「この本おもしろかったよ!」
【紹介した書籍に興味をお持ちの方へ】 この本は朔北社の出版物ではありませんので、出版状況等に関しましては、お近くの書店、あるいは各出版社にお問い合わせ下さい。
 摂

摂  美術、舞台 そして明日

皆川博子/著
朝日新聞社
朝倉摂。映画や舞台の美術に興味がある人なら、この名前を知っているか、或いはこの名で映画館や劇場に足を運ぶ人も少なくない。舞台美術を中心に、画家、演出、衣装デザインと様々な顔をもつ人物である。若い頃、小劇場地下劇場といった演劇の新風吹き荒れるニューヨークへ単身渡り、前衛的な表現を日本の演劇界で展開した。かつて演劇が熱狂的な時代があった。別役実や寺山修司、唐十郎など小劇場地下劇場系劇団など所謂アンダーグラウンド演劇が台頭し、社会現象にもなる。60年代70年代、若者の闘争、全共闘が荒れ狂い、社会が熱く、それに呼応するように演劇が熱狂的な盛り上がりを見せた時代。朝倉摂もその中で美術家としての地位を確立していった。

私が初めて朝倉摂の舞台美術を目の当たりにしたのは、97年に再演された井上ひさし原作の地人会公演『藪原検校(やぶはらけんぎょう)』だった。盲目の主人公が検校という盲人の最高位を求めて行くうちに取り巻く環境によって悪人になって行く物語。舞台美術には、色とりどりのふとんかわで編んだ綱が用いられていた。舞台上に綱を張りめぐらし、場毎に様々な役を担う。目の不自由な人が頼る綱、時にはうなる波に、最後悪人を捕らえる縄にと。艶やかな綱が、闇に包まれた舞台に映え、作品世界をうまく引き出していた。舞台の魅力がこの空間美術にもあると、その時実感した。初演は73年、美術はその当時とほとんど変わっていないという。この時点でも前衛的な印象を受けた。これ以後、目を見張る舞台美術はたいてい朝倉摂が担当していた。彼女の感性は、色褪せることがなく、どの時代にもどの世代にも働きかける力を持っている。

この本では、そうした日本演劇の流れの中での朝倉摂の活動ぶりを紹介している。著者は文芸作家。作家も美術家も創造的な仕事という観点から自らの立場に朝倉の仕事を惹きつけて解釈するところや、また朝倉と交流があることから身内贔屓な表現が多々目立つのは気になるが、一人の人物を切り口に現代演劇の大まかな流れを知るには適当な内容である。また、彼女が手がけた舞台作品の口絵が多く挟まれているため、これから舞台作品を見ていきたいという人にも、ちょっとした参考にもなる。

時代がこのような美術家を生んだのだろうが、後に続く若い世代は朝倉の築いたものをどのように受け継いでいくのだろうか。舞台美術のノウハウを伝達するシステムが私立の芸術大学数校を除いてはなく、国家に望むものはないという朝倉摂の言葉が印象的だが、この本は、そうしたこれからの日本演劇界が抱える大きな課題をも投げかけている。一人の舞台美術家の軌跡から何を感じ、何を継承していくか、そして新たに生み出すか。創造的な仕事に就こうと考えている人には面白い内容である。(文:かわら)