王様の耳はロバの耳 2000.1 〜ミレニアム(?)な幕開け〜 |
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2000年1月24日 |
『カレー食べたの誰?』 |
ある日の我が家の晩ご飯はカレーだった。カレーをつくった次の日からダウンした我が家の2人は、その後数日間はカレーには見向きもしなかった。あと3皿分以上は残っていたので、まだ食べようと思えば食べられたのだが、ふたをせずに放置していたのであまり衛生的とは言えない状態だった。風邪もだいぶ治ったある日カレーの鍋をのぞいてみると、ジャガイモだけを選んだように、白く筋がついていた。過去に何度が経験している私は、そのジャガイモに残された筋が、ネズミの歯によるものだと検討をつけた。もうこれは食べらんないよなあと。でもなんだか捨てるのももったいない。そのままにすること3日間。毎日覗いてみるとな、なんとどんどん減ってゆく。じゃがいもだけでなくルーも。3日もすると3分の一以上減っている。さすがに恐くなった。食べるなら、全部食べてくれれば捨てずに済む。地球にやさしい?ではないか。だが、さすがにいつまでも取っておくのも汚いかなと思い立ったのと、ネズミの体にも刺激物は悪いと思い(私のネズミに対するやさしさ?)捨てるとにした。その数日後、缶詰などをストックしていた棚の後ろには黒いつぶつぶが山のように落ちていた。それはネズミの「ふん」だった。あんなに食べればふんも沢山出るよなあと思いつつ、なぜ私が夫の他に、こどもでもなく、飼っているわけでもないやつらのために働かなくてはならないのか?という疑問は湧いてくるが、私の作ったカレーをあんなに小さい体(姿は見ていないが)でガツガツ食べてくれたかと思うと、少しはネズミのために働くのもたまには悪くないと思えてしまうのであった。(やぎ) |
『こがらし』 |
21日は今年一番の冬らしい寒い1日だった。1月末になってやっとこんな天気になった。体にはこたえるが、冷たい風が首筋を鋭くかすめていくのは、冬を実感させてくれる。寒さだけなら、日本国内で、もっときびしい所がいくらでもあるだろうし、そう言う場所の出身者は東京の寒さなんてたいしたことないと言うが、カラカラに乾いた冷たい強い風が東京の冬だと私は思っています。これがないのは、すこし淋しいぐらいに思っていたものだから、「冬はこうでなくちゃ」などと、私は一人悦に入っています。 |
『5年たった』 |
夜、ひさしぶりにテレビをつけたら、神戸の震災のことをとりあげた番組をやっていた。そうか、もう5年たったんだな、となんとなく思った。 |
『無言館への旅・・・?』 |
北陸本線で日本海をぼぉっと眺めながら長野に向かい、野沢菜おやきをほおばりながら善光寺参りをし、隣接の東山魁夷美術館で絵画を鑑賞し、上田を経て宿泊地の別所温泉に向かった。まるで年寄り連れのような行程だが、ここでユースホステルに泊まるところがまだ若い。夏なら野宿でも構わないぐらいだが、さすがに冬場はやめておく。民宿の1軒もない、1泊1万から2万があたりまえの高額宿泊地別所温泉にも、ユースホステルが1軒ある。ユースがなかったら、別所温泉でゆっくり過ごすこともできなかった。 |
『妙な体質』 |
誰にでもあるのかもしれないが、私は幼い頃から不思議な体質なのである。ミント系(ハーブ系も含む)のガムやあめなどを口に入れると必ずくしゃみが出る。「良くあることだよ。」と言われてしまうかもしれないがそれだけにとどまらない。明太子やすじこ等の粒系(もしくはしょっぱい系?)、奈良漬け等の漬け物系もくしゃみが出る原因になっている。しかし、不思議と花粉などにはまだ悩まされたことはないが一体どういうことなんだろうか?何か匂いと関係があるのか全く分からないが、ちなみに私の兄弟もこれと同じ症状になっているらしい。少しは遺伝も関係するのかもしれない。このような妙な体質の人、もしくは原因を知っている人は『ロバ耳 係』と明記の上メール下さい。 追伸:本当は月曜日に更新している「王様の耳はロバの耳」(略してロバ耳)。しかし不覚にも私は月曜日に休んでしまった。そのおかげで(?)みんな私の取り立てる顔を見ることがなかったせいかほとんどの人が「ロバ耳」を書くのを忘れていたらしい。 火曜日に私の顔を見るなり「あっ!すぐ書くね。」と言われてなんだか複雑な気分になってしまった。(なんかサラ金の取り立て屋さんの気分?)(リュウ) |
2000年1月17日 |
