王様の耳はロバの耳 2001.3
〜花粉症にはご注意〜
2001年03月27日
『木はすごいなあ』
桜の花が咲き始めた。つい10日ほどまえに、近所の桜の木を見たら、つぼみのつの字もないぐらいのはげちょろりんだった枝。この桜の木をみていたら、周囲の環境が変わったことにいらだちを感じた。今年はもしや咲かないのでは?不安がよぎった。以前にその両脇には広々とした駐車場が広がっていたのだ。時代の変化と共に、そこにはマンションがたち日照時間が以前とはかわったからきっと今年は桜は咲かないのかもとさみしく木を眺めていた。
しかし、先週末にふと見上げるとなんとそのはげちょろりんの木の枝々にたわわに(?)桜の蕾がふくらんでいるのを発見した。すごい。すごすぎる。動かない静の中には脈々と動の部分をかくしもっていたのだ。木はすごいなあと関心した。生命力はあなどれんなあ。そして今は惜しげもなく花を咲かせているのであった。しかし花は花で楽しみその後に葉っぱが出てくるなんて美しい仕組みであるなあとこのごろ妙にその様子に関心している。(やぎ)

『花見』

今年は冬の終わりが花粉症の始まりだった。冬が少しづつゆるんで春になるのでなくて、一気に春になった。花粉症も一気に出てきて、うっとうしいこと甚だしい。桜も一気に咲き出したようで、都心と比べて2〜3度低温だと言われている八王子でも桜は咲き出した。
美しい季節だが図書館の仕事をしていると、3〜4月は年度末の仕事の追い込みで、例年時間の余裕がない。今年も同様で、どうやら花見どころではなさそうだ。自宅から駅までの道すがら、あるいは昼休みどきの古びた公団住宅の中の桜、さらに、車中から眺める多摩センターまでの桜並木など、せいぜい楽しむことにしよう。(宮)


『お別れ』
先週土曜日はコドモの卒園式でした。1歳2ヶ月から通い始めて5年という歳月を過ごした場所ともお別れです。登園し始めた当初は、コドモを預けて保育園を出ようとすると大泣きされて後ろ髪を引かれる思いを何度もしました。(まあ親の姿が見えなくなればケロッとして遊び始めたようですが…)
1クラス12〜13人くらいの少人数制で0歳児から6歳児まで合わせても70人ほどしかいないこぢんまりとした保育園だったからこそ5年間も通い続けられたのかな?と思う面もあります。保育園の良いところは歳の上の子は当たり前のように下の子の世話ができるというところで、コドモが小さい頃は年上のお兄ちゃん達に本当に良く世話をしてもらいました。(1人っ子のコドモにとっては良い経験だったのでは…)
人間として一番成長する時期にケンカもしたり、言いたいことも言い合ったりしたクラスの友達とは小学校が別々になります。地方ではあまり考えられませんが、都会と言うこともあって同じ保育園なのに入学する小学校は6ヶ所にもわかれます。みんな本当にバラバラになってしまうんだな〜。
5年の間にはいろいろな環境の変化もあって、仕事も変わったり(現在の職場に至る)、引っ越しも2度したり、保育園でも園児の出入りが激しくて新しい友達が入ったり、出たりとめまぐるしいような毎日でした。
そんな思い出を思いだしていたら嬉しくもあり、少し寂しくもあって涙ぐんでいると「わぁ〜〜〜ん!」と私以上に感極まって大きな声で泣くコドモが…。別れは誰にでもあってその時は寂しいけれど、また新しい出会いや楽しい出来事がたくさんあることを願って新しい春を迎えるのです。(リュウ)

