宮下奈都さんといえば本屋大賞をとった『羊と鋼の森』(文藝春秋)でご存知の方も多いだろう。私も何を隠そうその時にお名前を知った一人だ。しかし経歴をみるとその以前からこつこつとこのお仕事を続けてこられた方のよう。
私は本を買う時、好きな作家のもの、読んだことのない作家のもの、そのときの興味と直感で選んでいく。結果失敗することも多く、途中まで読んで読み進められず静かに積読の山に載せる本も多い。この本は夏に読もうと選んだ数冊の中の1冊で、エッセイが好きな私らしく、まずは人となりを…と選んだ。なんの期待も持たずに読み始めたら…とにかく面白かった!
本書は宮下一家の北海道トムラウシでの一年を書いている。エッセイというと、あるテーマを元に一つ一つ完結する形で書かれるものがほとんどだが、これは、つぶやきであり、日記であり、日本の歴史の一部であると思った。一つの家族と集落の。きっとこの記録は宮下家の財産になるのではないだろうか。頭や、心に残っているものというのは本当にあやふやであり(口承伝承も間違って伝わったり忘れられたり)やはり書くということの効用はそれを越えるような気がする。あの時そんなことがあったのかと、今の自分がびっくりするようなことを感じ、考え、そして曖昧だった事実を知ることが出来るのが「書き残す」ということだろう。
宮下一家が住んだ北海道のトムラウシは山村留学を受け入れている小さな小さな集落。小学校と中学校は同じ場所にある。当然複式学級だ。先生はもちろんのこと、集落の大人たちみんなで子ども達を育てている。少人数のよさもあれば、そうでない部分もある。スポーツや、集団生活はその典型だろう。クラブ活動だって限られる。それに集落に高校はないから、高校に行こうと思うならトラムウシを離れなければならない。
住んだのは一年間。帰ると決めたのはしばらく暮したあとのこと。この限られた一年の中で子どもの集団生活問題、進学問題などを考える時がおとずれる。宮下家は戻ることを決めた。でもこの一年、宮下家の人々が、とても濃くていきいきした毎日を過ごしたのはあきらかで、私はその事実とその姿、そこに住む隣人たちと学校の先生たち、それぞれのやさしさに、なぜだか泣けてしまった。もちろん、個性豊かな家族と集落の人々とのエピソードと、時々それに突っこみをいれる奈都さんに爆笑してしまうシーンの方がはるかに多いのだが。
初めてトムラウシを下見で訪れた宮下さんの長男の一言。
「景色が『神』だよ」
そしてその言葉に、心から移住に踏み切れないでいた宮下さんは神か。神ならしかたがないな、と思う"と記している。
自分が行ってもいない場所で発せられたその一言。
それは奈都さんがトラムウシへの移住を心から受け入れた瞬間だったんだろう。この本を読んだらきっとみんなこの家族を好きになってしまうのではないかなあ。(文:やぎ) |