日本と中国の関係は、1945年の日本の敗戦で一旦は区切られたと思うが、現在の日中関係の緊張は、明治維新以来の日中関係を引きずっている。しかも今日の緊張した両国関係が、明治維新以来の日中関係の経過ときわめて類似していることを著者は強く深く危惧している。戦前には昭和12年の盧溝橋事件から日中の全面戦争に拡大し、その泥沼から抜け出せない苦しい状況を解決するために、さらに大きな泥沼である太平洋戦争へ突き進んでいくという、とんでもない展開に至ったが、その原因を明らかにするべく著者は本書を書いたと思われる。
本書は、帝国と立憲という観点から書かれた本だが、テーマは近代日中関係史である。両国の間に朝鮮を挟んで歴史は展開するが、ある時期から中国を軽視し、まともに向き合おうとしなかった日本政府の中国政策の変遷を、帝国と立憲という二つの立場の交替に整理して記述している。しかし政党や政治家が、二つの立場をそのときどきの政治状況の要求にしたがって恣意的に使い分けるいい加減さも露わになっている。さらに近年の緊張した日中関係の危うさを憂えての歴史の再検討を行っていることがときどき記述に差し挟まれ、著者の問題意識、危機意識が伝わってくる。小川平吉、頭山満を引用しての近代日中関係の記述に少々の驚きと共感を覚えつつ読むことになった。たとえば盧溝橋事件のあと、日清戦争以来の中国軽視の軍人、政治家に不満を募らせ、維新後の木戸、大久保、下って伊藤、山縣の4人ありせばという小川平吉、頭山満の発言を引用したり、首相が近衛でなく宇垣だったらなどという箇所がそれだ。
読みやすい文章で書かれており、今日との類似意識すると、明治維新から盧溝橋事件をきっかけににはじまる日中戦争までの歴史が生々しい感覚で迫ってくる。(文:宮) |