『ちょっと寂しくなっちゃった』
事務所の窓から見える風景のあちこちが淡紅色に色づいている。またこの季節がきたのだなあ、としみじみおもう。小・中・高の学校の校庭には必ず桜の木が植えてあり、記念写真はいつもその木の下で撮った。風がおさまるのを根気強く待ったが、出来上がった写真には必ず花びらが幾つか舞っていた、ような気がする。あの頃は、ただ、きれいだなあ、すごいなあと、樹を、枝を見上げるばかりだった。ところが、今は、いろいろな思い出に重ねて見てしまう。記憶の層が年々厚みを増し、物事を単純に見ることが難しくなってきた。美しいけれど、ちょっと寂しく見えるのは、そのせいなのだろう。(京)

『宣伝』
春である。春から初夏、これからの季節にふさわしい絵本がもうすぐ誕生。タイトルは『ペピーノ』。少年とクマの小さな愛(いや、友情)の物語。オランダ生まれのすてきなおはなし。春、新しい出会いに胸ふくらませている人におすすめです。こぶりな判型なので、通勤鞄にも入る! 友だちと、家族と、恋人と、上司と、いっしょに読んでもらいたい作品です。(かわら)
2001年03月21日
『大泣き』
やっと引っ越しが全部終わりました。部屋は寝るところ所か、歩く場所もないような状態ですが、とりあえずは一安心です。東京にでてきて10年、ずっと同じ場所に住んでいたので、引っ越し当日、大家さんの前で大泣きをしてしまいました(大家さんも泣いてました)。会社からも、よく遊びに行く場所からも離れた所なので、もう行くこともあまりないけれど、一生思い出深い場所であることには変わりないんだろうなと思います。もう、あのアパートが自分の家じゃないというのが、なんだか不思議な気分です。(みなりん)

『にわかに母親になる』

たまに幼い子どもに母親と間違われる。背格好が似ていたり、服装が似ていると、気がつくとそばに子どもがいる。この歳になると、子どもがそばにいても違和感がなくなるので、あれっ?いつ産んだっけ?となる。しかし、逆に人違いをしたときの子どもの反応もおもしろいもので、顔を見て「母親と違う」と思うといきなり不安と恐怖が襲い、勝手に間違えておいて泣き出す子がいる。かと思うと「ぼくのお母さんはどこですか」と冷静に自分の起こした問題を解決しようとする子もいる。しかし、こういう時たいてい母親はすぐそばにいるもので「あんた、こっちでしょ」と引きずられていくのだが。子どもの目線は低いので、背格好や服装が似ていると、とっさの判断を誤ってしまうのだろう。私も幼い頃、フレアスカートの女性を見ると皆母親に思え、この人かとついていくと違っていることがしばしばあった。それにしても子どもばかりでなく、たまには若い男性でも近寄ってきてくれないかなーと、ふと思う。(かわら)


『ふとんがふっとんだ!』
タイトルからしてくだらない内容だとお気づきの方もいらっしゃるでしょう。3/20(春分の日)、外は天気も良く気温も上がりぽかぽか陽気だったが強風だった。
そんな中、友人達と自転車に乗って公園にでも行こうかというときだった。道路に巨大な「はんぺん」が落ちているではないか。何だろうとよくよく近づいてみるとそこにはシングルの敷き布団がデーンと落ちていた。その道路周辺には12階から13階建ての高層マンションがあり、どこからかは不明だが強風にあおられて布団が飛ばされたものと思われる。「いくら強風とはいえ敷き布団を飛ばすということはかなりの風が吹いていたんだね。」なんてのんきに話していたけれどその後公園で私たちも風の威力を思い知らされることとなった。
公園に着いてから芝生のある場所でおやつでも食べようかと袋から出したが最後、スナック菓子はバサッバサッバサーっと見事に中身をまき散らしながらアッという間に30メートルほど転がっていった。おかげで中のポップコーンがバラバラと芝生の上にこぼれてほとんど空っぽ…。あっけにとられながらもあわてて転がるポップコーンを追いかけてあっちこっちへと走り回る。楽しみにしていたおやつが〜!人の布団どころではないトホホ…な日だった。(リュウ)

