王様の耳はロバの耳 2000.5
〜朔北人の楽しみな事〜
2000年5月30日
『指揮者』
オーケストラには大勢の指揮者がいるらしい。演奏会に行ってプログラムをひろげると、その楽団の指揮者がズラリと並んでいる。いわく、名誉指揮者、桂冠指揮者、アーティスティック・アドバイザー、正指揮者、副指揮者、専任指揮者、首席客演指揮者……。
要するに、このオ−ケストラの指揮者は誰なのか?もちろん、いろいろな局面で、分担があって、複数の指揮者が必要なのだろうけど、わかりにくい。お役所の組織と同様で、処遇の都合上、多様なポストが作られているのかもしれない。(宮)

『引っ越し』

半年前、引っ越したばかりなのに、このごろまた引っ越したくてむずむずしている。しかし、去年ノートパソコンの購入と引っ越しという二大イベントを強行したため、貯金はすっからかん。引っ越しなんてまったくとんでもない話なのだ。親にこの話をしたら「結婚資金くらいためてるかと思ったが」とあきれられてしまった。いいんだ、私は式もあげないし、新居だってボロアパートで充分。指輪なんて給料の3分の1だっ。こんな私と苦労をともにしてくれる気だてのいい人、どこかにいないかなあ。なぜかまた結婚の話になっちまった。(京)


『手始めに市民プール』

まだ5月なのに、なんで毎日こうも暑いんでしょうか?今日なんて30度!!異常気象ですよね、間違いなく。風呂上がりに「プハーっ」とビール好きの人にはたまらない季節がやってきたようです。ちなみに私はビールが飲めないので、関係ありません。
こんなに暑いと、季節はもう夏のようです。夏が近づくと、毎年『今年こそ水着買って、海にいこう!!』と思ったりはするのですが、思うだけで終わっています。長野の山奥で育った私は、海で遊ぶという感覚が当たり前ではないので『夏だー!海だー!ワッッー!!』という事もありません。海で泳いだ事なんて、今までに1回しかない(小学校の時)。しかも、前の日まで台風だったので、海は荒れ狂っていて、海草やゴミがいっぱい浮いていたので、そんなに海に対するいい印象もないのです。そういえばプールも、高校生の時以来、行ってない!!…ので、今は分からないが、その昔、1000M余裕でおよげたりした(←ちょっと自慢)。
今年の夏こそ、オリンピックイヤーだし、近場の市民プールにでも行って、このナイスバディを披露しつつ、スクール水着(←これしか持ってない)で泳いでみようかなと思っています。(みなりん)


『自分が自分で居られる時』
どんなに社会が変わっても変わらないでいたいのが、人との関係だ。多くの人の中にいてもなかなか自分が肩肘を張らずにいられる仲間というものは大切だなあと感じるようになった。ありがたや、ありがたや。それは、年をとったからだろうか。
学生時代(中学生)からの長いつきあいになると自然に本当に気軽に連れ立って映画に足を運び、旅行にゆく。自分のペースがそこにはあり、そのペースを乱されることなく、受け入れてくれているのを感じる時がある。それでいて、時にはその友人たちのペースに巻き込まれ、私の時間が乱されることがうれしくもあったりする時があるのである。家族だとまた違った感覚だろうか。家族だともっとわがままな部分が強調される。友人という他人というすこーし緊張感が伴った関係というのはまたいいものだ。最近自分の持ち味(クセや欠点も含めた)の輪郭が見えてきた。固まってしまうのでなくまだまだ成長をしたいとは思うものの今の自分を理解しつつ、生かすべく道を見つけたいとひたすら歩くのだ。(やぎ)

