王様の耳はロバの耳 2000.8
〜ゆらゆらクラゲのえかき歌〜
2000年8月29日
『老人力』
この夏、広島の母の実家を訪れた。しばらく会っていなかった母の兄弟一家も久しぶりに揃い、豆コロのようだった従兄弟たちも大きく成長していた。叔父叔母たちもそれなりに年を重ね、人生の歳月の流れに自然と身をまかせているのだが、その流れに明らかに逆らっているのが80歳に近い祖父と祖母だった。体の衰えは著しく、忘れっぽくなったとはいうものの、頭の回転の速さと口の達者さには磨きと拍車がかかり、若い連中を凌ぐ勢いなのである。特に祖父は数年前に胃ガンになり胃を半分取っていながら、ジュースと言っては昼間からビールをあおる。シルバーマークをつけていながら高速道路をびゅんびゅん飛ばし、間違えて入った道をカンだけで前へ前へと突き進む。祖父の強引さと切れ味の鋭さに負けちゃならんと祖母も対等にやり合う。
祖父母は戦後焼け野原の広島で、裸一貫で会社を立ち上げ、今日に至る。ぼけた振りをするぐらいに元気なのは、そうした、戦後の困難な時代を自分たちの力で生き抜いてきた精神力の強さによるものなのだろう。時代が極端に変わりゆく中、祖父母の世代の気骨を、私たちの世代はいかにして持ち合わせることができるか。老いて杖をついたり、寝たきりになってしまうのは、自然の成りゆきではあるが、若い頃の積み重ねと精神力でもって、老いてもカクシャクとしている姿を見るのは気持ちよく、見習いたいものでもある。(かわら)

『父っていったい…』

ここ最近週末は2週連続で、実家へ帰った。ふと父のことを見ていてあることに気付いた。結婚前の私は家にいるとリラックスしゴロゴロしてだらしない生活をしていた。それは結婚したいまも変わりないのだけれど、それは多少の違いはあれ、誰もがすることだと思っていた。しかしよく考えてみたら違っていた。父がゴロゴロと居間に転がっていたことなんて一度も見たことがなかった(人の見ていないところに行って寝ていた)。母にも、父がなにか怠けている姿を見たことがあるかと聞いたらやっぱり「見たことがない」と答え、その事実を知った私は同じ屋根の下にこんなスゴイ人がいたことに、ちょっぴり怖さを感じた。
母は結婚当初(見合い結婚だった)、父のあまりのキッチリぶりに、いつ逃げ出そうとか思っていたそうだ。父っていったい…。そういう母はいまは少し父を自分のペースに巻き込みつつ仲良く生活している。同僚に話したら「お父さんってサイボーグなんじゃない?」という答え。サイボーグだったら、私はだれのこどもなんだろう。そういえば、急にねじが切れたように動かなくなることがあったっけと思い当たることがあった(ねじはロボットだっけ?)。父は夜は弱く、疲れると体が自然に動かなくなるが、朝は3時から5時の間に起きて活動している。朝から運動したり、勉強したり充実して集中して作業が進むのだそうだ。あまりの勤勉ぶりに、最近では私も、父を追い越すことはとうてい出来ないような気がしている。(やぎ)


『毎年』

前年は夏から金魚を飼い、残念ながら最後の一匹を今年4月に亡くしてしまった。そして今年はというと長野に帰省したときに私の父、つまりコドモからすると祖父に買ってもらったカブト虫(おす、めす各1匹)を飼うこととなり、飼い始めて2週間になる。
それ以来、コドモは図書館でカブト虫の本を借りあさり(買いあさることはできないので)エサは何だとかどういう風にしたらいいかなどなど、毎日のようにカブト虫の本を開いて覚えたことを、保育園でみんなに教えて歩いているらしい。
しかし、好きこそものの…とはよく言ったもので興味があることに関してはどこまでも追求するパワーには驚かされる。私にとっても今まで知っているようで知らなかった事実が次々を出てくる驚きや楽しみは何とも言えない。
もう夏も終わるのでカブト虫も一生を終えるが、卵が残されていれば来年もカブト虫を飼うことになるかもしれない。(リュウ)

