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明治十年 丁丑公論 瘠我慢の説

福沢諭吉/著
講談社
(講談社学術文庫)
「丁丑公論」は明治10年西南戦争が終わって間もない頃に執筆された西郷隆盛弁護論である。西郷を弁護するということはすなわち政府批判を意味するから、この文章は当時の取締法である「讒謗律」の適用を恐れてすぐには公刊されず、福沢諭吉の死の直前明治34年初めに「時事新報」紙上でやっと発表された。
福沢は西郷の武力蜂起を是認している訳ではないが、維新直後の難しい状況の中で、在野のさまざまな政府批判の動きに戦々兢々として、ともすれば力でおさえつけようとする政府のやり方に対する抵抗精神の発露として、西郷の行動を評価した。
福沢は10年前の薩長両藩による幕府批判・攻撃と、明治10年の西南戦争を並べて論じることによって、政府の正当性の問題を提起しているのをはじめとして、明治維新後建設された新国家体制とその中での政治行動の評価について縦横に分析・評価している。
福沢は漢文脈のきびきびした文章を書いていて、読んで心地よい。西郷隆盛の評価についても、実にいろいろな角度から観察評価していて読者を納得させずにおかない力がある。
「瘠我慢の説」は勝海舟と榎本武揚を相手に幕末維新期の2人の行動(出処進退)を批判したものである。要点は幕府中枢の責任ある地位の政治家が、維新後新政府の高官に転じたことを批難したものである。
「瘠我慢の説」に拠って批難する福沢に対して海舟は「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与からず我に関せずと存候。」と返事をした。史上名高い2人のやりとりだが、この問題に関するかぎり私の共感は福沢に傾く。
ともあれ本書は、幕末明治維新の立役者たちについて、きわめて短い文章だが自由な精神をもって、その行動を活写し、明快な評価を下した1冊である。(文:宮)