王様の耳はロバの耳 2001.10
〜カラッとした風が心地いい〜
2001年10月30日
『メル友』
ひょんなことから、メル友が出来た。
知り合いのK社にパソコンが入り、メールの練習相手になって〜と頼まれたのだが、これが、これが結構楽しい。友人達だと、真剣になりすぎて、日常のなにげない一こまとかふらりと書けないのだが、このK社へのメールはなんだか力を抜いて、近況の報告をしあったり、週末の過ごし方とかを書いたりしている。なんだか、ほのぼのとして和む時間である。
(やぎ)

『雨の山登り』

先週の日曜日、大菩薩山嶺へ行った。雨に降られたが、そのおかげで紅葉した葉の色がかえって鮮やかにみえ、湿気を帯びた植物のにおいとあいまって、しっとりした山の雰囲気を味わうことができた。頂上へ向かって尾根を歩いているときは、寒いわ滑るわでちょっとしんどかったが、そのおかげで下山して食べたきのこ汁の美味しかったことといったらなかった。おかわりして店の人にあきれられた。
多少負け惜しみもあるが、雨の登山もそう悪くないと知った。自然相手のレジャーには必ず不安定な要素がある。しかし、多少条件が悪くてもそれなりの趣を見せてくれるのが、自然の懐の深さでもある。
(京)


『な、なんと!?』
学生の頃、怪談「雪女」を題材にラジオドラマをつくるという授業に出たことがある。役は「雪女」。代役だったが、演出指導は厳しい厳しい。雪のような冷たさとそれでいて、男(茂平だったか茂吉だったか)を魅了する艶のある声で演技しろとのたまう。顔の見えないラジオドラマ。声や音響で物語を表現しなければならない。焚き火の音はカセットのテープを手のなかでカシャカシャともむ。すると、焚き火のパチパチという音に聞こえる。古い木戸を開ける音や蓑を脱ぐ音、小道具を使い、「それらしい音」をつくりあげ情景を表現する。ただなぜか「ヒュゥゥゥゥ〜」という吹雪の音は、声でやらされた。あとでテープを通して聞いてみるとそれらしく聞こえるので、奥が深いといえば深いのだが・・・さて、ラジオ実習の話はさておき、この「雪女」、どう見ても雪深い地域、いわんや東北地方の昔話と思っていた。実際、雪女に惚れる男(茂吉だったか茂平だか)役は東北訛を披露していた。ところが、「雪女」の舞台はじつは東京の青梅だったという。著者のラフカディオ・ハーンの孫が残された文献から青梅と推定したのだ。数年前から雪女伝説もあり、青梅とささやかれていたが、青梅の関係者は「うちじゃあないよ」と否定していたらしい。。だれもが雪深いところだろうと思っていたが、青梅の町おこしにともないもう一度調査したところ、この度、青梅でまちがいなしとまとまったようだ。物語の背景に昔の青梅の情景を見ることができるなんてロマンだわぁ〜。しかし、一度はねつけたものに飛びつくとは、まちおこしにかける情熱に恐れ入る。(かわら)

『Zzz…』
「食欲の秋」もさることながら今年は特に「睡眠の秋」になりそうな気配。いくら眠っても眠っても寝たりず、何度遅刻寸前までいった事やら…。夜が長くなって体内時計もたくさん眠れるようにセットし直されている時期なのかもしれない。
いやしかし、逆にたくさん食べたから眠くなるのだろうか。卵が先かニワトリが先かと同じくらい難しい問題だ。
(リュウ)

出張中
(宮)

おやすみ

みなりん)