2000年8月22日
『おいしい水』
ここ最近、旅行に行く機会が増えて(空気の美味しいところ)、改めて東京都内の水のまずさを感じている。このあいだ、6月と8月の2度、沖縄方面に旅行にいった。向こうはすごく暑いのですぐに水をのみたくなる。ジュースというよりも「水」なのは何故だろう。たしかに沖縄の食堂で出される水は臭みが無くて美味しかったし、なんどもおかわりをついでもらって満足だった。長いこと東京にくらしていたらすっかり家で水を飲まなくなっていた。「水道水なんか飲めるかあー」の世界だ。こどもの頃を思い出してみたが、そのころはまだ水道水もまだ飲めた気がする。美味しい水のあるところに住みたいという私の願いはますます募るばかりである。「ああ、尾瀬で飲んだ冷たい水がまた飲みたい」と思いながら今缶ジュースを購入してしまう自分に少し腹立たしいこの頃である。(やぎ)

『アウトレット・モール』

私の住む南大沢駅前にアウトレット・モール ラフェット多摩がほとんど出来上がった。アウトレット・モール ラフェット多摩と聞いてもまるでチンプンカンプンだが近頃はこの手の名前が多くて本当に訳が分からない。
ブランド物のキズ物などを売る商売だそうだが、これがとても大規模で駅前の景色がすっかり変わってしまった。9月オープン(これは開店のことだ)そうで、すでに商品の搬入が始まっている。先日も佐川急便のトラックがそれこそ10台以上も脇の道路に駐車して順番を待っている。これも郊外の道路の混まない南大沢だから可能なので、都心では、一体どうするかと思う。都心にはアウトレット・モールなどできないか。日曜日にはラフェット多摩のカードの勧誘をしきりにしていた。
多摩そごうのように閉店セールで沸き返っている所もあればこれから開店する店もあり、毎日その脇を通りながらあれこれ、とりとめのない感想が頭をかすめるのである。(宮)


『老いてからの生活』

盆休みは私の実家である長野に帰省し、ゆったりとした時間を過ごした。90歳になる祖母が「よく来たな〜。」と笑顔で出迎えてくれた。彼女は数年前から痴呆症が出てきて、最初は同じ話を何度も繰り返し、名前を間違え、そのうちにお金の感覚がなくなっていった。家族の誰もが最初はちょっと間違えただけだろうと思っていたが、徐々にひどくなり現在はトイレも何時間かおきに母が連れていかないと用をたすことが出来なくなってしまった。
でも私のコドモをみると私が幼かった頃を思い出すのか、何かしなくちゃとあれやこれやと世話を妬く。
体は足が少し不自由なほかはどこも悪いところがない祖母だが、お盆の時期だったのでお供え物として置いてある果物や天ぷらをつまみ食いして、母にしかられている彼女を見ると、いたずらをした子どものようで歳とともに子どもに還っているような気がして憎めない。
しかし、もうすぐ60歳になる母にしてみれば、子どものような祖母の世話をするのは体力的にも精神的にも大変であるのだと思う。かといって田舎の昔ながらの古い考えで、ご近所の目が気になって人に頼むことができない状況ではどうにもできないのが現状である。
夏の終わりとともに、自分にもいつか訪れるであろう「老い」と「死」について、またどういう生き方をしていくのかを考えさせられるのだった。(リュウ)


頭はまだお盆休み。ロバ休みます。(かわら)
2000年8月 8日
『朝食と夕食はそれ』
甘いものが特別好きということもなく、お菓子類も食べなければそれで過ごせる。ジュースもほとんど飲まない。ただ、コーヒーや紅茶は甘くないと飲めない。
そんな甘いものと私の関係だったのですが、つい先頃、アイスクリームが言い寄ってきました。夏だからというのも手伝って、私はそんなアイスクリームの魔の手に落ちてしまいました。近所のよく行くスーパーは、アイスクリーム5個で¥398也…どうしても買ってしまうのです。「買うもんか!!」と固く誓っても、そのお得な値段設定に負けてしまうのです。休みの日は一日中食べています。しかも、そんなに豊富な種類があるわけでもないので、いっつも同じものを食べています。まだまだ飽きそうにもありません。
普通の食事はあまりせず、アイスクリームばっか食べてるので、今年の夏はきっと激しく夏バテするでしょう。(みなりん)