『森のなか』

先週、お昼に公園でお弁当を食べるとこのロバ耳でも書いたが、その話を田舎の母親との電話でしたら「え〜。公園で食べるの?」っと少し驚いていた。そして次の日再び母からの電話で「公園でなんか食べるのよしなよ〜。」と言われてしまった。確かに田舎では公園で、しかも1人でお昼を食べるのは<変わり者>と思われても仕方がない。(田舎には公園の存在が余り必要ないから)
しかし、都会の野山も無い場所では公園が唯一の憩いの場所なのだ。人工的に作られたとはいえ、そこに木や他の植物があるだけで心が落ち着ける。4年ほど前、新宿御苑にお花見に行ったとき、そこから見える西新宿の高層ビル群を眺めて森の中に建っている不釣り合いなビルだなと錯覚を起こしたことがある。実際は周りがビルばかりでポッカリとその場所だけが公園になっているのだが…。
「森林浴」なんて言葉をたまに耳にするが、確かに森林の中では生命がゆったりと時間(とき)を刻んでいる。そこでは「静けさの音」しか聞こえないし、時間に追われることもなく毎日毎日が過ぎていく。そんな森の中での生活をいずれはしたい。そんな時もやはり<変わり者>となってしまうのだろうか?(リュウ)


『朝の電車の小さな楽しみ』

朝の電車、幼稚園に向かうカイくんとハルカちゃんが乗ってきた。二人はいつも一番前の窓にへばりつき、つぶらな瞳をかっと見開いて、好奇心いっぱいに外の景色や車掌室に釘付けになる。カイくんは物事を理論的に考える。そして、疑問に思ったことは、「ちょっと聞きたいんだけど」と前置きしてから、自分が理解するまで、お母さんに聞く。(この気どった前置きに、実に彼の性格があらわれている)ちょっと前まで駅の順番がわからなかったカイくんは、繰り返し繰り返しお母さんに聞いて、今はすらすら駅名を言えるようになった。自分が降りる駅もわかっている。一方、妹のハルカちゃんは、降りたいときに降りようとする。時には大声でしゃべってお母さんにたしなめられ、腹いせにカイくんにあたる。ハルカちゃんの横暴ぶりにもカイくんは大人な態度で対処する。ハルカちゃんは、頑固そうな眉をクッとあげ、しばらくふてくされたかと思うと、もうおかあさんに「だっこ、だっこ」とせがみはじめた。気持ちいいほど、本能のままに生きる女なのである。しかし、この二人、実によくしゃべる。お母さんを交えて、三人であーでもないこーでもないと話す。とりとめのないことを話しているようでも、彼らなりに考えて物を言っているあたり、利発さが伺える。そして、なによりお母さんが子どもたちと目線を同じにして、子どもの言うことに耳をかたむけ、きちんと答えているのが子どもの意識をのばしているように感じられるのだ。端からみてても気持ちのいい親子さんである。朝、電車で一緒になるのが楽しみになっている。(でもね、大きい声じゃ言えないが、この電車、完全に遅刻なのよね)(かわら)

2000年5月23日
『思いやり』
停留所でバスを降りようとした老婦人が、運転手に強い調子で言う。
「あの…ちょっとぉ、降りるのに、ドアが開いてないんだけどっ」
運転手が前を向いたまま冷たく答える。
「後ろのドアが開いてるでしょっ?前の人が降りてんだから、わかるでしょっ」
そのバスには、前・真ん中・後と3つのドアがあり、前から乗り、後から降りる。真ん中のドアは終点でしか開かない。知ってる人にとって当たり前のことかもしれない、でもそれが常識とは限らない。実際、前と真ん中にしかドアがないバスもある。そのバスを平常利用してる人にとってはそれが当たり前の事になっている。
さて私は、通勤途中のバスの中でこの会話を聞いて、かなり不愉快になった。運転手の返事の仕方もどうかと思う。が、最初に話しかけた老婦人の方にも問題はある。お金を払ってバスに乗っているから、乗客が偉いということはないし、運転手側がお客様にありがたいと思う気持ちは持っていたとしても、乗客がそれを見越して偉そうになるのは違うと思う。
この場合、両方に相手を思いやる気持ちが少しでもあるなら、私は朝から不愉快な気分にはならなかったのだ。
そんな事があったので考えてみると、ほんのちょっと相手を思いやる気持ちをもてない人が私の周りにもいるし、世間にも意外と多い。どうやら、年を重ねるごとに「思いやる」気持ちは薄れていってしまうみたいだ。まあそういう人はそれでいいと思っているのだろう…。自分はそうならないようにすればいいだけの話だ。(みなりん)

