王様の耳はロバの耳 2000.10 〜そろそろ紅葉の季節ですね〜 |
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2000年10月31日 |
『渋滞の空に星が輝くとき』(『暗闇に星が輝くとき』出版を記念して題名をつけました) |
先々週末行ってきました日光へ。別荘は売りに出されているのでこれが最後の日光かとささやかれての出発だった。その金曜日は会社の行事があったのにもかかわらず、人への迷惑も顧みず、後かたづけもせず(出版部の皆さんごめんなさい)9時半に青山一丁目を後にした。 夜10時に新宿で待ち合わせなのだが、ちょっと遅れそうな旨を新宿に住む友人に伝え電車で彼女の家に駆けつけた。しかし折からの大雨および霧などで視界が悪いらしく八王子方面から車でこちらに向かっている面々もじつは集合場所に到着できずにいたのだ。ひとまずその間に軽い夕食をすませしばしくつろぐ。夜11時近くになりようやくメンバーが揃った。うまくいけば午前2時から3時には現地に到着するかと思われていたが甘かった…。高速道路で事故があったらしく事故渋滞。待てど暮らせど現地に着かない。運転してくれているN君に悪いなあと思ったが私は眠りに落ちた。よだれまでたらしながら…。 しばらくして目が覚めるとまだ高速道路の上。みんな焦ってはいないので空を見上げた。そうしたら星が瞬いているのが沢山見えた。都会でみるより沢山の星。渋滞なのにちょっと得した気分。しかしやっぱりNさんの別荘についたのは午前4時ごろ。少し乾杯をしてしゃべっていたらカーテンの向こう側から明るい朝の光が漏れていた。7時起床の命令が下ったもののあと1時間ほどで起きなくちゃいけない。やばい。私の元気の素は睡眠なのだ。結局起きれず8時に起きておにぎりを握り出発した。いろは坂はやっぱり渋滞だったが、戦場ヶ原を歩き、川で水草を食べている野生の鹿をかなり間近に見ることができた。猿もみたし。350年目にして初めて一般公開されたという家光の墓も拝んできた。 しかしこの日光最後の(?)旅行で一番印象深かったのは通称「ぼったくりお」の存在だった。彼は某旅館で受付付近にいつもいる顔なじみのおじさんのことである。いつも私達がおじゃましているNさん宅の別荘からほど近い場所にあり温泉好きの私達はよく利用していたのだ。 いつも飲み物と小さなタオル付で1000円だった。ちょっと割高感がある。前回来たときに他の人が受け付けてくれたのだが、そのとき遠くから「ぼったくりお」が指を一本たてた。受付のその人は5本たてていたからなんか料金が二つあるんじゃないかと私達は噂した。しかしである、今回またしても「ぼったくりお」でない人が受付にいて「この近所の方ですか?」と問いかけてきた。「はい、住んでいるわけではないのですが別荘があり」とNさんがこたえると「じゃあお一人様550円で。あっ、4名様ですか。じゃあ一人500円でいいですよ」私達は心の中で叫んだ。あいつはやっぱり「ぼったくりお」だったのだ〜。風呂に入っている間もそのことが話題になった。もとはといえばぼったくりおは冗談で「今日は3000円とかこの飲み物は一人1000円」とかいっていたのでついた名前だったのだが、(実際には毎回1000円だったのだが)本当にぼったくりおだったのだ。今までの何回もの入湯料は本来の2倍払っていたことになる。飲み物だって本当はいらなかったんだから(一応飲んでいたけど)。 しかしその日旅館までの道すがら曇っていた空は別荘に帰る頃になるとまた晴れはじめ、高速道路でみた星を遙かに越える星が空にまたたいていて、天の川を仰ぎつつ、「ぼったくりお」のぼったくりを忘れるぐらいの気分になった。同時に、また再びこの地に訪れることがないかもしれないのでこの場所が私達に贈り物(有終の美を飾り)をくれたような気がしてすこし涙を浮かべてしまった。(やぎ) |
『カラフル』 |
私は決してアニメオタクではないのだが、渋谷を歩いてカラフルな頭の人を見ると「あ、ラ○ちゃんだ」とか「ミンキー○○みたい」などとつぶやいてしまう。ひと昔前なら、髪の色を変えるとすれば、金髪か茶髪がほとんどだったが、近ごろでは赤、青、緑、ピンク、紫、シルバーなど色とりどりである。まるでインコの羽のみたいだ。ひと昔前なら、脱色するだけで「特べつ」なことだったのに、今はその上に色をのせるのだから、歳月が流れの早さを感じる。ちなみに、私はいま「赤毛のア○」だが、そのうちベロ(「妖怪人間○ム」)のような青い頭にしようかなあ、などと考えている。(京) |
