王様の耳はロバの耳 2000.9 〜不安定〜 |
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2000年9月26日 |
『おみこし』 |
9月24日、日曜日である。仕事をするために昼ころ出社してきたら、芦花公園の駅の踏切の近くをおみこしが動いている。確かに小さな商店街にはお祭りの提灯が飾られ、秋祭りなのかと思っていたが、日曜日でおみこしが出ていたというわけである。かついでいるのは例によっておみこし屋の面々らしいが、人数も少なく、人があまりでていないから、どことなく寂しい感じがした。私が子供の時は、太鼓を引く子どもたちが沢山いてその周りには赤ん坊を連れた母親などが一緒に歩いている。次に子どもみこしが続き、おしまいに大人みこしがおみこしを揺さぶりながら行列する。随分長い行列だったはずだが、いまは大人みこしが一台、、専門家にかつがれているだけで、何とも味気ない。それでもお祭りのときおみこしが出るだけましなのかもしれない。 夕方町田へ出たら、ここでもおみこしが出ている。やはり大人みこしの学騎行だが、人数がだいぶ多いしとにかく町に人が多いからその分だけにぎやかである。(宮) |
『今更ながら』 |
以前みなりんが『ドラクエ7』について書いていたが、ここのところあまりに週末天気が悪く出かけられないのをいいことに、ついに我が家でもテレビゲームにはまってしまった。 |
『エピソード』 |
九年ぶりに自分の部屋の大掃除をしたら、押入の奥からおもしろいものが出てきた。私が幼稚園のときの絵本日記である。もちろん私が書いたわけではなく、母親が私に絵本を読んできかせ、その反応を書き留めたものである。芸術家としてのきらめきを感じさせるようなエピソードでもあるかしらとドキドキしながら読むと、どのページも「喜んでいるようす」「たぶん喜んでいる」「楽しんでいるらしい」などと書いてある。無反応な私に母親が苦労していた様子が「〜なようす」「〜らしい」という言葉によくあらわれている。なんだか悲しくなった。作家のエッセイを読むと、幼年時代にすでにその資質を感じさせる、きらきらしたエピソードがあるのに、私ときたら、百貨店で拾い食いをして母親に殴られたようなエピソードしかないのだ。とほほ。(京) |
『書店をそぞろ歩く影』 |
最近ようやく活字離れから立ち直ってきたので、気に入った本を読んではひとり満足そうにほほえんでいる(ニヤニヤしている?)。最近会社が早くおわると書店へ行き、面白そうな本を物色したり、雑学を得るため(?)や仕事に必要な項目を雑誌チェックするために立ち読みをしたりしにゆく。同業者である書店さんには申し訳ないがほとんどの本は立ち読みのパラ見をしたら、はい、さようならの状態だ。毎日本屋にいったからといってほしい本をみつけるのはその中の本の何回かでしかないのだ。結構本を買うのはためらう。私はこづかいを本ですべて使うほどは本好きなわけではない。雑誌となるとさらにその傾向は強くなる。もちろんちょっと買って暇つぶしにするには260円から500円くらいのものでカバンにもさっと入るモノではないとそうちょいちょいは買えない。 最近、かなり幅広く雑誌を物色するようになって気付いたのだが立派な雑誌が増えた気がする。値段も1000円以上のこともある。カラーページもやたらと多い。そしてどれも揃って重いのだ。どうにかならないだろうか?雑誌というよりもコレクションにでもなりそうな勢いである。下手すると本一冊よりも高いかもしれない。でも充実した内容のものもあり、物色と思いつつ買ってしまうこともしばしばだ。私は町の書店を一人さまよいながら感じるのは、ついついそういう高い雑誌を買ってしまう自分の意志の弱さだったりする。あーだれか止めてくれー。(やぎ) |
