14歳の時から瀬戸内海の毒ガスの島(大久野島)で働いていた進一の一生、それは時の政府と戦争に翻弄された人生として始まった。それから敗戦、戦後の苦しい生活。そして毒ガスに振り回された人生の最後の時期に、こんどは被害者ではなくて、中国人にたいする加害者としての自分に気づかされる。そんな波乱にみちた人生を孫の世代に当たる子どもたちとの交流をとおして描いている。
戦争体験を次世代に伝えることの必要なことは多くの人が認めるだろうが、どのように伝えるかというだんになると意見が分裂する。戦場の残虐な行為を幼い子どもにストレートに伝えるべきではないと考える人がいる。この問題と並行して進んだ世代交代によって「戦場の残虐な行為」自体が取捨選択され、同時に抽象的にうけとめられるようになる。いまやほとんどの世代に戦争の直接体験はなく、「戦場の残虐な行為」は知識としてのみ存在する。戦場の経験者は90歳を越える人たちだし、空襲の被災者も80歳近い人たちしかいないだろう。時間の経過はいかんともしがたくて、戦場の実相、戦争の惨禍についての認識と感覚は知識と想像力にまつしかなくなっている。それに第2次世界大戦から遠くへだった現代に生きる若者にとって、戦争の悲惨さやまして日本軍の残虐な行為の謝罪を求められることなど、自分たちに関係ないことがらでしかない。今日歴史自体が再認識の対象にされ、歴史認識は政治問題化している。そして戦後ここまで時間が経過すると、声の大きい者の意見が優勢になったりする。しかし歴史を冷静に読み直せば事実は事実として認識するほかないこと、その基礎の上にしか歩む道のないことは明らかだ。こういったことがらをどのように次世代に伝えていけばいいのか。本書は瀬戸内海にうかぶ大久野島でおこなわれた化学兵器(毒ガス)製造に関わった14歳の少年と現代の14歳の子たちの交流を描くことで、日本人と戦争の関わりを考える物語にした。そして、そこから逃げ出すのでなければ、戦争との関わりは生きているかぎり続いていることを読者に伝えている。(文:宮) |