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胡同(フートン) 北京下町の路地 |
徐勇/著 |
平凡社 |
幅のひろい真っ直ぐな通りをそれてふいにあらわれた路地裏の、細い通りをはさんだ家並み。土塀、レンガ、屋根瓦、先ほどまでとはちがう素材で構成された、過去に遡ったような次元におちこみ、しばらく頭がぼうっとした。11年前に北京を訪れたときのことである。
同じような体験をした人は多いはず。最近では胡同を巡るツアーまであるというのだから、胡同の存在を知らない人の方がめずらしいのかもしれないが、それではあの、ふいに時間の歪みにさまよいこんだような感覚は味わうことはできないだろう。
『胡同(フートン) 北京下町の路地』が中国で出版されたのが1990年。私が北京を訪れたのは3年後の1993年だが、そのときすでに北京の胡同がだいぶ失われているときいていた。北京の市街化の流れはさらに加速して「撮影時に3000ほどあった胡同で、今残るのは、数百本だと思う」と著者はいう。
しかし、時代が変われば人びとの生活も変わるのであり、胡同が失われつつあるような事態は、さまざまな都市でくり返されたことでもある。生活が変わるということは人をとりまく環境が変化することであり、人が集まるところは、結局、常にうつろうものなのである。変わらずにありつづけるのは土地だけなのかもしれない。各時代の人びとの生活の記憶を何層にも積み重ね、その上にまた新しい建物をのせてをくり返しながら。
経済の発展に比例して失われている胡同。観光地として残される以外には、その流れをとめるのは難しい。本書は北京という土地の、時代の大きな流れに均されつつある一つの生活層を写しとった貴重な資料といえる。
しかしながら、本書をめくりながら思うことは、建物に染みこんだ匂いの記録といったものは、どうやったらとどめておけるのだろう、ということなのである。(文:京) |
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