王様の耳はロバの耳 2000.7
〜ギラギラ太陽の季節〜
2000年7月25日
『温暖化を考える』
ふた月ほど前までは、バリや沖縄のガイドブックを眺めながら「やっぱりバカンスは南の島だよね〜」なんて夢見ていたが、いまとなってはとんでもない話。真夏の日光にさらされてナメクジのように溶けてしまうだろう。今ならさしずめ「バカンスはやっぱりアラスカよね〜」というところか。
寒いのはなんとかしのげるが、暑いのはほんとうにどうにもならん。今年はまたいちだんと暑いような気がする(私は毎年そういっている)。地球温暖化のせいだろうか。温暖化がこのまま進めば、東京もやがて沖縄並の気候になるかもしれん。そうなる前にアラスカへの移住を真剣に考えんと。(京)

『寝不足覚悟の・・・』

東京でバイトしている為、関東近郊の大学に通う妹が「通勤に便利」という理由でちょこちょこ我が家にくる。先頃、1週間程滞在していた時。
『お姉ちゃん(←私よ)がお仕事でいないから、家で一人で暇でゲームをすることにしたけれど、プレステーションもスーパーファミコンも画面が映らない』
とのこと。そんなわけはないので、接続して、画面を切り替えてみせる。
『何だ、そうすれば良かったのか』
と妹は納得。で、そこでちゃっちゃとゲーム機なんか片づければよかった…。コントローラーなんか握らなければ…。
私はゲーム機器の箱をちゃんと取ってある。接続コードの箱もビニール袋も全部とってある。そして、買ったときと同状態にしまう。なので、一度片づけると、箱から出すのがおっくうで、もうずっとやらなくなる。
数ヶ月前、ハマリにハマッたゲームからやっと抜けだし、今の健全な生活を手に入れたのに…今更後悔しても、もう遅いのだ。
「これ面白いからやってみなよ!」と妹に勧め、なかなかクリアできないと、「そこだけやってあげる」とか言いつつ、最終的には自分がコントローラーを握りしめている。いろんな技を駆使し、どんどんクリアする。上手いのは当たり前、指にたこができるまでやってたんだからね。何度も完璧にクリアしたゲームなのに、またクリアしようとはりきる。多分、目には炎が浮かび上がっているだろう。結局、妹はほとんどやっていない。
冷めていたゲーム熱はすっかり元通りに戻った。おかげで、近日発売の「ドラゴンクエスト7」にはまることも間違いない。「いい歳した女がこんなんじゃいけない」と思いつつも、休みの日に、1日中家にこもって、ドラクエをやってる自分の姿が目に浮かぶ。(みなりん)


『遙かな尾瀬〜♪遠い空〜』

20日の夕方からバスに乗って群馬県へ向かった。翌日、尾瀬に行くためだ。翌日バスに乗り込み鳩待峠へ。
尾瀬は登山への入り口といった場所だろうか。それなのに私らの格好と言えば、お粗末な、半袖に長ズボンか、もしくは膝ほどの丈の半ズボンだった。確かに尾瀬は暑くて、湿地には草は生えているけど日陰がない。お天気のいい夏の昼間にはこんな格好でも寒さに震えることはなかった。いざというときのために上着も持参していた。しかし、山を愛する人たちに言わせれば、こんな格好で歩いたら、長ズボンのともかくとして、山をなめとんか〜!って一喝されることうけあいだ。現にバスの中で見せられた、こんな格好では行かないようにという格好に酷似していた。
でも全てがまずいわけではない。歩くの大好きな私らのこと、歩くのは登山シューズだったりして、へんなところではきちっとしている。汗ふきタオルにオペラグラス、水分補給のためのペットボトル(水筒代わり)には途中で水を汲んだり、お弁当に雨具などなど。わが「座禅草の会」(くーっ。渋い会の名前)の会長Nさんの同僚(先週同じツアーで尾瀬にいった)によるとショートパンツは日に焼けちゃうよといわれたらしいが、焼けるのはいいもんねーとちょっとなめていた。しかし、焼けるとはまさにやけどのように焼けることを指していたのだ。顔は日焼け止めを塗っていたものの、腕は焼くつもりだったし、足については、眼中になく無防備だった。全ての行程を終えて鳩待峠にもどって気付いたときにはもう遅かった。わたしの足は、靴下の線と膝ほどの半ズボンの丈の間だけ赤くかなり焼けていた。そういえばひりひりする。でもその時はあまり深刻じゃあなかった。でも風呂に入るとひりひりどころかイタイ。温泉に行ったものの浸かれない。チャレンジしたが、唯一浸かれたのは靴下の丈のところまでの足と、じゃあということでぶざまな格好をして露天岩風呂のへりにつかまって、お尻をつけることだけだった。後にも先にもあんな変な格好で風呂につかるのは最後にしたい。1000円払った温泉への執念が、私をぶざまな格好で風呂に入る決意をさせたとでも思ってほしい。見苦しい入浴シーンであった。海はそれなりに日焼けに気をつけるだろうが、山とてなめてはいけない。私のように痛い目にあうゾ。今年のおしゃれはとうてい望めないだろう。
(やぎ)


