間違ってしまったことを指摘することはいいけれど、その人をボロクソに言い、やめさせるのは人としてなんだかさみしい。そういうことは最後にでもできることだ。本人が心から間違いに気づいたなら、気づいたあと、その人がする行動に注目したい。年齢に関係なく人の話を聞くことができる人はきっとその後、失敗を糧になにか大きなことをやってくれるかもしれないし、その後のその人をみる余裕は国にも国民にもないのだろうか。判断はそれからでも遅くない気がする。(やぎ)

 
『今年の多摩川』

通勤途上の電車の中から多摩川を眺めるのは、毎日の楽しみだ、と以前書いた記憶があるが、この頃の多摩川をみるともういちど書いておきたい。 今年も暖冬と言われているが、そのせいか、多摩川の川面も色が冬のではなく春のそれなのだ。にぶい鉛いろで、気温が高くてぼうっとかすんでいる空の色や景色に似合っている。そして、その日ごとの気温、雲のでかた、湿度のぐあいで微妙に川面の色が変化する。まいにち1分に満たない短い時間のことだが、楽しいひとときである。冷たい空気の中で太陽の強い光を受けて川面をきらきらと輝かせながら鮮やかな青さが目を射る真冬の多摩川をもうすこし見たいとも思うが・・・(宮)

 
2007年1月18日
『あけましておめでとうございます』

とはいえ、正月気分も抜けたころであろうか?ちなみに落語界では1月20日までがお正月らしい。なぜ知っているかというと友人が落語家の旦那様と去年めでたく結婚し、先日お披露目パーティーの場でそのことを聞いたからだ。はじめて生の獅子舞をみて感激した。ひとしきり舞台で舞い、「みなさんのところをまわります際に日本銀行発行の紙なぞを渡して下さる云々」と言うと客の間を縫ってやってきた。そういえば頭をガブッといってもらうと、厄がはらわれるとかいろいろあったよなと思う。友人の一人が千円を取り出し、みんなで千円一枚あげようかということになり、4人がそれに乗った。獅子がやって来て口に差し込むとパクパク上手に日本銀行発行の千円札をおいしそうに上手に食べてしまった。あちこちでそんな光景が繰り広げられ最後に獅子をはずしお辞儀をしたその人はなんとお金をあんなに食べたのに、こざっぱりとしてお金の匂いさえ端きれさえ見せずに立っていた。さすがプロ!今年一年良い年になりますように!(やぎ)

 
『小泉さん』

馴れ馴れしく小泉さんと書いたが前首相の小泉純一郎ではもちろんなく、発酵学者の小泉武夫さんのことである。面識があるわけでもなく、週に一度日経新聞紙上で「食あれば楽あり」を愛読しているが故に小泉さんといいたいのである。このコラムで取り上げる食べ物もそろそろ種切れになるのではなどと失礼な、いや余計な心配をしたこともあるが、どうしてどうして、このところはまた一段と快調のようで、相変わらず、週にいちど楽しく読ませてもらっている。私が好きなのは、たとえば、新鮮な食材や忘れられた食べ物を取り上げているときはもちろんおもしろいのだが、特別な店ではなくて町中にある蕎麦屋の丼ものなどをいかにもおいしそうに描いているときなどである。つつましく普通に暮らしていれば、体によいもの、おいしいものは実はいたるところにあるという単純な事実にもとずいていることが、わたしには共感できるところであるし、このことは、近頃ではやはり珍しいことなのだろうと思う。(宮)