王様の耳はロバの耳 2001.5
〜いろいろな虫が活動を始める〜
2001年 5月29日
『荒川区長選挙』
荒川区町選挙は経費節約のため翌日開票されたとニュースで伝えられた。選挙の結果が半日か1日遅くなっても、ほとんど何の支障もないのに、これまで即日開票がどんどん広まってきた。この間のアメリカ大統領選挙のように、1ヶ月以上も結果が出ないこともあるわけで、投票が終わって休む間もなく開票に移るという即日開票にどれほどの意味があるのかと思う。荒川区のやり方でいい。隣近所の流行に惑わされず、無理のない(したがって余分な経費のかからない)やり方を採用すればよい。(宮)

『動物占い』

動物占いによると私は「黄色いペガサス」(ペガサスにも四種類あるのだ)なのだ。その特徴は「たくましくて、あたたかい人柄」。なるほど。いろんなところからブーイングがきそうだ。今さら人柄なんてかえようもないから、せめて胸板を厚くして「たくましい人」を演出しよう。(京)


『突然!』
ゴロゴローッと雷が鳴るようになると夏も間近だなぁと思う。それと同時に天気予報が当たらなくなると梅雨かな?と感じるようになる。そして予期せぬ雨が降るようになるとコドモが傘持っていっていなかったなぁ。濡れていなきゃいいけど。と次から次へと考えが巡っていく…。(リュウ)

『人は変化する』
いつもお世話になっている会社の人たちと何かの会合で一緒になり、遅くに行ったのであまり食事もできずに会場をあとにした私は、あまりにお腹が空いたので、わがままいって他の方々に食事につきあってもらった。普段はその会社の社長Aさんとは一緒になる機会が多くいろんな話をしたこと(してもらったこと)があるのだが、他の社員の人たちとご飯を食べるのははじめてだった。営業の話や会社の昔話、社内での悩みなど楽しく話ているうちに、社長のAさんの話になった。私たちは彼が好きだし、とても尊敬する人だ。Aさん達がまだその会社を作ったばかりの時の話だ。すごく会社の組織らしく運営していて、会社には必ずスーツにネクタイだったという話しに一同は「信じられない」「想像できない」と口々に言った。もちろんスーツ姿は想像できるのだが、会社は仕事をするところだ的な発想が目に浮かび、その姿が想像できなかったのだ。もちろん会社は仕事をするところだか、今のAさんを見るに会社は楽しむところだという気持ちのが見える笑顔で、いろんな人に迷惑がられても話かけているその人からは想像できなかったのだ。それが悪いという意味ではなく、人はどんどん成長するのだな。変わっていけるのだなということを感じて、なんだか嬉しくなった。その時のその人の姿は見たことはないが、その時のその人もその人を作った一部だ。それがその人の嫌な部分ではなくて、今のイメージとは多少違っただけだ。ますます私はAさんが好きになった。もちろん、友達を大切にしているところも、さみしがりやなところも、すぐ物をなくすけれど、素直にごめんなさいとか、ありがとうと声をかけてくれるところも。そして、その話を聞きつつ私は10年後、20年後の自分を想像するのだった。(やぎ)

『家さがし』
家賃3万円以下の物件。よほど辺鄙なところか、設備が整っていないか、そして「いわく」有りか。所沢市内2万円の四畳半一間で暮らしていた学生時代の先輩。上京仕立ての頃、ガスも電気も引いておらず、夜はろうそくを部屋中に立てて凌いでいたらしく、ふと気がつくと、部屋の隅に座敷わらしがいたという。2万円、風呂無しトイレ無し子ども付き。10年近く前の話とはいえ、あるところにはあるのだなという物件だ。出るのが家の守り主でもある座敷わらしでよかったとも思うのだが、やはり一緒に暮らす身としては精神的にきつかったらしい。そりゃ、相性が合わなかったんだねと同情したが、世の中には他人だろうが幽霊だろうが一緒にいても平気という人もいる。ある芸能人は、風呂場に必ず長い髪を残す女性の幽霊とながいこと一緒に暮らしていたという。部屋も人と同じで、第一印象・相性が大事と聞いたが、たぶんにその部屋に居着いている物との相性も含まれているのだろう。さて、
最近の社内の傾向にならってか、私も只今物件を探しているのだが、条件・相性と考えると、はたしてどんな部屋と巡り会えるか自分でも予想がつかない。そんなおもしろさと、ほんとにいいとこ見つかるかな?という不安を抱え、部屋さがしに奔走しているこの頃です。(かわら)