『それもまた人生』 |
めっきり寒くなりました。気分はもう冬です。が、街はまだまだ秋の装いです。私はとっても寒がりなので、冬のコートを着て、分厚い毛糸のマフラーをして、たまに毛糸の手袋も着用して通勤しています。と言いつつ実は、秋に着るような薄手のコートやマフラーを持っていないだけです。……秋の風だけではなく、財布の中身も寒い毎日を過ごしています。(みなりん) |
『小さなお祭り』 |
先週末「ちびっこまつり」なる保育園の行事が行われた。今年でコドモも卒園になるので最後だからやっとくかという軽い気持ちでお手伝いを引き受けた。しかし、これがまさかのハードな1日の幕開けだったのだ…。 ちなみに私は「わなげ」担当になり、各家庭でいらなくなったおもちゃを適当な量ずつに袋詰めされたものを台の上にばらまき、あとは順番で待っている子ども達に輪を渡すというなんともシンプルな内容なのだが、次から次へとやってくるこども達にチケットをもらい、輪を渡し、投げ散らかされた輪を集め、おもちゃを置く…(ずっと繰り返す)景品は何が当たろうとも結構楽しいらしい。1人で何枚もチケットを買い占めて何度も列に並ぶ子…。期待はずれのものが当たり、おもちゃ交換をしはじめる子…。年上の子が小さい子に頼まれておもちゃをねらう姿…。目が回りそうなくらい忙しくて、片づけが終わった後にはグッタリ…。こども相手にする事って疲れるけどすごく楽しいんだな〜としみじみ思えたのだった。(リュウ) |
『病院の待ち時間』 |
平日の午前中、総合病院を訪れるとそこは異次元である。待合室から廊下、トイレの中までじじばばで埋め尽くされている。ところどころに子供連れの姿を見かける程度。20代から50代というのはほとんどいないのだ。この異次元に飛び込めば自分がまだ若いということを否応なく実感する。そして周囲の視線も若いモンが来た、若いのにどこが悪いんじゃと言っている。若くたって病気ぐらいするわとベンチにどかっと座ると、若いくせにーと言わんばかりに老人がよたよたと席を譲れと突進してくる。空いている席に移るとまた視界によたよたが見えてくる。じじばばは時に病院を憩いの場、果ては社交の場のように捉え、歳も病気も感じさせないマシンガントークで盛り上がることもある。ベンチに4人並んで、娘のように会話に花咲かせ、おほほおほほとやっているので、友だち同士連れ立っての来院かと思いきや、皆初対面だったり。中には、眼科が終わったら次は皮膚科、そして尿検査もするのというように科をいくつも梯子するというように体のなかに異次元を抱えている人もいる。平日の午前、じじばばワールドと化した病院を訪れるのは診察を受ける以上に気力がいる。(かわら) |
2000年10月24日 |
『音痴な焼き芋屋』 |
焼き芋屋の「いしや〜きいも〜、おいも」という声が、録音テープに変わってしまったのはいつからだろか。焼き芋屋の声がして振り返ると、声とは全然違う若いお兄ちゃんが運転しているという事態がよくあるので、ちょっと寂しくおもっていた。ところが先日、えらい調子っぱずれの「いしや〜きいも〜」の声が遠くから聞こえてきた。テープがおかしくなってるのかな、とおもったが、「い〜し、あれ、いしや〜」などとやっているので、テープではないようだ。音痴な人なのだなあ、とおもわず笑ってしまったが、そういう個性(?)がおもしろいのだとおもう。音痴な焼き芋屋が通ったら、今度はぜひ買ってみよう。(京) |
『薪能の小感想』 |
新宿御苑で催された森の薪能を観にいった。野球のグランドぐらいある広場が何千という人で埋まっている。 |
『1日が1年?』 |
なまっている体をほぐすために、お弁当を持ってコドモと高尾山へ山登りに出かけた。最初からケーブルに乗ると後から「歩けな〜い。」とコドモに駄々をこねられては困るのでゆっくりでもいいから登りは歩くことにした。たかが4キロメートルとあなどっていた私だったが、急な傾斜が続く道は日常なまけている体にはこたえる。それに比べて普段よく遊び、体を動かしているコドモの足取りの軽いこと。体力の差は歴然としていた。 |
『ディック・フランシス』 |
新聞にディック・フランシスの妻の死亡記事が出ていた。ディックは妻が死んでしまって、これ以上小説を書き続けることができないかもしれないと言っていたと伝えている。 彼の小説は、派手なアクションがあるわけではないがありきたりの日常生活の断面を、さりげなく、しかし的確に描きながら想いもしない事件に巻き込まれていく人々を描く。説得力のある描写はトム・クランシーのように御都合主義の技巧に堕してはいない。ヒッチコックと共通の味だと私は考えている。(宮) |
