ショッキングな書名から、本書は一体何を論じているのかと疑問を抱きつつ、しかし水村美苗さんの『続明暗』以来の信頼から読み始めたが、日本語や日本文化について考えるときにとても有益な議論が詰まっている作品であった。
インターネットで世界中が動いている現代、インターネット創設に関わったアメリカ英語が事実上世界共通語となっている。このことに関して著者の水村さんは言語を普遍語、国語、現地語の3種類に整理して考える。普遍語は過去にはギリシャ語、ラテン語、中国語、アラビア語などが該当するが、今日では英語が唯一の普遍語になっている。そして言語についてのさまざまな問題を検討して、日本語は現状のままのまま放置されれば、亡びると警告する。そして亡びないための方策を考えていて、英語教育と日本語教育が議論の中心に据えられている。英語教育、日本語教育のどちらについても著者は「書き言葉」を読むということが大事なのだとい立場に立っている。英語教育の場合には会話重視ではなく、英文の読解能力が大事である、と。
日本語の場合には優れた文章を読みこなす能力が重要なのだという。ところが、戦後の国語教育の現場では話し言葉と書き言葉を一致させることが追求されてきた。やさしい日本語である。著者はこの国語教育の方針を繰り返し批判している。著者によれば大事なのは書き言葉をきちんと読む能力を獲得させることだという。そして日本語の優れた文章は近代日本文学に豊富に存在している。だから近代日本文学を大いによむべしという。私は本書の分かりやす論理と主張になるほどと共感したが、著者は本書の地味な内容と論文調の議論、文章に大きな反響があるとは期待していなかったらしいが、予期せぬ反響があったそうだ。このちくま文庫版は、その反響を踏まえた文章を付け加えた増補版である。たしかに地味な内容、論文調の文章が続くが、読み始めたら面白さのあまり一気に読了した。
反響の最大のものは、著者は近代日本文学を高く評価しているのに、現代の若い作家の作品に低い評価しか与えていないことに対する批判だったそうだ。確かにそのような批判を受ける文章があったのは事実だが、著者は英語という普遍語の意味を問い、その力に向き合って日本語を読むに値する「書き言葉」として、どうしたら守ることができるかを考えて、そのための強力な手段として近代日本文学を取り上げたのであり、現代作家の文学を低く評価する意図はなかったと弁明している。
本書は日本語と日本文化を考えるときの重要な問題を、繰り返し訴えているが、たとえば夏目漱石の『三四郎』から読み取るべきことを著者の立場から指摘していて、『三四郎』の面白さを、明晰な分析によって再認識させられた。(文:宮)
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