梅雨の準備中。

(みなりん)

2001年 5月22日
『電車通勤』
三年半ぶりに電車通勤をはじめた。片道四十分以内なら自転車通勤の範囲内だが、東府中から芦花公園までは、さすがに四十分ではきかない。「電車通勤つかれるでしょう」と人に訊かれるが、電車に乗ると、「こんな遠くまできちゃったな〜。もう戻れないね」という気持ちになり、仕事の呪縛が断ち切れて、ストレスが軽減されたような気がする。ただ何日か連続してお休みすると、電車に乗ってまで仕事に行くのが非常に億劫になってしまいそうだ。(京)

『匂いじゃなくて臭いです』

電車の中の迷惑行為は限りなくあるが、満員電車の女性の香水の匂いもその一つだ。私自身、香水が好きではないし、決してつけないけれど、「ほのか〜に香る」ぐらいだったら世の女性の身だしなみのひとつとしていいとは思っている。が、なぜか朝なのに、これから仕事に向かうであろうスーツを着ているのに、瓶1本かぶってきたんじゃないかという強烈な匂いを放つ人達が多い。本人達は素敵なフェロモンをまき散らしてるつもりなのだろうが、はっきり言って迷惑だ。朝からメチャメチャ気分が悪い。しかもそんな人達に囲まれたときは、匂いと匂いが混じり合って、とてつもなくデンジャラスな臭いになる。う〜ん、あの匂いを「いいねぇ」と喜ぶ人がいるのだろうか?疑問だ…。もうちょっと控えめにした方がいいんじゃないのかなぁ。(みなりん)


『準備体操の重要性』
先週のロバ耳でも書いたが今週月曜日から空手道場に通うこととなった。なにしろ全くの素人なので、礼から始まって次から次へと教えていただくことがたくさんあってとまどってしまう。礼も終わってさあ始めるとなるとまずは入念な準備体操。見学の時は簡単そうに見えた準備体操だが、いざ自分でやってみるとすぐに汗がたらたら出てきて「体を動かしている!」という実感が湧いてくる。柔軟体操が主で話によると体を柔軟にしておかないとケガを起こしやすいらしい。初日なのにきちんと「型」も指導していただいたが何しろ覚えることが多すぎて
その場は出来ても来週までには忘れてしまいそうだ。
翌日、てっきり筋肉痛になると思っていたのにどこも痛くない。それどころか体がすっきりとして動きも軽い。一緒に通うようになった友人もそれは同じだったようでお互いに「柔軟体操のおかげ」という意見に達した。どんなスポーツでも準備体操をしっかりする事によりケガや筋肉痛を起こさないという利点を持っているのだろう。
ロバ耳読者の皆さん、くれぐれも体を運かす前には準備体操をお忘れなく。(リュウ)
2001年 5月15日
『変化』
千歳烏山駅前にあった宝石店は、先日前を通ったら、工事中である。営業を始めて、1年か2年ではないか。同じく千歳烏山駅前の自転車屋は、工事どころか更地になっている。南大沢駅前のイトーヨーカ堂5Fの村内家具は閉店すると広告していた。商店は採算がとれなくなれば、さっさとやめないと、いたずらに傷を大きくしてしまうからであろう。
先日、少しばかり出来た時間を利用してひさしぶりにCD屋をのぞいてみようと足をのばした。ところが、新宿丸井の地下にあったはずの大型レコード店がなくなっている。どうやらときどき行くぐらいでは、めまぐるしい店の変化にはついていけないらしい。(宮)

『鍛える』

家の隣に空手道場があることを知り見学に行った。空手といえば「男のスポーツ」というイメージがあったが、最近では女性にも人気があるらしくその道場に習いに来る人の約半数は女性が占めていた。最初はコドモだけがやる気満々だったが、一般人も子供とは別の時間にやっていることを知り自分もやりたくなった。武道は体だけでなく、礼儀や精神面などでも大きな成長を求められるスポーツなので親子共々楽しめそうだ。残念ながら子供の入部希望者が多数いるため、コドモは予約待ちでいつ入部できるかも分からない。私はどうせやるなら「黒帯」を目指し来週より通うことになる。ますます女性(というより私?)が強くなる…。(リュウ)