『さかい目』

夏の真っ盛りだが、天候は不安定で、突如として土砂降りになる。出先から帰ろうと外に出たらポツポツ雨が落ちてきた。あぶないと思って一旦戻って、タクシーを呼んでもらった。タクシーに乗って走り出したら雨はすさまじい降りになった。
早めに戻ってよかったと思いつつ乗っていたのだが、しばらくしたら、雨がスーっとあがって道路もまったく濡れていない。雨のさかい目を通過したらしい。
考えてみれば少々前のことで、雨降りだからといって日本中が降っているわけではもちろんなくて、晴れた所、曇りの所もある。したがって、そのさかい目もあるわけだが、そこを通り過ぎるのはなかなか不思議な経験でした。(宮)


『ゴールドカード』

先日免許の更新に成城警察署へ行った。これで2回目の更新になる。私は車をもっていないのをいいことにドライブするのは1年間に2〜4回だ。なのに、乗るときには仕事だったり、楽しいはずの旅行だったり、結構コワイ人だと自分でも思う。一度も警察のお世話になることもなく、無事にここ数年を過ごしてきたが、実は結構、車をぶつけている。免許をとってすぐにほかの車にトンとぶつけちゃったし、ほかの日には会社の駐車場で車庫のところで車の前の部分をパッカリ外してしまうし(自分で2万円払った)、日光の方では、駐車場で車高の高い車にぶつけて、レンタカーをへこませるし、いづれもレンタカーなのにあちこちぶつけている。とくに危ないのは駐車場だ。運転で事故らなかった安心感でついぼーっとなり注意を怠ってぶつけるというパターンが多いようだ。なのにゴールドカード。なんだか申し訳ない気がした。一度とってしまえば免許は更新できる。でもこれで良いのか考えてしまう今日この頃なのである。どこか田舎に住み、毎日車に乗る生活でもしないと私の運転技術は一向に進歩しないのではないだろうか。(やぎ)


『夏の風物詩』
甲子園が始まった。野球のルールはまったくわからず、観ていてもさほど面白いと感じられないが、高校野球だけは別である。若さがいい。まだまだ未熟な技術ながらも、勝つことだけに執着する彼らの貪欲さがゲームを面白くし、ドラマを生む。これがプロだとホームラン一本でなんぼ、翌日からCMにひっぱりだこというえげつない見方をしてしまうからいけない。(そんな見方をするのは私だけか)高校野球は、中にはプロ入りする選手もいるが、その夏だけの思い出となる人もいる。そうした子もこの瞬間だけはすべてを賭けて挑んでいるのだなと思うと、余計に青くさく、瑞々しい印象を観る者に与える。そんな純粋な気持ちで楽しめるのがいい。でも、これが終われば、夏も終わってしまうんだな・・・。(かわら)

『空もよう』

東京から電車で地方に行く途中に必ず思うことがある。「空ってこんなに青かったっけ?」
確かに大気の汚染が進んでいる東京と地方を比べても仕方がないが、それだけではないような気もする。空を見て歩くゆとりがないと言った方がいいのかもしれない。ボ〜っとする時間があまりなく、何かしていないと落ち着かないという日常から解放された時、ふと空の色に気付く。
普段は何とも思わないできごとも心や時間にゆとりがあると違ったものに見えるのかもしれない。
そしてまた自分の家に戻るとき、空の色を気付くことのできない生活が始まるのだろう。(リュウ)