『家計簿』

ゴールデンウィークあけから家計簿をつけだした。細かい項目立てはせずに、一日のうちでお金を使った物や場所、その金額などを書き込んでいる。まだ2週間くらいしかたっていないが、家計簿から自分の生活がなんとなく見えてきた。
まず、私が月々でお金をいちばんかけているものは、家賃を抜きにすると食費である。書籍でも雑貨でもなく、食べ物なのである。そして、私が一日のうちもっともお金を使う回数が多い場所はというと、それはコンビニである。
なんと一日2〜3回コンビニに立ち寄って何かを買っている。だいたい200円から300円しか使っていないが、ちりも積もれば山となり、私の家計を圧迫している。
旅先の風情ある景色のなかにコンビニを見つけると、「コンビニ、なくなれ〜」などと息巻いていた私だが、どうやらコンビニなしでは生活できなさそうだ。(京)


『借りる女』

風が心地よいこの季節は、公園でお弁当を食べるのに最も適している。暑からず寒からず、新緑の葉の間から見える雲が流れるのを眺めながら食べるのは少し得した気分になる。その後の楽しみが、一服しながら本を読むこと。しかし、毎日1冊程度読むとして…1ヶ月に20冊も本を買えない!(金銭的にも置き場所的にも)そこで出版社に勤めていながら申し訳ないが、書籍といえば借りることにしている。田舎(長野)にいた頃と違って、家から会社に行くまでの道のりには図書館が3ヶ所もあるので便利だ。今日はどの図書館に寄っていこうかな〜?などと楽しみながら図書館巡りしている。
しかし、「選ぶこと」さえ面倒な横着者の私にとって、数ある書籍の中から読みたい本を選ぶのは至難の業である。そこで出版部の人達が持っている書籍をパラパラとめくって読みやすそうな本を借りるのだ。今まで自分では探し出せなかった面白そうな書籍を「読んだら貸して。」の一言で借りてしまう私は、嫌なタイプかもしれない。でも以前から「本は買わずに借りる!」と公言(?)している私に(しょうがないな〜)と思いながらも快く本を貸してくれる優しい人がいると信じ、今日も人が読んでいる背後から面白そうな本を探す私がいる。
そう、あなたも狙われてい〜る〜の〜だ〜(笑)(リュウ)


『売るということ』
いまだに、営業に行って、人と話をするのは得意ではないが、最近少し馴れてきた。前には一書店行くごとに気合いを入れないと話しかけられなかったし、ともすれば緊張のあまり、お腹が下ってきたりしたものだった。今も緊張するには緊張するが、前のような極度の緊張はしなくなった気がする。何度か会っているうちに顔を覚えたり、少しは自分の中の知識が増えてもきたのだろう。まあ小社の若手営業ウーマンのMさんと比べると私などは(ちなみに私も彼女もイニシャルがM)まったくといっていいほどズブの素人だが、手に汗握りながら少しは会話出来るようになってきた。
先日大阪の方にある生協の集まりに顔を出した。そこに来ていた人たちはみんな営業の人たちである。みんな口々にいっていたのは、はじめ出版社に入社したてのときには「いつか編集がしたい」と思っていたのが、営業をする内にこんなおもしろい仕事はないと思ったという人が結構いてびっくりした。かくいう私も、はじめは社内の仕事ばかりしていたので、そこに満足していたが、いざ外にでてみると、いろんなことが見えてきた。いろんな人たちに会って、はじめは表面上のお付き合いだったのが、いつしか気軽に仕事のことや、他愛もないことまで話せるようになり、信頼関係が生まれたりするのだ。モノを売るのは大変だけど面白いことだ。人と会うということも。夫の実家は米屋だが、米の他に生活必需品やお菓子、ほかの食べ物も売っている。お父さんの好きなお菓子をためしにおいてみたらすごく売れちゃったとかもかなりあるらしい。そういった遊び心にちゃんと反応してくれる人がいるというのはうれしいことである。もちろん頑張っても全然売れないものもあるが。お客様のニーズを知ることや、時には自分の感覚に頼ることも必要なのだろうと思うこのごろである。(やぎ)