『真夏の夕方』
週末になるとプールか海通いをする。何年か前から我が家の夏の過ごし方になった。さすがに海は一番近いところでも電車で小1時間はかかってしまうので、自転車で通えるプールへ行く回数の方が多いが…。
プールからの帰り道にはいつも夏の終わりを感じてしまう。体の疲れにやけに響くセミの鳴き声と、夕方に吹いてくる少し涼しい風でそういった気分になってしまうのかもしれない。
「まだまだ夏はこれから」と言っているうちに、アッと言う間に夏の終わりが来て「今年は何して過ごしたンだっけ…。」と秋の足音が聞こえる。
(ちょっと気が早すぎた?)(リュウ)

『サミット断想』

沖縄で行われたサミットが終わったが、サミットで私が憶えているのはたしか1954年ジュネーブで行われた4か国首脳会議である。
当時はサミットと言わず首脳会談と言っていた。確認しようと思って年表を見たら、ジュネーブ会議というのは出てくるが首脳会議の文字がない。首脳会議とかサミットとか行われたときには大きなニュースになるが時間が経つと、忘れ去られる。
その程度の意味しかない出来事なのかもしれない。今回のサミットについても批判的なときには冷笑的批評がされている。
じきに忘れられるかもしれぬイベントに新聞報道によると800億円以上かかったらしい。警察関係、会議場建設に多額の経費が支出された。このことに外国から批判が起きているとか。いろいろとにぎやかなことだ。
“サミット”は頂上の意味がある。そのせいか、事前に話を煮詰める役割の人のことをシェルパというらしい。サミットは近頃は大安売りで○○サミットとかいう名前のイベントが沢山行われている。人の注意を集めるために使われる名前になっている。(宮)


『お〜いお茶』
伊藤園が主催する「お〜いお茶俳句大賞」とうのがある。「お〜いお茶」を飲むたびに、缶やペットボトルの側面の俳句を詠んでは、ふむ面白そうと興味そそられていた。しかも、この賞の一番上の文部大臣賞は多額の賞金が貰える。(文部大臣という名が示すあたり、この金はどこから・・・という疑問もあるが)五七五の17文字書いただけで、賞金が貰えるとは、おいしい話だと浅はかな思いがよぎったが、この17文字という字数と五七五という言葉のリズム、そうそう簡単に書けるものではない。さて、この大賞のユニーク賞に妹の作品が入賞した。活字は新聞と雑誌しか読まず、教科書も落書きだらけ、活字離れも甚だしい現役高校生の彼女だが、こうした俳句や標語をよく書いては、周りに高い評価をもらっている。なんてことない日常の瞬間を言葉で捉えるのがそこはかとなくうまい。一見なんでこれが?という文なのに笑いと共感を誘う。人がついつい格好つけて気の利いた言葉を使いたくなる時も、まったく飾ることなく自然な視点でものを捉える。だてに新聞と雑誌しか読んでるわけではないらしく、そこから要点を突く技を自然と学びとっているのだろう。さてさて、そんな妹に負けじと私も来年の大賞に応募しようかと考えている。なので、ここ最近の私の頭の中は、五七五が渦巻いている。(かわら)
2000年7月18日
『末期』
最近やばいな、と感じるのは、何をするにも「よいしょっよいしょっ」とかけ声をかけていることデアル。モット若クアリタイ・・・。(かわら)

