王様の耳はロバの耳 2001.7
〜暑ーい夏の始まり〜
2001年07月31日
『労災保険』
テレビで見た労災保険の実態には驚いた。今更驚く方がおかしいかもしれないが…。企業が従業員全員にかけている保険で、保険料は確か年間1兆5000億円(もっと多かったかもしれない)にのぼる。このうち労災保険として支払われているのは、9000億円、3000億円が積立、3000億円がその他の経費だった。その他の中には、さまざまな施設建設や関係組織の人件費などがある。人件費のうち、組織トップの年収2500万円などというものを含む。関連組織は数十もあり、そのトップには官庁からの天下りが座っている。悪事を働いているか否かはともかく、保険をくいものにしているという点ではKSDと同じことだ。こんな組織、システムが一体どれだけあるのか。(宮)

『愛情のあるロボット』

知り合いから東映系の映画館で使える株主優待券をもらってきた夫とともに以前から話題の映画「A.I.」を観にいった。話題の作品だか、観る人たちの意見は賛否両論で、意外に面白くないという意見のほうが多く聞こえてきていた。しかし同時期に上映されているプログラムには、夏休みということもありどこも子ども向けの映画ばかりだったこと、期限も7月末まで。もう観るものは決まったようなものだった。話題になっている映画を混んだ劇場で観るのは好きではないので、土曜の朝一番をねらって劇場を訪れた。案の定、朝の映画はすいていてゆったり観られた。
この映画はロボットと人間が共存する未来の話だ。私にはつまらないものとは思えなかった。正直いってポロリときてしまった。ロボットたちの姿から私たち人間のエゴを目の当たりにした気がした。そしてさみしい気持ちになった。人間のエゴにより愛情と言う名のプログラムを植え込まれたロボットの心の叫びがなんとなく今も響いている。今は事実ではないかもしれないけれど、いつかこんな風な時代が来るかもしれないなとおぼろげながら思う。まず映画ほどリアルな人間のようなロボットを作るのは無理だとは思うものの、作るものそして壊すもの、いつの時代も変わらず繰り返されてきた消費の世界となんら変わらない世界を映画の中に見た。愛情のあるロボットがもし、この世界にできあがったとき、私たちはそれを心から喜ぶ日が来るのだろうか。それはちょっとこわいなあ。
(やぎ)


『セミの鳴き声』
先週末頃に少し暑さが和らいだ頃からセミの声が聞かれるようになった。それまでは私が気がつかなかっただけなのか、もしくはあまりの猛暑でセミもグッタリしていたのかは分からないが聞かれなかった。ミ〜ンミンミンミ〜やジージ−ジーを聞くと暑さがさらに増すような気がしてだるい。コドモは朝からセミでも捕まえるつもりなのか網と虫かごを引っぱり出してきている。
東京に出てきてからやたらとセミの声に敏感になっている。鳴き方も時期によって変わってくるので、ここ何年かは夏の終わりを感じるのもセミの声で分かるようになってきた。
まだまだこの暑さは続くことを証明してくれるかのように朝から暑苦しい声で起こしてくれるのだろう。
(リュウ)

『檻』
地元、東京スタジアムにて、先日スマップだかグレイだかのコンサートがあったらしい。昼前から駅は、若い子たちで溢れはじめていた。大半が10代、20代そこそこの女の子。露出度100%(すっぽんぽんではない)の格好という嬉しげな子もいれば、髪を逆立て、真っ黒い服、真っ青な口紅といういでたちの子もいる。そんな格好をするのも、あんな化粧をするのも、すべては今日という日、アーティストのため。あぁ、若いんだなぁ・・・と、買い物袋を下げたおばちゃんは、集団を横目にスタジアムとは反対方向のアパートに戻った。そして、夕方、再度の外出に駅に向かうと、突如スタジアム方向から「うっぎゃぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜!!!!」という、どどめ色な歓声が轟いた。
ボロロン・・・と楽器が鳴るたびに「うっぎゃぁぁぁ〜〜〜」。
アーティストが声を発するたびに「うっぎゃぁぁぁ〜〜」。
まるで、猛獣の檻。周辺の住民はさぞやかましいことだろう。くそ暑い日にこうも騒がれたらスタジアムに爆弾の1個でも投げ込みたくなるが、そこは理性で抑えていくしかない。このどどめ色の歓声に、飛田給の開発の明暗がかかっていることを考えれば、「うっぎゃぁ」も美声に聞こえるかもしれない。。。
(かわら)

