王様の耳はロバの耳 2001.11
〜秋も深まり〜
2001年11月27日
『懐かしの!!』
懐かしさのあまりに財布の紐がゆるゆるになることは、世間一般にあることなのでしょうか?子供の頃によんだ、マンガ、絵本、実家に帰って探せばあるのかもしれないけれど、店頭で見かけ「いや〜ん、懐かしい」と思わず買ってしまう。大昔流行ったキャラクターグッズ(ノートとかね)を見かけ、使うあてもないのに買ってしまう。意外とキャラクター物が廃れないのは、そんな風に買う大人が多いからなのか?
さて最近、CMを見ながら、まんまとその「懐かしい衝動買い」に走らされようとしております。「ドラクエ4(プレステーション版)」です。流れてくるあの懐かしい音楽に心奪われて、CMを見るたびに、「買っちゃおうかな」と思ってしまう・…企業戦略に見事はまってるんでしょうね、私。みなりん)

『近くていいところ』

都内からほど近い場所にもまだまだ良い場所がある。先日友人達と連れだって藤野という場所に作家の作品の展示を見つつ、ハイキングに行こうという話しになった。京王線で高尾へ向かう。朝10時前にのった電車はすでに混み合っている。どうやらみんな山に登るらしい。途中で座れるかと思っていたが当てがはずれ…高尾に着き、JRに乗り換える。切符売り場を見ると人・人・人でごった返している。ならんで切符を買わなくちゃいけないかと思うとうんざりだ。連休初日の晴れた日混むのも当然かもしれないなあなどと考えていると、よく見もせずに列に並んだ私の目の先には京王線の切符の販売機が見えた。左の奥の方がJRの切符の売場だったのだ。人混みを抜けてJRの販売機の前まで行くとようやく一息。なんとJRのほうの売場は閑散としているではないか。
高尾から2つ目が藤野だ。藤野は2駅なのに電車は20分も乗る。高尾から230円の場所である。駅前の元薬屋さんに絵本の作家の方と陶芸作家の方の合作があった。陶芸家が皿を焼き、画家が絵をつけたものだ。私たちの会社で出した本からイメージした沖縄っぽい絵柄の他に今回は、新しい絵本のイメージを絵にしたもの、その薬屋さんの看板をイメージしたお皿、新しい絵本の原画が飾られていた。なんだかいい作品でなんともいえない満たされた気分になった。一度お店を出たものの、地図がないので途方に暮れてもう一度薬屋まで戻って地図を購入し歩き始めた。初めはなんのことはなかったのだが、その内に道が険しくなってきた。歩いているのは私たちだけかと思うほど静かな山道、結局すれ違った人は数える程しかいなかった。途中道が崩れていたりした場所もどうにか乗り越え5時ごろようやく山を出た。大人3人と子ども1人5時間くらい歩いただろうか。高い山ではないけれど落ち葉に埋もれた紅葉の山を人にじゃまされるとこなく堪能した。これが高尾だったら…と思うとちょっと身震いがした。近いいい場所。貸し切りの山でのんびりハイキングに興じたお休みだった。
(やぎ)


『常識と専門知識』
「リサイクル幻想」という本で、背中をどつかれた。いま日本で行われつつあるリサイクルの問題点が次々と説明されていて、文字通り目からうろこが落ちた。ゴミの分別回収のことも同様で、東京23区では「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」などというまったく無駄な作業をさせられていることがよく分かった。著者は言う。「すべて燃やすべきだ」と。
同時多発テロ事件で、自衛隊が出ていくが、イージス艦のことが問題の焦点になった。適確な判断を下すことは難しい。政治家は軍事知識がなくては務まらぬということだろう。知識と判断、常識と専門知識についていろいろ考えさせられる。
(宮)