『仙川と桜』
京王線仙川駅の改札を出ると、1本の桜の木がある。駅前開発に伴って、この木を切る切らないで、市と市民がもめていたらしい。結局、桜の木は、市民によって守られ、駅前のかっこうの待ち合わせ場所となった。仙川には中学高校6年間を過ごした母校があり、とてもなじみ深い地でもある。駅前の桜も記憶にあり、また母校も桜が多く植わっていたせいか、仙川というと桜のイメージが強く残っている。母校は、同じ敷地内に幼稚園から大学まであったため、校舎同様、桜の大木が至るところに立っていた。新学期を迎える毎に、敷地内の桜の大木を選んで、その前で記念写真を撮るのが恒例だった。
どの桜も樹齢が長く、どしりとした体格に盛況に花を咲かせていた。
いろんな地の桜を見たが、やはり6年間の深い思い出と共に、仙川の桜が私にとっては印象深くなじみがある。駅前の桜の木も仙川の門番の如く、いつまでもその場に立ち、昔なじみをあたたかく迎えてほしい。(かわら)

『思わぬハプニング』
土曜日に夫婦で吉祥寺へ映画を観に出かけた。千歳烏山から吉祥寺行きのバスにのった。しかししばらくしたら、バスは止まった。外を見ると数台前の車が横倒しになって倒れている。どうやら事故らしいのだ。普通の乗用車はその横をすり抜けていくのだが、バスは図体がでかいのでそれは不可能だった。アナウスが流れてしばらく停車するとのこと。どちらかというと千歳烏山に近い場所だ。
何人かの人が、これは時間がかかりそうだと踏んでバスからおりていった。お金は戻ってくるわけではない。少し210円が惜しくなりしばらく踏みとどまったが、どうにもこうにもいつになったら通れるかもわからにバスの中で、日に焼けているのはどうも嫌だった。「降りようか?」といい私たちは降りた。軽のバンは依然として横倒しに倒れている。あまりスピードの出せる場所ではないし、どうしたら横倒しになってしまうのだろうかと疑問が湧いた。事故にあった車に人はもういないかった。救出されたのだろう。車の前方がグシャッとつぶれているが血が流れるなどの様子はない。野次馬たちが集まってなにやらいっている。車の倒れている前のお店の店先ではおじいさんがぐったりした面もちで肩を落としている。幸いけがはないようだが、事故にあった張本人らしいことがまわりのようすから伺えた。どうやら車は電柱にぶつかっていったらしい。居眠り運転かはたまた、飛び出した人や自転車を避けるためにハンドルを切ったためか定かではないがスピードの出し過ぎでないことはわかった。そして死者やけが人が出ていないことには安心した。
ひとまず私たちは、別のところから発のバスでもいいから乗り換えて現地に向かおうと思っていたが、脇道の方が近いかもしれないとバス通りから離れて歩き出した。しばらく歩くと井の頭公園通りに行き当たった。さらに行くと川沿いがとてもいい感じの遊歩道になっていて、緑の森の中を歩いているようなところに出た。どうやら川沿いにいけば公園をとおり、吉祥寺まで出られるらしい。その遊歩道の脇にはすこし古びた、だけどなんだかいい感じの家々が建ち並びなんだか絵に描いたような休日を過ごしている気分になった。こんなすてきな場所が都会にもあるのだなあと感動した。そう、ここは国木田独歩も本に書いた武蔵野の雑木林なのだ。自動車事故で結局吉祥寺まで歩いて行ってしまったが、事故にあった人には申し訳ないくらいの貴重な、ハプニングによる幸運のときであった。(やぎ)