『見逃しました…ジャイアンツ優勝(涙)』 |
前回のロバ耳で声高らかに、「みんな見逃すなよ!!」と言っていたジャイアンツの優勝の瞬間を、何と自ら見逃してしまいました。9回の裏、0−4で負けていたので、「優勝はないな」と見放し(←ファン失格)、他の局のオリンピックハイライト(前半分)を、感動しつつ見ておりました。まさか、その裏の局で4年間待ちに待った、ジャイアンツの劇的なサヨナラ逆転優勝、絶対見逃したくなかったその瞬間が迫っているとも知らずに・…。 |
2000年9月19日 |
『カミナリと我が家』 |
我が家はボロイ一軒家の貸家だ。風がふけば窓はガタガタなるし、大きな車が、家の脇をとおれば、地震かと思う。ホントの地震のときには大地震に感じるぐらいの家。そしてちょっとのカミナリでもうちだけ停電に(たんにブレーカーが落ちるだけなのだが)なってしまうという家なのだ。カミナリの多い年はほんとにうんざりしてしまう。テレビを見ていようが、ドライヤーをかけていようが、容赦ないのだ。ゴロゴロ、ゴロゴロッ、ピカーっっ。この間のカミナリのときはあまりに激しかった。まだカミナリがなっていておちてもいないのにブレーカーが早々とおちた。あーうちってなんだか手がかかるなあ。(やぎ) |
『ウォンバット襲来!』 |
夢でウォンバット(弊社キャラクターの)に襲われた。ネコのタビーやマウスは出てこなかったが、飼い犬にかまれた気分だった。私の担当した装幀が気に入らなかったのか、ウォンバットよ。 |
『チェリーパイ』 |
思春期の頃、チェリーパイを口いっぱいに頬ばって食べる映画(タイトルはなんだったか忘れたけど)を見て憧れた。私もやってみたいと。しかし何年か前に食べたチェリーパイはあまりにも甘くて、とてもじゃないけど口いっぱいにに頬ばって食べれるような味ではなかった。しばらく(チェリーパイ)=(甘すぎる)のイメージがついてまわった。 |
『オリンピック』 |
テレビはオリンピック一色といっていいが、相変わらず、アナウンサーは日本選手をひたすら応援しながら、時に興奮して大声で放送している。アナウンサーの世代交代であったり、以前はいや増して何のためらいもなく日本を応援している。そばにいる解説者も同様で日本選手がいい動きを見せると、「よし!」などと勝手に声を出している。それから競技が終わると、すぐにインタビューする。インタビューされる側はたまらないと思うが近頃はこういうやり方が普通になってきたということもあり、それなりに答えるようになっている。インタビューでは高校野球も相撲も、今はよく喋るようになった。相撲など、以前はほとんど何も喋れなかったのが、今は時にアナウンサーを適当にあしらいながら2言3言喋る。 テンポが速くて、神経の疲れるようなやり方がますますはびこるようである。見る側も、そういう刺激の強い内容を求めているところがあるのだろうから、お互いさまか。(宮) |
『やっぱり…オリンピック話』 |
9月16日、あの大雨の中、どうしてもの用事で外出していた私は、柔道のヤワラちゃんの金メダル獲得の瞬間を見ることができなかった…。 |
『エスカルゴ作戦』 |
フランスでは今年、バカンスのシーズンが終わると、漁業、運輸、農業などの業界が、燃料の値上げに反対してつぎつぎと抗議行動に入ったそうだ。9月12日の朝日新聞によると、フランスでの労使紛争は、最近は数こそ減ったが、過激になる一方だという。製油所をトラックやトラクターなどで封鎖するなんてまだかわいい方。硫酸を水路に流した労働者もいるというから凄い。そんな中、タクシー業界は運送業界が石油基地を封鎖する作戦に出たのを受けて、市街地でノロノロ運転するという作戦にでた。その名も「エスカルゴ作戦」。たしかに、交通は混乱するだろうなあ。(京) |