『整理整頓って何だろう?』 |
この間、「ロバ耳」に登場している人達と遅めの新年会をやったのですが、その中で「部屋が汚いかきれいか」を暴露しあいました。私の部屋は散らかっている派なのですが(←あえて汚いとはいわない)、約1〜2名、その散らかり具合が一致した人達がいて少し安心しています。1〜2名が誰なのか、部屋の汚さの詳細は、女性としてどころか人としての品位をも落としかねないので、内緒にしておきます。 さて、私の部屋は確かに散らかっていますが、「何がどこにあるか」はちゃんと把握しているし、「何をどこに置くか」もちゃんと決まっています。でも、「どこに置くか」決まっていないモノたちが日々増えていくのです。…それが部屋が散らかっている原因ではないかと思っています。しかも、モノを捨てられないので、増えることはあっても、減ることがほとんどないのです。そんな悪循環を繰り返し、「部屋片づけよぉっと」と毎日口癖のように言いながら、まったく実行にうつす気配を感じさせず、今はまだ「結構散らかってる」ですんでいる部屋が「手のつけようがない」部屋に変わる日も近づいているのかもしれません。(みなりん) |
『私の太宰治』 |
出版社につとめて編集という仕事をしているが、恥ずかしながら、文学史に残っている有名な作家の作品を、あまり読んでいない。なので、太宰治についても、教科書にのっていた『走れメロス』と、『人間失格』くらいしかしらない。 |
『旅の要素』 |
信州を松本から北陸にかけて走る大糸線南小谷をすぎた頃から、夜が白々と明けてきた。今年最初の3連休、職場の友人と連れだって、長野を旅した。前夜23:50に新宿を発ち、明け方5時に南小谷に到着。そのまま糸魚川行きの列車に乗り換えた。深い山あいをゆくたった2両のワンマン列車に揺られ、糸魚川−直江津を経て、長野に向かう。なぜにこんなに遠回りするのかというとただ冬の日本海が見たかったから。どうせなら途中下車すればいいのだが、それはいやだ。暖かい車内から寒々と荒れる日本海を眺めたいのだ。あほである。それにつきあう友人も同類である。実際、途中下車するほど時間もないので、眺めるに留めた。 |
『大震災』 |
今朝、綿が舞うごとく、フワフワと降る雪の中を歩きながら5年目の震災のことをしきりに考えていた。 |
『あれから5年』 |
「もう5年経ったんだ。」とテレビで震災についての報道がされているのを見て思い出してしまうのはある女性のことであった。 その頃、臨月で病院の先生に「もうすぐ予定日ですね。」と言われていた。初産でしかも親元から離れて出産することを決めていた私は、何とも言えない不安が心の中にあった。その当時、どのチャンネルを回しても凄まじい映像が流されていてさらに不安が高まってしまっていた。 予定日から10日ほど経って無事に出産し、安心感と陣痛による疲れで眠りに就こうかというときに隣のカーテン越しに「お疲れ。ちょっと話していい?」と私より少し前に出産した女性に話しかけられた。 その女性は出産のために神戸にある実家に帰っていたが震災に遭い、2才になったばかりの子供の手を引き、臨月の身でありながらやっとの思いで東京の自宅まで戻ってきたと話した。そして最後に「何があってもこの子のためにがんばれるっていう気持ちになれる。」と…。 「がんばってね」と背中を押されたような気がした。 その女性とは現在は連絡をとっていないが、今でもあのころの気持ちのままでいるんだろうな。 そして「母は強し」という言葉もこの時に実感できたのだった。(リュウ) |
2000年1月11日 |
『風邪ひいたよーん』 |
「ばか」は風邪ひかないと、世間では言われているが、実はあれはウソである。なぜなら私がひどい風邪をちゃんとひいた。基本的に健康体の私は、めったなことでは、会社を休まない。怪しいなと思ったら無理をしないがモットーの私は、具合が悪けりゃ寝るに限るで、この年まで生きてきた。それが成功だったか失敗だったか分からないが、成績の問題を除けば、小さい頃からほとんど学校も休むことなく、会社勤めをしてからも、皆勤手当をもらえなかったことは(有給休暇を代用したこともあるが)一度たりともないという、偉いお人なのだ(自分しか誉めてくれないのが悲しい…)。 なのに、初仕事をしてから数日目になるとなんだか体がだるいではないかぁー。家では、すでに夫が風邪をひいてダウン(会社には行っていたらしい)していた。