出版できないかといって持ち込まれた原稿のひとつに、香港で日本軍の捕虜になったカナダ人兵士の体験記がある。20才前後の若い兵士たちの異常な体験を克明に綴ったものだが、この原稿を読みながら思い出した本が会田雄次『アーロン収容所』である。第2次世界大戦中、ビルマ戦線で従軍中に日本の敗戦となり、イギリス軍下の捕虜収容所にとらわれの身となった。その間の体験を書いたのが『アーロン収容所』である。
昭和37年秋、中公新書の発刊時にその1冊として出版された。1973年(昭和48年)中公文庫に移されて、私の読んだ本は1998年6月 25刷と奥付にある。
舞台はビルマだし、日本への帰還を待ちわびる日本兵捕虜の話だから竹山道雄の『ビルマの竪琴』を思い出す。しかし、小説と実力のちがいもあるが描かれた世界の何とちがうことか。
『アーロン収容所』は名著として、今もしばしば引用される本だ。そしてよく引用されるのは、英軍の女兵舎の掃除の場面である。部屋に入って掃除をしようとしたら、1人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいており、「ドアの音にうしろをふりむいたが、日本兵であると知るとそのまま何事もなかったようにまたかみをくしけずりはじめた。」この場面について会田さんは、彼女たちにとって植民地人や有色人は明らかに「人間」ではない、家畜に等しいものだから人間に対するような感情を持つ必要はないのだ、どうしてもそうとしか思えない、と書いている。実に異様な光景ではある。
文庫カバーに「西欧ヒューマニズムに対する日本人の常識を根底から揺さぶり、西欧観の再出発を余儀なくさせ、さらに今日の日本人論続出の導火線となった名著である」と書いてある。たしかにその一面はあるが、全篇を通読すれば内容はそれ程単純ではなく、会田さんの意図をはみ出して幾通りもの読み方ができる本だということが分かる。
印象的なのは、きびしい制約条件の中で、何とか生き延びるためにするさまざまな活動のことである。たとえば盗み。じつにいろいろなもの、というより収容所で生きるために必要なすべてのものを盗むのである。日本兵士の盗みのテクニックあれこれが書いてある。それから、イギリス人、インド人、ビルマ人、日本人と異なる民族の間の関係。それぞれの相手に対する見方など。(文:宮) |