2000年9月12日 |
『引っ越し』 |
今朝、事務所の鍵をあけたら机の上にトンボの死骸がころがっていた。昨晩蛍光灯のまわりをぶりぶり飛んでいた奴だろう。先週から事務所が三階から四階に移り下界の騒音からはなれたおかげで、いまは窓を全開にして仕事をしている。そのためちょこちょこ窓からいろんなものが紛れ込んでくるが、トンボのお客さんははじめてだった。そのうちカラスやなんかも飛び込んできたりして、と密かに楽しみにしている。(京) |
『大雨』 |
三宅島噴火で、人間は随分危険な場所で生活しているものだと思ったが、危険は火山や地震にとどまらない。名古屋地方では大雨で、19万人に避難勧告が出されているし、東海道新幹線は全線停まっている。列車内に十数時間閉じこめられた乗客が沢山いる。堤防が決壊し、住宅が冠水している。台風が襲ってきたわけでもないのこの雨の降り方は極めて異常だが、突然の大雨に私も含めて皆右往左往している。 |
『女なのに…』 |
この間の土曜日、風邪を引いてフラフラしながら電車に乗って吊革につかまり雑誌を読んでいた。乗り換えのため電車を降りようとしたら私の前にすわっていた品のよい女性(おばさん)にふとほほえみながら小さな紙を渡された。なにか落としたのかな?ありがとうと思いつつその紙をみたら「ズボンのファスナーあいてます」というメモだった(レシートの裏に書いてあった)。ひぃえ〜恥ずかしい〜。すぐに歩きながらチャット上まであげたが、シャツを上から出して来ていたし、開けていたのはわざとじゃないけど、実験してみても本来あんまり目立たなかったはずなんだけどなあ。きっと揺れたときにぱっくり見えちゃったのかなあ〜女なのにわたし…。見せちゃったおばさんごめんね。この間チャックが開いている人いるよといわれて笑ったばかりなのになあ。トホホ…(やぎ) |
『晴れのち…』 |
先週末の暑さはどこへやら。今週にはいるなり雨続き。台風までこの時期を待っていたかのようにやってくる。まだまだ夏の余韻を楽しんでいたかったのにそれは叶わないのだろうか。こんな風に夏が終わるのを惜しんでいるのは私だけではないだろう。このコーナーを読んでいるあなたも多分…。(リュウ) |
『電池切れ』 |
怒濤の編集作業が一息ついて、只今放心状態中。 |
営業中(みなりん) |
2000年9月 5日 |
『駅のエレベーター』 |
南大沢駅にエレベーターが設置された。京王線のあちこちの駅でエレベーターが設置されているが、南大沢もそのひとつ。完成後掲示を出して利用を呼びかけていたがしばらくの間利用者は余り多いとは言えなかった。その後数ヶ月たって、存在自体は知れ渡ったと思うが、使っているのは若い女性が多い。もっとも私が見ているのは通勤時間帯ということがあるかもしれず、昼間は老人を中心にもっと利用されている可能性もある。いずれにせよ、エレベーターは一度に乗れる人数がきわめて限られており決して使いやすい乗り物ではない。 利用しやすい設備としてはエスカレーターの方がいいのではないか。エスカレーターがあるところも登りだけという駅が多い。時間帯によって昇りと降りを使い分けているところもあるが昇り降りが同時に使えれば、どんなに便利になることか。このことは老人と一緒に行動したことがある人ならば、よくわかるはずだ。せっかく費用をかけて設備を新設するのだから、よく考えてほしい。(宮) |
『なつやすみ』 |
