「この本おもしろかったよ!」
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子どもという哲学者

子どもという哲学者

ピエーロ・フェルッチ/著
泉典子/訳
草思社

私は、「子ども」とか「哲学」とかそういう言葉にひじょうに弱い。この本が本屋に平積みされているのを見たとき読みたいと思いその場で購入してしまった。子どもの魅力たっぷりの笑顔や、時には鋭い観察者になるその姿は興味深く、子どもが電車に乗っているのを見るとつい、何をするのか、話すのか観察してしまう。昔、自分がそういった子どもだったことなんか忘れて…。20数年というごく最近の出来事であるのにだ。一方、「哲学」というのは、学と名前がついているが、私たちが疑問に思う事柄すべてが、哲学だとも言えるのではないだろうか。とにかく「子ども」と「哲学」は私たちの生活から永遠に無くならないものなのだと思う。

本書は、帯に「まったく新しい子育て論!」とあるが、子育て論というよりは、著者ピエーロ・フェルッチ自身が子どもとすごした日々を綴った、エッセイといったほうがよいものである。ピエーロは、心理学者という肩書きを持ってはいるが、子どもとすごすようになって、初めて、机上で学んだことが、そのままどの子どもにも応用できるものではないことを知る。

普通、私たちが、初めて子どもを育てるとき、どうしたら良いか不安になり、育児書を片手に、自分の子どもがどのパターンに当てはまるのか調べ不安になったり、安心したりするのだろう。だけど、どんなちっぽけな、本1冊に、1人1人の個性が当てはめられるわけはないのである。この本は、その心理学者であるピエーロが、1人の人間に戻り、人の親として、自身の、内側、外側から語っている面白い本だ。

2人子どもとの会話が、いちいち、はっとさせられる。子育てはこうあるべきだという、くどくどしたところがまったくないところも好感がもてる。子どもの前では、いっぱしの大人の仮面をかぶっていても、いつの間にやら、その仮面がはずされてしまうのだという。そして、自分の精神状態までも、反映してしまうと。見えない部分を、感じるのは、誰でももっている本能であるが、社会的に弱い子どもほど、そういったことを本能で感じるのかもしれない。子どもが心が満たされるときというのは、どういうときなのだろうか。著者がいうには、夫婦がとてもうまくいっていたり、ゆとりがあるときなのだそうだ。「わかるんだなあ、そういうことって」と思いながら私は自分の事を思ってみた。自分の甥たちと私の関係を。確かに、適当に受け答えをしていたら、あきれられたことがある。表面がおだやかでも分かってしまうのだろう。愛がこもっているときと、そうでない時には、言葉のどこかに違いを感じるのと同じように。そういった、かもしだす雰囲気の中で幸せな感じというのは出てくるのだろう。

それから、面白かったのは、子どもの質問である。その質問は親が思ってもいないことだったりする。それは「時間はいつおわるの?」だったり、「何もかも夢だったらどうなるの?」だったり、「『だから』と『それで』ってどうちがうの?」という質問だったりするわけである。それも親としては、どんな思考回路で、こんな質問をしてきたのだろうかと驚く質問だったりするのだ。しかし、私ですらいまだに「人はなぜ、生きているのか?」などと日々考えたりするわけだから、この世に生を受けてまだ間もない子どもにとっては、まさに、知らない事ばかりだし、疑問だらけで当然である。

もし、私に子どもを育てる日が来るのだとしたら、子どもはかわいいけど、子育ては大変そうだなと思っていたが、この本を読んだら、子どもという哲学者に出会いたい思いでいっぱいになった。(文:やぎ)