『インフルエンザ』
インフルエンザにかかって寝込んでしまった。かなり高熱が出たので、このまま一人ぽっちで干からびちゃったらどうしよう、とめずらしく弱気になった。するとにわかに、押入の奥にしまい込んである、人に見せられない日記やメモなどが気になりだし、「これを始末せんことには、死ねん」と、ふらふらの身体で大掃除をはじめてしまった。症状は悪化したけど、「これで、死ねる」という妙な安心感を得た。(京)

『平和な日々と静電気と電化製品の故障』
最近めっきり暖かくなってきた。我が家は暖房器具が冬も半ばで使用不可となり寒さに堪え忍ぶ生活をしてきていたのでとてもありがたいことである。(早く直せばいいだけの話なのだが)唯一の暖房器具のこたつさえ手放せるほどの暖かさだ。季節肌で感じる今日この頃である。
電化製品といえば、なにか壊れると次々と故障するという騒ぎ?になったことが私にはあるのだが、先日週刊文春の室井滋さんの連載「すっぴん魂」の中で彼女もその話題にふれていた。最近昔にくらべて電化製品に囲まれて暮らしているせいなのか、体に電気をためてしまう人間が増えているのではないかと実感している。明かりをつけようとして電気の球がきれるのは序の口、ワープロは壊れるは、エアコンは壊れるは…、昔はそんなに静電気に悩むことなどなかったのに最近特に会社の中や町中ではあちこちで指先に電気が走るようになった。お店でのお金の受け渡しでさえ指先に電気が走る。そのレジの人は私のときだけそうなるのか、毎回そうなるのか聞いてみたい気がした。
あまり静電気で人と指先がふれあったときにビリビリッとしなかったころは、たまにそういうふうになると、この人とは何か縁があるのかも、きっとその合図にちがいないなどと勝手な伝説、メルヘンを作っていたがこう頻繁になるとそんなわけはないことに気付いた。室井滋さんは脱いだ上着から炎が上がったと言うから尋常ではない。それも火事には至らない不思議な炎。しかしなんだか機械に囲まれているうちに、まさか!という事件がこれからも起こるのではないかとちょっと、そら恐ろしさを感じた。真っ暗闇に浮かぶ静電気女や男が、体を発光させながら真夜中の町を徘徊する日もそう遠くはないだろう(本当か?)。(やぎ)

外出中。

(宮)

2001年03月13日
『頭の中はすっかり』
私は今バクチ打ちである。頭の中が、という話なのだが。先週から読みはじめた「麻雀放浪記」にすっかりはまり、いまや気分はバクチ打ち。「不幸じゃない生き方ってのは、つまり安全な生き方って奴があるだけだな。安全に生きるために、他のことをみんな犠牲にするんだ」なんてセリフが頭のなかを駆けめぐっている。
本当に面白い小説を読むと、主人公が自分の一部になり、読後もその世界からぬけ出せなくなってしまう。身体じゅうで作品を受けとめる、とでもいうようなこの感覚、年とともに少なくなってきているので、仕事に差し障りのない程度に楽しもう。学生の頃は、これでよく勉強が手につかなくなったっけ。(京)

『森首相』

森首相が事実上の辞意を表明したそうだが、これは具体的には総裁選挙を早めるということだそうだ。すったもんだのあげくの結末が、そういうことになったのだが、森首相は、国会答弁で自分はやめるなどとは全く言っていないと言っている。首相をやめると言うことと、総裁選挙を早めることとは別のことだというわけである。他方で、首相辞意表明のニュースは世界中をかけまわった。この度の自民党の動きと、決定を日本を含めた世界中のマスコミが、やめると解釈したわけだが、肝心の本人がこれを否定している。
閣僚や自民党役員の中に、自分の職を賭けて首相にきっぱりとした態度をとるように迫る人はいないのか。どんな事態になっても自民党の内部事情優先で、ことにあたる行動様式から離れられないとすると、日本の政治は本当に深刻な事態に陥っているといわざるをえない。(宮)


