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「この本おもしろかったよ!」
1ヶ月に約1冊のペースで朔北社出版部の3人がお気に入りの本を紹介。本のジャンルは様々なので「本を買う時の参考にしてくれればいいな。」という、ひそかな野望がつまっているコーナー。

。本のジャンルは様々なので「本を買う時の参考にしてくれればいいな。」という、ひそかな野望がつまっているコーナー。

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ある老学徒の手記 
(岩波文庫)



鳥居 龍蔵/著

岩波書店


 本書は鳥居龍蔵の自伝である。明治3(1870)年に生まれた考古学、人類学、民俗学の先駆者で、学歴を持たない民間学者と言われている人。きわめて行動的で、探検家ということもできるし、今風に言えばフィールドワークの学者でもある。淡々とした筆致なので楽々と読み進められるが、エピソードのひとつひとつには本書には書かれていない面白い事柄がたくさんあったのだろうと思う。たとえば、明治40年6月には、生後70日の乳児と妻とともに1年半にわたる蒙古調査旅行に出発している。生後70日の乳児をよくも連れていったものだと思うが、旅行の細部は自伝には十分に描かれていない。内蒙古から外蒙古に入るときに厳しく拒否されたのだが、同行の護衛が諦めようとしたときに、鳥居は、自ら役人に対して「私たちは見るが如く幼児を携えここに来れり、貴下は喇嘛教の熱心なる信者ならん。何ぞ仏の慈悲心なきや、御身の手にせる数珠は何の用をなすぞ。」といって「オムマニオアトフム」(観音菩薩の真言の呪文)と唱えてみせたら、態度が急変して温情を持って迎えてくれたという。「ホント?」と言いたくなるが、とにかく乳児を連れて調査旅行を続けたことは事実なのだ。学校に行っていないのですべて独学であるが、外国語も必要と思えばそれなりの準備と労力をかけて体得している。フランス語で論文を書いていたし、蒙古旅行のときも親子3人通訳がいないところで用を弁じていたわけで、意志と行動力の強さ、大きさは計り知れない。
 数多くの海外調査旅行中に現地民の身体の測定をやったという記述が繰り返し出てくるが、文庫解説の田中克彦が言うように、現地民が外国人の鳥居に素直に測定させるということは、そういう気持ちさせる何かを鳥居が持った人だったのであろう。
 鳥居は、フランス語で論文を書いていたこともあって海外では高く評価さていたそうで、1921年にフランス・パリ学士院からパルム・アカデミー勲章を贈られた。しかし東京帝国大学理学部事務室に届いていたはずの勲章と勲記は、原因不明の紛失事件によって、ついに本人の手に渡らなかった。大学当局は真相究明をせず責任も取らなかった。奇怪としか言いようのない出来事である。さらに1924年には松村瞭の博士論文の審査をめぐって、大学当局と対立した。はじめ、鳥居は論文の内容に問題ありとして再調査すべきという指導をしたのだが、大学当局は専門外の学者を論文審査の主査とし、鳥居をもうひとりの学者(これも専門外)とともに副査としたうえで、元の論文のまま通過させるよう圧力をかけた。当時、鳥居は助教授として人類学の主任を務めていたのだが、この事件を機に東大理学部を辞任した。学歴は全くないが海外で評価の高い鳥居に対して、どんな風が吹いていたのか想像することができよう。
 1939年から1950年まで北京にあった燕京大学で客員教授を務めるなど、難しい時期の自由な行動が面白い。(文:宮)