『夏休み』

ここ最近30度を超える真夏日続きでグッタリしている。もうすぐ学生は夏休みになるというのに仕事人は毎日汗をかきながら通勤している。自分にもあったはずの夏休みは何をしていたのだろう?と思い出してみた。小学生の時はプールや横浜から来ていた従妹との遊びに費やして、休みの後半にたまっていた宿題(工作や自由研究)を泣きながらしていた。高校生ぐらいになるとバイトに明け暮れていたような気がする。そんな夏休みも今となっては楽しかったな〜と思える。いや、うらやましいのとねたみも半分な今日この頃。(リュウ)


『下北沢の店』

りゅうさんが教えてくれた蚊帳を売っているという下北沢の店に行った。そこは本屋と雑貨屋とCD屋とアンティークショップが合体したような不思議な空間だった。たとえていうなら、引っ越し途中の物持ちな人の家に紛れ込んだって感じ。本も雑貨もキワモノありのマニアありので、ものすごく私好みだったが、それについている店員の手書きのポップも最高におかしくて、つい2時間もうろうろしてしまった。
それで肝心の蚊帳はどうだったかというと、けっきょく買わなかった。私が想像していた蚊帳というのは、白くてうすい「たも」に使われているような網だったのだが、そのお店のはどうみても網戸の網なのだ。しかも色はショッキングピンク、黄色、網戸の網そのものの青の三色。究極の選択だ。青がいちばん無難だといえば無難だったが、なんか漁師の底引き網みたいなんだよなあ。寝てる間に、網ごとおじいさんのごつい手に引っぱられていきそう。なのでもう少し探すことにする。私が購入したものリスト↓
「アレッポの石鹸」(どこにでもあるが、手書きポップがおもしろすぎて購入)
「ジャリおじさん」(探せばあるだろう)
「大日本天狗党絵詞」(なかなかないんだよ!!)
りゅうさん、いい店教えてくれてありがとう!(京)


友人たちと、何ヶ月か前から8月に神津島にいく計画をたてていた。最近の地震や台風、火山の噴火などで、神津島や三宅島その周辺の人たちは大変な被害にあっているのを、テレビや新聞で目にする。最初に神津島に地震がきたとき、最初に思ったのは、島の人たちのことよりも、自分たちが遊びにいけないかもしれないという不安の方だった。
被害がひどくなるにつれて、あの時の自分の反応が悔やまれたが、思ってしまったのもまた事実だ。友人たちの反応もやはりはじめはそうだったらしいが、事態は深刻で、スコールのような雨の降る夕方、内幸町にある、イタリアンレストランにて神津島緊急会議が開かれ、キャンセルは来週の様子を見てから決めようということになった。多分無理だろうという気持ちの方がかなり勝っていたし、実際それは当たっていた。水浸しになった地下のそのお店の前では、従業員の男の若い男の人たちがモップで水を吸い上げていた。大量に流れ込んだ水はすぐにはなくならない。お客が入りやすいようにダンボールをしいて店内に招き入れてくれた。
神津島の地震と台風とを比べることはできないが、この夜の都内スコールは通り雨的なものであったにしろ侮れないなと思った。自然はすごい。通り雨が通り過ぎないスコールになったら大洪水だ。こんな大都会だって、一瞬のうちに水浸しにしてしまう。自然はやさしくつつんでくれるかと思えば、すごい力で風をおこし、水を溢れさせ、大地を揺らす。その激しさは半端じゃない。地球が生きているというあかしでもあるんだろうが、最近の猛暑の中でとけた脳味噌で考えるのは、このまま私自身もとけてしまうんだろうかということだったりする。だって暑いんだもーん。
海を望めなかった、ハイキンガー(私達がつくった言葉で自然の中を歩く人のこと。つまり山登りを本格的にする人たちよりもハイキングに近い山登りをこよなく愛している4人)に対して、きっと山の神様が怒っているんだろうなあ。ちゃんと山に登れよっ。海なんかに浮気するなよって(笑)。でも島の人たちは笑い事じゃないですよね。
最後になりましたが早く島の人たちがいつもの生活に戻れることを祈っています。(やぎ)

どこか遠くへ行っちゃった。(心ここにあらず)(宮)