2001年10月23日
『購入』
「化石のような代物」と言われ続けた携帯電話(4年前に購入)をやっと買い換えました。ついに私もiモードなるものを手に入れたのです。とにかく安いが一番、今はやりであろう機種及び新機種には目もくれず、機能より値段重視の心で選んで買いました。
「あんまり売れないから値段が安いんだよね、こっちの方が○○もついてるし、○○ができるし・…(営業トークが続く)」
と店員に言われても、
「でも、この安いのでも電話はかけられるし、Eメールが出来るんですよね?」
と最低限の機能がついてりゃいいじゃんの姿勢を固持。
「それはもちろんですよ。でも、こっちのはすごいですよ。何てったって・…(営業トーク始まる)」
必死な店員を無視して、一番安い機種を、しかも○○○○カードのポイントで買う。
安かろうが、機種が古かろうが、新しい電話機を買ったことは、やっぱり単純に嬉しい。ウキウキしながら家に帰り、分厚い説明書を片手に、いろいろな機能を確かめつつ、設定をしようとするが、ほとんど出来ず、3頁で諦める。むっ難しい・…。
買ったはいいが、使いこなせないという、かっちょ悪い自分はイヤなので、ものすごいスピードでメールを打っている若者を横目に、がんばって指を動かしてメールを打つ28歳。がんばれ、私。みなりん)

『禁煙と英会話』

なにかの折につい言ってしまう一言ってないだろうか。私の場合、盆暮れはもちろん、仕事が一段落しただけでも、つい言ってしまう一言がある。それは「禁煙する」と「英語勉強する」だ。どちらも一週間以上つづいたためしがないのは無論だ(あ、禁煙は最長2週間だった)。しかしあまりしょっちゅう言っているので、思わぬところから「それ前もきいた」と、つっこみを入れられることもしばしば。学生時代友人になると、もはや聞き流されてしまうことの方が多いが、先日、メール友だちに「それ、前も書いてませんでしたっけ?」と書かれてちょっと反省。今度こそ本当に………。(京)


『将来の夢』
小学校の卒業文集にはさすがに書けなかったが、ひそかにトラック野郎に(自分がなることに)あこがれていた。北海道の農場からジャガイモとトウモロコシを積んで、北から南へ駆け抜ける。セントバーナードみたいな犬を道連れに、時にはわけありなヒッチハイカーを乗せて、なぜか運ぶ物はジャガイモとトウモロコシだけの女トラック野郎。列島横断を成し遂げたら、次は大陸デビュー。ここからもう運送業という概念は捨てている。拠点はオレゴン。そこの独身農場主と恋に落ち、今度はパートナーと荷物を運びながら(一応は運送業・犬も健在)、大陸中を駆けめぐる。「贋作・オレゴンから愛」をもんもんと構築、推敲していたが、幸い行動に移すことなく普通免許すら持たない現在に至る。日常のこまごまとしたことに煮詰まり、気持ちいらいらするとこのかつての、東映映画風味な夢絵巻を思い起こし、つかの間心を癒すのである。(かわら)

『サイクリングで高幡不動』
つい先日、友人ら3人で連れ立ってサイクリングで高幡不動にお参りにいくことになった。会社への行き帰りに毎日20分程度しか、自転車に乗らない私には、初めての自転車での遠出でわくわくした。当日は是政あたりから多摩川沿いをお天気の中気分爽快のサイクリングとなった。高幡不動でお参りして、鳴り竜を見て、河原でご飯を食べて、千歳烏山には6時ごろ到着。朝9時ごろに家を出たので、約9時間。車や電車で出かけるのとは違ういろんな光景が見られて楽しい日であった。うーんこうなると、自転車でいろんなところに出かけたくなるものだ。ああ、むずむずしてきた〜またどっかいっちゃうもんね〜。(やぎ)

『登山というより』
そろそろ山登り(というよりはちょっとハードなハイキング?)に最適な季節になった。昨年よりは早めに登らないと紅葉の時期が終わってしまうだろう。昨年はコドモと一緒に高尾山〜小仏峠〜陣馬山の経路を2回に分けて登った。子供にとっては初めてだし結構きついかと思ったが、意外や意外、私の方がバテて筋肉痛になってしまった。やはり若さには勝てないのだろうか。いや、靴が登山用ではなかったからだろう、という言い訳じみたことも考えた…。
だから今年は私の靴もちゃんと用意して、コドモの体力というより私の体力に合わせて、どこへ登ろうかなぁ?
(リュウ)

おやすみ

(宮)

