近所のコンビニでホラー・オカルト本の特集をしていました。いつの時代も夏はやっぱりこれなんですね。
この本は、著者の水木さんの体験を中心に、幽霊、お化け、妖怪、そのほか不思議なことについて書かれた「たのしくて、おもしろくて、こわい本」です。岩手県の温泉宿まで「ざしきわらし」に会いに行った話や、妖怪じみた能力をもつ友人のことなど、妖怪にあくなき好奇心をもつ水木さんならではのエピソードがつまっています。
私はホラー・オカルトの類が大の苦手で、なのに、こわいものみたさでつい見てしまい、夜眠れなくなるというたちです。最近は人間の方がこわいといわれてますが、私の場合、暗い夜道を歩いていると、痴漢より「べとべとさん」がついてきてるんじゃないかとびくびくしてしまいます。
家の中でもベッドと床の間、扉のうしろと、およそ光のとどかない所には、何かが潜んでいそうな気がして、ぞっとすることがあります。こういう恐怖心がお化けや妖怪を生んだんだろうなあ、と思うのですが、どんな理屈を捏ねてもこわいものはこわい。
何故こんなにこわいか。それは相手の正体がわからないからだ、と思います。気配はあるのに姿は見えない。形はないのに濃厚な存在感がある。存在すると確信しているのに正体は誰も見たことがない。見えないからどんどん想像をふくらましてしまう。──そう考えると、妖怪は「死」と似ています。
どちらも人間にとってみぢかな存在で、切っても切り離せない関係にある。だから、お互い影響し合う部分も多々あるはずで、水木さんの描く妖怪たちが人間臭かったり、愛嬌があるのも当然なのかもしれません。
そして、死と妖怪がイコールと考えれば、「死」についての意識が希薄になっている最近の世の中は、妖怪たちにとってさぞ住みにくい世の中なんでしょうね。(文:京) |