2000年7月11日
『充実した休日』
先週の日曜日は、橋岡久馬さんの能を観に行き、今週の日曜日は、吹越満のソロライブに観に行った。久々に充実した休日を過ごしたが、おかげで、財布はすっからかんだ。(京)

『3分クッキング』

暑くて食欲もなくなるこの季節には、茄子が体にいいです。茄子を4等分ぐらいにし、筋を入れてフライパンで焼きます。表面に焼き色がつき、少ししなったぐらいがちょうどいい。皿に移して、ポン酢をかけます。茄子と酢がいいんです。かつお節や生姜などを添えるのもいいかもしれません。旬野菜をおいしく食べれば、元気もでてきます。(かわら)


『むくみ』

そういえば最近ミニスカートをはかなくなったな、それどころか膝丈のスカートですらはかなくなったな…と思い、これからの暑い季節に向けて、持っているミニのワンピースを試着してみたのは1ヶ月程前こと。「はっっ!!何か違う」ミニスカートからのびる自分の足に違和感を感じたのです。
太くなったと言うよりむくんでいるのです…。足全体というわけではなく、膝から下が特に足首と足の甲。最初の内は、そんなに気にしていなかったのですが、ここ最近とにかくむくんでむくんで痛い。足の下を高くして寝たり、マッサージをしたり、でもむくみがとれる気配なし。「変な病気だったらどうしよう…」と悩む私に「早く病院にいけば」と言う友達。でも怖くて病院に行けない臆病者。今、これを書いている最中も、足が痛くて、書きながらブルーになっているのに、それでも病院に行かない私。まあ、そのうち行く予定…。(みなりん)


『成長』
台風3号が去ったあとの日曜日、湿度が低くて久しぶりにすがすがしい天気になった。久しぶりに都立大学の遊歩道に足を踏み入れた。梅雨の前半の雨と高温で植物が繁茂していてもともと狭い石畳の遊歩道は両側からせり出した枝や草でかくれんばかりになっている。石畳の境目からは草が生い出し、表面は苔で覆われている。
大学は丘の頂上の平面に建てられているが、その周りを遊歩道の一部がめぐらされており、数年前には、丘の先端に行くと、植えられたばかりの木々の上から、遠くの景色が見えた。それが、いつの間にか造林が成長し、視界がさえぎられて、森の中を歩いているような感じになっている。(宮)

『徘徊(はいかい)』

ここのところ暑さのために寝苦しい日が続いている。眠る前にエアコンをドライにしてタイマーを<1時間で切れる>にセットする。
ある夜のこと、なかなか寝付けなかった私の隣で眠っていたコドモがムクッと起きあがり部屋中を歩き始めた。子供の頃はよくある「夢遊病」というものなのだろうか。とにかく寝ている間もよく動きまわるので、朝起きてもグッタリしている。人ごとのように「寝ても動いているなら疲れもとれないよね」と思っていた私だが数日後、夜寝るときとは明らかに違った部屋でグッタリとして目覚めたときに、自分も眠りながら歩き回っているのかもしれないと思った。
親子して眠りながら部屋中を歩き回っているのを想像すると恐ろしい。(リュウ)