『思い出にひたる日々』
物に対する執着心が強い私の部屋は、荷物が多いのです。また、やっかいな事に「これ、何かに使えるかもぉ」と紙袋や包装紙やら、短い紐、針金、絶対に使わないであろう空き瓶まで取ってあったりするのです。更に、絶対みないであろう一人暮らしを始めてから(かれこれ10年)の光熱費の領収書を丁寧に取ってあったり、切り取ってから一度も見ていない新聞の記事や、雑誌の記事…とにかく、引っ越しを機会に無駄なものは「捨てる」ことに決めました。
最初は、順調に進めていたたその作業も、懐かしいものを発見してはひたり、「やっぱり棄てらんない」とゴミ箱に棄てる寸前で元の場所に戻し、結局全然進まず、物も減っていません。また、このまんまの荷物とともに、新居で暮らすことになるのでしょう。(みなりん)

『一日だけの帰省』
知り合いの結婚式で福岡に行った。土曜日に結婚式があり、せっかく行くのだからと月曜日に仕事をからめて2泊3日してきた。夫と二人日曜日になにをしようかと考えていたが、せっかくだからと佐世保にある夫の実家に顔をだした。受験を終えた中3の甥が久々の休日を楽しんで遊びにきていた。2時ごろ他の甥たちも遊びに来る予定だという。なにをするわけでもないが家族でくつろぎ夕方6時電車で福岡に戻る。明日の仕事を控えて福岡に宿を取ったのだ。朝早いので福岡に宿泊したいという私の希望である。見送りにみんなで連れだってきてくれ、発車の際に「バンザーイ。バンザーイ。」と見送ってくれた。そして極めつけはホームの端まで走って手を振ってくれた。いつものことながら、今回はたった数時間のことにそこまでしてくれる(楽しいからやっているのもあるんだろうが)甥が心からかわいいとおもった。そしておこずかいをくれる義母(はは)の温かい手のぬくもりを感じた嬉しいひとときであった。こんなにもう大きいのにね。おこずかいなんてね。(やぎ)

『大人の勝手な事情は分からない』
全てが正しくて間違いのない人なんて絶対にいない。でも最近のニュースを見ているとあまりにも極悪非道(ちょっと言い過ぎ?)な人が増えていることを感じずにはいられない。もちろん今までだっていたのかもしれない。ただこれだけいろいろな情報が入ってくるようになると増えたと感じてしまう。最近では子供を死なせてしまう親が逮捕されるという事件に特に関心を持っている。もちろん表面化しているのは氷山の一角で、実際にはかなりの子供がいろいろな形の虐待を受けているものと思われる。
何に対してそんなに苛立ち、自分より明らかに力の差が歴然としている子供に手をあげてしまうのだろう。よく「しつけ」という都合のいい言い訳が出てくるが、しつけのために食べさせなかったり、暴力を振るうことによって、子供本人が何がいけないことなのかを「自分で考える力」を奪っているのではないだろうか?もちろん大人の都合だけで暴力に走ったり、育児放棄はもってのほかである。親がどんなに苦しくて大変であるかは、別の考えを持つ子供に分かってもらおうなんていうのは大人の身勝手な甘えである。
ということを忘れずに私はコドモと一緒に成長していきたい。(リュウ)
2001年03月06日
『…』
仕事でも、プライベートでも、「あれもこれも」と考える事とやらなくてはならない事が多すぎて、頭の中はフル回転中です。そのせいなのか、違う理由があるのかは定かではないけれど、この間「13−4=?」という簡単な引き算が出来ず、計算機を使ってしまいました。そのちょっと前に、押入のサイズを測っていて、「奥行き」という言葉が出てきませんでした。
まだまだあるのですが、今すぐに思い出せません。疲れているのでしょうか…?(みなりん)

『見本ができた♪』

三月の新刊絵本「ぼくのりょこう」の見本が出来てきた! 内容もいいけれど、装幀がまたよいのだ。しかもオビは二色。これで1200円!! 安い!?(京)