『サンダルのはげ』

サンダルを買った。大人の女を演出すべく、ヒール6センチ、高値の壁も軽く乗り越え、週末さっそく履いて出かけた。しかし、高さ6センチ、推定角度30度の傾斜にストッキングはつるっつるっすべる。靴屋でサンダル用の中敷きを求める。メロンパンによく似た色と形のスポンジがつま先の型にどかっとついて滑り止めの役を担うという仕組みになっていた。サンダルのつま先にメロンパン。脱ぐとなんとも不格好。素足になれば必要ないからと、接着テープも半分だけはがし、取り付けた。メロンパンはちゃんと任務を遂行し、がしがし歩き回る私の足をしっかりガードしてくれた。しかし、私はよく歩く。自分でも感心するが、サンダルだろうが6センチだろうが構うことなく、外股の大股でわしわし歩く。ついにはメロンパンも耐えられなくなり、気がつくと中敷きはすっかりよじれ、メロンパンもボロボロになってしまった。メロンパンもこの程度か、高くついたなと悪態をつき、はがそうとしたときに悲劇は起こった。ものすごい粘着力なのである。中敷きの半面積、軽く貼りつけたはずのテープがびくともしない。一組500円。その材料費はすべてこの接着テープ代じゃないかと思うほど、稀にみる強力さなのである。これは慎重にはがさないと革までもはがしてしまうと一抹の不安がよぎり、根比べに入った。少しずつ少しずつはがす。順調順調、きれいにはがれると気を抜いたところで、びりっ、びりびりっ。買って早々、右足一円玉はげ、左足500円玉はげをこさえてしまった。今ははげをどう隠そうかと悩んでいる。(かわら)


『外壁の絵』

南大沢駅の脇に大規模商業施設が建設中だ。たしか定期借地権を使っているはずで、何十年後かには取り払われることになっている。そのせいか、鉄骨に壁を貼り付ける今風の簡易な作りなので、いかにも安っぽくてイヤだなと思っていた。
ほとんど完成した外壁に、しばらく前から絵が描かれ始めた。どこかで見たことのあるフランスの風俗画風の絵で、淡い色彩と、自由な形はなかなか洒落ている。折角見通しのよい空間が建物によって息苦しいほどにふさがれてしまったことは残念だが、外壁の絵によって、すこしはマイナスを取り戻したようである。(宮)

2000年5月16日
『小渕さん』
小渕前首相が亡くなった。首相になる頃から今日までの短い間にこの人の評価は激しく上下した。しかし、評価の高低に関わらずどこか憎めないところがあり、突然の死とあいまって好ましい印象を残した。
私はこの人が初めて総選挙で当選したときのことを憶えている。昭和38年の総選挙で20代の若手当選者の一人として紹介された。しかもこの二世ということで以来小渕という人のこと、ときどき気にしていた。
当選回数がモノを言う世界だから、若くして代議士になった小渕さんは、それだけでも相当有利な立場にあったわけだが、プラス何かがあって、今日の地位にのぼりつめたのだろうと思う。(宮)

『3人の子ぶたちゃん』

訳あって2人姉妹が我が家へ泊まりに来ることになった。1人はコドモと同じクラスの6歳(ちょっとおませ)、妹は1つ歳下(ちょっと野性的)。
一人しか子育て経験のない(というか経験中)私は内心どうなることかとドキドキしていた。ところが私の気持ちに反して、3人がそれぞれの役割を持って少々のケンカはしたが私の出る幕はなかった。
いつの時代も姉妹(兄弟)ゲンカというものは凄まじい。他人になら少しは気を使って手加減するものだが姉妹となると相手が泣いても殴り合う。自分の幼い頃を思い出してみても、一番上の兄とは5歳も離れていたから力では絶対にかなわなかった。力でかなわないとなると頭を使う。誰が兄よりも強いのか。もちろん大人であり両親なのだ。「お兄ちゃんがぶった〜。」と言いつけにいくのだ。そうやって妹、弟は要領よく世渡り上手になっていくのかもしれない。
兄弟がいることによって上下関係や人間関係を学んでいくんだろうなぁ。(リュウ)