『だちょうランド』
さて、沖縄へいったことは前回書いたが、ある日だちょうランドへ行った。同行した友人Jは暑さと眠さ、そして疲れでぐったりしていた。会社のことも気がかりだったので電話でもいれようと友人を車の中で眠っていてねと言い残し(ちゃんとエンジンはかけたままクーラーもかけといたので脱水症状で死ぬことはないだろう)公衆電話を探した。こういった施設にはどこかに公衆電話があるものだ。そう信じきっていた。てっとりばやく、そこで働くおじさんに聞いてみることにした。どうやらこのへんに公衆電話はないらしく、自分のトコの電話を使えという。「東京で遠いとこなんで、お金を払わせて下さい」というと「いらないから」という。ひとまず電話は借りることにした。
東京では、いろんな注文が来ていたらしく、臨機に対応してくれていて、ホッと胸をなでおろした。しばらく話をし、電話を切った。少しでもお金を払いたいと差し出すが、「いいから、いいから」とよく日に焼けた肌と沖縄の人らしい顔つきのおじさん。すっかり甘えることにし、丁寧にお礼をいった。戻った車の中では、友人がまだぐったりと眠っている。もう少し眠りたそうなJ、私もしばし、ボーッとする。急ぐことはないのだ時間はあるんだから。しばらくすると、Jも復活した。「だちょうランド」に潜入だ。受付にはさっきのおじさん。だちょうランドは沖縄で唯一だちょうとふれあえる場所だ。年齢ごとの柵の中で、だちょうたちがうごめいている。大きな体に長い首、羽の生え際には鳥肌が見えた。生後3日のあかちゃんまでいる。大きなたまごから生まれただちょうは、羽もやわらかそうで、首もそんなに長くない。じっとみていたら、おじさんがやってきて、抱いてみる?と声をかけてきた。初めて抱いただちょうの子どもはホワーんとして柔らかくて温かかった。
帰りがけにレストランを通り抜けると、だちょうのステーキとだちょうの目玉焼きなるメニューがあった。目玉焼きは1万円とある。かなり大きいからなあ。でもおばちゃんいわく、今は産卵期なので、いまなら3千円なのだそうだ。大セールだ。食事をしたばかりの私達には魅力が感じられなかったが、こんな大きな卵でつくるホットケーキは美味しそうだ。結局だちょうの薫製を購入した。沖縄のだちょう産業の発展を願って。帰りに車を駐車場から動かしていたらおじさんが笑顔で手をふってくれた。なんとなくこそばゆいような笑顔でこちらの心のなかにさわやかさを残して。(やぎ)
2000年7月 4日
『いつか必ず見返してやれ!!』
不況だという。テレビも新聞も「不況、不況」と騒いでる。世の中大変らしい。そんなご時世、がんばって働くしかない女性、私がよく知るその人はその言葉に悩まされ、いつもブツブツ文句を言っている。ストレスもたまる一方だという。そんな彼女のちょっといいお話。
『「経費削減」を上司に言われ、やれる範囲…いや、それ以上にがんばって実践しているにもかかわらず、やることなすことチクチクと嫌味を言われ、「このやろうっ」と思っても小心者でどうすることも出来ない。ある日、家に送られてくる光熱費の請求書を見ながら彼女は思った。我が家の光熱費も削減しなくては…。彼女は会社に、ちょっとだけ反抗する決意をした。そして数日後実行にうつした。
朝出社し、まっすぐ給湯室へ向かう。手にはコンビニで買った、100円のリンスinシャンプー。流し台へ頭をおろし、蛇口をひねる。そう、彼女は会社で「朝シャン」をしたのだ。思いっきりお湯を使い、ガシガシと頭を洗ったという。そして、会社のタオルを何枚も使い、頭をふきまくったという。本当は体も洗ってやろうかと思ったが、人が入ってきたらシャレにならないのであきらめた(←やればよかったと最近は思っているらしい)。全ての作業が終了した後、彼女は「私はやった!!」という達成感を感じ、鏡に写る自分の顔が何だか誇らしげに見えたという』
そんなことでストレス発散になったかどうかは謎だが、その日一日は、いい気分で仕事ができたそうだ。そんな彼女に私は言った。
「世の中全体が不況の今、不況を隠れ蓑にしたってしょうがないし、「不況だから」というのは言い訳の一つでしかないんだよ。だからそれに立ち向かおうとして、がんばって働くあんたはエライ」ってね。
彼女は今日もがんばっている。たまには会社に上司にこっそり反撃しながら、自分はちゃんと前を向いて戦う女だと、ただ現状から逃げてるだけの人達とは違うとがんばっている。
そして、それを私がわかっている。(みなりん)

『カラスとおしゃべり』

都会にはカラスが多い。特に公園は彼らの住みかとなっている。もともとはカラスも山に住みかを持っているはずだが、開発が進んだおかげで都会に出てきてしまったのか、生ゴミを漁るうちに人が多く住む都会に出てきてしまったのか。理由はともかく私たちの思いもよらないような知能を持っているらしい。
私の勝手な思い込みかもしれないがカラスはしゃべるのだ。普通カラスは「カアカア」としか鳴かないと思っていたが、余りにも人間の近くで慣れてしまったのか、人間の会話を聞いては真似しているかのようだ。
よくよく聞いていると、時には子どものように、おばさんのように、またある時にはおじさんが笑っているような声色で一羽でしきりにしゃべっているのだ。
【話をするカラス】と会話する人が出てくる日も近いかもしれない。(リュウ)