夏バテ回避中。
みなりん)
2001年07月24日
『府中競馬場2』
近くで見る馬券売場は、とにかくでかい。ライオンズマンション一個分くらいありそうだ。ベージュピンクの壁面にJAの文字がはりついている。緑色の屋根がファンシーだ。デラックスだが生真面目で、建て替えたばかりの市役所みたいなかんじがする。二階へ直通のエスカレーターを上がる前に、屋台でうどんを食べた。すうどん二五〇円。けっこう、うまい。汁を飲みきって、いよいよ建物の中へ。外観から想像したとおり、中は明るくてきれいだった。入ってすぐのところに、JRの切符販売機みたいな機械がずらっと並び、反対側に回ると全面ガラス張りで、馬場全体が見わたせるようになっている。この日はレース開催日ではなかったが、新聞片手のおじさんたちが、大画面モニターで映している福岡競馬に熱い視線を注いでいた。一階にはファストフードのお店があるし、二階にはかわいい競馬グッズをあつかうお店もある。掃除もきちんと行き届いているし、全体の雰囲気は、小ぎれいでローカルなイベント会場なのだが、しかし、何かがちがう。若い女性の割合が極端に低いせいもあるが、それだけではないようだ。皆が皆、競馬新聞とエンピツを握りしめているからだろうか。それもある。しかし最大の違和感は、ここにいる人の多くが、なぜかイスに座らないことである。真横に備えつけのイスがあっても、あえて床に座る方を選ぶのは、いったいなぜなのだろう。(京)

『小泉首相』

サミットに出かける直前、参院選の遊説で余りの強行軍からか、疲労と夏風邪でダウンした。この人は体調が顔に出る人らしく、ニュースで見る表情でいかにも疲れているとか、とても元気だとか判断できる。首相になってからは疲労が出ている顔のときが断然多くなった。新聞広告に出ている週刊誌の見出しに「小泉首相重病説」などとあるが、これは、表情以外に何か根拠がある記事なのか。
昔読んだアメリカ政治の教科書にアメリカの歴代大統領の就任当時の写真と、数年後の写真を掲げて顔のやつれ方を比較している部分があった。大統領職というものは、これぐらい激務であり、心労の大きいものなのだということだった。ジョンソン大統領のベトナム戦争をはさんだ顔の変化は、とりわけ印象に残っている。
小泉首相も、これから先疲労の出ていない顔に戻ることは難しいのかもしれない。
(宮)


『真夏のフリーマーケット』
先日友人たちとフリーマーケット(以降フリマ)に参加出店した。何度目かの出店で正直いって私には売るものがあまりなかった。しかし、場所は東京スタジアムだし、人数も6人以上だし、前回は丁度屋根の有る場所だったのでまあ大丈夫だろうくらいの軽い気持ちでのぞんだ。
夏の暑さは気になっても、屋根が有る場所という私たちの思いこみにより、日焼けにはまったくもって無頓着な格好で挑んでしまったのだ。しかし、今回はなぜか、屋根のあるところからもうひとまわり外周が店を広げる場所として与えられたのだ。朝の8時に駅前に集まったものの、すでに35度はゆうに超えていたであろう。この炎天下、屋根もない場所でもっとも日差しのきつい正午を越え、さらに4時まで店を開くのだ…。みんなちょっぴり頭をくらくらさせながらも商品を並びおえ、いざ開店。
しかしこの暑さであるなんだか客足も鈍い気がする。お昼を過ぎた頃から若者の姿もちらほら見え始めた。飲み物を片手にお客さんに声をかける。目玉はNさんのもってきた中華なべのセットである。一度か二度使っただけの新品同様。さらにプロっぽさも捨てがたい。しかしあんなに大勢に声をかけたのになかなか売れない。この暑さのせいなのか?確かに太陽にぎらぎらと照りつけられ中華鍋は素手でさわるにはあつく熱せられていた。ようやく日が少しずつ傾き始めたころ中華鍋は中華鍋を本当に求めていた人の手にわたった。ほしがる人にもらってもらえるのが、フリマでは一番うれしいものだ。どんなに自分には不必要になったものであっても大事にしてくれる人のもとにいってかわいがってもらえるのを確認できたときの喜びといったらないだろう。
その頃、友人たちの手や足、顔は朝は白かったとは思えないほど赤くなったり黒くなったりしていた。はっきりいってやけどに近い状態だったのではないかと思う。とにかく閉店の4時まで働いた真っ赤もしくは真っ黒な肌にお疲れさまをいいたくなった午後だった。しかし今後は真夏のフリマには万全を期して望まなければなあと思った。売上はともかくとして真夏の怖さを知ったという意味でよい教訓になったなあ。
(やぎ)