「風邪かあ、ばかだねちゃんと温かくして寝ないからだよ」「夜更かしするからだよ」「大分の温泉で湯冷めしたんじゃない?」「わたしは、風邪なんかひかないもんねー。だいたい風邪ってうつるもんじゃないんだよー」などと様々な言葉を浴びせかけていた。夫はその半分もまともに聞いちゃいなかったが、その翌日には私はその夫と全く同じ症状に襲われた。風邪って伝染る(うつる)んだ。と気付いた。でも、伝染るのは体が弱っているせいなのだろう。 去年から、私にしては公私ともに忙しく、睡眠時間もままならなかった。そのまま九州の夫の実家に帰省、(昨年、自慢ではないが、自分の年賀状を一枚も書けないまま新年を迎えてしまった。M家がお世話になった大切な友人達、親戚の方々ごめんなさいっっ。そのうち寒中見舞いが届くはずです)息をつく間もなかった。木曜日の朝からからむくむく起きあがってきた風邪は、金曜日の朝に絶好調になり、その日、久しぶりに私は会社を休んだ。今週末は、3連休なので、金曜日に休むと4連休だ、ワーイ!?などという余裕はなかった。喉は痛いわ、咳は出るわ、頭は割れるように痛いわで、連休はほとんどものも喰わず、ただ寝ていた。 ようやく月曜日に少し復活し、少しは、外に出ようかと、数時間の外出。足は久々に使われて、フワフワ。あー明日から会社に復帰できそうじゃと確信した。そうそうそう言えば少し良くなってきたときって、体中がエネルギーに満ちあふれてくる瞬間があるのね。久しぶりにエネルギーが発散されたがっている感じが経験出来ました。皆さんも風邪ひかないようにねっ。(やぎ) |
『メガシップ』 |
この10年程、大型クルーズ客船の建造が活発に行われている。巨大客船の時代は1920〜30年代に1度あって、クイーン・メリー、クイーン・エリザベス、ハルマンディといった優美、華麗な姿を持った船が造られた。戦争にぶつかったために活躍した時間は短い。旅行はジェット機の時代に入ってしまいこのような船が2度と来ることはないと言われていた。 |
『これも疎開の一種なのだろうか?』 |
2000年問題も生活を脅かすことなく、「何か起こるのだろうか?」と思っていた私にとっては安心したような拍子抜けしたような何とも言えない正月になった。(まあ結果的に言えば良かったのだろうが…) |
『2000年問題?』 |
新年あけましておめでとうございます。 |
『私と語学』 |
一念発起して英会話講座に通い始めたのが去年の秋ぐち。夜間週一回の3ヶ月間短期コース。これなら通うに楽だし、挨拶の基本ぐらい覚えられるだろうとたかをくくったのが甘かった。まともに出席したのは最初の回のみ。遅刻して宿題のプリントだけもらって帰ったのが2回。それきりである。受講料で何が買えただろうと心で泣く。 どんなに忙しくても、通うと決めたら時間を作ってでも通うだろう。それができないのは、物理的に無理というのではなく、単に根性がないだけの話である。が、あえて根性のなさを棚に上げて言う。私は英語・英会話とは実に相性が悪い。中学・高校と帰国子女の多い学校に通っていたせいか、ネイティブに近い英語教育を受けていたように思う。でも授業には今ひとつ興味が湧かなかった。嫌いというわけでもないので、洋画を観たり、洋楽を聴いたりして慣れ親しもうとはしていたが、肝心の語学習得能力に欠けていた。当然、受験英語にも苦労苦労。大学に入ったら入ったで、外国語の授業はついてまわる。フランス語、ドイツ語、イタリア語と選択肢は色々とあったが、あえて英語を避けるより、この機会にぜひしっかり身につけようと思い直し、再び蟻地獄にはまる。で、今回の英会話講座。他にもラジオ講座など色々と試みた。こちらから英語に近づこうとすればするほど、逆に溝は深まる。顔を合わせれば喧嘩というような間柄。 それはさておき、人間には向き不向きがある。ということに、ここに来てようやく気がついた。焦ってもしょうがないマイペースに勉強していくさと開き直り、気分転換に中国語に矛先を換えた。以前から度々かじっていたこともあり、なじみはある(はず)。参考書とラジオ講座で勉強中。発音は難しいものの、日本語と近く、兄弟のような言語であるため親しみやすい。語学に興味が湧くのも珍しい。おっ、これは向いてるかもと、密かな手応えを感じながら習得中である。 中国語、仕事で使うことはないかな。・・・ないね。 やはり英語か。身につかなかった英語が嘘のように習得できる秘訣があったら誰か教えていただきたい。このままでは“家出のドリッピー”などの教材に手を出しかねない。(かわら) |