1996年3月4日、イスラエルの15歳の少女バット・ヘン シャハクは、友人3人と共に出かけたところを、爆弾を体に巻いたパレスチナの青年の自爆攻撃で殺された。その日は彼女の誕生日で、友人とお祝いをするために外出した。
バット・ヘンの母親は、娘の部屋に入って、この本のもとになった日記を見つけた。
戦争とテロに明けくれする地域に生まれた子供であるバット・ヘンは、理不尽な出来事の連続に疑問をいだき、その思いを、表現力豊かな詩に書いていた。
平和を望む気持を書いた詩は、長さを気にせず気持をひとつづつたどって言葉になっていく。
詩の一篇を通して読まないとその真価はわからないと思うのであえて引用はしないが、四十五歳になった父親の誕生日を祝って書いた詩を読めば、バット・ヘンのやさしさと気持を表現する力を知ることができると思うので、ほんの一節を紹介する。
「四十五歳という分別のある年をむかえました。
…………
それでも、お父さん、あなたは、
分別を忘れることがありますね。
お父さんの中の
子どもがよみがえってくるのです。
くだらないことに夢中になりますね。
生きる喜びにあふれる子になって、
はしゃぐし、いたずらするのが
大好きな子になって、
傷つきやすく感じやすい子になって、
何にでも熱中する子になって。」
死ぬすこし前に書いた詩だがこんな調子でまだまだ続く。
バット・ヘンの平和を願う詩を読むと、平和教育のむずかしさということもかんがえさせられる。
しかし、とにかく、戦争とテロにあけくれする場所に生まれあわせる子供がおり、そこで殺されてしまったという現実があり、そのことを知る手だてとしてこの本がある。(文:宮) |