『慌ただしい日々』
春は出会いと別れの時期。コドモが保育園を卒園遠足にはじまり、入学準備、学童クラブの説明会…等々しなければならないことが山積みで、毎日がバタバタしている状況になってきた。仕事でもこの時期は次から次へと仕事が詰まる状態が続き、しかも期限が限られていることもあって時間との勝負となってきている。
そんな中、突然の歯痛に見舞われて歯科医院に行くことになった。レントゲンを撮られると虫歯の下に親知らずが埋まっているらしい。麻酔を歯のまわりに3本も打たれ、とりあえずは虫歯の治療から。麻酔が効きすぎて口や舌の感覚が無くなり、痛みどころかどんな治療をされているのかさえ分からないくらい。とりあえずの治療が終わっても、麻酔が持続しているのでうまく喋れない。
歯科医にも何度か通わなければならず、余計な用事がまた1つ増えてしまった。(リュウ)

『旅行けばぁ』
旅に出ると体の調子がよくなる。肩こりや花粉症やらでくたびれきっていたが仕事を放り投げて青森へ飛んだとたんに疲れもどこかへ行ってしまった。初日はまず、午前中に青森市へ飛び三内丸山遺跡を見学し、市内をめぐって新鮮な魚料理を地元の居酒屋で食す。翌朝棟方志功美術館を見学後、陸奥湾沿いに下北半島へ向かった。この3月で廃線というローカル線に乗って北海道との海峡の里下風呂温泉へ向かう。今回のメインは終着点に温泉を抱えるこの廃線間近のローカル線に乗ることだった。翌日は船で陸奥湾を横切って市内にほど近い青森港に戻る予定だったが、あいにくの欠航で本州最北端の地大間崎まで行って来た道を引き返した。見たい歩きたいの煩悩に導かれ、点から点へのひたすら移動の旅だった。往路午前便、復路最終便で所要時間1時間という航空便の便利さゆえの時間のゆとりと日常からのこの上ない開放感のなせる技か、ノンストップでがっしがっし動きまわった。また青森は風土がよく、水と米と魚とリンゴが美味しい。都会に暮らす人間を魅了する要素をたくさん持っている。よく食べよく寝て3日間を過ごした。そうしてさんざん遊んで帰宅したら一気に花粉症がぶり返した。肩こりもお仕事開始とばかりに再発。再びマスクとサロンシップに世話になる日々である。(かわら)

『妖怪好きの友だち』
昨日めずらしく土曜日の代休で休みをとった。別段昼間はやることもなかったのだが、早起きし布団や洗濯物を干し、銀行のたまりにたまっていた通帳記帳などのために近所をぶらぶらし、部屋の模様替えをした。夕方から待ち合わせをし、友人Jとつれだって日本橋の高島屋で創画展に入選した友人Fの絵を見にいった。それも入選したFは専門学校で時間講師をしているので、今は春休みで家にいる。彼女も誘って3人だ。Fは「なんだか自分の絵を見にゆくのははずかしい…」といいつつ一緒にいくことになった。私は休みなのでFと先に新宿で待ち合わせてくだらないおしゃべりに花を咲かせつつ午後のティータイム(?)を過ごす。Fが以前から水木しげるが好きだとは聞いていたが、妖怪やお化けが大好きらしい。霊感も強い?ほうなのでさぞ楽しい日々をすごしているのだろう。そんなFに妖怪やお化けたちも太刀打ちできないのではというそんな気がした。そんなこんなしているうちにJとの待ち合わせの6時になった。絵をみて夕食。なんて充実した時間だろうか。それも夕食は焼き肉だった。
そして帰り道、再びお化けの話になった。Fはいろんなお化けの特長をいきいきとしゃべりながら、「すごいと思わない?」などと私達(Jと私)に同意を求めてくる極めつけは首が皿で出来ている女が井戸から出てくる話だった。妖怪やおばけの話がおもしろいというよりも彼女の様子(楽しそうな)を見ているとこちらまでへんな楽しさを覚えてしまった。いかんいかん。まっとうな道を生きなければと思うのだが、いったいまっとうな道ってどんな道なのだろうか。(やぎ)