2001年10月16日
『散歩道』
昼休みに雨が降ってなければ事務所近辺を散歩する。芦花公園脇に公団住宅があり、桜をはじめ樹木が生い茂っている。建設後30〜40年たって、すっかり落ち着いた雰囲気と、豊かな自然を味わえる。ところが、この団地が改築されることになった。高層マンションに生まれ変わるらしい。その準備で、団地内の樹木にそのまま生かすもの移植するもの、切ってしまうものなど、区別するテープが巻いてある。折角時間をかけてできあがった場所なのだが、それが丁度改築する時期になってしまうという何とも面白くないことになっている。(宮)

『……秋ね』

府中市に越してはや五ヶ月。アパートから最寄り駅までの道は、家家空き地、家、空き地。空き地にはススキがボーボーとはえ、道路にはバッタがビョンビョン飛び交う。草ッ腹の向こうを電車がコオオ────ッと通り過ぎるさまは、人をなぜか虚しい気持ちにさせる。緑が多いのは嬉しいが、この季節はなんだか淋しい。やっぱ秋だから?(京)


『ぼけぼけ〜』
日曜日、本八幡のとある手作りアートの展示販売をする場所に出かけた。話をしながら電車を降りる。エスカレーターをのぼり、切符を手に持ち、もう一つエスカレーターをのぼったところではたと、手に切符を持っていないことに気づいた友人J。見ると私もどこかに切符をなくしてしまったようだ。よりによって高い交通費だったのに〜。「えっ!」二人は慌てた。「戻っていい?探したい」とJ。私も見つけなきゃなあと思いつつ一緒に地下へと戻った。そこで見えてきたのは改札口だったのだ〜。なんと私たちはきちんと改札を通過していたのだ。切符をもっているはずがない。エスカレーターをのぼっているうちにそれを忘れ、おまけにその上に改札があると2人して思っていたのだからおかしい。一人ぐらい気付くよなあとひとしきり自分たちの馬鹿さ加減に大笑いしてしまう。あまりに大まじめに探した私たち。これからは注意深く歩かなくてはなあ。(やぎ)

『新宿ブラブラ』
前回のロバ耳で話していた「目」を先週割ってしまった。買ってから2年以上は経っていたので寿命だったのかもしれない。それにしても片方の目しか見えないのも不便なので久しぶりに新宿へコンタクトレンズ購入のためにでかける。
事務的にコンタクトレンズを作ってもらった後、ブラブラしようかなぁと歩き回る。いろいろなお店に立ち寄るがやはり仕事柄か書店が気になってのぞいてみる。大型書店は種類があり過ぎて見回るだけでも疲れる。この中から自分の目当てを探すのは至難の業なんだろうなぁ。逆にブラッと書店に立ち寄る人だったらタイトルとか書店の並べ方次第で手にする本も変わってくる。
若かりし頃だったらそういったことに惑わされ思わず買って後悔することもあったが、今は手にとっても中身を確認するまでは買えない。しかもこの頃は「絶対欲しい!」という欲求が無くもっぱら図書館通い。
でもこういった事って恋愛やその他のいろいろな場面でもこのことは当てはまるかもしれない。……
そしてこんなことを考えながら1人歩いていた私ってやっぱ変わりもの?
(リュウ)

編集中。
(かわら)

営業に出ています。

みなりん)

2001年10月02日
『にゃ〜』
肩があんまり凝るので接骨院に行ったら、頸椎症と診断された。首の骨がゆがんで神経を圧迫し、重度になると手が痺れたりするのだそうだ。私の場合、症状はあまりたいしたことはないが、完治するにはけっこう時間がかかるという。「え、なんで?」と思ったら、このたびの症状は運動不足と長時間同じ姿勢でいることが原因だが、そもそも姿勢からして悪いので、まずそこから治さなければいけないからだそうだ。「昔からず〜と、この姿勢なんでしょう」と先生にチクチク言われ、そういえば子供の頃、父親によく「姿勢が悪いっ」と怒鳴られ、背中に物差しを入れられたのを思い出した。しかし、親の努力も虚しく、私はいま立派な猫背である。数十年貫き通したこの背中、今さら変えるのは大変だにゃあ〜(ベタですいません)。(京)