『一期一会』

最近、心がささくれ立っていたせいか、人に対して冷たい態度をとっていた自分に気付く。余裕がないと、わたしはついつい人のことまでかまえなくなってしまう小心者だ。最近ではよく人が殺されただの、死んだだののニュースも多く流れていて社会的にも多くの人たちの心が今、荒んでいるのを感じるのはわたしだけではないだろう。一期一会というのは一生に一度きりの縁、出会いという意味だが、考え方には2つある。「どうせ、もう会うことはないだろう」というものと「せっかくの出会いだ大切にしよう」という考えだろう。わたしの場合旅の恥はかきすて的なもので、前者に成りがちだが、逆に後者のようにこれが一度きりの出会いかどうか分からないのなら、どうせだったら楽しく、気持ちよく過ごしたいというのもあるかもしれない。そして思い出の中に残る人との出会いなんかもある気がする。現に一度しか会っていないのにわたしの心に残っている人というのは多くはないにしろ確かにいるのだから。一度きりの出会いであってもけっこう運命なのかも。(やぎ)


『秘密基地』
子どもの頃、八王子のはずれ、山あいの団地に住んでいた。遊び場は森と里山。そうした場所での遊びは数あれど、中でも一番印象深いのは秘密基地造り。深い森を分け入り、木ぎれで小屋の枠を組立て、家から持ち出したビニールシートを雨除けにかぶせる。粗大ゴミ置き場から物色したちゃぶ台や椅子を配置する。武装用の刀に見立てた木ぎれも用意した。俄基地の出来上がる頃、隣の組の奴らも基地を造ったぞぉと情報が入る。ここを嗅ぎつけられてはいかん。さあ、作戦会議を練ろう。誰もがトム・ソーヤやハックルベリーになっていた。ある時、隣の組の仲良しを秘密基地にこっそり案内したところ、ばったり見つかり、友人ともども身柄を拘束されてしまった。裏切りはよくないことを自覚する。しかし、裏切りは伝染してしまう。でもすぐ発覚する。秘密が秘密でなくなり、結局皆で共有しようということになる。人間関係が緩和されたところで、今度は森の所有者に見つかって撤退を余儀なくされる。森や山にも持ち主がいることを知り、一方で世の中うまくいかないことを学ぶ。秘密基地という場、森という場。その場のルールを遊びを通じて学んでゆく。秘密基地造りにはそんな学びの要素がたくさんあった。(かわら)

『昼寝』

今日もいい天気。こんな日は、日当たりのいいベンチに寝転がって、猫と遊びたい。(京)

2000年5月9日
『17歳』
最近、17歳の男子高校生が起こす事件が多発している。動機はいずれもはっきりしない。考えたからってわかるものでもないだろう。本当のところは、本人たちだってわからないんじゃないだろうか。17歳の男子高校生という共通点があるだけの、すべてが個々のケースとしてしかとらえられないような事件だけれど、底に流れているものは、よく似ているとおもう。それにしたって、似ているだけで、同じではないのだ。閉塞感や不安といった言葉をかぶせれば、それなりにわかったような気になるが、そういう言葉で覆いきれない、そこからこぼれだした何かがある。それがどういうものだったか、もう覚えていないが、自分の中にもそうしたものが、確かにあったのだろうと思わせる事件だ。(京)

『もし、毎日がお休みだったら…』

連休を終えて、もっと休みたいという欲求がむくむくと私の中から出てきた。毎日毎日働いて〜眠るだけ〜♪という生活にも飽きて、近頃、本当に自分がしたいことは何なのか考えたりする。児童書専門の古本屋なんていうのもいいなあ。もうからなさそうだけど。そこでみんなでコーヒーや紅茶を飲み、簡単な料理を出す。そして若い芸術家(友人たち)の作品を陳列したりして、お金にこだわらす質素に過ごせたらそれもいいなあと思った。たまの休みはうれしいモノである。働いているから休みがありがたく感じられるのだろう。毎日が休みだったらそうはいかない。毎日お昼におきて、遅い朝食を取り、散歩に出かけ、庭の手入れ、家の掃除なんかをするのだ。夕方になったらご飯を食べて、などとだらしないながらもリズムのある生活が送れるのか不安である。どこかで社会のリズムに依存している自分に時には腹を立てるのだが、いまだにそのリズムの中で自分を保っている気もするのだ。どちらにしても人は生きるためになにかしら働かなければいけないのだなあ。食べなきゃ人間死んでしまう。ご飯は体動かした後の方が美味しいしね。でも1ケ月休んでいいよっていわれたら間違いなく休むけど…。(やぎ)