少し早めの夏バテ
(みなりん)
2001年 5月 8日
『ドライブ三昧』
連休中は、とある場所へ出かけて、ドライブ三昧の日々を送った。ドライブ三昧というと響きはいいが、実に移動、又移動の車生活という具合だろうか(もちろん夜はホテルに宿泊した)。どうせならシャワーやベットまでついたキャンピングカーとかならカッコイイのだが、私の運転したのはふつうの車だ。夫婦ふたりであまり車の多くない場所をひたすら走った。あるのは山、そして川、草原だ。ところどころには牛や馬が草をはんでいる。普段、自転車の生活を送っている私にとって車に乗るのはやはり緊張する。車に乗っていないからこそもらえたゴールドカード。ニセの勲章のようでなんだか辛い。今までレンタカーを借りて乗っても2日間とか、短い時間しか運転していない。去年友人と出かけた沖縄ではじめて連続4〜5日乗車を果たした。さすがに連続して乗っているとだんだん体がなれてくる。今回は丸3日車に乗った。
1日目は仕事の疲れも残っていたのと久しぶりの運転で緊張し、車をおりてからも調子がでず、頭がくらくらした。道も分からないし、カーナビを使ってもいまいち使いこなせない。一番左の車線にいるのに次々、右へ曲がれだの、次は左だの指示してくる。おまけにカーナビにたよりすぎて、地図を見なかったのが失敗だった。なんとなく地図を頭にいれてカーナビを使うといいのだが、地図も頭にないのにカーナビだと、先が見えずに不安になるのだ。こっちの方向に進んでいいのかさえ不安になる。不安だとイライラする。助手席の夫に寝ちゃダメだと釘を刺し、ちゃんとカーナビが動いているか、どこを曲がればいいのか指示するようにいった。
しかしイライラしているとうまくいかないもので、曲がらなくてはいけない道は通り越してしまうし、夫に当たるしで、おまけに「あんたも免許とれ!」ときたものだ。夫は内心「この旅はどうなるのだろうか…まさか最悪の旅になるのでは…」と思ったと後でもらした。しかし、馴れてくればこっちのものだ。道がすいているときにはあまり周囲に気を使わなくてよいし、道順を頭に思い描き、カーナビも夫にセットしてもらうとなにかに操られるようにスムーズに運転できるようになった。隣では夫もたまにうたた寝が許されるようになった。もちろん私は寝られないが…。ガムと飲み物、音楽、山、牧草地が目の前に広がっているのに眠くならない、眠れない状況は私にとって救いだった。もし、誰かの車に乗っかって移動していたなら、きっと眠りに落ちていたに違いない。いつも乗り物にのると寝てしまう私が起きているのは誰かとおしゃべりしているときか、食べているとき、運転している時くらいだ。そのせいでいくつもの風景を、光景を見逃してきたんだと思う。
車の免許を取って約5年、免許をもっていて良かったなあと思った。それから今後時間がゆるすなら焦らないでいろんなところを巡る旅行をしたいなあと思った。そしてカーナビのすごさも知った。普通地図だけしかなければ絶対行かないであろうあまり標識のない道へも私たちを導いてくれたのだ。ほとんど対向車にも、もちろん後ろからも車のこない舗装された道路。まさにマイウェイを突き進むといった具合なのだ。もちろんここが都会ではなくかの地だからであろうが、おかげで予定時間よりもいずれも早くに現地に到着できた。田舎の人は車ナシでは暮らせないというがその通りだろう。この道を歩いている人影さえ見えない場所がほとんどだった。しかし歩くよりも車に乗っていることの多かった今回、田舎に住み、車を足とする生活をしたら、私は間違いなく太ったおばさんになることは間違いないなと自覚したドライブであった。あまりのつたない運転に周囲の車にも迷惑をかけたかもしれないが、旅の恥はかきすててまた新たなるドライブへ私は誘われていくのだった。(やぎ)

『斎場』

年をとって、葬式に出ることが多い。昔の幡ヶ谷火葬場はいま代々幡斎場と言って、すっかり現代的に改築された。気候の寒暖に関わりなく快適だし効率的に儀式をさばけるのかもしれないが、代々幡に限らずどこの斎場も同じようなデザインであり、雰囲気だ。これが現代の斎場だと考えるしかないのだろう。改築前の幡ヶ谷火葬場は木造の古びた建物で、冬なぞは風が吹き込んで、いかにもわびしい気色であったが、掃除の行き届いた、あたりのすこし緊張した雰囲気は、決して悪くなかったと思うのである。(宮)


『おばさんになったのか?いや違うな』
新宿のルミネに、吉本の劇場ができました。音楽でもお笑いでもライブを見るのが一番好きなので、早速行くことにしました。「やっぱりライブ空間はいいなぁ」と思ったのも束の間、最近の若い子は、何なんでしょう?ライブの最中の撮影は禁止と言われているのにもかかわらず、フラッシュがバシバシたかれる(劇場スタッフもそんな奴つまみ出せばいいのに)。ネタの最中に「○○さんかっこいい〜」の声、ちょっとでもとちれば「○○さんがんばって〜」……。とにかく何でもかんでもキャーキャーうるさくて所々ネタが聞こえない。生で見て興奮する気持ちもわからなくはないけれど、そういうのは登場したときだけにしてほしい。あんなんじゃ芸人もやりにくいと思うよ。
まだオープンしたばかりだからなのかもしれないけれど、これから先、あのスペースでライブをみたいと思うなら、そういう常識を欠いた行動はやめるべきだと思う。その芸人の本当のファンだと胸をはって言うのならね(そういう行動ができちゃう人は本当のファンではないと私は思ってるけど)。次に行くときは、少しは改善されてるといいなあ。私を含め、不満に思ってるお客さん多かったと思うし、せっかく出来たあの場所で、この先もお笑いのライブを見たいから。(みなりん)

