「石田氏の大力作」 岩城宏之(指揮者)
指揮者になってから、五十年近く経つ。ぼくは、日本はもちろん、ヨーロッパ各国やアメリカ、オーストラリアでの指揮活動の最重点を、現代の音楽の演奏においてきた。どこの国であれ、これまで指揮してきた初演曲の数は、たぶん世の中の指揮者の中で、最も多い部類に入るだろう。
こう自負してきたのだが、石田一志氏の巨大な力作『モダニズム変奏曲―東アジアの近現代音楽史―』を読み出して、愕然とした。ショックだった。
今からでも遅くはない。「現代音楽に貢献してきた指揮者」という勝手な自負を取り去って、石田氏の新著にとことん取り組んでから、もう一度、世界の現代音楽のための指揮活動をやり直そう、と思うのである。
ぼくの指揮活動には、アジア諸国の作曲家への奉仕が、ほとんどなかったということに気がついた。強いて挙げれば、尹伊桑(ユン イサン)や譚盾(タン ドゥン)を熱心に日本やドイツで演奏したくらいで、石田氏のおかげで、ぼくは自分の指揮活動の大きな欠落を知ることができたわけだ。
石田氏の大力作に心から感謝する。そして、これから膨大に勉強しなければならないと、怯えている。 |
「いや、驚きました」 白秉東(ペク ヒョンドン・作曲家)
送って下さった原稿、じっくり読ませていただきました。いや、驚きましたね、国内の学者よりも詳しい内容ですし、よく整理されてます。ご苦労様ですとしか言いようがありません。一日も早く出版が待たされます。石田さんのライフ・ワークといえる著作と言えましょう。 |
「新しい視座」 池辺晋一郎(作曲家)
なければいけないのに、ない。あっていいはずなのに、なかった。多くの人が、ほとんど意識下でそのような欠落感を抱いていたところに颯爽と登場したのが、この著である。
まず、「東アジア」という切り取りかた。一般的な使用頻度は増してきているとはいえ、たとえば「東南アジア」や「中央アジア」などという地域名に比べたら、この用語の市民権の程度がまだまだ低いことは否めまい。まして、作曲の流れを核に、洋楽受容から現代音楽へ、というテーマを、日本のみでなく東アジアという広域の視点で扱おうとした例は、僕の知る限りこれまでなかったと思う。この著では、それらが時系列、地域、さらに作曲上の傾向あるいは主義という角度別に、整然と述べられている。著者が言うように、アジアの作曲家への関心が国際的に高まっているのが現代だ。誰かが、このような研究をまとめあげなければいけなかった。
まさにその点において。
その点において、石田さんこそその任に当たるべき人物であると僕は考える。現代音楽のエキスパートとして長い間寄せてきた関心の方向および実績、作曲家たちとのグローバルな交友、そして何よりそのDNA(あとがきのラストを参照されたい)などについて、石田さんを最もよく知る人間の一人だと自負するからである。
二十一世紀になって間もない今、前世紀を俯瞰する新しい風が時を得て颯爽と吹いた。
いてほしい視座に、いてほしい人がいた。
この著は、世界中で読まれなければいけない。多くの人が同じ思いを抱くはずだ。 |
「才能と生涯を賭けて」 松村禎三(作曲家)
石田一志さんとは、この十年来、日本とロシアとの作曲交流の活動を共にしている。国を超え、民族を超え、世代を超え、時には音楽の分野も超えて文化創造に励む人を友とし、信頼を寄せ、愛情を注ぐ彼の基本的な態度に接してきた。作曲家としての私も、たとえば中国の朱踐耳さん、饒余燕さんや韓国の李建繧ウんなど、アジアの作曲家たちと浅からぬ縁をもち、交友関係をもっている。しかし、本書を一読して、いまある彼らの音楽的背景、歴史的背景を、はじめて具体的に把握できた。とくに母国の自立と近現代化の苦難の途にあって、隣国の中国、韓国などでいかに多くの文化人や音楽家たちが彼らの才能と生涯を賭してきたか、いかに多くの音楽上の試行錯誤があったかを克明に知り、深く感慨にひたった。きっと、文化創造に向かう隣人たちを愛する石田さんの姿勢を、誰もが強い印象をもって読み取るに違いない。 |
「世界的な音楽評論家」 姜碩熙(カン ソクヒ・作曲家)
私と石田教授との出会いは二十余年前にさかのぼる。当時、彼は一人の日本の音楽評論家として活躍していたが、その後、アジアの代表的な音楽評論家へと変貌を遂げた。そして今、最近の文章を読みながら、彼が世界的な音楽評論家として更に飛躍したことを確信した。 |
「音楽の東アジア比較文化史」 芳賀徹(京都造形芸術大学学長、比較文学・比較文化)
いま、音楽は文学や美術にもまして活溌に世界を馳せめぐってなっているらしい。とくに二〇世紀後半、あるいはその末近くからは、アジアの音楽家たちが、作曲においても演奏においても、往年の異国趣味をこえて、まさに新しい音を世界にひびかせているらしい。
石田一志氏のこのたびの著述は、東アジア音楽のこの「世界化」の過程を、一九世紀半ばの西洋の衝撃の下での文化変容にまでさかのぼって詳述している。作曲家、作品の具体名をあげての記述は、書物から溢れ出んばかりに充実していて、説得力に富む。
西洋「モダニズム」を追いかけ、追いこす日本・中国・韓国の音楽家たちの角逐ぶりは複雑にからみあって、切なくもすさまじい。それを一望に収めた本書は、音楽人間石田氏の愛執をこめて、貴重で眞新しい東アジア比較文化史の一冊となった。 |