白洲次郎については、すでに沢山の本がでいる。そのうちの結構多くのものは、白洲次郎の格好よさに着眼し、強調しているが、格好好さのなかみは持ち物や車や着るものであったりする。それを否定はしないが、格好よさは、
生き方や価値観や行動の軌跡でもある。しかし、どこに焦点をおわせるにせよ、他人の評価や目に囚われず、自由に生きてきた白洲の一生は、ほがらかで、楽々としている。したがって、それを表現しようとすると、いきおい行動は類型化され深みに欠けたものに見える。伝記は難しい。
本書は白洲次郎本人が書いた文章を集めたもので、彼を知るために恰好の素材である。文章は上手くないが、日本が占領軍の絶対的権力支配のもとにあった、敗戦直後の困難な状況のなかで、自分自身の考え方、感じ方をごまかさずに、言うべきこと、言いたいことを単純率直に書いている。たとえばビキニの水爆実験について、被爆した漁船員のあつかいについて、一番大事なことは怪我人の生命であり治療であるにもかかわらず、病院では東大病院系と国立病院系が縄張りをあらそい、外務省はアメリカと補償交渉をしている間、被爆者の留守家族のことを放置したことに激しい憤りをぶつけている。そして早速カンパを断行して家族に慰問金を贈った海員組合に敬意を払っている。
憲法や経済復興や再軍備や政治家の行動、出所進退について、五十数年まえの白洲次郎の意見が、こんにちの、我々が直面している問題について言っているように聞こえる。ということは、日本社会のさまざまな問題の解決について考えるとき、50年間、あまり進歩していないということかもしれない。(文:宮) |