巻末の参考文献一覧をみると、新しい漱石論、漱石研究書が沢山あげられている。そのほとんどは読んだことがないし、正直に言ってあまり興味もなかった。幾度か読んできた漱石作品は自分なりにわかっているという思いがあったから。にもかかわらず、何かはずみで本書を買ってしまった。装丁が気に入ったわけではなく、装丁が変わったことに注目して店頭で手に取ってのである。
本書は講談社現代新書40周年を記念して、長年親しんできた杉浦康平氏のデザインを廃して、全くちがったイメージを持つ本になっている。デザイン一新の第一陣の記念作品の一冊として本書は企画され、「漱石と三人の読者」という奇妙なタイトルを持つ。
三人の読者とは、もの書きが想定するにちがいない、3種類の読者層のことである。もっとも「三人の読者」という表現は著者が大学院生だったときに、ある中古文学専門の学者が言った、「自分の書いた論文は、日本で三人の研究者がわかってくれればいいのだ」という意味の発言に端を発する。これは言うまでもなく自分の論文がわかるのは、三人しかいないということではなくて、自分にとってとても大切な三人だという意味である。
3種類の読者とは第一に「何となく顔の見える存在としての読者」、第二に、自分の予想だにしなかった読者で著者は「顔のないのっぺりした存在」といっている読者、第三に具体的な何人かの「あの人」。
こういう設定の下に、漱石の小説に対するかかわり方、考え方を検討し、さらに具体的な作品をとりあげて、3種類の読者と作品の読み方の関係を分析している。
著者は元来、作者漱石を相手にせず、その小説だけを論じる「テクスト論者」の立場に立っていると明言しているが、この本を書くときには「テクスト論」の立場をとらなかったとも言っている。
何だかむずかし気だが、とにかく以上が本書の性格を決めている諸条件で、ひとまず論旨を追うつもりで読み始めた。ときに反発も覚えつつ読み進んでいったが、具体的作品を介しての分析になってから、漱石の小説の読み方にもさまざまあるということを教えられ、面白くなってきた。さまざまある読み方に読者層の問題があることが納得できるように書かれている。このことは、現代における漱石観(高校における国語教材としての小説、たとえば「こころ」を通じて、若い読者が抱く漱石観)が直面している問題の性格を考えるうえでとても有効なようだ。そして、私のような古くからの読者は、また作品を読み返してみようかと思わされるのである。(文:宮) |