『山話』

7月1日富士山が山開きになり、梅雨が明ければ、いよいよ夏山シーズンがやってくる。去年は東京近郊の低山ハイクから、谷川岳、苗場、会津駒といった標高の高い山々まで、15座近く登った。今年は、白馬、北岳、槍ヶ岳に挑戦したいと意気込んでいたが、肝心の山の師匠が仕事の鬼と化してしまったため、連れていってもらえずにいる。一人でも行こうかと思ったが、山に慣れた人と歩くことに安心感と道行きの楽しさがある。単独行に徹し、孤高の人で名高い登山家加藤文太郎にはとてもなれない。かと言ってこのまま山にいかずに下界で夏を過ごすのは息苦しい。歩いて歩いて、また新たな風土をこの目で見たい。目下、書店でおじさんに紛れて山雑誌をあさり、登山ツアーに参加しようかと計画中である。(かわら)


『日本はせまい?』
珍しく、休みをとって沖縄旅行に行ってきた。沖縄というととっても遠い憧れの場所だった。日本人なのに沖縄にも行ったことがないなんていけない。あそこも今はちゃんと日本なのだと私は旅立つことを決心した。旦那を一人置いて。「エリセラさんご」をこの会社で出版してから、仕事でダイビング雑誌を物色する機会があり、それからというもの沖縄に行きたい病が発病した。青い海、南国の空、白い大きな雲を夢見て、友人と二人飛行機にのった。2時間くらいで到着した沖縄は暑かった。ちょっとそこまで出かけたというくらいあっという間についてしまうのでちょっと寂しい。本当に時間があるなら、船で2日くらいかけて出かけるのが、旅の醍醐味だろう。
日本は広いのに狭い。楽しみはすぐに勝ち取れちゃあつまらない。特に旅行ならなおさらだ。沖縄での5日間はあっという間に去っていった。潜水艦に乗り海の中にもぐったり、海やプールで泳ぎ、ダチョウのあかちゃんを抱かせてもらい、市場に行って魚や、ゴーヤチャンプルーを喰らい、亜熱帯の植物園では、そこに生きる植物のパワーを感じたりした。
この旅行で一番びっくりした出来事は宿泊したホテルで、知り合いに出くわしたことである。まさかこんな遠くにきたのに会社関係の知り合いに会うなどと思うはずがない。東京に住んでいても滅多に会わない人と、沖縄の同じホテルで遭遇するなんて、向こうも思っていなかっただろう。家族旅行中のA社のSさんの水入らずの姿に、旦那を置いて一人だけ楽しんでいる私を少し反省。このような偶然はどこにでもある。実は私は地方に出かけると思いがけなく知り合いに出くわすことがよくあるのだが、まあ本当に日本は狭いなあと思うと共に、こうして偶然に出会う神様?のいたずらにつきあってやるかあという気持ちにもなったりする。
今回、とても沖縄の人たちと友人には助けてもらった。普段あまり車に乗らない私は運転にも道にも自信がなかった。迷いながらも事故もなく無事にいろんなところを廻れたのは友人のナビと地元の人たちの温かい応対のたまものだったと思う。会社で私のいないあいだ私のかわりに滞りなく仕事をこなしてくれた頼もしい仲間達と久々に顔を合わせた。ここもいいなと思った瞬間であった。(やぎ)

『路線ちがい』

引っ越しをしようと考えて、折り込み広告を注意して見始めた。ところが、これが私の住んでいる京王線沿線か、その延長線上の地区のものばかりである。
都心から離れた地区では八王子駅近辺か、橋本付近ばかり。鉄道沿線住民に広告するのだから、その沿線の物件を集めるというのは理解できるが、私のように違う私鉄沿線を考えている者にとってはこれらの広告は全く役立たずである。いま京王線沿線に住んでいるからといって、又同じ京王沿線に移転するとは限らないと思うのだが、広告は頑として、京王沿線とその延長の地区のものばかりである。これで本当に、広告の効果があがっているのだろうか。(宮)


ちょっと早めの夏バテ。(京)