『食品』

世の中の変化の早いこと、年をとるとついていけなくなる。茶髪。もっとも、女性は昔から髪を染めているし、化粧もしている。化粧といえば、江戸時代以前の日本では御歯黒などという、おかしな風俗もあった。そう考えれば茶髪も許せるか!しかし、御歯黒も茶髪もわざわざ見た目を悪くするだけだと思うが。
いろいろ変わっていくが食事については、自分の自由になる限りで子供の頃から慣れ親しんだ生活をしようと思う。これがなかなか実行することが難しい。材料自体が大きく変化してしまって、以前のままの物など売っていないのである。そういう毎日を過ごしているときに、こんな文章に出会った。

「首都圏に住む主婦から突然電話がかかってきた。『おたくのおミカンをわけていただきたいのですが』ヤバイ!と思った。『おミカン』がいけない。『まだ青いんですが、それでいいですか?』と言ったら『ひえーっ』と仰天して『一年中同じ色ではないんですか!』。ほら、やっぱり。こういう人が増えてきた。信じられない話だ。
『あのォ、玄米のとれる田んぼと白米のとれる田んぼは違うんでしょうか』と問われたこともある。…たった半世紀で人はかくも変わるものなのか。…これじゃあ農業の未来は絶望的だ。現代の日本人が食べているものの大部分は『食べもの』ではなく工場で製造された『食品』である。『食品』には旬も風土もない。」

大変長く引用したが、これは佐賀県唐津市に住む農民作家・山下惣一さんが読売新聞に書いたコラムの一説である。いたく共感しながら読んだ。全文そっくり引用したいが、それはできないので、興味のある人は是非原文(9/30朝刊)を見てください。
多勢に無勢、食生活ひとつとってみても世の中の流れに逆らって、自分の流儀を通すことなど、できはしないのである。
(宮)


『新刊宣伝』
この秋の新刊『うら庭のエンジェル』の編集中。小さな弟の世話をおしつけられて外に遊びに行くこともできずいつもしかめっつらな10才の女の子が、弟と一緒に小さな騒動をおこしたり、シングルマザーで奮闘するお母さんに協力しながら、ちょっとずつ成長し、ラストでは、同い年の友人ができてにっこり笑顔をとりもどすお話。いくら家庭の事情とはいえ、やはり10才といえば遊びたい盛り。エンジェルもけして、聞き分けのいい子ではなく、時には世話焼きな弟にうんざりしたり、お母さんにすねてみせたり、不満たらたらな面もあり、等身大なところがかわいらしい。そんな児童よみものがこの秋、朔北社から出ます。(かわら)