『私のルーツ』

連休、台湾に行ってきた。なにが一番印象的だったかって?私の祖母や母がいっぱいいたことだった。旅行者があまり寄りたがらない地元の商店街や屋台に行けば行くほど祖母や母が店先で、道ばたで、せわしなく働いている。目が合うと北京語でヒャーヒャー話しかけてくる。(しぐさは、買え、買えだった。)おかげで旅行中屋台に通い続けた。道行く人も知り合いに似てるという感覚で、現地の人もこちらを外国人と見ない。料理も日本で食するモノ以上に口に合い、胃袋までも同化していた。でも、やはり言葉の壁は大きい。現地の人々はかつての植民地時代の影響で日本語を話せる人が多い。しかしこちらは北京語ちんぷんかんぷん。言葉が通じたらもっと深く現地の人に触れることができたろう。海外の旅に言語は大事。それでも、台湾の風と味に存分に触れ、姿かたちの似た人々にむしろ親しみを感じ、それほど強い警戒心を強いられない旅だった。(かわら)


『一夜漬け』
連休中は以前から計画していたとおり引っ越しから始まった。引っ越し前日の夜からバタバタと片づけを再開した私は、学生の頃のテスト前日の一夜漬けを思い出していた。それまでにこつこつとやっていれば大したこと無いことなのに、前日になると「これだけやった」という達成感を味わいたかったのだろう。人間は追いつめられないといろいろな事が出来ないということが分かる瞬間である。
せっかく荷物を新居に移しても、片付けが待っていたのだ。一つ一つの荷物を開けてどこに置く物かを分けていく。そんなこんなで連休の間、近所の公園と食料調達の為のスーパー以外は外出することなく過ごしてしまった。
そして連休最終日には、不覚にも体調を崩すこととなった。(やっぱり慣れないことはするもんじゃない)(リュウ)

『こどもの日』

こどもの日に上野に行った。昔と変わらずすごい人出でJRの公園口はごった返している。横断歩道には婦人警官が出て、交通整理していた。若い人だが、度胸がすわっていて、笛をならしながら小気味よくさばいている。
いい天気で、動物園はすごい混雑のようだったが、美術館へ回ると意外に人はいない。都立美術館へ行ったのだが、行列が出来ているのはルーベンス展だけであといくつかの団体展はほとんど人が入っていかない。私もそういう観客の一人で、入り口が混み合っているルーベンス展に足を踏み入れた。ひと通り見て回ってすっかり疲れた。(宮)

2000年5月2日
『さあ山に行こう』
週末、山梨県初狩にある高川山に登ってきた。標高は千メートルにも満たず、往復3時間ほどの小さな山だが、山梨百名山に数えられ(山梨県内だけで百も山があるのかと、そっちのほうが驚きだ)、山頂からは遠くに富士を見据えて360度の眺めが楽しめる。お昼近くから登っても、明るい内に帰ることができる。この日も顔中に疲労を漂わせ、目の下クマびっちりの私と二日酔いの連れの不健康組は、昼近くからちんたらと高川山山行に繰り出した。お互い体に溜まっている悪いモノを吐き出すのに必死で、歩いて歩いて、どんどん登った。
しかしどんなに低くても山は山である。調子に乗ってペースを挙げていると、案の定、中盤から息が切れてきた。山頂はまだかと、連れの存在も忘れ、ただ黙々と登る。山は中腹から視界が開け、新緑の広葉樹林がつづく。遠くに在りながら、他の山々を抑え、圧倒的な存在感を放つ富士山。次第に疲れも飛び、変化に富んだ景色にいつしか楽しみながら登る。汗ばむ体に風が気持ちよく、山頂に着いたときにはすっかり体の調子がよくなっていた。奥多摩をはじめ、東京近郊にはこうした軽く登って楽しめる山がごろごろある。しかも風呂付き。高川山の麓にも風呂に入れる旅籠屋があり、汗を流して、すっかりリフレッシュ。悪いモノが削げ落ちた。これから山に行くにはいい季節になる。仕事の疲れを引きずらない方法。週末はお弁当と水筒を持って低山ハイクを楽しもう。(かわら)