『スーツ』
夏が来るたびにおもうのだけれど、男の人は何故このくそ暑い季節に、背広を着ているのだろう。オフィスの中はスーツの男の人に合わせてうんと冷やしてあるからいいものの(それも変だけど)、一歩外に出ればたちまち汗だくになるだろうし、いちいち上着を脱ぎ着するのは面倒ではないのだろうか。さらに、炎天下を背広で歩き回っている人を見ると、「マゾなんですか」と問いただしたくなる。やっぱりマゾなんだろうか。(京)
2000年8月 1日
『ダンボールハウス』
出版部が会社の3階から4階に移ることになった。具体的な日にちはまだ決まっていないが、ようやくというかんじだ。実はこれまで出版部員たちは、本や書類を置く場所がなくて、ダンボールの棚を作り、机の脇や足もとに置いていたのだ。この話を母親にしたら「お前は昔からダンボール好きだね」といわれ、話題は私の小学生のときの話になった。
3人姉妹の末っ子に生まれた私は、姉の一人が嫁に行くまで一人部屋をあてがってもらえなかった。しかし手に入らないとなると余計に欲しくなるもので、一人の空間を作ろうと、あれこれ工夫をこらしていた。そのひとつにダンボールハウスというのがある。まずテレビが入るくらいの大きめのダンボールを用意し、底に上半身が入るほどの穴をあける。それをすっぽりかぶって机にむかえば、あっという間に一人部屋のできあがり。学習ライトやおやつをなかに持ち込んで、漫画を読んだり宿題したりできる。唯一の欠点は外から見るとバカみたいことだが、一人の世界に没頭してしまえば、他人にどう見られているかなど気にならなくなる。私のこの画期的な空間作りは、現在多くの企業で、デスクトップパネルに姿をかえて活かされているようだ。(京)
ダンボールハウスの中の私(京)   ←こんな感じ

『さわやか路線のメンデルスゾーン』

真夏の暑い盛りになると、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」の音楽をよく聴く。とくに序曲は昔から好きだし、甘さと夢がさわやかな風に流れるようで、誰彼となくすすめたくなる曲だ。
メンデルスゾーンの曲はさわやかな曲が多いが、その分いまひとつ人気が高くないようだ。さわやかは軽さに通じていて、曲の評価を軽くしているのかもしれない。私はこの軽さ、さわやかさが好きでメンデルスゾーンを聞きます。
さわやかといえば、「無言歌」もすばらしいのだが、日本人はどうやらショパンのような曲の方が好きらしく、あまり人気があるとはきいたことがない。まあ人気はどうでもいいのだが、心地よいさわやかな音楽を大勢の人にわかって欲しいと、おしつけがましい気持ちになるのである。(宮)


『おてもやん』

この間、喫茶店でご飯を食べているときに女性誌を見ていた。雑誌の中のファッションを取り入れることはないけれど、人のファッションは気になるし、流行を知るのに私はよく喫茶店でこういう若者系のファッション誌をみる。中でも、モデルさんの髪型を見て、次はこの髪形いいなあと想像をして、結局なにもしないというのが私のパターンだ。
この間、変な夢をみた。私は髪の毛を切りに、美容院に行って、今にもカットが始まる様子だ。今日はカットだけして下さいとたのんでいる。その美容院は、前に1度カットと縮毛矯正をしたところで、そこのスタッフに囲まれていた。慌てて私はこう付け足した。「カラーリングもお願いします!」。でも少し間があって、そこのチーフがだれかと相談して戻ってきた。「Mさん。なんでそんなに派手にしたいの?派手にする必要ないんじゃない?」と言われたのだ。私は少し考えてこう答えた。「派手になりたいんじゃなくて、あか抜けたいんです。キレイになりたいんです」なんだか恥ずかしいセリフである。でも女は誰しも、どこかにこんな願望を持っているんじゃないだろうか?あまりにもリアルな夢だったし、たかがカットをしに行ってこんなに自分の感情を吐露してしまった自分(夢だけど)に正直驚いた。私が普段今の自分から変えてみたい脱皮したいと思っていた感情が夢に出たような気もした。
化粧も実は面倒で今までほとんど使ったことがない。知り合いのJなどは化粧好きでいつもステキに顔に化粧を施している。若いぴちぴち(?)していたころには化粧なんてと思っていたけど、顔に疲れが目立つ年頃になって初めて化粧の大切さ感じるようになった気がする。よく化粧は、化けるというけれど、私は化粧は顔を化けさせるほど使ってはいけない気がする。すこし顔色を良くみせたり、華やかさを作ったり、その人の良い部分を少し強調したり、服の色とあわせたり、夏は涼しげな目元を作ったりそんなメイクができたらいいなと思う。(私自身はじつは全然使えないンだケド…)雑誌のなかでチークをうまくつかったほっぺのほんのり赤い女の子がいた。健康的に見えてかわいい。
そこで思い出したのが、ばあちゃんが死んだときのお化粧だった。死んだひとにはお化粧をしてあげるものだが、そのメイク担当は娘である私の母が担当した。ばあちゃんが死んだという知らせをうけて、ばあちゃんの家に向かった。「顔を見てあげて」といわれて覗くとなんだか死んでいるのにかなりほっぺが赤い。少し笑ってしまった。そのあといとこのKがきてまた笑った。母いわく「死んで顔色がわるいとアレなんで、明るくしてたらおてもやんみたいになっちゃったのよ」なのだそうだ。ばあちゃんが死んだのは寂しいけど、この顔みたらみんな元気になるかもしれないと思った。ばあちゃんもまたその顔のまま天国でみんなに笑いを振りまいて幸せに暮らすのだろう。みんな生きていてもキレイでいたいし、死んでもなおキレイでいたいと思うのだろう。(そのばあちゃんの化粧はキレイというには語弊があるか…)でも、もし私がチークを使ったらやっぱり「おてもやん」になっちゃうかもなあ。(やぎ)