書きたいことは山ほどあるけれど出かけなければ…。(やぎ) |
2000年10月17日 |
『ひみつ』 |
私が腹巻きを着用していることは、トップシークレットのはずなのに、いつの間にか外部にその秘密がもれていた。薄手のものをさり気なく巻いているから、はた目からはまずわからないはずだ。誰か私の行動を逐一見張っている者がいるのだろうか。などと疑心暗鬼になってしまったが、秘密は意外なところからもれていた。私が伸びをしたときにシャツがまくりあがって、その隙間から白い腹巻きが見えていたのだという。目撃者は、以前、私のトイメンに席があった営業の人々だった。なあんだ。そういうことか。(京) |
『秋の日光へ』 |
ここ数年、秋になると(そうじゃなくても行くが)日光へいく。東京も随分寒くなったので、日光はもっと寒いかもしれない。今週末に、レンタカーを準備してもらい8人で出かけることになる。金曜日の夜遅くに出発し、夜中の1時ごろには現地につくという案配に計画を立てているらしい。やっぱり夜に出れば次の日にめいっぱい時間が使えるというものだ。そして現地2泊というのも魅力である。今は紅葉シーズンなのでいろは坂は渋滞をするだろうとのこと。今から楽しみでうきうきしてしまうのであった。(やぎ) |
『命って・・・』 |
友人がマメ子を産んだので、病院へお見舞いに行った。陣痛から2時間という安産なうえ、初産ながら赤ん坊ももう自律授乳(通常は授乳時間を決めて飲ませるのだが、自分からおっぱいをくれーくれーと泣いて知らせることらしい)という。新生児室を覗くと窓越しにゴロゴロとマメ太やマメ子の姿が見える。みな気持ちよさそうにすやすや寝ている。なかでも友人の子供は、大いびきをかいていそうな豪快な寝顔であった。 |
『秋の香り』 |
自転車通勤している私はいろいろな香りに巡りあう。特に秋になってからキンモクセイの花の香りは町のあちらこちらから香ってくる。(あまりにも匂いが強いのでちょっとうんざりもしてきたが…)もう一つはあまり良い香りとは言えないが、イチョウの実(中身がぎんなんになる)の何とも言えない臭い匂いとのハーモニー(?)によって「今年も秋が来たんだな〜」と実感するのである。(ぎんなん、食べるのは好きなんだけどね。)(リュウ) |
『花』 |
仏壇に供えるために、週1回花を買う。夏の間はこれがもたなくて、早いと2〜3日で見るかげもなくなる。もちろん買ったときの鮮度にもよるのだが、買える店が限られていれば、鮮度に関係なく買わざるをえない。 |
2000年10月10日 |
『コタツムリ』 |
ここ一週間で急に寒くなったような気がする。なので、ちょっと早いけれどコタツをだした。なんて、去年も一昨年もそんなことをいいながら同じ時期にだしている。場所をとるので、夏のあいだは捨ててやるとおもいつづけているのだが、いざ使う季節がくるとはなれられなくなる。会社にいる時間のほかは、私はずっとコタツにくるまってぬくぬくと過ごしている。そのうち糸をひきそうだ。(京) |
『夫婦水入らず』 |
久しぶりに、夫婦水入らずで一泊二日の神戸旅行にいってきた。いつも友人たちとぴょいぴょいと遊びまわっている私だが、やはり、家族に後ろめたさがあった。今回はこの連休中に夫の誕生日が重なったこともあり、お祝いをかねて旅行を計画した。いつものように準備の遅い私は、一週間前になってから、旅行代理店に飛び込んだ。前もってパンフレットを集め希望は決めていたモノの、こんなギリギリ、しかも連休というと、かなり制約を受けそうだ。 |
『理解できただけで満足』 |
眠気のピークが過ぎると、どうしても眠れません。「眠ろう、眠ろう」と焦れば焦る程、眠気はどこか遠くへ行ってしうのです。そんなわけで午前4時、無駄な抵抗もやめ、テレビを見ていても、どこも通販番組で退屈です。そんな中、NHKの教育テレビで、数学講座をやっていました。数学なんてまったく意味がわからず、一桁台の点数もやっとの思いで取っていたこの私が、普段なら絶対見ないであろうその番組をなぜかかなり真剣に見てしまいました。 |
『勝手ながらの連休』 |
いつのまにやら10月の第2月曜日が体育の日になった。3連休を作るつもりなんだろうけどまだピンとこない。成人の日もそうだけど○月の第2○曜日と言われても毎年日にちが変わってしまうのでややこしい気がする。 なにか記念になる日にちだったから祝・祭日なんだから休みを増やすためだけに勝手に休みを移動しないで欲しかったなぁ。(今更ながら思う)(リュウ) |