『B級グルメ』

ロバ耳もなんだかんだで一年以上やっていると、前に書いたことを忘れて、またもや、同じことを書いてしまっているかもと思う今日この頃。同じこと書いてたらごめんなさい。やーあ、ボケはじめたかなあ。さて私は高級料理よりも気軽に食べられる物がわりと好きなのだが(お金が払えないから食べたことないという説もあり)、その中でも最近気に入っているものがいくつかある。一度食べて、又食べたいというものはなかなかお目にかかれないが、いつも、その地に行くとつい寄り道して食べたくなるというスゴイものが吉祥寺の丸井の道路向こうにある(本当か?)。たこ焼きやら、大判焼きを売っている「おやつショップ」(袋にそうかいてあるが、店の名前はきちんと確認したことがない)で売っている、オランダ焼き(100円)である。見た目は大判焼きの形だが、味はサイコー(説明になっていない)なのだ。中身はハム(ちょっと変わった感じの)とレタスと辛子マヨネーズだろうか?どれも火が程良く通っていてレタスとハムとマヨと生地が絶妙なのだ。夕暮れ時に家に帰る前についいつも食べたくなってしまう魅惑のおやつといえる。
その他にも日光の湯滝の近くの売店の鮎の塩焼き(500円?他にイワナやヤマメもある)もうまいし、コンビニの神戸プリン(150円、名前はまちがっているかも)は最近の私の究極のデザートとして、私の幼稚な舌を楽しませている。ちなみにオランダ焼きの表面にはまるで「俺はオランダ焼きだゼ!」と主張するように黒く「オ」と刻印されている。(やぎ)


『忘れることの必要性』

引っ越し作業もいよいよ大詰めになってゴチャゴチャした物を箱に詰めている。いる物なのかいらない物なのか定かではないが、とりあえず入れておけばいつかは役に立つかもしれないと思っている。箱詰めしてガムテープで封をして、中身が何なのか忘れてはいけないと思い、書こうとすると「あれ?何入れたんだっけ?」とりあえず「こまごました物」と書いて満足。こんな事の繰り返し…。
子供の頃は「良く覚えているね」と記憶力の良さを誉められたものだが、ここ2,3年で「嫌なことはすぐ忘れる」という癖がついたらしい。(悪くいえば老化なのだろうか?)でも忘れることによってストレスをためることなく生きられるのは利点だ。重要なことだけ忘れないようにすればこの「忘れる」という生き方もステキだなぁと思ってしまうのだ。
自分に都合の悪いことは聞こえず、いいことだけしか覚えていないというかなり“我が道を行く”おばあちゃんになりた〜いと思う今日この頃であった。(リュウ)


『何でも一人で』
最近、とっても孤独です。友達ともまったく遊んでいないし、会社の行き帰りも、寄り道せずまっすぐ家に帰り、休みの日は一日中家にいる、寂しいにもほどがあるんじゃないかという26歳の春を過ごしています。人付き合いが煩わしい時期というものが誰しもあると思うのですが、そんなモードに入っているだけで暗い人間になったわけではありません。ちょっぴり疲れているだけなのです。さて、そんな私の最近の悩みは、独り言です。最初の頃は部屋でのみだったのですが、最近では電車の中でも言っているようです。自分ではまったく無意識なのですが、周りの人の冷たい視線で気がつきました。改善策を見つけるべく、ウォークマンを聴き始めたら歌っているし(しかもライブバージョンを愛聴してる時はかけ声まで)、本を読めばいちいち感想を言っているという。「孤独を好む女」をかっこいいなあと思いつつも、今の私はそれとはほど遠い「孤独な女」だったりするのです。(みなりん)

『カラオケ』

私は、カラオケがあまり好きではない。なぜかというと、聴きたくもない人の歌をえんえん聴かなければならないからだ。自分の歌を聴かせるんだから仕方がないといえば、そうなんだが、全然知らない歌ばかり歌われたら、すごく退屈する。しかし、私の歌う歌もすごく古い歌ばかりだから、聴いている方は退屈するだろう。なので、家族や気心のしれた友人以外とはあまり行かないことにしている。先日、友人とふたり、半年ぶりにカラオケに行った(友人は2年ぶりだったそうだ)。お互いの知らない歌ばかり歌っていたが、無理して聴く必要もないし、「演奏中止」も遠慮なく押せるので、さびの部分だけ歌ったりしながら、とてもすっきりすることができた。でも高かった。(京)