『枯葉散る』
都会の公園では枯葉対策とあまり枝を伸ばさない(住宅街の中にある)ためのなのか、枯葉が付いた木の枝を切る作業が進められている。枯葉は大切な土の養分になるというのに。まあアスファルトの道路に降り積もった枯葉は土に栄養分を吸収されることなく風に舞いあげられて、吹きだまりとなって山のように積みあがってしまう。だから廃棄処分になるのも仕方がないことなのかもしれない。
こちらは田舎の枯葉の話…。
先週末、今年最後の紅葉を見に出かけたが、そこでは土の上をすべて覆い尽くすかのように枯葉が降り積もっていた。人間の手が加えられることなくその枯葉は時間をかけてゆっくりと腐葉土にかわり、また来年の春には栄養たっぷりの土に生まれ変わっていくのだろう。せわしなく流れていく時間をひとときだけ忘れられることができ、ゆっくりと自然の中で繰り返される営みを感じる1日だった。
(リュウ)
2001年11月20日
『神隠し』
神隠しにあった。なにがと思うかもしれないが本当だ。月曜日の朝、私は会社の鍵を開ける係りだったため、早くに出社した。3Fを開け、郵便物などを抱えながら4Fに上がった。荷物が多かったのでちょっと置いてから鍵をあけようと歩きながら手をゆるめるとなにかポトッとおちた。一番下にもっていたのがカードキーだったはずだった。おまけに蹴ってしまった。荷物を置いて床を確認したが見あたらない。そんな!なくなるなんて!一大事だ。この鍵は一枚なくなると、防犯のため全ての鍵を作り直さなければならないのだ。たった今落とした鍵がみあたらない。しかたなく3Fで鍵を所有しているSさんが出社してきたので鍵を借りて4Fを開けた。バックや財布を捜したがやっぱろない。しばらくして、エレベータで上がってきたIさんが中にこんなものが落ちていたとカードキーを持って出てきた。それが、私の鍵だったのだ。こんなことってあるのだろうか?つまりは私が鍵を落として蹴り、そのエレベータの数oの隙間からカードキーは滑り込みエレベータに乗り込んだのだ。それもエレベータは4Fにあったわけでもないのに…。よくエレベータの隙間に落ち込んでしまわなかったものだ。あるいみナイスシュート!しかしどんなふうに鍵がエレベータの隙間にシュートされたのか、ビデオがあったらスローモーションで見てみたい気がした。冷や汗とともに妙な感動を覚えた朝であった。(やぎ)

『納得できない!』

コドモのクラス(小学校1年)では「けんかをしてはいけない!」と担任教師(50代後半・女性)に約束までさせられているそうな。ちょっとでもけんかが始まれば「みんなで約束でしたでしょ?なぜ守れないの?」とヒステリックな大声で言われていた。たまたまそこに居合わせた私は、「けんかをしてはいけない!」という言葉、約束までさせられているのを初めて聞いた。
けんかになるまでにはそれなりの理由があり当事者同士でしか分からない様々な出来事があってからけんかになる。特に男の子はけんかして分かり合える部分もあり一種のスキンシップと考えている。最初から他者とのつながりを否定する教育をしていて大丈夫なのだろうか?さらに、中途半端にけんかの仲裁に入り担任の勝手な思い込みの勝敗を決めてしまうからさらに悪い。自分の目の前でだけの形だけのいい子を求め、事なかれ主義を全面に押し出してしまっている。そのかわりに子供達の中で歪みができて「先生の前ではいい子のふり」だけするようになっている。余りにも教師と生徒の間に距離がありすぎるような気がしてならない。
コドモが最近よく口にする「先生は何にも見ていないから…。」という言葉は本当に何も理解しようとしていない大人に対してのあきらめ言葉に聞こえる。でもそういうことがあったおかげで学校での様子を聞き、それについて話し合い、いろいろと見えてくる部分もでてきた。少し前の私だったら担任の話を鵜呑みにしてコドモの意見を聞きいれられなかったかもしれない。しかし、今は両方の話を聞いてどうしていけばいいのかという解決の糸口をコドモと一緒に少しずつ見つけていくことにしている。でも私は「けんかはしてはいけません!」という言葉だけは絶対に口にしない。
(リュウ)


『最近読んだおもしろい本』
最近、文芸春秋の新書をよく読んでいる。とくにおもしろいのは、21世紀研究会編のもので、わたしが読んだのは「民族の世界地図」「常識の世界地図」「地名の世界地図」の3冊。あと「人名の世界地図」がある。さら〜りと表面をなでるだけの、雑学本かなあと思いきや、けっこう深い。書く人の思い入れもちらちらのぞいて、読み終わったときには、ちょっとばかりわかった気になれてしまう。これを読み終えてから、海外のニュースがちょっとわかりやすくなった。(京)

新刊チラシ作成中。
みなりん)