『無事に生まれてぇ』
新刊絵本の見本刷りが上がってくる。この時点での修正はもうきかない。最後の最後まで穴の空くほど確認し、納得した形で印刷所に渡したものの、できあがるまでは気が気じゃない。出来上がっても気が気じゃない。実は原稿手配から最終入稿までの全行程を担当したはじめての作品。ああ、もうどきどきです。出産間際の母の気分。(かわら)

『観光地の条件』
連休中、国内外の旅行だけでなく行楽地の混雑ぶりも毎年のように言われている。それなのに、混んでいてもその場所に行きたいという人間の欲望は抑えられないらしい。と言っている私も実家の長野に帰省した。ゆっくり実家でゴロゴロしていたかったが、「軽井沢に出かけたい。」と夫にせかされて仕方なく出かけることにする。
地元の人なら絶対に休日には近寄らない場所である。周辺道路は大渋滞、人の混雑、物価が高いと三拍子揃った場所である。さらに2,3年前には広大な駅付近の土地にアウトレットモールができてからは混雑も倍増しているらしい。考えただけでも頭が痛い。道路の渋滞に関係ないレンタサイクルを利用することにする。案の定、周辺道路は朝早くから駐車場待ちの車で埋め尽くされている。
そもそも何故ゆえにこんな観光地に来てまでショッピングをしたいんだろう?確かに休みの時しか買い物に出かけられないという気持ちは分かるけれど、わざわざ観光地でなくてもいいんじゃないのかなぁ?お手軽にいろいろなことが出来ることを欲望のままにしているようにしか思えない今日この頃。
都会にいたって渋滞が多いのに、わざわざ連休中に渋滞にハマリに来る人達。ストレスがたまるのも無理はない…かもね。(リュウ)
2001年 5月 1日
『引っ越しギャンブラー』
GWあけに引っ越しをひかえている。上京してから十年、これまで六回住処をかえた。全部が当たりの物件だったわけではないが、あまりひどいところに住んだ記憶はない。今度の住処はどうだろう。さすがに七回目ともなるので、決める前に、おさえるべきところは一通りおさえたつもりだが、こればかりは住んでみないとわからない。だから引っ越しはおもしろいんだよなあ。(京)

『親も知ってる親不知(おやしらず)』

今日から親不知の抜歯治療がはじまる妹。本人以上に緊張している私。顔を出していないものを抜くというのは、ようは肉を切って、根元からごっそりとりのぞくのだ。想像しただけで怖い。知り合いが親不知を抜いたときは発熱したという。ぁぁぁ痛そう。なぜ本人以上に私が緊張するのか。それは、20代半ばにして未だ爆弾を4個抱えているから。妹は10代にして親不知とおさらば。この年の差が余計に焦燥感をつのらせる。しかも私の親不知ときたら、たまにうずく(4本とも)。歯医者も言う。「親不知が出たがってますね」抜く?「様子見ましょう」。親不知も抜けばいいってもんじゃないらしく、抜く必要がない場合もあるらしい。でもいつまでも様子見ましょうでほっておかれるのも気が気じゃない。
ところで親不知とはどういう意味なのか。成人してから生えてくる歯、親が知らないうちに生えてくるから親不知と思われがちだが、どうやら違うらしい。広辞苑を引いてみる。
「親不知:@幼いときから他人に養われ、または孤児となって、生みの親をしらないこと。A波が荒くて親は子を、子は親をかえりみる暇もないほど危険な海岸B第3大臼歯すなわち知歯(ちし)の俗称。」
わかったようなわからんような。もっと詳しく調べてみる。
「平均寿命の短かった頃、子どもが成人した頃には親も亡くなることが多く、その頃に生えてくる歯は、親を知らずに生えることからついた名称」
「親が」ではなく「親を」知らずで親不知。今では、「親が知らないうちに」の解釈の方があっているような気もする。さてさて、こんなことを書いている今頃、妹の治療ははじまっているのかもしれない。しかし、知らないうちに生えてきたくせに、治療費は親持ち。「親不知」も改名時かな。(かわら)