『大切な水』
今年の夏は危なく水不足になりそうだった。しかし、すんでのところで、断水にはならずに済んだ。この土曜日から友人たちと3人で日光にいってきた。11月には人手に渡る、友人のご両親が所有する別荘にお別れ旅行にいってきたのだ。当初4人で出かけるはずが、一人が病気のため突然いけなくなってしまった。何度も足を運んだ場所で殆ど不便はないはずだった。しかし、夜別荘に到着するとなんと、水が出ない!
慌てた私たちは持ち主であるNさんのお父さんに電話をし、水道の元栓を聞く。最近水道管から水がもれたことがあったようで、留守にするときは水道の元栓をしめるようにしているらしく、2つあるうちの1つを左にひねれば水は出るということだった。「なーんだそうか」と思ったのは束の間、どちらを回しても水の1滴も水道から出てこなかった。風呂はいつも近くの温泉に入りにいくのでいいとして、トイレはどうやって流すか?顔は?歯磨きは?料理はどうやって作る?といろいろと水を使うシーンが頭の中をよぎった。幸いなことに、外にある水道だけは元栓が違っていて水が出た。どうにか家の中にためておける場所があれば、トイレに使える。何往復もして、ベランダの階段を上り降りして、トイレ近くの洗濯機の洗濯槽の中に水をためた。その夜の献立はクリームシチューの予定だった。米はざるにいれて外に洗いにいく。野菜も先に皮をむき切ってから外に洗いにいった。水をお鍋にため、野菜を煮る。鶏肉をいれる。煮えた頃ルーを割り入れた。はじめはどうなることかと思ったが、どうにかなった。テレビやストーブはあるのに水が出ない家にいながらの不思議なキャンプ生活。
しかし明日はどうしようか考える。昼間は出かけるので問題はないが、夜戻ってきてやっぱりトイレ用に水をためなければならない。よりによって翌日は夕方から雨の予定だった。同じ水汲みでも雨の夜中に外への水汲みは(階段を降りて)つらい。外の水道から、せめて台所のシンクまでの長さのホースがあればということになった。ホームセンターは夜7時までやっていることを確認し昼間は戦場ヶ原を歩き、その後立ちより湯につかり、ホームセンターには7時ぎりぎりに到着した。10メートルあれば足りるだろうということで、一番安い10メートルのホースを買おうとするが、隣に2500円弱で10メートル巻き取り式のの器具もついたタイプのものが目についた。Nさんはいろいろ説明を聞きつつ、それを購入。微妙に水道の口にはまる太さか心配する。そして長さは測ったわけではないので、一かバチかの勝負だ。もし長さが足りなかったら…、もし水道の口に差し込めなかったら…不安だ。
その後夕食の買い物を済ませ、東照宮のライトアップを観、別荘に戻ったのは10時近かったか。まず、水の確保のため水道へホースの取り付け、部屋の中へとホースをのばす。微妙にホースが足りないかもという声。水道から台所のシンクまでの最短距離を探す。最悪は部屋のどこかで水を出すのもしかたがないかと思う。しかし「そっちたるんでるとこひっぱって〜」という声に反応してホースをたぐり寄せるとなんと、シンクに届いて少し余裕の有るぐらいの長さがあった。「水出すよ〜」「出た〜?」「まだ出ない」「出た〜?」ジャーザザー「ひゃ〜、みっ水が出た!家の中で水が使える!」最高なことにちょっと高めのその巻き取り式のホースの口はレバーを押せば水が出るようになっていて、水が流れっぱなしにならないタイプのものだった。一気に文明が家の中にやってきた感じだった。ありがたくて本当に嬉しかった。こんなふうに家の中で水がある生活がすごくなつかしい。感動していた。今まで一度も水に困ったことなんてなかったけど、なくなってみて初めていかに自分たちが豊かに暮らしているのかということがわかった。ついでにいうと、私たちはいろいろ工夫して、なければないなりに暮らすことができることもわかった。「私たちはなんだか今まで怠けて生きていたんだね〜」と興奮しながらしゃべりつづけ、この場所のお別れにふさわしく、思い出深い出来事が加えられたのだった。
(やぎ)

『相棒』
10年以上前からコンタクトレンズを使用している。このコンタクトレンズがなければ視力が0.1以下(測定不能)の私は現在の生活を出来ないと言っても過言ではない。両目で見ても半径2メートル以内でなければ他人の顔の判別が出来ないほどだ。
そんな大切なコンタクトレンズのことを私は愛称(?)で「目」と呼んでいる。使い方としてはレンズを洗うことは「目」を洗う。レンズがずれたときは「目」がずれた…などなど。他人が聞いたら不気味な話だろう。
そもそも最初にコンタクトレンズをはめたときは、あまりにも視力が良くなり過ぎて気持ちが悪かった。人の顔がよく見え過ぎて毛穴から小皺まではっきりと見えて、しばらく慣れるのに時間がかかった。しかし見えるのと見えないのが両方体験できるのは、いろんな使い分けが出来ることに気づき、今ではボーっとしたいときは「目」をはずし、出かけるときは「目」をつける。こんないい関係を続けている相棒にも欠点がある。
それは埃と乾燥に弱いことで、これから秋から冬にかけては私の悩みの種になるのである。
(リュウ)

おやすみ

みなりん)