『暑い』
毎日暑い→昼間の暑さにやられる→やる気なくなる→疲れ果てて家に帰る→夜も暑くて眠れない→睡眠不足…という具合に悪循環は続き、暑さには何のメリットもありません。好きな季節は?と聞かれ、間髪入れず「冬」と答えられる私にとって、その対極にある夏の日差しは、苦手なんてものじゃなく、嫌いの分野に存在します。先日、昼間外出し、意に反して焼けてしまい、腕と顔のみ真っ赤になりました。その日の夜には、熱まで出てしまいました。どうやらかる〜く熱中症にかかったようです。何だがブルーな毎日が続いていきそうです。みなりん)

『ネーミング』
最近の友人との会話から−−−
友人A「バクスイ買ってきて。」
私「バクスイってよく眠ること?(造語で爆睡=ぐっすり眠る)」
友人A「違う〜!麦茶の名前なの。」
眠ることしか考えていない私も私だがそれにしてもなんていう商品名なのだろう。店頭に並んでいるのを見るまではどんな文字なのか予想もつかなかった。いったい誰が考えたのだろう。でも今までになかったインパクトと文字を見て納得し、感心させられる。
書籍でも商品名→タイトルというのは重要性を持っていると思う。いくら中身が良かったとしても書店でパッと見て惹かれるタイトルというのは誰にでもあると思う。個人的に言わせてもらえばタイトルとサブタイトルが長ったらしいのは好きではない。タイトルには書籍の全ての要素が組み込まれていると言っても過言ではないだろう。
ちなみに7/25発売の小社新刊は「キャンプ 日本軍の捕虜になった男」である。
(リュウ)

暑さに負けてロバお休み。

(かわら)

2001年07月17日
『クーラーのない生活』
二十歳を過ぎた頃初めて一人暮らしをした私の家にはクーラーがなかった。暑い夏は休みの日に快適な部屋でぼーっとするなどということとは想像だにできないことだった。昼間は山の手線にのり、本を読みながらぐるぐるまわる。眠くなれば電車にゆられながら眠るのだ。そして家に帰りたくなった自分の最寄り駅で降りる。私はその夏、山の手線をわがもの顔で利用しまくった。そして今年はまたその生活をなつかしんでいる。エアコンが壊れているのだ。今年は、天がそれを知ってか知らずか、なぜか6月から熱帯夜があった。最近こんなに汗をかいたのは久しぶりなほど毎日、朝起きるとぐっしょりとパジャマがわりにしていたTシャツが濡れている。夜にはいった風呂などはすでに意味のないものと化していた。シャワーでさっぱり汗を流す。なんだかそれだけでさわやかな気持ちになる。クーラーがなくても人はどうにか生きていけるもんだなと思う。でも早く直さないとただの部屋の飾りになっちゃうなあ(ブツブツ)。
先日会社の同僚たちと丹沢に登った。登り、又登りできつかったが、なんだか休憩の度に吹き抜ける風が本当にここちよかった。そして頂上の空気のおいしかったこと!翌日かなりの筋肉痛に悩まされたのはいうまでもないが、クーラーの涼しさとは別に、あんな清々しい風があったのを久々に思い出させてくれた。
(やぎ)

『もうすぐ楽しい夏休み』

東京ではほとんどの小学校で今週末から夏休みに入る。1ヶ月半も何して過ごすんだろう?と自分の子供の頃を思い出す。東京よりは半月ほど休みは短かったが、朝は家の庭でラジオ体操をし、その後小学校のプールへ通った。祖母と一緒に畑へ出かけてトマトやキュウリやナスなどの収穫をし、その後に食べるトマトがまた格別においしかった。家の周りが田んぼや雑木林ばかりだったから兄達と一緒に昆虫採集に出かける。裏の雑木林の木に蜂蜜を塗っておくとクワガタが寄ってくると聞いては木に登って蜜を塗りつける。半日ずっとアリ地獄の観察をしていた時もあった。田んぼのあぜ道を歩いていて蛙を丸飲みにする蛇を見て、ギョッとして立ちすくんでしまうこともあったが、外でしか遊べない遊びがたくさんあった。
横浜に住んでいるいとこが遊びに来たり、私もまたいとこの家へ泊まりに行ったり…。そんなことができるのも長期の休みならではかな?
塾や習い事もいいけれど小学生のうちはもっともっとたくさん外で遊んだ方がいいと思いませんか?
(リュウ)