8月も終わり全国的に子どもたちの夏やすみが終わり、新学期が始まった学校も多いのではないだろうか。子どものころは誰もが経験した、長い休暇だが、それを懐かしく思い出しながら、なぜかこの社会の在り方に疑問と矛盾を感じている。夏は暑いから、冬は寒いから(?)お休みがあるというのなら、大人にだってこの長い休暇は必要ではないだろうか。そして思い切り気持ちを解放してみたらどうだろうか。会社の往復だけでは見えてこなかったことがこの時見えてはこないだろうか。普段できないことを長い休みに経験したいという思いは年をとったって持っていたい。なんにも興味を持てなくなったら人間おしまいだとも思う。無い時間をつかってせっせとがんばっちゃうのにも限度があるのだ。 |
『今年は例年になく…』 |
夏のあいだ中、あれが来るあれが来ると恐れ、夜中に顔を這われたりしないようベットまで買ったのだが、今年は二度しかあらわれなかった。今年の強烈の暑さは、ゴキブリすらダウンさせるものだったのだろうか。それともたんに私が食べたものをその日のうちに洗って片づけるようになったからなのだろうか。それとも、私のアパートのある久我山は、そもそも坪当たりのゴキブリ数が他の地域に比べて少ないのだろうか。以前住んでいた阿佐ヶ谷では、昼夜問わず町中をよろよろ歩いている姿を見かけたのだが。まあなんにしろ、これから寒くなれば私も枕を高くして眠れるというものだ。(京) |
『いつになっても』 |
大人になった今は「将来の夢」を訪ねられることはなくなったが、最近の子どもは夢を訪ねられると意外に現実的な答えが多いらしい。夢=お金となってしまうものもあって(お金がすべてと教えてもらったのではないと信じたいが)、それだけ幼い頃から様々な情報を与えられているということもあるのだろう。 中学生くらいになると自分の夢を人に話すのが恥ずかしくなってしまったり、もっと現実を見なければいけなくなったりして夢をみるのが困難になる。 もちろん大人になっても夢を持ち続けている人もいるが夢=仕事とはなかなか結びつかない。手の届かないところにあるから想像して楽しめるのだ。 幼い頃の夢は大人からすれば「なれるわけがない」夢だったりするのだが、大人も子どもも夢を持っていない人よりは持っている人の方がはるかに楽しい毎日に違いない。(リュウ) |
『ドラクエ7』 |
つっ…ついに手に入れてしまった『ドラクエ7』。でも、まだはまってはいません。今はまってしまったら、ちょっと大変なので、我慢しています。なぜなら、9月はイベントが目白押しだからです。オリンピックもあるし、何より、久しぶりにジャイアンツが優勝しそうなのです。『ドラクエ7』に夢中でその瞬間を見逃す事がないように、今は我慢するしかないのです。(みなりん) |
『文明展』 |
4大文明展のひとつエジプト展を見てきた。展示物よりも人の多さに驚愕し、ひとまわりしてへたばった。化粧の顔料を摺るためのカバの形をした皿と、同じくカバの置物ぐらいしかじっくり見られなかった。「エジプトにカバがいたのかぁ」と単純に驚いている人が多かったが、あの広大なナイル川と砂漠の地にカバが生息する光景は確かに想像しにくい。カバは神聖な生き物だったのだろうか。そういえば、あのフンコロガシも神聖な虫だったらしい。ラピスラズリやら黄金の装飾物に縁取られて、フンコロガシを象った石がどんっとくっついていた。これを古代エジプト人は首にぶら下げ、優雅な気分でいたのだろうか。ここではあまり深く考えないでおく。ツタンカーメンの表情といい、エジプト文明は、キャラクター性の強さと、色彩の艶やかさが印象的で、グッズ売り場も盛況であった。私もカバのハンドタオルとフンコロガシの携帯ストラップには、財布の口がゆるみそうになった。かつて神聖とされていたものが、キャラクターグッズ化され、現代人に受け入れられているとは、古代の人も想像しなかったことだろう。 でも、この文明展、古代の文化と宗教観を遺産を通して知ることができ、現代文明と比較する面白さもあり、興味深い。エジプトを皮切りにしばらく休日は文明展漬けになりそうである。(かわら) |