新刊編集中。
(かわら)
2001年11月13日
『こたつのつかい道』
日に日に冷え込みが増し、寒さも本格的になってくる。今、頭のなかはこたつでいっぱい。早く買えばいいのだが、なかなか買いに行く暇がない。そうこうしているうちに春が来そうだ。寒いアパートに帰るたびにあぁこたつがあったなら〜と空想の世界に浸る。まるでマッチ売りの少女。今や、フローリングの部屋が増え、ホットカーペットな時代だが、木造屋の和室にはやはりこたつだ。しかも!こたつは人をあたためるだけではない技がある。半乾きの洗濯物や弁当だって温められる、逆に冷凍物を解凍することだってできる。布団乾燥機にも使えるかもしれない。火事を起こさないことを祈るばかりだ。今週末こそ買いに行くぞ。(かわら)

『11月13日』

今日は平成13年11月13日、「一切、いいさ」、と読みます。(京)


『豚汁係』
日曜日に学校、児童館、地域でのお祭りで豚汁のお店を出店した。少し肌寒いながらもいいお天気に恵まれて絶好の豚汁日和(?)だった。お祭りのテーマはゴミをなるべく出さないで分別するということで、お椀、お箸は自宅から持参もしくは出店した側で用意したお椀で返却してもらうというものだった。返却してもらったお椀と箸は洗浄後くり返し使うことになる。普段の生活でもゴミをなるべく出さないというのは手間と余分な時間がかかる。しかしそうすることにより少しずつ使い捨ての習慣がなくなっていく一歩となっていくことを願う。
毎年の恒例出店のため、慣れているお客さんは家へ持ち帰るためにタッパー(プラスチックのお弁当ばこ)持参の人もいる。次から次へとお客さんが来て目の回るような忙しさで時間の経つのも忘れてしまうほどだった。こんなに豚汁のそばにいたのは初めての出来事である。
おかげで家に帰ってからも豚汁の香りが体中に染みついていた…。
(リュウ)

『思いこみ…でもない?』
某テレビ雑誌の占いが良く当たる。
いつも今回(2週分)の運勢は?と前もって見るのですが、『健康運:胃と腰が痛む』などと書いてあれば、読んだ瞬間から、「何か胃が痛いかも…。あれ?腰も痛い」となり、『仕事運:仕事の能率が上がる』とあれば、バリバリ仕事をやりだしたり、『ブルーな日:○/○、一日憂鬱』とかかれば、何かやな事ありそうと一日中くらい気分になる。
そう結局は、その占いを読んで、その占いの方向に導かれてるだけの話で、当たってるわけじゃないのだ。
「なぁんだ」と思い、2週間過ぎてからその占いを見ることにしたら…これが結構当たっていたりするのでした。
みなりん)

『忙しい』
忙しさに圧倒されてはいけないと自戒しているつもりだが、まったく目まぐるしい早さで、いろいろなことがある。仕事には寧日なく追われっぱなしだが、住まいの近くの公園では7本のプラタナスが、涼風が吹くようになって毎日紅葉していき、葉が散り始め、いまはほとんど葉が落ちてしまった。朝の通勤途上で、右手に見えてくる公園に目をやり、毎日変わるその姿を味わうというよりは確認しながら歩いている。
昨夜(13日)はテレビを消して床に入ろうと思ったら、ニューヨークで旅客機墜落のニュースが流れている。テレビはテロの第2弾という前提で、つとめて冷静に伝えようとしていた。
日本航空と日本エアシステムの経営統合が伝えられ、経団連と日経連が統合して、略称はどうやらJBFというらしい。アフガニスタンでは北部同盟が首都カブールを陥落させた。そしていつの間にか11月中旬になっていて、相変わらず忙しくかけずり回る毎日を送っている。
(宮)

『雨の休日は…』

最近、睡眠不足で、気分がすぐれないと思っていた。久々に昼まで寝るか〜とばかりに金曜日の夜布団に入った。金曜日は一日雨だったので、さすがに明日は止むかなと思いながら…。しかし、朝起きると、外は雨。まだまだ止みそうにもなく、薄暗い。ご飯を食べて風呂にまで入ってまた寝た。起きると昼になった。着替えはしたものの、だんなはここ数日体の不調を訴えていてとにかく疲れをとるためにひたすら眠っている。本を読む、テレビをみる。そのうち又眠くなって寝ると今度は夜の10時だった。夕ご飯を作らなければと思って冷蔵庫を見るが殆ど食べられるものがない。今更買い物にも行きたくなく、ほんとうに、残り物でチャーハンとスープの夕食にした。そしてまた…とにかく眠った一日だった。一歩も外にでることなくひたすらだら〜と過ごし、少しはまた体にパワーが充電された気もするが、どうなのだろうか。そういえば朝方ゴミ捨てで10歩は外にでたかと今さら思い出す始末だ。(やぎ)