『ロボット』
週末朔北人4名で夏の丹沢に登ってきた。久々の登山で只今全身筋肉痛。おかげで「アイボ」よりも歩みが遅い。所詮ロボットと馬鹿にしていたが、今なら彼らと心通わすことができそうなほどだ。でも早く人間になりたーい。(かわら)

丹沢登山での筋肉痛のため足に激痛。
みなりん)
2001年07月10日
『またバラが咲いた』
数年前に買った小バラの小さな鉢植えがベランダに置いてある。買ったときにはビニールのふにゃふにゃの入れ物に入っていたので、すこし大きめの鉢に移しただけで、あとはときどき水をやっているが、肥料をやるわけでもなく放ってある。その小バラが、今年も2度目の花をつけた。小さなピンクの花で、私にとってはベランダの美人みたいなものだ。実に丈夫な木で、このあと花がみち枯れ落ちるだろうが、しばらくたつとまたつぼみが出る。何度も楽しめるのである。バラがこういう咲き方をするものなのかどうか、全く知識がないのだが、何度ともくり返し咲く生命力に驚きつつながめている。(宮)

『激☆腹痛』

朝からかる〜くお腹が痛く、お昼も食欲がでずに、痛みも少しずつ増していったのですが、「まあ大丈夫かな」と、午後の会議に出席していた時のことです。途中からたまに声が遠のいたり、目の前くらくらするという現象が起き始めました。「ヤバイかも…」と思ったりもしたのですが、その後スーッと痛みが一時ひいたので、そのまま仕事を続けました。ところが持ち直したように見せかけ、マックスの腹痛はいきなりやってきたのでした。「お腹が痛いの」どころではなく、目の前は何度も暗くなり、座ってるのがやっとのこの状態、これはもう無理だと判断した時は、限界の半歩手前でした。引きつり笑顔で会社を早退し、やっとの思いで電車に乗り、半分這うようにして、家にたどり着き、それから2日半、ほとんど動けませんでした。何も食べられず、2.5キロ痩せました。辛かったぁ。みなりん)


『府中競馬場』
府中に越してきてはや二ヶ月が過ぎた。それなのにわたしはまだ一度も競馬場に足を踏み入れたことがない。競馬場はアパートから徒歩十分。土日ともなると新聞片手のおじさんが道にあふれ、人口密度がいきなり平日の十倍になる。競馬場はさぞ酸素の薄いことだろうよと、これまでは他人事のように眺めていたが、わたしだって府中の住人、競馬くらい観に行かなければ住民税を払う意味はないと考え、先週の日曜日、覚悟をきめて潜入した。
かなり緊張して入場したのだが、場内の芝生には家族連れやカップルがたくさんいて、拍子抜けするほどのんびりした雰囲気。あいにくこの日は競馬開催日ではなかったのだ。しかし競馬場初体験のわたしには、かえって幸いだった。新聞片手のおじさんのうずに巻き込まれて、平静を保っている自信は、今のわたしにはない。のんびりムードの芝生をあとに、わたしは馬券売場へとむかった。(つづきは来週)
(京)

7月の新刊一般書『キャンプ』。もうすぐ発売!「キャンプ」と言っても、いわゆる「キャンプ」ではない。日本に・・・東京に・・・こんな身近に「キャンプ」があった。そこで苦しい日々を過ごした若者たちがいた。新刊『キャンプ』近日発売!!(かわら)

『旗振り』
コドモが小学校に入ってから交通安全のために黄色い旗を振る役回りが回ってきた。1年にたった1回だけだがちょうど通勤時間と重なる。どうしようかと躊躇していると「働いていらっしゃる方でもみなさんにやっていただいていることなので…。」という地区班長さんの鋭いまなざしには勝てず、2本の旗を渡されて歩道に立つ。
意外にも楽しい!「緑のおばさん」って私の小学生の頃にいた人物を思い描きながら「おはよ!いってらっしゃい」の挨拶も交わす。遅刻しそうな時間にたらたら歩いている子を見ると「間に合う?」などと声をかける。1年に1日くらいだったら「緑のおばさん」もいいなぁ〜と思った。
(リュウ)
2001年07月03日
『漱石の夏やすみ』
「一個人」という雑誌で、「漱石の夏やすみ」の大特集が組まれている。カラーで二八頁。すごいぞ〜。(京)