『温泉付き小旅行のすすめ』 |
眼病を患い、体調を崩して一週間会社を休んだ先週末、貝掛(かいがけ)温泉という目に効く温泉を訪れた。家族を引き連れ、朝6時に出発。この小旅行には、貝掛温泉に行く目的と、総費用1万円前後(一人分)の旅を遂行するという目的があった。スーパーホリデーパスを片手に行きは特急(赤羽〜水上間)を利用して東京から3時間。田園風景の広がる埼玉を過ぎ、深い山あいの群馬から新潟に入り、その県境にある長い長いトンネルを抜けると雪国だった・・・というにはまだ早い初秋の越後湯沢に10時すぎに到着した。そこから車で20分ほどのところ、清津川の支流カッサ川のほとりにその温泉宿はある。庄屋造りの趣あるその宿は700年の古い古い歴史を持つ。風呂の効用は眼病、神経痛、肩こりなど。ちょっとでもよくなれと祈る気持ちで、湯船につかった。 |
『150部』 |
この半年から1年の間に、取次の対応が大きく変化している。返品減少のために、新刊委託を少なくするという方針はいろいろな局面で知らされており、われわれも分かっていたことである。しかし、小社の新刊書について、大手取次の一つの配本部数150には驚いた。テーマは渋いが、専門書ではない。普通の読み物である。 本のなかみをわかった上で「売れない」と判断され、数を絞られるのならばまだ納得できるが、もちろんそうではない。書名と出版社名を見て決めているにちがいない。 しかし、かりにも全国に流通させるために取り引きしているのである。150でどうするのか。返本を減らすことのほか何もないと思う。取次の仕入れ窓口は、われわれ中小零細出版社の新刊委託配本をきわめて少数に絞るという方針を忠実に守っている。その窓口で何を言っても「のれんにうでおし」である。このような状況におかれて小なりといえども出版社が、何かの対策を講じないことがあるはずがない。(宮) |
2000年10月 3日 |
『ブーム』 |
旅行作家の下川裕治さんの講演を聴く機会があった。バックパッカーやかつてそうだった人なら、一度はきいたことのある名前だろう。その中で下川さんがこんな話をしていた。 日本ではブームが起こると、みながみないっせいに飛びつき、たちまちブームをおわらせてしまう。まるでブームを壊すためにブームを起こしているようだと。たとえば、今の出版界の文庫ブーム。文庫におさめられる作品はいつからか面白い作品とは限らなくなっていたが、現在の文庫ブームはそれに拍車をかけている。面白いものもたしかにあるが、そうでないものも多く玉石混交の状態である。それは読者に不信感をもたせることになり、最終的には市場の収束に拍車をかけることになるだろうと。同じように感じている人は多いのではないだろうか。ブームはいつかは淘汰されていくからブームなのだろうが、近頃の回転の速さは私たちの生活における余裕のなさに比例している。(京) |
『上原似』 |
随分前のことになるが、ある日、友人のNに「巨人の上原に似ている」と言われた。なるほどと思ったが、そんなにピンとこなかった。ある時は友人のJに「爆笑問題の太田に似てる」といわれた。その後も何人かからその2人に似てると言われ続けている。2人の共通点はなんだろう。私は女なのになぜ男にばかり似ているといわれるのだろうか?眉毛が太いからか?(わたしの眉毛はりりしく太くゲジゲジだ友人にはきちんと整えろといわれている)学生時代は、さらに小学生のころの同級生の男の子に似ている、研ナオコに似ているなどといわれたり、はたまた見栄晴に似ているなどといわれたこともある。その全ての共通点を考えてみたら顔の骨格というか頬骨のあたりが似ているかなと分析できた。あとは、すこし出っ歯気味なところかな?(見栄晴は出っ歯ではないか)まあ、どちらにしても有名人に似ていると言われるのは少しだけ嬉しい(本当か?)。 |
『体 動かしたい』 |
暑かった夏も終わり心地いい季節になった。湿気がだいぶ減ったことによってベタベタしなくなったし、オリンピック効果もあって何か運動をはじめたいなと思う今日この頃。しかし、なにをしても3日坊主の私にとって続けられることといったら、いつも通勤に利用している自転車くらいか…。(リュウ) |
オリンピックも終わり、巨人の優勝も決まり、ドラクエも終盤にかかり、仕事しかやることがなく寂しげな人生を送るみなりん。(みなりん) |