『でも信じる』
某テレビ局の○○テレビ。「今日の占いカウントダウン」の蟹座が1位。
「すてきな出会いがあるかもっっ」なんて言っていたのに、出会ったのは電車の中の痴漢のみだった。出会いはあったが素敵ではない。
某テレビ局の○○ダネ。「血液型選手権」のB型が1位。
「思い通りに事が運ぶよ!!」と言ったのに、炎天下の中、はりきって歩いていたら、サンダルが壊れてこけた。見回しても近くに靴屋はない…仕方なく壊れた部分を安全ピンでとめて、しばらく歩き、見つけた靴屋で気に入った靴はサイズがなかった。しょうがないので、その日の服装とは笑えるくらいかけ離れた靴を買った。
占い、それはほとんど当たらない。それでも、「今日はラッキーデー」と言われると、朝からワクワクし、「今日はブルーデー」といわれれば、その瞬間から「やるきないモード」全開になる。
占いは今日も私の日常を密かに左右する。(みなりん)

『顔のうろこ』

日焼けをするようになって毎週のように肌はひと皮ひと皮むける。最近では皮膚ガンの原因になるから等々の理由により日焼けはタブー視されている。化粧品も今は“美白”(某化粧品メーカー)という名のもと次々と基礎化粧品うんぬんが売れているらしい。
私もそれなりに日焼けに気を使った時期もあったが、今はそういったことに時間を使うよりももっと他のことに使いたい時間があるから気にしなくなった…、というより気にしていられなくなったというのが正しいかもしれない。そして年輩の方々より温かいお言葉(歳をとってから大変よ)を頂きながら今日も黒々と肌を焦がしている。
シミやシワは歳とともにできるのが普通であって、そういうのが一つもない老人を見ても魅力を感じない。シミがあっても顔中しわくちゃにしながら笑っている老人の方がはるかに「人生を生き生きと過ごしているんだな。」と憧れさえ抱く。
しかしながら日焼けをした数日後、ヘビのうろこのように徐々に皮がむけるのを見るとさすがに(化粧水くらいは付けようかなぁ。)思うのであった。(リュウ)


