日本人の父親とベトナムの血をひくタイ人の母親とのあいだに生まれた瀬戸さんは、タイにいる頃「トオイ」と呼ばれる少年だった。8歳のとき日本にわたると「正人」という名で呼ばれ、成長するとアジアと日本を行き来する写真家になった。この本は、瀬戸さんとその家族4世代の物語を、写真と文章によって写し取ったものである。
ラオスで日本の敗戦を知った瀬戸さんの父親は、下士官以上は処刑されるとの噂を聞き、復員せずフランス軍に対抗するベトナム軍とともに密林に入る道を選んだ。そしてタイのベトナム人社会に受け入れられ、ベトナム人として裸一貫から町いちばんの写真館を築いた。しかし東西の冷戦がはじまり、インドシナでも共産化をくい止めるべくベトナム人スパイの摘発がはじまると、日本人であることを名乗り帰国する決意をする。父親の故郷日本国福島県にわたった「トオイ」は、外国人の存在自体珍しかった日本の田舎で周囲の好奇な目にさらされながらも、親戚や家族のあたたかい目に見守られ、次第に日本人「正人」になっていった。
『トオイと正人』は瀬戸さんの家族の肖像であるとともに、自己のルーツをたどる旅でもある。それは「自分探しの旅」とも置き換えられ、そういうとありきたりのように聞こえるが、そのやり方は人の数だけあり、たどり着く先も人の数だけある。自分という人間を形成した血、風土、周囲の人々、その中で取ったさまざまな行動、そのときどきにわき起こった感情、そういったものが積み重なって、現在の自分ができてくる。瀬戸さんはそうした出来事を、カメラのファインダー越しに見るようにこちらに見せてくれる。対象をつきはなすのでもなく、感情移入しすぎるのでもなく、ちょうどいい距離で見せてくれる。考えてみれば、私たちは自分の目に写ったものを実像と考えているが、それは目というレンズをとおして見えたもので、虚像という点ではファインダーからのぞいた場合も、目に見える場合も同じだ。瀬戸さんの文章が読んでいて心地いいのは、その対象との距離をよくわかっているからかもしれない。
この本の中では「におい」がしばしば重要な意味を持つ。福島県の大枝村で「トオイ」が「正人」になっていったのは堆肥の甘く匂う桑畑の中でであり、タイ語を忘れ日本人になっていた「正人」がふたたび「トオイ」に立ち返った瞬間も、タイのウドーンタニの屋台でアセチレンのにおいをかいだ時だった。そして「トオイ」を取り戻した「正人」は、福島にわたってから20年後に訪れたベトナムのハノイでは「マサト」になる。日本の首都「東京」が「トーキョー」になったとき、小さな島国の大都市がアジアの1都市になって、小さな点にズームバックする感覚が、カタカナの「マサト」にはある。このことは、どんな名前にあてはめてもいえるだろう。カタカナの音で自分の名前が呼ばれたとき、ふりむくと、そこにはアジアがあるのかもしれない。(文:京) |