2001年11月06日
『新型こたつ』
寒さが本格的になりつつある。こたつを買おうと、家電売場をのぞいてみると、あるあるある。日本の文化だよね〜と見渡すと、なんと洋風ごたつなるものまである。低めのテーブルごたつに腰掛けがついている。楽な姿勢で足も暖められるという形。しかし、こたつ布団のすそをあげて「熱が逃げる」と怒られた経験の持ち主なら、これをみて眉間にしわを寄せることだろう。腰掛け用に改造されたこたつ布団とはいえ、どうしても隙間はできてしまう。熱は逃げ放題。こんなものに登場されては怒られ損だ。流行りものらしく、テレビでも紹介され、「掘りごたつみたい」と言われていたが、そりゃちょっと違うぜ。しかも畳の部屋に洋風ごたつを置いてご紹介。まるで文明開化まもない状態。和室にテーブルセットやらランプやらを置いているあの感覚。モダンといえば聞こえはいいがよく見りゃちんちくりん。文化も残したいし、機能もとりたい。なにもそこまでというアイディアだ。(こたつごときに憤慨している自身こそなにもそこまでなのだが・・・)(かわら)

『映像化』

最近、話題になった本を原作として映画化したりドラマ化したりというのが多い。でもその映像化があまりにも原作本に対する読者の想像とかけ離れていたりするとがっかりする。その逆もあり得るが…。確かにこの本は映像化したらいいなぁと思える本はあるが、原作本と映像化とのギャップの大きさは計り知れないだろう。また下手に映像から入ってから原作を読んでもピンとこなかったり、キャストの顔がちらつき、重ね合わせすぎて完璧に映像化されたものに想像を乗っ取られてしまうこともよくある。
…と言いながらいろいろなギャップの大きさを楽しむのも悪くない。
(リュウ)


『CDラジカセ』
ついにCDラジカセを買った。しかもただのCDラジカセではないのだ。MDまで聴けるのだ。すごいんだ。しかし実はわたしはMDがなんのことかよくわかっていなかった。電気屋の店員に「MOってなんですか、このMOって!?」としつこくたずねて失笑された。笑うことないだろうが。(京)

『紺青の多摩川』
毎日通勤途上で多摩川を渡るが、私はかかさず川面に目をやる。毎日ちがった顔をみせてくれる。雨上がりの翌日の晴れ上がった空をいただいて、川面が紺青に輝いているのは、めったに見られぬすばらしい眺めである。ふだんは、灰色にくすんだ色をしていることが多いし、大雨のときには茶色の濁流が走っている。広々とした周辺の景色とともに多摩川を見るのは楽しみなことである。(宮)

『パン工場の香り』
通勤途中にケーキやお菓子を焼く小さな工場がある。朝、そこからはなんともいえない甘い香りがただよってくる。どこかで嗅いだことのある香りだと思っていたら、学生時代の朝の香りだった。わたしの行っていた学校には自分たちが朝や昼に食べるため、また、買いたい人は家に買って帰るくらいの分のパンを作ってくれる工場があった。女子寮の隣に位置したその工場からは、朝起きるとぷーんとお菓子やパンを焼く香りがしていた。まさか町中でこの香りを嗅ぐことになるとは思いもよらないことだった。お菓子の甘い香りに少し古い工場の匂い。整備された美しい場所で作られるお菓子やパンのようにその食べ物の香りだけが引き立つ場所にはない香りだ。使い込んだ床、天井の感じ、流しの感じが目にうかんだ。少し汚れた、だけど機能的な場所。ふとこの香りを嗅ぐとそのパン工場のパンを食べたくなるのだった。うーんこの題材前にも書いたかも?どうやらこのごろ記憶力が年々悪くなっているようだ。はぁ(溜息)。(やぎ)

『アッという間に秋服』

季節の変わり目というのは、もっと緩やかなものだと思っていたのですが…急に冬がやってきました。数週間前までタオルケットで寝てた私は、冬物衣料をまったくもって準備していませんでした。そんなわけで、しまい込んでいた冬物を慌てて引っ張り出し、晴れた日の朝ぜ〜んぶ洗濯機に入れたのでした(クリーニングなんてもったいない、もったいない)。
そして夕方、乾いた冬物たちは、ほとんどが8〜9分袖になっていました。もちろん、丈も短めです。…今年の冬は何を着ようかな。みなりん)