背筋も凍る長編ミステリー
『黄色いレインスーツの男』
登山道で人とすれ違ったら「こんにちは」と挨拶する。マナーというだけでなく、互いの無事を祈る意味も含まれているように思う。挨拶の相手は人だけとは限らない。山で亡くなった人の碑も登山道には多くある。さて、こんなことがあった。
昨年7月、群馬県嬬恋にほど近い湯ノ丸山へ登山に出かけた。入山し始めた頃から雨が降りだし、中腹にさしかかった頃には雨が細い川となって足下を流れて行く。途中幾度か引き返すパーティーとすれ違った。雨の山は非常に危険だが、連れと私は登ろうと判断し、足を進めた。雨足が強くなり、視界は真っ白。前方も見えなくなるほど悪天候となってきた。靴には水が入り、顔にはびしびし横殴りの雨が当たる。ほどなくして着いた山頂で小休憩を取り、隣接する烏帽子岳へと向かった。山の天気は実に変わりやすい。山頂から数分経った頃から雨が止み、視界も一気に開け、らくらくの山行になってきた。さっきまでの天候が嘘である。烏帽子までの道中、先をゆく人もすれ違う人もいなかった。山頂が近くなると再び天候が怪しくなり始めた。しかも山頂までの斜面は一本の木もない赤土のガレ場。両脇はゆるやかな斜面だったが滑落すればおしまいである。遭難するような山ではないが、自然界ではその油断が命取りになる。現に、20年ほど前にこの場所で遭難した人の為に仲間が立てた小さな碑があった。こうした雨の日かまたは雪山の時に遭難したのだろうか。他の岩と見間違ってそのまま通り過ぎてしまいそうなほどの大きさだったが、二人で手を合わせて自分たちの行程を見守ってもらうよう拝んだ。大きな岩の横を過ぎて頂上についた。登ってきた道以外は急な斜面となっている山頂は、雨と霧に包まれ、視界はゼロ。一歩足を踏み外すとどこに落ちるかわからない。景色も楽しめない状況で立ったまま食事を済ませ、来た道を戻ろうとした。大きな岩が目印となっていたためその方向に足を向けた。すると連れがあらぬ方向に降りていく。道が他にもあるのかととまどった。「そっちなの?」と声をかけたか、連れが気づいたのが早かったか忘れたが、数歩進んで「来た道を間違えた」と神妙な面もちで戻ってきた。来た道には大きな岩がある。連れもそれに気づいているはずだし、間違うわけがない。疲れで、判断が鈍ったのだろうか。このときはお互いがそう思っていた。再び小さな碑の前を、今度は軽く会釈して過ぎた。下山する際も言葉少なに黙々と歩いた。気になったのは前を歩く連れがしきりと後ろを振り返ることだった。私の様子を気にしているにしては頻繁だった。下山途中も幾度か休憩を取ったが、その間、人に越されることもすれ違うこともなかった。下山後もついぞ人と会うことはなかった。湯ノ丸から烏帽子岳、そして麓までの1本道、この山で出会ったのはあの小さな碑だけであった。
しかし、誰も見なかったわけではなかった。山頂で、連れが道を間違えたあと、来た道を戻り、大きい岩を過ぎたあたりで、私はふと山頂を振り返った。すると、岩と岩の影に黄色いレインスーツの男の人がこちらを見ている。瞬間、人がいたんだと思った。狭い山頂である。人がいればわかるはずだが、その時は何も思わず、ただ、なぜかそのことは口にせず、黙々と歩いた。雨の山行は無事に終わった。それからだいぶ経って、連れの方からこのときの話をした。下山の際、連れがしきりと後ろを振り返っていたのは私の後ろに人がついてきていたからだという。しかもその人は黄色いレインスーツを着ていたらしい。「えっ、あの下山道に人がいたの?」と驚き、しかもそれは、私が山頂で見た人と同じだと言うと、「えっ?あの山頂に人がいたのか」と驚いた。しばらく間があって、お互い「ひゃぁー」と絶句した。連れの話しは、あのとき、山頂を過ぎたあたりから下山するまでずっと感じていた妙な感覚を裏付けた。
道を間違えかけながらも、無事に下山できたことは、碑に挨拶したからだと良きに解釈していたのだが、この話を会社の京さんにしたところ、それはきっと悪い霊で下山する我々を「チッ」と思って岩陰から覗いてたのよと言われた。そ、そうだったのか・・・。そのあとくっついてきたのもチャンスがあればと狙っていたのかもしれない。今となっては、単なる里に住むキノコ採りのおじさんだったと願うしかない。(かわら)