『ゴキブリ』
何で、もう出てくるわけ?まだ4月じゃん。はやい、はやい。この勢いだと、全盛期にはすんごい事になってしまう。しかも、そのゴキちゃんは、照れ屋なのか、一度会ったきり姿を隠してしまい、今現在、密かに同棲中だ。願わくば、このまま姿を見せずこっそり心変わりをし、他の人の元へ行ってくれたら…。私は冷血漢なので、その方が幸せだよ、ゴキちゃん。(みなりん)

『モデルルームならぬオープンハウス』
会社の人たちが次々と引越のために動いている姿を目の当たりにして、私もなんだか引越をしたくなってきた。来年の3月末が今の家の更新日だ。どうにか今度は更新生活から抜け出し、心機一転引越をしたいものである。買う買わないは別にして、この1年でどうにか新居に引越をしたいと考えている。月々10万3千円。この金額か働いても働いても出て行く。この不景気な世の中で、いつどの会社がなくならないとも限らない。そうしたときに10万は、一人の収入では払いきれない。そこで考えたのは中古のマンションを一千万円代くらいで買えないであろうかということだった。早速住宅情報を買ってみると、あるにはある。しかしどれもこれも築30年くらいのものである。あきらめかけていたとき、家の近所で1900万円の家が(やっぱり築30年くらい)土日にオープンルームとして公開されるという張り紙を見た。「頭金200万円で月々5万円代のお支払い!」とある。これなら余裕で支払えそうだ。修繕費と管理費はあわせて2万円だが、7万円だったらぎりぎりいいかんじである。管理会社に電話するとすでに買う人が現れたらしい。まあこの値段なら仕方がない。しかし見に来てもいいですよと言う言葉に甘えて、冷やかしにいくことにした。1Fの角部屋、庭と物置付、3DK古いけれどちゃんとリフォームされたばかりで中はなかなか美しかった。窓も多く、風通しもいうことなしだ。庭はさびれていたが手を入れれば見られる庭になるだろう。私の妄想は膨らんだがここは売れてしまっている。
後日両親の住む市ヶ谷でもオープンルームがあった。たまたま遊びにきていたのだがすごく近所だったので見に行った。それはすでに予算を超える2千万円台のものだったが、見るのはタダなのでソンすることはないだろうと思い足を運んだ。71世帯の住む庶民的なマンションだった。中はこのあいだ近所でみたよりも高級な素材できちんとした仕事のリフォームが施されていた。床は防音仕様の2F、南向きの2LDK+納戸付の細長い家だった。細長いけれど、収納も多い。市ヶ谷は交通の便のすごくいいところではあるが、都会すぎて、食料品などを買うのにいい店がないのと、私が今の会社にくるのに遠くなる。ほどほどなのだが大きな買い物というのは(買うときめたわけじゃないのに既に買う気?)難しい。見れば見るほどこの大きな買い物の難しさを感じる。父親は引越魔なくせに毎回ちゃんと家を購入していた。なぜ、気軽に買えるのか不思議だ。父を師匠として、これから一年たのしく家を見て歩こうかと思っているが、それよりも先にお金をためなくちゃならんか…と我に返ったりする。いつかお金持ちになったらオープンルームじゃなくてオープンハウスやモデルルーム(新築高級マンション)を冷やかして歩きたい物である。それよりも理想は自分で建築家と作る家を作って見たい。ホントのホントの夢である。(やぎ)

『虫が住む畑は良い畑』
近所の児童館所有の畑にコドモと2人でお手伝いに出かけた。(自由参加)私は小さい頃から祖母の手伝いで畑仕事をしたことがあるので懐かしみが半分、もう半分は土をいじるのが好きなコドモに、どうやって野菜が実ったり花が咲いたりするのかを実体験を通して知って欲しいというのもあるのだ。特に集合住宅で住んでいるととてもじゃないけどベランダに野菜を植えて…なんて事はできない。
花や野菜の苗を植える前に、冬の間にかたくなってしまった土を掘り起こしたり石を拾ったり、やらなければならないことがたくさんあった。しかもほとんどが未経験の子供ばかりだからある者は別の花を踏んだり、又ある者は苗を植える穴を深く掘りすぎて花の葉の部分まで土に埋まってしまったりと後から直していくのに大変だった。でも自分たちで植えた満足感はあるだろう。これから2〜3ヶ月間はお天気でどうなるかで野菜も花も決まってくる。
個人的には花よりも実の成る野菜(きゅうり、トマト、トウモロコシなど)の方が収穫の楽しみがあって夏が待ち遠しい〜。(リュウ)