『ハンバーグぢゃない』

一人暮らしをはじめて早2週間。まめに自炊をしている。食べごとが好きなせいか、料理をしていると気分転換にもなり、楽しい。先日勢いにのってハンバーグに挑戦した。とても親しみ深いメニューだが、実はまともな作り方を知らない。でも、あれとあれをまぜてこねて焼きゃぁいいさと、てきとうに作ってみた。挽肉と「つなぎ」の食パンを混ぜるまではうまくいった。問題は2個の卵だった。賞味期限ぎりぎりの卵。なんとか使いきりたくて、ハンバーグの「つなぎ」にと思いついた。割った、入れた、混ぜた。見事に肉が分離した。黄色い生卵の海を分離した赤い肉がぷよぷよと泳いでいるその絵はものすごくグロテスクだ。一瞬、これ食えるのか!?と本気で捨てようか迷った。しかし、腹に入れば一緒と割り切り、急遽メニューは肉入り卵焼きに変わった。出来上がりはハンバーグとはほど遠い上、こげ目をいっぱいつけてとても不細工だったが、味は、まずくなる一歩手前で卵2個分が効いて、絶妙だ。素材がよかったのか、調理の具合か。料理も生きものみたいねと感じたできごとだった。(かわら)


『梅雨』
6月末から真夏の暑さが続いている。梅雨明けではなくて一時的な現象らしいが、とにかく真夏の天気が1ヶ月早く来た感じがする。30度以上の気温と、不快極まりない湿度の高さ。電車に乗るときはなるべく弱冷房車にしているが、それでも朝ホームに降り立ったとき、全身をカッとさせる熱気がつつむ。こんな天気が続いたら果たして体がもつかどうかと自信がなくなる。アスファルトやコンクリートで固められた道路は照り返しがひどく、それこそ気温は40度を超えているのかもしれないが、木陰にはいると、風でもあればなおさら、気持ちが鎮められてる心地がする。
体が気候に敏感に反応するらしく、昨夜会った知人に「やせましたね」と言われたが、これ以上やせるわけにはいきません。(宮)

『夏にセーターを洗うなんて…』
冬の服をしまわなければと思いながらも、後回しにしてきた。いよいよ気温は35度をこえ、見えるところに毛のもの、温かそう(暑そうな)ものがあるとさすがに不快な気分にになる。夏物、冬物の2種の服が散乱していては涼しく暮らせるわけもなく、ようやく重い腰を上げた。2人ぶんのセーターとカーディガンの類はざっと十数枚にわたった。家には毛糸洗いの洗剤は持ち合わせていないので、私はよくシャンプーを代わりに使う。どこかでシャンプーでも同じように洗っていい、と教えてもらったような気もするが、勝手に思いこんで「髪の毛も毛糸も一緒だ〜」とまでに平然と洗っている。この方法はなんとなく香りもいいので実は気に入っているが、本当に正しいかは定かではない。ぬるま湯を流しにためて一枚一枚、セーターの押し洗いをすること数十分。汗をだらだら流しながらの作業になった。しかし、すべてをやり終えるというのはどんなことでも清々しいものである。洗っているうちに汗も気にならなくなってくる。すべてを室内に干しし終えたら気分が軽くなった。心なしか部屋の空気も夏へと変化していた。こんなに気分がよいことをなぜ今までやらなかったのだろう?毎年思うことだが、来年こそは早めに片づけてしまおうと心に誓う日曜の午後だった。(やぎ)

『自分もそうありたい』
一生懸命な人が好きです。人の評価を得るためだけのあざとい一生懸命ではなくて、自分をごまかさない一生懸命というのがいいなぁと思って…。すごくがんばってる人がいるんですよ。ポジティブとネガティブを繰り返しながら、一歩づつ前に進んで、絶対に自分と自分の信念に背を向けない人です。適当にがんばったり、何となくがんばったりは絶対しない、いつも一生懸命。本当にかっこいいなぁと思う。すごく好きだなぁと思う。この前、驚くほど肩を落として歩いているのを見た時は、さすがに心配になったけど、そんな後ろ姿も好きだったりする。それもがんばってる姿のひとつだから。(みなりん)

『あぢ〜』

すっかり空は夏色になり、やってきましたこの暑さ。私が初めて東京に出てきた夏も猛暑だった。新宿の専門学校に通っていたのでコンクリートの照り返しと人の多さの熱で水分ばかりとっていた毎日。さらに当時住んでいた家にはエアコンを取り付けられず(壁が全面コンクリートの為)寝苦しい。涼をとるためだけに友人のアパートを転々としていた。同居していた兄には「学校の宿題をやんないと…。」と毎日言い訳じみた電話をして怒られた。泊まるところがなくなると24時間営業のファミレスでコーヒーのみで朝まで粘った。とにかく暑さから逃れたかった。
今はさすがにそんなことはしないけれど、暑い夏がくるたびにその頃を思い出す。
(リュウ)